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2012年3月

『新しい労働社会』第7刷

1310391459889134009632009年7月に発行された拙著『新しい労働社会 雇用システムの再構築へ』(岩波新書)につき、このたび版元の岩波書店より第7刷の連絡を頂きました。

本書が引き続き多くの皆さまに読まれ続けていることに心より感謝申し上げます。

これからもロングセラーとして少しずつでも読まれ続けることを希望しております。

なお、新聞・雑誌、ネット上の記事やブログ、さらにはtwitter上でのものも含めた拙著の書評は以下にまとめております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bookreviewlist.html

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JILPT動画@youtube

JILPTの労働政策フォーラムの講演の動画(著作権の関係でJILPT研究員のもののみ)がyoutubeにアップされています。

http://www.youtube.com/user/jilptdouga

やはり、喋りのうまさ、掴みの巧みさは、最後の伊藤実さんがダントツですね。

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でも残念ながら、私たちは観客じゃないんです

本ブログで既に、何回も本人の生の言葉で紹介してきた湯浅誠氏の「保守と中庸の感覚」が、毎日新聞紙上でも展開されています。

http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2012/03/30/20120330dde012040004000c.html

「90年代にホームレス問題に関わっていたころ、社会や世論に働きかけて問題を解決したいという思いはあったが、その先の永田町や霞が関に働きかけるという発想はなかった。こちらが投げ込んだ問題は、ブラックボックスを通して結果だけが返ってくる。『政治家や官僚は自分の利益しか考えていないからどうせまともな結論が出てくるはずがない』と思い込み、結論を批判しました。しかし参与になって初めて、ブラックボックスの内部が複雑な調整の現場であると知ったのです」

「ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。「以前は自分が大切だと思う分野に予算がつかないのは『やる気』の問題だと思っていたが、この状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、玉虫色でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした」

「政府の中にいようが外にいようが自分は調整の当事者であり、『政府やマスコミが悪い』と批判するだけでは済まない。調整の一環として相手に働きかけたが結果が出ない--それは相手の無理解を変えられなかった自分の力不足の結果でもあり、工夫が足りなかったということです。そういうふうに反省しながら積み上げていかないと、政策も世論も社会運動も、結局進歩がないと思う」

ここまでは、既に何回も紹介してきたことの繰り返しですが、今回新聞紙上で、湯浅さんはそれを一歩進めて、今日の政治状況の惨状に結びつけます。

「橋下さんが出てくる前、小泉純一郎政権のころから、複雑さは複雑であること自体が悪であり、シンプルで分かりやすいことは善であるという判断基準の強まりを感じます。複雑さの中身は問題とはされない。その結果の一つとして橋下さん人気がある。気を付けなければならないのは、多様な利害関係を無視しシンプルにイエス・ノーの答えを出すことは、一を取って他を捨てるということです。つまり、世の中の9割の人は切り捨てられる側にいる

けれど、自分たちが切り捨てられる側にいるという自覚はない。なぜなら複雑さは悪で、シンプルさが善だという視点では、シンプルかどうかの問題だけが肥大化し、自分が切り捨てられるかどうかは見えてこないからです。それが見えてくるのは、何年後かに『こんなはずじゃなかった』と感じた時。本当はそうなる前に複雑さに向き合うべきですが、複雑さを引き受ける余力が時間的にも精神的にも社会から失われている。生活と仕事に追われ、みんなへとへとになっているんです」

「民主主義って民が主(あるじ)ということで、私たちは主権者を辞めることができません。しかし、余力がないために頭の中だけで降りちゃうのが、最近よく言われる『お任せ民主主義』。そのときに一番派手にやってくれる人に流れる。橋下さんはプロレスのリングで戦っているように見えますが、野田さんはそうは見えない。要するに、橋下さんの方が圧倒的に観客をわかせるわけですでも残念ながら、私たちは観客じゃないんです

おそらく、かつて湯浅さんがそうであったように、ブラックボックスの中身が複雑な調整の現場であることを理解せず、外側から「市民の立場で」批判を繰り返してきたのは、どちらかというと左派に属する人々だったのでしょう。

