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2012年4月

こういう勘違いが未だに・・・

http://twitter.com/#!/pinstsuit/status/196912222914621440

「身分保障」を止めるべきです。戦後,労働三権を制限する代わりに,人事院を作って身分保障を認めたのが,現在の公務員制度です。スト権を認めてあげればよいだけのことです。解雇できないなんて,絶対におかしい。

たぶん、世の中に横行する議論の圧倒的大部分は、こういう勘違いに立脚していると思われますが。

労働基本権を制限する代わりに認められたのは、団体交渉しなくても人事院勧告で給与が決まるということであり、それだけであって、身分保障とは何の関係もありません。

そもそも、「身分保障」というのは、

第七十五条  職員は、法律又は人事院規則に定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、休職され、又は免職されることはない。

 職員は、人事院規則の定める事由に該当するときは、降給されるものとする。

という、当たり前のことでしかなく、

その「法律に定める事由」には、

第七十八条  職員が、次の各号に掲げる場合のいずれかに該当するときは、人事院規則の定めるところにより、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる。

 人事評価又は勤務の状況を示す事実に照らして、勤務実績がよくない場合
 心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合
 その他その官職に必要な適格性を欠く場合
 官制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合

と、ジョブ型雇用システムを前提とすれば極めて当然の事由が定められています。

こういうことをわきまえずにあれこれ論ずる人が多いのが、公務員問題の一番情けないところなのでしょう。

こういう「身分保障」とは一切関係ない次元において、「労働基本権」を回復する代わりに、人事院勧告で給与が決まるという仕組みをやめて団体交渉で決めるようにしようという「だけ」の話が、いわゆる公務員制度改革というものなのであって、それをどう考えるかにはいろいろの考え方があるでしょうが、それを身分保障と結びつけて論じた瞬間に、それはいかなる意味においてもトンデモになります。

そういう常識をわきまえて論じられる議論の圧倒的な少なさが、問題の根源でもあるわけですが。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-95c8.html(現行法でも公務員は整理解雇できます(追記あり))

・・・ですから、「オレ様の言うことをきかねえからクビだ」というような無理無体なことに対しては、きちんと身分保障がされていますが、当該ジョブがなくなったというのであれば、当然その公務員を免職(=解雇)できることが定められています。

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EUの道路運送事業労働時間指令について

例のバス事故をめぐっていろいろ論じられているようですが、とりあえず関連するEU指令の条項を。

Directive 2002/15/EC of the European Parliament and of the Council of 11 March 2002 on the organisation of the working time of persons performing mobile road transport activities

Article 7 Night work

1. Member States shall take the measures necessary to ensure that:

- if night work is performed, the daily working time does not exceed ten hours in each 24 period,

移動型道路運送事業に従事する者の労働時間の編成に関わる欧州議会と閣僚理事会の指令(2002年3月11日)(2002/15/EC)

 第7条 夜間労働

 1 加盟国は以下を確保するのに必要な措置をとるものとする。

 - 夜間労働が遂行される場合、毎日の労働時間は24時間につき10時間を超えないこと。

「超えないこと」ってのは、いうまでもなく、残業代を払おうが何しようが、とにかく物理的に超えてはいけないという意味であることは、もちろんです。

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「緊縮の罠」から抜け出せるのか?ILO世界労働レポート

Ilo_2国際労働機構(ILO)が本日、「World of Work Report 2012」を公表しました。

本体は

http://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---dgreports/---dcomm/documents/publication/wcms_179453.pdf

要約は

http://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---dgreports/---dcomm/documents/publication/wcms_179450.pdf

です。

今回の報告のタイトルはは「Better jobs for a better economy」(より良い経済のためのより良い仕事)ですが、それよりむしろ、冒頭のタイトル

How to move out of the austerity trap?

緊縮の罠からいかにして抜け出せるのか?

が、現在の世界経済が陥った「罠」を良く言い表しているように感じられました。

Since 2010, and despite the job-friendly statements in successive G20 meetings and other global forums, the policy strategy has shifted its focus away from job creation and improvement and concentrated instead on cutting fiscal deficits at all costs. In European countries, cutting fiscal deficits has been deemed essential for calming financial markets. But even in countries which have not suffered from the effects of the crisis this remedy is being applied for pre-emptive reasons – fiscal deficits are being reduced to avert any negative reactions from financial markets. This approach was intended to pave the way for greater investment and growth, along with lower fiscal deficits.

2010年以来、雇用にやさしい宣言が繰り返されたにもかかわらず、政策戦略の焦点は雇用創出と改善から離れ、いかなるコストを払っても財政赤字をカットする方向にシフトした。ヨーロッパ諸国では財政赤字削減が金融市場をなだめるために必須とみなされた。しかしながら、危機の影響を受けなかった諸国ですらこの処方箋は予防的見地から取られている。このアプローチは財政赤字を縮小しつつ投資と成長を拡大することを意図している。

In addition, as part of the policy shift, the majority of advanced economies have relaxed employment regulations and weakened labour market institutions (Chapter 2), and more deregulation measures have been announced. These steps are being taken in the hope that financial markets will react positively, thereby boosting confidence, growth and job creation.

加えて、政策シフトの一環として、先進諸国の多数は雇用規制を緩和し、労働市場機構を弱体化させ、さらなる規制緩和が公表されている。これらのステップは金融市場がポジティブに反応し、信任と成長と雇用創出を産み出してくれるという希望に基づいている。

However, these expectations have not been met. In countries that have pursued austerity and deregulation to the greatest extent, principally those in Southern Europe, economic and employment growth have continued to deteriorate. The measures also failed to stabilize fiscal positions in many instances. The fundamental reason for these failures is that these policies – implemented in a context of limited demand prospects and with the added complication of a banking system in the throes of its “deleveraging” process – are unable to stimulate private investment. The austerity trap has sprung. Austerity has, in fact, resulted in weaker economic growth, increased volatility and a worsening of banks’ balance sheets leading to a further contraction of credit, lower investment and, consequently, more job losses. Ironically, this has adversely affected government budgets, thus increasing the demands for further austerity. It is a fact that there has been little improvement in fiscal deficits in countries actively pursuing austerity policies (Chapter 3).

しかしながら、こういった期待は満たされることはなかった。緊縮と規制緩和を最大限に追及した諸国、とりわけ南欧諸国では、経済と雇用情勢は悪化し続けた。財政状況を安定化させようとする措置はことごとく失敗した。こうした失敗の根本的理由は、これら政策が民間投資を刺激できなかったことにある。緊縮の罠はひび割れた。緊縮政策は、現実には、経済成長の劣化、不安定さ、銀行のバランスシートの悪化をもたらし、さらなる信用収縮、投資の減少を導き、結果としてさらなる失業の増加をもたらした。皮肉なことに、これは政府の財政に悪影響を及ぼし、そのためさらなる緊縮政策への要請を増大させる。つまるところ、緊縮政策を一生懸命追及した諸国において財政赤字はほとんど改善していないのだ。

等々と、縷々述べた後で、

It is possible to move away from the austerity trap.・・・

緊縮の罠から抜け出すことは可能だ。・・・

と論じていきます。さて、読者諸氏はどう考えるでしょうか。

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川口美貴『労働者概念の再構成』

Jpg4f90b3a291170川口美貴『労働者概念の再構成』(関西大学出版部)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.kansai-u.ac.jp/Syppan/product/detail_product.php?control=2&tbl_product_autono=520

さてこの本、タイトル通り、労働者概念、近年話題の「労働者性」の問題について、460頁を超える大分量でもって微に入り細をうがって、かつ他の研究者の遠く及ばぬ極めてラディカルな説を展開した文字通りの大著です。

目次を一瞥しただけでも、

 序 本書の目的・構成・基本的視点と結論・用語と表現
第1部 総論
 第1章 前提的考察
 第2章 労働法の対象とする労働者
  第1節 問題の所在 第2節 従来の学説と批判的検討 第3節 労働法の対象とする労働者の再構成
第2部 各論
 第1章 客観的基準・要件による契約締結前の決定
 第2章 労働基準法上の労働者
  第1節 前提的検討 第2節 法制の沿革 第3節 行政解釈・労基研報告・学説・判例 第4節 労働基準法上の労働者概念の再構成
 第3章 労働契約法上の労働者
  第1節 前提的検討 第2節 法制の沿革 第3節 行政解釈・学説・裁判例 第4節 労働契約法上の労働者の再構成
 第4章 労働組合法上の労働者
  第1節 前提的検討 第2節 法制の沿革 第3節 行政解釈・学説・命令・判例・労使関係法研究会報告 第4節 労働組合法上の労働者概念の再構成
 第5章 労務供給者の類型別検討
  第1節 問題の所在 第2節 労働者性の判断 第3節 外勤型
  第4節 運動・芸術・芸能型 第5節 対人サービス型 第6節 技術・技能・専門職型
  第7節 看護・介護・育児・保育・家事労働型 第8節 運送型 第9節 建設土木・林業型
  第10節 家内労働・在宅勤務型 第11節 親族型 第12節 シルバー人材センター型
  第13節 研修・実習型 第14節 店舗経営型 第15節 経営者型
 総括 労働者概念の再構成・本書の意義・立法論上の課題
資料編
 資料Ⅰ 労働基準法研究会報告
 資料Ⅱ 労働基準法研究会労働契約等法制部会
           労働者性検討専門部会報告
 資料Ⅲ 労使関係法研究会報告
[追補] ビクターサービスエンジニアリング事件最高裁判決
       (2012〈平成24〉年2月21日)の意義と評価

その大著ぶりが窺えるでしょう。

既に雑誌論文等で知られているところですが、川口さんの説は、

労働法分野及び労働基準法・労働契約法・労働組合法の対象とする労働者に関して、法制の沿革を考察し、使用従属性を判断基準とする従来の行政解釈・学説・判例を批判的に検討する。また自ら他人に有償で労務を供給する者であること及び交渉の非対等性を基本的判断基準として、法理論を体系的に再構成し、労務供給者の類型別に再検討する。

ひと言で言うと、労働基準法の労働者も、労働契約法の労働者も、労働組合法の労働者も、事業に使われるか、失業者も含むかといったことを除けば、全て「自ら他人に有償で労務を提供する自然人」という単一の基準で判断されるべきという説であり、裏側からいえば、独立事業者や独立労働者でない限り全て労働法上の労働者になるというラディカルな説です。

その批判の刃は、労働基準法や労働契約法の労働者について人的従属性、すなわち指揮命令関係を基準とする多くの学説をなで切りにするだけではなく、労働組合法の労働者について組織的従属性や労働条件の一方的決定などを基準とする近年の学説をも「失当」と片っ端から叩いていくというもので、読んでいてまことに爽快ではありますが、そこまでついていけるかというと、たぶん多くの研究者は立ち止まってしまうだろうな、という感じがします。

わたくしとしては、一つの法律の「労働者」概念は一つというのは法解釈のあり方として当然かも知れないけれど、法のそれぞれの規定の立法目的を考えるとそれでいいのか、という疑問がむしろ大きいですね。

実は、川口理論が一番素直に適用できるのは労働組合法3条の(7条とは区別された)労働者概念だと思います(と、区別することを川口さんは否定するわけですが)。

独立事業者でない限り、指揮命令を受けていなかろうが、組織に組み込まれていなかろうが、働く者が団結して組合を作って何事かを要求して、行動を起こすということ自体を否定する必要はないと思います。それに企業者側が自発的に応じる分には文句を言う必要はない。文句を言う必要があるのは、つまり国家権力がそれを抑圧する方向に介入する必要があるのは、それが独占禁止法に反する事業者のカルテル行為になる場合でしょう。

しかし、それに対し企業者側が団体交渉に応じないことを不当労働行為として国家権力がそれを促進する方向に介入するべきかどうかとなると、やはりそれだけではまずいのではないかと思うわけです。

さらに、労働基準法のように、国家権力が司法警察権限を振りかざして(ほとんど使わないとはいえ逮捕権までありますからね)介入するとなると、川口理論で突っ走れるかというと、なかなか難しいのではないかと。

逆に、労働契約法みたいに行政権としての国家権力が介入することを予定しない場合には、また別のやり方があるかも、という気もしますが。

こういう法のエンフォースメント方法に着目すると、川口さんのあまりにも美しくも整合的な理論体系はやや概念的に過ぎるようにも思われるのです。

しかしいずれにしても、本書は労働者概念について論じようとするならば必ず参照されるべき大著であることは確かだと思います。

(参考)

ちなみに、わたくしは『中央労働時報』2012年3月号のGABA事件の評釈で、この事案についての論評の後で、やや一般論として、次のように論じています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roui1203.html

2 労組法上の労働者性再考

(1) 以上は、近年の議論に沿った形で本件決定を評釈したものであるが、実はより突っ込んで考えると、最高裁二判決やソクハイ事件中労委命令でかなり明確に示され、多くの論者から妥当な判断要素として評価されている「会社組織における不可欠性」や「契約内容の一方的決定」が、なにゆえに労組法上の労働者性の判断要素であるのか、という根本的な点にいささか疑問が生じる。

(2) そもそもこれら要素は何を示すものなのであろうか。菅野和夫によれば、これらは「使用従属性と連続的な労組法独自の判断要素」であり、「団体交渉の保護を及ぼす必要性と適切性という基本的視点からの独自の判断要素」であるが、それは「企業の業務遂行に不可欠の労働力として事業組織に組み込まれており、労働条件が一方的・定型的に決定されている労務供給関係こそが、労組法の予定する団体交渉による労働条件の集団的決定システムが必要・適切である典型的労働関係といえるから」である*1。
 ここでは、労働組合法という集団的労使関係システムが適用されるべき対象の持つ「集団性」が、企業組織の集団性として捉えられている。それは言い換えれば、秋北バス事件最高裁判決(最大判昭43.12.25民集22.13.3459)がいう「経営上の要請に基づき、統一的かつ画一的に決定され、労働者は、経営主体が定める契約内容の定型に従って、附従的に契約を締結せざるを得ない立場」であり、労働者性の議論においては「組織的従属性」と呼ばれてきたものである。それが労働に関わる一つの「集団性」であることは確かであるが、労組法が本来想定する「集団性」であるかどうかは別の問題である。
 こうした企業組織の「集団性」に着目した枠組みは、西欧の枠組みでいえば従業員代表組織やそれが締結する経営協定であり、日本でいえば過半数組合/過半数代表者、労使委員会やそれが協議を受け、締結する就業規則、労使協定であって、私的結社たる労働組合やその締結する労働協約の「集団性」とは次元が異なると考えるのが、少なくともこれまでの集団的労使関係法の発想であったのではなかろうか。

(3) その発想を前提にする限り、企業組織の「集団性」を無批判に労組法上の労働者性の判断要素に持ち込むことは、本来批判されるべきことのはずである。実際、豊川義明は港湾労働をめぐる団体交渉や労働協約を例に挙げて、そこでは「労働者の特定企業への「組み込み」は想定しがた」いと主張している*2。企業を超えたレベルで団体交渉を行い、労働協約を締結するという西欧的な労働組合モデルを前提とする限り、集団的労使関係システムが適用されるべき対象の持つ「集団性」とは、何よりも労働組合に組織され、労働組合の締結した労働協約に拘束されることを受け入れているという労働者側の「集団性」であろう。この「集団性」には、少なくとも企業組織の側からは限界は存在しない。限界は、その「集団性」が独占禁止法上の「不当な取引制限」となるところで画される。言い換えれば、私的結社としての労組法上の労働者性の判断基準は、事業者でないことに尽きるはずである。実際、不当労働行為救済制度を持たない西欧では、自営労働者が労働組合を組織することは(独禁法違反とならない限り)ごく普通に見られる。

(4) このような、従業員代表組織として必要な企業組織の「集団性」と、私的結社たる労働組合に必要な「集団性」の概念上の峻別は、しかしながら労働組合が従業員代表組織として機能してきた日本の労働社会では自明ではない、というのが、実はこの問題の背後にある最大の問題なのではなかろうか。ほとんどもっぱら企業レベルで組織され、交渉を行う日本の企業別組合にとって、企業を超えた「集団性」など存在せず、むしろ企業組織の「集団性」こそがその立脚基盤である。これに加えて、不当労働行為救済制度は、その源流であるアメリカ法が交渉単位ごとの排他的交渉代表制をとっていたことを考えれば、むしろ企業組織の「集団性」を前提とする制度という面が強いとも言いうる。菅野の「労働条件が一方的・定型的に決定されている労務供給関係こそが、労組法の予定する団体交渉による労働条件の集団的決定システムが必要・適切である典型的労働関係」という説明は、この状況を前提にする限り、まさに現実に即したものとなる*3。

(5) しかしながら、話はそこで終わらない。過半数原理に立脚し、公正代表義務を伴うアメリカの団体交渉制度と異なり、複数組合平等主義に立脚するとされる日本の団体交渉制度は、企業組織の「集団性」に立脚していない企業外部の私的結社にも、企業に団体交渉に応じるよう要求する権利を認めているからである。いわゆる合同労組事案や、とりわけ駆け込み訴え事案において、「労組法の予定する団体交渉による労働条件の集団的決定システムが必要・適切である」根拠がどこにあるのか、原理的には大きな問題を孕んでいるはずである。本件は、880名のインストラクターのうち10名のみが加盟する典型的な合同労組事案であり、本件団交が労働条件を集団的に決定するという意味での「労組法の予定する団体交渉」でありうるのかどうか、という問題は論じられる必要がある*4。

(6) 以上を近年の議論の枠組みで言えば、労組法3条の労働者性は企業を超えた私的結社たる労働組合の「集団性」に立脚し、それゆえ事業者性という消極的要素によってのみ限界を画されるが、労組法7条の労働者性は企業組織自体の「集団性」に立脚するがゆえに、組織的従属性を最重要の判断要素とする、ということになるであろう。

(7) さらに付記すれば、以上の議論は労基法上の労働者性概念にも影響を与える。労基法上の就業規則や労使協定を企業組織の「集団性」に立脚した一種の集団的労使関係システムと捉えるならば、これらに関わる労働者性は、労組法7条の労働者性と同様、組織的従属性を最重要の判断要素とすべきことになるはずである。これに対し、工場法に由来する(物理的)労働時間、安全衛生、労災補償といった諸規定は、工場法制定時の発想に立ち戻れば、「雇傭関係ノ存在ハ必要ノ条件ニ在ラス ・・・仮ヘハ工業主カ他人ヲシテ一定ノ作業ヲ請負ハシメ其ノ請負者カ自ラ雇傭シタル職工ヲ連レ来リテ作業ヲ為ス場合、又ハ斯ノ如キ請負関係ナク唯単ニ他人ヲシテ労働者ヲ供給セシメ、其ノ供給者ニ於テ賃金ノ支払其ノ他ノ世話ヲ為ス場合ニ於テモ、此等ノ労働者カ前陳フル所ニ依リ工場内ニ於テ工業主ノ仕事ニ従事スル以上ハ孰モ其ノ工業主ノ職工タルヘキモノ」*5である*6。

(8) すなわち、労働法上の労働者性を、異なる性質の規定が混在する法典ごとに考えるのではなく、規定の性質に基づき、物理的な作業への従事に着目したもの、企業組織への組み入れに着目したもの、私的結社への団結に着目したものに3分類すべきということになる。これに対して、契約の終了/存続をめぐる紛争のような個別契約上の問題は、労働者性の判断が直ちに結論を分けるのではなく、継続的契約関係の保護の問題としてとらえるべきであろう*7。

これも相当に異端の考え方だと思いますが。

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法学部生でも大部分は読まないでしょうが・・・

上西充子さんが、本ブログで以前書いた法政での授業についてついーとされています。

http://twitter.com/#!/mu0283

この発言の背景にはメアリー・C・ブリントン『失われた場を探して―ロスト・ジェネレーションの社会学』を読んだときの感慨がある。アメリカの子どもは、近所の知り合いの家でのベビーシッターなど、信頼関係によって守られた中で働く経験を始める。

一方で日本の高校生・大学生は、最初の就労経験であるアルバイトによって、世の中が矛盾に満ちていることを知ってしまう。そして、働くことに諦めを最初に抱いてから就職して本格的に社会人になっていく。そのことがいかに不幸なことであるかを日米比較の中で感じたのだ。

今、手元に本がないので正確に引用できないが、ブリントンのこの本の中では「企業の不当行為から若者を守る」という提案がなされていたはず。「企業の不当行為から若者を守る」ことができていない中で「働くことの厳しさ」への覚悟を若者に求めるのは間違っている。

2010年10月に、自分が従事しているアルバイトについて、授業中に大学生にアンケート調査をしたことがある(回答者58名:2年生26名、3年生29名、4年生3名)(調査結果は公表していません・・)

雇用される際、労働条件を記載した書面を交付されたかの問いに対し「交付され、保管している」25名、「交付されたが、保管していない」6名、「書面を見せられたが、渡されなかった」4名、「書面はなく、口頭での説明だけだった」14名、「よく覚えていない」7名、「何も説明されていない」2名。

まともな例では、「契約時、契約更新時に印を押し、1枚保管用として交付された」など。問題のある例では「仕事の内容等は詳しく説明されましたが、雇用の話は2人に1枚の紙を見せて少し読んだという記憶しかなく、さらっとながしていたと思います」など。

事前にネットなどの求人情報で把握していた労働条件と実際の労働条件が同じだったかという問いに対しては、「同じだった」25名、「ほぼ同じだった」18名、「かなり違っていた」8名、「よく覚えていない」1名、「労働条件は事前に把握していなかった」5名、「無回答」1名。

問題のある例では、(1)ネットでの募集要項は時給1000円と書かれていたが、実際に入ったら950円で、店長に話を聞いたら「社長にネットの記載を直すように言ってるんだけどね」となんとなく話を流された例(労働条件は口頭での説明のみ)、

(2)働き始めた月の給料から制服代として3000円引かれるのを働くのが決まってから知った例(労働条件は口頭での説明のみ)、(3)毎日1時間ぐらいの時給は認定してもらえない、やめた月には給料をもらえなかった例(労働条件は口頭の説明のみ)

(4)はじめ1か月ほど研修時給830円、その後通常の時給850円になると言われたが、9か月目にやっと850円にあがり、差額は支払われていない、店長に言っても無視されたという例(労働条件については書面を見せられたが渡されず)、など。

労働条件を記載した書面をちゃんと交付していないところでは、いいかげんな働かせ方がまかり通っている。「まともな例」もあることを知ることによって、自分の職場がまともじゃないんだ、ということを学生が知るきっかけにはなった。

しかしこの結果を受けて授業で濱口桂一郎さんにお話しいただいたところでは、なぜ権利を主張しないのかという濱口氏の問いかけに対し、それは無理という反応が多かった。

理由は、せっかく見つけた授業と両立できるアルバイト先を失いたくない、文句を言ってシフトを変えられたら困る、店長がものすごく働いているから自分だけ苦情を言うのは申し訳ない、など。

濱口氏コメント【その気になればいくらでもアルバイト先はあり、搾取されながら我慢し続けなければならない理由などなさそうに見えるのですが、意識構造はそうではないのです。まるで、「気分は正社員」。】

3401310http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-6887.html(気分は正社員?または権利のための闘争)

濱口氏が言及されたイェーリンク『権利のための闘争』(岩波文庫)【自分が権利を持つことを知らずに、または安逸と臆病から――いつまでも全く権利主張をしないでいるならば、法規は実際に萎え衰えてしまう】

「法学部であればみんな学ぶイェーリンクの『権利のための闘争』」と濱口氏は書いておられるが、他学部では確かに学ばない・・。

まったくどうでもいい話ではありますが、「法学部であればみんな学ぶイェーリンクの『権利のための闘争』」ってのは、言葉のはずみとはいえ過大評価もいいとこで、たぶん全国の法学部生の99%は「イェーリンクなにそれ食えるの?」でしょうね。つまり、法学部生も含めて、今の日本の大学生には「権利のための闘争」なんて恐ろしげな過激思想(!?)はほとんど縁もゆかりもないと思った方がいいと思います。

ちなみに、上西さんのついーとを遡っていくと、労働教育についてもつぶやいておられました。

(3)労働教育について。本日の濱名委員・松井委員の発表ではキャリア教育について基礎的・汎用的能力が中心的に言及されていた。

しかし2011年1月中教審答申「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」では重視すべき教育内容として「経済・社会の仕組みや労働者としての権利・義務等についての理解の促進」が挙げられていたことを指摘した。

同時に、この労働教育(労働法教育、ワークルール教育、等、呼び方は様々)は、本来はキャリア教育・職業教育、労働教育の3本柱となってもいいような重要な内容であるにもかかわらず、キャリア教育について語られる際には看過されがちであることを指摘した。

今日のクローズアップ現代「やめさせてくれない」でも、ワークルール教育の重要性がまとめのコメントの中で言及されていたわけで・・。労働教育をしなくても大丈夫な現状かと言えば、全然そうではないのが現状なのだから。

