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2012年3月 9日 (金)

『DIO』269号から

Dioさて、本日届いた連合総研の機関誌『DIO』269号からいくつか。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio269.pdf

今号の特集は、「「 新たな豊かさ」を考える−「成長」か「脱成長」か」なんですが、実はわたくし正直言って、「脱成長論」にはいささか鼻につくところがあり、2つの脱成長派の議論の後に出てくる盛山和夫さんのお話の方がすっと胸に落ちるところがありました。

失われた20年とか成長が困難であるという現状の大きな要因に、経済学的な常識というものが影を落としています。私は成長が必要と考えていますが、高橋先生や中野先生が言われているように、新古典派的な経済の考え方が正しいとは思っていない。むしろ市場原理主義的に考えることについて疑問を持っております。逆にそういう市場原理主義的で新古典派的な考え方が、これまでの日本の経済運営を悪くしてきたという認識を持っております。例えば、そのひとつが民間企業の論理と政府の財政の論理を同一視して考えるということです。それが「ムダ」という言葉や、あるいは「生産性の向上」とか、「規制緩和すれば成長する」かのような考えと密接に結びついていると思います。・・・

ムダももちろんありますが、ずっと行われてきた縮小型あるいは抑制型の財政運営が、失われた20年の一つの大きな要因であり、それで悪循環に陥っている。悪循環としては、たとえば医療費を抑制し、それを個人レベルで対応させてきた。子育てや教育費も随分変わりました。我々が学生時代、国立大学は1年間でたかだか1万2,000円だった授業料が現在は50万円を超えています。教育費の負担というのが明らかになってくると子育てをめぐる人びとの意志決定に大きな影響を及ぼしてくる。こういう悪循環を放っておいたというのが大きな問題です。

 逆にみれば、それは債務問題をあまりにも過大に、あるいは過剰に言い過ぎることが一つの大きな要因であります。債務については、とにかく成長を一定程度確保するということが解決の第一条件で、そのためには短期的な債務の悪化はむしろ好ましい。成長の中で債務問題も解決できる。社会保障問題も長期的な展望が立てられる。そうすると、失業問題の解決にもプラスになりますし、若い人たちの年金に対する考え方や将来の社会に対する展望も明るくなります。

ある種の脱成長論的発想と、やたらに「ムダ」を言い立てる発想との間には、盛山さんが言うように何か隠微な通底するものがあるような気がします。

あと、連合総研の新規研究テーマが3つ載っていまして、そのうちに「日本の賃金-歴史と展望-に関する研究委員会」というのがありました。連合はじめ各単産の賃金担当者が委員になり、

賃金制度の歴史的な検証を行いながら、今後の方向を探る材料を提供することをめざす。また、産別や単組において疑問に思われていることや現在の賃金体系や賃金構造がどのような歴史的経過のなかで、つくりあげられてきたのかについて、可能な限り明らかにしてみたい。そのことを通じて、将来の労働を取り巻く分野において、活力ある職場と安定した生活を確保していくために必要なものについてのヒントを探すことが出来ればと考える

そうです。

ちなみに、オブザーバーに、大原社研の金子良事さんがいますね。

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コメント

文明論的観点からの衰退論にも、脱成長論と似たデカダントな雰囲気があるように思えます。

「新たな豊かさ」を実現するために、経済的な「成長」が必要です。具体的にはGDPの成長が必要です。

物やサービスの供給が増え、流通する貨幣の量がバランスよく増えることによって経済は成長します。貨幣は、物やサービスの価値の尺度、交換の手段、あるいは蓄積の手段として機能します。

今の日本はデフレ経済にあります。第一の問題は、物やサービスの供給に対して、流通する貨幣の量が少ないことです。このため、物の値段は下がり給与は下がります。デフレ経済下では、家や車を買うことが難しくなります。

次の問題は、市場で取引される物やサービスに対する価値観が制限されているということです。このため、生活を豊かにする物やサービスの供給が少ないのです。生活の豊かさを求める需要、あるいは経済的な価値観を持っていないのかもしれません。

