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黒田兼一+山崎憲『フレキシブル人事の失敗』

12654黒田兼一+山崎憲『フレキシブル人事の失敗 (日本とアメリカの経験)』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/757?osCsid=bb249b405a005a7ae3810b4543af7e6f

JILPTのアメリカ担当調査員である山崎憲さんについては本ブログでも何回か取り上げてきていますので、ご存じの方も多いと思いますが、黒田兼一さんとの共著というのはどういうわけかな?と思っていたら、カバーの略歴に

2003年から06年まで在デトロイト日本国総領事館外務省専門調査員を経て、縁あって明治大学経営学部経営学研究科黒田研究室で学び現職・・・

とあり、師弟関係でもあったのですね。

さて、本書は、第1章は黒田さんが日本について、第2章は山崎さんがアメリカについて書いた上で、第3章で政策的な課題についても論じています。

序 企業経営と雇用の世界で何が起こっているのか
ウォール街を占拠せよ!/すべてがフレキシビリティの名の下に/本書のねらいと構成
第1章 日本はアメリカを追っているのか 人事労務「改革」の末路
  1 ドーアの嘆きとジャコービィの問題提起
  2 「改革」を促したもの
  フォーディズムの好循環/「改革」のはじまり――フォーディズムの危機/日本における新自由主義(ネオ・リベラリズム)の台頭と「日本的経営」ブーム/改革への本格的な導引――ICTとグローバリゼーション/フレキシビリティ
  3 「改革」の始まり 日経連の「新時代の『日本的経営』」
  日経連の人事新戦略/フレキシビリゼーションの課題/年功制打破と個別化/雇用ポートフォリオと能力・成果重視の人事制度
  4 人事労務管理「改革」の現実
   �雇用管理――正規雇用と非正規雇用
    雇用形態の多様化とフレキシビリティ/非正規雇用の広がりと多様化/確実に進んだ雇用のフレキシビリティ
   �人事と処遇制度――成果主義の混迷と役割給の台頭
   「ヒト基準」賃金とフレキシビリティ/「成果主義」賃金の混迷/「役割給」の台頭
   �時間管理――長時間労働と規制緩和
   労働時間のフレキシビリゼーション/脱法行為を含んだ時間管理のフレキシブル化の進行
 5 市場志向とアメリカ化の実相
第2章 アメリカン・ドリームの崩壊
 1 アメリカが追いかけてきたもの 一九八〇年代以前
  ウェルフェア・マネジメントと日本的経営/アメリカ型人事労務管理の主流/安定した労使関係を基盤とした社会政策の実現/もう一つの選択――人的資源管理/人的資源管理の導入と働きかたの変化/一九七〇年代――ゆらぎの始まり/労働の人間化(QWL)
 2 アメリカの変化 一九八〇年代以降
  競争相手としての日本/ダンロップ委員会
 3 アメリカの人事労務管理「改革」の現実
�多様化する人事労務 �賃金・評価制度 �職業訓練と能力評価 �人事部の役割
 4 分水嶺としての一九八〇年代
第3章 企業競争力を超えたディーセントワークに向かって
 1 アメリカの可能性
  社会と共生する人事労務管理の必要性/新しいパートナーシップの構築/
  太平洋を挟んだスパイラル
 2 日本の可能性
  新しい時代の雇用安定への模索/新しい賃金制度と均等処遇への道/労働時間短縮と
  ワーク・ライフ・バランス/日本におけるディーセントワークへの道

日本とアメリカを対比させることで、大変面白い視角が浮かび上がってくるのですが、それは序の言葉を引けば、

アメリカの場合は、それぞれの職務(仕事)は職務分析を通して厳格(リジッド)に決められており、また賃金はそれぞれ厳格に決められた職務ごとの職務評価に基づいて決められている(職務給)。その上で、その職務を効率よく遂行できる「ヒト」をあてがう。いわば(価格の付いた)「仕事」に「ヒト」をあてがうのである。・・・ところがICTとグローバリゼーションの進展の中で「仕事」が激変しており、仕事の変化に応じて再編成が必要となるが、そのたびに雇用と処遇を変えていくことは困難であるばかりか、非効率でもある。ヒト中心の人事労務管理が求められる。「仕事基準からヒト基準へ」、これがその方向である。・・・従って、アメリカにおける人事労務のフレキシビリゼーションの課題は、この雇用と処遇が「仕事」にリジッドに結びつけられているあり方を柔軟(フレキシブル)にすることである。

日本の場合はまさにその逆である。日本の、特に正社員(従来までは男性)の場合、まず採用された従業員の学歴や年齢(勤続年数)、キャリアを見極め、その人に適合する職場に配置する。すなわち、学卒者を春期に一括採用し、最初は簡単な仕事をあてがい、その後は定期的に人事異動を繰り返すことで、能力を育成し、その「ヒト」がもっとも効率よく働けるより高度で複雑な仕事をあてがうのである(内部昇進)。いわば「ヒト」に「仕事」をあてがうのである。・・・そこでは賃金が「ヒト」に付いているため、「仕事」が変わっても処遇を変える必要がない。・・・しかしこのやり方は、「仕事」とは無関係に雇用と処遇が決まってしまうため、市場の変化によって「仕事」と処遇に無視できないミスマッチが生じ、しかもコスト高になる可能性がある。従って日本の場合の人事労務のフレキシビリゼーションは、「ヒト」と処遇のリジッド性にメスを入れ、「ヒト」基準から「仕事」中心の人事労務管理へ、これが「改革」の方向ということになる。

アメリカではリジッドなジョブ基準を崩すことがフレクシブル化であり、日本ではリジッドなヒト基準を崩すことがフレクシブル化であるという、一見矛盾するようで、実は極めて本質を突いた説明がされています。

結局、以前のどちらの仕組みも、ある面のリジッドさと別の面のフレクシビリティを組み合わせることによって、労使双方がそれぞれに納得できる妥協が成り立っていたのでしょう。ところが、そこから、一方的にある面のリジッドさだけが摘出削除されてしまえば、労働者にとって依るべき基準は失われ、残るのは使用者側の恣意的なフレクシビリティということになりかねないわけです。

興味深いのは、共同執筆の第3章で、強硬な同一価値労働同一賃金説の遠藤公嗣さんの議論に対して、「職務給でない世界でのそのあり方をどのように構想するのか、これこそが重要ではないのか」と疑問を呈していることです。

遠藤さんも同じ明治大学経営学部にいますし、先日出た山崎さんらの『アメリカの新しい労働組織』報告書の共同執筆者でもあるのですが、ここはなかなか本質的なところでしょう。

本書の著者らがいうのは、むしろ「査定される側、つまり労働組合による人事査定への介入と規制が決定的に重要となってくる」というところです。これは、何が正しいかを先験的に決める基準はなく、集団的労使関係の中で決めるしかない、という労使関係的思考形式がよく現れているように思われます。

なお、山崎さんの著書や報告書に関する過去のエントリは以下の通りです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-e0e1.html(山崎憲『労働組織のソーシャルネットワーク化とメゾ調整の再構築』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-0914.html(『アメリカの新しい労働組織とそのネットワーク』)


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