「しがらみのない政治」で得をしたのは「強い個人」
五十嵐泰正さんの連続ついーとから、わたくしの言い方でいえば「ステークホルダー民主主義」に関わる部分を:
http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175401174239948800
↓そうなんだよなー 高度成長期以前まで遡らなくとも、20年ぐらい選挙に現場で絡んで眺めてるとこれは実感する。中間集団が壊れて「しがらみのない」選挙とやらになって得をしたのは、地域関係なく生きてこれた「強い個人」だけだもの。「しがらみのない政治」を望んできたのは(リベ)サヨなのにね
http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175402088350748672
「ずぶずぶ」の昭和型選挙っていうのは、鈍重なしがらみであったのは勿論だけど、その一方で中間集団単位での利益分配でもあり、「自分が属する集団/階層」には誰がベターか(無理やりに組織的投票を求められるという形で)判断する解釈共同体でもあった。
http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175403400647819264
もちろん昭和型選挙でも、地域共同体や各種業界団体から疎外される周縁の問題はあった。まあ、そこを掬いながら発展したのがS価だったりするんだけど。でもマクロに見れば、階層的利害と全然無縁な政策を訴えるポピュリストにごっそり持ってかれる現在よりは、はるかにマシだったのは明らかに思える。
http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175405197072412673
人は誰しも、時間も能力も有限なんだから、何らかの解釈共同体に頼らなきゃ投票なんてできないよ。その解釈共同体が、中間集団がマシなのか、みのもんたがマシなのか、ネットがマシなのかって話。とりあえず歴史を見る限り中間集団がマシではありそうなんだが、資源が収縮する中でも本当にそうかは保留
その他に(今はまだ出てきていないけど)もっと良いのがあるんじゃないのか?という疑問に対しては保留で結構ですが、みのもんたその他のテレビタレントやネット○○が「マシ」という判断はないのではないかと。
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コメント
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久しぶりにブログ拝見したら、まさか適当に書いたツイートが晒されていようとは(笑)
おっしゃる通りですね、みのもんたや一般意志なんちゃららが「ステークホルダー民主主義」よりマシとは到底思えないです。
ただ、いまだ形骸化した旧来型の中間集団に依拠して票を積み上げる以外の方法論がない大多数の市区町村レベルの選挙は、もはや滑稽なサブカルチャーの秘儀と化しているのは事実なわけです。少なくとも(実際あのツイートにもそういう反応も多かったのですが)「時計の針」は巻き戻せない以上は、何らかのまだ見ぬ「マシ」な中間集団の再建の模索が急務なんであろうと思います。
何らかの中間集団抜きの民主主義などあり得ないと、私も思っているのですが…
投稿: yas-igarashi | 2012年3月 4日 (日) 23時44分