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2012年3月17日 (土)

求職者支援制度の成立

『季刊労働法』236号が刊行されたので、前号の235号に掲載された「求職者支援制度の成立」をホームページにアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/2ndsn.html(『季刊労働法』235号「労働法の立法学」27回 「求職者支援制度の成立」 )

この制度の経緯をかなり詳しく解説しております。このブログでは、最後の「求職者支援制度の本質は何か? 」という部分を載せておきます。

5 求職者支援制度の本質は何か?
 
 求職者支援制度は、制度設計の基本理念である労働政策審議会の建議では「雇用保険と生活保護の間にあるセーフティネット」と、生活保障政策の一環であることを宣言する一方、法律の目的は「特定求職者に対し、職業訓練の実施、当該職業訓練を受けることを容易にするための給付金の支給その他の就職に関する支援措置を講ずることにより、特定求職者の就職を促進し、もって特定求職者の職業及び生活の安定に資すること」と、職業訓練に重点を置いた労働市場政策に焦点が絞られており、その間にいささかの乖離があるように見えます。

 そして、本制度の制度設計自体の中に、生活保障政策であるがゆえに正当化されるような資産調査的なモラルハザード対策の仕組みと、労働市場政策であるがゆえに必要となるモラルハザード対策とが、やや不整合な形で同居しているような印象を与えます。

 もし本制度の謳い文句である「第2のセーフティネット」という言葉が、働ける人が生活保護を頼らなくてもいいような新たなセーフティネットを提供することに主眼があるのであれば、それは事実上、福祉事務所の代わりにハローワークが特別な生活保護を支給するということに近くなりますから、家族に収入があったり、資産があったりするのに受給するというのは、排除すべきモラルハザードということになりましょう。3大臣合意までの議論が、雇用保険財政ではなく一般会計で本制度を賄うという前提で行われていたことも、このロジックを強める方向で働きます。これはこれで、一つの合理的な議論です。しかし、審議会での議論の中での本制度の位置づけ自体が必ずしもそういう方向を目指したわけではありません。

 審議会では、とりわけ労働側が強く主張したところですが、本制度を生活保障制度の一環として捉えるよりも、職業訓練に重点を置いた労働市場政策の一環として捉える方向がかなり打ち出されました。建議の冒頭の台詞はともかく、制度設計の基本的部分は、まさに「職業訓練の実施等による特定求職者の就職の支援」という法律の題名に相応しいものとなっています。そして、それを前提とすれば、真摯に訓練を受けて就職するつもりもないのに、月10万円が欲しいからとやる気のない訓練に申し込むことこそが、真っ先に排除すべきモラルハザードということになりましょう。上から降りてきた結論とはいえ、費用の半分を雇用保険財政で賄うことになったということも、この労働市場政策としての位置づけを強化する方向で働くと言えます。一般会計が4分の1を賄う失業給付との差は相対的なものということもできるからです。

 本制度がこういう複雑な性格を持つようになった一つの原因に、この間公共政策に大きな影響力を行使してきた連合内部の事情もあるようです。もともと、2007年に連合が新たな生活保障制度を提言したとき、その担当部局は生活福祉局でした。そのため、労働市場政策よりは生活保障的側面にかなり傾斜した主張となっていました。ところが、本制度が労働政策審議会で審議される前後からは雇用法制対策局が担当となり、労働市場政策であることを強く打ち出すようになります。
 
 問題は、このある意味で相矛盾するような二つの魂を併せ持ったままで、本制度がスタートすることになったことです。そのため、法が成立してから施行されるまでの間に、労働法学者を初めとしてさまざまな議論が交わされましたが、何をあるべき制度としてイメージしているかによって、いささか噛み合わない面も見られたようです。生活保障的側面を重視する論者からすれば、ヨーロッパの失業扶助制度が議論の起点となるべきで、職業訓練受講中「しか」給付がされない本制度は本来の姿ではないと映るのは当然です。しかし、訓練受講こそが政策の中軸であるならば、それ以外の時期にまで給付するのは濫給以外の何ものでもないでしょう。

 本制度の持つこの相矛盾する2側面は、生活保護制度の在り方をめぐる議論にも大きな影響を与えます。もし、本制度がハローワークで給付される特別な生活保護であるならば、福祉事務所にとっては、働ける人にはハローワークに行ってもらうという行動様式が合理化されることになります。実際、求職者支援制度の審議が開始されて間もない2010年2月25日、大阪市の平松邦夫市長は「生活保護の現状に鑑みた緊急対策について」と題した要望を行い、生活保護受給者の急増によって地方自治体の財政が大きく圧迫されている実情を訴えた上で、「過度に生活保護制度に依存することは制度の本旨ではなく、また、国民の勤労意欲をも阻害する恐れがある極めて大きな問題を内包しており、社会の在り方にも関わる問題」と述べ、「喫緊の課題として、個人の能力に応じ、働ける方には働ける環境の整備として、現行の「訓練・生活支援給付」制度の規模・内容の拡充を行い、生活保護制度に優先する仕組みを作る」ことを求めていました。

 現実の求職者支援制度は、平松市長の希望とはかなり異なる方向で実現したわけです。何よりも、それは生活保護に優先する仕組みではありません。もし生活保護に優先する制度であるならば、それはまず何よりも給付することが目的であり、訓練は給付のための条件に過ぎません。しかし、本制度はまず何よりも訓練することが目的であり、給付は訓練を容易にするための付加制度なのです。ですから、訓練目的に沿わない者は、生活保護代わりに本制度を利用するというわけにはいかないのです。

 しかしながら、これは言い換えれば、もともと「第2のセーフティネット」という触れ込みで始められた制度が、第3のセーフティネットと隙間なくぴっちりと存在するのではなく、いわば第1のセーフティネットの斜め横に、職業訓練という別の政策目的をもった形で存在しているということでもあります。そのすきまをどうするのか?という問題は依然存在します。

 ここは、生活保護制度の本旨に立ち戻って考えるべきでしょう。そもそも、生活保護制度は働ける人は対象にしないなどとはどこにも書いていないのです。連合が、第1層と第3層の間に第2層のセーフティネットが必要だと提言したときに、その隙間は法が本来予定する隙間ではなく、本来は生活保護の対象となるはずだが運用によって対象外であるかのようにされてきていただけだということは、あまり意識されていなかったようです。本来あってはならないのに、生活保護側の収縮によって発生していた隙間は、当然ながら生活保護によって埋められるべきでしょう。ただし、今までの生活保護制度は、働ける人はできる限り入口で入れないという運用をしてきたために、「入れてしまった」人を送り出す仕組みがきちんとできていませんでした。

 なお、現在厚生労働省で生活保護制度に関する国と地方の協議が行われていますが、平松大阪市長を初めとする指定都市市長会が2011年7月に発表した緊急要請では、「本来、働くことができる人には、まず、就労自立支援等の対応がなされるべき」との考え方から、「今秋より法律が施行される求職者支援制度をはじめとする第2のセーフティネットについては、生活保護制度に優先する制度として定めること。そのためには、少なくとも生活支援のための給付額が全国一律十万円とすることは認めがたい。生活保護費より高くし、実効ある就労支援を行うなど、生活保護に頼ることなく就労自立が可能な内容とすること。」を求めています。求職者支援制度の本質をめぐる議論は、なかなか一段落しそうにはありません。

平松前大阪市長が現職で登場しているところが、わずか数ヶ月前とはいえ時間の流れを感じさせます。

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