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2012年5月 3日 (木)

デフレは日銀の会議室で起こっているんじゃない!企業の現場で起こっているんだ!

日本経済研究センターの愛宕伸康主任研究員が、「実質値下げが招く「デフレの罠」―原価・人件費抑制と売り上げ低迷の悪循環に―」というディスカッションペーパーを書かれています。

http://www.jcer.or.jp/report/discussion/detail4430.html

わが国が陥っている「デフレの罠」の背景については、金融政策の有効性や長期的な需要不足、「負の生産性ショック」といった供給側から見た構造問題など、マクロ的な観点から多くの研究がなされてきた。しかし、そもそも価格を設定しているのは企業であり、その価格設定行動を丁寧に分析することが、長期デフレの原因を解明する上で極めて重要である。

本稿では、名目(表面)価格を据え置くという企業行動が、「品質調整」という物価指数を作成する際の統計処理を通じて、物価指数の緩やかで安定的な下落を引き起こしていると考える。企業は、国内市場が伸び悩むなかで、製品性能の向上に伴うコスト増を名目価格に転嫁できないため(「実質値下げ」)、生産性の引き上げによってそれを吸収せざるを得ず、原価低減・人件費抑制姿勢を緩めることができない。それが所得環境の悪化、ひいては売り上げ低迷という形で再び企業に跳ね返り、ますます名目価格引き上げを困難にしている。これが「デフレの罠」の基本的なメカニズムである。

こうした企業行動は、全要素生産性の分析からも確認できる。すなわち、全要素生産性を分配面から分解すると、2000年代入り後、生産性を向上させて価格を抑制する傾向が強まっているほか、円高局面では、収益や賃金の減少を通じてデフレ圧力が強まっている姿が浮き彫りとなった。   

デフレの原因はマクロではなく、ミクロの企業行動にこそあった・・・、ということのようです。

全文がリンク先のPDFファイルで読めますが、こういった記述は、いかにもなるほどな、と思います。

・・・何か日本人独特の感性に関わる背景があるように思われる。そうした思いは、東日本大震災直後、数多くの商品が極端な供給制約に直面したにもかかわらず値上げされず、それまで行っていた特売が抑制される程度の措置にとどまったのを見て、ますます強くなった。「サービス」を「対価を得るものではなく無償で提供するもの」と考えるのと同じように、日本人の感性として、厳しい経済状況が続く下では「値上げすること自体が異例のこと」という観念が売る側にも買う側にも定着し、名目価格据え置きが日本人独特の「規範」として確立してしまったのではないだろうか。

これは、経済状況が厳しくなると労働力商品の価格引き上げなんてとんでもないという「規範」が異様に強まったり、「サービス残業」が無償労働という意味になってしまったりする日本の労働社会の感覚と見事に通底していますね。

いずれにせよ、日本が20年にわたる長期デフレから脱却するためには、企業が値上げのできる環境を作り出す必要がある。・・・本稿で論じたように、名目価格据え置きが「規範か」しているとすれば、それを突き崩すのは容易なことではない。価格を決定する企業にとっては、売り上げが拡大していくという確信、すなわち期待成長率の明確な上振れが必要であり、買い手である消費者にとっては賃金の上昇や将来不安の解消が必要である。どうすればそうした環境に持っていくことができるのか、全ての経済主体にとって取り組まなければならないことは何なのか。実体的で地に足の着いた議論を醸成していくことが望まれる。

デフレは日銀の会議室で起こっているんじゃない!企業の現場で起こっているんだ!とでもいうところでしょうか。

(参考)

なんだか、りふれは論争でしか物事を見られない人々がいろいろコメントしてるようなので、このエントリの最も重要なポイントに関わる過去のエントリを:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。ところが、そういう議論はとても少ないのですね。

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コメント

このブログで、以前、マクロ経済学者の大瀧雅之氏も指摘していたとおり、賃金が重要なのではないか。企業が、賃金を長期低迷させていることが、結果として、労働者の労働生産性を低下させ、需給ギャップがうまらず、不況を長期化させているということだろう。(「平成不況の本質」(岩波新書))

いや、むしろ愛宕さんの分析が興味深かったのは、市場原理からすれば値上げするのが当然なのに、社会的な圧力というか、自己抑制というか、本当は値上げしたいのにそれを控えてしまう、あるべき値上げをしないで済ませてしまうというメカニズムが働いてしまっているのではないか、という点です。

こんなみんなが大変な時期に値上げなんかするのは申し訳ない、というある種の「モラル・エコノミー」が日本社会の社会文法として脈々と存在していて、それが労働者の賃上げしにくい雰囲気にも影響を及ぼしているのではないか、そしてそういうミクロな「本来あるべき均衡価格からの下方への乖離」が積み重なって、マクロ的なデフレ現象をもたらしているのではないか、というある意味社会心理学的な広がりを持つ分析になっていると感じたので、ここに取り上げたわけです。

残念ながらはてぶやついーとを見る限り、旧態依然たるりふれは反りふれはの対立図式の中でしか物事を見ようとしない方々が結構多くて、いささか残念ではありますね。

社会心理学という観点、無視はできないでしょう。
しかし、エコノミストの中でよくいわれているのは、欧米の企業は、輸出品について、自国の為替高による価格の値上げを行うのに対して、日本の企業はます行わないこと。
当該商品に関する競争状況からくる問題ではないのでしょうか。
一方、輸入企業については、寡占企業が多いことも影響してか、自国の為替高であっても、為替差益を消費者に還元しないでも、市場競争に敗れないということ。
社会心理学というより、まずは、産業組織論あるいは競争政策の問題ではないでしょうか。
社会心理学のような検証が難しい話に行く前に、市場の競争条件をもっと検証すべきと考えます。
ちょうど、2月17日付けダイヤモンドオンラインで、三品神戸大教授が、日本の電気メーカーの苦境を分析してます。
(「日本エレクトロニクス総崩れの真因」)
社会心理学に行く前に、まずは、粘り強くそのような範疇で議論した方がよいように思いますが・・。

デフレ脱却に対する日銀への圧力が高まっている。日銀は金融政策の限界を口にし、政府に成長戦略を迫っている。20年にもわたってデフレが続いている。お互いに責任のなすりあいをしているようにも見える。実績においても説明責任においても、政府あるいは日銀は役割を果たしていない。結果を伴っていないのだから、国民が不信の念を抱くのは当然である。

さらに、マスコミを使っての世論操作、責任回避、利益誘導なども疑われ、政府あるいは日銀に対する国民の不信は当然だろう。

御用学者の発言、記者クラブ制度、情報のリーク、マスコミに対する各省庁のレクなど、情報発信の仕方に不透明さがつきまとう。経済情報の発表の仕方にも問題がある。自国の経済統計に関して、自国政府が発表する統計より、OECDやIMFなど海外の統計の方が余程わかり易いというのも、おかしな話である。

金融政策と財政政策の関係を探るのに面白い記事を見つけた。渡辺努氏による“国債金利と金融政策”、RIETI、2003年8月である。この中で国債価格の決定式として、

国債時価総額 / 物価=財政余剰予想の割引現在価値(A)

を使っている。(A)式の左辺は金融政策に関わる項であり、右辺は財政政策に関わる項である。

「割引現在価値」は、将来の予測値を例えば利子率で割り引いた現在価値である。例えば、年利が1割の場合、1年後の100万円の「割引現在価値」は90万円である。(A)式の右辺は財政余剰予想を経済成長率で割り引いた割引現在価値である。

渡辺氏は、この式の適用事例として、次のような例をあげている。

事例1.
財政黒字の拡大を予想すると(A)式の右辺は大きくなる。このとき、両辺をバランスするためには、国債価格の上昇か物価の下落(デフレ)が必要である。デフレを回避するには国債価格の上昇(日銀の国債買取&貨幣供給による金融緩和)が必要である。

事例2.
経済成長の低下を予想すると、(A)式の右辺で割引率が小さくなるため、財政余剰予測が不変であったとしても、(A)式の右辺は大きくなる。このときも事例1と同様に、デフレを回避するには金融緩和が必要である。

事例3.米国における1946~1948年にかけて、戦時下での財政赤字の拡大予想によるインフレを説明している。財政赤字の拡大を予想すると、(A)式の右辺は小さくなり、国債価格が下落(金利の上昇)するはずである。当時、米国では国債価格を一定値で固定する国債価格支持政策がとられていた。その結果、(A)式が教えるように国債の売り圧力はインフレを引き起こした。

(A)式は国債価格の決定式であり、金融と財政の定性的な関係を表す。(筆者の理解の範囲では)定量的な関係式ではないように思う。渡辺氏が論じているように、国債価格の決定式は株価の決定式に対比される。

株価の評価式から、(A)式に対応する定量的な関係式を導いてみる。株価収益率PERは次式で表される。

PER=時価総額 / 当期純利益

当期の時価総額および純利益を時価総額(0)、純利益(0)、t年後の予測値を時価総額(t)、純利益(t)であるとする。

物価上昇率(予測値)をI、経済成長率(予測値)をGとすると、時価総額(t)の割引現在価値は時価総額(t) / I、純利益(t)の割引現在価値は純利益(t) / Gである。当期およびt年後のPER(割引現在価値)が同じだとすると、次式が成り立つ。

PER=時価総額(0) / 純利益(0)
={時価総額(t) / I}/ {純利益(t) / G}

株価の評価式を国債の評価式に対応させる。上の式で時価総額を国債の時価総額、純利益を財政余剰に置き換える。この時、国債の時価総額の評価式は次の式で表せる。

時価総額(t) / I=K・財政余剰(t) / G(B)
K=時価総額(0) / 財政余剰(0)

式(B)は式(A)に対応する定量的な評価式である。この式で、Iは物価上昇率であり、GはGDP成長率である。

式(A)あるいは式(B)の意味するところを考えてみる。

1.日本のデフレ脱却に関して
財政出動(GDP比)が一定だとすると、デフレ予想は国債価格の低下を招く。デフレを避けるためには金融緩和をして金利を下げ(国債価格の上昇)なければならない。

これまで、日銀は金融を緩和してきたが国債価格の上昇を招き、デフレから脱却することができなかった。日銀は国債を購入して、市場に貨幣を供給したが、市場の貨幣は国債の購入に向かうため国債価格の上昇だけを招き、デフレからの脱却が適わなかった。

日銀の白川総裁が、金融政策にも限界があり成長戦略が必要であると訴える所以である。経済が成長すると、式(A)の右辺は小さくなり、従ってデフレ圧力を抑制する。金融緩和と経済成長により、デフレからの脱却が見えてくる。

このとき、財政余剰の拡大(財政赤字の縮小)は避けなければならない。財政余剰の拡大は式(A)の右辺を大きくすることによって経済成長の効果を相殺し、デフレからの脱却を困難にするからである。消費税の増税は、財政余剰を拡大することになるため、デフレから完全に脱却するまでは避けなければならない。

