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各論なき総論哲学者の末路

権丈さんと一緒に(総論)政治学者を罵倒した話のより原理的な版ということか、

http://twitter.com/#!/hazuma/status/189325081900625920

ポピュリズムには反対だけど、大衆の善良な意志は信じる(キリッとかいう立場は論理的に存在しえないんですよ。ポピュリズムを肯定するか、エリート主義にいくか、どちらかしかありえないのです。だからぼくは、民主主義者としてポピュリズムを否定しない(否定できない)ってだけ

問題をポピュリズムに流されるか、エリート主義に行くかという二者択一でしか考えられないところが、(総論政治学者や総論政治評論家や総論政治部記者と同断の)総論しか頭の中にない哲学者という種族の宿痾なのだろう。

いうまでもなく、圧倒的に多くのことについては横町のご隠居程度の見識しかない大衆食堂の皆さんにも、程度の差はあれ、これはという専門分野はある。

ほかのことについては軽薄なマスコミの掻き立てることにコロリと逝っちゃう一般大衆でも、この問題については新聞のいうことは間違ってるぞ、とひとしきり人に説教できるような分野がある。

きょろきょろするなよ、大学のセンセたち、そういう専門を持ってる大衆って、あんたらのことでもあるんだよ。そしてまた、世間で実務やってる人々のことでもあるし、趣味の世界の場合もある。要はみんな、なにがしか(というより相当程度に)大衆なんだが、なにがしか(どんなに少なくとも)専門家であり、その面においてはポピュリズムに逝かれる(周りの)大衆たちを哀れみのまなざしで見る局面てものもあるのだ。

誰にもこだわりの「各論」てのがある。「総論」に巻き取られると不愉快になる「各論」が。

大事なのは、そういう「おおむね大衆ときどき専門家」な人々の「民意」をどこでもってつかまえるべきなのか、ってこと。

ポピュリズムがだめなのは、その人々の「おおむね大衆」の低次元の「総論」だけをすくい取って「これが民意」だ、ってやるところ。

決して馬鹿なだけじゃない大衆の馬鹿なところだけをすくい取るのがポピュリズムだ。

レベルの低い「民意」をすくい取られた大衆が、しかし自分の専門分野について「とはいえ、こいつはおかしいんじゃないか」と感じるその違和感をきちんと言語化するのが、言葉を商売道具にして生計を立てている連中の最低限の義務だろうに。

それすらも放棄するというのは、つまるところ、そういう専門分野、つまり「各論」を持たない哀れな哲学者という種族の末路と言うべきか。

ポピュリズムの反対はエリート主義ではない。大衆の中の「各論」を語れる専門家的部分をうまく組織して、俗情溢れる低劣な「総論」を抑えるようにすることこそが、今日の高度大衆社会に唯一可能な道筋のはずだ。

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コメント

>誰にもこだわりの「各論」てのがある。「総論」に巻き取られると不愉快になる「各論」が。

大事なのは、そういう「おおむね大衆ときどき専門家」な人々の「民意」をどこでもってつかまえるべきなのか、ってこと。

ポピュリズムがだめなのは、その人々の「おおむね大衆」の低次元の「総論」だけをすくい取って「これが民意」だ、ってやるところ。

決して馬鹿なだけじゃない大衆の馬鹿なところだけをすくい取るのがポピュリズムだ。

なんでも薬害にする浜六郎、大淀病院事件で担当医が有責であるかのようなコメントをした山口研一郎、東京女子医大事件で無罪となった人工心肺担当医の裁判で検察側証人として出廷した南淵明宏などなど、マスコミに出たがる医療「専門家」ほど専門家同士の議論から相手にされてないことが多いのは医師の間では周知の事実です。そのような医師が一方で、「改革派」「脱藩」官僚や「専門家」の官僚、公務員叩きに歓喜しているのはなんだかなあと思います。以前ワタミの会長が東京都知事選に立候補していましたが、従業員にサービス残業させたり過労死するまで働かせるノウハウをみにつけていることが政治家に必要な能力だと本気で思っているのか、と愕然としました。他分野に渡る天才は例外的な存在にすぎない、ほとんどの人は自己の専門外の分野にはデマゴーグに容易にからめとられる程度に無知であることを個々人が自覚する必要があるのでしょう。
専門家、利益集団が折衝を行い、妥協点を見出して政策を決定していく。その上で議論の着地がうまくいかないときや、政策が明らかに公共の利益にそぐわないときは長期的に公共の利益を考えることのエリートが決定していく。真の政治主導とはそのような状況になったときに衆愚の風に惑わされずエリートの判断を優先できる胆力のことであり、移ろいやすい世間受けをねらって政策を右往左往させることでは決してない。権丈教授が民主主義にはエリートが必要といっているのも、そのような意味合いなのだと理解しています。
新古典派経済学者にいわせると、専門家は利益集団と化して市場をゆがめるから規制緩和によってその力をなるべく弱めておいたほうが良いということになるのでしょう。その結果として「市民」の意見を代弁したデマゴーグ、ポピュリストが跳梁跋扈しているのが今の状況です。現状の欠点をあげつらうのは簡単だが、代替案がよりよい結果をもたらす保証はなく、むしろ最悪をもたらす危険性を考えないといけないのでしょう。