かつてグループ1984年が文藝春秋誌上で「現代の魔女狩り」を批判して見せた頃は、まさにそういう構図が一般的だったのでしょう。観念的に体制を批判する左派と、機能主義的に対応する保守派という構図。

今や時はめぐり、時代は変わり、ねおりべな人々が「市民の立場で」観念的な批判を繰り返し、ねとうよな人々が「庶民感覚全開で」魔女狩りに熱中する一方で、「活動家一丁上がり」の社会運動家が、機能主義的な保守と中庸の感覚を示すようになったわけです。

左派が世の中にウルトラCなんてないのだよと、やさしく人をさとす側にまわる時代なのですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html(浅誠氏が示す保守と中庸の感覚)

世の中の仕組みをどうするかというときに、「ステップを踏むなんてもどかしい」と「ウルトラCに賭ける」のが急進派、革命派であり、「ウルトラCなんかない」から「ステップを踏んでいくしかない」と考えるのが(反動ではない正しい意味での)保守派であり、中庸派であると考えれば、ここで湯浅氏と城氏が代表しているのは、まさしくその人間性レベルにおける対立軸であると言うことができるでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-3bac.html(湯浅誠氏がさらに深めた保守と中庸の感覚)

なにゆえに、保守と中庸の感覚が期待されるはずの人々にもっともそれらが欠落し、かつてまでの常識ではそれらがもっとも期待されないような「左翼活動家」にそれらがかくも横溢しているのか、その逆説にこそ、現代日本の鍵があるのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-13b1.html(湯浅誠氏の保守と中庸の感覚に感服する城繁幸氏)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-6d5f.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-01db.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる 実録版)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-47d3.html(湯浅誠氏のとまどい)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/part-bff1.html(湯浅誠氏のとまどいPartⅡ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/part-f353.html(湯浅誠氏のとまどいPartⅢ)

そして、これらの原点に位置するもう4年前のエントリですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-ed5e.html(湯浅誠氏のまっとうな議論)

週刊ダイヤモンドの特別リポートに、もやいの湯浅誠氏が登場しています。そのいうところはきわめてまっとうであり、物事の本質を見据えながらも妙な急進主義に走らず、「穏健さ、均整の感覚、限界の認識という姿を取」ったリアリズムの感覚がきちんと示されていると感じられました。

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正社員の解雇にはいくらかかるのか?

向井弁護士のエッセイについての一昨日のエントリに、お二人からコメントが寄せられました。

「ロー弁」さんからは、

ロースクール時代から楽しく読ませて頂いています。
この人の記事は仮処分を起こせば,労働者は賃金の二重払いを受けられる,というのが見所なので「その通り」とは言いがたいのでは。
記事は後で言い訳を補足していますが,やはり事実上二重払いを免れられないような書き方をしています。

実際、ネット上では、多くの弁護士や学者などからそういう趣旨の批判が噴出しているようですが、まあ、法律専門家にとっての突っ込みどころと、そうでない人々向けの突っ込みどころとは違うということでしょうか。

法律専門家にとっては、二重取りは出来ないよというのが大事な突っ込みどころなのでしょうけど、それだと結局、

正社員の解雇には2千万円かかる!

が、せいぜい

正社員の解雇には1千万円かかる!

に修正される程度で、経済社会的インプリケーションとして、やっぱりある種の人々が印象誘導しようとしている

正社員はほとんど解雇できない

ということには変わりはないわけです。

少なくとも、この元ネタを利用して「とにかく日本では雇ったら負けだ」という印象を広めたがるたぐいの人々にとっては、法律専門家が一生懸命山のように上記論点を論じたところで、蛙の面に何も掛からない程度にしか感じないでしょう。

なまじ専門家サークルにどっぷり浸かりすぎると、そういう情報の非対称性に鈍感になってしまいがちになります。それはそれで、全体政治戦略的には結構致命的です。

本ブログは、むしろ経済社会的観点から労働法現象を見ようとしている方々向けに情報発信するという意味もありますので、法律専門家サークル内の突っ込みどころはそちらに譲らせていただいております。