話はそれるがこの労働教育の重要性については厚生労働省の2009年2月「今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会報告書」が正面から取り上げている。座長は佐藤博樹先生、私は委員の一人で、今回のWGの委員である吉田委員からもヒアリングを行っていた。

この研究会の事務局には濱口桂一郎さんがいらした。この研究会を受けて、厚生労働省から「知って役立つ労働法」が作成され、ネットでPDFが公開されている。

この「知って役立つ労働法」、中高生版も企画されていたのに震災で中断されたままらしい。本日吉田委員から、ぜひ中高生版の作成も進めてほしい、高校生がアルバイト先に持って行って示せるようなものを、という要望が厚生労働省に示された。

厚生労働省2009今後の労働法関係制度をめぐる教育の在り方に関する研究会報告書:労働者自身が労働関係法制度の基礎的な知識を理解していない場合、労働者としての権利を行使することが困難であり、そもそも権利が守られているか否かの判断すらできない。

文部科学省2011「学校が社会と協働して一日も早くすべての児童生徒に充実したキャリア教育を行うために」:誤解をおそれずに分かりやすい言葉でいえば、”世の中の実態や厳しさ”を子どもたちに学ばせることも重要である。

この乖離にくらくらする・・。

いやまあ、厚労省と文科省の思想の乖離もありますが、それよりなにより、労働法の知識は何とか教え込んだとして、それを実際に自分の「権利のための闘争」の武器として使うという心の構え方がそもそもきわめて希薄なところにこそ、実のところは最大の問題があるのでしょう。

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春の叙勲

旭日大綬章 堺屋太一

旭日中綬章 栗本慎一郎

いや、これはあくまで、堺屋経済企画庁長官、栗本経済企画政務次官という政治家としての活動に対する叙勲であって、いかなる意味でもその書いた書物の中身に対する評価に関わるものではない・・・という理解で宜しいですよね。

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身体がデカイから解雇

河添誠さんのつぶやきで、

http://twitter.com/#!/kawazoemakoto/status/195768023330734080

いま、東京都労働委員会で事務局あっせん。靴や洋服の小売店で女性店長職の解雇。解雇理由が「やせなかったから」。ほんとうに、ひどい解雇。首都圏青年ユニオンから団交を申し入れたが、団交拒否されたので、都労委あっせんへ。こういう企業を徹底して許さない。応援に来た組合員も怒りまくり。

痩せなかったから・・・ということは、体型を理由とする解雇ということでしょうか。

Cover_no4そういうのも世の中には確かにあるわけで、たとえば『日本の雇用終了』から探すと、

・30096(正女)普通解雇(不参加)(14名、無)
 病院で受付を2日間しただけで、事務長から「うちの病院の雰囲気に合わない、てきぱきと動けていないので採用を取り消す」と言われ、「パートとしてなら診療補助で雇ってもいい」と言われて渋々承諾したが、そこでも2日間働いただけで「あなたは身長も高く、体もデカイため、他のスタッフと比べると目立つので、パートとしても要らない。明日からもう来なくてよい」と言われ、即日解雇された。
 会社側不参加のため事情がよく分からないが、体が大きく目立つから解雇という理由をまともに受け取れば、これは特殊な差別類型を構成する事案ともいえる。

身体がデカイから解雇というのも意味不明ですが。

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労働安全衛生も立派に労働問題

稲葉振一郎氏のなにげなつぶやきにあえて大袈裟に反応して見せますが、

http://twitter.com/#!/shinichiroinaba/status/196204580047032320

労働安全衛生がいわゆる労働問題の守備範囲でなくなって久しい

少なくとも、本日労働者祈念日を、日本の組合はともかく、欧州労連は忘れていなかったようですし、

http://twitter.com/#!/shinichiroinaba/status/196204693532319744

労働科学研究所は今どうなっているのであろうか。調べればわかるか。

http://www.isl.or.jp/service/90thkinen.html(公益財団法人労働科学研究所創立90周年記念特別企画 「働き方の近未来と新しい労働科学」)

http://twitter.com/#!/shinichiroinaba/status/196205088862244865

労働科学というのは労働の生理学心理学医学的研究であって安全衛生の研究も含みます。いつしか社会科学系の労働問題研究とはすみ分けるようになりました。

http://jsoh85.umin.jp/(第85回日本産業衛生学会)

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本日は労働者祈念日(Workers’ Memorial Day)

本日、4月28日は、3日前倒しのメーデーというだけではなくて、それ自体が労働者祈念日(Workers’ Memorial Day)です。ご存じでしたか?

http://www.etuc.org/a/9920

28 April 2012 - Workers’ Memorial Day

International Workers’ Memorial Day, remembers and honours those who have been killed, injured, or suffered ill-health due to their working conditions. It is an opportunity to highlight the preventable nature of most workplace accidents and to promote campaigns and union organisations which strive for continuous improvements in workplace health and safety.

国際労働者祈念日、その労働条件のために死んだり傷ついたり病いに苦しんだりしてきた者たちを思いだし、称える日だ。この機会にこそ、防げたはずの多くの労働災害に光を当て、職場の健康と安全を絶えず良くするべく頑張るキャンペーンと労働組合活動を促進しよう。

今日が労働者祈念日であるということは、その当日にメーデー中央大会をやっている連合も、5月1日にメーデーをやる全労連も、特に意識していないようです。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/index.html

http://www.zenroren.gr.jp/jp/index.html

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大阪ガールズバー労基法違反の罪状

既報の通り、

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120427/waf12042713520018-n1.htm(「ガールズバーどうですか」客引きは小6と中1! 大阪府警が店長ら逮捕)

小学6年生の女児(12)と中学1年生の女子生徒(13)をガールズバーで働かせたとして、大阪府警保安課は27日、労働基準法違反(最低年齢)などの疑いで、大阪市中央区のガールズバー「Ace(エース)」店長、原健次郎容疑者(25)=同市中央区を逮捕、送検したと発表した。

 逮捕、送検容疑は今年2月、15歳未満と知りながら、女児と女子生徒の2人に客引きをさせたとしている。同課によると、同店では女性店員が自分で勧誘した客を接待することになっていたが、女児らは勧誘できず、接待はしていないという。

この限り、ここでの労基法違反というのは、

第五十六条  使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない。

 前項の規定にかかわらず、別表第一第一号から第五号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。

56条違反のことだったわけですが、続報によると、

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042809000008-n1.htm(「遊び仲間に誘われ…」ガールズバーで客引きの12歳供述)

少女らは2月13、16両日、ミナミの繁華街・戎橋(えびすばし)周辺で客引き。同店は歩合制で、勧誘に成功すればそのまま店で接待する仕組みだったが、少女らに客は付かず、接客もしなかったため、給料は支払われていなかったという。

をいをい、完全歩合制による賃金不払いかよ。

第二十七条  出来高払制その他の請負制で使用する労働者については、使用者は、労働時間に応じ一定額の賃金の保障をしなければならない。

いや、客引き時間分の賃金を払えばよかったという問題でもないのでしょうが。

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宮本太郎氏のいらだち

Img_month『生活経済政策』5月号が届きました、特集は「社会保障・税一体改革に求められる課題」です。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/

  • 新しい国のかたちにつながる「一体改革」を-3つの連携へ/宮本太郎
  • 税・社会保障の逆機能と打開の道/大沢真理
  • 「一体改革」で求められる政府への信頼-自治体の取組みから信頼構築の可能性を考える/沼尾波子 
  • 増税の政治学/新川敏光

このうち、自公政権末期から、菅、野田政権期と、政府の社会保障改革に関わってきた宮本太郎氏の論考「新しい国のかたちにつながる「一体改革」を-3つの連携へ」は、最近の迷走ぶりにいささかいらだちを隠せない文章となっています。

「一体改革」をめぐる政局の形や報道においては、消費税増税の条件とタイミングのみが議論の前面に出ている。社会保障改革の内容やその意義は後景に退き、・・・個別の制度改革が脈絡なく浮上しその動向が報道される。断片的な報道からは、進行している改革の全体像を把握することは到底できず、そもそも政府が取り組んでいるのが社会保障の機能強化なのか削減なのかも判然としない。政治家から社会保障改革のための全体像が語られることもほとんどない。やはり、社会保障改革など増税のための口実なのではないかという受け止め方が広がっても不思議ではない。

しかし、日本社会の形の転換につながる社会保障改革こそ、「一体改革」の基軸であり税制改革はそのような社会を実現する手段であるはずである。・・・

ここには、畢竟するところ、社会保障改革の意義を認めないガチ増税派と社会保障改革の意義を認めないガチ反増税派の不毛な対立図式にばかり政治家やマスコミの注目が集中し、本来一番肝心なはずの社会保障改革が「そんなつまらねえことは知らねえ」とばかり抛り捨てられる現状に対するいらだちが、かなり抑えた筆致とはいえ噴出しかかっているように見えます。

・・・社会保障政策と雇用政策、成長戦略が一体のものとして追及されなければならない、ということを意味する。

しかし現実はまったくそうなっていないので、

その結果、社会保障改革が雇用の創出や成長のてことなる可能性は封じられ、相変わらず成長戦略や雇用論議は別立てにとどまり、経済再生への具体的展望のないまま、「景気低迷の時の増税や社会保障改革など常軌を逸している」といった議論がまかり通るのである。

「まかり通る」この手の議論に対する宮本氏のいらだちが伝わってきます。

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精神的不調による欠勤者の諭旨退職処分が無効とされた最高裁判決

新聞等でも報道されている日本ヒューレット・パッカード事件の最高裁判決ですが、

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120427135603.pdf

原審の適法に確定した事実関係等によれば,被上告人は,被害妄想など何らかの精神的な不調により,実際には事実として存在しないにもかかわらず,約3年間にわたり加害者集団からその依頼を受けた専門業者や協力者らによる盗撮や盗聴等を通じて日常生活を子細に監視され,これらにより蓄積された情報を共有する加害者集団から職場の同僚らを通じて自己に関する情報のほのめかし等の嫌がらせを受けているとの認識を有しており,そのために,同僚らの嫌がらせにより自らの業務に支障が生じており自己に関する情報が外部に漏えいされる危険もあると考え,上告人に上記の被害に係る事実の調査を依頼したものの納得できる結果が得られず,上告人に休職を認めるよう求めたものの認められず出勤を促すなどされたことから,自分自身が上記の被害に係る問題が解決されたと判断できない限り出勤しない旨をあらかじめ上告人に伝えた上で,有給休暇を全て取得した後,約40日間にわたり欠勤を続けたものである。

このような精神的な不調のために欠勤を続けていると認められる労働者に対しては,精神的な不調が解消されない限り引き続き出勤しないことが予想されるところであるから,使用者である上告人としては,その欠勤の原因や経緯が上記のとおりである以上,精神科医による健康診断を実施するなどした上で(記録によれば,上告人の就業規則には,必要と認めるときに従業員に対し臨時に健康診断を行うことができる旨の定めがあることがうかがわれる。),その診断結果等に応じて,必要な場合は治療を勧めた上で休職等の処分を検討し,その後の経過を見るなどの対応を採るべきであり,このような対応を採ることなく,被上告人の出勤しない理由が存在しない事実に基づくものであることから直ちにその欠勤を正当な理由なく無断でされたものとして諭旨退職の懲戒処分の措置を執ることは,精神的な不調を抱える労働者に対する使用者の対応としては適切なものとはいい難い。

そうすると,以上のような事情の下においては,被上告人の上記欠勤は就業規則所定の懲戒事由である正当な理由のない無断欠勤に当たらないものと解さざるを得ず,上記欠勤が上記の懲戒事由に当たるとしてされた本件処分は,就業規則所定の懲戒事由を欠き,無効であるというべきである。

『ジュリスト』最新号に長谷川珠子さんが原審の高裁判決の評釈を書かれたところなので、それを参照しながら読むといいかもしれません。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/018600

[労働判例研究]
◇精神的不調が疑われる従業員の欠勤を理由とする懲戒処分の有効性――日本ヒューレット・パッカード事件――東京高判平成23・1・26●長谷川珠子……127

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日本型労使コミュニケーションシステムの落とし穴

全国社会保険労務士連合会の月刊誌『月刊社労士』4月号に、「日本型雇用システムの中の労使コミュニケーション」を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sharoushi1204.html

いささか長いので、そのうちやや分析的な記述になっている「2 日本型労使コミュニケーションシステムの落とし穴」の部分だけを、こちらにアップしておきます。

2 日本型労使コミュニケーションシステムの落とし穴

 ここまで読むと、日本型労使コミュニケーションシステムは大変素晴らしいものであるように思えるかも知れないが、実はいくつかの問題点が伏在している。

 まず第一に、ヨーロッパ諸国では公的な従業員代表制度が担っている機能を、日本では法律の建前上は私的結社に過ぎない労働組合が全面的に担っていることである。労働者は誰でも労働組合を結成する権利を与えられているが、逆に個々の企業の労働者がその権利を自発的に行使しない限り、誰も彼らのために労働組合を作ってくれるわけではない。そして、従業員代表機能をほぼ全面的に企業別組合に委ねてきたために、企業別組合が存在しない限り、それに代わりうる従業員代表機関は存在しないことになる。 日本において、企業別組合は規模1000人以上の大企業ではなお半分くらい存在しているが、100人~1000人規模の中堅企業では1割台であり、100人未満の中小零細企業では1%に過ぎない。つまり、日本型雇用システムとはいっても、圧倒的大部分の企業は教科書的な意味で「日本型」ではなく、日本型の労使コミュニケーションが行われているわけでもない。中小零細企業になればなるほど「日本型」でなくなるというのは一見いかにも皮肉に見えるが、上述のような仕組みが作り上げられるに至った歴史的経緯を振り返れば納得できるであろう。

 もともと日本の労働社会は労使間に密接なコミュニケーションがあったわけではなく、産業革命期以来、とりわけ戦後ある時期までに繰り返された激しい労働争議の波の中で、労使双方が対立的労使関係を反省し、ともに企業を支える一員という相互認識に基づいて密接な労使コミュニケーションを確立してきた。そのため、こういった試練をくぐり抜けることの少なかった中小零細企業になればなるほど、使用者側には労働者は命じられたままに働けばよいという古典的な発想が色濃く残り、意識的に労使コミュニケーションを図っていかなければならないという発想は薄れていくことになる。もちろん中小零細企業であるから、労働者との個人的なコミュニケーションは大企業に比べて遥かに濃密な面があるが、それは必ずしも企業を支える対等な一員という認識に基づくものではなく、むしろ古典的な主従意識に近い面すらある。

 第二に、従業員代表機能を担う企業別組合が法律上は任意結社に過ぎないため、代表されるべき労働者の利益が全てきちんと代表される保証がないことである。この問題が近年大きくクローズアップされたのが、いわゆる非正規労働者の問題であった。今や全労働者の4割に近づくほど増加した非正規労働者に対して、これまでの企業別組合は自分たちの仲間だと認めず、組合への加入を拒否してきた。最近でこそ積極的にパートの組織化を進める組合も出てきたが、なお圧倒的に未組織の状況にある。正社員の利益を代表する企業別組合に自分の利益を代表してもらえない非正規労働者は誰を頼ったらよいのだろうか。公的な従業員代表制が存在しない日本では、頼るべき相手はいない。

 この問題が近年大きくクローズアップされ、一部のマスコミによって、企業別組合は正社員の既得権を守る守旧派に過ぎず、企業外部の合同労組やコミュニティ・ユニオンといった団体こそが非正規労働者の利益を代表する組織であるという認識が流されたことは記憶に新しい。いわゆる企業外ユニオンが行っていることは、実質的には解雇・雇止めやいじめ・嫌がらせといった個別労働紛争を労働者側に立って解決していくという行動であり、その解決手数料を組合費として徴収することで成り立っているビジネスモデルである。それが成り立っているのは、多くの非正規労働者や中小企業労働者が企業別組合の従業員代表機能によって守られることになっていないため、擬似的に集団的労使関係モデルを適用することによって、その解決のための道具立てを活用することができるようになるからである。そうである以上、そのビジネスモデルを労働組合法の本来の趣旨と異なるというだけの理由で責めてみても、代わるべき仕組みを提示しない限り説得的な議論になならないだろう。

 第三に、日本の労働法制自体は欧米型のモデルに従って形成されているため、企業別組合が現実に果たしている従業員代表機能を法的に担保する仕組みは実はほとんど存在していないことである。労働組合法や労働関係調整法が保護しようとしている労働組合の活動とは、欧米と共通の労働条件設定機能に関わる活動であり、それゆえ賃金その他の労働条件について団体交渉したり、ストライキその他の団体行動に出ることについては手厚い保護がされているが、企業経営そのものに組合が関与することに対しては保護を及ぼしていない。

 これは大変逆説的な事態である。日本の企業別組合はその出発点において極めて包括的かつ強力な経営参加権を勝ち取り、その後それが労使協議制に再編されていくという経過から、企業経営への関与こそが労働組合活動の中心的位置を占めるという状況が形成されてきたにもかかわらず、半世紀以上前に欧米をモデルに作られた労働組合法はなんらそれを担保していないのである。逆説的というのは、労働組合法は労働条件設定における対立的労使関係を前提として、そこにおける労働組合活動を強化するための不当労働行為制度は完備したが、それが企業経営への関与の担保とはならないからである。従って、企業別組合がある場合であっても、企業経営への関与は協調的労使関係が維持されている限りでの事実上のものに過ぎず、法律上担保されたものではない。経営側が一方的に敵対的労使関係に移行し、企業別組合への経営情報の提供や協議を拒否してきたとしても、それ自体をとがめ立てする根拠はないのである。

 労働組合自体は法律通り企業外部の存在であるヨーロッパ諸国において、それとは別の従業員代表機関に企業経営に関わる情報や協議を受ける権利が法的に与えられていることと比較すると、まことに逆説的というほかはない。

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財やサービスは積み立てられない

784241_l社会保険研究所の月刊誌『年金時代』5月号に、「財やサービスは積み立てられない」を寄稿しました。

中身は、本ブログで折に触れ書いてきたことですが。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/nenkinjidai1205.html

 この期に及んで、未だに賦課方式ではダメだから積立方式にせよなどという、2周遅れ3周遅れの議論を展開する人々が跡を絶たないようです。

 この問題は、いまから十年前に、連合総研の研究会で正村公宏先生が、「積立方式といおうが、賦課方式といおうが、その時に生産人口によって生産された財やサービスを非生産人口に移転するということには何の変わりもない。ただそれを、貨幣という媒体によって正当化するのか、法律に基づく年金権という媒体で正当化するかの違いだ」(大意)といわれたことを思い出させます。

 財やサービスは積み立てられません。どんなに紙の上にお金を積み立てても、いざ財やサービスが必要になったときには、その時に生産された財やサービスを移転するしかないわけです。そのときに、どういう立場でそれを要求するのか。積立方式とは、引退者が(死せる労働を債権として保有する)資本家としてそれを現役世代に要求するという仕組みであるわけです。

 かつてカリフォルニア州職員だった引退者は自ら財やサービスを生産しない以上、その生活を維持するためには、現在の生産年齢人口が生み出した財・サービスを移転するしかないわけですが、それを彼らの代表が金融資本として行動するやり方でやることによって、現在の生産年齢人口に対して(その意に反して・・・かどうかは別として)搾取者として立ち現れざるを得ないということですね。

 「積立方式」という言葉を使うことによって、あたかも財やサービスといった効用ある経済的価値そのものが、どこかで積み立てられているかの如き空想が頭の中に生え茂ってしまうのでしょうか。

 非常に単純化して言えば、少子化が超絶的に急激に進んで、今の現役世代が年金受給者になったときに働いてくれる若者がほとんどいなくなってしまえば、どんなに年金証書だけがしっかりと整備されていたところで、その紙の上の数字を実体的な財やサービスと交換してくれる奇特な人はいなくなっているという、小学生でも分かる実体経済の話なのですが、経済を実体ではなく紙の上の数字でのみ考える癖の付いた自称専門家になればなるほど、この真理が見えなくなるのでしょう。

 従って、人口構成の高齢化に対して年金制度を適応させるやり方は、原理的にはたった一つしかあり得ません。年金保険料を払う経済的現役世代の人口と年金給付をもらう経済的引退世代の人口との比率を一定に保つという、これだけです。

 ところが、高齢者を優遇するなと叫んで、年金を積立方式にせよと主張するような経済学者に限って、一方では高齢者が働いて社会を支える側にまわるようにする政策に対しても、高齢者を優遇するなと批判することが多いようです。こういう安手の「若者の味方」が横行するのが、今日の悲劇かも知れません。高齢者を働かせずに現役世代に負担させ続けるのもダメなら、高齢者にも働いてもらって現役世代の負担を軽減するのもダメとなると、一体どういう政策が残ることになるのか。まさか「楢山節考」の世界ではあるまいと、心から祈るばかりですが。

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村上潔『主婦と労働のもつれ』(洛北出版)

27156 村上潔さんより『主婦と労働のもつれ』(洛北出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27156.html

「働かざるをえない主婦」、そして「勤めていない主婦」は、戦後の日本社会において、どのように位置づけられてきたのか/こなかったのか? 当事者たちは、どのように応答し、運動してきたのか?