日本では、自動車や電機製品などの工業製品あるいはこれらを製造するための生産財に経済的な価値基準が偏っているのです。先端の製造技術を駆使して良質なハイテク製品を低コストで生産するかに価値が置かれています。長時間労働も厭わないで、技術開発や製造販売に労力をつぎ込み、世界中に工業製品を過剰に低価格で供給しています。

一方、生活を豊かにする物やサービスの供給は欧米諸国と比べると劣っています。フランスの地方都市にいっても、街はきれいな花で飾られています。地方の小都市にあっても、バカンスのシーズンになるとコンサートが催され、博物館の展示は観光客で賑わいます。国内の航空運賃もTGV料金も格安です。学校や大学の授業料も国から補助されます。

貨幣が供給され、これらのサービスに値段が付くことで、サービスは市場で交換されます。スウェーデンでは、自分の子供を保育所に預け、自分は他の保育所で他人の子供を世話するという話を聞いたことがあります。サービス(家事労働)の市場化です。サービスの市場化により、様々なサービスが供給され、また利用できるようになるため、生活は豊かになります。マクロ経済的にはGDPの成長にも繋がります。

日本においても、徳川綱吉の治世の元禄時代、井原西鶴の浮世草子、松尾芭蕉の俳諧、近松門左衛門の浄瑠璃、菱川師宣の浮世絵など元禄文化が栄えました。荻原重秀は貨幣改鋳により通貨の供給を増やし、幕府の財政難を救うとともに、経済を活性化し、元禄文化を花開かせました。

もちろん、ストーリーはここで終わることはなく、江戸時代の経済はインフレとデフレを繰り返したようです。荻原重秀に代わって新井白石は倹約によって支出を切り詰め、元禄・宝永の改鋳で落ちた金銀含有量を、慶長小判の水準に戻しました。要するに、緊縮財政と金融引き締めにより、インフレを抑制したのです。しかし、やがて幕府の財源でもある米の価格が下落し始め、デフレの弊害が出てきました。新井白石は清廉潔白な人であったそうですが、日銀の白川総裁のような人だったのかもしれません。


経済と文化

前回、経済活動の基盤にある価値観についてコメントしました。

経済活動の基盤として、人々が何を重要と考え、そこにどれだけ自分のお金や労力をつぎ込こんでもよいかという価値観があります。経済を文化(社会、生活、思想、芸術)あるいは自然環境との関わりについて考えることなく、豊かさを語ることはできません。

また逆に、文化を経済との関わりについて問うことなく、豊かさを語ることはできません。「脱成長」や「脱GDP」という論もありますが、豊かさは経済的な豊かさがあってこそ実感できるものです。人々は労働を市場に提供し、その対価として賃金を得ることによって経済活動の中に組み込まれます。人々の生活あるいは文化を経済との関わりについて考えることなく、豊かさを語ることはできません。

日本は20年にもわたるデフレ経済下にあって、(名目)GDPはゼロ成長です。1世帯あたり平均所得金額は平成6年の664万円をピークとして平成19年の556万円にまで下がり続けています(平成20年国民生活基礎調査)。

GDPデフレーターは1994年(平成6年)の1.037(2000年基準=1)をピークに2011年の0.869まで減少し、単位労働コストは1994年の1.042(2000年基準=1)をピークに2011年の0.875まで減少しています(OECDデータ)。一方この期間、CPI(消費者物価指数)の下落はほとんどなく1994年の0.986(2000年基準=1)から2011年の0.968と安定的に推移しています(OECDデータ)。消費者物価の下落幅より所得の下落幅の方が大きいため、生活水準は下落したのです。

所得の減少は、家や車などの販売数量の減少に繋がります。首都圏の新築マンション販売戸数は2001年度の9万戸から2011年の4.5万戸へと半減しました。また、新車販売台数は2003年の600万台から2011年の421万台へと3割近く減りました。

デフレ経済の下では実質金利(=名目金利-インフレ率)が上昇するため、資産を購入する際の金利負担が重くなるのです。現在、住宅ローンの金利(変動金利)は2.475%です。GDPデフレーターから計算されるインフレ率は-1.268%である(注1)から住宅ローンの実質的な金利負担は3.743%になります。デフレでお金の価値は上がり、資産の価値は下がります。従って、借金の負担は年々重くなっていきます。