なお、「Uちゃんねる」さんからも、こういうコメントをいただいておりますが、

社会正義を実現するために、自分を犠牲にしてでも不当解雇ととことん闘う労働者を、十把一絡げに馬鹿にしたような言いまわし…

話を分かりやすくするためにわざとそうされているのでしょうけれど、ちょっと残念です。

おわかりと思いますが、経済学系の基礎知識を有していて、ほっとくとそっち系の議論ばかり頭に入りがちな人々を念頭に、まさにそっち系の「機会費用」という概念でものごとが理解できるように噛んで含めるように説明したものでして、そういう風にいわないとものごとが理解できない人々もいるということも理解していただければと存じます。

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この学問の生成と発展@JIL雑誌4月号

New 『日本労働研究雑誌』4月号は、「この学問の生成と発展」という特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/

とにかくこの目次を一瞥しただけで、その豪華執筆陣に唸りますが、

【労働経済】
労働経済学 神代 和欣(横浜国立大学名誉教授)

人的資本理論 赤林 英夫(慶應義塾大学経済学部教授)

人事の経済学 松繁 寿和(大阪大学国際公共政策研究科教授)

労働市場サーチ理論 今井 亮一(九州大学留学生センター准教授)

【社会政策・労使関係・人事管理】
社会政策 久本 憲夫(京都大学大学院経済学研究科教授)

労使関係論 石田 光男(同志社大学社会学部産業関係学科教授)

雇用制度比較 宮本 光晴(専修大学経済学部教授)

産業社会学 上林 千恵子(法政大学社会学部教授)

人的資源管理論 上林 憲雄(神戸大学大学院経営学研究科教授)

【教育・心理】
職業指導論 木村 周(元筑波大学教授)

産業・組織心理学 渡辺 直登(慶應義塾大学大学院経営管理研究科トヨタチェアシップ基金教授)

キャリア教育 菊池 武剋(東北大学名誉教授)

教育社会学 潮木 守一(名古屋大学名誉教授)

高等教育論 金子 元久(筑波大学大学研究センター教授)

【労働法】
労働法学 西谷 敏(大阪市立大学名誉教授)

労働法社会学 石田 眞(早稲田大学大学院法務研究科教授)

労働の法と経済学 飯田 高(成蹊大学法学部准教授)

労働市場法学 有田 謙司(西南学院大学法学部教授)

ジェンダー労働法学 浅倉 むつ子(早稲田大学大学院法務研究科教授)

現時点で、この中で一番注目すべきは石田眞さんの「労働法社会学」です。というのも、近日刊行の『日本の雇用終了』の中で、あえて法社会学の話に足を踏み入れ、フォーク・レイバー・ローとかなんとか言っていたりするからで、しかもこの論文の主旨からすると、私の議論は今や時代遅れの川島武宜風の労働法社会学ということになってしまいそうなので。

ここで全面展開するわけにはいかないのですが、私の認識は、日本的雇用慣行とは決して近代的に対する意味での封建的なものではなく、むしろ欧米社会における20世紀システムへの転換(契約から身分への再転換)の一変種であって、その変種のあり方が独特であるということだと思っているのです。詳しくは、来月刊行される『現代の理論』終刊号に「日本型雇用システムの歴史的位置」として書いています。

それ以外のエッセイもいずれも結構凄い。必読です。

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正社員の解雇には2千万円かかる!・・・のか?

最近、アマゾンの労働法部門でぶっちぎりの1位をキープしている『社長は労働法をこう使え!』の向井蘭さんの

http://diamond.jp/articles/-/16733(正社員の解雇には2千万円かかる! )

が話題を呼んでいるようです。

いやそれは、確かにその通りで『も』あるんです。経営法曹という弁護士の立場からすれば。いや、対立する労働弁護士という立場からしても同じでしょう。

経営法曹であれ、労弁であれ、弁護士の目には、わざわざ高い弁護士費用を払って、それ以上に何ヶ月も何年もの莫迦高い「機会費用」を払って、解雇の不当性を訴える極めてごく少数の奇特な労働者しか映る機会はないわけですから。

ほかのもっと有益なことにいろいろ使えたはずの自分の人生のとても大切な一時期を、会社相手の裁判闘争に費やそうというような労働者にぶち当たった不運な使用者にとっては、まさに「正社員の解雇には2千万円かかる」という世界が待っていると言ってもそれほど間違いではないかも知れません。

