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年金証書は積み立てられても財やサービスは積み立てられない

この期に及んで、未だに賦課方式ではダメだから積立方式にしろなどという、2周遅れ3周遅れの議論を振り回している御仁もいるようですが、この問題については、本ブログで過去何回も書いてきたように、上記タイトルの趣旨を理解しているかいないかに尽きます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9649.html(財・サービスは積み立てられない)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a96e.html(積み立て方式って、一体何が積み立てられると思っているんだろうか?)

>この問題は、いまから10年前に、連合総研の研究会で正村公宏先生が、積み立て方式といおうが、賦課方式といおうが、その時に生産人口によって生産された財やサービスを非生産人口に移転するということには何の変わりもない。ただそれを、貨幣という媒体によって正当化するのか、法律に基づく年金権という媒体で正当化するかの違いだ」(大意)といわれたことを思い出させます。

財やサービスは積み立てられません。どんなに紙の上にお金を積み立てても、いざ財やサービスが必要になったときには、その時に生産された財やサービスを移転するしかないわけです。そのときに、どういう立場でそれを要求するのか。積み立て方式とは、引退者が(死せる労働を債権として保有する)資本家としてそれを現役世代に要求するという仕組みであるわけです。

かつてカリフォルニア州職員だった引退者は自ら財やサービスを生産しない以上、その生活を維持するためには、現在の生産年齢人口が生み出した財・サービスを移転するしかないわけですが、それを彼らの代表が金融資本として行動するやり方でやることによって、現在の生産年齢人口に対して(その意に反して・・・かどうかは別として)搾取者として立ち現れざるを得ないということですね。

「積み立て方式」という言葉を使うことによって、あたかも財やサービスといった効用ある経済的価値そのものが、どこかで積み立てられているかの如き空想がにょきにょきと頭の中に生え茂ってしまうのでしょうね。

非常に単純化して言えば、少子化が超絶的に急激に進んで、今の現役世代が年金受給者になったときに働いてくれる若者がほとんどいなくなってしまえば、どんなに年金証書だけがしっかりと整備されていたところで、その紙の上の数字を実体的な財やサービスと交換してくれる奇特な人はいなくなっているという、小学生でも分かる実体経済の話なんですが、経済を実体ではなく紙の上の数字でのみ考える癖の付いた自称専門家になればなるほど、この真理が見えなくなるのでしょう。

従って、人口構成の高齢化に対して年金制度を適応させるやり方は、原理的にはたった一つしかあり得ません。年金保険料を払う経済的現役世代の人口と年金給付をもらう経済的引退世代の人口との比率を一定に保つという、これだけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-76aa.html(経済的従属人口比率こそが重要だ@欧州労連)

高齢者が働いて社会を支える側にまわることを憎み罵倒しておいて、高齢化で社会保障が維持できないから大変だ大変だと騒ぎ立てる頭の悪い人々がなぜかマスコミでは持て囃されるんですね。

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コメント

 飯田泰之先生が、積立方式に移行を言い出すとは驚きました。こんな調子では他のリフレ政策もいかがわしく思われてしまうでしょう。
 もっとも、同じくリフレ派の高橋洋一氏は移行に否定的ですけど。

 世代会計というコトリコフの手法を年金で考えるのは、意味が無いとは言いませんが、そもそもアメリカは少子化と無縁ですし、高速道路・下水道など社会資本ストックが現在と例えば40年前とでは全然違います。

 社会資本ストックの蓄積自体は、年金受給世代が作ったものですが、それらもちゃんと考慮に入れると果たして世代間格差なるものがあるといえるのかちょっと疑問です。
 
 それと根本的な問題として、後の世代ほど技術革新の恩恵を受けられる訳で、薄型テレビもパソコンもインターネットも携帯電話もiPodもiPadもamazonも無く、ボットン便所に公害のひどかった時代の世代と現在の若年世代を直接、損得の比較をすることにどれほど意味があるのかも疑問です。
 
 いま90代の年金受給者は戦争も経験している訳ですが、世代間格差論者は、彼らは得をしていると言うのでしょうか。

 年金の賦課方式から積立方式への移行による世代間格差の解消をうたう論者は、(本来の)リフレ派の教祖・石橋湛山が言った根本病にかかっているとしか思えません。
 
 

投稿: spec | 2012年3月 1日 (木) 15時12分

”積立方式を掲げている政党は、今のところ大阪維新の会だけなので、この点でも応援したい。”

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51776573.html

てっきりこっち(池田伸夫ブログ)の話かと思いましたが…

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare264.pdf
「”ここで重要なことは世代間の再分配は年金のみならずフロー、ストック様々なチャネルを通じ前世代から後世代へ、後世代から前世代へと双方向で行われているということ。そこで年金のみを取り上げる」のは


http://dbdc.seesaa.net/article/250088807.html
わが国の公的年金は終身給付を旨としている。つまり、公的年金を金融商品になぞらえるなら、単なる老後貯蓄商品ではなく、不意に長生きしたことを理由に支払われる保険商品と捉えるべきであろう。生命保険(死亡保険)がいつ死ぬか分からないリスクへの備えであるのに対し、公的年金(生存保険)はいつまで生きるか分からないリスクへの備えである。よって、死亡保険で払った分だけ元を取ろうという発想が珍妙なのと同様、公的年金で払った分だけ元を取ろうというのもまたお門違いである。

投稿: 匿名 | 2012年3月 1日 (木) 16時57分

>世代間格差

なんでもリフレを引き合いに出す人にはあきれる。池田氏が念頭でしょう。hamachan先生は表面的態度はともかく、ここのコメント欄の常連さんよりはずっと「世代間格差」の機微に触れていると思う。