というわけで、私の関心と交叉するところの大きい著書です。

村上さんは、私は直接存じ上げないのですが、立岩真也さんの「生存学」研究グループの中で女性労働問題を追及してこられた方なのですね。

目次を見ると、

序 章
本書の問題意識と構成
   問題意識
   本書の構成

第1章 主婦は「働くべき」か? という問い――「主婦論争」再検討
   「主婦論争」の様相
   「主婦論争」の問題点
   「主婦論争」の新たな理解モデル
    論争以後の、当事者による諸実践の意味
    まとめにかえて

第2章 「主婦パート」は何が問題か――初期パート労働評価について
    高度成長期における「主婦」の「パートタイム労働」
   パート労働への評価
   論点の整理と問題の所在
   まとめにかえて

第3章 「主婦性」と格闘/葛藤する主婦―― 1970年代、東京都国立市公民館での実践
   「主婦的状況」の探求
   「主婦的状況」そのものの問題化
    その後の「主婦的状況」をめぐる問題提起
    まとめにかえて

第4章 「主婦的状況」を撃て!――〈主婦戦線〉の/という戦い
   〈主婦戦線〉の活動とその思想(1)
   〈主婦戦線〉の活動とその思想(2)
   〈主婦戦線〉の活動とその思想(3)
   〈主婦戦線〉の思想の特徴
    まとめにかえて

第5章 「パート主婦」は労働者である――〈主婦の立場から女解放を考える会〉・<パート・未組織労働者連絡会〉の奔走
   〈主婦戦線〉、〈主婦の立場から女解放を考える会〉、<パート・未組織労働者連絡会〉
   パート問題は「労働問題ではなく主婦問題」
   「働き続けるべき論」批判・「ひまつぶしパート」言説批判
   パート問題は「主婦問題ではなく労働問題」
   まとめにかえて

第6章 主婦だからできる「働き」?――ワーカーズ・コレクティブのアポリア
   主婦たちの労働実践としてのワーカーズ・コレクティブ
   日本の労働者協同組合が抱える問題
   ワーカーズ・コレクティブの現在的地平はどこにあるのか
   ワーカーズ・コレクティブの今後の展望
   まとめにかえて

終 章 働く/働かない/働けない、主婦と女性の行く末
   諸論点へのアプローチ
   いま、「主婦」を問題にすること
   おわりに

あとがき
文献一覧
索  引

「主婦」性と「労働者」性のはざまで「パート」認識が翻弄されてきた姿が描き出されています。

これは現在の議論されているパート法改正の根っこにもなお脈々とつながる問題であり、戦後労働法制度、社会法制度の暗黙の前提を蒸し返すという今日的課題と密接につながっていることは、ご案内の通りです。

ただ、労働社会保障系の議論では見えなくなりがちなもう一つの「主婦と労働のもつれ」が、冒頭の「主婦論争」のレビューを踏まえて、終わりの方で主婦だからできる「働き」としてのワーカーズコレクティブの問題として提示されているところは、大変面白く、いろんな意味で考えさせられました。

第6章のまとめのところから引用しますと、

改めて整理してみると、①成長経済対応型のワーカーズ・コレクティブでは専業主婦のみが主役であったのに対し、②経済・雇用危機対応型のワーカーズ・コレクティブでは、主婦以外のイレギュラーな労働力(予備軍)がクローズアップされてくる。そしてアンペイドワークやさしてお金にならない「地域の(ための)」・「非営利の」仕事が、主婦だけのものではなくなる。「オルタナティブな働き方」は、主婦の特権から、働けない者たちの「雇用の受け皿」へと意味を変えてきている。これは理念の問題ではなく、否応なく変わる労働環境に沿った変化である。したがって、これをワーカーズ・コレクティブの「発展」とポジティブに捉えることはできない。先に述べたように、そうした役割を果たしてしまうことによって、市場(男性企業社会)への対抗というスタンスはどうなるのか。むしろそれを下支えしてしまうのではないか。考えねばならないことは尽きない。・・・

1980年代には「社縁社会からの総撤退」が叫ばれ話題になったりもしたが、いうまでもなく、それでなにも変わることはなかった。男性中心の企業社会に揺さぶりをかけるなどということはたやすいことではなく、さらに、とりわけ主婦にあっては、理念的には男性企業社会を否定していても、当面、まったくその恩恵に被らないかたちで自らのオルタナティブな運動を展開することは、現実的に困難である。そうした中、主婦の主体的活動と働けない者たちの存在が図らずもオーバーラップしているこの状況は、-間違っても「希望」などとは単純にいえないが-未来の「労働」の見取り図を垣間見るようではある。

リアル社会のおかげでリアル社会から離れた形でできていた主婦空間がリアル社会の変貌の中でその意味が逆転してくるという姿は、様々な局面で露出しているようにも思われます。

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日本労働法学会誌119号「労使関係の変化と労働組合法の課題」

POSSEの今野晴貴さんが、

http://twitter.com/#!/konno_haruki/status/194378256655454208

最近、労働組合法の見直し論が盛んですね。季刊労働法の最新号に、日本労働法学会誌も。季刊労働法の面白いのは、個別紛争ではなく、集団的労使関係に焦点をあてているところ。忙しくて中身までフォローできていませんが、この動きの背景は何でしょうか。知っている方に教えていただきたいです。

とつぶやいていますが、まさにその「日本労働法学会誌」119号が届きました。

昨年10月の大シンポジウムの報告と討議の記録ですが、これを読むと今野さんの言う「動きの背景」が解るのではないでしょうか。

実は、このシンポ記録にはわたくしも会場からの発言者として登場しています。とりわけ奥田香子さんの報告に対しては、かなりしつこく議論をふっかけておりまして、いろいろ考えるよすがになるのではないかと思います。

詳しくは学会誌をご覧いただきたいのですが、要は、複数組合平等主義に殉じすぎて、かえって労働者の利益を損なうような議論になっているのではないか、という趣旨です。

ちょっと違う観点(労働組合の運動論)から古川&川口コンビが奥田理論を批判していて、これもまた面白いです。

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『グローバル化・社会変動と教育1 市場と労働の教育社会学』

9784130513173H. ローダー 編, Ph. ブラウン 編, J-A. ディラボー 編, A. H. ハルゼー 編, 広田 照幸 編訳, 吉田 文 編訳, 本田 由紀 編訳『グローバル化・社会変動と教育1 市場と労働の教育社会学』(東大出版会)を、訳者の広田照幸、本田由紀、筒井美紀のお三方よりお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-051317-3.html

イギリスの教育社会学者たちが編んだ,定評あるリーディングス最新版の訳書第1巻.急速なグローバル化などマクロな社会変動が,各国の教育制度や政策に与えている影響を理論的・実証的に考察.巻末には日本の文脈で問題をとらえた編訳者による論文も収録.【全2巻】

下記の目次に見られるように、非常に広範な領域をカバーしている論集なので、私の論評能力を超えるのですが、

序 教育の展望―個人化・グローバル化・社会変動(ローダー、ブラウン、ディラボー、ハルゼー/広田照幸・吉田文・本田由紀訳)
1章 新自由主義・グローバル化・民主主義―教育の課題(M.オルセン/田原宏人訳)
2章 レトリックと実践のグローバル化――「教育の福音」と職業教育主義(W.ノートン、M.ラザーソン/筒井美紀訳)
3章 グローバル化・知識・マグネット経済の神話(ブラウン、ローダー、中村高康訳)
4章 知識経済の特徴とは何か?――教育への意味(D.ガイル/潮木守一訳)
5章 ヨーロッパの大学(A.H.ハルゼー/潮木守一訳)
6章 学生のエンパワメントか学習の崩壊か?――高等教育における学生消費者主義のインパク(R.ネイドゥ、I.ジャーミソン/橋本鉱市訳)
7章 学習社会における歴史・経歴・場所――生涯学習の社会学に向けて(G.リース、R.フェブレ、J.ファーロング、S.ゴラード/児美川孝一郎訳)
8章 教育の拡大が社会的不満をつなぐ――アラブ諸国における学校教育の文化政治(A.E.マザウィ/苅谷剛彦訳)
9章 ワシントン・コンセンサスからポスト・ワシントン・コンセンサスへ――国際的な政策アジェンダがマラウイの教育政策・実践に及ぼした影響(P.ローズ/浜野隆訳)
個人化・グローバル化と日本の教育――解説に代えて(広田・吉田・本田・苅谷剛彦)

わたくし的に興味をそそられたのは、筒井さんが訳された第2章でした。ここでいう「職業教育主義」(ボケーショナリズム)は、編者である広田さんが神野・宮本編『自壊社会からの脱却-もう一つの日本への構想』(岩波書店)所収の「学校の役割を再考する-職業教育主義を超えて」において論じていて、その本の紹介の時に本ブログでも取り上げていますので、もしかしたらご記憶の向きもあるかと思いますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-91a1.html(職業教育主義は超えられるか?)

この論文では「ハイパー職業教育主義」としていささかカリカチュアライズした姿をこう描き出しています。

・・・このおぞましい世界では、ルーティーン化された労働向けの、幅の狭い仕事のスキルにしか関心が払われない。生徒・学生たちは、就職に即役立つ授業はどれだろうと考えて、芸術や人文科学、その他あらゆる一般教育科目といった「余分な飾り」を避けるようになる。雇用主は、彼らの生産向けに限定的に仕立て上げられた特殊的スキル-特定の学歴・視角を通して保証されたスキル-を求める。そして幅広い職業的なプログラムも幅広いアカデミックなプログラムも。いずれも-おそらくエリート学生向けのそれを除いては-消滅する。なぜなら、それらは役立つとはみなされないからだ。・・・

これが、とりわけ人文系知識人にとってリアルな脅威であることも確かであると共に、ハイパーどころか、ローキーの職業教育主義すら力をふるえていない日本の姿からすると、何とも言えない複雑な感想を抱かざるを得ないところもありますね。


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OECDが日本に発破

OECDのグリア事務局長が、日本を訪問していろいろと喋っています。

経済産業研究所のセミナーでは、こういうスピーチをしているようです。

http://www.oecd.org/document/6/0,3746,en_21571361_44315115_50189958_1_1_1_1,00.html(Revitalising the Japanese Economy: The Way Forward)

「日本経済再活性化」というわけで、いろいろ語っていますが、特に重要なのは「Boosting labour productivity.」(労働生産性を引き上げる)で、もう耳タコかもしれませんが、改めて:

Finally, there is one last element that can make a remarkable contribution to revitalising Japan:
Lifting employment through greater women’s participation

Japan needs to address strong demographic headwinds. Rapid population ageing will lead to a decline of Japan’s working-age population by nearly 40% by 2050, reducing the number of working-age persons per elderly person to only 1.3.

To limit the decline in the labour force, the participation of underemployed individuals, notably women, will need to rise. Indeed, the New Growth Strategy sets an objective of boosting the employment rate of women in the 25  44 age group from 66% in 2010 to 73% by 2020. Improving opportunities for women is an important objective Japan shares with many OECD countries.

The question is how can employment become more attractive to women? Reducing the share of non-regular workers, of which 70% are women, would promote job stability and encourage on-the-job training, thus increasing human capital. Moreover, it would lessen income inequality and relative poverty by reducing inequality in wages.  Indeed, the gender wage gap in Japan is the second highest in the OECD area.

Japan also needs to make a greater effort to introduce family-friendly policies in order to help women combine work and family life. Aspects of the tax and social security systems that discourage work by secondary earners should be reformed, while child-care should be improved and made more affordable.

But women are not the only the only segment of the population whose labour resources are underutilised. The human capital of older workers should also be used to its full potential through more flexible employment and wage systems that raise the age at which workers leave firms.

と、女性の労働力参加、非正規労働の正規化、ファミリーフレンドリー政策の推進、高齢者雇用の推進などを、口がすっぱくなるほど繰り返しています。

また経団連では、

http://www.oecd.org/document/44/0,3746,en_21571361_44315115_50189484_1_1_1_1,00.html(The OECD skills strategy and its relevance for Japan)

「OECD技能戦略とその日本へのレリバンス」ということで、日本の使用者に対してこう呼びかけています。

First, Japanese employers need to re-align their business strategies with human-resource practices and skills development in their workforce. Firms that are good at deploying accepted best-practice management techniques are more innovative and perform significantly better. In well-managed firms, the skills of employees are used more productively and this also has a strong positive impact on job satisfaction.

Second, Japan needs better information on the skills needed and available, including through transparent qualification systems. Quality career guidance should become a critical part of Japan’s skills strategy. It can steer individuals to the learning programmes that would be best for their prospective careers. Coherent and easy-to-interpret qualifications facilitate recruitment and matching. Competency-based qualifications provide employers with a sense of what a future employee can perform on the job. They also enable individuals with work experience to secure credentials reflecting their skills “learned on the job”.

Third, Japan could benefit from still more flexible work arrangements. Family and professional lives are increasingly interwoven and have to be managed in parallel. Work places have to adapt to these changes and offer much more flexibility to avoid excluding individuals from active professional life, beginning with women. As already mentioned, this is crucial and duly documented in our report on Gender Equality.

人材戦略を再設計し、キャリアが見える透明な資格制度を導入し、仕事と家庭のための柔軟な労働編成が必要、とこれも口が酸っぱくなる程いわれていることではありますが。

なお、お勉強用には、OECDの報告書「Policies for a revitalisation of Japan」(日本再活性化のための政策)が30ページ弱の小冊子なので、お手頃です。

http://www.oecd.org/dataoecd/32/2/50190618.pdf

これくらいは読んでおきましょう、ということで。

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労務屋さん on 日本の雇用終了

ようやく労務屋さんのお手元にJILPT第2期プロジェクト研究シリーズ全6巻が届いたようで、「吐息の日々」でご紹介いただいています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20120425#p1

ということで「オビ」をみるとけっこう読み物としても面白そうな感じの惹て句が記されている(まあ新書とかの売らんかなな惹句に較べるとずいぶん上品ですが)のではありますがはっきり言って研究書です。まあ労働政策研究報告書よりは読みやすいですが…。

そうなんですが、一冊だけちょっと毛色の変わったのがあるよと。

さて目立つのは基本的には調査に関与した多数の研究者による共同執筆になっているのですが、『日本の雇用終了-労働局あっせん事例から』だけはhamachan先生こと濱口桂一郎先生の単独執筆となっている点です。内容については先生がご自身のブログで紹介されていますのでそちらを御覧いただければと思いますが、中小企業を中心に実態として通用(横行)している事実上の解雇ルール?を「フォーク・レイバー・ロー」として整理しているあたり、まさにオビの惹区にあるように「判例研究と経済理論と告発ジャーナリズムの隙間を埋める一冊」というにふさわしいように思います。しかしこの惹句をみると、「研究」「理論」と言いながらも「告発ジャーナリズム」の印象が強くて、新書のように読みやすい本に思えてしまいますね。まあたしかに事例が豊富な本なのでその部分はけっこう読みやすくもあるのですが。

いやまあ、オビの文句は若干その気もあってひねり出しましたが、とはいえ、「告発ジャーナリズム」と違って、あっせん事案であるだけに、基本的に労使双方の言い分を紹介しているところがこの手のものとしてはミソかと。

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NIRAでヒアリング

本日、総合研究開発機構(NIRA)にヒアリングということで呼ばれて、労働問題についていろいろと意見交換をさせていただきました。牛尾会長、柳川理事(東大教授)をはじめ、神田玲子さんはじめとする研究員の皆さまから大変いい突っ込みをいただきました。こういう言い方は何ですが、とても「話が通じた」感じが致しました。

http://www.nira.or.jp/

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「おまえはクビだ!」――その宣告の瞬間が満載の「日本の雇用終了」

Cover_no4 先月末に刊行された『日本の雇用終了』ですが、まだ書店等でも見かけることはなく、amazonにも出てこないなど、未だに稀覯本状態のようですが、ネット上にかなり詳しく紹介する記事が書かれました。CareerConnectionの「ビジネスの書棚」というコーナーですが。

http://careerconnection.jp/biz/bizbook/content_276.html(「おまえはクビだ!」――その宣告の瞬間が満載の「日本の雇用終了」 )

・・・よほどの大型書店に行かなければ、見かけることもないはず。研究者や専門家に向けて刊行された本のため、およそ「おもしろさ」からはほど遠い内容だ。読みやすさの味付けなど、皆目無い。

 ところが、いやだからこそ、これが「おもしろい」。副題に「労働局あっせん事例から」とある通り、全国の労働局が取り組んだ個別紛争に関する助言や指導の事例集である。

 そう、つまり本書は、

「おまえはクビだ!」

 と、本当に言い渡されたシーンの総集編なのだ。小説やテレビドラマではない、ざらざらしたホンモノの生々しさがある。

 いったい、解雇を言い渡される瞬間とは、どんな場面なのか。いくつかを見ていこう。

と、この本からいくつかの事例を紹介していきます。

そして、最後には、

こんな場面が、ページをめくるたびに、次から次へと続く。本書が対象としたのは、全部で846件の雇用終了関係事案。読みようによっては「稀書」とも「奇書」とも呼べそうな、たぐいまれな一冊だ。

ついに「奇書」扱いされてしまいました!

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職場の禁煙、努力義務に 安衛法改正案修正

共同通信の記事が東京新聞に載っています。労働安全衛生法改正案が大幅修正になりそうという観測記事です。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012042301002501.html(職場の禁煙、努力義務に 安衛法改正案修正へ)

民主党は23日、職場での受動喫煙防止策として閣議決定された労働安全衛生法の改正案を修正する方向で調整に入った。職場での全面禁煙か、基準を満たした喫煙室設置による分煙を事業主に義務付けることが柱だったが、飲食店やたばこ関連産業に配慮して大幅に後退し「努力義務」に変更する方針。

同党は25日の厚生労働部門会議で提案し了承を得た上で、正式に与野党協議を呼び掛ける。

改正案では、飲食店やホテルなど客が喫煙を望んで分煙が難しい場合、受動喫煙の程度を低減するため、換気設備を導入することなども義務付けていた。

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学生×労働組合 本音座談会

今週末の4月28日(土曜日)、連合がメーデー中央大会で「学生×労働組合 本音座談会」というのをやるそうです。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/info/boshuu/2012mayday/index.html

Mayday

10時から1時過ぎまで、4つのグループに分かれて学生と先輩で意見交換をするとのこと。「働く人の応援団である労働組合主催だからこそ聞ける話もあるはず」と言ってますが、なにもそうかしこまらなくても、「組合はなにやってんだ!」と文句付けに行くというのも一案かも知れません。

いずれにしても、全国から集まる労働組合員の聴衆の前で学生の言いたいことを言ってくるいい機会かも知れませんよ。申込みは上記リンク先から。

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児美川孝一郎編『これが論点!就職問題』

9784284305952 児美川孝一郎編『これが論点!就職問題』をお送りいただきました。左の表紙写真のように「学生がダメなのか 企業がわかっていないのか」と帯にでかでかと書かれていますね。

http://www.nihontosho.co.jp/2012/04/post-278.html

既に本ブログで目次紹介はしていますが、改めて目次を載せておきます。

総論  就職問題で何が問われているのか?
児美川孝一郎

第1部 「就職問題」のどこが問題か?
・大卒就職問題を考える……児美川孝一郎

第2部 学生たちの就活の実態は?
・就活に追い詰められる学生たち-7人に1人がうつ状態-……川村遼平
・賢明な就職活動に向けて-業界・企業に関する情報収集が不可欠-……上西充子

第3部 就職の困難は、誰を直撃しているか?
・不況下の新卒就職の現状と対応……小杉礼子
・学卒未就職という不条理-大学教育の現場で今できること-……居神浩
・就職活動システムの現代的機能-「失敗」して「成功」する「再配置」- 今野晴貴

第4部 「就職問題」の原因はどこにあるのか?
・企業は新卒採用者を大幅減 焦る学生の「就活」奮闘記……石渡嶺司
・大激論-日本型雇用がダメなのか 大学生がダメなのか…海老原嗣生×城繁幸
・若者の就職難の原因は安定・大手志向なのか
根底にある「人の使い捨て経営」と非正規化……竹信三恵子
・終身雇用が若者の就職難を招く……八代尚宏
・「就職氷河期再来」の虚像を剥ぐ-新卒採用を自由化・透明化せよー…常見陽平

第5部 「就職問題」にどう対応するか?
・“適職という幻想”を捨て去る 仕事はただの糧と腹をくくれ……宮台真司
・<超・就職氷河期のウソ>四大卒も中小企業を目指せばいい……海老原嗣生
・大学「全入時代」の新卒者「就活市場のミスマッチ解消を」……太田聰一
・「新卒一括採用」という遺物……城 繁幸
・新卒一括採用はもう限界 二七歳まで採用延期しては……山田昌弘
・就活の早期化、長期化で学生、大学、企業をだめにする負のスパイラル転換を……辻太一朗
・大卒就職をめぐる最近の論点-活動開始後倒しと卒後三年新卒化-……大島真夫
・「ロスジェネ問題」の延長線では氷河期の歪みは解決しない
-「就職氷河期」が直撃したロストジェネレーション世代。四〇代にさしかかろうとしている彼らの現状から社会を考える。
……赤木智弘
・教育の職業的意義を問う-大学・企業はいま何をなすべきか-……本田由紀
・職務を定めた無期雇用契約をー「ジョブ型正社員制度」が二極化を防ぐ-……濱口桂一郎

付 論 学生たちは何を求めているのか?
・就活生からの就活改革・第一次提言……就活シンポジウム実行委員会

ここに収録されている私の「職務を定めた無期雇用契約を」(『改革者』2010年11月号より)は、児美川さんが冒頭の総論で言われているように「若者の就職問題を直接に論じたものではありませんが、濱口さんが他に書かれているものを見れば、濱口さん自身もこうした含意を込めた提案をされていることに間違いはありません」ということで、この文章が採用されたようです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kaikakusha1011.html(職務を定めた無期雇用契約を― 「ジョブ型正社員制度」が二極化防ぐ)

児美川さんがあえて採らなかった若者雇用に関して書いたものは、ここにまとめてありますので、関心のある方はどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jkoyou.html

やや長めの論文としては:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/gendainoriron26.html(若者雇用と人材養成の戦後史(『現代の理論』2011年新春号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shaminshinsotsu.html(新卒者就職難問題の構造的背景と今後の課題(『月刊社会民主』2011年5月号))

個人的には、このアンソロジーにはこちらの方が向いていた気もしないではありません。

・・・これに対する処方箋は、短期的に現実的なものと、中長期的に実現されるべきものに分けて書かれなければならない。短期的には、新卒一括採用システムを含めた日本企業の雇用行動様式が急激には変わらないことを前提に、かつての中卒・高卒採用のような保護主体の介在するマッチングを復活させることがもっとも効果的であろう。同世代人口に対する割合から考えても、現在の大卒者の相当部分はかつての中卒者と重なる。できるだけ高校・大学自身が、それが困難であれば公的機関が、責任を持って卒業までに就職先を見つけるのである。これはあまりにもアナクロであり、パターナリズムと見えるかも知れないが、目の前で矛盾に苦しむ若者を救うためには、ある種の逆戻りはやむを得ないと思われる。

しかしながら、成人に達した大学生を未成年の中卒・高卒と同じように扱うことが社会のあるべき姿とは言いがたい。中長期的には新卒一括採用システム自体を変えていく必要があろう。自由市場で求人と求職が結合するという本来のモデルが適切に作動するためには、ジョブとスキルでもってマッチングするためのインフラ整備が不可欠である。それがメンバーシップに基づく日本型雇用システムの中核的構成要素の全面的転換を意味する以上、かなり長い時間をかけたプロセスとならざるを得ない。

・・・やや皮肉な言い方をすれば、こういう教育と労働市場の在り方にもっとも消極的であるのは、「学問は実業に奉仕するものではない」と称して職業的意義の乏しい教育を行うことによって、暗黙裏に日本的企業の「素材」優先のメンバーシップ型雇用に役立っていた大学教授たちであろう。彼らの犠牲者が職業的意義の乏しい教育を受けさせられたまま労働市場に放り出される若者たちであることは、なお彼らの認識の範囲内には入ってきていないようである。

ごく短いエッセイとしては:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo0925.html(採用活動と大学教育の職業的レリバンス(『労基旬報』2009年9月25日号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo1025.html(中教審の職業大学構想(『労基旬報』2009年10月25日号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo0625.html(教育と労働の密接な無関係の行方(『労基旬報』2010年6月25日号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roumujijo1001.html(大学と職業との接続(『労務事情』2010年10月1日号))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo111025.html(学習と労働の組み合わせ(『労基旬報』2011年10月25日号))

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なんてお得な一冊なんだろう。もっと早くこの本に出会いたかった。

拙著『日本の雇用と労働法』への「読書メーター」上での新しい書評です。「Yuki」さんという方。

http://book.akahoshitakuya.com/u/72207

これはものすごい良書。日本特殊の雇用システムに関しては「男性稼ぎ手モデル」とか「労働市場の二重構造論」とかいくつか他の説明の語り口を目にしてきたけど、この本の欧米をジョブ型、日本をメンバーシップ型とする整理がもっとも腑に落ちた。扱ってるトピックも広くまた歴史的背景にも言及も欠かさない。なんてお得な一冊なんだろう。もっと早くこの本に出会いたかった。

「なんてお得な一冊なんだろう。もっと早くこの本に出会いたかった。」というお言葉は、著者冥利に尽きます。

また、ツイッター上でも「DOG」さんの拙著へのこういう書評がありました。

http://twitter.com/#!/hanakonoguchi/status/194014283032571905

hamachanの労働法の本、悪くないね。いや、第1章からむしろ目から鱗なんだけど!!

http://twitter.com/#!/hanakonoguchi/status/194028420223610880

hamachanの本っていいんだけど、「欧米はこうだが、日本型雇用はこうで。。。」という表現が非常に多く、比較をするたびに、今の勤務先が典型的な日本型雇用の糞っぷりを発揮している事が鼻に付き、まともな感情で読めないのが、難(笑)。読む度に、著者ではなく、日本の雇用制度に激怒。

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『現代の理論』終刊号

『現代の理論』終刊号が届きました。「日本はどこへ?希望はどこに」という総特集です。

編集委員会の「終刊に当たって」から、

・・・雑誌も一つの時代の産物であるとすれば、時代の変化に対応した衣替えが求められるといってもよい我々は、理論的明確さを持った言論雑誌の必要性が増していることを自覚しつつも、ぼろぼろになって二度と着ることができない状態になる前に、いったんそれを脱いで、次の飛躍を期すことを選択した。いつ、どこで、誰が、どのようにこの飛躍への挑戦に取りかかるか、未だ薄明の中にあるが、その時には我々の8年の挑戦が確実に礎になることを確信している。・・・

終刊号ということで、多くの人々が論考を寄せています。表紙の名前だけ羅列すると、

早野透、杉田敦、住沢博紀、広井良典、山家悠紀夫、小林良暢、金子敦郎、千本秀樹、龍井葉二、小畑精和、富田武、後田多敦、池田知隆、遠藤正敬、水野博達、飛矢崎雅也、山口二郎、金子勝、橘川俊忠、水野和夫、松下和夫、山川修、陣野俊史、濱口桂一郎、西村秀樹、林香里、叶芳和、澤井勝、池田祥子、小寺山康雄、宮崎徹、米田祐介

わたくしの論考は「日本型雇用システムの歴史的位置」です。終刊号なので、次号が出たらHPにアップするということはできないので、ある程度の時間経過後にアップする予定です。

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他人の解雇は自由でも、自分の解雇は許せない

早稲田大学みたいに切り子を作っているわけではないので、記念品の贈呈はありませんが(笑)・・・

http://twitter.com/#!/ssk_ryo/status/193708288305672192

解雇自由化と叫んでる人が実際に解雇されると、逆にムキになって争ったりするのはよくあることなので、私は温かく迎えています。

http://twitter.com/#!/ssk_ryo/status/193708590392016896

他人の解雇は自由でも、自分の解雇は許せない。そういう気持は矛盾してますし、「このやろう!」と思わなくもないですが、結果的に私は温かく迎えていますので、大丈夫です。(営業)

その絶好の事例がここに:

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-d479.html(世にもおもろい小倉・池田バトル)

正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならないと主張しているはずの人間が、自分のボスによる解雇通告に逆らうなどという言語道断な振る舞いに出たことを、平然と公言しているというのは、これを天下の奇観と言わずして何と申しましょう、というところです。

