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2012年4月 5日 (木)

作業員被ばく上限350ミリシーベルト要求

20120405k0000m040066000p_size5 今日の毎日新聞の1面トップは、「福島第1原発:作業員被ばく上限350ミリシーベルト要求」です。

http://mainichi.jp/select/news/20120405k0000m040135000c.html

本ブログでも何回か取りあげてきたテーマですが、事故直後の経産省原子力安全・保安院と厚生労働省のせめぎ合いの実態が、一つまた明らかになったようです。

東京電力福島第1原発事故の収束作業で、厚生労働省が昨年3月14日に被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトへ引き上げた直後、経済産業省原子力安全・保安院が東電などの要請を受け、上限を事実上350ミリシーベルトまで緩めるよう厚労省に求めていたことが、保安院の内部文書で分かった。保安院は福島での被ばく線量を通常時の規定と「別枠」で扱うよう要求。最終的に厚労省は認めなかったが、原発事故直後の混乱した政府内の攻防の実態が明らかになった。

社会面でも同じ問題を取りあげてきます。こちらは、

http://mainichi.jp/select/news/20120405k0000m040147000c.html(福島第1原発:被ばく線量、収束か作業員安全か)

東京電力福島第1原発事故直後、作業員の被ばく線量のさらなる上限緩和を求める原子力安全・保安院と、難色を示す厚生労働省との生々しい攻防が内部資料から浮かんだ。保安院は作業員の線量見通しも示して緩和を求めたが、見通しは実際より過大だった。優先すべきは事故収束か作業員の安全か。最後は厚労省が一部譲歩しつつ突っぱねたが、「原子力規制庁に変わるのを前に、当時の規制官庁の判断が妥当かどうか検証すべきだ」との声も上がっている。

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コメント

350ミリシーベルトとは驚きです。
現実問題としてその程度の被ばく線量を上限にせざるを得ない現場の状況なのかもしれないですが、しかし、以下の2点で、引き上げるにはいささか合理性がないのではないかと思われます。
すなわち・・・

 ①先ず、災害復旧(それも国家的危機と云われるような)のためなのであれば、外部に原発事故対応用の実地訓練施設を設けた上で、大量の人員投入を予定した大規模かつ長期の訓練を多人数の労働者に実施し、同時に復旧に必要なあらゆる業務の引継ぎも迅速且つ適正に行えば、一人あたまの被ばく線量はその分十分に抑える余地はあると考えられること。
 ②それでもなお一部の労働者(作業員)に現行基準である250ミリシーベルトを超える恐れがあるのであれば、なし崩しの規制緩和ではなくやはり違法(つまり労災事故である)とすべきで、その上でやむをえない場合には、故意等の刑事責任追及の上では違法ないし刑事責任が性阻却される余地はある。

・・・など、使用者に法的責任を負わせるかどうかの事後の判定はべつに考えられるので、未だ法律(実際には省令の基準)を現場にあわせて変える合理的な必要は無いのではないでしょうか。
尤も社会的利益と労働者個人の利益の比較をするような合理性(単なる利益均衡)ではなく、人間の安全衛生は本来的に各人の“譲れない利益”なので、より厳格な基準でなければならないでしょうけれど。

この話、現在も将来も、ほんとうに必要なのは、労働者一人についての被ばく線量の緩和などではなく、原発事故に対応するために「よく訓練された労働者」と、被ばくを抑えつつ各所の連続作業を可能とするための高度な「現場作業者交代技術」の開発だと思います。
要するに人海戦術です。

“金”で片方の腎臓を売るような話にはしたくないものです。

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