むしろ、財政出動をしていかなければならない。経済成長が見通せない中にあっては、財政余剰の縮小(財政赤字の拡大)によって式(A)の右辺を小さくするべきである。日銀の金融緩和と財政出動を組み合わせることによって、デフレからの脱却および経済成長が見通せるようになる。インフレが見えてくると、これまで国債の購入に向かっていた貨幣は成長産業への投資に向かうようになる。

政府の累積債務が積み上がる中での積極財政は難しい選択かもしれないが、これ以外にデフレから脱却する道はない。経済成長にはずみがついた段階で増税をして財政再建に取り組めばよい。

日銀の国債引受は禁じられているという。しかし、金融緩和をして市場に貨幣を供給しても、民間が投資を控えるというのだったら、特に東北大震災からの復興のように特別な場合において、日銀の国債引受による金融緩和があってもよいのではないかと思う。

日本では、小さな政府が唱導され、大きな政府を唱えることはタブーとされて封印されてきた。日本は世界で最も小さな政府であり、新自由主義の米国よりもさらに小さい。竹中平蔵氏は新自由主義路線を推進し、資本の蓄積を勧めた。企業は貯蓄に励み投資に消極的になっている。民間が投資をしないというならば、政府が成長分野に投資していけばよい。世界標準と比べると、日本はそれでも小さな政府である。

金融緩和と財政出動の組み合わせによるインフレ誘導で懸念されているのが、国債価格の下落による金融機関の損失である。金融機関は多額の国債を保有しているため、国債価格の下落によって損失を被るといわれている。しかし、国債の保有を減らし、成長分野への貸し出しを増やすことによって損失を少なくすることができるはずである。

平成10年の改正された日銀法が定める日銀の目的は、金融システムの安定と物価の安定である。そもそも、現在のようなデフレ経済下では2つの政策目標は相反する。デフレからの脱出を目指して金融緩和をすると、国債価格が下落し金融システムの安定を損なう恐れがある。これまで、日銀は金融システムの安定を優先させ、物価の安定を怠ってきたのである。物価上昇率が少しでもプラスの気配を見せると、金融緩和を引っ込めてしまうため、デフレに引き戻されるというのが過去20年間の実績である。日銀はデフレターゲットを目指しているのではないかと揶揄されるところである。

世界経済の常識では物価上昇率が2~3%の範囲に収まることが物価の安定である。ところが、日銀の目指す物価の安定は物価上昇率が0%ということなのだろう。そもそも、世界の中央銀行の目的は物価の安定を第一義的な目的とする。米国中央銀行の目的は、物価の安定と雇用の安定である。欧州中央銀行の目的は物価の安定である。日銀のように、金融システムの安定と物価の安定という、互いに相反する恐れのある目的をかかげる中央銀行は他にない。日銀流の言い回しをするならば、「総合的な判断」をもって物価と金融システムの双方に按配するということかもしれない。この場合、日銀の物価安定の目標はどのくらいなのだろう。日銀は物価の安定を0~2%と「理解」しているとしてきた。しかし、物価上昇率はほとんど、0%を下回ったのが実績である。国民には、日銀が何をいわんとしているのか判然としない。

インフレ誘導によって、国債の金利は上昇する。国債の金利上昇によって、政府の利払いが増えると懸念されている。しかし、国債の平均残存期間は3年程度であり、3年程度の金利上昇分を負担すればよいということである。そもそも、先進諸国の中にあって日本政府の金利負担(GDP比)は一番少ない。1~2%の金利上昇で、政府の利払い負担が増えると騒ぐほどのことではない。

2.欧州の緊縮財政政策
ギリシャ危機に端を発する欧州危機は、金融支援で一息ついたが、財政規律の強化に関する協定が締結され、財政緊縮策が取られようとしている。フランスではオランド候補が大統領に選ばれ、サルコジ元大統領の財政緊縮路線にNOがつきつけられたのだ。欧州経済の成長が見通せないまま、3月のユーロ圏物価上昇率は2.7%と高止まりしている。

米国のガイトナー財務長官は、経済成長と財政規律のバランスが必要であると述べ、欧州の緊縮財政に対して警戒を表明した。式(B)が示すところは、経済成長の低迷が危惧される場合、財政余剰の縮小(財政出動)によって経済成長の低迷を回避する必要があるということである。財政赤字の拡大は、インフレ圧力を増す可能性もあり、財政規律と経済成長のバランスが必要な所以である。

日銀金融政策の矛盾

白川総裁は本年4月訪米中のワシントンDCで、フランス銀行によって主催されたパネルディスカッションにおいて“財政の持続可能性の重要性―金融システムと物価の安定の前提条件”という題で講演した。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2012/data/ko120422b.pdf

この中で、「政府の財政に対する信認が失われる場合、金融システムの不安かインフレに陥る可能性があると指摘し、中央銀行は“金融システムの安定“と”物価の安定“のいずれかの選択に追い込まれる恐れがある」と述べている。

白川総裁の発言を言い換えてみると・・・
財政に対する信認が失われ、国債の金利が高騰するような局面において、中央銀行が資金を供給するとインフレに陥る恐れがあり、“物価の安定”が損なわれる。また、中央銀行が資金を供給しないと、国債価格は暴落する恐れがあり、“金融システムの安定“が損なわれる。このような局面では、中央銀行の政策として、“金融システムの安定“と”物価の安定“のいずれかの選択に追い込まれる・・・

欧州債務危機にあって、欧州はこのような選択が迫られている。不動産バブルの崩壊で多額の不良債権を抱えたスペインの銀行を救済するために、資金の提供を求める南欧諸国と、財政規律を課して資金の提供を拒否するドイツが対立している。スペインに対するソブリンリスクから、スペイン国債の金利は7%を越える危険水域にある。EUがギリシャやスペインを救済するために、ドイツの負担が増えることになれば、ドイツ国債の金利が上昇し、インフレ圧力が高まる恐れもある。

欧州中央銀行(ECB)に対して国債の買い入れを要求する声が高まった。しかしECBのドラギ総裁は「ECBの使命は、ユーロという通貨を安定させる事であり、各国の債務を支える事ではない」と述べ、南欧諸国がECBに期待する“最後の貸し手”としての役割を拒否した。“金融システムの安定”のために資金を供給すれば、“物価の安定”を損なう恐れがあり、ECBの信認を失うからである。

日本では、1990年代初頭のバブル崩壊後、金融機関の不良債権が積み上がり、山一證券や長期信用銀行、北海道拓殖銀行など大型金融機関の破綻が相次いだ。1997年(平成9年)“金融システムの安定”を目的として日銀法が改定された。

日銀法によると、日銀の目的は“金融システムの安定”にある(第一章第一条)。また、金融政策の理念として“物価の安定”を掲げている(第一章第二条)。日銀は金融政策の目的は“金融システムの安定”および“物価の安定”にあるという。しかし、2つの目的に対してとるべき政策が相反する場合、日銀はどちらの目的を優先させるのだろう。

白川総裁のワシントンDCにおける講演の中で、「政府債務は累増しているが、インフレは生じておらず長期金利も低位で安定している」と述べている。また、「政府債務は累増しているものの、“物価の安定”および“金融システムの安定”が維持されている」という認識を示している。

日本は、20年の長期にわたってデフレ下にあり、経済の名目成長は10数年にわたってほとんどゼロ成長であり、経済のマイナス成長を補填するように財政赤字が累積した。国民の所得は減ったけれど、消費者物価の上昇は免れているという事実をもって、日銀は“物価の安定”が維持されていると認識しているようだ。

デフレが顕在化する1998年以降、長期金利は下がり1%台と低位に安定している。リーマンショック後の世界同時不況あるいは欧州財務危機にあって、日本国債の金利は安定的に下落(国債価格は安定的に上昇)し、10年物国債の流通利回りは、直近で0.8%を切るレベルまで下がっている。国債価格が安定的に推移していることで、日銀は“金融システムの安定”が維持されていると認識しているようだ。

公的累積債務は遂に1000兆円を突破した。政府の債務は、バブル崩壊後、毀損した民間部門のバランスシートを調整するために補填された。実際、ISバランスの式より、
民間貯蓄超過=財政赤字+経常収支黒字

民間貯蓄超過は財政赤字と経常収支黒字の合算で収支される。財政赤字は民間貯蓄超過を増やし、企業あるいは金融機関のバランスシートの調整(借金の返済)に補填された。

1990年代初頭のバブル崩壊以降、バランスシートが調整され、金融機関が納税できるようになったのはごく最近である。なぜ、これほどの時間がかかったのだろう。

大手銀行の当期純利益は1995年からほぼマイナスを続け、2004年にプラスに転じ2013年の3月決算の当期純利益は2兆4千億円である。損金の繰越を解消して納税できるようになったのは最近である。三菱東京UFJ銀行は2012年、12年ぶりに納税を開始、三井住友銀行は2013年、15年ぶりに、りそなホールディングは15年ぶりに納税を開始する。

日銀の金融政策はインフレ期待に対して常に抑制的であり、デフレを長期化させ、バランスシートの調整をここまで引き延ばした。日銀はインフレ期待のわずかな気配を察知すると、金融緩和を引っ込めた。住宅バブルの崩壊以降の米国中央銀行(FRB)の金融政策とは対称的である。FRBは迅速かつ大規模な金融緩和を実施して株価の上昇を誘導し、デフレを回避した。

2008年9月のリーマンショック直後の2008年11月から2010年の6月までFRBはマネタリーベースを一気に2.5倍まで引上げ、さらに2010年の10月から2011年の6月まで金融緩和QE2を断行した。結局QE2を終了した2011年の6月までの3年間でマネタリーベースを3.2倍まで膨らませたことになる。

この期間、英国中央銀行はマネタリーベースを3倍に、欧州中央銀行は1.8倍まで増やした。日銀はマネタリーベースをほとんど増やすことはなく、円高が一方的に進むのを見過ごした。日銀にとって円高デフレを悪とする見方はほとんどない。“デフレ“を”ディスインフレ“あるいは”低インフレ“と呼び、“物価の安定”は維持されているという認識である。

日銀にとって金融政策の軸足は“金融システムの安定”にある。“金融システムの安定”とは、ありていにいうと「金融機関の経営を安定化する」ことである。バブル崩壊以降、多額の不良債権を抱えた金融機関の経営を安定化することが、日銀の政策目標であった。2000年代のゼロ金利政策や量的緩和政策などの金融緩和政策も、“金融システムの安定”を目指すものであった。

日銀法の改正以降の金融政策の歴史を辿ってみる。

日本長期信用銀行が経営破綻した1998年10月長期国債(10年物国債)の流通利回りは0.7%台まで低下した。その後株価は反転上昇しインフレ期待が高まると、1999年2月、国債利回りは2.3%を越すレベルまで急上昇した。この時点で、日銀はゼロ金利政策を導入した。その後、国債利回りは1.6%程度まで低下し、安定的に推移する。株価が反転し急上昇している中でのゼロ金利政策は、一般に思われているように景気を刺激するための金融緩和政策ではない。金利を低く誘導するための政策であった。

