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2012年3月25日 (日)

福祉レジームの古代史的起源ふたたび

以前「_h_japan」さんのツイートをみて書いたエントリに

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-a7a0.html(福祉レジームの古代史的起源)

こう反応していただいた上に、

http://twitter.com/#!/_h_japan/status/182522427161579520

濱口桂一郎さんが再びぼくのツイートに言及してくださっていました。いつも感謝です。この研究テーマは、その後もいろいろな方々のご意見を受けて、少しずつ改善中です。いつかまとまったかたちになればいいのですが、課題は多く、時間はかかりそうです。

北欧の福祉レジームについてこう連続ツイートされています。大変面白いので、そのまま引用させていただきます。

http://twitter.com/#!/_h_japan

なお今のところ、北欧福祉レジームの形成において最も注目すべきは、古代ではなく、①11~15世紀の北欧直系家族形成、②①と低生産性に起因する(稀有な)自作農の存続、③①とキリスト教救貧経路に依存する、ルター派王権による「カトリック権力の奪取」と「寛大な院外救貧制度の法整備」、です。

で、最近ようやく見えてきたことは、この16世紀から始まるルター派王権による寛大な院外救貧制度の整備は、19世紀半ばまで続きましたが、興味深いことに、19世紀後半には、ルター派教会は膨張する「国の救貧制度」に反対し始め、自分たちだけで救貧をしたいと主張し始めたという意外な史実です。

このことは、スウェーデンの救貧制度史におけるルター派教会と国家との関係の変化に初めて詳しく着目したに詳しいです。今後時間ができたらこれをじっくり読んで、ルター派王権から社会民主党政権までの世俗化(?)の流れをもっと正確に考えたいところです。

なぜスウェーデンで社会民主主義(普遍主義的社会政策)が開花したのか。エスピン-アンデルセンらの資源動員論では、主には「19世紀末に自作農と工業労働者との赤緑連合が成立したから」となりますが、その説明では①「なぜ自作農が多かったのか」と②「なぜ両者が連合できたか」がやや不明瞭です。

ここで注目したいのは、スウェーデンの北部と南部の違いです。トッドが『新ヨーロッパ大全』で指摘したように、社民党得票率は北部で高いが、農業賃金労働者も北部で多い。で先述のAndersonによれば、ルター派特有の院外救貧(カルヴァン派の英米には無かった)もまた、北部で多かったのです。

(あ、AndersonはエスピンではなくてKarenです) これは何を意味しているでしょうか。直系家族化によって土地を全く相続できない子どもが生じ、特に農業が厳しい北部では、土地を持たない農業賃金労働者が増えたでしょう。彼らは農民ですから、非農業労働を課す院内救貧では救われない。

こうして彼らは、カルヴァン派ほど資本主義的でないルター派特有の「院外救貧」の恩恵を受け、やがて識字化による脱宗教化が進むと、ルター派教会の役割は社民党に取って代わられ(そのとき教会は嫉妬して反救貧に翻る)、彼らが社民党の第一支持基盤になった。ここに②の答えがあるように思うのです。

ちなみに①の答えは、すでにトッドが『新ヨ大全』でヒントを出しています。北欧で11世紀以降に広まった直系家族は、全財産を一子のみに相続するがゆえに、その一子は確実に「自作の能力」を維持できる(農業賃金労働者に成り下がらない)からです。

ただしそのトッドの説明では、直系家族の日本で自作農が減り小作農が増えた理由を説明できません。その点については、でつぶやいた内容(北欧より日本のほうが農業生産性が高かった点)を考慮に入れると、説明ができるのではないかと思っています。

なお直系家族は、北欧・日本の以前にも、古代のメソポタミア・中国・北インドで発生しており、人口増加に伴う農地不足で発生しやすい家族形態です(Todd 2011:593)。こういった流れをつなげれば、北欧で社会民主主義が開花した経緯をその地理的起源から辿ることができるかもしれません。

なお、古代中東・中国・北インドで発生した直系家族は2世紀までに共同体家族へと変化してしまった(Todd2011:593)。トッドはこの変化の理由を「直系家族よりも大きな氏族集団を作れるため軍事的に優位だったから」と推測している。例えば秦は統一前、共同体家族を中国で初めて採用した。

ちなみに、中東・中国・北インド・北欧・日韓といったユーラシア大陸でのみ(今のところ)直系家族の出現が確認されていることの理由は、ジャレド・ダイアモンド的に、「ユーラシア大陸の東西に長いという形状がもつ、農産業交流のための有利性」を挙げれば十分である気がします。

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コメント

與那覇潤を読みかけなんですが、
相続できない次男三男問題に関しては
ハインゾーンの「自爆する若者たち」が
関係してそうですね(同書はヨーロッパでは主にスペインポルトガルイギリスに触れられており、北欧に割かれたページは少ないので)

古代中国の桑農業については原宗子の
「環境から解く古代中国」の説明が色々と面白かったです。


‏ @_h_japan氏がどのような方か存じませんが…

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