でも、それは、あえて言えば、弁護士であることによるバイアスが相当にあるように思います。

同じバイアスは、そうやって裁判所までやってきた事例だけを判例雑誌をめくりながら研究している労働法学者たちにもある程度まで言えるでしょう。

そういうごく少数の奇特な労働者の外側に、弁護士や労働法学者の目のなかなか届かない膨大な世界が広がっているのです。

その世界のうち、そもそも多くの事象はいかなるアンテナにも感知されないまま消えていっているわけですが、それでもその一部はたとえば労働局あっせんなどの非判定型の調整手続にかかってくることがあります。

そういう事象を1000件余り分析した結果については、既に報告書にまとめ、本ブログでも紹介し、またもうすぐ出版される『日本の雇用終了』でも詳細に分析しておりますが、向井さんの言われる「正社員の解雇には2千万円かかる」については、現実の世界が本当にそうかどうか、労働局のあっせんにかかる限り、こういうデータが出ています。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0123.htm

 

1

49999

5000099999

100000199999

200000299999

300000399999

400000499999

500000999999

10000004999999

50000009999999

10000000円以上

不明・その他

合計

正社員

7(4.3%)

8(4.9%)

39(24.1%)

22(13.6%)

24(14.8%)

12(7.4%)

19(11.7%)

11(6.8%)

1(0.6%)

1(0.6%)

18(11.0%)

162(100.0%)

直用非正規

15(13.8%)

18(16.5%)

28(25.7%)

10(9.2%)

15(13.8%)

1(0.9%)

7(6.4%)

6(5.5%)

0(0.0%)

0(0.0%)

9(8.3%)

109(100.0%)

派遣

6(14.3%)

9(21.4%)

11(26.2%)

7(16.7%)

6(14.3%)

2(4.8%)

1(2.4%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

42(100.0%)

試用期間

5(16.1%)

8(25.8%)

5(16.1%)

6(19.4%)

2(6.5%)

2(6.5%)

2(6.5%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

1(3.2%)

31(100.0%)

その他

0(0.0%)

0(0.0%)

1(100.0)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

1(100.0%)

不明

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

1(100.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

0(0.0%)

1(100.0%)

合計

33(9.5%)

43(12.4%)

84(24.3%)

45(13.0%)

47(13.6%)

18(5.2%)

29(8.4%)

17(4.9%)

1(0.3%)

1(0.3%)

28(8.1%)

346(100.0%)

確かに正社員は直用非正規や派遣よりも高くつきます。

それでも、4分の1は10万円台、そして大部分はその前後の金額で決着しています。

裁判所でとことん闘う人々だけ見ていると見えなくなる、日本社会の姿がここにあります。

(参考)

ちなみに、こういう事案はどういう理由でクビになっているかというと、こちらのエントリにずらっと並んでいます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-a1c3.html(解雇するスキル・・・なんかなくてもスパスパ解雇してますけど)

これもほんのさわりです。全体の詳細は、繰り返しで恐縮ですが、近日刊行の『日本の雇用終了』をお読み下さい。

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『新しい労働社会』への連続ツイート

「kktsc」さんが、拙著『新しい労働社会』(岩波新書)について、次のように連続ツイートしていただいております。

http://twitter.com/#!/kktsc

濱口桂一郎『新しい労働社会』(岩波新書)。読めば読むほど、重要な本である。90年代半ば以降、「新しい貧困」がなぜ生まれたか。戦後近代家族モデルとリンクした日本型雇用システムが、時代に不適応になっているにもかかわらず、労働法制の歪みが放置されていることに、その原因がある。

これが左翼系の労働研究者だと、新自由主義批判、労働規制強化で終わり、となりそうなところ。でも「新しい貧困」は、新自由主義とはあんまり関係ない。「労働」の本質論から、法的枠組みを立て直すことで対処されるべき構造問題。いまこそ、原理論が必要とされている。