低金利誘導政策の効果もあって、長期国債金利は1%台と低位に安定した。バランスシートが傷んだ(負債が膨らんだ)金融機関にとって、低金利は負債の穴を広げないですむ。貸し手は約1400兆円の金融資産を保有する国民である。その後現在に至るまで預金金利はほとんどゼロである。預金金利を抑制することで、国民の利子所得は金融機関に移転されたと考えられる。

ゼロ金利導入後、日経平均株価は上昇を続け2万円台を突破するが、2000年初頭の米国におけるITバブルの崩壊もあって、日経平均株価も下降局面に転じた。景気が下降局面に転じた後、日銀は2000年8月にゼロ金利政策を解除した。景気が下降局面に転じた後、本来金融緩和を維持して景気の維持を支えなければならない時に、ゼロ金利政策を解除したのである。「景気の過熱は冷やされたから、長期金利が上昇する心配はない」という理解をもってゼロ金利政策を解除したのであろう。

2001年に日銀が導入した量的な緩和政策は、景気を刺激するという効果を持つが、国債価格の下落を防ぐという効果を持つ。量的な緩和政策で、日銀は国債を購入するから、国債価格の下落を防ぐ。国債価格が下落すると、国債を保有する金融機関が損をするため、“金融システムの安定”が損なわれる恐れがある。国債金利の低位安定は日銀の金融政策の最大の関心事である。

しかし、国債金利の低位安定政策は、インフレ期待あるいは経済成長と相反する。インフレ期待が高まると、国債金利も上昇するからである。野口悠紀夫氏が、“景気回復すれば国債が暴落するという悪夢”という記事で指摘しているように、景気が回復すると国債価格が暴落して金融機関が損失を被る(金融システムの安定を損なう)恐れがあるのだ。
http://diamond.jp/articles/-/16603

日銀がゼロ金利政策を解除したこの頃、消費者物価上昇率(OECDデータ)は1999年にマイナスに転じ、その後2000年-0.541%、翌2001年-0.804%と推移している。この時期、GDPデフレーターは1995年以降、継続的に降下している。明らかなデフレの兆候がありながら、金融政策はこれを無視した。日銀にとって“金融システムの安定”こそが重要であり、“物価の安定”(デフレからの脱却)は眼中になかった。

白川総裁は「政府の財政に対する信認が失われる場合、“金融システムの安定”と“物価の安定”は両立しないことがある」と述べているが、両者の相反が問題になるのは、政府の財政に対する信認が失われる場合に限らない。むしろ、両者の相反は常に存在し続けている。“景気回復への期待”と“景気の回復で国債価格が下落するという恐れ”が攻めぎあってきたのである。

米国のITバブル崩壊もあって株価が下落局面に転じた後の2000年8月にゼロ金利政策を解除した。さらに景気の悪化が進み、株価は2003年4月、7千6百円台まで下落した。景気が急速に冷え込む中、日銀は2001年3月量的緩和政策を導入した。国債を購入して、市場に資金を供給した。その後、量的緩和で日銀は国債の保有を増やしていくことになる。

世界的な好景気、とりわけ新興国の経済成長にも助けられ、日本は2002年から2007年にかけてイザナミ景気を享受した。この時期、日銀は量的金融緩和政策を進め、マネタリーベースを2000年初頭の60兆円台から2006年初頭の110兆円台まで増やした。また、政府の為替介入に対して、日銀は非不胎化措置で市場に資金を供給した。日銀は国債保有残高を2000年代初頭の40兆円台から2006年初頭の90兆円台まで増やした。

ドル円レートは100円から120円台の水準にあって、日経平均株価は2003年4月の7600円を底に、2006年初頭の16000円台まで上昇した。特に2005年後半からの上昇は目覚しく、株価は12000円台から2006年初頭の16000円台まで上昇した。

しかし、国債金利も上昇する気配を見せ始め、国債金利が2005年9月の1.3%台から2006年3月の1.8%台まで上昇すると、日銀は2006年3月に量的緩和政策を打ち切った。量的緩和の打ち切りにともなって、マネタリーベースを2006年1月の114兆円から8月の88兆円まで一気に減らした。2006年5月、国債金利が2%近くを伺うまで上昇すると、7月に日銀はゼロ金利政策を解除した。9月には国債金利は1.6%台まで戻り、“金融システムの安定”は維持された。

ここから覗えるのは、景気が上向いて国債金利が上昇することに対する日銀の過剰な警戒である。イザナミ景気にあってもGDPの名目での成長はほとんどなく、消費者物価上昇率は2006年から2008年にかけてかろうじてプラスに転じた。2006年の消費者物価上昇率は0.241%であった。

物価上昇率が僅かにプラスに振れ始めたというサインをもって、日銀は2006年の初頭から量的緩和政策を一気に解除している。日銀がデフレ脱却を目指していたならば、景気の回復を確認し、少なくとも1%以上の物価上昇率を確認するまで量的緩和政策を打ち切るべきではなかったであろう。物価上昇率が僅かにプラスに振れたというサインで、“物価の安定”が損なわれるとでも考えたのだろうか。日銀の懸念は、むしろ国債金利の上昇にあったのである。

2007年のサブプライム危機以降、2008年の9月のリーマンショックもあって、日経平均株価は2007年、18000円の目前まで上昇した後、2008年10月の7100円台まで急落した。欧米諸国の中央銀行がマネタリーベースを2倍から3倍まで増加させる中、2011年3月東北大震災で資金を供給するまで、日銀はほとんどマネタリーベースを増やしていない。

為替レートは2007年7月の123円/ドルをピークに2012年1月の76円/ドルまで一方的に円高を更新した。各国がマネタリーベースを急増させる中で、日本だけがマネタリーベースを増やさなかったのだから一方的な円高になるのは当然である。

円高が進行する中、トヨタや日産も海外勢との競合が厳しくなり、もはや日本に留まって生産をすることが難しくなり、海外に工場を移転し、日本に逆輸入を始める。2010年9月、為替介入を遂に再開するが、一時的な効果しか期待できず円ドルレートは辛うじて70円台後半で留まっている。日本の貿易収支は2011年、30数年ぶりに赤字になった。

白川総裁は2011年9月の記者会見で、「日銀のマネタリベースの対GDP比は24.6%に達し、FRBの17.4%、ECBの11.5%を上回っている」と述べ、「量的な緩和が不足していたという指摘は間違っている」との認識を示した。

白川総裁の「量的な緩和は不足していない」というコメントに対して、主にリフレ派といわれる人達から非難の声があがった。彼らは「マネタリベースの変化率が量的緩和の効果をもつ」と指摘をしている。「マネタリベースの変化率が影響する」とは、人々のインフレ期待に働きかけるということである。

リーマンショック後の米国では、大規模な量的緩和を短期間で行いインフレ期待を高めたのである。そして、インフレ期待の火が消えそうになると、さらに量的緩和を行いインフレ期待を持続させたのである。一方、日銀の金融政策は僅かなインフレ期待の芽を潰すという政策を続けてきたのである。

筆者は量的な緩和の変化率が足りないだけでなく、絶対量においても日銀のマネタリーベースは少ないと考える。マネタリーベースの大小を、GDPに対する割合で比較するのは適当ではない。むしろ、国債発行残高に対する割合で比較すべきである。日本の累積債務がGDPのほぼ200%に対して、米国の累積債務はGDPのほぼ100%である。累積債務に対するマネタリーベースの割合で比較すると、FRBの17.4ポイントに対して日銀の12.3ポイントである。従って、絶対量の比較においても日銀のマネタリーベースは少ないと考える。

日銀は、本年2月消費者物価の上昇率の目処を1%とする政策の枠組みを発表した。市場からは実質的なインフレターゲティング政策であると受け止められ、為替は円安方向に振れ、株価は上昇した。

しかし、市場がインフレ期待の気配を見せると、白川総裁は「国債の金利が2%上昇すると国債の価格が12兆8千億円下がり、損失を被る恐れがある」との試算を明らかにし、金融緩和政策の継続に対する警戒を表明した。また、日銀は本年2月、3月のマネタリーベースは前年比割れしていることを明かして、インフレ期待に水をさした。一時は一万円台を突破した日経平均も8千5百円を割るレベルまで下落した。

日銀の金融政策は、“景気の刺激”と“国債金利が上昇することへの懸念”の間で揺れ動いてきた。僅かでもインフレ期待の兆しが見えると、これを潰してきた。デフレから脱却できないのは当然である。また、僅かでもGDPが名目で成長する兆しが見えると、これを潰してきた。名目GDPが成長しなかったのは当然である。“インフレ期待の持続によるデフレ脱却”と“金融システムの安定化”は互いに相反するのだ。

そもそも、同一組織が互いに相反する恐れのある目的を持って金融政策を行うことに問題がある。原子力の推進と規制を同一の組織が行っているようなものである。相反する政策目標を同一組織が主体となって担い裁定する場合、モラルハザードが発生する。政策目標が相反する場合、異なる組織が主体となってそれぞれの政策目標を担う必要がある。異なる組織が議論がつくし、解決策を導く(Resolveする)プロセスが必要である。

金融取引も高度化し複雑化する中で、金融危機が世界中に瞬時に波及するリスクを抱えている。米国におけるサブプライム問題あるいは欧州における債務危機問題、これらの経験を通して、“金融システムの安定化”を図る高度なマクロプルーデンス機能の確立が急がれている。

欧州債務危機の中にあって、欧州はマクロプルーデンス政策を担う組織の創設に取り組んでいる。米国では、ドットフランク法によって、新たな金融規制を導入し、マクロプルーデンス政策を担う組織として金融安定監視委員会(FSOC)を設置した。

日本においても、“金融システムの安定化”を担う組織を日銀から分離して創設すべきである。一方で、デフレから脱却して“物価の安定”を図り、経済成長を実現していかなければならない。日銀は“物価の安定”を目的とする組織に生まれかわるべきである。日本におけるこれまでの経験は、同一の組織が“金融システムの安定化”と“物価の安定”の両方の目的を担うことに無理があることを教えている。

円高デフレに対する日銀の捉え方

白川総裁は去る6月4日、内外情勢調査会において“最近の金融経済情勢と金融政策運営”という題で講演した。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2012/data/ko120604a1.pdf

この講演の中から、日銀総裁が過去10数年にわたるデフレに対してどのように捉え、また今後の経済成長およびデフレ脱却に対してどのように考えているのかを読み解く。

>日本銀行が目指すべき物価の安定とは、中長期的に持続可能なものでなければなりません。・・・インフレーション・ターゲティングを採用している国として有名な英国では、実際の物価上昇率が目標を1%以上上回る状態が2年以上続いていますが、この間、中央銀行は金融を引き締めるのではなく、緩和しています。

