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« 「みんながふつうにエリート」社会の一帰結 | トップページ | 『仕事の社会学 改訂版』 »

2012年3月18日 (日)

まじで無理・・・

Wec12031818000002p1この手の記事については産経が一番よく取材して書いていますね。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120318/wec12031818000002-n1.htm【karoshi過労死の国・日本 第3部(2)若者に迫る危機】“正社員”餌に残業100時間 「マジで無理…」首つり)

「せっかく正社員になれたんやから、もう少し頑張ってみるよ」

「正社員だと信じて疑わずに就職したのに、本人は相当なショックを受けたに違いない」

「会社は正社員という餌をちらつかせて、アリ地獄のように待ち構えていた。健康でまじめに働く息子はいい獲物だったはずだ」

少し前に書いたエントリで

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-9a3d.html(それがつまり純粋なジョブ型ってこと)

良きメンバーシップ型の安心感を与えないまま、使用者側にとって都合のいいところだけをいいとこ取りして、メンバーシップ型の緊張感だけを要求して、ジョブ型の気楽さを許さないというところに、近年のブラック企業のブラックさがあるというのが、この間申し上げてきているところで・・・

と述べた、まさに「いいとこ取り」の典型的な事例です。

このエントリでその後に述べたことが、本日のすぐ下の「「みんながふつうにエリート」社会の一帰結」の話と響き合っていることはおわかりになるでしょう。

しゃかりきに頑張る約束のエリートとそれほど頑張らない(やることだけはちゃんとやる)約束のノンエリートが分かれているということ。

戦後日本は、ある意味で世界に冠たる「みんながエリート」社会をつくったわけです。生涯の安心感とみんながしゃかりき労働の交換によるそれなりに安定した社会を。

それを「みんながダラカン」の護送船団だからけしからんと批判して出てきた「ベンチャー」な人々が作り上げたのは、なぜか「みんながベンチャー」という看板の下で、安心感なき恐怖政治の下でやはりみんながしゃかりき労働というまことにインバランスな仕組みだったというオチ。

この「オチ」に、そろそろ落とし前をつけなければならない時期が来ているのかも知れません。

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