しかも、絶対的解雇自由を主張するということは、解雇されたあるいは解雇通告を受けたということがいかなる意味でもスティグマではあり得ないということのはずなんですが、

>小倉弁護士はこれまでにもたびたび私に対して虚偽による中傷を繰り返しているが、私が大学を解雇された「問題人物」であるかのようにほのめかすのは、通常の言論活動を逸脱して私の名誉を毀損する行為である。このブログ記事を撤回して、謝罪するよう求める。撤回も謝罪も行なわれない場合には、法的措置をとることも検討する。

なんと、正当な理由があろうがなかろうがことごとく認められるはずの解雇をされたと言われることが、名誉毀損に当たる、というすさまじくも終身雇用にどっぷり浸った発想をそのまま披瀝しているんですな。

池田氏の理論によれば、解雇されたということは、自分のボスが有している完全に恣意的な解雇権を素直に行使したというだけなのですから、どうしてそれが名誉毀損になるのか、池田氏の忠実な信徒であればあるほど、理解困難になるところでしょう(論理的に頭を使う能力があればの話ですが)

まあ、世の中にはよくあることですが。

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認識はまったく同じなのですが・・・

金子良事さんのつぶやきから、

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/193329189397606401

日教組は労働組合なんだから、教師の労働条件を上げることのみに集中し、その一点で組織率を上げる努力をすべきだと思う。それが成功したら、問題の大部分は解決するんじゃないかな。

実をいえば、本ブログでも同じことを結構繰り返してきてはいるわけですが・・・、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4ed1.html(日本教職員組合の憲法的基礎※欄)

・・・相手が、本来労働組合たる日教組を(その政治的活動を理由に)政治結社として非難してきているときに、その土俵に乗って結社の自由を持ち出すんですかねえ、と言ってるだけで。

正直言って、わたしは政治結社としての日教組を擁護する気持ちはありません。勝手に右翼と喧嘩してればよろしい。

しかし、全国の教育労働者の代表組織には、重要な存在意義と責任があります。近年、労働者としての権利主張をすること自体がけしからんかのような言論も多く見られるだけに、そこはきちんと言っておく必要がありましょう。わたしははじめからそこにしか関心はありません。

・・・も一つわたしが直感的に感じたのは、上のいっちゃん氏のコメントにあるように、日教組以外の労働関係者だったら、間違いなく違和感を感じるだろうな、ということでした。同じ公務員労組でも、日教組じゃなく自治労とかだったら、たぶん間違いなく28条を持ち出していたはずで、まあ、その辺の感覚のずれを日教組の方々はどこまで感じているのかな、というのがこのエントリーを書いた一つの理由でもあります。

ただ、それこそ大阪方面の出来事の推移を見てもわかることですが、日教組の労働組合としての本質ではない部分を意識的にフレームアップする政治意図と、その労働組合としては本来非本質的な部分を自分たちのこれこそ本質的な部分だと思いこんでいるある種の人々のパブロフの犬的条件反射的行動様式とが、ものの見事にぴったりと合わさって、政治結社としての日教組という定式化されたイメージを飽きもせず再生産するメカニズムが働き続けているという、(おそらく心ある労働運動家だけではいかんともしがたい)どうしようもなさがその根っこにあるので、この金子さんのそれ自体としてはまことに正しいつぶやきが、何の役にも立たないという事態がそのまま続いていくわけです。

(追記)

このエントリへのコメントも含め、はてぶコメントやツイートなどをみても、依然として教師という労働者の労働条件などというどうでもいい詰まらんことなどよりも、遥かに偉くて高邁な大政治を論じたくって仕方がないたぐいの人々が一杯いることが改めてよく分かります。

そういう人々にとっては、たとえば、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_bbfc.html(教師の時間外労働)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-b495.html(今こそ、教師だって労働者)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-d0c3.html(辞める新人教員、10年間で8.7倍 「心の病」急増)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-0b85.html(飲む、鬱、買う 教師の疲弊)

で取り上げたような話題は、高級な政治結社であるべき日教組がやるべきことではなく、もっと低級な労働組合あたりがやってればいいことなんでしょうね。

そういう発想が教育労働者たちの労働現場をどういう状態にしてきたか、というのが、本当の問題なんですけど。

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早稲田大学の稲穂切り子

Kinenhin_order01昨日、全労済協会寄附講座「グローバルな時代の生活保障論」の中の1回として、早稲田大学商学部で「新しい労働社会の姿とこれからの課題」というタイトルで講義をしてきました。

http://www.waseda.jp/w-com/student/news/2012/pdf/kihukouza-ichiran.pdf(リンク先の最後のページ)

次々回には湯浅誠氏も出られるようです。

で、その記念品として、早稲田大学のシンボルの19粒の稲穂の切り子のグラスをいただいてきました。最近いろんな大学がいろんなグッズを出していますが、切り子ときましたか。

さっそく、この切り子で東北地方のお酒をいただいております。

雑件でした。

(参考)

4月6日ガイダンス 商学学術院教授江澤雅彦教授 全労済協会常務理事西岡秀昌氏
4月13日「人として働く」ということについて 中日本高速道路株式会社顧問矢野弘典氏 日本経団連元専務理事
4月20日新しい労働社会の姿とこれからの課題 (独)労働政策研究・研修機構統括研究員濱口桂一郎氏
4月27日世界の労働基準と日本の労働基準 日本ILO協議会専務理事中嶋滋氏 前ILO理事[労働側]
5月11日健康で文化的な最低限度の生活の保障 反貧困ネットワーク事務局長湯浅誠氏 元内閣府参与
5月18日医療現場の現状と課題 医療法人鉄蕉会理事長、東京医科歯科大学客員教授亀田隆明氏
5月25日世界の医療保険制度 NHK(Eテレ)「福祉マガジン」編集長、毎日新聞客員編集委員宮武剛氏
6月1日世界の年金事情 厚生労働省統計情報部社会統計課長西村淳氏
6月8日若者にとって年金とは 社会保険労務士望月厚子氏
6月15日少子高齢化社会の中で求められる社会保障の姿 内閣官房社会保障改革担当室長中村秀一氏 元厚生労働省社会・援護局長
6月22日国民生活に深くかかわる税制 税理士、早稲田大学非常勤講師鈴木修三氏
6月29日財政の機能と課題 読売新聞グループ本社監査役丹呉泰健氏 前財務省事務次官
7月6日生活保障のためのリスクマネジメント 全労済協会常務理事西岡秀昌氏
7月13日「葉っぱが育てた人生、いろどり」 株式会社いろどり代表取締役横石知二氏
7月20日理解度の確認 商学学術院教授江澤雅彦教授

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グリーンジョブはブラックジョブ?

欧州労研(ETUI)のサイトに、

http://www.etui.org/Topics/Health-Safety/News/28-April-the-ILO-uncovers-the-dark-side-of-green-jobs(28 April: the ILO uncovers the dark side of ‘green jobs’)

という記事が載っています。

グリーンジョブ(環境に優しい仕事)のダークサイド(暗黒面)というのですから、日本でいえばグリ-ンだと思ったらブラックでした、という感じかな。

ネタはILOのレポートですが、そっちはさすがに「Promoting SAFETY and HEALTH in a green economy」(グリーンエコノミーにおける安全衛生を促進する)というタイトルですが、組合サイドのネタとしては、

For example, the manufacturers of photovoltaic panels use at least 15 dangerous materials. The wind power industry can lay workers open to chemical risks from exposure to such substances as epoxy resins, styrenes and solvents, during both production and installation and maintenance.

The recycling industry poses a large number of risks to workers in the sector, who are often poorly paid and ill trained. The ILO report refers to a study which demonstrated a high frequency of lesions among workers in recycling plants in Sweden. The ILO likewise cites cases of mercury poisoning among workers at a low-energy bulb recycling plant in the UK.

たとえば、太陽光パネル製造は少なくとも15の危険物質を用いるし、風力発電は労働者を、製造、取り付け、維持の間、エポキシ樹脂、スチレンや溶剤に晒す。

リサイクル産業も低賃金で訓練の乏しい労働者を多大な危険にさらす。ILO報告はスウェーデンのリサイクル工場の労働者に病変が頻繁に起こっていることや、イギリスの低エネルギーバルブリサイクリング工場で労働者に水銀中毒が起こっていることを示している。

というわけで、グリーンなジョブはそれ自体は決して安全でも衛生的でもなく、むしろ古典的な労働安全衛生問題の原因でもあるという実態のようです。

だからグリーンを止めろというような話ではもちろんないわけですが、「グリーン」という美しい形容詞をくっつけることで、何かしら全部きれいになってしまったかのようなごまかしは止めましょうという教訓でしょうか。

ま、似たような教訓は世の中にいっぱいありそうではありますが。

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欧州サッカー労働協約が初締結

昨日(4月19日)、欧州プロサッカー界の労使の間で、サッカー選手の最低限の契約要件を設定する初めての労働協約が締結されたとのことです。

http://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=1279&furtherNews=yes

The social partners representing the professional football sector has today signed their first Agreement setting minimum contract requirements.

プロサッカー界を代表する労使団体は本日、最低限の契約要件を設定する初めての労働協約に署名した。

To ensure that player contracts throughout Europe meet certain minimum standards, contracts must be in writing, they must define the rights and duties of club and player and they must address matters such as salary, health insurance, social security or paid leave. Contracts also must refer to the duty of players to participate in training, to maintain a healthy lifestyle and to comply with disciplinary procedures. Standard contracts will also contain provisions on dispute resolution and applicable law.

ヨーロッパ中で選手の契約が一定の最低基準を満たすことを確保するため、契約は書面で、クラブと選手の権利と義務を明示し、給与、健康保険、社会保障及び有給休暇などの事項を定めなければならない。契約はまた、選手の訓練に参加し、健康なライフスタイルを維持し、規律に従う義務を規定しなければならない。標準契約はまた紛争解決および適用法規に関する規定を含むものとする。

アメリカだと野球選手の話が、ヨーロッパだとサッカー選手になるわけです。

ちなみに、参考までに、昨年『ビジネス・レーバー・トレンド』に書いた文章の最後のパラグラフと注釈を。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2011/11/002-004.pdf(労使関係とは誰のどういう関係か?)

 現時点で一番ホットな話題は、プロサッカー選手会の労働組合化への移行でしょう。代表選手の報酬や待遇を巡って日本サッカー協会と対立し、交渉が進まない状況から、今年二月の臨時総会で過半数で議決し、去る九月に東京都労働委員会の資格認証を受け、登記を済ませたと報じられています。(2)

2 選手会のH P(http://www.j-pfa.or.jp/category/news/jpfa/1859)によれば、プロサッカー選手会の要望事項は、セカンドキャリアにおける金銭給付制度(退職金制度)の必要性と日本サッカー協会の選手分配比率の低さとのことです。前者については、「特にヨーロッパの主要国は、選手の退職金制度が一般化されており、選手の社会的地位がしっかり保たれており、同時に選手は現役中プレーに専念できる環境にあります。そのことで、多くの人々がサッカー選手を安心して目指せ、選手の地位が高まることにより、自国の代表・リーグの強化と発展につながっています。しかしながら、現状のJリーグにおいて、退職金制度その他セカンドキャリアにおける雇用創出制度はなく、選手は不安を抱えながらプレーしている実状があります。そのことがJリーグ発展の妨げの一つになっていると考えています。人々が安心してプロサッカー選手を目指すためにも、日本サッカー界における選手の地位向上は早急に是正されるべきものだと考えております」という主張です。また、後者については、「JFAがプロサッカー選手の稼働に伴い得ている収入のうち、選手に対する分配割合が一%」であることが、「一般企業の売上高人件費率と比較しても極端に低い」として是正を求めています。まさしく、労働組合法第二条にいう「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体」にふさわしい要求事項といえましょう。

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ジョブリッチな回復に向けて

欧州委員会は昨日、「ジョブリッチな回復に向けて」と題する政策文書を公表しました。職員作業文書がいっぱいくっついていますが、本体はそれほど膨大ではありません。

http://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=1270&furtherNews=yes

いろんなことが書いてありますが、EUobserver紙が目をつけたのは最賃の話だったようです。

http://euobserver.com/851/115930(EU commission calls for 'appropriate' minimum wage)

"Setting minimum wages at appropriate levels can help prevent growing in-work poverty and is an important factor in ensuring decent job quality," says the text.

There is an oblique reference to Germany, which been criticised in some quarters for suppressing wages and thereby dampening Germans' spending capacity.

"Targeted [wage] increases, which help sustain aggregate demand, might be feasible where wages have lagged significantly behind productivity developments," says the text.

「最低賃金を適切な水準に設定することは在職貧困を防止し、ディーセントな仕事の質を確保する重要な要素だ」

これは、賃金を抑制してドイツの支出能力をダンピングしていると批判されてきたドイツをほのめかしているようだ。

「賃金が生産性向上に著しく遅れをとっている現在、目標を定めた(賃金)引き上げは総需要を維持するので実行可能だ。」

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労働講座企画委員会寄附講座「未来の自分をつかめ~私たちが生きる労働社会を考える」

明治大学学部間共通総合講座として、労働講座企画委員会寄附講座「未来の自分をつかめ~私たちが生きる労働社会を考える」というオムニバス講座の日程表がアップされています。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~labored/kifukoza/rodokoza2012.html

日本の雇用不安が止まらない。高止まりの失業率、就職難が続くなか、学生のみなさんに10年後の自分たちの働く姿がみえるだろうか。今はまだ、就活だけで精一杯に違いない。しかし、社会人になる一歩手前で、ぜひこれだけは知ってほしい。先輩たちが雇用の現場で体験した光と影を、不安な時代を生きるための知恵を。「知る」ことで人は強くなれるはずである。

講座の前半では、正規労働者(正社員)と非正規労働者(パートや派遣、契約労働者など)の実態について学ぶ。講座の後半では、その原因とどのような雇用や労働のあり方をめざすのか、働く者としての権利と働き方について考え、議論する。

4月16日 ガイダンス、OB・OGトーク 平井 陽一(商学部教授)

4月23日 正社員の働き方(1)〜OB・OGの職場から 高須 裕彦(明治大学労働教育メディア研究センター客員研究員/一橋大学フェアレイバー研究教育センター)

5月7日 正社員の働き方(2)〜長時間労働と過労死 川人 博(弁護士・過労死弁護団)

5月14日 正規労働者の世界(3)〜あるOGの経験から 小林 範子(ヤマト運輸労働組合副中央執行委員長)

5月21日 非正規労働者の働き方 武田 敦(首都圏青年ユニオン)

5月28日 私たちの働き方(1)〜アルバイト経験を出発点に 高須 裕彦(明治大学労働教育メディア研究センター客員研究員/一橋大学フェアレイバー研究教育センター)森崎 巌(全労働省労働組合執行委員長)(元労働基準監督官)飯田 勝泰(NPO法人 東京労働安全衛生センター事務局長)

6月4日 私たちの働き方(2)〜問題点と解決の仕方 高須 裕彦(明治大学労働教育メディア研究センター客員研究員/一橋大学フェアレイバー研究教育センター)森崎 巌(全労働省労働組合執行委員長)(元労働基準監督官)飯田 勝泰(NPO法人 東京労働安全衛生センター事務局長)

6月11日 中間まとめのワークショップ「わたしの働き方を考える」高須 裕彦(明治大学労働教育メディア研究センター客員研究員/一橋大学フェアレイバー研究教育センター)

6月18日 日本の労働社会(1)〜成り立ちと改革の方向 濱口 桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構 労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員)

6月25日 日本の労働社会(2)〜専門職からみた新しい働き方 瀬山 紀子(埼玉県男女共同参画推進センター)

7月2日 世界はどこへ向かうのか〜グローバリゼーションの視点から 竹田 茂夫(法政大学経済学部教授)

7月9日 労働組合とは何か〜職場や社会における役割 小山 正樹(財団法人総評会館専務理事/産業別労働組合JAM参与)

7月16日 【特別講義】原発労働から見える日本の労働社会 風間 直樹(東洋経済新報社記者)

7月23日 まとめのワークショップ 平井 陽一(商学部教授)

わたくしも1回担当します。

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OECD『知識の創造・普及・活用』

100412 明石書店より、OECD教育研究革新センター編著の『知識の創造・普及・活用 学習社会のナレッジ・マネジメント』をお送りいただきました。

http://www.akashi.co.jp/book/b100412.html

わりと最近、OECDでは教育関係の本を重点的にお送りいただいている感じがします。

学習社会で働き、成功するために、知識(ナレッジ)のマネジメントは、民間企業でも公的組織でも重要な新しい課題となりつつある。企業や組織にとって、国内あるいはグローバルな規模で知識を創造し、共有し、活用することが次第に重要となってきている。しかし、ナレッジ・マネジメントの特徴や動きを理解し、事業の発展にとって最も適した道を明らかにするためには、微視的・巨視的なレベルで知識経済の分析を早急に行う必要がある。ところが、いろいろな領域や組織で知識を効率的に活用できる方法や学習組織としての組織を評価する方法はほとんど知られていない。
本書は、多様な領域における知識や学習プロセスについての優れた理解を通じ、こうした課題を方向づけようとする野心的な試みである。本書では、工学や情報通信技術、医療や教育の分野(セクター)における知識の創造や普及、活用のプロセスを具体的に分析し比較検討する。次第に相互連携を深める世界の中で、教育の実践や政策を決定するための優れた知識ベースを各国の政府は早急に必要としている。他のセクターと比べると教育セクターは、知識の創造や普及、活用の行われている割合や質、成功の程度が低い。医療や工学のようなセクターとは異なり、教育の領域はなお、技術的組織的な進歩に伴う持続的で明瞭な改善がみられないままなのである。本書は、教育のすべてのレベルにおいてそのナレッジ・マネジメントが強化される必要性を明確に述べている。

ざっと見て思ったことですが、標題にもなっている「学習社会」という言葉はよく使われますが、本書に出てくる「学習経済」という言葉は初見でした。

大変広範な領域をカバーする本なのですが、第4章第4節の「教育におけるイノベーションの政策」から、ちょっと気のついた文をいくつか・・・。

イノベーションは学校だけでなく、教育のあらゆる分野で進めていくことができる。

知識が教育において伝達される複雑な方法や或いはそこに含まれるコストや努力についてはほとんど知られていない。

しかし、多くの学校が「学習する組織」となっていないことは明白であり、

そして、教師がその職人的知識を共有する方法には注意を払う必要があり、

しかし、学校を官僚的な束縛から自由にすることは、構成の問題を生む。

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経営者マインドを持った従業員

ささきりょうさんのつぶやきで、

http://twitter.com/#!/ssk_ryo/status/192767777449316352

経営者マインドを持った従業員とか、すごい気味の悪さを感じるんだよね。

いやむしろ、日本型正社員とは「経営者マインドを持った従業員」なのでは?

(参考)

 管理職をめぐる問題の根源にあるのは、日本型雇用システムにおける「正社員」になにがしか管理職的性格が含まれていることです。そもそも管理職とは、雇用契約を結んで就労する労働者であると同時に、労働組合法上は「使用者の利益を代表する者」であり、労働基準法上は「事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為する者」として「使用者」そのものでもあり、本質的に労使両方に属しているという性格があります。これは万国共通ですが、日本の「正社員」は管理職でなくても企業のメンバーとしてこのような性格を分け持っています。むしろ、平社員から中間管理職、上級管理職に至るまで、連続的に管理職的性格が高まっていくというのが日本の職場の現実でしょう。日本の平社員は欧米の平社員に比べて仕事の裁量性が高く、特に近年は非正規労働者比率が高まったことで非正規労働者に対する指揮監督権限がかなり拡大しています。その反面、日本の管理職は欧米の管理職に比べて仕事の裁量性が低く、人事権も乏しいのです。
 これはまた、平社員から出発して徐々に昇進していき、やがて管理職になるという日本の正社員の職業生涯モデルにも表れています。管理職をめぐる労働問題は、この連続的な日本型正社員の存在構造のどこかに線を引いて、労働法の適用を全く違うものにしようとするところから生じているともいえます。その意味では、日本型雇用システムにおいては完全に解決することが困難な問題かも知れません。

『日本の雇用と労働法』より、「日本型雇用システムにおける管理職」

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総務部員、人事部員必携

先日朝日新聞で大野更紗さんに取りあげていただいた拙著『日本の雇用と労働法』への9つめのアマゾンカスタマーレビューです。評者は「Gori "the 11"」さん。星5つ。

http://www.amazon.co.jp/review/R2SAPSXR92L7Y9/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4532112486&nodeID=&tag=&linkCode=

本書は、日本の労働法制と、現実の労働社会がお互いにどのように関係しあいながら構築されているのかその全体像をコンパクトにまとめた総務部員、人事部員必携の良書である。

ちなみに書評のタイトルは「総務部員、人事部員必携。「労働は美徳だとして、働け働けはいやだ」」なんですが、この後半が何を指しているのか、よく分からないところがあります。

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54歳の波平よりも、郷ひろみの方が年上

厚生労働省の「社会保障の教育推進に関する検討会」の議事録を読んでいくと、権丈先生がこういうことを言っていました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000028ep8.html

・・・最近というか、ここの1~2年、社会保障と税の一体改革とかいう話が出てきた中で、最近まで増税の必要などないと言っていた与党の政治家たちはどうやって増税の必要性を説明しようかと考えた挙げ句、昔、この国で使われていた手段を使いはじめたようなんですね。人口構造が、昔は胴上げ型だったのが、騎馬戦型に、将来は肩車型になるから、さぁ大変だという、あの話ですね。ああいうのは、昔、言葉は違えどいっぱい言われていましたけど、あの手のキャンペーンからは、世代間の対立とか、将来に対する恐怖心、社会保障に対する不信感というようなことばかりが生まれてしまって、少しもいいことなかったわけです。だから、そういうキャンペーンは、社会保障や税制の改革には逆効果だから止めましょうよと、私は10年以上前に書いています。

 だから、次回の検討会では、勤労世代とか就業者が支えている、おじいちゃん、おばあちゃんのところに、子どもや大学生も乗せてもらいたいですね。少子高齢化という現象は、高齢者が増えていったとしても、子どもは減っていくことなのですから、人口構造が、胴上げの時代にも、騎馬戦の時代にも、就業者1人当たりの人口というような指標は、さほど変わらないわけです。将来の肩車型社会になったとしても、やるべきことをやっていけば、さほどおそれる必要もない。

 それと、「サザエさん」の波平さんって54歳なんですよね。定年の一年前の設定でしたから。でも、54歳の波平さんよりも、今の郷ひろみさんの方が年上なんですよね。だから、例えば65歳というある年齢を固定して、それ以上の人たちが、昔は何人で、それが今は何人になって、将来はという話をしてなんの意味があるのか。ああいうキャンペーンはやめた方がいい。

高齢者はみんな肩車される側でなければならないなどという固定観念にこだわっているから、高齢社会が悲惨にばかり見えるというこの悪循環を断ち切る必要があるわけです。

高齢者が肩車する側にまわればいいのに、高齢者を肩車するのを優遇だと批判するような連中に限って、今度はそれをまた「高齢者優遇」とか喚いて潰そうとするわけですが・・・。

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田中萬年さんに読ませたくなるいい話

上野千鶴子さんのブログに、「ちょっといい話」というタイトルのとってもいい話が載ってました。

田中萬年さんに是非読ませたくなるようないい話です。

http://wan.or.jp/ueno/?p=1501(ちょっといい話—底辺校の現場から ちづこのブログ No.23)

友人からこんなメイルが来ました。自称「底辺校の高校教員」です。

として紹介されている話ですが、

あまりの就職状況の悪さに呆れて、担任している3年生のクラスで、「30才までに転職の二度や三度はあると覚悟したほうがいい。その時に、求められるのは経験とか資格とか。」(それに「コネ」と言いたかったけれど、彼らの周囲にある「コネ」の質の悪さを経験的に知っていました=ほとんど「下流食い」の世界ですから、言いません)「だから、資格の一つ二つはとった方がいい」と言っていました。

そんなこんなで(事情は省きます)10月から週に一、二度の放課後簿記自主講座が始まりました。商業高校から転学してきた生徒が簿記二級を持っていたので、彼女が先生になって簿記三級受検講座。様子見も兼ねて、私も時々生徒として参加しました。

さてその底辺校の生徒たち、思いがけない姿を見せ始めます。

その後、不思議なことがいくつか起こりました。

ひとケタの分数計算もできず、九九も満足に言えない生徒が、2月までの半年近く、毎回H先生に怒られながら講座に参加し続けました。

文字の本は、教科書以外は買ったことがない生徒が、簿記の本を持ってきて「先生、この本、二回読んじゃったからあげるよ。」と私に渡してくれたこともありました。

教員の間でも、あの赤点だらけの生徒がよく保っている、と声があがったり、「でも、試験問題も満足に読めないから、どうしたって無理でしょ。」と言われたり。Mが簿記の本を貸してきた、という話には、そこにいた教員が「あの生徒、漢字も読めたのか?」とさんざんな言いようでした。