日銀のこれまでの金融政策は、インフレ期待の僅かな兆しに対して、金融緩和を解除してインフレ期待の芽を摘んできた。2000年以降ほとんどの期間で、消費者物価の上昇率はマイナスである。これまでの金融政策は、中長期的に持続可能なものであったとはいえない。

日銀のこれまでの金融政策を、簡単に振り返る。

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日銀は1999年2月に導入したゼロ金利政策を2000年8月に解除している。2000年8月というと、米国におけるITバブルの崩壊もあって、景気が下降局面に入った後である。何故、この時点でゼロ金利政策を解除したのか。消費者物価の上昇率は1998年からマイナスに転じ、以降2006年までマイナスが続いている。ゼロ金利は長期金利の上昇を抑えるために導入され、景気が冷え込み長期金利が低下したからゼロ金利を解除したのだ。

景気が冷え込む中、日銀は2001年2月末、ゼロ金利政策を再開し、3月に量的緩和政策を導入した。その後、量的緩和で日銀は国債の保有を増やしていく。しかし、消費者物価上昇率が辛うじてプラスに転じた時点で、2006年3月に量的緩和政策を解除した。その後、長期金利がさらに上昇したことから、同じ年の7月にゼロ金利政策を解除した。2006年の消費者物価上昇率は0.241%であった(OECDデータ)。物価がわずかに上向いた時点で、金融緩和を打ち切った。日銀の目指す、中長期的に持続可能な物価の安定とは何かが問われる。

2008年の9月のリーマンショック以降、欧米諸国の中央銀行がマネタリーベースを2倍から3倍と一気に増加させる中、日銀のマネタリーベース増加は緩慢であった。その間、ドル円レートは2007年6月の123円/ドルから、2010年10月の80円/ドルまで円高が進んだ。2010年10月、日銀は包括的な金融緩和政策の実施を決め、「消費者物価の上昇率が安定的にプラスになるまで、実質ゼロ金利政策を継続していく」という時間軸政策を導入した。

2012年2月、「中長期的な物価安定の目処を1%として目指していく」という、事実上のインフレターゲット政策を導入した。欧州財政危機の影響もあって、世界経済の下振れも懸念されているが、日本では東北大震災の復興需要もあり、景気の回復が期待されている。これ以上円高を進行させてはならない。
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内外情勢調査会における講演会で、白川総裁は経済成長とデフレについて次のように発言している。

>景気が良くなり需給ギャップが改善してから物価が上昇するというのが過去の経験則だからです。・・・日本経済の根本的な問題は成長力の低下であり、デフレはそのひとつの表れです。

上記、経済成長とデフレの因果関係に関する発言で、最初のフレーズと、次のフレーズでは矛盾している。最初のフレーズでは、「経済成長→インフレ」と述べ、次のフレーズでは「経済成長がない→デフレ」と述べている。「経済成長→インフレ」が一般的な命題であり、この命題の対偶をとると「デフレ→経済成長がない」となる。従って、「経済成長がない→デフレ」という発言は誤った認識である。

同じく、内外情勢調査会における講演会で、白川総裁はGDPの成長について次のように述べている。

>成長力とは実質GDPの潜在的な成長率です。現実の経済は短期的には潜在的な成長軌道の上下を変動しますが、10 年、20 年という期間をとってみると、結局、この潜在的な成長軌道に収斂します。

日銀は、GDPの成長を実質で語るが、名目で語ることはない。実質と名目のGDP成長率は次式で表される。
実質GDP成長率=名目GDP成長率-物価上昇率

実質GDPの成長率は、名目GDPの成長率から物価上昇率を引いた値である。成長を実質GDPで語ることは、物価上昇率を除外して成長を語ることである。デフレ脱却を語りながら、物価上昇率を考えないということになる。ここに、日銀のデフレ容認の真意がある。

白川総裁は成長力強化の重要性を説き、実質GDPの成長を持続するために労働参加率の引上げと労働生産性の引上げを求めている。また、過去10年の実質GDPの成長について次のように述べている。

>成長率は労働力人口の伸びと、一人当たりの実質GDP成長率に分解されます。過去10 年の日本の数字に則していうと、労働力人口は年率0.3%の減少、労働生産性は年率0.8%の上昇でしたので、実質GDP成長率は両者を足し合わせて0%台半ばという計算になります。

労働生産性は、労働者一人あたりの生産ではなく、労働の単位時間あたりの実質GDPで表す。そうでないと、日本のように一人あたりの労働時間が長いほど労働生産性が上がることになる。過去10年でみると、日本人の労働時間は、統計上短くなっている。その分、実質GDPの成長率は上がる。

OECDの統計より、2000年から2010年までの実質GDP、労働人口、労働者一人あたりの労働時間の上昇率を調べる。

実質GDP(兆円)・・・・・・503.2 / 540.4(+0.72%)
労働人口(万人)・・・・・6,539 / 6,391(-0.23%)
年間労働時間(h)・・・1,829 / 1,733(-0.54%)

労働生産性上昇率
=実質GDP成長率+労働人口伸び率+労働時間伸び率

であるから、過去10年間における労働生産性上昇率は1.49%である。実質GDPは2008年以降縮小したため0.72%と減少しているが、労働生産性の上昇率は欧米諸国と比べても悪くはない。

白川総裁が述べているように、今後実質GDPの成長を維持するためには、労働参加率を上昇させる、労働生産性を上げなければならない。ただ、労働生産性あるいは労働人口云々は日銀の責任範囲外であろう。日銀の責任は、貨幣要因に依存する名目GDPの成長にある。「労働人口が減ったから、成長がなかった」という論は、少なくとも過去10年の実績に関するかぎり当てはまらない。日銀が責任を負うべきは、デフレ脱却であり、名目GDPの成長である。白川総裁がいつも訴えているように、金融政策だけでデフレから脱却できるわけではなく、財政政策や産業政策も必要なことはいうまでもない。

白川総裁は、労働生産性の引上げに関して、外需の取り込みと内需開拓の両面での努力が不可欠であるとして、次のように述べている。

>世界の成長センターが新興国であり、そうした地域の需要を取り込むためには、輸出だけでなく、現地での生産増加も不可避です。近年、増加している日本企業による海外直接投資やM&Aに伴う所得はGDPにはカウントされませんが、日本人の稼いだ所得、すなわち、GNIの増加には繋がっています。

この言説は間違っているとは思わないが、日銀の金融政策は対外直接投資および対内直接投資に関して中立である必要がある。対外直接投資は日本企業が所得を増やす機会を創出するが、一方で国内の機会を減らす恐れもある。国内投資の減少あるいは産業の空洞化である。国内の機会を増やすためには、対内直接投資を呼び込まなければならない。このような意味で、日銀の金融政策に中立性が要求される。

日銀の金融政策は円高を昂進させた。円高は対外直接投資を促し、対内直接投資を排除する。日銀の金融政策は一方的に円高を促し、中立性を欠いていた。円高はデフレを誘導し、成長期待を縮小させ、雇用機会を喪失させた。

白川総裁は、海外直接投資による所得はGDPにはカウントされないがGNI(国民総所得)を増加させると述べている。確かに、所得収支(海外投資に伴う利益)は増加しているが、所得収支が国民に還元される経路は定かではない。企業が海外で稼いだ利益は、海外で再投資されるか、あるいは国内に戻ってきても税金がかかるわけでもない(2重課税をしないため)。彼らの利益は、株主への配当や役員報酬、あるいは社員の給与に還元されるかもしれない。しかし、彼らの利益が広く国民に還元される経路は定かではない。

白川総裁は、デフレ脱却に向けた努力が必要であるとして次のように述べている。

>企業のチャレンジ精神が決定的に重要です。具体的には、縮小する市場で価格競争を繰り広げる「レッドオーシャン戦略」から、新たな市場を創出して高い付加価値を実現していく「ブルーオーシャン戦略」へと、企業の基本戦略を移していくことが必要です。コストカットだけでなく、付加価値の創出を背景とした収益力の向上が実現すれば、従業員にもより高い賃金が払えるようになります。

正に、付加価値の上昇を目指さなければならない。付加価値の上昇とは、単価の上昇である。先ほどの白川総裁の発言「成長力とは実質GDPの潜在的な成長率です」と矛盾する。付加価値の上昇は名目GDPの成長と同義である。

やはり、内外情勢調査会における講演会で、白川総裁は次のように述べている。

>ゼロ金利のもとでは、銀行券や中央銀行の当座預金を保有する場合のコストがかからなくなるので、中央銀行が資金をいくら供給しても、それがそのまま中央銀行の当座預金等として積み上がる状態になっています。量に関しては、言わば、「暖簾に腕押し」の状態になっています。・・・成長力強化に向けた様々な取組みを進めることが重要というのが私どもの強い思いです。

「日銀はデフレから脱却するために、ゼロ金利政策や量的緩和政策など、必要な金融緩和政策を行ってきた」、「必要なのは成長力の強化である」というメッセージである。先に記述したように、2000年のゼロ金利解除、2006年の量的緩和およびゼロ金利の解除、2008年から2010年にかけての緩慢なマネタリーベースの増加等、これら金融政策に日銀の弁解の余地はない。

前回コメントの修正をします。

前回コメントで、
「過去10年でみると、日本人の労働時間は、統計上短くなっている。その分、実質GDPの成長率は上がる。」
と書きましたが、

「過去10年でみると、日本人の労働時間は、統計上短くなっている。その分、労働生産性の成長率は上がる。」
と修正します。

労働者一人当たりの年間労働時間が短くなると、その分、実質GDPの成長率は下がります。

流動性の罠

「流動性の罠」とは、金利がほぼゼロ近辺ある場合、貨幣供給を増やしても資金需要は増えない状態をいう。反リフレ論者は「流動性の罠にある状態で、日銀が量的緩和を進めてもデフレからの脱却が見通せるようになるわけではない」と主張する。実際、日銀は量的緩和でマネタリーベースを増やしたが、マネーストックはそれに反応して増えていない。マネタリーベースの増加で供給した貨幣は国債の購入に使われている。

貯蓄と投資を均衡させる利子率を自然利子率とすると、自然利子率が次式で評価される実質市場金利より大きくなければ、投資の資金需要はない。
実質市場金利=名目市場金利-予想インフレ率

我が国の自然利子率はマイナスであるともいわれる。名目市場金利がゼロ近辺にあり、これ以上下げることができないで、実質市場金利>自然利子率の場合、資金需要は増えることはない。

熊野英生氏は“金融政策は限界?自然利子率を考える”において、自然利子率がマイナスにあるという想定には無理があるとして、「非金融法人の実物投資をCPI上昇率でデフレートすると実物資産収益率は8~10%程度、支払利子率は長期金利に連動して2~3%程度である。しかし、投資をする際のリスクプレミアムを上乗せして考える必要がある」と述べている。
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/kuma_index.html

