「「失敗した理念の勝利」の中で」@『生活経済政策』4月号
http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/index.html
特集は「厚い社会を守れるか—ヨーロッパの試練」です。他の記事も含めて、目次は次の通りですが、
明日への視角
•雇用改革の行方/中野麻美新連載 グローバル化と経済理論[1]
•グローバル化の中のコモンズ(1)/竹田茂夫特集 厚い社会を守れるか—ヨーロッパの試練
•グローバル金融危機とヨーロッパのデモクラシーのゆくえ/田中拓道
•「失敗した理念の勝利」の中で/濱口桂一郎
•「軽い社会保障」と「軽い連帯」—EUを多様化・断片化した社会として考える/
網谷龍介•もう一つの「スペイン・モデル」?—南欧の社会的民主主義/武藤 祥
•緑の社会というオルタナティブ—新自由主義でも社会民主主義でもなく/畑山敏夫
•社会民主主義がなすべきこと—「埋め込まれた金融資本」を/小川正浩連載 グローバル経済危機下の労働運動[9]
•マディソンとウォール街の占拠運動はアメリカ労働運動再生の糸口となるか/高須裕彦書評
•イエスタ・エスピン=アンデルセン著 大沢真理監訳
『平等と効率の福祉革命—新しい女性の役割』/萩原久美子
特集記事の一つとして、わたくしの「「失敗した理念の勝利」の中で」が載っております。
この記事はこちらにアップしましたので、関心のある方はお読みいただければと思います。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatsurinen.html
冒頭の数パラグラフをこちらにも載せておきます。
現在のヨーロッパは、奇妙な倒錯の中にあるように見える。ほんの数年前には、リーマンショックに端を発した金融危機の嵐の中で、自由放任と市場原理主義への批判が世を覆っていた。フランスのサルコジ大統領は2008年9月、「自由放任、それは終わった。常に正しき市場、それは終わった」と語っていた。ところが、金融危機が加盟国のソブリン危機を引き起こす局面にはいると、正邪は逆転したかのようである。欧州中央銀行のトリシェ会長は2010年4月、「市場は常に正しい。市場はいつでも完全に尊重されなければならない」と語っている。そして、メルケルとサルコジの独仏枢軸のもとで、EUでは強力な緊縮財政方針が打ち出され、賃金の引下げや社会サービスの削減が進められようとしている。
この急激な経済思想の逆転劇を、去る2012年1月に刊行された欧州労研(欧州労連の附属研究機関)の報告書は「失敗した理念の勝利(A triumph of failed ideas)」*1という苦い題名の下に描き出している。この言葉は、アメリカの経済学者ポール・クルーグマンがニューヨークタイムズ紙のコラム(「ゾンビが勝利するとき」*2)で書いた次の文章からきている。「歴史家が2008-2010年を振り返ったとき、一番不思議なのは、私が思うに、失敗した理念の奇妙な勝利だろう。自由市場原理主義はあらゆることについて間違ってきた--なのに、そいつらが今やかつてよりも全面的に政治の場を支配している。」もちろん、クルーグマンは米国のコンテキストでこの台詞を述べているのだが、それをちょうど現在の、金融危機がソブリン危機に転化することで、それまでの金融資本主義批判の雰囲気が一気に緊縮財政、公共サービス削減に転換してしまった現在のヨーロッパの政治状況を批判する台詞として使おうとしているわけである。
ほんの数年前には「失敗した理念」と烙印を押されていた死せる経済思想の奇妙な「黄泉帰り」をもたらしたものは何か?同報告書は、EU各国の様々な資本主義モデルとそれらが示した危機への対応の様相が、逆説的に今日の市場原理主義の制覇をもたらしたことを明らかにしている。
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