「教育の職業的レリバンス」の問題も、構造的に了解できる。これは教育システムだけをいじっても解決できない。日本型雇用システムが「職務 job」概念を本質としていないかぎり、「職務に応じた職業教育」が成立しないのは自明。しかし、この「自明さ」が指摘されているのはすごいと思う。

「子ども手当」問題についても、目からウロコが落ちた。正社員の賃金を「生活給」と見なすのか、それとも「職務に対する報酬」と考えるのか。賃金体系の見直しと、社会保障問題とはセットで考える必要がある。

家族のあり方が多様化している以上、男性正社員モデルで生活給(扶養手当)を考えるのは時代にそぐわない。としたら、「賃金」は職務に応じて、「生活保障」は社会保障で、という切り分けでいくべき。「子ども手当」の理念的文脈はじつはこの点にあったと考えるべきなのでは。

90年代以降、何かがおかしい日本社会。金融政策の正常化(リフレ政策)だけで難しいことを考えずに改善できる部分は大きいが、より丁寧に見れば、労働法制の立て直し(構造改革)は必須の課題だ。

いや、本当に考えさせられる論点がてんこ盛りである。タクシー運転手の規制緩和問題とか、たとえば純粋に経済学的アプローチで議論する話とかもあるけど(大竹文雄とかの)、よりマクロに社会にどのような変容が生じているのかを「現実」に直面するかたちで考えるなら、この本だわ。

日本型経営論を文化論的視角で見るとか、変ちくりんなゴミ議論は多いが、日本がなぜ長時間労働なのか、なぜワークライフバランスが実現できないのか等々、スッキリ明快に分かって、これはすごい。

変かな?いろんな疑問が連鎖的に解けて、すごい快感だったんだけど。まだ最後まで読み終えてないけど。

いや、労働問題について青少年に説明するときに、いろいろ勉強してもなかなかピンとくる本がなかったんだよ。これで面白く話せそうな気がする。いろんな知識同士のつながりを教えてくれる本だと思うな。

「シンプルな枠組み(+まっとうな規範的主張)」で、複合的な事象をよく捉えている、という意味で理論的な冴えを感じる。よって、私は絶賛。

だが、そのシンプルさとまっとうさが(実務家的関心からすれば)「評論家的・傍観者的」と映る可能性はあるかも。「歪んで解きほぐせそうもない現実」を目前にして、「それは歪んでいる」とまっとうに指摘されても、そんなの知ってるわ、という。

問題意識と議論の構図を的確に捉えていただいておりまして、有り難い限りです。

一点だけ些細なことを申し上げておきますと、最後の「(実務家的関心からすれば)「評論家的・傍観者的」と映る可能性はあるかも」という点については、むしろわたくしとしては(世間の凡百の議論の方が))「評論家的・傍観者的」なのであり、わたくしの方がずっと(その出自からしても)「実務家的関心」でもってものごとを論じているつもりでおります

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土田道夫『労働法概説 第2版』

35497土田道夫『労働法概説 第2版』(弘文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.koubundou.co.jp/books/pages/35497.html

本書初版刊行の2008年以降、約3年半が経過しました。
 2008年は、重要な労働立法の制定や法改正が一段落した時期でした。しかし、その後、2008年に端を発した世界的金融不況、以後の構造的な円高状況、不安定な国際政治・経済状況の継続、2011年の東日本大震災等の激しい環境変化は、日本の雇用社会を直撃し、改めて非日本の雇用社会と労働法は多くの課題を投げかけています。
 こうした状況をふまえ、最新の知見とデータを織り込み全面改訂した最新版です。
 学生から法曹実務家、労務行政担当者と、幅広く読まれるスタンダード・テキストです。

土田さんの教科書の最初の『労働法概説Ⅰ』(2003年)のまえがきには、

・・・労働法と言えば、「暗い」「ダサい」と揶揄されたこともあるが、そんなことはない・・・

なんていう記述もありましたが、今やそんなことをいう人は殆ど居ないでしょう。まさに「今日、もっとも先端的な法分野の一つ」になっているのですが、今回のまえがきには、

・・・こうして、日本の雇用社会と労働法は多くの課題を抱え、「法の支配」も道遠しの感がある。

と書かれています。

労働法の教科書があれこれ山のように出ている現在、こういうまじめ系な入門書というのはやや目立ちにくいところがありますね。(いや、どれがふまじめといってるわけでは・・・)