熊野氏は同じレポートの中で、次のように分析している。リスクプレミアムを上乗せすると、設備投資がプラスになる実物資産収益率の閾値は2000年代において8.3%程度である。2008年から2010年にかけての実物資産収益率は8%を下回っている。企業経営者もリスクを積極的にとれないし、また投資家も運用利回りが10%程度ないとリスクをとれないという状態である。

熊野氏は日銀の金融政策だけに、融資・投資拡大の処方箋を丸投げしても彼らだけでは簡単に解決できないと述べている。

筆者は、デフレからの脱却あるいは円高の是正により、事業の成長期待アップ、デフレマインドの払拭、リスクプレミアムの低下、あるいは実物資産収益率の上昇を図っていく必要があると考える。デフレから脱却し円高を是正するためには、金融と財政の協調が必要なことはいうまでもない。また、欧州危機からの脱出、米国景気の持ち直し、新興国経済の成長など、外部環境に大きく依存することは必至である。

流動性の罠をレジーム転換と考え、これを物質の相転移に擬え、以下に考察する。

熊野英生氏は別のレポート“貨幣数量説の限界を再検討する”において、下記の貨幣数量方程式から、貨幣速度Vを計算し、その時系列を1991年から2012年にかけてプロットしている。
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/kuma_index.html

名目GDP=P(価格)×Y(数量:実質GDP)
=M(マネーストック)×V(貨幣速度)

貨幣速度とは、マネーストックして世の中に出回っているお金が、実物取引に使われる年間の取引回数である。例えば、2010年の名目GDPは約470兆円、マネーストック(M2)は約800兆円である。2010年の貨幣速度はV=470÷800 =0.6回/年である。

貨幣速度は、1992年に約0.98(回/年間)であったのが2011年には約0.58(回/年間)まで下落している。この期間、貨幣速度Vの不連続的な落ち込みが2回発生している。最初の落ち込みは、1997年から1998年にかけてVは約0.1(回/年間)下落し、次の落ち込みは、リーマンショックの2008年にVは約0.05(回/年間)下落している。この期間、マネーストックは1992年の470兆円から、2011年の800兆円までほぼ一定の割合で伸びている。また、名目GDPはほとんどゼロ成長である。

1992年から2011年まで、貨幣速度は定常的に下落し、2回の不連続的な下落を除くと下落幅は約0.25である。従って、この期間の定常的な年間の貨幣速度の下落幅は約0.0125(回/年間)である。貨幣数量説では、貨幣速度Vは一定としているが、マネーストック(M2)のうち全てが実物取引に使用されるわけではない。金融取引に使用される貨幣の流通速度は遅いため、金融取引に使用される貨幣が増えると貨幣速度Vは下落すると考えられる。

1997年から1998年にかけて貨幣速度Vは不連続的に落ち込んだ。この時期は、日本経済の様相が変化した時期と重なる。この時期を境として、日本経済はデフレモードに突入した。実際、GDPデフレーターおよび消費者物価指数が顕著に下落を始めたのは1998年からである。年功賃金に替わって成果主義賃金の導入、あるいはパートや非正規雇用の増加など、雇用環境が変化したのもこの頃からである。大企業で人員の削減を始めたのもこの頃からである。

日本経済は、1990年のバブル崩壊に端を発し、不良債権の先送り、粉飾決算が重なって1997年に、三洋証券、拓銀、山一證券が相次いで破綻する金融危機が発生し、さらにアジア通貨危機やLTCMの破綻も重なって株価は下落し、日本経済は壊滅状態になった。1998年には日本長期信用銀行が破綻した。

1998年、銀行に自己資本比率規制(BIS規制)が適用されることになり、銀行資産の圧縮が進んだ。その結果、貸し渋りや貸し剥がしが行われ、企業の倒産が相次いだ。資産の圧縮によって不良資産が増え、結果として資本が劣化するという悪循環に陥った。

筆者は、この時期に日本経済は「流動性の罠」に陥ったのではないかと考える。「流動性の罠」に陥った状態を、物質の相転移のアナロジーから考える。

ノーマルモードにある経済をレジームA、「流動性の罠」にトラップされた経済をレジームBと呼ぶことにする。物質の相転移で、物質の物理的な特性が大きく変化するのと同じく、レジームの転換で経済的な特性は大きく変化する。

「流動性の罠」と相転移の対比として、相転移点で比熱は発散するという事例は分かりやすいだろう。水が液体から固体に相転移するとき、比熱は無限大に発散し、熱を加えても系の温度は上昇しない。レジームBでは、貨幣の需要に対する供給の弾力性は無限大に発散する。

熊野氏のレポートによると、1997年から1998年にかけて貨幣速度Vは不連続的に変化し、約0.1(回/年間)下落している。貨幣速度Vの変化は、水が氷って相転移するときのエントロピーの変化に対比される。

液体の状態では、水の分子はクラスターを成して自由に動くが、水が氷結する過程で、バラバラな運動をしていた水分子は秩序化されて配列し、水のエントロピーは減少する。水は氷結するとき、熱とともにエントロピーを外部に放出する。このとき、外部に放出される熱エネルギー(水から熱エネルギーを奪う)が潜熱である。よく知られているように、温度が0℃、気圧が1気圧のもとで1Kgの水を氷にする潜熱は約80 Kcal/Kg である。

水が氷結するときの、エントロピーの変化をΔS、外部に放出した熱量をΔQ、絶対温度をTとすると、潜熱は次式で与えられる。
ΔQ=TΔS

1997年から1998年にかけてのレジーム転換において、市場に流通する貨幣は、不良債権処理や貸し剥がしにより奪われ消失した。レジームの転換で奪われた貨幣の量をΔQ、貨幣速度の変化をΔV、マネーストックをMとすると、相転移のアナロジーから、次式の成立を想定する。
ΔQ=MΔV

1998年のマネーストックはM=600兆円であるから、貨幣速度の変化がΔV=0.1(回/年間)より、レジームの転換で失った貨幣の量はΔQ=60兆円に相当する。

水の分子は、蒸気ではバラバラに運動している状態にあるが、液体では水の分子は結合して5~10数個ぐらいのクラスターを作ている。氷結する過程で、水分子の結合が進むと、結合する水分子のクラスターのサイズは成長し、やがて一塊の氷になる。氷結する過程で、全ての水が同時に氷結するわけではなく、水と氷の混合状態を経て、液体から固体へと相転移する。

氷結の過程は、クラスターのサイズが成長し、秩序構造が形成される自己組織化現象ともいえる。クラスターのサイズが成長するとともに、空間的な相関長が長くなる。空間的な相関とは、例えば結晶の向きが近くの分子同士では揃っているが、遠く離れると結晶の向きがバラバラになるような空間的な位相関係をいう。氷結が進む過程で、分子配列の空間的な相関長は長くなる。

ノーベル化学賞を受賞したイリヤ・プリゴジンは、複雑系において自己組織化が進むとき、ポジティブ・フィードバックの作用が働いて、コヒーレンスなプロセスが発生すると述べている。コヒーレンスとは、干渉と訳されるが、時間的なコヒーレンスと空間的なコヒーレンスがある。空間的なコヒーレンスとは、同時的、空間的な協調作用であり、空間的な相関ともいえる。相関長が長いとは、空間的なコヒーレンス(協調作用あるいは同調作用)の範囲が広いということである。

経済レジームの転換における、コヒーレンスなプロセスとは、例えば金融機関の信用不安による取り付け騒ぎを想像すると分かりやすいだろう。信用不安が噂された金融機関に対して、預金者は預金を引き出すという同調的な行動をする。この同調的な行動がコヒーレンスなプロセスである。

レジームの転換を複雑系における自己組織化に擬えると、コヒーレンスなプロセスが働いてレジームの転換が起きたといえる。金融機関の倒産、アジア通貨危機、さらにBIS規制の適用による貸し渋りや貸し剥がしが同調的に発生し、日本経済全体が凍りついたのだ。その結果、市場に流通する貨幣は失われ、貨幣の流通速度は下落した。

物質の相転移に擬えるならば、日本経済から熱エネルギー(ΔQ)とともにエントロピー(ΔS)が奪われ、凍りついたのである。

レジーム転換の際に働く、ポジティブ・フィードバックの作用とは、方向性を持った促進的な作用である。レジームBへの転換において、貸し渋り→企業倒産→不良資産の増加→銀行資本の劣化、というサイクルは銀行資本の劣化を促進するポジティブ・フィードバックの事例である。ポジティブ・フィードバックだけでは、発散してしまうのでもちろん抑制的な作用が働いて均衡する。

氷結が進む過程で水分子のクラスターのサイズは大きくなってゆき、やがて氷全体に広がる。氷結が進む途中の、水と氷の混合状態において、水分子のクラスターのサイズはベキ分布をなす。ベキ分布は、確率変数X(例えばクラスターの大きさ)とするとき、その頻度f(X)が、f(X) ∝ X ^(-α)で表される分布である。ベキ分布は複雑系のシステムで現れる特徴的な分布である。

社会的な事象においてベキ分布に従うものが多い。例えば、世の中の富の8割が2割の人間に集中しているというパレートの分布はベキ分布に従う。金持ちは、お金を持っているからいっそうお金を稼ぐという、ポジティブ・フィードバックが働いてこのような分布になるのだろう。

1997年、レジームBへの転換の年、倒産企業の負債総額は前年の8兆円から14兆円へと急増した(東京商工リサーチ)。いわゆる、ファットテール・リスクが顕れ、大型倒産が増えたことを示唆している。ファットテール・リスクとは、確率分布の裾野部分(テール)で起こるような稀な事象が、正規分布が想定する頻度よりずっと大きな頻度で発生するリスクである。

例えば、東日本大震災のように大きな規模の地震の発生頻度はほとんどないはずなのに、想定以上の頻度で発生する。東日本大震災の地震はファットテール・リスクに相当する。

テール・イベントはベキ分布に従って発生する。正規分布では、テール(確率分布の裾野部分)で発生するイベントの確率は指数関数的に減じるのに対して、べき分布ではべき乗で減じる。このため、テール・イベントの発生頻度が大きくなる。

テールにおける頻度が、正規分布で想定する頻度よりもずっと大きい場合、べき分布あるいは正規分布とべき分布の混合分布に従っている可能性が高い。

テール・イベントの発生は、複雑系における自己組織化が起きている可能性を示唆する。倒産企業の負債総額が急増した事例は、ファットテール・リスクが顕れたことを示し、倒産企業の負債総額が急増した1997年にレジーム転換が起きた可能性を示唆している。