「若者が働いて親を支える」メタファーの射程距離
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f770.html
>親・親族を支えるのはいいが、知らない高齢者まで支えたくはないなぁ…… RT

斜め方面に見えて、実は大変本質的な突っ込みでもあります。(中略)「知らない高齢者」を「親・親族」みたいなものだと諦めて、支えるしかないのですが、せめてそういう支えられる人はできるだけ少なくして欲しい、というのが、現役世代としては当然の要求でしょう。「儂らの生活を支えるのはお前らの責任じゃ、とばかり云われたくない」はずです。ところが、ここに急速な人口の高齢化という要素が入ると、「あれっ?養う親は二人だけのはずだったのに、いつの間にかあちこちからお前の大叔父じゃ、大叔母じゃというようなのがぞろぞろ出てきて、気がついたら5人も6人も老人を養わなくてはいけなくなっていた」というのが、今の日本の現状なわけです。

冷たい福祉国家
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cda3.html
ナショナリズムと福祉国家
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-aa63.html

http://d.hatena.ne.jp/dojin/20091107
次に、より重要な政策的論点として、「経済学者が問題にしているのは、その結果として起こる巨額の世代間不公平や国民負担の増大である」という鈴木氏(およびその他の経済学者)の主張に対して、権丈氏はあまり正面きって答えてないように思える。ここは是非、お互い粘着して論争してほしい部分である。鈴木氏のこの主張も、権丈氏が常日頃主張するように「経済学者の事実誤認、制度理解不足」で片付けられる問題なのだろうか。年金の勉強も中途半端なので断言はできないが、おそらくそうではないと思う。少なくとも「経済学者の制度理解不足」(by権丈)に帰着できない部分がいくぶんかはあり、鈴木氏はそれを問題にしたがっている。たとえば「世代間不公平」の問題はそうだろう。

「社会保障=世代間扶養」の神話
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/14869756.html
推計の構造上,女性についての数値となっているが,子どもをもたない男性の割合もほぼ同程度といえるだろう。つまり,将来の日本人の約4割は子どもをもたない。社会保障は世代間扶養のシステムだといわれるが,社会保障の受益者の4割が,負担する世代と親子関係をもたない世界で,世代間扶養の考えを維持できるだろうか。以下は,厚生労働省のサイトにある,公的年金がもつ世代間扶養の役割を説明した文章である。日本人の4割は子どもをもたなくなる事実を踏まえて,なお,この文章に共感を覚えることができるだろうか。

賦課方式から積立方式へ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51776573.html

投稿: nya | 2012年3月 2日 (金) 08時35分

>nyaさん

>なんでもリフレを引き合いに出す人にはあきれる。
私のことでしょうか。たまたま、飯田先生が積立方式に移行せよと述べた記事を最近ネット上で見かけたもので。リンク先を探しているのですが、どこで読んだか忘れてしまいました。最近の記事のはずです。本件は、たしかに池田信夫氏が念頭にありそうですね。

何でもリフレ派というよりは、岩田規久男氏もかつて社会保険料の事業主負担は全額賃金に転嫁するとか、積立方式への移行を主張されていたから、それが念頭にあるのは確かです。

高橋洋一氏は移行に反対されているので、別にリフレ政策に内因する問題ではないのは承知しています。

しかし、そもそも積立方式に移行しても少子化が続く限り、(年金の)世代間格差はありますよ。二重の負担を払っている間はむしろ悪化するでしょう。

高額所得者から低額所得者への再分配など、いくらでも他に手段があるのに、わざわざ面倒で二重の負担もあり、現実性が疑問視される積立方式への移行を主張するのか不可解です。

投稿: spec | 2012年3月 2日 (金) 21時06分

飯田先生が軽く言及していますね。
http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20120213

いったい、ひどいのはどっちでしょうかね。

そもそも、賦課方式から積立方式に移行するための二重の負担そのものにより、実物資本蓄積のクラウディングアウトが発生してしまいます。

積立方式は金融変動に弱く、巨額の積立金が大きく目減りする危険が絶えずあります。AIJも積立方式です。賦課方式も積立方式のどちらにもメリット、デメリットはあるのですが、はじめから賦課方式のみで運用していたのならいざ知らず、賦課方式から積立方式への移行はコストに見合うメリットは見いだしにくく、非現実的です。

マクロ経済スライドをデフレ下でも実施できるようにする、所得代替率を下げる、パート労働者の強制加入など現行制度の下でいくらでも改良できる余地があるのに、制度そのものをいじるというのは「根本病」でしょう。

とりあえず、年金に関しては、“りふれは”は三法則氏と同レベルということが分かりました。まあ、高橋洋一氏は、積立方式を非現実的としているので、“りふれは”の全てではないのが、少しは救いでしょうか。

投稿: spec | 2012年4月12日 (木) 00時22分

先ほどの投稿の内容にミスが。二重の負担はややこしいですね。

『賦課方式のもとで約束した年金給付を反故にしないという条件のもとでは,積立方式への変更によって生まれる民間貯蓄の増加は政府債務の増加で相殺されるから,経済全体での貯蓄や資本蓄積経路は変わらない。』
年金改革における3つの等価定理
http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j26d01.pdf

ついでに、一橋の高山憲一先生の書評もかなり辛辣で面白いです。

「科学的装いを凝らした八田氏の「信念の表明」書。公的年金積立方式化への疑問」
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~takayama/pdf/pension/syohyo.pdf

投稿: spec | 2012年4月12日 (木) 00時59分

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