一緒に勉強しながら、つくづく簿記って面白くないなあ、と思っていたのは私。

まあ、試験はなんとかなる、とタカをくくっていたのですが、試験一週間前になって、生徒たちの方がデキるようになって、少し焦りました。

「先生(私)、大丈夫なの?」といたわられたり。生徒から応援メールまで届く状態。

いろんな読みようはあるでしょうし、リンク先は「基礎学力が小学校三年(漢字の読み書きと算数能力でみたら)のはずの生徒が、「お祭り」やら「義理」やらで、それをなんとかしてしまったこと」に注目していますが、田中萬年さんならやはり、学校的お勉強はできる先生が「つくづく簿記って面白くないなあ」と感じる一方で、学校的お勉強が全然できない生徒たちがその先生より簿記ができるようになっちゃったというあたりが、前者のタイプばかりが教育を論じてる教育論ってものをよく浮き彫りにしていると嘆息するところでしょうね。

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黒猫荘201号室さんの拙著書評

黒猫荘201号室さんが、拙著『日本の雇用と労働法』を書評されています。

http://blog.livedoor.jp/kwdx1130/archives/1688893.html(雇用システムと労働法制という「二つの文化」)

濱口桂一郎「日本の雇用と労働法」、いい本です。・・・

はい、ありがとうございます。

ただ、記述ぶりにはいささか感じるところがあったようで、拙著の骨組みを説明した後、

筆者は2011年度後期から法政大学社会学部で「雇用と法」を講義することになり、そのためのテキストとして本書を執筆したそうですが、これから社会に出る学生たちが本書を読んで「メンバーシップ型社会では、死なない程度のギリギリまで長時間労働することが長期的には最も合理的な選択となるのです」などという一文に突き当たるわけで、一体どう思うだろうな、この冷静な筆致、などと想像すると苦笑を禁じえません。そうはいっても、新卒採用という門をくぐらなければ「メンバーシップ型社会」という仲間内にすら入れないわけで、司法は欧米型の法制下で『柔軟に』(←褒めてません)そういう社会を追認する判例を書き、政治は社会保障の根幹を企業に担わせて、いわば丸投げしてきたわけで、何だかなぁという気分にならざるを得ないわけで、不貞寝の一つもしたくなろうに、ってもんです。

という微妙な評価も。

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ノンエリート大学生に一番必要な講座

サンケイビズの「大卒=エリート「今は昔」…就職戦線に異変」という記事は、その題名からはいささか「今頃何を?」感が漂いますが、なかなか重要なメッセージを送っています。

http://www.sankeibiz.jp/econome/news/120415/ecd1204151831000-n1.htm

大卒がエリートだった昔に比べ、大学数は半世紀で3倍に増え、進学率も50%を超える。しかし、伝統や実績のない大学の学生たちは職にあぶれたり、劣悪な労働環境の企業に就職したりするなど、“ノンエリート”としての職業人生を送らざるをえないケースもある。大学では今、就職支援はもちろん、学生の基礎学力向上や就職後のケアが重要な課題になっている。

登場するのは、本ブログでも何回か紹介してきた神戸国際大学の居神浩さん。

厳しい就職戦線の中、伝統や実績がない大学の学生は、安易に内定を得られるが劣悪な労働環境の“ブラック企業”に就職してしまう場合があるという。・・・

神戸国際大では先月、2、3年生を対象に、就職後の労働問題を学ぶ講座を開催。求人票や雇用契約書などの確認の仕方、パワハラを受けた際の対応、不利益を被ったときの団体交渉、異議申し立てなどをロールプレーイング形式で学んだ。

居神教授は「仕事のスキルが身に付かず使い捨てにされるブラック企業に、根性論でしがみついていては若者の未来が望めない。大学が大衆化した昨今、大学の知名度にかかわらず、全ての学生たちが“ノンエリート”としての職業を選択してしまう可能性がある」と指摘。そのうえで、「大学は、学生の基礎学力アップなどの就職支援はもとより、就職後の職業人生まで把握しケアすることが必要だ」と話している。

おそらく、山のように積み重ねられたキャリア教育よりも何よりも、ノンエリート大学生に一番必要な講座でしょう。

居神さんに関する過去のエントリは以下の通り。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a5af.html(「マージナル大学」の社会的意義)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-9581.html(「大学がマージナルを抱えている」のが「マージナル大学」となる理由)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-1d68.html(ノンエリート大学生をめぐる認識ギャップ)

9784284305952なお、今週には刊行される予定の児美川孝一郎編『これが論点!就職問題』にも、居神さんの論文が収録される予定です。

http://www.nihontosho.co.jp/2012/04/post-278.html

せっかくなので、目次をもう一度アップしておきましょう。

総論  就職問題で何が問われているのか?
児美川孝一郎

第1部 「就職問題」のどこが問題か?
・大卒就職問題を考える……児美川孝一郎

第2部 学生たちの就活の実態は?
・就活に追い詰められる学生たち-7人に1人がうつ状態-……川村遼平
・賢明な就職活動に向けて-業界・企業に関する情報収集が不可欠-……上西充子

第3部 就職の困難は、誰を直撃しているか?
・不況下の新卒就職の現状と対応……小杉礼子
学卒未就職という不条理-大学教育の現場で今できること-……居神浩
・就職活動システムの現代的機能-「失敗」して「成功」する「再配置」- 今野晴貴

第4部 「就職問題」の原因はどこにあるのか?
・企業は新卒採用者を大幅減 焦る学生の「就活」奮闘記……石渡嶺司
・大激論-日本型雇用がダメなのか 大学生がダメなのか…海老原嗣生×城繁幸
・若者の就職難の原因は安定・大手志向なのか
根底にある「人の使い捨て経営」と非正規化……竹信三恵子
・終身雇用が若者の就職難を招く……八代尚宏
・「就職氷河期再来」の虚像を剥ぐ-新卒採用を自由化・透明化せよー…常見陽平

第5部 「就職問題」にどう対応するか?
・“適職という幻想”を捨て去る 仕事はただの糧と腹をくくれ……宮台真司
・<超・就職氷河期のウソ>四大卒も中小企業を目指せばいい……海老原嗣生
・大学「全入時代」の新卒者「就活市場のミスマッチ解消を」……太田聰一
・「新卒一括採用」という遺物……城 繁幸
・新卒一括採用はもう限界 二七歳まで採用延期しては……山田昌弘
・就活の早期化、長期化で学生、大学、企業をだめにする負のスパイラル転換を……辻太一朗
・大卒就職をめぐる最近の論点-活動開始後倒しと卒後三年新卒化-……大島真夫
・「ロスジェネ問題」の延長線では氷河期の歪みは解決しない
-「就職氷河期」が直撃したロストジェネレーション世代。四〇代にさしかかろうとしている彼らの現状から社会を考える。
……赤木智弘
・教育の職業的意義を問う-大学・企業はいま何をなすべきか-……本田由紀
職務を定めた無期雇用契約をー「ジョブ型正社員制度」が二極化を防ぐ-……濱口桂一郎

付 論 学生たちは何を求めているのか?
・就活生からの就活改革・第一次提言……就活シンポジウム実行委員会

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『グローバルJAPAN』の提言

日本経団連のシンクタンクである21世紀政策研究所の『グローバルJAPAN』という提言が公表されました。

http://www.21ppi.org/pdf/thesis/120416.pdf

実は私もこれに、ほんの少しだけ関わっているんです。というのは、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-159c.html(日本経団連で海老原嗣生さんと初対面)

この委員会に海老原さんと一緒に有識者(?)として招かれて喋ったことがあるもので。

しかし、この7ページからの有識者ヒアリングリストもなかなか凄いですな。

さて、本報告書は「、学界、経済界、官界の英知を結集し、経済・産業・雇用、税・財政・社会保障、外交・安全保障の各分野において、各界の有識者との議論や、海外調査等を精力的に行い、今般、報告書として取りまとめた」というものですから、私ごときがその全体像を紹介するなど到底任に堪えませんが、関わるごく一部だけ紹介しておきます。

まず全体の目次

はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P 1
グローバルJAPAN特別委員会名簿 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P 4
研究体制 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P 6
有識者ヒアリング一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P 7
Ⅰ.概 要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P 9
Ⅱ.2050年世界経済・日本財政シミュレーション ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P13
1.世界経済シミュレーション ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P14
2.日本財政シミュレーション ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P26
3.補足 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P28
Ⅲ.2050年の世界に影響を与える基本的変化と日本の課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P29
1.世界の人口増、日本の人口減・高齢者人口の大幅増 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P30
2.グローバリゼーションとITのさらなる深化 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P32
3.中国を含むアジアの世紀の到来 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P34
4.資源需給の逼迫 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P36
Ⅳ.論点と提言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P39
-人材- ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P41
論点と提言① 女性と高齢者の労働参加、生涯を通した人材力強化を促進せよ・・・・・・・・・ P42
論点と提言② 環境変化に対応した新たな人材を育成せよ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P44
論点と提言③ 教育現場の創意工夫と公的支援強化で抜本的な教育改革を実施せよ ・・・・・・ P46
-経済・産業- ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P49
論点と提言④ 中国などアジア新興国の成長を取り込め ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P50
論点と提言⑤ 日本の強みを活かした成長フロンティアを開拓せよ・・・・・・・・・・・・・・ P52
論点と提言⑥ 「ポスト3.11」のエネルギー制約を総合的に解決せよ・・・・・・・・・・・・・ P54
コラム(1) ITによる高齢者の活性化 -三重県玉城たまき町の「元気バス」- P56
-税・財政・社会保障- ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P57
論点と提言⑦ 財政健全化は先送りせず、政府方針を守れ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P58
論点と提言⑧ 若者の信頼を回復し、安心で持続可能な社会保障制度を確立せよ・・・・・・・・ P60
論点と提言⑨ 高齢社会に対応した社会システムに地域为体で変革せよ・・・・・・・・・・・・ P62
論点と提言⑩ 所得格差・貧困問題は就業促進と所得再分配で緩和せよ・・・・・・・・・・・・ P64
論点と提言⑪ 国と地方の役割分担を見直せ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P66
コラム(2) 長寿社会に対応した街作り -千葉県柏市豊とよ四季しき台団地の街作りと生きがい就労事業- P68
-外交・安全保障- ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P69
論点と提言⑫ グローバル・ガバナンス-「ルールに基づいた開かれた国際秩序」を維持せよ・・ P70
論点と提言⑬ リージョナル・ガバナンス-「安定し、繁栄するアジア」を強化せよ・・・・・・ P72
論点と提言⑭ ナショナル・ガバナンス-日本は「自助」と「共助」で安全保障を確保せよ・・・ P74
参考資料 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ P79

提言と論点の一番最初に出てくる「女性と高齢者の労働参加、生涯を通した人材力強化を促進せよ」は、大変まっとうなことをまっとうに述べています。

まず冒頭で述べられる現状認識のまっとうさ:

日本は、2050年までに労働力人口が2,000万人以上減少し、第2章でも示したように経済に大きなマイナスの影響を与えることが予想される(第2章シミュレーションP16参照)。労働参加率向上による「労働の量」の確保と、教育・訓練を通じた「労働の質」の向上が不可欠だが、課題は山積している。重い子育て・介護負担が女性の能力向上・発揮機会を妨げたり、労働市場からの退出を余儀なくさせ、また中高年や高齢者の持つ豊かな経験やスキルが必ずしも活かし切れていないのが現状である。女性、高齢者の活用、労働参加率の向上は急速な少子高齢化の悪影響(人口オーナス効果)を抑制するための「切り札」になる。

これを解決するための提言をキーワード風にいうと

・ 女性労働参加率を高めるため、同一キャリアでもライフサイクルに応じて労働時間が自由に選べるようにせよ

・ 非正規雇用の雇用安定補償と均衡処遇、無業者へのアクティベーション政策で貧困問題に対処せよ

・ 海外から高度人材を積極的に受け入れよ

・ 人材育成は会社(上司)の責任であり「現場」の経験を通じた訓練・能力開発を重視せよ

となりますが、もう少し詳しく見ていくと、例えば女性については、

女性の労働供給率の年齢別推移をみると、日本は典型的なM字型になっており、30~40代の労働力率が諸外国と比較しても低くなっている(図表4-1-1)。育児、介護などでキャリアが断絶すれば、そこで人材力向上もストップしてしまう。正社員であったとしても、再就職する場合、正社員での復帰は難しくなることが多く、それがその後の能力開発機会を狭めてしまうという問題がある。こうした離職を少なくし、オランダ、ひいては、北欧諸国の水準まで30、40代の女性の労働力率を高めることができれば、少子高齢化によるマクロ経済への悪影響(人口オーナス効果)をかなり相殺することができる。そのためには、まず、オランダのように雇用者の希望で短時間とフルタイムをライフサイクルなどの事情に合わせて柔軟に選択できる仕組み(短時間正社員の活用)を導入する必要がある。また、保育所、保育ママなどの子育て支援サービスの徹底した充実、女性のみならず男性が育児・介護休業を取りやすい環境(休業時の所得補償拡大等)を整備すべきであり、将来的には北欧の環境に近づけていく努力が必要である。そのためには、政府や自治体が主体的に制度変更に取り組むべきである。

そして非正規雇用については、

「一億総中流」意識が強かった日本において貧困問題が徐々に表面化してきている。勤労者では男性では10人に一人、女性では7人に一人が相対的貧困層1であり、生活保護受給者も過去最高の207万人(2011年10月時点)を突破している。日本の貧困の実態を国際比較すると、貧困世帯の8割が就業者のいる世帯で、その比率は諸外国よりもかなり高い2。多くの先進国は無業が貧困の大きな問題だが、日本では働いても貧困から抜け出せないワーキング・プアの問題が深刻である。この問題に対しては、非正規雇用の中でも有期契約労働者の雇用安定、均衡処遇、訓練機会の付与、正規雇用への転換などの多面的な対処が必要である。特に、有期労働の「質」を向上させるという視点から、雇用不安定への補償については、契約終了時にそれまでの支払い賃金の一定割合(フランスでは10%)を支払う「契約終了手当」の導入を検討すべきである。また、均衡処遇を進めるために、ヨーロッパで一般的な「合理的理由のない不利益取り扱い禁止」の法的仕組みが必要である。さらに、低所得者を対象に「必要な人に必要な支援」という原則を徹底させるために給付付き税額控除の導入を進めるべきである(P65参照)。一方、日本の場合、無業の問題はそれほど深刻でなかったが、近年では失業者の中でも失業期間の長い長期失業者の割合が増えるとともに、リーマンショック以降、生活保護受給者の増加が目立っている。今後、長い目でみると、ワーキング・プアのみならず無業者をいかに就業させて貧困から脱却させるかが大きなテーマになるであろう。失業者に対しては、生活保護へ極力入り込まないようにするだけでなく、近年、ヨーロッパで取り入れられ一定の成果を出している「アメ」(カウンセラーの定期的なインタビュー、職業訓練、職業斡旋)と「ムチ」(職業訓練などの義務付けと従わない場合の失業手当の支給額・期間削減)を使った就業インセンティブ向上策である「アクティベーション」政策を体系的に整備していく必要がある。現在の「求職者支援制度」も就労インセンティブを高める方向で見直すべきであろう。

と、まことに立派な提言になっています。

この特別委員会の名簿が4~5ページに載っていますが、いずれも日本を代表する企業の錚々たる経営者の皆さまであり、日本経団連打って一丸となってこれが実行に邁進いただけるものと信じております。

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全国労保連講演から生保関係部分

昨年11月10日、全国労保連で「最近の労働政策」と題して講演したものが、同会の機関誌『全国労保連』に4回に分けて連載中ですが、そのうち2回目の分から、今話題の生活保護制度に関わる部分をこちらにアップしておきます。

話の流れは、1回目掲載部分で雇用保険制度について述べ、2回目掲載部分で第2のセーフティネット(求職者支援制度)と生活保護制度について触れています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rouhoren1201.html(第1回)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/rouhoren1202.html(第2回)

求職者支援制度の説明が終わったあたりから、

・・・・・と同時に、一応今年の10月にこの法律が恒久的な制度として始まったのですが、ここで労働行政の話は終わったということになるかというと、実はそう簡単に終わらせてくれません。なぜ終わらないかというと、旧厚生省サイドの福祉対策、生活保護との関係が、ここで問題として出てくるからです。労働行政、労働政策という観点からすると、生活保護をやるわけではないので、当然のことながら何らかの形で労働市場とのかかわりを持った形での制度設計にせざるを得ない。職業訓練を受けている方に対して、その間の生活補助をするというのはまさにそういうことであるわけです。しかし、社会全体のセーフティーネットという観点からすると、そこと、その一番下の第3のセーフティーネットとの間をどうするかという問題がなお残ります。ここのところを、公的扶助制度、生活保護制度のほうからまた見ていきたいと思います。労働保険と話が少し離れますので、ごく簡単にお話をしますが、やはりこれは結構大きな話です。

 生活保護法というのは、1946年に旧生活保護法がつくられて、1950年に現在の生活保護法ができております。その生活保護法の文言を見ますと、基本的には無差別平等と書いておりまして、誰であれ生活が困窮する者には生活保護を出しますよと。その根拠は憲法25条ですよとなっている。と同時に、これは実際に生活に困窮しているというのが要件ですので、運用の仕方ということだったのだろうと思うのですが、現役世代はほとんどいなくて、数年前まで生活保護の受給者の9割は、高齢者か障害者、傷病者、そして母子家庭。母子家庭は、現役世代は現役世代なんですけれども、就労困難な者にかなり限定してきたのです。

 言い換えれば、五体満足な現役世代の男性が、福祉事務所に行っても、あなた働けるんでしょうと言って追い出されるというのが一般的な状態だったようです。これは、ある種の運動家の人たちからすると、法の趣旨に反してけしからんという話になるんですが、逆に言うと、何でもかんでも全部、こういう拠出制でない給付システムの中に入り込んでしまうということは、社会全体として、いわば福祉依存になってしまうということで、決して望ましいわけではないのです。

 そこをどうするかというのは、ヨーロッパでは大きな問題となりました。わたくしは、今から10数年前、ヨーロッパに3年間ほど勤務したことがあります。当時のヨーロッパのいろんな労働問題を見た中での一番大きな問題は、福祉依存でした。ヨーロッパ諸国では、日本の生活保護に当たる公的扶助の受給者の大部分が現役世代なんです。なぜかというと、高齢になると年金が結構ありますので、そうすると現役世代の人たちが無拠出の、しかも期限がない福祉的な給付の制度の中に入り込んでしまって、なかなかそこから抜けていかない。この人たちをどうするかというのが当時、1990年代半ばぐらいのヨーロッパ諸国の最大の課題でした。

 そういう観点からすると、現役世代をできるだけ入れないようにする日本のやり方というのは、法律上の筋からいうといろいろ問題があるのでしょうが、社会のあり方としては、決して間違っていなかったという言い方もできます。当時、ヨーロッパではワークフェアといいました。ウェルフェアからワークフェアへ。福祉に依存するよりもできるだけ働く方向へ持っていくという政策が言われていたのです。ところがそれが問題ということで、先ほどリーマンショックのところで申し上げた年越し派遣村、そこに流れ込んだ人たちが生活保護を受給できるということが分かったのです。分かっただけではなくて、それがマスコミを通じて全国的に報道されたということもあって――確か数日前の読売だったと思うんですが結構大きな記事になっていたと思うんですが――その後、あまり現役世代が入っていなかった生活保護に非常に多くの現役世代の人たちが流れ込んでいくということが起こりました。これが今、大きな問題になっております。

 今、大阪市は、やや変な政治的な話で注目を集めていますが、平松市長というのは、この問題において非常に重要な方であります。この数年来、まさに平松市長がある意味、先頭に立った形で、制度の見直しを要求してきています。なぜ彼が先頭に立ったかというと、大阪市が一番、生活保護の受給者が多くて、しかもどんどん増えて来ているのです。このままでは大阪市の財政がパンクしてしまう。何とかしてくれと。しかし生活保護法自体、国の制度で、国の制度として生活に困窮する者には金を出せと書いてあります。これでどんどん来られては困るということで、非常にまじめに考えておられるがゆえに、これをどうにかすべきであるというわけです。平松市長がずっと主張されているのは、生活保護に期限を区切ろと。一たん入ったら、ずっとそれをもらえるということで、いつまでもそれに安住すると。高齢者とか障害者だったらある程度しょうがないかもしれないけれども、ここに現役世代がどんどん入り込んできてそういうふうになってしまう。これは社会全体として大きな問題ではないかということを非常に強く指摘しておられます。ある意味でその動きを受ける形で、現在、厚生労働省で、国と地方との間でこの問題をどうするかという議論が進められているところです。わたしは、これは非常に重要な問題だし、今後の日本社会のあり方を考える上で非常に大きな問題提起だと思います。

 何でこの話をするかというと、これが先ほどお話しした求職者支援制度とかかわってくるのです。平松市長を初めとする指定都市会の市長会がことしの7月に緊急要請というのを発表しているのです。本来、働くことができる人には、生活保護ではなくて、まず就労自立支援の対応がなされるべきだ。そのために求職者支援制度ができたのではないか。第2のセーフティーネットとはそういうものだろう。だとしたら、現役世代の方で生活保護を受けたいという人に対しては、まず生活保護に優先する制度として求職者支援制度を定めるべきである。そのためには、月10万というのは低過ぎる。訓練を受けて月10万では、生活保護を受けたいと思う人にとっておいしくないので行かない。だから、全国一律10万円にすることは認めがたい。これを生活保護費より高くし、実効ある就労支援を行って、生活保護に頼ることなく就労に可能な内容とすることということを要求しているのです。これは非常に重要な問題なのです。ただ、これをそのまま受け入れると求職支援制度そのものの合理性が崩れる危険性もあります。正直言うと、わたしの目から見ると、生活保護が手厚過ぎるのではないかという気もするのです。ただこれを言うと、何を言っているのだという批判もありまして、なかなか難しいところです。

 本日は、最近の労働政策という題でお話をしているので、この問題についてこうすべきだとお話しするわけではありません。皆様の頭の中に問題意識をお持ちいただければそれでいいのです。わたくしからこうすべきだという答えはあえて申し上げずに、こういう状況にあるということをお話をして、第1の柱の話をここで終わります。わたしの話は終わりますが、この問題は全然終わるわけではりません。むしろ、求職者支援法は10月に施行されたけれども、セーフティーネット全体の問題が今、大きな問題として問われているということです。これは本当に日本社会のあり方そのものにかかわる話だということをぜひご認識いただければというふうに思います。

文中の表現は、ちょうど大阪市長選のまっただ中だったためですが、生活保護の見直しを熱心に主張していたのは、平松前市長だったということすら、既に忘れられつつあるやに見える現下の軽薄さが気になります。

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大野更紗さんが拙著書評@朝日新聞

P_m_reasonably_small本日の朝日新聞書評欄「ニュースの本棚」で、大野更紗さんが拙著を含む数冊を挙げて、『日本型福祉の終わり-<家族の革命>が進んでいる』を書かれています。

http://twitter.com/#!/wsary/status/191293520680718336

112483300739b取り上げられているのは、エスピン・アンデルセン『福祉を語る』、宮本太郎編『弱者99%社会』、濱口桂一郎『日本の雇用と労働法』、阿部彩『子どもの貧困』の4冊。

宮本編には私も顔を出しておりますので、1.1冊分くらいでしょうか。

以下、拙著に触れた部分のみ引用。

濱口桂一郎の『日本の雇用と労働法』は、新卒一括採用、長期雇用、年功序列、企業別組合などと特徴とする「日本型雇用システム」を労働法の観点から解体する。日本型雇用システムはその「メンバーシップの維持」に最重要点がおかれる。メンバーシップ、すなわち「縁」の安定のために、新卒定期採用で入り口、定年制退職で出口を固定している。

少子化の要因はここにもある。メンバーシップ雇用の中で、女性は「家族内福祉の担い手+非正規」になるか、子育てを断念して正規として残るかの二者択一を迫られてきた。・・・・・

若干注文をつけると、メンバーシップと「縁」はかなりニュアンスが違うように思いますが・・・。

(つまらぬ追記)

さすが朝日の書評欄の影響力。

数週間に渉って1位を守り続けていた向井蘭さんから、労働部門の1位を奪いましたぞ!?

http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/505398/ref=pd_zg_hrsr_b_1_6_last

(さらにつまらぬ追記)

と思ったら、数日にして向井蘭さんに1位を奪い返されました(笑)。

向井蘭無敵!

http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/505398/ref=pd_zg_hrsr_b_2_6_last