1997年から1998年にかけてのレジーム転換以降、未だにデフレから脱却できないでいる。

リフレ論者は、「もっとマネタリベースを増やし貨幣を供給すれば、デフレからの脱却も見えてくるのではないか」と主張する。これに対して、反リフレ論者は、「マネタリベースを増やしても、マネーストックは増えないし、予想インフレ率が上昇するわけではない」と日銀の金融政策を擁護する。

デフレから脱却するためには、レジームBからレジームAへの転換を起こさなければならない。水の相転移に事例に擬えると、外部から熱エネルギー(ΔQ)とともにエントロピー(ΔS)を加えなければならない。氷を溶かすためには、潜熱以上の熱エネルギーを加えなければならない。

レジームの転換を起こすためには、緩和的な金融政策を続けると共に、コヒーレンス(同調的)な政策をとる必要がある。例えば、東日本大震災の復興需要で経済成長が見通せるならば、為替を円安にして緩和的な金融政策あるいは財政政策を同調させることが必要である。あるいは、米国におけるインフレ回帰あるいはアジアにおける成長期待が望めるならば、これに同調して緩和的な金融政策あるいは財政政策をとる必要がある。同調的な緩和政策をとることによって、人々のインフレ期待に訴える必要がある。

クルーグマンは週刊現代の独占インタビュー(2010年08月20日)において、流動性の罠に嵌った状態で、デフレからの脱却の難しさを認めつつ、次のように発言している。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/994

>「流動性の罠」に陥った状況下でインフレ・ターゲットを機械的に実行しても、容易にうまく行くものではありません。

>実は、日本の不況の原因は、マクロ経済学がやるべきだと説いていることを実行しないことにあるのです。・・・まず必要なのは、経済を回復軌道に乗せうる、大型の財政刺激策です。・・・また金融政策面では、日銀自体にやる気がないので大変難しいことですが、インフレ・ターゲット政策を採用させる必要がある。

>緩やかなインフレを拒否し、銀行のバランスシート保護を優先しようとする日銀の考え方は、まったく正気とは思えません。私はハイパーインフレを発生させろなどと主張してはいない。年に数%の緩やかなインフレを目標に据え、就職できない若者たちの人生を救えと言っているのです。

日銀は、僅かなインフレ期待の芽がでてきた2006年、それまでの量的緩和政策、ゼロ金利政策から金融引き締め政策に転じた。この時期、中国の経済成長、米国の好景気、円安など、デフレからの脱却を望める経済環境にあった。この時期こそ、同調的な緩和政策を続けてデフレから脱却するチャンスだったのである。

日銀は、長期金利が上昇の気配を見せたため、金融を引き締め、僅かなインフレ期待の芽を摘んでしまった。日銀は、デフレからの脱却よりも“金融システムの安定“(金融機関の経営の安定)を選んだのだ。

クルーグマンも指摘しているように、「流動性の罠」からの脱却は容易ではない。しかし、クルーグマンが同時に指摘しているように日銀自体にやる気がないならば、デフレからの脱却は果たせない。

日銀は、本年2月実質的なインフレターゲット政策を導入して、世間のインフレ期待を盛り上げた。しかし、その期待に水をさすように「長期金利が1%上昇すると、国債を保有する銀行の損失は6.4兆円に達する」と警告した。世間のインフレ期待を盛り上げるような、ポジティブ・フィードバックをしていく必要があるときに、これを抑制した。

「流動性の罠」に陥って、デフレからの脱却を目指すならば、“時間軸政策”と共に“空間的な同調政策”も必要である。このままで経済環境が悪化したら、“悪いインフレ”によるデフレからの強制脱却に追い込まれかねない。

日銀金融政策の誤り

新日銀法が施行された翌年の1999年以降、日本経済のデフレが続いている。その間、名目GDPの成長は止まったままである。一方的に円高は進み、パナソニックや松下などの超優良企業も瀕死の際まで追い込まれている。自動車や鉄鋼産業も海外に脱出を始めている。これら大企業の周辺に、無数の中小•零細企業がぶら下がっている。今や、地方都市でシャッター街はあたりまえの光景である。

これが、白川総裁および取巻きの経済学者やエコノミストがいう産業構造の変化なのだろうか。彼らがいうように、人口の高齢化や潜在成長率の低下が円高デフレの原因なのだろうか。日銀の金融政策を検証し、その誤りを明らかにする。

1.日銀の独立性

新日銀法の第1条および第2条で日銀の目的は“金融システムの安定”および“物価の安定”にあると規定している。第3条で日銀の独立性を規定し、第4条で政府の経済政策と整合することを要求している(注1)。

新日銀法は、日銀に対して銀行券の発行や金融の調節(公定歩合操作、公開市場操作、預金準備率操作等)を行う権限を与えている。新日銀法の第3条は“日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない”として、“日銀の独立性”に関する法的な根拠を与えている。

“日銀の独立性”は、日銀が自主的な判断で、銀行券の発行や金融の調節を行うことを担保している。“日銀の独立性”は、政治からの圧力で銀行券を発行し、財政ファイナンスで国債を購入することを防ぐために規定されている。日銀は、“金融システムの安定”や“物価の安定”を維持するために、自主的な判断で金融政策を遂行することを担保されている。“日銀の独立性”は無条件に認められるものではなく、第3条第2項は、日銀の説明責任および透明性を求めている。

しかし、“日銀の独立性”は金融政策一般について認められるものではない。政府が日銀に委託している権限は、“通貨及び金融の調節”にあり、第3条が認める“日銀の独立性”は
日銀に委託された権限の範囲内に限定される(注1)。第4条は、日銀の金融政策が政府の経済政策と整合的であることを要求している。

安倍総裁がデフレからの脱却という経済政策を掲げ、日銀に対して“2%の物価目標を設け政府と日銀が政策協定を結ぶ”ことを要求している。安倍総裁の要求は“日銀の独立性”を侵害するものではない。第4条は、日銀の金融政策は政府の経済政策と整合するものであり、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならないと定めているからである。インフレ率の具体的な数値目標は、政府が日銀との話し合を通じて設定するのが自然であろう。

2.インフレ率の目標

日銀は、「インフレでもデフレでもない状態」、「中長期的な物価安定の理解」、あるいは「中長期的な物価安定の目途」という極めて曖昧な表現をもって、非明示的にインフレ率の目標を設定してきた。インフレ率の目標を非明示的に0%と設定し、ゼロインフレ政策を遂行してきた。

かつて日銀に席を置いた熊野英生氏は、2008年のレポート“日米量的緩和政策の比較”において、“日本の量的緩和は、ゼロインフレ目標という疑似ターゲットを設定していた”と述べている。
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/kuma/pdf/k_0812h.pdf

しかし、新日銀法は、明示的あるいは非明示的を問わず、インフレ率目標の設定を“日銀の独立性”に委ねているわけではない。政府がインフレ率の目標を設定し、日銀が政府から委託された金融政策の権限をもって、インフレ率の目標を達成するというのが本来の姿である。しかし、日銀がゼロインフレ目標という疑似ターゲットを設定して金融政策を行ってきたことに、10数年にもわたる長期のデフレの原因がある。

諸外国の中央銀行が、明示的あるいは非明示的に、インフレ率目標を2%近くに置いているとき、日本のインフレ率目標が0%であれば、それだけで趨勢的な円高は免れない。円高デフレは、日銀のゼロインフレターゲットの必然的な結果であったと考えられる。

日銀は“金融政策に関する決定事項等”という記事において、日銀が金融政策の透明性の一環としてこれまで公表してきた一連のレポートを列挙している。
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmdeci/transparency/index.htm/

これらのレポートから “日銀の理解”するインフレ率の目標がどのように推移したのかを検証する。

「物価安定についての考え方」2000年10月13日:
“「物価の安定」を概念的に示すとすれば、それは、国民からみて「インフレでもデフレでもない状態」であると考えられる”としている。さらに、このような状態を”家計や企業等のさまざまな経済主体が、物価の変動に煩わされることなく、消費や投資などの経済活動にかかる意思決定を行うことができる状況”と表現している。日銀が考える物価の上昇率は0%であったと思われる。実際、新日銀法が施行された1998年の翌年以降、消費者物価指数(生鮮食品を除く)の上昇率は2008年を除くすべての年でマイナスである。

「新たな金融政策運営の枠組みの導入について」2006年3月9日:
物価の安定についての表現を若干変化させている。ここでは、“消費者物価指数の前年比で表現すると、0~2%程度であれば、各委員の「中長期的な物価安定の理解」の範囲と大きくは異ならないとの見方で一致した。また、委員の中心値は、大勢として、概ね1%の前後で分散していた。”と若干修正している。しかし、消費者物価指数は前年比で0~2%程度であっても、「中長期的な物価安定の理解」はゼロインフレであるとのコメントを付けて、ゼロインフレ政策に変化はないとしている。インフレ目標を0%としても、インフレ率がマイナスに振れるので、「のりしろ」としてインフレ目標をプラスに修正したということである。

「中長期的な物価安定の理解の明確化」2009年12月18日:
中長期的な物価の安定に関して“ゼロ%以下のマイナスの値は許容していない”と僅かな修正を加えている。“中心は1%程度”と修正した。リーマンショックの後遺症が残る中で、デフレをくいとめると宣言している。しかし、その後の実績は、消費者物価指数のマイナスを続けている。

「中長期的な物価安定の目途について」2012年2月14日:
日銀は遂に中長期的な物価上昇率の目途を数値で言及した。ここでは、“「消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域にある」とある程度幅を持って示すこととした。そのうえで、「当面は1%を目途」として、金融政策運営において目指す物価上昇率を明確にした。”と述べている。1月にFRBがインフレターゲット政策を始めたこともあって、物価上昇率の「目途」という、曖昧な表現で(中長期的な)インフレ率の「目途」に言及した。この発表を受けて円安、株高と市場は反応したが、金融政策に大きな変化はないと見透かされ、市場は円高、株安に反転した。

「デフレ脱却に向けた取組について」2012年10月30日:
政府と一体になってデフレからの脱却に取り組むことを表明した。ここでは“政府及び日本銀行は、我が国経済にとって、デフレから早期に脱却することが極めて重要な課題であるとの認識を共有しており、一体となってこの課題の達成に最大限の努力を行う。”と述べている。「政府と一体」、「デフレからの脱却」を明言した。ここで、「政府と一体」としているのは、一定の前進である。これまで、”日銀の独立性”を盾に、独善的なゼロインフレ政策を遂行してきたが、政府との連携の表明に至った。日銀が政府との連携において金融政策を考えるのは、新日銀法第4条が政府の経済政策と整合することを要求しているのだから当然である。

3.諸外国の事情

中央銀行は“物価の安定”を目的として、銀行券を発行し、金融調節(公定歩合操作、公開市場操作、預金準備率操作等)をする権限を持ち、これらの金融政策を”中央銀行の独立性”を持って決定し、遂行する。

