ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき』
ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき』(人文書院)を、訳者の宇城輝人さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。
ほとんど面識がないにもかかわらず・・・正確には、岩波の『自由への問い 労働』の編集会議で一度顔を合わせてはいますが・・・お送りいただき恐縮しております。
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b94404.html
街を揺るがした、「くず」どもの怒りの理由は何か――2005年におけるパリの暴動後に書かれた、フランス社会学の泰斗による迫真の分析。
貧困、人種、民族によってフランスの都市は、もはや共和主義の理念とは程遠いまでに分断されている。郊外に貧困と暴力とともに取り残される若者、田園地帯の新興住宅地に逃げ込む中産階級、官と民により再開発される都心…。この分断を乗り越え、もう一度都市を作り直すことはいかにして可能か。本書は、フランス都市政策の挫折の歴史をふまえ、その困難な道を指し示す、フランス社会学の泰斗による迫真の分析である。それは、経済格差の拡大と貧困、都市および地域コミュニティの荒廃、そして移民労働者の受け入れに揺れる日本社会にとっても、有益なものとなるだろう。
上のリンク先には、かなり長めの「まえがき」が公開されていて、かなり明確に問題意識を提示しています。「ル・ソシアル」な方に関心のある私からすると、
第一に、九十年代半ば以降、「正統」な古典的社会問題が社会の中心にふたたび姿を現したけれども、しかし排除のテーマとは切り離されたということである。社会問題の「回帰」と軌を一にして生じたのは、厳密な意味での賃労働条件にもっぱらかかわる不安であった。不安を喚起するのはもはや失業の帰結である排除ではなく、保護されてきた雇用への脅威の増大であった。・・・ ようするに、郊外問題すなわち民族マイノリティが被る特殊な不利益の問題は、賃労働条件の問題と比べて二次的なものとされた。もっといえば、一種の目晦ましだと見なされた。「真」の問題である賃労働条件の問題、つまりこれまで手厚く保護されてきた雇用への脅威の問題を犠牲にして郊外問題を重要視したのはやりすぎだったと判断されたのである。
といった批判はなかなか厳しいですね。というか、ドンズロ自身がかつてはソシアル派だったのが、変わってきたようですが。
全体を通読して感じたのは、日本の文脈との大きな違いとともに、今日的関心の対象との奇妙なまでの近接性でした。
最近の大阪の「西成区」をめぐる政治的言説の数々を思い浮かべると、妙なデジャビュを感じることもたびたびでした。これは何なんでしょう。
でも西成はバンリューじゃないでしょうね。やっぱりかなり文脈は違うんですが。
(追記)
翻訳者の宇城さんご自身による解説
http://twitter.com/#!/ustht/status/191450948923686912
いやージャック・ドンズロ『都市が壊れるとき』(人文書院)を読んでおくと、大阪のことが手にとるように分かるなー(ステマ)
http://twitter.com/#!/ustht/status/191451241606430720
冗談はさておき、西成を特区にするというのは、西成を「えこ贔屓」するかに受取る人がいるようだけど、まったく逆じゃないかな。
http://twitter.com/#!/ustht/status/191452387209252864
劇場で上演されなくなる問題は、さて、どうなるのかというのが大問題。21世紀のわたしたちの課題は、問題を上演する舞台をもう一度構築することだということではないだろうか
http://twitter.com/#!/ustht/status/191452826554220545
西成を特区にするということは、おそらく大阪という都市の解体のはじまりかもしれないという発想を、頭の片隅においておいたほうがいいと思います
http://twitter.com/#!/ustht/status/191454718713798656
西成は、多くの人びとにとっては無関心の死角みたいなものであったかもしれないけど、日本社会の矛盾が上演される重要な都市空間だったことは間違いない。
« 労働政策フォーラム「職場のいじめ・嫌がらせ、パワハラ―今、労使に何ができるのか」 | トップページ | 世界の派遣業界はディーセントワークとソーシャルパートナーシップを掲げる »
« 労働政策フォーラム「職場のいじめ・嫌がらせ、パワハラ―今、労使に何ができるのか」 | トップページ | 世界の派遣業界はディーセントワークとソーシャルパートナーシップを掲げる »
コメント