長期の経済的な低迷が、人々の生活あるいは社会に影響を及ぼさないはずはありません。少子化、晩婚化、非婚化、非正規雇用の増加も経済の低迷と無縁ではないでしょう。経済的な負担を荷って、結婚し子供を育てるよりも、むしろ親と暮らし給料を自分のために使うというパラサイト・シングルが増えています。

単身世帯、夫婦2人世帯あるいは高齢者世帯が増え、家族の形態が崩れつつあります。女性も男性と同じように働き収入を得るようになる一方で家族関係が希薄になっています。文化的な基盤が損なわれ、個々人が経済活動に組み込まれる中で、個人の原子化が進み、家族の絆あるいは地域社会の絆が薄れていくようにも見えます。長期にわたる経済の低迷は、人々の価値観や消費生活を変質させ、文化的な基盤を損なっていることに注意を払わなければなりません。

フランス人と結婚し、フランス生活を始めて2年になるマダムリリーさんのブログ「フランス情報」において、マダムリリーさんは「日本にも取り入れたいフランス的生活習慣」を7つあげています。
www.madameriri.com

 年5週間のバカンス
 サラリーマンの6時帰宅
 食後のデザート
 せかせかしない、ゆっくり生活
 ピルの服用
 夫婦でデート習慣
 ベビーシッター制度

マダムリリーさんがあげているフランス的生活習慣は、フランス人の典型的な価値観を表しています。日本とフランスの働き方の違いが、どのように経済に影響するのか比較してみます。フランス人の働き方はあくせくしていませんが、むしろフランス経済のパフォーマンスの方が日本より優れていることが分かります。

日本とフランスの一人あたりGDP(購買力平価換算)はほとんど同じです。しかし、労働時間が少ない分、フランスの労働生産性(単位労働時間あたりの名目GDP、購買力平価換算)は良くなります。フランスの労働生産性が97.9(2010年、米国基準=100)に対して日本の労働生産性は66.8に留まります(OECDデータ)。

両国の労働生産性(名目GDP)の上昇率はこの10年間ほとんど同じであり、労働生産性(水準)の差は縮まりません。実質での労働生産性の上昇率は日本のほうが若干優れていますが、賃金上昇率(時間あたり賃金)ではフランスの方が勝っています。日本ではデフレのため、実質での経済成長が賃金上昇に反映されません。

賃金上昇率から消費者物価上昇率を引いた実質賃金の上昇率(年平均)においても、フランスは1.6%、日本は0.3%とフランスの方が勝っています(注2)。フランスでは穏やかなインフレが続いていますが、それを上回って賃金が上昇しています。また、実質金利においてもフランスは1.475%、日本は2.368%とフランスの金利の方が低いため(注3)、投資や資産の購入がしやすくなります。

日本経済が低迷しているのは、労働人口が減っているからだという人口動態論が人気を博しています。しかし、単位労働時間あたりのアウトプットで計る労働生産性の優劣は人口動態とは無関係でしょう。また、実質金利の高低も人口動態とは無関係でしょう。

日本の労働生産性が上がらないのは、技術的なイノベーションに欠けているからだという議論もよくあります。しかし日本のイノベーションがフランスより劣っているとは思えません。むしろ、多くの分野において日本の技術水準のほうが優れているように思われます。

日本人は生活の時間を削っても働くことを良しとし、サービス残業や長時間労働を当たり前として働いてきました。しかし、このような働き方が経済的な豊かさとして報われていません。どこに問題があるのか明らかにするとともに、経済システムを変更していく必要があります。

また、日本人の働き方が、少子化だとか非婚化といった社会的な歪みと無関係ではないとするならば、働き方を見直す必要があります。家族の絆、地域社会の絆を取り戻し、経済偏重の価値観から生活重視の価値観に修正していく必要があります。


(注1)OECDのデータより、2011年のGDPデフレーター(2000年基準)は0.869です。2000年~2011年にかけての年平均インフレ率はExcel関数で次のように計算しました。
=(0.869)^(1/11)-1

(注2)hamachanブログの別エントリー“成長は左派のスローガンなんだが・・・・”の筆者コメント参照

(注3)OECDデータより、名目金利として2011年の長期金利を参照、インフレ率として2000年~2011年のGDPデフレーターより年平均インフレ率を計算

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