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2012年4月28日 (土)

日本型労使コミュニケーションシステムの落とし穴

全国社会保険労務士連合会の月刊誌『月刊社労士』4月号に、「日本型雇用システムの中の労使コミュニケーション」を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sharoushi1204.html

いささか長いので、そのうちやや分析的な記述になっている「2 日本型労使コミュニケーションシステムの落とし穴」の部分だけを、こちらにアップしておきます。

2 日本型労使コミュニケーションシステムの落とし穴

 ここまで読むと、日本型労使コミュニケーションシステムは大変素晴らしいものであるように思えるかも知れないが、実はいくつかの問題点が伏在している。

 まず第一に、ヨーロッパ諸国では公的な従業員代表制度が担っている機能を、日本では法律の建前上は私的結社に過ぎない労働組合が全面的に担っていることである。労働者は誰でも労働組合を結成する権利を与えられているが、逆に個々の企業の労働者がその権利を自発的に行使しない限り、誰も彼らのために労働組合を作ってくれるわけではない。そして、従業員代表機能をほぼ全面的に企業別組合に委ねてきたために、企業別組合が存在しない限り、それに代わりうる従業員代表機関は存在しないことになる。 日本において、企業別組合は規模1000人以上の大企業ではなお半分くらい存在しているが、100人~1000人規模の中堅企業では1割台であり、100人未満の中小零細企業では1%に過ぎない。つまり、日本型雇用システムとはいっても、圧倒的大部分の企業は教科書的な意味で「日本型」ではなく、日本型の労使コミュニケーションが行われているわけでもない。中小零細企業になればなるほど「日本型」でなくなるというのは一見いかにも皮肉に見えるが、上述のような仕組みが作り上げられるに至った歴史的経緯を振り返れば納得できるであろう。

 もともと日本の労働社会は労使間に密接なコミュニケーションがあったわけではなく、産業革命期以来、とりわけ戦後ある時期までに繰り返された激しい労働争議の波の中で、労使双方が対立的労使関係を反省し、ともに企業を支える一員という相互認識に基づいて密接な労使コミュニケーションを確立してきた。そのため、こういった試練をくぐり抜けることの少なかった中小零細企業になればなるほど、使用者側には労働者は命じられたままに働けばよいという古典的な発想が色濃く残り、意識的に労使コミュニケーションを図っていかなければならないという発想は薄れていくことになる。もちろん中小零細企業であるから、労働者との個人的なコミュニケーションは大企業に比べて遥かに濃密な面があるが、それは必ずしも企業を支える対等な一員という認識に基づくものではなく、むしろ古典的な主従意識に近い面すらある。

 第二に、従業員代表機能を担う企業別組合が法律上は任意結社に過ぎないため、代表されるべき労働者の利益が全てきちんと代表される保証がないことである。この問題が近年大きくクローズアップされたのが、いわゆる非正規労働者の問題であった。今や全労働者の4割に近づくほど増加した非正規労働者に対して、これまでの企業別組合は自分たちの仲間だと認めず、組合への加入を拒否してきた。最近でこそ積極的にパートの組織化を進める組合も出てきたが、なお圧倒的に未組織の状況にある。正社員の利益を代表する企業別組合に自分の利益を代表してもらえない非正規労働者は誰を頼ったらよいのだろうか。公的な従業員代表制が存在しない日本では、頼るべき相手はいない。

 この問題が近年大きくクローズアップされ、一部のマスコミによって、企業別組合は正社員の既得権を守る守旧派に過ぎず、企業外部の合同労組やコミュニティ・ユニオンといった団体こそが非正規労働者の利益を代表する組織であるという認識が流されたことは記憶に新しい。いわゆる企業外ユニオンが行っていることは、実質的には解雇・雇止めやいじめ・嫌がらせといった個別労働紛争を労働者側に立って解決していくという行動であり、その解決手数料を組合費として徴収することで成り立っているビジネスモデルである。それが成り立っているのは、多くの非正規労働者や中小企業労働者が企業別組合の従業員代表機能によって守られることになっていないため、擬似的に集団的労使関係モデルを適用することによって、その解決のための道具立てを活用することができるようになるからである。そうである以上、そのビジネスモデルを労働組合法の本来の趣旨と異なるというだけの理由で責めてみても、代わるべき仕組みを提示しない限り説得的な議論になならないだろう。

 第三に、日本の労働法制自体は欧米型のモデルに従って形成されているため、企業別組合が現実に果たしている従業員代表機能を法的に担保する仕組みは実はほとんど存在していないことである。労働組合法や労働関係調整法が保護しようとしている労働組合の活動とは、欧米と共通の労働条件設定機能に関わる活動であり、それゆえ賃金その他の労働条件について団体交渉したり、ストライキその他の団体行動に出ることについては手厚い保護がされているが、企業経営そのものに組合が関与することに対しては保護を及ぼしていない。

 これは大変逆説的な事態である。日本の企業別組合はその出発点において極めて包括的かつ強力な経営参加権を勝ち取り、その後それが労使協議制に再編されていくという経過から、企業経営への関与こそが労働組合活動の中心的位置を占めるという状況が形成されてきたにもかかわらず、半世紀以上前に欧米をモデルに作られた労働組合法はなんらそれを担保していないのである。逆説的というのは、労働組合法は労働条件設定における対立的労使関係を前提として、そこにおける労働組合活動を強化するための不当労働行為制度は完備したが、それが企業経営への関与の担保とはならないからである。従って、企業別組合がある場合であっても、企業経営への関与は協調的労使関係が維持されている限りでの事実上のものに過ぎず、法律上担保されたものではない。経営側が一方的に敵対的労使関係に移行し、企業別組合への経営情報の提供や協議を拒否してきたとしても、それ自体をとがめ立てする根拠はないのである。

 労働組合自体は法律通り企業外部の存在であるヨーロッパ諸国において、それとは別の従業員代表機関に企業経営に関わる情報や協議を受ける権利が法的に与えられていることと比較すると、まことに逆説的というほかはない。

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