投稿: dermoscopy | 2012年4月11日 (水) 14時37分

追記です。個々の立場、各論が権利の主張を可能にする意義は、特定の立場が極端に強い財力、権力を持つことを防止することにあると思います。特定の立場が極端に強い財力、権力を持つと、経済学者が指摘するように彼らは政治力を駆使して市場をゆがめるようになる。アメリカにおける投資銀行がまさに典型でしょう。蛇足ですけれど、公共選択論がうまくいかなかったのは、市場に存在するすべてのプレイヤーが利害関係者であり、労働者、経営者のうち労働者のみが市場をゆがめるかのような誤解をしてしまったからではないか。
かつての日本は医療でいうなら日本医師会がそうですが、自営業者を中心に個別の利益集団に権利を主張する機会が与えられ、優秀な官僚上がりの国会議員が個々の利益集団をまとめつつ、おおむね公共の利益に沿った政策解を導き出せる能力を持っていた。ただし、世間、仲間内での論理が社会の論理より優先される弊害はありました。例えば医療にかつてあった医療過誤は隠すものという思考、大相撲における「かわいがり」と称してリンチを肯定する文化、かつての自治労における度の過ぎた労働者としての権利の主張など。そこで必要なのは利益集団を破壊して未組織有権者にすることではなく、個々の立場、各論が自己の論理は社会の論理に適合するかを意識しつつ、言い分をなるべくわかりやすく、でも必要な複雑さは省略せずに他者に伝えていく。それと同時に他者の言い分に耳を傾け、お互いがそれなりに納得できる着地点を見出していく、そのような新しい「世間」の構築であると考えます。
とはいえ、自己の好き嫌いと客観的に真実により近接しているか、社会的に妥当な意見かの区別がつかず、自己に都合の悪い意見に聞く耳を持たないヘイトスピーカー諸君が(困ったことに医師を含めて)ネット上に多数存在することを知っている身としては、それがいかに難しいかは重々承知なんですけどね・・・。

投稿: dermoscopy | 2012年4月15日 (日) 11時31分

 私も権丈教授の論が大好きな人間だが、どうも、アカデミックでは評価されていない。
 最近、ブログでさかんに宣伝している厚労省の試算も、人口が一定という非現実的な仮定にたった都合の良い試算のようだ。このような試算を持ち上げると、それはやはりおかしいといわれるだろう。
 小黒一正氏が、最近、試算をアゴラでしている。
「厚労省資料(世代間格差に対する反論)の簡易検証」
 アゴラ自体は、池田信夫氏の主宰するブログのようだが、そこに出ていることがすべてトンデモというわけでもないようだ。
 権丈教授は、年金でバランスシートがナンセンスだともいうが、先進国では、皆作って議論の材料に提供しているようだ。作らない方がおかしいものと見受ける。
 権丈教授のいうように、各論が大事だ。世界を見渡しておかしな議論になっていないか、専門家はよく検証してほしい。

投稿: 元リフレ派 | 2012年4月24日 (火) 23時00分

小黒先生の試算もどうなんだろう。アゴラの小倉氏のエクセルの試算を見てください。第5世代の世代人口13に対し第17世代の人口1となっています。
例えば1世代30年とすると、第4,5,6世代が共存する時代の人口は35で、第15,16,17世代が共存する時代の人口は6です。日本の人口が5分の1から6分の1(2000万人くらい)になってしまいます。
まあそこまで世代を経ず第8,9,10世代でうちきれば人口は27です。これくらいなら現実的か。

未来のことなので何とも予想しづらいが、普通は、ある程度で出生率が回復するか、あるいは移民が増えるなどして落ち着くと考えるべきでは。

それと、『「割引率」が利子率(運用利回り)か賃金上昇率かというくだらない比較』と小黒氏は書きますが、世代間格差が大きくなるような数字(運用利回り)を意図して採用し批判されるのは、決してくだらないことではありません。社会保障を金融商品とみなして比較しているのと同じですから。その経済観・厚生概念が問われているのです。

なお一橋でも、例えば高山憲之、小塩隆士氏は積立方式への移行はあまり意味がないとも指摘しています。高山
先生も指摘されていますが、厚生概念としてフェルドシュタインの世代会計とは別にマスグレイブ基準もあるのです。世代会計だと、高速道路や下水道などの、ある世代が作って何世代にも便益がおよぶ社会資本がカウントされないので、私はマスグレイブ基準の方が優れていると見ています。

以下も参考に。
www.ier.hit-u.ac.jp/~takayama/pdf/pension/syohyo.pdf

投稿: spec | 2012年4月25日 (水) 01時46分

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