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バナジー&デュフロ『貧乏人の経済学』

07651_bigアビジット・V・バナジー&エスター・デュフロ著、山形浩生訳『貧乏人の経済学』(みすず書房)をお送りいただきました。わたくしのようなこの問題の門外漢にまで本書をお送りいただき、ありがとうございます。

http://www.msz.co.jp/book/detail/07651.html

本書の対象は、貧困問題といってもインドやとりわけアフリカなどの貧しい諸国の問題で、分野的にはいわゆる開発経済学といわれる分野で、私のやってることとはかなり離れているのですが、読んでいって、著者らのスタンスが実にぴたりぴたりと感覚に嵌る思いを何回もしました。

版元のサイトに、「はじめに」と「網羅的な結論に代えて」という最初と最後の文章がアップされていますので、それをちょっと引用しつつ、

http://www.msz.co.jp/book/pdf/07651_foreword.pdf

貧乏な人々を紋切り型の束に還元しようという衝動は、貧困が存在するのと同じくらい昔からあります。貧乏な人は、文学は言うにおよばず社会理論でも、ぐうたらだったり働き者だったり、高貴だったり泥棒だったり、怒っていたり無気力だったり、無力だったり自立していたりします。当然ながら、そうした貧乏人についての見方に対応した政策的な立場も、単純な図式におさまっています。「貧乏人に自由市場を」「人権を大幅に充実」「まずは紛争を解決すべき」「最貧者にもっとお金を」「外国援助が発展を潰す」等々。こうした発想はどれも、重要な真実を部分的に含んではいるのですが、希望と疑念、限界と野心、信念と混乱を抱いた実際の平均的な貧乏人にはほとんど出番がありません。貧乏人がたまに登場するのは、何やらいいお話や悲惨な話の盛り立て役としてであって、感心されたり哀れまれたりはしても、知識の源泉にはならず、何を考えたりほしがったり行なったりしているかについて、まともに話を聞いてはもらえません。

部分的に重要な真実を含んではいるが、現実の矛盾に満ちた人々を「紋切り型の束に還元」するようなたぐいの理論・・・本書の分野で言えば、援助さえすれば全て解決万万歳のサックス派や何やっても全て無駄の前面否定のイースタリー派・・・では掬いきれない現実の細かなひだに寄り添いながら、本当の意味の「実務」派の感覚でこう述べます。

貧困から抜け出すのは難しいけれど、可能性を感じさせて、ツボを押さえた手助け(ちょっとした情報やあと押し)をすると、時には驚くほどの成果が出ます。一方で、期待をはきちがえ、必要な信念が欠け、ごくわずかに見える障害があるだけで、ひどい結果になってしまいます。正しいレバーを押すだけで巨大なちがいが生じるけれど、そのレバーがどれかを見極めるのはむずかしい。何よりも、一本ですべての問題を解決するようなレバーがないのははっきりしています。

巻末の「網羅的な結論に代えて」でも、

http://www.msz.co.jp/book/pdf/07651_conclusion.pdf

貧困を削減する魔法の銃弾はありません。一発ですべて解決の秘法もありません。でも貧乏な人の生活を改善する方法については、まちがいなくいろいろわかっています。・・・

このセンスは、貧困問題だけではなく、他のあらゆる社会問題にも必要なのでしょう。

昨今の、一つ一つ問題を引き起こしているメカニズムを腑分けしてそれぞれにきちんとした対策を考えるというしちめんどくさいやり方が不人気で、全てに効く「一本ですべての問題を解決するようなレバー」やら「魔法の銃弾」やら「一発ですべて解決の秘法」やらを追い求めるたぐいの、あるいはそれを売ると称して人気を博そうとするたぐいの人々が、やたらにあちこちでうごめくこのご時世だからこそ。

ここにも、空疎な「総論」では何事も解決しない、「各論」こそが物事を解決するという、ある意味で当たり前の真実が顔を覗かせているのでしょう。

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世界の派遣業界はディーセントワークとソーシャルパートナーシップを掲げる

2012_04『情報労連REPORT』4月号が届きました。

http://www.joho.or.jp/up_report/2012/04/

特集は「不信”ではなく“信頼”へ 今こそ、安心できる 社会保障システムを!」で、大沢真理、岩永牧人、榊原智子、湯浅誠といった人々の話に、情報労連の縄倉さんの文章など。そして中島岳志さんの「バッシングでは社会は改善しない」は特集の一環ですが、むしろ時論のような感も。

わたくしの連載「労働ニュースここがツボ!」は、今回は「世界の派遣業界はディーセントワークとソーシャルパートナーシップを掲げる」と題して、先日のCIETTのワークショップの紹介です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/johororen1204.html

去る3月6日、CIETT(国際人材派遣事業団体連合)の地域ワークショップとして講演とシンポジウムが開かれ、私もパネリストの一人として出席しました*1。聴衆の大部分は日本の派遣業界の方々ですが、CIETT、とりわけその中核をなしているヨーロッパのEuro-CIETTの方々の話が、どれくらい日本の聴衆に伝わっているのだろうか、と若干心配な気持ちにもなりました。というのも、当日の講演の内容も、その背景となったCIETTの冊子「Adapting to Change」(当日邦訳を配布)も、日本の派遣業界ではほとんど使われることのない言葉がキーワードとして使われていたからです。

ハーステレン会長(蘭)やペネル専務理事(仏)が繰り返し強調したのは、人材派遣こそがディーセントワークを提供しうるのだということであり、そのフレクシビリティとセキュリティの両立のためには適切な規制が必要だが、その中でも労使対話型が望ましく、人材派遣業界は労使対話に尽力しているのだということでした。ヨーロッパ各国で、労使パートナーによる人材派遣業界対象の共同組織が多数設立されていることが紹介され、「ソーシャルパートナーシップ」という言葉が何回も繰り返される姿は、ほとんどILO総会かと見まがうばかりでした。

残念ながら、日本の派遣業界はこれまでディーセントワークとかソーシャルパートナーシップという概念に無関心でした。時としては公然と敵意を示すことすらありました。たとえば、かつて政府の規制改革会議や労働政策審議会労働条件分科会の委員として、公的な立場で派遣業界の意見を世間に示す立場にあった方が、「ILOは後進国が入るところだ。先進国はみんな脱退している」とか、「労働省や労基署はいらない」とか、「過労死は自己責任だ」といったことを語っていたのです。もちろん個人的にそのような意見を持つ方がいても全く自由ですが、公的に派遣業界を代表する立場の人がそのような発言をするという事態の背後には、派遣業界のこの問題に対する認識の水準が顕れていたといわれても仕方がないでしょう。

しかしながら、これは派遣業界を責めていればよい問題でもありません。既存の労働組合がややもすれば正社員組合に安住して、派遣労働者など非正規労働者の組織化に取り組んでこなかったことが、こういう事態の背景にあるとも言えるからです。派遣労働者を含む非正規労働者の「発言」のメカニズムをどのように構築していくか、日本の労働組合が非正規労働分野においても「ソーシャルパートナー」の名に値する存在であるのかどうかが問われているのです。


*1ファシリテーターは八代尚宏氏、他のパネリストは鶴光太郎氏、龍井葉二氏、松井博志氏、アンネマリー・ムンツ氏(Euro-CIETT)、坂本仁司氏(人材派遣協会)。


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ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき』

94404ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき』(人文書院)を、訳者の宇城輝人さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

ほとんど面識がないにもかかわらず・・・正確には、岩波の『自由への問い 労働』の編集会議で一度顔を合わせてはいますが・・・お送りいただき恐縮しております。

http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b94404.html

街を揺るがした、「くず」どもの怒りの理由は何か――2005年におけるパリの暴動後に書かれた、フランス社会学の泰斗による迫真の分析。

貧困、人種、民族によってフランスの都市は、もはや共和主義の理念とは程遠いまでに分断されている。郊外に貧困と暴力とともに取り残される若者、田園地帯の新興住宅地に逃げ込む中産階級、官と民により再開発される都心…。この分断を乗り越え、もう一度都市を作り直すことはいかにして可能か。本書は、フランス都市政策の挫折の歴史をふまえ、その困難な道を指し示す、フランス社会学の泰斗による迫真の分析である。それは、経済格差の拡大と貧困、都市および地域コミュニティの荒廃、そして移民労働者の受け入れに揺れる日本社会にとっても、有益なものとなるだろう。

上のリンク先には、かなり長めの「まえがき」が公開されていて、かなり明確に問題意識を提示しています。「ル・ソシアル」な方に関心のある私からすると、

第一に、九十年代半ば以降、「正統」な古典的社会問題が社会の中心にふたたび姿を現したけれども、しかし排除のテーマとは切り離されたということである。社会問題の「回帰」と軌を一にして生じたのは、厳密な意味での賃労働条件にもっぱらかかわる不安であった。不安を喚起するのはもはや失業の帰結である排除ではなく、保護されてきた雇用への脅威の増大であった。・・・ ようするに、郊外問題すなわち民族マイノリティが被る特殊な不利益の問題は、賃労働条件の問題と比べて二次的なものとされた。もっといえば、一種の目晦ましだと見なされた。「真」の問題である賃労働条件の問題、つまりこれまで手厚く保護されてきた雇用への脅威の問題を犠牲にして郊外問題を重要視したのはやりすぎだったと判断されたのである。

といった批判はなかなか厳しいですね。というか、ドンズロ自身がかつてはソシアル派だったのが、変わってきたようですが。

全体を通読して感じたのは、日本の文脈との大きな違いとともに、今日的関心の対象との奇妙なまでの近接性でした。

最近の大阪の「西成区」をめぐる政治的言説の数々を思い浮かべると、妙なデジャビュを感じることもたびたびでした。これは何なんでしょう。

でも西成はバンリューじゃないでしょうね。やっぱりかなり文脈は違うんですが。

(追記)

翻訳者の宇城さんご自身による解説

http://twitter.com/#!/ustht/status/191450948923686912

いやージャック・ドンズロ『都市が壊れるとき』(人文書院)を読んでおくと、大阪のことが手にとるように分かるなー(ステマ)

http://twitter.com/#!/ustht/status/191451241606430720

冗談はさておき、西成を特区にするというのは、西成を「えこ贔屓」するかに受取る人がいるようだけど、まったく逆じゃないかな。

http://twitter.com/#!/ustht/status/191452387209252864

劇場で上演されなくなる問題は、さて、どうなるのかというのが大問題。21世紀のわたしたちの課題は、問題を上演する舞台をもう一度構築することだということではないだろうか

http://twitter.com/#!/ustht/status/191452826554220545

西成を特区にするということは、おそらく大阪という都市の解体のはじまりかもしれないという発想を、頭の片隅においておいたほうがいいと思います

http://twitter.com/#!/ustht/status/191454718713798656

西成は、多くの人びとにとっては無関心の死角みたいなものであったかもしれないけど、日本社会の矛盾が上演される重要な都市空間だったことは間違いない。

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労働政策フォーラム「職場のいじめ・嫌がらせ、パワハラ―今、労使に何ができるのか」

JILPTの労働政策フォーラム、来る5月31日は「職場のいじめ・嫌がらせ、パワハラ―今、労使に何ができるのか」です。

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20120531/info/index.htm

近年、職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメントは、社会問題として顕在化してきています。都道府県労働局に寄せられる「いじめ・嫌がらせ」に関する相談は、年々増加の一途を辿っています。メンタル疾患が増加している背景には、職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメントがあるとも言われています。企業にとっては、生産性に悪影響を及ぼす、訴訟のリスクとなるなど、決して放置することはできない問題です。

本フォーラムでは、職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメントの現状を明らかにするとともに、この問題にどう対処していくべきかを行政、研究者、現場の視点から報告・議論します。

というわけで、場所は例によって朝日新聞新館の浜離宮朝日ホールです。昨日も別件でそこにいったことは秘密・・・。

登場するのは以下の面子ですが、

基調報告 「職場のパワーハラスメント」の現状
本多則惠 厚生労働省大臣官房参事官(賃金時間担当)

研究報告 職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメントの予防・解決に向けた労使の取り組み―ヒアリング調査からわかったこと―
内藤 忍 労働政策研究・研修機構研究員

事例報告 積水ハウスグループにおけるヒューマンリレーション向上の取り組み
―パワーハラスメント問題と人財育成の課題―
武田 勝 積水ハウス株式会社法務部ヒューマンリレーション室部長

ハラスメントのない職場を目指して―労使の取り組み―
白石裕治 全タイヨー労働組合中央執行委員長

職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメント解決のために―労働相談からみる解決のヒント―
金子雅臣 職場のハラスメント研究所代表理事

パネルディスカッション
パネリスト:
本多則惠 厚生労働省大臣官房参事官(賃金時間担当)
武田 勝 積水ハウス株式会社法務部ヒューマンリレーション室部長
白石裕治 全タイヨー労働組合中央執行委員長
金子雅臣 職場のハラスメント研究所代表理事
内藤 忍 労働政策研究・研修機構研究員
コーディネーター:
佐藤博樹 東京大学大学院情報学環教授

大体、昨年度厚労省がやった円卓会議の流れですが、金子雅臣さんが登場するのが一つの目玉でしょうか。

この問題に関心のある多くの方々のご参加を期待しております。

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小難しい事が書いてあるが

拙著『日本の雇用と労働法』へのtatsuo1020さんのブクログレビュー。冒頭、「小難しい事が書いてあるが・・・」とありますが・・・。

http://booklog.jp/item/1/4532112486

小難しい事が書いてあるが、過去の労働法の歴史が詳しく書かれている。社労士を目指す人にとってはとても勉強になる。知りたいと思っていた過去の歴史がたくさん載っていた。何度か読んで今後に生かしたい。

法政の学部学生むけ講義用なので、そんなに小難しいことは書いてないつもりなんですが・・・。

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角のないオセロ

本日の朝日の「耕論」に、湯浅誠氏が登場しています。中身は既に本ブログで何回も取り上げてきた話なのでいちいち紹介しませんが、同じことの表現方法に面白いのがあったので、

どんな立場になっても、やっているのは結局「角のないオセロ」のようなものだと実感しています。オセロでは角を取れば一気に多くのコマをひっくり返せますが、現実にはそんな角はない。一個ずつ地道に反転させていくしかないのです。

世の中に「ウルトラC」はない、ってことを、これまた根気強く地道に説き続けていますね。

考えてみたら、むかしの左翼活動家ってのは、オセロの角(制高地!)を奪い取って、世の中をひっくり返すんだなんていうことを口走っておったわけですが・・・。

若い人に良く聞かれるんですよ。「自分は何をすればいいですか?」と。世の中をがらがらと変えるような大きなことをやらないと意味がないと思っている人がいる。だから私は「限りある時間と能力の中で、あなたが最も有効だと思うことをやってください。魔法のボタンはどこにもありません」と答えます。

ガラガラポン思想。魔法のボタン。そういう幻想に絡め取られると、この記事の記者が問うように

オセロの盤そのものをひっくり返そうという闘い方もあるのではないですか

という考え方に走りがちです。まさに革命烈士の道。そういう道の先に何が待っていたか、20世紀の歴史はあまりにも多くの教訓を示してくれているはずですが、残念ながらあんまり共有されているわけではなさそうです。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html(湯浅誠氏が示す保守と中庸の感覚)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-3bac.html(湯浅誠氏がさらに深めた保守と中庸の感覚)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-13b1.html(湯浅誠氏の保守と中庸の感覚に感服する城繁幸氏)

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現代の魔女狩り@文藝春秋から・・・

先日、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-48c4.html(いま再掲載するなら・・・)

いま再掲載するなら、「日本の自殺」なんていう、龍馬かぶれの革命烈士(笑)が喜びそうな代物ではなく、そういうかぶれ者に冷水をぶっかけるような「現代の魔女狩り」の方が数倍リアリティがあるんじゃないか、と述べましたが、文藝春秋編集部はいまの熱狂に棹さす方向を選んだようですな。

2079367 そういうことなら、こっちはあえて、いまやほとんど忘れられているこの論文の重要部分をアップして、昨今の熱狂的な騒ぎになぞらえるよすがにしてみんとてするなり。

まず「はじめに」から

人間の精神と肉体が病に冒されることがあるように、ある時代の精神と社会が深い病に侵されることがある。われわれの診断によれば、最近の日本社会は、どうやらかなり重症の病に侵されており、しかもこの病は肉体の病というよりはむしろ神経症ないしは精神病の疑いが濃厚である。・・・

・・・先に列挙したような奇々怪々の諸現象は、魔女狩りという観点から観察しなおしてみると、よく分かることが多い。そして実はそう考えてみると、現代日本における魔女狩りは既にかなりの組織的成功を収めてしまっているのである。・・・

ここに進行していることは、どう考えても日本社会の自殺への行動であり、自分が自分の首を絞めるという愚かしい行動に他ならないのである。魔女狩りの集団妄想の結果、日本が自殺するようになることになるとすれば、それを喜ぶのはほんの一握りの魔女狩りの狩り手たちだけであろう。集団妄想の熱狂から醒めたとき人々はそこに地獄のような惨めな世界を見出すだけであろう。そうならないために、われわれは魔女狩りの流行病を拒否せねばならず、魔女狩りの疑いのある動きから手を引かねばなるまい。・・・

以下、近世ヨーロッパの魔女狩りの歴史を紐解き、(これが書かれた)少し前の学生紛争について触れ、そして本論として、自動車批判、カドミウム、商社批判、などについて論じていきますが、なにしろ今から一世代以上昔の話なので、はあむかしはそんなことがあったのか・・・という印象でしょう。しかし、最後の「魔女狩りの処方箋」は、いま現在の現象にそのまま当てはめても全然古びていないどころか、一言一言がぴたりとはまる感じです。

・・・魔女狩りに適合的に論理体系は、世界を神と悪魔との、或いは真理と誤謬との、対立と闘争に還元する単純な二値論理である。神と悪魔の葛藤というこの世界像には、灰色の箇所は一箇所もない。絶対的に正しいか、絶対的に間違っているか、この二色しか、単純な二値論理の世界像にはない。しかし現実の世界は、単純な黒白二色の世界図で説明するにはあまりにも複雑なものである。全ての物事は高度に多面的な性格を帯びており、善意の判断基準もまた複雑きわまるものである。真の合理精神は懐疑精神を不可欠の一部とし、自分も含めて人間は認識上、行動上の誤りを犯しやすい不完全な存在であると考えるものであるが、神か悪魔かの単純な二値論理の独断の支配する世界には、懐疑精神の入り込む余地などまったく残されていないのである。

二値論理の世界は、認識の行動の主体との関係でいえば、絶対的な一元主義の世界であり、無謬性と不寛容の支配する世界である。自分だけが絶対的に正しく、誤りなきものであり、自分に反対する者は絶対的に誤りで、邪悪である。この思い上がりと独善こそがある条件の下では恐るべき魔女狩りを繰り広げることになるのである。・・・

そして、具体的に次のような処方箋を提示します。これは当時とはまったく土俵を入れ替えながら、まったく同じような二値論理が猛威を振るう現代にこそ、熟読玩味されるべきでしょう。

1 二値論理のとりこになっていないか

2 トレードオフを忘れていないか

3 単純な因果連鎖を絶対視してはいないか

4 「敵」や「味方」を「超能力者」視してはいないか

5 善意に出たことだから結果も良いはずだと思いこんでいないか

6 これは魔女狩りではないのか

7 魔女狩りに荷担したり、のせられたりしてはいないか

8 自分の行為には有害な副作用はないか、社会的責任を果たしているといいきれるか、私欲に迷いすぎてはいないか

9 自分の力を過信し「空気」を甘く見すぎてはいないか

10 「魔女狩り」の圧力に屈服しすぎてはいないか

「おわりに」の次の言葉は、この論文が書かれた当時には魔女狩りの側がいわゆる「進歩派」で、狩られる方がもっぱら「保守派」であったことを思い出しつつ読むと、そのあまりにも予言の実現ぶりが、実に味わい深ものがあります。

・・・何人も魔女狩りの追及から完全に保護されてはいない。大学紛争では「進歩的文化人」も魔女と化し、現在では過激派ゲリラが最も恐るべき魔女とされている。今後の魔女狩りでは、公害反対運動や住民運動のリーダー、差別反対論者といった人々まで、犠牲にされるかも知れない。魔女の狩り手までがやがて魔女として狩られるというのが、魔女狩りの運動法則なのである。魔女狩りのコストはあまりにも高価で、あまりにも無意味である。しかもわれわれは明日にもまた大規模な魔女狩りに直面するかも知れないのである。・・・

今われわれの眼前に展開しつつあるのは、あまりにも見事にこのときの「明日」の姿ではないのでしょうか。

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日本法制史における奴隷制

稲葉振一郎氏のつぶやきを一応説明しておきますか

http://twitter.com/#!/shinichiroinaba/status/189967355160444928

やっぱり日本もそうだよね、というか奴隷イコール賤民ではない、というのがむずかしいところ。家産官僚も奴隷だし、解放奴隷ってクローニーだし。

おそらく日本法制史において奴隷概念を極限まで広く用いる人であろうと思われる瀧川政次郎の『日本社会史』(角川全書)から中世の武家階級を解説したところ:

・・・私は、我が国の封建制度は、その法律的構成においては、家人奴婢の制度と家司の制度の混合によって成立したものであると考えている。されば、鎌倉時代の御家人なる名称は、上代のミヤツコ(造)なる名称がヤツコ(奴)より起こったのと同じように、王朝の賤民の名称たる家人より由来したものと見るのが正しいと思う。英語のMinister(大臣)なる語が、奴僕、供侍する、の意を有し、支那の宰相の宰なる字が、宰夫、膳宰の語によって知られる如く、犯罪によって没収された奴隷が屋下に料理人として働いている意味を表した文字であることを考えれば、、何ら怪しむに足りない。・・・この事は、中世の花と歌われた西洋のKnight(騎士)が、ドイツ語のKnecht(奴僕)なる語と同語源なるによっても知られるように、もとLord(貴族)の奴僕であったことと比較して甚だ興味が深い。

・・・そしてこの武士の家人奴婢より起こった郎従も、中世末には、その主人たる侍の地位向上に伴って、その地位を上進し、一般百姓よりは上位におかれるようになった。

ちなみに近世の武家奉公人については:

ここに武家奉公人というのは、若党、仲間、小者、あらし子等の名を以て呼ばれた旗本、陪臣の従僕と同心、小人、黒鍬者、駕籠者、掃除者、公人、朝夕人等の名を以て呼ばれた幕府直属の雑人とである。彼らはすなわち前代の武家の郎従、従者の後身であって、一般にヤッコと汎称せられ、・・・そして彼らの多くは、いわゆる手形一枚で雇われた出替奉公人であった。その給金は寛永時代には大体二両二分ということに相場が決まっていた。されば彼らと主人の間には、前代の譜代の郎従とその主人との間における如き情誼は次第に見られなくなり、浮華軽佻の風は彼らの間に特に著しかった・・・

世事見聞録は・・・『主人は良き程に誑かし置きものと心得、如何様の不埒をなしても、暇を出さるる迄にて事済ゆへ、我儘のみ成り行き、奉公に裏表多く、或いは主家にいる内より先の有り付けを約束し、外へ住み替えては先主のことを嘲り誹り・・・』といっている。・・・この言葉は、彼らの所謂奉公人根性を露骨に表明している。

と、江戸時代には既に「奉公人根性」にまでなっているようです。

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4月15日付朝日新聞読書面の掲載予定書籍

4月15日付朝日新聞の読書面に、拙著『日本の雇用と労働法』(右に表紙)の書評が載るようです。

http://book.asahi.com/reviews/date/nextweek.html

宮本太郎さんらとの『弱者99%社会』の次に並んでいるので、一緒に合わせ技で書評ということなのかも知れません。

簡易な通説のテキストという性格からすると、日経文庫の本が新聞の書評に取り上げられることは珍しいそうなので、たぶん中身が「外れ値」なんでしょうね。

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『日本の雇用終了』広告JILPTサイトにアップ

Cover_no4 ようやく『日本の雇用終了』がJILPTのサイトにアップされました。市販本なので、「はじめに」と目次だけPDFで読めるようになっています。

http://www.jil.go.jp/institute/project/series/2012/04/index.htm

1990年代から個別労働紛争処理システムの構築が大きな政策課題となり、2001年10月から個別労働関係紛争解決法が施行されました。現在、全国の労働局で行われている、個別労働紛争に関する相談、助言指導およびあっせんの件数は極めて多数に上っています。本書では、こうした事案の3分の2を占める雇用終了事案と、それ以外でも雇用終了にかかわる多くの事案についてその内容を詳しく紹介分析することで、今日の日本の労働社会において日常的に発生している雇用終了という現象を、ありのままに認識し、職場のありようを考えます。

