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古市くんの「ずれ」

いやまあ、古市くんの言うてることも、まったく間違っているというわけでもないのだけれど、あの言い方と、何よりNHKのあの脳天気な映像化で、ほとんど空中ふわふわの「のまど万歳」論になってしまっておるわいな。

その横に並ぶ面々もなんでああいう高ぴー目線になるのか、世の中あんたらみたいなエリートばかりじゃねえぞ、という反感が画面に吹き上がってくるのがわからんのかねえ。

つか、ごくごく「ふつー」の労働者が、身も心も会社に捧げ尽くさなくても、ごくごくふつうーに働いて、ごくごくふつーに生活していけるような、そういうイメージはないのかねえ。

広島電鉄の組合を偉そうに批判して、それがどれだけの意味があることなのか分かっているのか。普通の労働者たちができることの範囲が分かっているのか。

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雑件」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、古市です。本来はコメント欄に本人が書くなんていう、地雷以外の何物でもないことをしないほうがいいのかも知れませんが、濱口さんの本でいつも勉強させて頂いてるので、一言書かせて頂きます。

まず番組をごらんになって頂いてありがとうございます。そして専門家の濱口さんが「ずれ」という印象論でエントリーを書かれていることに、いささか戸惑っています。

番組が、濱口さんに対してメッセージが伝わりにくかったならば、こちら側(出演者、製作者)の問題なのですが(どれだけ「反感が画面に吹き上がってくる」のかは統計データを持ち合わせていないのでわかりません。今度スタッフの方にわかる範囲で聞いておきますね)、「全員参加型社会」というのはディーセントワークが失われつつある社会の中で、まさに濱口さんのおっしゃる「そこそこ市場」が活性化するというイメージです。また「正社員」か「非正規」かというメンバーシップ型の雇用だけではなく、「ジョブ型」を増やしていくという方向性とも重なるはずです。

2050年の映像は別として、僕の話の中では「エリート」を想定はしていませんでした。むしろ働きたくても働けない人のアクティベーション、ワークフェアの話をしたつもりです。また、ドラマ内の2世代、男女が働くというのも男女双方の意識改革と、家庭内労働の均衡という濱口さんの問題意識ともつながると思います。

組合に対する期待に関しては、確かに違うところかも知れません。ただ「広島電鉄の組合」の事例を批判したのではなくて、あのような企業別組合による今回のような労使交渉がどこまで一般性を持つのかと、疑問に思っただけです(あのようなことこそ「普通の労働者」がどこまでできるのでしょうか)。

と、色々と書いてしまいましたが、現実の、現実的な可変性をいつも意識されている濱口さんには2050年という想定自体が気に障ったのかも知れませんね。またどこかでお会いすることがあるかも知れませんが、引き続き宜しくお願いいたします。

投稿: 古市憲寿 | 2012年6月 3日 (日) 00時20分

古市さん、ようこそ。地雷どころか、ご本人の光臨、大歓迎です。

印象論というのは、実はちょうど時間帯的に飯を食いながら見てた番組なので、真剣に論理的にというよりも、気分的印象論的な受け止めになったことは否定しません。ただ、それはむしろ、あの番組を見ていた圧倒的に多くの非専門家的日本人の感覚に近かった、正確にいうと、受け止め自体はわたくしの認識評価枠組みに依るところが多いとはいえ、そういう受け止めを生じさせる番組の与える印象という次元では、むしろ一般視聴者の多くと共通していたのではないかと思っています。

理論的な次元でのメッセージは、わたくしはきちんと受け止めているつもりです。だって、「全員参加型社会」って、このブログでも結構繰り返し言ってきていることですから。そして、今から思い返せば、ボードを背に喋っている古市さんの言葉それ自体は、字にすればかなりまっとうなことを言っていたような気もします。

そうすると、なんで私の中の大衆感覚的受光版が、「のまど万歳論」とか「高ぴー目線」という感覚的印象を植え付けられたのか、ということになりますが、その分析はかなりめんどくさそうなので、ざっくり言うと、隣の方の印象の重複化、NHK作成映像の異常なまでに楽天的な調子、そして広島電鉄ケースに対するなにやらグローバル風の批判、といったものがないまぜになって形成されたように思われます。

も少し立ち入って言うと、これはジョブ型の話をすると必ず出てくる反応なんですが、何か凄く高度専門型で、すいすいと労働市場を泳ぎ渉っていくようなイメージを持たれる人がいるんですが、そういうエリートバイアスが、あの映像や番組作り全体に匂っているという、それこそ印象論ですが、感じたのは間違いありません。

会社に身も心も捧げ尽くさなくても普通に働くというのは、そんなたいそうな話ではないと思うわけです。そして、別にやたらに流動化するということでもない。むしろ、できるなら同じ仕事をずっとやってられればその方がいいわけで、それが普通のノンエリートの発想。解雇されも平然というのも非現実的で、仕事がなくなれば整理解雇はしゃあないね、というのはそれを保障する仕組みがあっての話で、そこがすぽっと抜けているし、実は一番危惧したのは、あの映像を見て、これはあくまでも仕事がなくなった場合の解雇の話なのであって、態度が悪いからクビだなんていったらつるし上げを食うんだよ、というのが抜けていて、普通の、そう今の普通の日本人があの映像を見たら、あらゆる解雇は自由で、何の文句も言わないのが2050年らしいという、ある種のアマルガムな印象を受けるのではないかと思います。

ま、それら全て、飯を食いながら視聴による気分先行型印象論ですので、どこまでまじめに受け止めていただくべきものかは、必ずしもわたくしが強く主張すべきものとも考えておりません。一つの参考程度に受け止めていただければと思います。