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「「失敗した理念の勝利」の中で」@『生活経済政策』4月号

Img_month『生活経済政策』4月号が送られてきました。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/index.html

特集は「厚い社会を守れるか—ヨーロッパの試練」です。他の記事も含めて、目次は次の通りですが、

明日への視角
•雇用改革の行方/中野麻美

新連載 グローバル化と経済理論[1]
•グローバル化の中のコモンズ(1)/竹田茂夫

特集 厚い社会を守れるか—ヨーロッパの試練
•グローバル金融危機とヨーロッパのデモクラシーのゆくえ/田中拓道
•「失敗した理念の勝利」の中で/濱口桂一郎
•「軽い社会保障」と「軽い連帯」—EUを多様化・断片化した社会として考える/
網谷龍介

•もう一つの「スペイン・モデル」?—南欧の社会的民主主義/武藤 祥
•緑の社会というオルタナティブ—新自由主義でも社会民主主義でもなく/畑山敏夫
•社会民主主義がなすべきこと—「埋め込まれた金融資本」を/小川正浩

連載 グローバル経済危機下の労働運動[9]
•マディソンとウォール街の占拠運動はアメリカ労働運動再生の糸口となるか/高須裕彦

書評
•イエスタ・エスピン=アンデルセン著 大沢真理監訳
『平等と効率の福祉革命—新しい女性の役割』/萩原久美子

特集記事の一つとして、わたくしの「「失敗した理念の勝利」の中で」が載っております。

この記事はこちらにアップしましたので、関心のある方はお読みいただければと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatsurinen.html

冒頭の数パラグラフをこちらにも載せておきます。

現在のヨーロッパは、奇妙な倒錯の中にあるように見える。ほんの数年前には、リーマンショックに端を発した金融危機の嵐の中で、自由放任と市場原理主義への批判が世を覆っていた。フランスのサルコジ大統領は2008年9月、「自由放任、それは終わった。常に正しき市場、それは終わった」と語っていた。ところが、金融危機が加盟国のソブリン危機を引き起こす局面にはいると、正邪は逆転したかのようである。欧州中央銀行のトリシェ会長は2010年4月、「市場は常に正しい。市場はいつでも完全に尊重されなければならない」と語っている。そして、メルケルとサルコジの独仏枢軸のもとで、EUでは強力な緊縮財政方針が打ち出され、賃金の引下げや社会サービスの削減が進められようとしている。

この急激な経済思想の逆転劇を、去る2012年1月に刊行された欧州労研(欧州労連の附属研究機関)の報告書は「失敗した理念の勝利(A triumph of failed ideas)」*1という苦い題名の下に描き出している。この言葉は、アメリカの経済学者ポール・クルーグマンがニューヨークタイムズ紙のコラム(「ゾンビが勝利するとき」*2)で書いた次の文章からきている。「歴史家が2008-2010年を振り返ったとき、一番不思議なのは、私が思うに、失敗した理念の奇妙な勝利だろう。自由市場原理主義はあらゆることについて間違ってきた--なのに、そいつらが今やかつてよりも全面的に政治の場を支配している。」もちろん、クルーグマンは米国のコンテキストでこの台詞を述べているのだが、それをちょうど現在の、金融危機がソブリン危機に転化することで、それまでの金融資本主義批判の雰囲気が一気に緊縮財政、公共サービス削減に転換してしまった現在のヨーロッパの政治状況を批判する台詞として使おうとしているわけである。

ほんの数年前には「失敗した理念」と烙印を押されていた死せる経済思想の奇妙な「黄泉帰り」をもたらしたものは何か?同報告書は、EU各国の様々な資本主義モデルとそれらが示した危機への対応の様相が、逆説的に今日の市場原理主義の制覇をもたらしたことを明らかにしている。


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POSSE川村さんのインタビュー@BROGOS

Ref_l POSSEの川村遼平さんのインタビューがBROGOSに載っています。以前はあごらな感じが強かったのですが、最近はいろんな方向にウィングを広げているようですね。

http://blogos.com/article/35139/(過労状態を前提としない働き方を目指せ)