第1章 個別労働関係紛争の概観

第2章 雇用終了理由類型ごとの内容分析

第3章 横断的観点からの分析

第4章 日本の職場の「フォーク・レイバー・ロー」

第5章 政策的含意

なお、同じ第2期プロジェクト研究シリーズの刊行物は次の通りです、併せてご購入いただければ幸いです。

1 『高齢者雇用の現状と課題』

2 『ワーク・ライフ・バランスの焦点』

3 『非正規就業の実態とその政策課題』

4 『日本の雇用終了』

5 『中小企業における人材育成・能力開発』

6 『キャリア形成支援における適性評価の意義と方法』

残念ながら、現時点ではなおアマゾンその他のネット上書店には出品されておらず、上記JILPTのサイトからご注文いただくことになります。

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紀伊國屋書店新宿本店 『POSSE』編集長が選ぶ!いまの時代を生き抜くフェア

Posse2


紀伊国屋書店新宿本店の3階で、 『POSSE』編集長が選ぶ!いまの時代を生き抜くフェアてのをやってるようです。

http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-Main-Store/20120405191048.html

苛烈な就活競争、超時間労働、サービス残業、パワハラとうつ・・・・・・。日本の労働現場を取り巻く厳しい環境に対して、私たちは一体どう立ち向かえばよいのか。ブラック企業の時代を生き抜くために読んでおくべき本を、若者の雇用問題総合誌『POSSE』編集長が厳選した。

全タイトルに編集長のコメントつき無料冊子を配布しております。どうぞお立ち寄りください。

もちろん雑誌『POSSE』をはじめとして、こういうラインナップのようです。

ブラック企業のサバイバル術から

僕は君たちに武器を配りたい 瀧本哲史 / 講談社
ブラック企業に負けない 今野晴貴、川村遼平 / 旬報社

ブラック企業の哲学から

魂の労働 ネオリベラリズムの権力論 渋谷望 / 青土社
暇と退屈の倫理学 國分功一郎 / 朝日出版社
マルクスの物象化論 資本主義批判としての素材の思想 佐々木隆治 / 社会評論社

ブラック企業の社会学から

居場所の社会学 生きづらさを超えて 阿部真大 / 日本経済新聞出版社
絶望の国の幸福な若者たち 古市憲寿 / 講談社
「キャリアアップ」のバカヤロ− 自己啓発と転職の“罠”にはまらないために 常見陽平 / 講談社

ブラック企業のノンフィクションから

リストラウォ−ズ 女ひとり、会社に宣戦布告する! エム / マガジンハウス
DVD>フツ−の仕事がしたい / 旬報社

ブラック企業の前史から

ぼくが世の中に学んだこと 鎌田慧 / 岩波書店
日本の雇用と労働法 浜口桂一郎 / 日本経済新聞出版社

この中で、あんまり知られていないけれどもすごい中身の本としては、エムさんの「リストラウォ−ズ 女ひとり、会社に宣戦布告する!」が屈指でしょう。かつて本ブログでも紹介したことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-d1be.html(「やりがい」型片思いメンバーシップの搾取)

ちなみに、一番はじっこに今にもずり落ちそうに置かれている拙著への編集長のコメントはこうだそうです。

(冊子から)良かったものとして振り返られがちなかつての日本の雇用は、終身雇用や年功賃金と引き換えに、働き方においては、会社にすべてを白紙委任する契約だった。つまり、「ブラックだけど、ブラックじゃない」働き方が日本の労働だったのだ―――。博覧強記の老父同問題研究者であり、αブロガーとしても著名な濱口桂一郎氏の労働問題入門書。ブラック企業が実は歴史的に形成されてきたことを、労働法の歴史から理解できる。

「博覧強記の老父同(ママ)問題研究者」ってのは、わたくしの錯乱狂喜が伝染ったということかしらね。

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それは日本も同じ

金子良事さんのつぶやきに若干気になる点が・・・、

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/189353670851301378

カステルの『社会問題の変容』を眺めていて、フランスもイギリスと同じく雇用関係の基層に奴隷制度があったんだなと思った。これが上昇するイメージ。これに対して日本は規範的には奉公制度で、元々武士の御恩と奉公が江戸時代初期に他の身分に移ったものだから、西洋と全く逆で上から下なんたよね。

いやだから、その点ではフランスもイギリスもドイツも日本も同じなんですよ。まったく同じ構造。逆にたぶん中国とかは違う。

まあそれを「奴隷制度」と呼ぶかどうかは別にして(歴史上別の現象に使われる用語をこっちに使わない方がいいとは思うけど)、日本法制史学者の瀧川政次郎の『日本労働法制史研究』(東京大学経済学部図書館蔵)の冒頭部分を若干引用しておきます。

・・・而して我が国に於いてこの半自由労働制の範疇に入るべき労働法制は、上代に於いては家人及び雑戸の制度であり、中世に於いては所従、従者、下人、名子、被管、候人、譜代、荒子等の名で呼ばれている譜代下人の制度であり、又近世に於いては、それらの名残なる譜代奉公人及び被管百姓等の制度である。即ちこれらの制度の下に労働を他人に提供する者は、いずれも上代の奴隷と同じように、その主人の権力下に隷属している者ではあるがその主従関係ないし終身奉公契約なるものは、亦雇傭契約が賃金を対価とする双務契約なる如く、主人の御恩と庇護を対価とする一種の労務契約であるといっても良いのである。中世の主従関係に於いて、この御恩なる語は、倫理的感情を意味せずして、所領の恩給を受けるという物質的恩恵を意味し、奉公なるものは、この対価に対する忠勤義務の履行であると考えられていた。・・・

・・・足利季世頃からそろそろ文献の上に現れてくる一期半期の所謂出替奉公人及び年期奉公人は、この譜代下人及び譜代奉公人の変化した者であって慶長元禄頃の出替年期の奉公人の性質は、譜代もののそれと大差あるものではないが、これは半自由の範疇に入れないで、自由労働者とする方が穏当ではあるまいかと私は考える。・・・

(追記)

金子さんがご自分のブログで論じられているのですが、今日は午前中、公共政策大学院の講義(労働力需給システム)があるので、とりあえず簡単にひと言だけ。

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-229.html(奉公、武士、規範)

江戸時代だけが関心で「近世以前は関係なし」というのなら、そもそも江戸時代の「奉公」は武家奉公であれ町方奉公であれ、近世的雇傭契約なのであって、中世的「ご恩と奉公」とは位相を異にしている。

中世的忠勤契約が近世的(身分的残滓を含む)雇傭契約に移行したという点で日欧共通と述べているのであって、それ以上のニュアンスを論じ出せば、各国ごとにいろいろ違うところが出てくるのはまた当然。

おそらくそのニュアンスの違いには、トッド的な家族構造の違いがなにがしか影響しているだろうという予感があるが、これは実証研究が必要なのでこれ以上書かない。

(再追記)

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/189922182254706688

ただ、僕が考えたかったのは規範の問題で、事実レベルの問題ではなかったと書き終わった後で気付きました。整理せずに書いたのがまずかったです。

事実と規範は別次元じゃない。

江戸時代に中世的「御恩と奉公」の事実が希薄化してるのに、観念的な規範だけが空中を漂って近代以降の現実と化するなどということはありえない。というか、そんなことを論証するのは超絶的に難しいはず。

江戸時代の雇傭については、現在でもなお戦前『国家学会雑誌』に書かれた金田平一郎の「徳川時代に於ける雇傭法の研究」を超える研究はないと思う。

それから、職人の話はまた別。佐口さんがどこかで書いていたと思うが、西洋でも日本でも雇傭契約の原型は家内奉公であって、職人は請負契約の流れ。「なぜ、日本がブルーとホワイトが決定的に分裂しなかったか」じゃなくて、もともと別。

それが何でくっついてきたのか?が問うべき事柄。話の流れが逆では?

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各論なき総論哲学者の末路

権丈さんと一緒に(総論)政治学者を罵倒した話のより原理的な版ということか、

http://twitter.com/#!/hazuma/status/189325081900625920

ポピュリズムには反対だけど、大衆の善良な意志は信じる(キリッとかいう立場は論理的に存在しえないんですよ。ポピュリズムを肯定するか、エリート主義にいくか、どちらかしかありえないのです。だからぼくは、民主主義者としてポピュリズムを否定しない(否定できない)ってだけ

問題をポピュリズムに流されるか、エリート主義に行くかという二者択一でしか考えられないところが、(総論政治学者や総論政治評論家や総論政治部記者と同断の)総論しか頭の中にない哲学者という種族の宿痾なのだろう。

いうまでもなく、圧倒的に多くのことについては横町のご隠居程度の見識しかない大衆食堂の皆さんにも、程度の差はあれ、これはという専門分野はある。

ほかのことについては軽薄なマスコミの掻き立てることにコロリと逝っちゃう一般大衆でも、この問題については新聞のいうことは間違ってるぞ、とひとしきり人に説教できるような分野がある。

きょろきょろするなよ、大学のセンセたち、そういう専門を持ってる大衆って、あんたらのことでもあるんだよ。そしてまた、世間で実務やってる人々のことでもあるし、趣味の世界の場合もある。要はみんな、なにがしか(というより相当程度に)大衆なんだが、なにがしか(どんなに少なくとも)専門家であり、その面においてはポピュリズムに逝かれる(周りの)大衆たちを哀れみのまなざしで見る局面てものもあるのだ。

誰にもこだわりの「各論」てのがある。「総論」に巻き取られると不愉快になる「各論」が。

大事なのは、そういう「おおむね大衆ときどき専門家」な人々の「民意」をどこでもってつかまえるべきなのか、ってこと。

ポピュリズムがだめなのは、その人々の「おおむね大衆」の低次元の「総論」だけをすくい取って「これが民意」だ、ってやるところ。

決して馬鹿なだけじゃない大衆の馬鹿なところだけをすくい取るのがポピュリズムだ。

レベルの低い「民意」をすくい取られた大衆が、しかし自分の専門分野について「とはいえ、こいつはおかしいんじゃないか」と感じるその違和感をきちんと言語化するのが、言葉を商売道具にして生計を立てている連中の最低限の義務だろうに。

それすらも放棄するというのは、つまるところ、そういう専門分野、つまり「各論」を持たない哀れな哲学者という種族の末路と言うべきか。

ポピュリズムの反対はエリート主義ではない。大衆の中の「各論」を語れる専門家的部分をうまく組織して、俗情溢れる低劣な「総論」を抑えるようにすることこそが、今日の高度大衆社会に唯一可能な道筋のはずだ。

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『日本の雇用終了』のご紹介 by 野川忍先生

Fire 例によって、ついーとで『日本の雇用終了』の重要なメッセージをご紹介いただいています。

http://twitter.com/#!/theophil21/status/189168136602398720

(1)濱口桂一郎先生の「日本の雇用終了」が発刊された(JILPT編)。これは、都道府県労働局における個別労働紛争あっせん事案の膨大な事例を分析した労作であり、解雇・退職に関する観念的・抽象的な俗論を排して、冷静で合理的な議論を促す非常に有益な文献である。

http://twitter.com/#!/theophil21/status/189169013916565504

(2)この本を読むと、「解雇規制が日本の雇用をゆがめている」などという見解がいかに根拠薄弱なイデオロギー的主張であるかが諒解される。解雇された労働者が裁判所に訴えて勝訴するというのは、全体の解雇事例の「珍種」であって、解雇の実態は経営者の「自由裁量」に近いことがよくわかる。

http://twitter.com/#!/theophil21/status/189169916522414080

(3)日本の企業の99%を占める中小企業では、解雇規制という規範はほとんどなく、むしろ経営者の裁量で解雇は自由にできる、という認識の方が支配的である。その結果、労働者は解雇の脅威の前に合理的な行動を抑制されている可能性が大きいと本書は示している。

http://twitter.com/#!/theophil21/status/189172038760546304

(4)本書350頁では、一部の経済学者による「解雇規制が合理的な雇用をゆがめている。」という主張は証明困難であり、逆に容易に解雇される脅威が労働者の行動をゆがめている可能性があることが示唆されている。職場の実感はこちらであろう。今後、冷静で合理的な議論が進むことを期待したい

今後、経済学サイドからの反応もあると嬉しいです。

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テリー・マーチン『アファーマティヴ・アクションの帝国』

88830すごい分厚い本ですが、内容もそれだけの充実しています。ソ連をこういう視点から見るとこうなるのか、という意味でも貴重な本。

http://www.akashi.co.jp/book/b88830.html

アファーマティヴ・アクションてのはアメリカの言い方で、ヨーロッパ系だとポジティブアクションといいますが、要するに、黒人とか女性とか、より不利益を受けてきた集団を優遇しようという政策なんですが、それを最初に体系的にやったのはソ連なんですね。それも複雑怪奇な民族問題でもって。かつて「民族の牢獄」といわれたロシア帝国の跡でそれを大々的にやった。各民族に、民族の共和国、自治共和国、自治州等々。

ところが、それはナショナリズムを掻き立てて分離志向に走るのと紙一重というか、なかなか危うい技なんですね。それで、(このあたりとても微に入り細をうがつ記述を超単純化しているので注意)ある時期以降は、一方でアファーマティヴアクションを進めながら、他方では民族共産主義者を大々的に弾圧粛清していく。

これで思い出したのが、ものすごく昔(中学生頃かな)に読んだ小松左京の紀行エッセイで、宇宙飛行士一つ見ても、アメリカは白人男性ばかりだが、ソ連は男女いろんな民族をまんべんなく取り混ぜている云々という記述があって、なるほどそういう見方もあるのかと感じたことでした。確か、『歴史と文明の旅』だったと思う。

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最後の1%のキャリア教育論

例の「呪い」の内田樹氏の「大学における教育-教養とキャリア」というやたらに長々しい講演録の、99%はほとんど何の関係があるんやというような横町のご隠居的ぐだぐだ説教の垂れ流しですが、最後のところで、どこかで見たような台詞が・・・

http://blog.tatsuru.com/2012/04/06_1508.php

キャリア教育では、まず「労働はどのように変化してきたか」、「雇用環境はどのように変化してきたか」という日本の歴史的な推移を学ぶべきだろうと僕は思います。それと、世界各国の雇用状況についての理解を持つこと。歴史的な文脈と、地理的な広がりの中で、現在の日本の雇用情勢の特殊性・一回性を理解してもらう。広々とした視野の中で、自分の置かれている雇用環境を見通したときにはじめて、では、どのような職業を自分は選びたいのか、選べるのか、選ぶべきなのか、といいった一連の問いに対する答えに接近することができます。

そのために役に立つのは、内田哲学より何より、拙著『新しい労働社会』や『日本の雇用と労働法』だと思いますよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b43f.html(「就活に喝」という内田樹に喝)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-8f84.html(就職活動ではなく入社活動だから)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-4295.html(人を呪わばアナ恐ろしや)

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『経営法曹』172号

経営法曹会議より『経営法曹』172号をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

今号の特集は「雇用終了をめぐる問題点」で、厚労省の田中課長の講演の後、①雇い止めに関する裁判例の整理、②メンタル関連の解雇・退職、③成績不良者。勤務態度不良者に対する解雇等の対応、④整理解雇、特に予防的解雇の手法等、とさまざまな論点に渉って議論されています。

経営者にとっては、妙なコンサルの話よりはずっと役に立つでしょう。

内容的にはやはり、メンタル関連の問題が今日的に重要な論点なのでしょう。経営側にとっても手探りという意味で。

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『DIO』270号

Dio連合総研の『DIO』270号が届きました。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio270.pdf

特集は「危機のなかの欧州労働運動」。

こんなラインナップです。

金融・経済危機のなかの欧州労働組合 松村 文人 …………… 5
ヨーロッパ社会民主主義再生への道 新川 敏光 …………… 9
ユーロ危機下の南欧労働運動 −スペイン・ポルトガルの場合 横田 正顕 …………… 13

先の『生活経済政策』の特集「厚い社会を守れるか—ヨーロッパの試練」もそうですが、現在のヨーロッパの状況は、西欧社民派系の人々にとってはやはりとても気になるところでしょう。

新川さんの言う

様々な問題を一挙に解決する魔法の杖は存在しない。しかも今日南欧の財政危機はEUの将来に暗い影を落としている。にもかかわらず、ヨーロッパ社民にとって再生の道は、一国主義的福祉国家の再建ではなく、各国福祉国家の固有性を尊重しながらも、国境を越えた社会的保護システムを構築する努力のなかにあるように思われる。
 そのために労働組合が果たしうる役割は小さくない。既に述べたように、政党政治には一国主義的な制約がきわめて大きいのに対して、労働組合は、労働市場の統合という現実を前に、否応なく国境を越えた組織化や連帯強化を求められているからである。労働組合がEUレベルでの組織化を一層強化し、ヨーロッパ市民社会の実体化を目指すならば、それは社民の将来を切り開く重要な鍵の一つとなるであろう。

が、なおまだ相当程度夢想的でしかない点に、やはり困難があるわけですが。

あと、今号には、先に亡くなった草野前理事長の最後の「巻頭言」が載っています。「」本稿は、草野理事長が生前、病床の中で書き残された最後の念いです」とのこと。合掌。


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有期雇用改革と「多様な正社員」モデル実現のための、2つの課題

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昨日の朝日に載った今野晴貴さんのインタビュー記事がなかなか面白いのですが、ネット上にないのでコピペできないな、と思ってたら、ご自分で(誤字交えで)ツイートされ、それにさらに安藤至大さんが(ややわざとら風に)絡むという展開となり、それを坂倉さんがトギャッて読みやすくしてくれましたので、それにリンク貼るだけで済ませられるようになりました。

http://togetter.com/li/284213

「わざとら風」というのは気の回しすぎかも知れませんが、世帯形成可能云々を男性稼ぎ手モデルと「理解」してみせるなど、あり得べき誤解を先回りしてわざと噛みついている風情も感じられたので。

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予告:EUにおける経済的自由と労働基本権の相克への一解決案

雑誌『労働法律旬報』の4月下旬号に、「EUにおける経済的自由と労働基本権の相克への一解決案」と題する紹介記事を書いております。出るのは今月末ですが、旬報社のサイトに目次がアップされたので、予告的に紹介。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/752

労働法律旬報No.1766 4月下旬号 発行日 2012年4月25日

[巻頭]ビクターサービスエンジニアリング事件最高裁判決の意義=川口美貴・・・04
[緊急提言]日本航空整理解雇・東京地裁判決について―整理解雇法理の実質的緩和論批判=宮里邦雄・・・06
[特集]タクシー労働者の労働条件―規制緩和路線の果てに・・・09
タクシー産業における規制緩和路線の破綻―タクシー運転者の賃金・労働条件をふまえて=川村雅則・・・10
タクシー運転手の労働時間と賃金計算上の問題点―北海道タクシー労働者支援弁護団の紹介を含めて=平澤卓人・・・19
未払賃金(最低賃金および割増賃金)請求事件の報告―帝産キャブ奈良事件=佐藤真理・・・27
タクシー乗務員の客待ち待機時間の労基法上の労働時間性―大分中央タクシー事件=玉木正明+今朝丸貴・・・34
タクシー労働者の現状―労働条件と職場の実態=菊池和彦・・・39
[紹介]EUにおける経済的自由と労働基本権の相克への一解決案=濱口桂一郎・・・44
[紹介]弁護士短信―労働事件簿85神戸刑務所(管理栄養士偽装請負)事件/国が率先して偽装請負や違法派遣を行なうことは許されない!=永嶋里枝・・・52
労働判例/神戸刑務所(管理栄養士偽装請負)事件・神戸地判(平24.1.18)・・・65
[紹介]一橋大学フェアレイバー研究教育センター54アメリカの大学におけるレイバーセンターの機能―UCLAレイバーセンターの取組みから=石川公彦・・・54

内容は、先日本ブログでごく簡単に紹介した

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/eu-4688.html(EUサービス提供の自由に係る団体行動権の行使に関する規則案)

について、過去に遡ってやや詳しく解説したものです。

改めて集団的労使関係法制の中でも保守本流(?)の団体行動権に関わる問題が前面にクローズアップされてきているという現象が興味深いところです。

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念のため

今まで百回以上本ブログ上で繰り返してきたことをまた書くのは徒労感しか残りませんが、念のため・・・。

http://twitter.com/#!/kktsc/status/187929417056665601

濱口桂一郎氏はリフレ政策には批判的なのかな?

今まで山のように繰り返してきたように、本来のケインズ主義的な意味での「リフレーション政策」には批判的どころかむしろシンパシーを持っています。

しかし、日本で「りふれは」と称して不気味な政治活動を繰り返してきた手合いというのは、おおむね、その逆の政治志向を持っているようで、小さな政府を声高に叫び、とりわけ弱い立場の国民向けの公的サービスに対して露骨な敵意を示すことが多いようです。そして、くっつく政治家というのもだいたいそういう志向の方々が多いようです。

そういう人々を、わざわざリフレーション政策支持派という意味での「リフレ派」と明確に区別するために、「りふれは」という記号を作って、区別して用いていることも、本ブログで何回も繰り返してきたことですので、その旨ご諒解いただきたいところです。

(追記)

jura03氏が、この間の経緯に係って、いろいろと過去のエントリまでサルベージしていただいています。

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120407/p1(ネット○○派 part386)

毎度のhamachan先生を眺めてみたわけだ。

・・・

いや、全くその通りで、というか、なんでこの辺りのことがもっと普通の人たち、うっかり「リフレは必要」と素朴純朴に言っちゃう良心的な人たちや、「リフレは非党派的主張」を信じちゃった人たちが分からないのか、僕には全く理解できない。。。

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120408/p1(ネット○○派 part387 リフレさえ支持してくれたら何でもいい?)

ちなみに、hamachan先生のブログを読み返していると、次のようなところを見つけた。BUNTENさんがリフレ派への悪意を感じるとブクマしたことに対し、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-a897.html(「知的」で「誠実」な「りふれは」)

「両極端の存在をあえて「リフレ派」という表現でごまかし続けてきたことに」「ソーシャル系リフレーション論者の最大の過ちがあるとはお考えにならないですか?」まさしくここの問題だったんだよな。

たぶん銅鑼衣紋さんが甘く見たのもここで、リフレ論を「非党派的主張」だとしてしまったものだから、結局おかしい連中ともリフレ派として同居することが是認されてしまった。。。と考えるのもまだ甘くて、銅鑼衣紋さん自身も結局、友人知人と主張の別がつけられなかったのかもしれない。

ともあれ、言い方を変えると、本来あるべき左右のけじめがきちんとつけられないままに来てしまった。だから、安直に「リフレに右も左もないよ」みたいなことがうっかり信じられてしまうことに。。。

本当は、そういういい加減なことをやらずに、きちんと分けて切り捨てるべきだったんだな、きっと。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

2006年9月17日の記事、か。もうhamachan先生は、というか分かる人たちはとっくにお見通しだったんだなぁ、と改めて。

2006年というと、まだこのブログを初めて間もない頃ですね。

なんだか先見の明を褒められているみたいでいささかくすぐったい感もありますが、いやそんなのんきな話ではないわけですが・・・。

とりあえず、「リフレしてくれたら何でもいい」が、一番いけない。「非党派的主張」だというのは必ずしもすべてを正当化しない。だって、リフレ派のあの人たち(hamachan先生流に言えば「りふれは」)が大事なのはリフレじゃないんだもの。

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脊髄反射イナゴ

玉井克哉氏が、ついったで

http://twitter.com/#!/tamai1961/status/187375832531087361

私はマルクス主義者だったことは一度もないが、マルクスは偉大な思想家だったと思っている。キリスト教徒だったことは一度もないけれど、イエス・キリストは偉大な宗教家だったと思っている。

とつびやいたら、得体の知れないイナゴたちにまとわりつかれ、まとめてブロックするという事態になったようです。

知的財産法の専門化である玉井氏がマルクス主義者だとはまともな人であれば誰も思わないでしょうが、ほんのちょっとでもマルクスを評価するみたいなことを口走っただけで異常に粘着してくるイナゴさんたちの生態は一向に変わらないようです。

本ブログでもこんなことがありましたな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_a9de.html(池田信夫症候群-事実への軽侮)

・・・私はここ4年間、東大の公共政策大学院で労働法政策を講義していますが、その冒頭で、「職工事情」と「資本論」を読むと日本とイギリスの原生的労働関係の実情がよく判りますよ、といっています。

え?資本論?