中央銀行に対してこのような権限を付与することにより、中央銀行は中長期的なスパンで目標とする物価上昇率をコントロールできるというのが世界各国の一般的な認識である。

しかし、日銀は金融政策だけでは物価水準を調整できないとしている。前述したように、日銀はゼロインフレを目標としてきた。さらに、”負のインフレバイアス”(後述)が加わるならば、デフレになるのは当然である。金融政策だけでデフレから脱却できるかどうかは確かではない。しかし、デフレの原因が日銀の金融政策にあったことは確かである。

白川総裁は、デフレを人口の高齢化や潜在成長率の低下のせいにしているが、これは誤りである。“デフレの原因が日銀の金融政策にあった“ということを認めない限り、デフレからの脱却はない。

金融政策とりわけインフレ率の中長期的な目標を誰が、どのように決めるかについては各国ごとに違っている。

イギリスでは、政府がインフレターゲットを設定し、イングランド銀行(BOE)は設定された目標に従って金融調節をする。イギリスのインフレターゲットは2%であるが物価上昇率が±1%を超えた場合、BOE総裁は財務大臣に対して書簡で理由を説明し、政策対応を説明しなければならない。

欧州では通貨統合にあたって、ユーロの通貨価値を維持するためには、物価の安定が最重要であるという観点から、インフレ率の中長期目標が2%未満という数値目標が決められた。欧州中央銀行(ECB)は、ここで定められた数値目標を達成すべく金融政策を実施している。

欧州はインフレターゲットとは呼ばないものの、インフレ参照値という呼び方をして、インフレ参照値を「2%以下であるが2%に近い値」としている。インフレ参照値をインフレ率の中期目標とするECBの金融政策は実質的なインフレターゲット政策である。

米国では、2012年1月25日の「長期的なゴールと金融政策の戦略」という声明文で、中長期的なインフレ率を2%とするインフレターゲット政策を発表した。米国ではこれまでインフレ率の目標値を明示することを避けてきたが、金融政策の透明性を高めるためにFRBのバーナンキ議長が導入を決断したものである。インフレターゲットを数値で示すことにより、インフレ率に関してFRBの裁量に基づいた判断を排除し、金融政策の透明性を高めることになる。インフレターゲット政策の狙いは、透明性を高め、説明責任を負うことにより、FRBの金融政策に対する市場からの信認を得ることにある。

4.金融政策の透明性

”日銀の独立性”をもって、通貨の発行あるいは金融調節に係る政策を政府からの干渉を受けないで決定し遂行することができる。しかし、”日銀の独立性”と引き換えに、金融政策の透明性および結果に対する説明責任が要求される。

日銀の金融政策が透明であること、また結果に対して説明責任を負うことは、日銀の金融政策が民主政治のコントロール下にあることから当然の責務である。日銀は、金融政策決定会合の議事要旨を公表や国会報告をもって、金融政策の透明性が果たされると思っている。しかし、金融政策の透明性とは、市場に対して金融政策の意図を伝えることであり、その結果市場から信頼を得ることにある。

中央銀行が裁量的な金融政策を行い、市場が金融政策に対して疑心暗鬼を抱くならば、金融政策の有効性は失われる。日銀がデフレからの脱却をかかげながら金融緩和をしても、市場がいずれ金融緩和を打ち切るだろうという疑念を抱けば、民間投資が促進されることはなく、デフレからの脱却は適わない。日銀が小出しの金融緩和を続けても、市場がデフレからの脱却を信じないならば、マネタリーベースの残高を積み増すだけで金融緩和の成果は得られない。民間銀行の当座預金残高が増え、国債の保有残高が増えるだけで、市場に流通するお金の量は増えない。

金融政策に対する信頼の欠如は、一方的な円高、株価の低迷にも繋がった。海外の市場関係者からの信頼も失い、海外の金融機関は日本から離れていった。経済成長がないところに、投資を期待できるわけもなく、株価が低迷するのも当然である。

日銀は市場とのコミュニケーションが上手でないといわれることがある。ここで、コミュニケーションとは白川総裁の説明の仕方が上手だとか下手だという問題ではなく、ましてや口先介入やアナウンスメント効果で市場を出し抜くことではない。市場とのコミュニケーションとは、金融政策の透明性を保ち、市場からの信頼を得ることである。

残念ながら、国民の多くは日銀の金融政策に対して信頼をしていない。新日銀法が施行されてから10数年にわたるデフレに対して国民は辟易しているのだ。金融緩和を説きながら、舌の根が乾かないうちに、金融緩和の弊害を説くような日銀の金融政策に対して市場は信頼を寄せていない。

白川総裁自身が、“デフレの原因は人口の高齢化あるいは潜在成長率が低下にある”として、“金融政策ではデフレから脱却できない”といい続けるのだから、市場が日銀の金融政策に信頼を置くわけがない。白川総裁にデフレから脱却する強い意思はなく、不本意ながら小出しの金融緩和を続けているのだと思われても仕方がない。

安倍総裁は、多少脱線気味ながらも、デフレ脱却に対する強い決意を語っている。市場は
その決意の表明に対して反応し、株価は上昇し、円安が進んだ。安倍総裁の真価が問われるのはこれからであるが、強いリーダーシップを持ってデフレから脱却を果たせるのか、市場は見守っている。

5.FRBのインフレターゲット政策

FRBのバーナンキ議長は、議長に就任する以前からインフレターゲット政策の導入を主張してきた。議長に就任後、負の遺産とでもいう住宅バブルが弾け、世界恐慌の淵に立たされた。バーナンキ議長の最大の関心は、日本型のデフレに陥ることなく、米国経済を正常な状態に戻し、失業率を低下させることにあった。そのための数次にわたる大規模な量的緩和政策であり、2015年までのゼロ金利を約束する時間軸政策である。本年1月に導入を発表したインフレターゲット政策の狙いも、金融政策の効果を上げて、早期に失業率を低下させることにある。

バーナンキのインフレターゲット政策は、中長期的なインフレ率の目標を2%と明示することによって、“短期的にはインフレ率が目標値を上回ることがあっても、中長期的なインフレ率が目標値を上回らない限り、失業率が低下するまで金融緩和を続ける“というメッセージである。

インフレターゲット政策の目的は、“金融緩和をしても、インフレ率が上昇し始めたら、中央銀行は金融緩和を引っ込めるだろう“という市場の疑念を排除することにある。市場の疑念を払拭できなければ、期待インフレ率が低下し、投資が抑制されるからである。その結果、金融緩和政策の当初の目論見は達成されず、失業率の低下という目的を果たせないからである。インフレターゲット政策の目的は、裁量的な金融政策を排除して、市場の疑心暗鬼を払拭し、金融緩和政策の効果を得ることにある。

市場が金融政策に疑念を持ち、“中央銀行は金融政策を途中で変更するだろう”と考えると、金融政策の事前と事後で期待インフレ率に食い違いが生じる。この食い違いを「時間不整合」と呼ぶ(注2)。金融緩和をする前に市場が抱く期待インフレ率も、市場が疑念を持つことによって、低下してしまう。事後と事前のインフレ率の差をインフレバイアスという。バーナンキのインフレターゲット政策は負のインフレバイアスを回避するための政策である。

中央銀行が市場と腹の探り合いをしながら金融政策を行う場合、インフレバイアスが存在すると、目的を達成するためのコストは大きくなる。バーナンキのインフレターゲット政策は、失業率を改善するという目的を少ないコストで効果的に達成するための手段である。

6.日本の場合

日銀の政策目標はデフレを避け、安定的にゼロインフレに均衡させることであった。しかし、毎年インフレ率はマイナスであり、0~-1%の範囲にある。これは、ゼロインフレをターゲットとしながらも、負のインフレバイアスが加わったためであると考えられる。

日銀には金利抑制というインセンティブが働くため、負のインフレバイアスが生じたと考える。量的緩和政策でインフレ率を上げようとすると、それに先立って金利が上昇する。市場が“金利抑制的な金融調節が働く”と考えることで、市場の期待インフレ率が下がり、負のインフレバイアスが発生するため、インフレ率は自己実現的にマイナスになる。

また、日銀には通貨の価値を守る(円高を容認する)というインセンティブがある。白川総裁の円高容認あるいはデフレ容認は、市場の期待インフレ率を下げた。円高容認もインフレバイアスをマイナスにしたと考えられる。

市場が金融政策に対して信頼していないため、インフレバイアスが加わる。日銀は小出しの量的緩和を続け、マネタリーベースの残高もGDP比で比較すると世界最高水準にあるという。小出しの量的緩和を続けても、金融政策に対する信頼がないから、デフレからの脱却が適わないばかりか、マネタリーベースの残高だけが積み上がりデフレ脱出のコストは上昇するのだ。

ゼロインフレ政策に加えてマイナスのインフレバイアスがデフレの原因である。

7.金融システムの安定

新日銀法は、金融政策の目的として第一条で“金融システムの安定”を定め、第二条で“物価の安定”を定めている(注1)。2つの目的を同時に適えようとする金融政策をデュアルマンデートと呼ぶ。

欧州の場合、“物価の安定”が金融政策の唯一の目的である。ところが、日本および米国の金融政策はデュアルマンデートを掲げている。日銀は“金融システムの安定”と“物価の安定”という2つの目的を掲げ、FRBは“雇用の安定”と“物価の安定”という2つの目的を掲げている。

2つの目的が相反する場合、金融政策はどちらの目的を優先するのかということになる。この場合、中央銀行に裁量的な金融政策を許すことになり、金融政策の透明性は低下する。先に述べたように、FRBは“雇用の安定”を優先させ、金融政策の透明性を確保するためにインフレターゲット政策を導入した。

日銀は、“金融システムの安定”を優先させている可能性が高い。先に述べたように、日本では恒常的にマイナスのインフレバイアスが加わっている。インフレ率の上昇に先立って、金利が上昇すると、インフレ抑制的な金融政策が行われるからである。

実際、デフレからの脱却が期待された2005年の後半から2006年にかけて、株価が上昇し、2006年の3月長期金利が1.8%台まで上昇すると、日銀は量的緩和を打ち切った。量的緩和を止め、長期金利が2%近くを伺うまで上昇すると、2006年7月ゼロ金利政策を解除した。この時期、消費者物価指数(生鮮食品を除く)はやっとゼロに届くかどうかという水準であった。デフレからの脱却を目指しながら、“金融システムの安定”が優先されたのである。

最大の疑問は、日銀がなぜ「インフレでもデフレでもない状態」、すなわちゼロインフレを目標としてきたのかである。ゼロインフレを目標とすれば、欧米諸国のインフレ目標が2%近辺にあるのだから、円高誘導である。円高デフレを招くことは明らかである。