内容は、いつものことを丁寧に(普段あまり労働問題なんか考えていなさそうなBROGOS読者向けに、かみ砕いてとても丁寧に)語っています。

いちいちこちらに引用しませんので、直接BROGOSの方に読みに行っていただきたいのですが、

過労死ラインを超えていても“直ちに違法ではない”

というのは、まさに昨日のエントリの話ですね。

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ついーと上の拙著評2件

昨日、ツイート上で拙著『新しい労働社会』への短評2件。

http://twitter.com/#!/egashiras/status/184590826289119232

「新しい労働社会」読破。うーん難しかった。これまでの労働市場についての予備知識が少なくてイメージを作りにくかった。5年後には読めないといけないなという危機感を感じた一冊!!

http://twitter.com/#!/kktsc/status/184655990770253825

それにしても、半分まで読んだのだけれど、濱口桂一郎『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』(岩波新書)が、名著である。目からウロコが落ちまくりで、自分の無知を恥じざるをえない、堂々たる正論の連続。「日本型雇用システム」って何なのか、はじめて分かった。

残りの半分を読んでの感想もお願いします。

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現在の労働問題に関するバイブルともいえる書

拙著『新しい労働社会』へのブクログレビューですが、たぶん今までで一番短いものです。

http://booklog.jp/users/ty1258/archives/1/4004311942

現在の労働問題に関するバイブルともいえる書

と、それだけ。そっけないようで、一番褒められているような気もしますし。

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濱口桂一郎、といえば?

自分の名前をググると、とんでもない言葉と一緒に検索されたのが入力補助で出てくるという話が話題になっているので、まずGoogleで自分の名前でやってみたら、

濱口桂一郎 池田信夫

やだなあ、まだ祟られてる。

Niftyでやってみたら、

濱口桂一郎 低学歴

をいをい、池田信夫のインチキな捏造を指摘したら低学歴めと罵られたのが、未だに尾を引いてるよ。どこぞのイナゴさんが、こういうキーワードで一生懸命検索しまくってるんだろうな。まあ、博士号(経済学じゃなく政策メディアだけど)だけが自慢の人だから、別にいいけど。

ほかの検索エンジンでも、だいたい

濱口桂一郎 池田信夫

てのが多い。うんざりするけど、まあ身から出たさびか。

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まったくそうなんだが、実はそうなっていないというオチ

もとネタにわざわざリンクを張る値打ちもないでしょうから、yellowbellさんのコメントだけ引用しますが、

http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/225873031495901792

有給休暇がなんであるんだかわかんないし、休みは経営者から労働者への温情なのでありがたく思え、なんてことをいけしゃあしゃあと書いてみせて、かつ微塵も恥ずかしいと思わないある種の極北にいる経営者が居続けるかぎり、労働者を使用する際の法規制は無くならない。当たり前だ。理屈が通用しないのに自由を与えたら自制無くやりたい放題して回るから、あらかじめあれするなこれするなと禁止してやるしか打つ手がないからだ。

 
機械だって使い続ければ磨り減って壊れる。だから、定期的に点検をして、壊れる前にメンテナンスをする。

「なんでメンテナンスがいるんだよ、なんでメンテナンスする間俺が使用料払って機械を休ませなきゃなんないんだよ」なんてゴネる「お前が使ったから磨耗した。磨耗したからメンテナンスのために休ませる。メンテが終わればこの機械は再びお前に利益をもたらす。だから、その間は当然お前が使用料を払い続ける」という至極単純な因果関係すら理解の外にある人々にとっては、そもそも資源を使って利潤を得ながら、資源を再生産してまた次の利潤創造に備えるなんて経営のイロハもわかっちゃいまい。

やんぬるかな、経営者には資格が要らない。経営資源の再生産についてこれっぽっちも知見を持ち合わせない、世界のどこかで自分が使える労働力が湯水のように作り出されているウボ・サスラの存在を信じる極めてSAN値の低い人でも、とりあえず経営者にはなれる。なんという自由。そして自由にはコストがかかる。ひとまずはどんな素質であろうとも経営者になれるという自由のコストは、だが、我々が粛々と払わねばなるまい。