そうです。ただし、労働価値説とか何とか難しい理屈を並べたところはスルーしてよし。読んでもよくわからんだろうし実を云えば私もよく判らん(笑)。

しかし、資本論第1巻には、厖大なイギリス政府の工場監督官報告が引用され、分量的には半分近くを占めています。これが大変役に立つ。マルクス先生がこうやってダイジェストを作ってくれていなかったら、大英博物館にこもって調べなければならなかったものが、文庫本で手軽に読めるのですから有り難いことです。

マルクス先生の理論は100年経って古びても、彼がダイジェストしてくれた工場監督官報告はいつまでも役に立ちます。

池田氏の「学術博士」論文は、”IT革命のお陰で日本的経営は古くなった”という10年前にマスコミで流行した「理論」をもっともらしく飾り立てた代物のようですが、そういう議論は10年で古びていますが、古びたあとに残る事実の重みがかけらでもあるのでしょうか。

事実を軽侮する者は、ピンの先で天使が踊る議論が崩壊した後に何ものをも残すことはないのです。

素直に読めば、この通りのことなのですが、ねじけた精神で読むと、

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51294514.html(濱口桂一郎氏の家父長主義)

相手にしないほうが
彼は大学院でマルクスの資本論を読ませているらしいですよ。かわいそうな学生たち。信じられません。
そんな人を相手に議論しても仕方ないですよ。無視したほうがいいと思います。
人気があって正しいことを言っている人に相手にしてもらえるだけで嬉しいんですよ。

本当ですか?
それが本当だとすると、彼の「資本論は参考になる」云々の話も理解できる。現在の経済史のレベルでは、マルクスの事実認識は致命的に間違っていたことがわかってるんだけど。
そもそも工場がそんなに悲惨なところだったら、労働者は農村に帰ればいい。彼らがenclosureで村を追い出されたという「原始的蓄積」も神話で、実際には農業革命で農業生産性は上がっていたので、雇用も増えていたのです。
これでは社会政策どころか、講座派マルクス主義ですね。「ソーシャル」が好きなところをみると、もしかして社民党員(もしくは支持者)じゃなかろうか。たしかに、こんなゾンビを相手にしてもしょうがないですね。

というふうにねじ曲げられるわけです。いやはや。

(追記)

なんつうか、共産主義の悲惨な歴史を読んでいくと、この人たちって、今だったらカイカクハになったり、りふれはになったり、維新になったり、革命烈士になったりしていたんだろうな、と考えてしまう。おっと、「革命烈士」は当時もそうか・・・。

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拙著短評

読書メーターで、拙著『新しい労働社会』への短評がアップされました。

http://book.akahoshitakuya.com/b/4004311942

Rusty

色々と気づきを与えてくれる良書。法制的な面からアプローチし、あまり感情的になることなく、冷静に議論してあるように思う。 欲を言えば、もはや形骸化して力を持たない労働組合(労働者側)が、下からどのようにして影響力を高めていくか、その実践方法についても踏み込んで欲しかった。

ひと言で言えば、「足下から」ということに尽きるんだと思いますが。

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水町勇一郎『労働法 第4版』

L14434水町勇一郎『労働法 第4版』をお送りいただきました。ありがとうございます。

水町教科書は、労働法の本質にこだわるひと味違う教科書として評判が高いですが、第4版もその路線をさらに深めています。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641144347

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ついに出た・・・りふれは維新

http://www.47news.jp/CN/201204/CN2012040501001993.html(大阪市特別顧問に高橋洋一氏 財政運営を助言)

大阪市は5日、元財務官僚の高橋洋一嘉悦大教授(経済学)に市特別顧問を委嘱したと発表した。就任は6日付。市の財政運営に関し助言する。

高橋氏は財務省時代、経済財政担当相や総務相を歴任した竹中平蔵氏のブレーンとして、特別会計見直しや郵政民営化関連法づくりに携わった。

橋下徹市長率いる大阪維新の会の政治塾講師にも内定している。

いやはや、「りふれは」はついに維新となりましたか、と。

さぞかしりふれは感覚溢れるシバキの超絶技巧を見せていただけるものと期待しております。

(追記)

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/187917335162658817

大事にしてくれれば誰にでもついていく今時の就活政治家と同レベル。飯田といい、高橋といい、古賀といい恥ずかしいと思わないのかな。

恥なんていう感覚を捨てているからできる芸当なんでしょうけど

http://twitter.com/#!/go_ya/status/188020088723619840

hamachan先生はこういうのやめロッテ!リフレ派でハシゲさん絶賛してる人なんて見たことないし、ほとんど批判的なのに

もし本当にそうなら、なぜ肝心のリフレ派の中から、猛然たる高橋洋一批判がわき起こってこないのか?

ねとうよ派にくっつくのと違って、こちらは経済社会政策の根幹に関わることである以上、こっちはこっちあっちはあっちなどという都合の良い言い訳が通用する領域ではないしね。「市の財政運営に関し助言」ということなのだから、まさに公的サービスに対する憎々しげな敵意が評価されたということなのでしょう。

私としては、こういう事態に対してきちんと高橋洋一批判ができる人はまっとうなリフレ派として認める用意がありますが、それができないような徒輩は誰であれ特殊日本的「りふれは」認定ですね。

それをまた人格攻撃などと見当外れの奇声を挙げる低劣な連中もですが。

(再追記)

まあ、ここまで言うかどうかは別にして・・・

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20120406/p1([止める止める詐欺]「あらかじめ終わっていた」リフレの歴史(´・ω・`))

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有休・パチンコ・解雇

松本孝行さんのつぶやきに、

http://twitter.com/#!/outroad/status/187724393160515584

POSSEから直接返事もらったけど、基本的に俺は労働者保護に賛成だし擁護すべきだと思う。けども、それは真面目な労働者の話。仕事サボってパチンコしてたから解雇された、不当だっていう労働者まで擁護しないほうがいいんじゃないの?って思ってる。真面目な労働者のためにも

まったくそうなんですが、とはいえ現実はもう少し複雑という実例を。

Fire これは、既に刊行された『日本の雇用終了』の一番最初の方に出てくる事例なんですが、有休とってパチンコに行って解雇になったという事例があります。

・30204(非女)普通解雇(12万円で解決)(40名、無)
 会社側によれば、当日の朝「子どもが病気なので休む」と連絡があったが、当日パチンコ店にはいるのを目撃したため、勤務態度不良として解雇したもの。そもそも事前に休暇届を出しておらず、「有休とは認め難い」「単なる欠勤」との認識である。
 本来有休の利用目的は自由であり、パチンコに費やしたからといって不利益取扱いが許されるわけではないが、使用者には時季変更権があり、それが行使不可能な申請には問題がある。実際には、本当に子どもが病気であれば看護休暇の代替として認容するのが普通であろうが、実はパチンコに興じていたことで、「態度」への怒りが噴出したとみられる。

なかなか難しいでしょう?

これを含む「年次有給休暇、育児休業の取得を理由とする雇用終了」についてのまとめコメントで、こう述べておりますが、

以上6件を通観して窺われるのは、「パートには有休はありません」「うちには有休はない」「2週間も有休を取るような無責任な人は、うちには要らない」「うちにはない。パートにはない」「パートに育児休業はない」等々と、労働法上に明記されているはずの労働者の権利が、中小企業の使用者の目には存在しないものと映っているらしいことである。こういった企業においては、使用者側にそもそも基本的な労働法上の権利行使に対する正しい認識が欠乏していることを窺わせる。こういった事態に対しては、一般的な労働法知識の普及啓発活動が必要であることはいうを待たない。

・・・一方で、日本的な職場の意識からすれば、有休を取ってパチンコに興じるといった行動は眉をひそめられるものであることも事実であり、また、正当な権利行使であっても当該労働者の日頃の「態度」が使用者側から低く判断されているような場合には、当該権利行使自体が「態度」の悪さの一徴表として捉えられ、悪い「態度」に対する制裁という使用者側の主観的意識のもとに、当該(それ自体としては正当な)権利行使に対する制裁として雇用終了といった事態が引き起こされる可能性が高いことも、法的な価値判断は別として、事実認識として受け止める必要のあることであると思われる。
 この点については、上記今後の労働関係法制度を巡る教育の在り方に関する研究会」報告書においても、「社会生活のルールおよび基本的生活態度を身につけ、他者との良好な人間関係を構築するための『社会性・コミュニケーション能力』を高めることが、実際の職場における紛争の防止や解決に資する」と述べているところであり、いわば正当な権利行使をミクロな職場において正当なものとして通用させるために一定の「態度」が必要であるという現実の職場の事実についても、価値判断はさまざまであれ、銘記しておく必要があると思われる。

これもいささか奥歯にものが挟まったようなところがありますが、単純に「仕事サボってパチンコしてたから解雇された」とはいえないけれども、社会の現実としてはそう見なされてしまう構図もあるというわけで、裁判所に来ないどぶ板の世界にも、いろいろと複雑な論点が(引き出そうと思えば)いくらでもあるということがおわかりいただけるでしょうか。

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扶養の社会化か貯蓄の社会化か

厚生労働省の「社会保障の教育推進に関する検討会」に出された資料に、面白い表現を見つけました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000026q7i-att/2r98520000026qbu.pdf

社会保険が創設された時、家族内で子が老親を扶養するという“賦課方式”が社会化されたのであり、社会 保険の創設で、自分の老後のために積み立てる仕組みが壊されて、これが賦課方式に置き換えられたのでは ない。特に今は、“社会保険”の仕組みができるまでの過渡期であり、その部分だけを取り出して、栺差を 議論することは国民に誤解を与える。

積立方式で自分の老後を賄う方法が、変動が激しくその動きが不確実な市場社会の中で、あたかも簡単に成立するかのような主張がなされているが、積立方式のデメリットももっと議論されていいのではないか。実際に1990年代に積立方式の年金を導入した中欧・東欧諸国では、リーマン・ショックで高齢者の積立金が大幅に目減りしてしまった。そして日本でも、積立方式を採る企業年金は、金融市場の変動に翻弄され続けてきた。・・・

これは結構、社会哲学の本質的なところに関わるような気がします。

社会保険なんてものはもちろん現代になって生み出されたものですが、ではそれがない状態というのは、誰が誰を養うのがデフォルトルールだったのか?

歴史的にはいうまでもなく、子が老親を扶養するというのがデフォルトで、それを社会化したのが公的年金なわけですが、世の中には、そういう歴史的事実よりも、自分の頭の中にある観念的なあるべき社会モデルからものを考える人々がいるわけです。

リバタリアン的世界観からすれば、およそ個人は全て独立の存在であって、個人が自分の生存を賄うのは全て自分の力によるべきもので扶養などというルール違反を持ち出すのは許し難いのでしょうけど、でもそれは近代人のある種のとんがった先端部分が頭の中ででっち上げたものでしょう。

その観念的世界観を前提に据えて、本来(歴史的にいつの「本来」かは不明ですが)自分の老後はことごとく自分の貯金で賄うのが人類のあるべき姿であるにもかかわらず、それを歪める社会保険はけしからん・・・という風に発想が進むのが、リバタリアンな人々なのでしょう。

ただ、それが自他ともに認めるリバタリアンな人々だけが口走っていることであるならば、「ふーん」と言ってればいいだけのことですが、なぜか世の中のさまざまなことについてはリバタリアンどころかはるかにオーソリタリアンだったりコミュニタリアンだったりする人々が、なぜかこれだけ自分でも意識せずにリバタリアンまがいのことを口走っているというところに、面白さがあるのかも知れませんが。

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作業員被ばく上限350ミリシーベルト要求

20120405k0000m040066000p_size5 今日の毎日新聞の1面トップは、「福島第1原発:作業員被ばく上限350ミリシーベルト要求」です。

http://mainichi.jp/select/news/20120405k0000m040135000c.html

本ブログでも何回か取りあげてきたテーマですが、事故直後の経産省原子力安全・保安院と厚生労働省のせめぎ合いの実態が、一つまた明らかになったようです。

東京電力福島第1原発事故の収束作業で、厚生労働省が昨年3月14日に被ばく線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトへ引き上げた直後、経済産業省原子力安全・保安院が東電などの要請を受け、上限を事実上350ミリシーベルトまで緩めるよう厚労省に求めていたことが、保安院の内部文書で分かった。保安院は福島での被ばく線量を通常時の規定と「別枠」で扱うよう要求。最終的に厚労省は認めなかったが、原発事故直後の混乱した政府内の攻防の実態が明らかになった。

社会面でも同じ問題を取りあげてきます。こちらは、

http://mainichi.jp/select/news/20120405k0000m040147000c.html(福島第1原発:被ばく線量、収束か作業員安全か)

東京電力福島第1原発事故直後、作業員の被ばく線量のさらなる上限緩和を求める原子力安全・保安院と、難色を示す厚生労働省との生々しい攻防が内部資料から浮かんだ。保安院は作業員の線量見通しも示して緩和を求めたが、見通しは実際より過大だった。優先すべきは事故収束か作業員の安全か。最後は厚労省が一部譲歩しつつ突っぱねたが、「原子力規制庁に変わるのを前に、当時の規制官庁の判断が妥当かどうか検証すべきだ」との声も上がっている。

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「全員エリート」はもう無理@海老原嗣生

Kyp1204090102 昨日紹介した『HRmics』で私が(高齢者対策という側面から)喋ったことと密接に関わる問題を、「日本の人事部」というサイトのインタビューで、海老原嗣生さん自身がかなり詳しく展開しています。

https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/731/(ニッポンの「雇用」と「採用」のあるべき姿とは?~日本企業の構造から雇用問題と新卒採用について考える)

アメリカやヨーロッパ、日本の官公庁やかつての日本の軍隊など、国や時代を超越して共通する「雇用の仕組み」があります。それは、「エリート」と「ノンエリート」に分かれているということです。これだけ時代・国を問わず共通なのに、驚くことに日本の「企業」はこの仕組みを使っていません。日本では大卒で総合職採用されたら全員が「幹部候補=エリート」。欧米企業ではそんなことはなく、出世するのはエリートのみで、ノンエリートには「ワークライフバランスを重視し、自由な働き方をしてください」という考え方です。福祉活動や子育てに熱心に取り組んでいる人の多くはノンエリートで、エリートは日本以上に昼夜を問わずバリバリと働いています。こうした仕組みは世界共通なのに、日本企業だけが違っています。

そういう『全員エリート』がもう無理な時代になっているというのですが、問題は・・・

問題は、エリートとノンエリートに分けた場合の対応です。エリートに関しては、新卒一括採用を続けていくことに変わりはありません。これは世界中どこでもそうです。フランスならカードル、アメリカならリーダーシップ・プログラムといって、欧米のどの国でも新卒の厳選採用を行っています。少数の限られた人材をエリートとして育て、将来の幹部へと就けていくのです。

一方のノンエリートに関しては、「仕事の専門性を高めていく」という考え方です。例えば営業職なら、実力があれば他の業界に行っても扱う商品やサービスが異なるだけで十分通用するでしょう。何より、現場での実務は流動性が高いし、企業内での特殊な熟練もあまり必要ありません。自分の実力で食べていくことができます。あるいは、努力すれば数パーセントの人材は幹部へと登用されることもあるので、それを目指してがんばろう、というモチベーションを持たせたマネジメントの仕方ができます。

これが、高齢者雇用とどう関わるのかというと、

とはいえ、雇用の仕組みは徐々に変わっていくはずです。とりわけ、定年が65歳に延びたことで、この「全員管理職」システムは崩れるでしょう。管理職として実務を離れた熟年者を65歳まで雇用することは厳しいが、熟練社員として現場で実務をこなしてくれるのならば、年齢に関係なく働くことができる。65歳まで働く社会となれば、「錆びない人=現場・実務者」の割合をもっともっと上げねばなりません。それが、日本型「全員幹部」制度を壊すのではないでしょうか。

海老原さんが展望する将来の姿は:

エリート・ノンエリートを入り口の段階で分けるのではなく、最初は同じようにスタートして、10年から15年の猶予期間を置いた後、幹部になれるかどうかの評価が下され、本人も納得する。その後はノンエリートとして仕事をしていく、という仕組みに落ち着いていくことでしょう。

この当初の10年くらいというのは、欧米でもノンエリート労働者が勤続による技能向上によって年功的に賃金が上昇していく時期でもありますね。

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「多様な正社員」の人事管理@JILPT

Jil JILPTの高橋康二さん、西村純さんによる『「多様な正社員」の人事管理』がアップされましたのでご紹介しておきます。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2012/12-107.htm

この「多様な正社員」については最近あちこちで論じられるようになり、先日も厚生労働省の「「多様な形態による正社員」に関する研究会報告書」が公表されたところですが、

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000260c2.html

これと軌を一にして進められてきた研究成果の取りまとめということで、この分野に関心のある皆さまには参考になるかと思います。

主な事実発見は:

1 限定正社員が生まれる経緯
業務や勤務地に限定のある正社員が生まれる経緯は、細部の違いを捨象すれば、大きく (1)従来からあった慣行を制度化したケース、 (2)従来の雇用区分に新たな区分を追加したケース、 (3)もともと社内に限定のない正社員がいないケースの三つのパターンがあることが発見された。

2 限定正社員の賃金
上記のような経緯で生まれた限定正社員の賃金であるが、その限定性に応じて賃金水準に差が設けられることが多い。事例の多くは、基本給の水準に差をつけていた。一つの例として、物価や生活水準に基づき都道府県をグルーピングし、エリア毎に賃金を設定することで、基本給の賃金水準に差を設ける方法がある(図表1)。他方で、そうしたグルーピングを行わずに、資格等級毎に限定性を賃金へ反映する度合いを異ならせている事例もある。さらに、そうした差を設けない事例も存在する。また、賞与や退職金についても、限定のない正社員とは異なる賃金テーブルや支給月数を適用するケースも見られた。

3 非正規社員の登用先としての限定正社員
登用数の大小、登用方法に違いはあるものの、限定正社員は、非正規社員の登用先となっている。主な特徴として、 (1)登用の対象となる非正規社員の業務や勤務地は、登用後の限定正社員の業務や勤務地とほぼ同じとなっていること、 (2)登用の対象となる非正規の雇用形態はフルタイムの非正規社員が多いこと、 (3)登用された直後の基本給の水準は現状維持のケースもあるが、賞与や退職金を加味し中長期的に見れば、給与は上がっていること等が挙げられる。
ただ、一定数の非正規からの登用が継続して行われることが期待できる限定正社員区分と、必ずしも十分に期待することができない限定正社員区分の二つがあり、今後はそれら二つが同時に存在していくことが予想される。

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『日本の雇用終了』ができました

本日、JILPT第2期プロジェクト研究シリーズ第4巻『日本の雇用終了-労働局あっせん事例から』(労働政策研究・研修機構)が届きました。

残念ながらまだJILPTのサイトにはアップされていないので、携帯カメラで撮った表紙の写真を貼り付けておきます。

Fire

冒頭の「はじめに」と「目次」を載せておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jilpthajimeni.html

http://homepage3.nifty.com/hamachan/mokuji4.html

アマゾンにも出ていないし、たぶん今週中にはなかなか書店には出てこないのではないかと思いますが、そのうち見かけましたら、ぱらぱらと見て、面白そうだと思われたら、お買い求めいただければ幸いです。

なお、ご注文は以下へどうぞ。

http://www.jil.go.jp/publication/ordering.htm

お問い合わせ先:

  • 労働政策研究・研修機構 成果普及課(平日:9時-17時30分)
  • TEL: 03-5903-6263/03-5903-6265 FAX: 03-5903-6115

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行こうか戻ろか、高齢化シフト@『HRmics』 by ニッチモ

1海老原嗣生さんとこの『HRmics』で、「行こうか戻ろか、高齢化シフト」という特集記事を組んでいて、

http://www.nitchmo.biz/

まず編集部による「定年と年金の話は疑ってかかれ」は、いわゆる典型的な俗説(賦課方式から積み立て方式にすればいいとか、定年延長が若年雇用を圧迫するだのというたぐいの)をばさばさ斬った上で、

「定年とは日本型雇用の宿命なのか」というコーナーでは3人の識者が語っています。その3人とは、森戸英幸さん、野村正實さん、そして不肖わたくしも顔を出しております。わたくしのインタビューは「ふつうの人がエリートを夢見てしまうシステムの矛盾」。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics12.html(「ふつうの人」が「エリート」を夢見てしまうシステムの矛盾)

・・・日本は違います。男性大卒=将来の幹部候補として採用し育成します。10数年は給料の差もわずかしかつきませんし、管理職になるまで、すべての人に残業代が支払われます。誰もが部長や役員まで出世できるわけでもないのに、多く人が将来への希望を抱いて、「課長 島耕作」の主人公のように八面六臂に働き、働かされています。欧米ではごく少数の「エリート」と大多数の「ふつうの人」がいるのに対して、日本は「ふつうのエリート」しかいません。この実体は、ふつうの人に欧米のエリート並みの働きを要請されている、という感じでしょうか。

・・・高齢者雇用の問題とは、日本の「ふつうのエリート」という仕組みが根底にはあります。ただ、高齢者雇用が進むことで、「ふつうのエリート」という仕組みにひびが入り、新しい労働社会の形が見えてくる可能性はあるとおもいます。そうした意味で、高齢者雇用問題は、新しい社会の入口への“奇貨”とすべきだと、私は考えています。

そのあと、「錆びない人、錆びさせない会社」ではいろんな会社の実例紹介。

そして最後には再び編集部による「ふつうの人がノンエリートに着地する仕組み」で、ここで、わたくしのさきのインタビュー記事もからめつつ、いろいろ論じています。たぶんここが一番スリリングなところです。

131039145988913400963 150402 ずっと後ろの方に飛ぶと、「人事を変えたこの一冊」は、濱口桂一郎君の『新しい労働社会』を取り上げていますね。あれ?これって昨年中公新書ラクレで出た本の最後にくっついていた奴じゃなかったっけ?と思ったあなた、はい正解。

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「国民の敵」ビジネス

湯浅誠氏をめぐって本ブログで述べていることを、裏側から述べたような記事です。「あごら」なので、そういう方向性がぎらついているようですが、素直に読めば解るとおり、まことにまっとうなことを言っているというべきでしょう。

http://agora-web.jp/archives/1444589.html

・・・こうした負担の分配をせざるを得ない状況では、政治家が国民の人気を得ようとすれば、ばら撒きに代わる方法が必要です。 それが、古典的な方法ではありますが、 「国民の敵」をでっちあげる方法なのです。  この方法は、かつてのいくつもの戦争の原因(国民の不満を海外に向けさせる)でもあり、ナチスのユダヤ人虐殺にも繋がったものです。 

江田憲司氏は、最近の著書、「財務省のマインドコントロール」では、財務省を「国民の敵」に仕立て上げているわけです。 これは、多く出版されている、リフレ派の日銀批判本、例えば田中秀臣氏の「デフレ不況、日銀の大罪」のような不況の原因は日銀のせいだ、といった主張の本に通じるものがあります。

つまり、実際には、問題は非常に複雑なのに、どこか一点に原因を帰着させてしまい、問題を oversimplify してしまうことで、一般人に分かり易い反面、問題の本質とは無関係になってしまっているのです。 

・・・最近、注目されている、橋下大阪市長の政治手法も、私の見る限り、「公務員、教員、労組」を「国民の敵」に仕立て上げることで、支持を広げる手法ではないかと思いますし、小沢一郎一派も野田首相を「国民の敵」にすることで、自らの生き残りを図ろうという手法でしょう。

国民は、こういった「国民の敵」ビジネスに惑わされることなく、単なる見世物として冷静に観察することが肝要ではないでしょうか。

これが、湯浅氏のいう

「橋下さんが出てくる前、小泉純一郎政権のころから、複雑さは複雑であること自体が悪であり、シンプルで分かりやすいことは善であるという判断基準の強まりを感じます。複雑さの中身は問題とはされない。その結果の一つとして橋下さん人気がある。気を付けなければならないのは、多様な利害関係を無視しシンプルにイエス・ノーの答えを出すことは、一を取って他を捨てるということです。つまり、世の中の9割の人は切り捨てられる側にいる

けれど、自分たちが切り捨てられる側にいるという自覚はない。なぜなら複雑さは悪で、シンプルさが善だという視点では、シンプルかどうかの問題だけが肥大化し、自分が切り捨てられるかどうかは見えてこないからです。それが見えてくるのは、何年後かに『こんなはずじゃなかった』と感じた時。本当はそうなる前に複雑さに向き合うべきですが、複雑さを引き受ける余力が時間的にも精神的にも社会から失われている。生活と仕事に追われ、みんなへとへとになっているんです」

「民主主義って民が主(あるじ)ということで、私たちは主権者を辞めることができません。しかし、余力がないために頭の中だけで降りちゃうのが、最近よく言われる『お任せ民主主義』。そのときに一番派手にやってくれる人に流れる。橋下さんはプロレスのリングで戦っているように見えますが、野田さんはそうは見えない。要するに、橋下さんの方が圧倒的に観客をわかせるわけですでも残念ながら、私たちは観客じゃないんです

と響き合っていることは、まっとうな感覚を持つ人には自ずからわかるところです。

もっとも、湯浅氏が「私たちは観客じゃないんです」と呼びかけるところで、こちらは「単なる見世物」と冷ややかにつぶやくところが、両者の姿勢の違いを示していて、興味深くもありますが。

ま、何にせよ、「あごら」な方々も、こういう人様のやらかすことについてはそれなりにまっとうなことを指摘しておられるのですね。

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