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2012年5月 4日 (金)

「あの人件費であの人員ならそういうもんだよな」という状況にしておいて「ムダででたらめをやっているコームインの人件費を下げろ」となる「見事なサイクル」

被災地の地方公務員として、「GWといいながらフルで休める状況ではない」マシナリさんが、それでも激務の合間に胸の内をひっそりと書かれています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-513.html(適切な処理に要する人件費)

というような実務上の処理に追われるチホーコームインからすれば、「しごとプロジェクト」といって緊急雇用創出事業にばんばん予算をつけて、被災された方々だけではなく地方自治体の仕事を増やしてその成果を誇示する一方で、コームインの人件費削減を嬉嬉として喧伝する政治家の方々には、感謝とともに嘆息が漏れるところですね。・・・

もしかすると、業務の質を下げてもいいから人件費を減らせというのが「民意」であればコームインなんぞにはもはや質を期待しないというのが正しい態度でしょうから、業務でミスっぽいことをしようが住民の方に不十分なサービスを提供しようが、「あの人件費であの人員ならそういうもんだよな」と納得するのが主権者たる日本国民のご判断だということなのかもしれません。

そうはいっても、・・・、「あの人件費であの人員ならそういうもんだよな」という判断が「民意」となることはあり得ないように思います。ところが、そうしたあり得ない「民意」を駆り立てることができるのがデマゴギーといわれる方々でして、いつの世にもそうした輩は存在しますね

まあもちろん、いくら「民意」があろうと会計検査院とかオンブズマンの方々はそうした処理を認めてくれるとは到底思われませんし、・・・マスコミからすれば「○○県が不適切な処理をした」とか「△△省では×億円の無駄遣い」といった見出しが打てればそれで売上げが上がりますから、それをみた「民意」はさらに「ムダででたらめをやっているコームインの人件費を下げろ」と公的セクターへの攻撃を強めるという見事なサイクルが働くわけです。

まあ、この間ずっとそういうサイクルがひたすらくるくると回り続けて、それに追っかけられてへとへとになっているマシナリさんがぼそりとこう漏らされる言葉には、本当は千金の重みがあるはずなんですが、デマゴーグやその腰巾着連中に限って、こういう言葉だけは耳に入らないようです。

このエントリがどちらかというと地方公務員の胸の内を素直にさらけ出したものだとすると、それに続くこのエントリは、

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-514.html(歴史の読み違え)

スティグリッツやポランニーを引用しながら、それを理論化しようとしています。

自由主義者が規制として糾弾するさまざまな保護政策というのは、そもそもそうした自己調整的市場システムでは保護されないとしても保護しなければならないものが現に存在し、それを保護することを目的としているものであって、誰が対象者であっても必要とされる規制なわけです。上記でポラニーが指摘しているのは、それが自己調整的市場システムによる経済的利益を阻害していることを主張しようして、結局その証拠を示すことができないときは陰謀論に頼らざるをえないしまうという陥穽ですが、スティグリッツが「ポラニーが適切に論じているように、彼らの見解は歴史の読み違えを象徴している」と指摘する点は、21世紀の現在においても傾聴すべきものと思います。

こういう高い識見と深い洞察力を示す偉大な経済学者からの引用の後に、ややお口汚し的な劣化ウラン的文章が引用されると、いささか胸が焼ける思いが致しますが、それもまた現代日本というものの現実の姿であれば仕方がないのでしょうね。

こうした歴史的な考察を抜きにして、たかだかバブル崩壊後の十数年の経緯のみを取り上げて「財政政策は経済学的にはかえって逆効果だから金融政策をすべきだ」という主張がリフレ派と呼ばれる一部の方々の根幹にあるように思われるわけですが、ポラニーの上記の主張と読み比べてみるのもおもしろいかもしれません。ちなみに、以下の方がいう「弱者」には長期失業者も貧困者も障害者も高齢者も片親世帯も含まれていないこと、所得再分配が単純な産業政策論にしか還元されていない点には十分注意する必要があるでしょう。

・・・誰がなにを見落としているのかはよくわかりませんが、少なくとも「勝ち組」に対するルサンチマンを煽って「純経済学的」な議論をしておきながら「政治経済学的な考察をまったく欠いている」という結論に至る論理展開は、デマゴギーの一つのスタイルとして大変興味深いものだなあと思います。

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コメント

ご紹介いただきありがとうございます。

拙エントリでは何となくデマゴーグとデマゴギーをごっちゃにしてしまった感がありますが、それはともかく、貴ブログの直前のエントリで引用されている
> 雇用契約に基づく労働者の使用者に対する労務(サービス)の提供行為と、労働者を履行補助者として用いて行われる使用者の顧客に対するサービスの提供行為とが、サービス経済化の中で徐々に区別しがたくなり、顧客が労働者の労務提供の態様自体に対して、あたかも指揮命令権を有する使用者のような権力を使用者を通じて行使するというような事態が現出すると考えることもできる
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-d470.html
と指摘されているのと同様の事態が、公務員という対人サービスの現場でも起きていると考えるべきか、あるいは公務員に向けていた矛先がいつのまにか民間のサービス業にも向いていたと考えるべきなのか、いずれにしても根が深い問題だと思います。

投稿: マシナリ | 2012年5月 4日 (金) 21時47分

お久しぶりです。お元気そうで何よりです。

まあ、広い意味での「お客様は神さま」現象の一環でしょうか。

サービスをする側が「お客様は神さま」と言ってたのが、そのお客様が「俺様はお客様だぞ、神さまだぞ」と言い出したという社会全般に見られる現象の。

投稿: hamachan | 2012年5月 4日 (金) 22時26分

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