なお、印象論ではなくわたくしが違和感を感じた広島電鉄ケースについては、拙著『新しい労働社会』の第4章で述べたように、それこそ普通の労働者にとって、「あのような企業別組合による今回のような労使交渉」がもっとも現実的な可能性であって、それ以外のより抜本的で素晴らしい理論は、それだけいっそう現実性に欠けると判断しています。ここは、拙著刊行時に多くの人々から批判を受けた点ですし、世の中にさまざまな議論があることも承知しています。その上で、


この問題は、白地に絵を描くことができるのであれば話は簡単なのですが、現に企業別組合が正社員に限ってではあっても労働者代表組織としての性格をもって存在している以上、その存在意義を否定する方向への改革は事実上不可能です。労働者間の利害調整の仕組みを設けるための代表組織作りが、それ自体への労働組合の猛反発により挫折してしまっては、何の意味もないでしょう。その結果は、労働者間の利害調整などでは問題は解決しないという諦めであり、「正しい」賃金制度を組合の抵抗を押し切って労働者に強制するしか道はないという一種の「啓蒙専制主義」であり、つまり産業民主主義の否定です。
 それを避けるためには、法的にはさまざまな無理があるにしても、現在の企業別組合をベースに正社員も非正規労働者もすべての労働者が加入する代表組織を構築していくことが唯一の可能性であるように思われます。実は、戦後日本の企業別組合の前身は戦時中の産業報国会であり、戦前は身分が隔絶していたホワイトカラー職員とブルーカラー工員を包括する労働者代表組織として上から強制的に作られたという歴史を持っています。その意味では、正社員と非正規労働者を包括する新たな労働者代表組織の基盤として企業別組合こそふさわしいということができるかも知れません。
(p187-188)

とあえて自分の立場を明らかにしたつもりですので、その点ご理解いただければと思います。

いずれにせよ、どこかでお会いできれば、大変有意義なお話ができるのではないかと期待しております。これに懲りず、またコメントを書き込んでいただけることをお待ちしております。

投稿: hamachan | 2012年6月 3日 (日) 01時28分

こんにちは。夕べのTVをみて暗い気持ちになりました。人間は機械ではありません。感情も肉体も変化しつづけます。家族を持てば生活するうえでさまざまな問題が起こります。夫婦間・家族間もいつも順調とは限らず、常にみな健康でいられるはずもなく、子供はしょっちゅう熱をだし、そのたび保育園からは迎えに来てくださいと電話があり、年頃の子供には少し目を配ってもいたい、親もだんだん老いてくれば健康を害したりわがままになったり、気弱になったり。そんな中で一度にいくつもの仕事を持ち、しょっちゅう仕事を解雇され、そのたびにあたらしい仕事を探し続けるなどという事がはたして可能でしょうか?徹底した個人主義により、他人に対する思いやり・連帯感・感謝は無くなり、孤独と疲れと不安を感じる日々にいずれ皆肉体も精神も病んでいくような気がします。個々の専門性を高める事も必要だとは思いますが、リーダーばかりでは現場はうまく動かないのではないでしょうか。私には専門的な学識はありません。ですが少なくとも私は広島電鉄のような会社とそれにこたえて一生懸命働き生活する人々にエールを送りたい。また子供と孫が現役で働いているであろう2050年には古市さんが色々な経験を経てもっと違う考えを持ち、夕べの映像とは別の社会がある事を祈りたいと思います。

投稿: まみ | 2012年6月 3日 (日) 09時30分

番組の感想をいくつか。
感想を述べるにあたり立場を明確にしておくと、中規模製造業で労働組合の委員長をしておりますが専従ではありません。フルタイム勤務の後、組合活動をしています。
労働者がすべて「ノマド」を理想とするものではありません。また全員が「ノマド」で働ける才能が有るわけではありません。私たちが目指すのは、人それぞれの身の丈にあった働き方が出来る社会であり、ディーセントワークとはそうしたものを目指すものではないではないかと理解しています。そうした意味で2050年の姿はあまりにも偏った浮世離れしたものに映りました。
広島電鉄労組の取組みは、いま中小の企業内組合が抱えている問題でしょう。労働組合が労使の利害調整を図り妥協点を探りながら交渉を繰り返すということの苦労は、なかなか理解してもらえないかも知れません。
古市氏の「企業別組合による今回のような労使交渉がどこまで一般性を持つのか」という疑問は素朴な疑問だと思いますが、あれこそが企業内組合に求められていることのひとつです。
そして番組内では軽く流されてしまいましたが、企業の中で高齢者は若いときは低い賃金で働いて現在の企業の処遇とインフラを築き上げたのであり若年層は出来あがったものに乗っているだけですから、一方的に高齢者の処遇を下げると「契約違反」になります。こうした企業内世代間の労労対立の調整も労働組合が負うことになります。
育児休業制度を拡充しても、実はそうした制度の推進を阻んでいるのは、実は労働者自身であることもあります。
そうした現実の問題を歴史的経過を踏まえた上で少しずつ、理想に近づけていくことが大切なのではないかと思います。
あの番組の中では、そうした現実と理想をすり合せ、どのように実現していくかを全部抜きにして話が進められていました。抜本的改革と意識改革で理想は実現するんだというような、どこかの与党のマニフェストのようなことを語られても、労使関係のフロンティアを目指している者からすれば「ライトノベルとしてはよく描けてるよね。リアリティーはないけど。」というのが実感です。

投稿: ごまめのはぎしり | 2012年6月 5日 (火) 22時22分

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