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2012年6月30日 (土)

鈴木和雄『接客サービスの労働過程論』

9784275009678鈴木和雄さんから大著『接客サービスの労働過程論』(お茶の水書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.ochanomizushobo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-275-00967-8

従来の生産労働を中心とした労働過程とはいちじるしく異なる相貌を呈している接客サービス労働過程が提起する諸問題を、接客労働の3極関係、感情労働、労働移転という3つの主題にそくして理論的に考察する。

実は、本ブログで以前、鈴木さんの「接客労働の3極関係」という論文を取り上げたことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a900.html(顧客が第2のボスになる)

何にせよ、「お客様は神様でございます」の世界で、「お客様が第2のボスにな」ってしまったら、ボスが神様というこの世で最も恐ろしい事態が現出してしまうわけですから、日本のサービス業がブラック企業だらけになるのもむべなるかな、でしょうか。

これが本書の第1部の冒頭に来ています。

読みながら考えたのは、もともと英語で雇用契約は「コントラクト・オブ・サービス」だったことです。だから、サービスをする側がサーバントで、サービスを受ける側がマスターで、二つ合わせて「主従法」(マスター・アンド・サーバント・アクト)という不平等な関係の法律だったわけですね。

それが19世紀終わりのイギリスでようやく使用者・労働者法(エンプロイヤー・アンド・ワークメン・アクト)になった、というのは労働法の歴史に必ず出てくる話ですが、でもエンプロイヤーとの関係ではもはやサーバントじゃなくなった労働者も、サービスの顧客との関係ではやはり言葉の正確な意味でサービスする人=「サーバント」であるわけで、サービス経済化が再びサーバントを呼び起こしてしまったということになるのでしょうか。

いやもちろん、それにしても顧客はサーバントに対するマスターではないのですから、その言うことを何でも聴かなければならないわけではない。

と考えて、スカイマーク航空のように

http://npn.co.jp/article/detail/57107549/

(1)お客様のお荷物はお客様の責任において収納をお願いします。客室乗務員は収納の援助をいたしません。

(2)お客様に対しては従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けておりません。客室乗務員の裁量に任せております。安全管理のために時には厳しい口調で注意をすることもあります。

(3)客室乗務員のメイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては、『自由』にしております。

(4)客室乗務員の服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレイカーの着用だけを義務付けており、それ以外は『自由』にしております。

(5)客室乗務員の私語等について苦情をいただくことがありますが、客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置付けております。お客様に直接関わりのない苦情についてはお受けいたしかねます。

(6)幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません。航空機とは密封された空間でさまざまなお客様が乗っている乗り物であることをご理解の上でご搭乗頂きますようお願いします。

(7)地上係員の説明と異なる内容のことをお願いすることがありますが、そのような場合には客室乗務員の指示に従っていただきます。

(8)機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は『スカイマークお客様相談センター』あるいは『消費生活センター』等に連絡されますようにお願いいたします。

てなことを言うと、サーバントの分際で何を言うか、と非難囂々となるわけです。

いやなんでここに客室乗務員が出てくるかというと、本書の第2部、ホックシールドの感情労働を取り上げたところでその実例として出てくるのがまさにその客室乗務員だからなんですね。

日本でホックシールドの感情労働が取り上げられるときにはだいたい医療福祉関係のケア労働が中心ですが、これらは必ずしも会社の命令でと言うわけでなくむしろかなりの程度プロフェッションとしての自己統制に属するのに対して、客室乗務員の「スマイル」は、まさに商品としての(メイド・)サーバントなので、より本質的であるわけです。


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コメント

「サーバントの分際で何を言うか」
という(暗黙の)社会的担保が存在することによって、

一方で“主婦パート”“学生アルバイト”等として、(内実を問わない)社会的な労働力評価をそのまま利用した低待遇に労働者をとどめつつ、

もう一方で、“お客様”、ひいては会社に対する、「尽くす義務」が強調され、それに反すると(またはそう会社によって認められるとき)、容易に、自腹による損失穴埋めや、始末書の提出などが、労働者に対し強いられ行わされてしまっている(ように思える)。

そうすると、上記担保は(“悪質クレーム”という)マイナス面ばかりでもない状況が雇い主にはあって、結局ババをつかまされるのは労働者ばかりなり(またはそうなりがち)、と言えるかもしれない(ただし労働者自身が、“尽くすこと”それ自体に高揚感を覚え、メリットを感じている、という場合は除く…)。

このお題、公立劇場という事業場に勤務する私には身につまされます。
昨今、プロフェッショナルな表現団体の殆どが、自前の舞台技術者を抱えて乗り込んでくる(まあそれはそれで偽装請負だったりしている節もあることはあるのですが・・)なかで、アマチュア表現団体であるところの市民団体というお客様は、とにかく劇場付きの技術者を召使い(日本風にいうと下男といったところでしょうか)だとでも思っておられるのか、相当タイトなスケジュールの仕込みや、リハーサルもなしに、おそらく何処かで見たお気に入りの夢を膨らませた演出効果を期待しているわけです。
もちろん専用の機器を劇場に持ち込んでくるプロフェッショナルな表現団体ではないので、劇場付属(劇場にある汎用な)の市の備品で、「なんとかしてよ!」と言ってくるわけです。
そこで、「それはこの条件だとちょっと無理ですよ」というと、「不親切だ!」ということになるわけです。このようなお客様は殆どが団塊世代かそれより上の世代。とくに洋楽をやられている人たちです。おそらくはヨーロッパのごく一部のホールで制度化されている“創造する劇場”(本家のヨーロッパでも創造する劇場はほんの僅かで、それも劇場支配人のお目にかなったプロ集団だけが技術の給付を受けて公演できるに過ぎないわけなのですが・・)で技術と演出の給付のある制度を望んでいて、それが公立劇場を利用する際の制度的利益だと。そう考えている節があるわけです。
我が国でも「劇場法」が、今国会で成立しそう(既に衆議院は通過)ですが、全ての公立劇場がそのような技術給付ができるようになるわけではなく(況してや、企画やマネジメントが出来ない表現者団体には技術の給付のしようがないわけで)、市民団体である表現者の皆さん、あるいは一般国民は、これをどのように受け止めているのでしょうか?。

もう少し視野を広く見ると、凡そ公共部門の委託事業により行っているサービス部門の給付(例えば介護なども)ニーズと一言で言うはやすしですが、制度設計の段階で、現場で顧客に接している人のプレッシャーがどのようなものなのか?少しは考えてもらいたいものだと思います。
どこかの国と違ってチップがもらえるわけではないので。

「私事」の代替えとしてのサービス労働、自分に属する行動の代替として他人の身体を利用するときの労働価値と、その生産リスク(労働力再生産)を、もう少し評価する社会になってほしいと思います。個人的には・・。

連投失礼します
所謂、三極論というか、二股ボス構造というのは、サービス労働に共通するだけでなく、昨今の派遣労働の構造も同質なわけですね。

古くは、おき屋さんとお客と芸子さん、旅館とお客と仲居さん。ホテルと宿泊客とボーイ(日本だとチップはもらえない)。

今はこれに加えて、派遣元と派遣先と派遣労働者、発注者(元方サーバント)と住民と委託業者とその労働者(ないし定額の日当で働く個人請負人)といったところでしょうか。
なので、後段の発注者から末端の労務提供者までは、数次のボスが存在していることになるでしょうか。

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