日銀法改正の初代総裁である速水日銀総裁は「強い円、強い経済」というタイトルの本を出版されている。ゼロインフレ目標を掲げて、円高を志向したのだろうか。

これを読み解くヒントは、日銀のゼロ金利政策にある。1999年2月、日銀は株価が反転上昇し、長期金利が上昇する中で、ゼロ金利政策を導入した。株価が上昇し、景気が好転し始めたというのに、なぜゼロ金利政策を導入し景気刺激策を取るのか。2000年8月、すでに株価が下降局面にあるという時期に、ゼロ金利政策を解除した。景気を支えなければいけない局面で、なぜ金融を引き締めにかかるのか、ちぐはぐではないか。

日銀のゼロ金利政策は、金利を低くすることで金融機関を救済するために行ったのだ。バブル崩壊で負債が膨らんだ金融機関の金利負担を減らすための、“金融システムの安定”政策である。預金の金利を抑制することで、国民の利子所得は金融機関に移転されたと考えられる。

今や、日本の金融機関は復活を果たした。欧米の銀行がバランスシートを傷める中で、彼らが退出した後のアジア市場でシェアを拡大している。円高というメリットも享受して日本の大手銀行は海外での業務を拡大している。国民は、金融機関を救済するためのボーナスを20年間にわたって支払ってきたのだ。もう十分だろう。

白川総裁は、インフレ率の上昇が長期金利の上昇(国債価格の下落)を招き、国債を保有する金融機関に損失が発生すると警告する。長期金利の上昇は、金融機関の貸し出し金利の上昇にも繋がるはずである。もうこの辺で、“金融システムの安定”からデフレ脱却に舵を切ってもよいだろう。そして、円高デフレで傷んだ日本経済を癒す時である。

8.金融緩和の出口政策

FOMC(米連邦公開市場委員会)は12月12日の会合で、失業率が6.5%程度になるまでゼロ金利政策を続けることを決めた。これまで、2015年半ばまでゼロ金利政策の継続を表明してきたが、失業率が6.5%程度になるまでという具体的な数値目標を提示した。

この声明は、“中長期のインフレ率がインフレターゲットの2%を0.5%以上上回ることがない限り、失業率が6.5%へ低下するまでゼロ金利政策を続ける”というメッセージである。同時に、“失業率が6.5%以下まで低下したら、ゼロ金利政策を終了する”という金融緩和の出口政策を示唆するものでもある。

FOMCは、今月末で終了するツイスト•オペレーションに替わって毎月450億ドルの国債購入を表明した。FOMCは9月13日に決定した金融緩和策(QE3)で住宅ローン担保証券(MBS)を毎月400億ドル購入することを決めている。合わせて850億ドルの資産の購入を、雇用情勢の改善が見通せるようになるまで維持すると表明した。FRBはバランスシートを年間で約1兆ドルのペースで拡大することになる。2013年末までに、FRBのバランスシートは約4兆ドルの規模にまで拡大すると予想される。

バーナンキは今年の8月31日、金融緩和策(QE3)の公表に先立って、ジャクソンホールで“金融危機以降の金融政策”について講演をしている。その中で、異例ともいえる非伝統的な金融緩和政策のコストとベネフィットについて語っている。
http://marketwatcher.blog61.fc2.com/blog-entry-560.html

2007年から2008年にかけての金融危機にあって、政策金利を実質ゼロ金利とし、国債やMBS(住宅ローン担保証券)などの資産を購入する非伝統的金融政策に踏み切った。第一弾の金融緩和策(QE1)で1.725兆ドルの資金供給を、第二弾の金融緩和策(QE2)で6000億ドルの資金供給を行った。

大規模な資産購入プログラム(LSAP)は、米国経済をデフレの淵から救出した。LSAPは国債や、MBSなどのリスク資産を購入することで、長期国債の金利を大きく低下させ、社債やMBSの金利を押し下げた。金融システムの不安は沈静化し、金融機関の信用リスクも緩和した。金融システムの安定化は、経済の見通しを改善し株価を押し上げた。住宅価格も上昇に転じ、失業率もピークの10%を超える水準から直近の7.7%まで低下した。

バーナンキはこの講演の中で、LSAPに伴う副作用として、次の可能性について触れている。

 市場の流動性に影響を及ぼし、流動性プレミアムを引き起こす可能性
 金融緩和からの出口政策に対して、市場からの信頼を損なう可能性
 金融緩和で金利が低下し、過剰なリスクテイクが誘発される可能性
 バランスシート拡大で膨らんだ資産の価値が下がり、財政赤字を増やす可能性

FRBがこれだけ膨らんだバランスシートを、いつ、どのくらいのペースで縮小していくのか、また量的緩和の出口を探る過程でインフレ率が暴騰しないのか、市場は不安をもって見守っている。

FOMCが12月に公表した、“物価水準が安定している限り、失業率が6.5%程度になるまでゼロ金利政策を続ける”というメッセージは、金融緩和政策を転換するタイミングを示唆している。FRBは適当な時期に、必要に応じて債権を売却するか償還をしてバランスシートを通常の規模まで縮小できるとしている。

“大規模な量的緩和は、市場に過剰な流動性を供給し資産価格の高騰やインフレを招く”という懸念、あるいは“大量にドルをばら撒く結果、ドルの価値が毀損される”という懸念をよく耳にする。バーナンキはこのような懸念に対して、“量的緩和は市中銀行がFRBに積み置く準備預金を増やしたが、必ずしも市場に流通するお金が増えているわけではない”として、“実際、資産価格が高騰しているわけでもないし、ドルの価値が暴落したわけでもない。”と指摘している。

また、“これまで、インフレ率は安定的に推移してきたし、今後も安定を維持できる”と述べ、“必要に応じて、金融を引き締める手段を有している”という見解を示している。

量的緩和の出口を探る過程で、市場のインフレ期待が変動し金融市場が混乱するのではないかという懸念もある。現在は準備預金が積みあがっている状態であるが、景気が回復して資金需要が増加するという局面になれば、“短期金利を上昇させて準備預金を吸収し、金融を引き締めることができる”、“FRBが保有する長期国債を売却することで、金融を引き締めることができる”としている。

“FRBが保有する債権を売却あるいは償還させることによって、バランスシートを通常の規模まで縮小できる”としている。債権を売却するときに損失が発生し、そのつけが政府の財政赤字を増やすのではないかという疑念もよく聞かれる。しかし、バーナンキは“保有する債権から得られる金利収入は国庫に納付され、景気が回復して税収が増え、雇用が改善し雇用保険の財政支出が減ることを考えると、むしろ財政赤字を減らすことになる”と反論している。

FRBによる金融緩和が、財政赤字をマネタイズして、財政規律を弛緩させるのではないかという疑問もよく聞かれる。しかし、バーナンキは“FRBの異例な金融緩和政策は、金融危機という異常事態にあって、金利低下を促して経済の回復を支えるために行っている。財政政策の責任は政府にあるのであって、FRBは財政赤字を支えるために国債を購入していない”と述べている。

9.結語

安倍総裁は、“金融政策では2%の物価目標で政府と日銀が政策協定を結ぶ”としたうえで“日銀が思い切った金融緩和でそこに到達していく。目標には日銀総裁が説明責任を負う。世界の常識だ“と述べた。

安倍総裁の日銀に対するプレッシャーを、“日銀の独立性”に対する侵害であるという批判も聞かれる。新日銀法は日銀が物価目標を決定する権限を持つなどと述べていないし、むしろ第4条で政府と協調して金融政策を遂行していくことを要求している。政府と日銀が政策協定を結び2%の物価目標を設定するという要求は、“日銀の独立性”を損なうことにならない。

日本の円高デフレは、日銀がひそかに掲げてきたゼロインフレ目標政策にある。欧米の中央銀行が、物価目標を2%近辺に置くとき、日本だけが物価目標を0%とするならば、それだけで趨勢的な円高に繋がる。日銀の金融政策は、金利上昇を抑制するというインセンティブを持つから、インフレ目標が0%にあったとしても負のインフレバイアスが加わる。新日銀法が施行されて以来、常にデフレを続けてきた原因もここにある。

安倍総裁は2%の物価目標を要求しているのに対して、白川総裁は物価上昇の「目途」を1%にするといっている。物価上昇の「目途」と「目標」の違いは、結果に対する説明責任の違いである。「目標」と言い換えることで、日銀の説明責任は重くなる。

また、安倍総裁と白川総裁の物価目標に差があるが、世界標準が2%にあるのだから、物価目標を2%とするべきである。物価目標を世界標準より低い1%とすると、物価上昇率の差が趨勢的な円高を招くからである。ただ、物価目標をどのくらいの期間をかけて達成するのかについては、中長期的なタイムフレームで考えるべきである。短兵急な結果を求めると、市場の混乱に繋がる恐れがあるからだ。

欧米の中央銀行と比較して明らかなのは、日銀の金融政策における透明性の欠如である。日銀は、金融政策決定会合の議事要旨を公表や国会報告をもって透明性が果たしていると考えている。透明性とは、金融政策の意図を伝え、結果に対する説明責任を果たすことで、市場からの信頼を得ることである。インフレターゲット政策の目的も、金融政策の透明性を高めることにある。金融政策の意図を伝え、市場の疑心暗鬼を排除することで金融政策の効果が得られるからである。

FRBのバーナンキ議長は、異例ともいえる金融緩和政策を繰り出して、世界大恐慌の瀬戸際から景気回復を見通せるところまで救済した。そこで際立つのは、米国経済を背負って立つという気概と景気回復を果たすという強い意思である。

一方、日銀の白川総裁は、円高デフレの進行を目のあたりにしながら、デフレは人口の高齢化や潜在成長率の低下によるもので、金融政策ではデフレから脱却できないという。白川総裁の言動に、日本の金融政策を背負って立つという気概も見えないし、デフレからの脱却を果たすという決意も読み取ることはできない。


(注1) 日本銀行法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H09/H09HO089.html

第1条  日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする。
2  日本銀行は、前項に規定するもののほか、銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする。

第2条  日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。

第3条  日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない。
2  日本銀行は、通貨及び金融の調節に関する意思決定の内容及び過程を国民に明らかにするよう努めなければならない。

第4条  日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。

(注2)2004年にノーベル経済賞を受賞したキッドランドとプレスコットは「時間不整合」の問題をとりあげ、裁量的な経済政策では、事前と事後でインフレバイアスが生じるため金融政策の効果が得られないことを指摘した。彼らは、インフレ率を抑えるための金融政策について「時間不整合」の問題を論じている。

インフレ率を抑制するために金融の引き締めをする。しかし、政治からのプレッシャーがかかるため、中央銀行には景気拡大を図ろうというインセンティブが存在する。市場は中央銀行が金融緩和に転じるだろうという疑念を持つため、事後の期待インフレ率は上昇する。その結果、当初の目論見は達成されず、インフレ率は上昇する。

この事例では、事後の期待インフレ率が事前の期待インフレ率を上回るという正のインフレバイアスが発生する。しかし、バーナンキのインフレターゲット政策は負のインフレバイアスを回避するための政策であるという点に注意する必要がある。

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