行こうか戻ろか、高齢化シフト@『HRmics』 by ニッチモ
海老原嗣生さんとこの『HRmics』で、「行こうか戻ろか、高齢化シフト」という特集記事を組んでいて、
まず編集部による「定年と年金の話は疑ってかかれ」は、いわゆる典型的な俗説(賦課方式から積み立て方式にすればいいとか、定年延長が若年雇用を圧迫するだのというたぐいの)をばさばさ斬った上で、
「定年とは日本型雇用の宿命なのか」というコーナーでは3人の識者が語っています。その3人とは、森戸英幸さん、野村正實さん、そして不肖わたくしも顔を出しております。わたくしのインタビューは「ふつうの人がエリートを夢見てしまうシステムの矛盾」。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/hrmics12.html(「ふつうの人」が「エリート」を夢見てしまうシステムの矛盾)
・・・日本は違います。男性大卒=将来の幹部候補として採用し育成します。10数年は給料の差もわずかしかつきませんし、管理職になるまで、すべての人に残業代が支払われます。誰もが部長や役員まで出世できるわけでもないのに、多く人が将来への希望を抱いて、「課長 島耕作」の主人公のように八面六臂に働き、働かされています。欧米ではごく少数の「エリート」と大多数の「ふつうの人」がいるのに対して、日本は「ふつうのエリート」しかいません。この実体は、ふつうの人に欧米のエリート並みの働きを要請されている、という感じでしょうか。
・・・高齢者雇用の問題とは、日本の「ふつうのエリート」という仕組みが根底にはあります。ただ、高齢者雇用が進むことで、「ふつうのエリート」という仕組みにひびが入り、新しい労働社会の形が見えてくる可能性はあるとおもいます。そうした意味で、高齢者雇用問題は、新しい社会の入口への“奇貨”とすべきだと、私は考えています。
そのあと、「錆びない人、錆びさせない会社」ではいろんな会社の実例紹介。
そして最後には再び編集部による「ふつうの人がノンエリートに着地する仕組み」で、ここで、わたくしのさきのインタビュー記事もからめつつ、いろいろ論じています。たぶんここが一番スリリングなところです。
ずっと後ろの方に飛ぶと、「人事を変えたこの一冊」は、濱口桂一郎君の『新しい労働社会』を取り上げていますね。あれ?これって昨年中公新書ラクレで出た本の最後にくっついていた奴じゃなかったっけ?と思ったあなた、はい正解。
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