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2012年4月 6日 (金)

念のため

今まで百回以上本ブログ上で繰り返してきたことをまた書くのは徒労感しか残りませんが、念のため・・・。

http://twitter.com/#!/kktsc/status/187929417056665601

濱口桂一郎氏はリフレ政策には批判的なのかな?

今まで山のように繰り返してきたように、本来のケインズ主義的な意味での「リフレーション政策」には批判的どころかむしろシンパシーを持っています。

しかし、日本で「りふれは」と称して不気味な政治活動を繰り返してきた手合いというのは、おおむね、その逆の政治志向を持っているようで、小さな政府を声高に叫び、とりわけ弱い立場の国民向けの公的サービスに対して露骨な敵意を示すことが多いようです。そして、くっつく政治家というのもだいたいそういう志向の方々が多いようです。

そういう人々を、わざわざリフレーション政策支持派という意味での「リフレ派」と明確に区別するために、「りふれは」という記号を作って、区別して用いていることも、本ブログで何回も繰り返してきたことですので、その旨ご諒解いただきたいところです。

(追記)

jura03氏が、この間の経緯に係って、いろいろと過去のエントリまでサルベージしていただいています。

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120407/p1(ネット○○派 part386)

毎度のhamachan先生を眺めてみたわけだ。

・・・

いや、全くその通りで、というか、なんでこの辺りのことがもっと普通の人たち、うっかり「リフレは必要」と素朴純朴に言っちゃう良心的な人たちや、「リフレは非党派的主張」を信じちゃった人たちが分からないのか、僕には全く理解できない。。。

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120408/p1(ネット○○派 part387 リフレさえ支持してくれたら何でもいい?)

ちなみに、hamachan先生のブログを読み返していると、次のようなところを見つけた。BUNTENさんがリフレ派への悪意を感じるとブクマしたことに対し、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-a897.html(「知的」で「誠実」な「りふれは」)

「両極端の存在をあえて「リフレ派」という表現でごまかし続けてきたことに」「ソーシャル系リフレーション論者の最大の過ちがあるとはお考えにならないですか?」まさしくここの問題だったんだよな。

たぶん銅鑼衣紋さんが甘く見たのもここで、リフレ論を「非党派的主張」だとしてしまったものだから、結局おかしい連中ともリフレ派として同居することが是認されてしまった。。。と考えるのもまだ甘くて、銅鑼衣紋さん自身も結局、友人知人と主張の別がつけられなかったのかもしれない。

ともあれ、言い方を変えると、本来あるべき左右のけじめがきちんとつけられないままに来てしまった。だから、安直に「リフレに右も左もないよ」みたいなことがうっかり信じられてしまうことに。。。

本当は、そういういい加減なことをやらずに、きちんと分けて切り捨てるべきだったんだな、きっと。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

2006年9月17日の記事、か。もうhamachan先生は、というか分かる人たちはとっくにお見通しだったんだなぁ、と改めて。

2006年というと、まだこのブログを初めて間もない頃ですね。

なんだか先見の明を褒められているみたいでいささかくすぐったい感もありますが、いやそんなのんきな話ではないわけですが・・・。

とりあえず、「リフレしてくれたら何でもいい」が、一番いけない。「非党派的主張」だというのは必ずしもすべてを正当化しない。だって、リフレ派のあの人たち(hamachan先生流に言えば「りふれは」)が大事なのはリフレじゃないんだもの。

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コメント

>本来のケインズ主義的な意味での「リフレーション政策」
>そういう人々を、わざわざリフレーション政策支持派という意味での「リフレ派」と明確に区別する

フリードマンやマンキューやロゴフやバーナンキやサムナーはどういう位置づけになりますか?マンキューは共和党ロムニーの顧問だし一部の学生に授業をボイコットされているし。全員共和党支持者です。「りふれは」でしょうか?それならそれで分かりますが、それはhamachan先生が再分配面の定義を付け加えているということです。

フリードマンのリフレ論
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20091112/friedman_riviving_japan

Students Walk Out of Ec 10 in Solidarity with 'Occupy'
http://www.thecrimson.com/article/2011/11/2/mankiw-walkout-economics-10/

「利子生活者の治世」by Paul Krugman
http://econdays.net/?p=4622
現在の経済的苦境に直面して、右派から来る経済政策の要求を見れば、我々が実際に苦境にいるという事実に、彼らが驚くほど鈍感なことが分かるだろう。初めのころには、経済を刺激するのに財政政策よりも金融政策を要求する保守派の人々がいた―そしてグレッグ・マンキューやケン・ロゴフらのような、一定期間の平常時よりも高いインフレを要求する人々もいた。だが彼らは沈黙してしまった。最近、右派は財政厳格主義(あらゆる増税には反対するが)だけではなく、ハードマネー主義も要求している。スコット・サムナーのような現代のマネタリストは、政治的ふるさとを失ってしまった。

権丈先生のブログもよく読んでいるのですが、反リフレと思われかねないなと感じます。例えば、勿凝学問317「今や、デフレだけが、社会保障の味方――敵の敵は味方という話」はタイトルからして誤解されかねないかと。

社会保障に理解のある、与謝野馨氏もリフレ政策に否定的に思われます。

リフレ+構造改革シバキアゲのみんなの党と、増税社会保障充実の与謝野氏のどちらかを選べと言われたら与謝野氏を選びます。

でも、金融緩和をしつつ増税による社会保障充実というリフレ派があればいのにと思います。

そこは、主に労働から見てるわたしと、主に社会保障から見てる方の視座の違いというのは感じます。

ヨーロッパの政治を論ずる方々の話にしても、労働サイドから見てる私からすると、いろいろと違和感を感じるものもあります。

とはいえ、現在の「りふれは」(≠リフレ派)は、労働派、社会保障派の共通の敵であることは間違いないと思いますけど。

「金融政策さえまともにやってくれれば、あとはどうでもいい」というのも分からなくはないですが、だからこそ余計な敵を増やすような主張をするなよなーと思うんですけど。

要するに彼らは、まっとうな人を味方にするより、ネオリベ的な政策を支持する人を味方にすることを選んだということでしょう。確かにそっちの方が票数的には多いですからね。

シバキの帝王に公然とすり寄りながら、たかがデフレ政策ごときをシバキと罵倒するというあたりの精神の倒錯がすでに異常でしょう。

確かにw

なんとなく推測するに、維新の会とかの「能力の低さを信頼している」とでもいうか、どうせシバキ政策をやろうとしても、民主党がマニュフェストをほぼ全て破ったように、口先だけで大したことなんかできないだろうから問題ない、っていう感じなんじゃないでしょうかね?

実際、大阪知事時代の橋下さんにせよ小泉政権にせよ、賛同者は改革者と呼んだり、批判者は悪政の限りをつくしたとか言ってますが、客観的に見れば、良くも悪くも口先だけでほとんど何もやってないわけですし。

もちろん、予算規模ベースで数%にも満たない違いが重要ではあるんですが、その程度の違いであれば、良い財政政策+悪い金融政策より、悪い財政政策+良い金融政策を選ぶ、という判断なのかなと。

「財政政策は無効だ」という、だったら増税を拒否する理由もないだろという主張されてたりしますし。

個人的には、小泉政権的ネオリベはまだしも橋下市長は、あの全体主義的なやり口が、あれを受け入れるくらいなら国を捨てるほうがマシというくらい大嫌いなので、維新の会だけは別格に勘弁してほしいですが。

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