 
だから、労基法は「使ったら、休ませる」「壊れるから、使いすぎない」ことを、どんな人が経営者でもひとまずは守れるように、法文化してあるわけだ。

 
もしも、ここまで噛み砕いてもなぜ有給休暇が存在するかわからない人がもしいるのなら、・・・・・・

まったくその通りで一分の隙もなくその通りなのですが、実をいうと、日本の労働基準法は、「使ったら、休ませる」「壊れるから、使いすぎない」ことをきちんと担保しているのかいうと、必ずしもそうではない、ってところが、こういう経営者が平然とやってられる一つの法的根拠でもあるわけで。

だって、ここまで敵視されている年次有給休暇って、実は労働者が請求しない限り、これっぽっちだって、使用者には付与する義務が具体的に発生しないわけで、だから現実には年休消化組と未消化組ができるわけで。

さらにいえば、日本の労働基準法の週休規定は、休日割増さえ払えば休日出勤させることに絶対的制限はないわけだし、日本の労働基準法の労働時間規定は、時間外割増さえ払えばどれだけ時間外労働させても(ただそれだけでは)違法になるわけではないのだから、本当をいうと、、「使ったら、休ませる」「壊れるから、使いすぎない」という法律の仕組みになっていないわけですよ。

と、またもなんだかいつも繰り返してきたことを、全く何の進歩もなく繰り返して居るなあ、と。

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ホックシールド『タイムバインド』

100448 アーリー・ラッセル・ホックシールド著、坂口緑、中野聡子、両角道代訳の『タイム・バインド《時間の板挟み状態》 働く母親のワークライフバランス』(明石書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。そして、この本が一人でも多くの方々に読まれるように、微力ながら本ブログでも精一杯応援したいと思います。

http://www.akashi.co.jp/book/b100448.html

えーまず、ホックシールドというと「感情労働」と脊髄反射するわけですが、共働き問題も大きな柱でして、前著『セカンド・シフト』が夫婦関係に着目していたのに対し、本書では働く母親と子どもの関係に焦点を当てています。

共働き家庭は、とにかく時間がない。本書には、仕事と子育ての両立に悩む30人近くの働く母親が登場。子どもや家庭を犠牲にしながらも、常に前向きに厳しい現実と格闘する姿を描く。共感を呼ぶ内容でありながら、ワークライフバランスに関する学術書としても秀逸。

そして、本訳書で特筆すべきは、訳者の3人がいずれも現役の働く母親で、明治学院大学のそれぞれ社会学部、経済学部、法学部で教えながら、それぞれ8歳男子、12歳男子、そして8歳男子プラス3歳女子の母親であるという点でしょう(これら個人情報は本書の訳者紹介に掲載されている情報です)。

私が直接存じ上げているのは労働法の両角道代さんだけですが、大きなおなかを抱えながら労働法学会で報告されていた姿は良く覚えております。もうこんなに大きくなられましたか。いや、そういう話じゃなくって。

本書で一番深刻なテーマは、両角さんの訳した章に主として書かれていますが、仕事と家庭の逆転現象でしょう。以下、訳者あとがきのまとめを引用しますが、

20世紀の前半、テイラー主義的な労務管理が支配的であった頃、労働者にとっては職場は非人間的で過酷な場所であり、家庭こそ「無慈悲な世界からの避難港」であった。そのイメージは現在も私たちの頭の中で健在だが、実際には、多くの労働者にとって職場は家庭よりも快適な場所になっている。・・・その一方で、家庭は職場との競争に敗れ、かつての魅力を失いつつある。疲れて帰宅しても家事に追われ、育児や配偶者との関係に悩んでいても、そのような親を励まし、支え、評価してくれる存在はない。やるべきことの多さに比して、そこから得られる報酬はあまりに少ない。その結果、多くの働く親たちは会社の求める長時間労働を厭わず、職場の人間関係を楽しむ反面、本来は職場の理念であった「効率」を家庭において追求するようになる。そして子育てに関しても「ムダ」を省き、最小限の時間と労力で最大の成果を得ようと努力するようになる。このように家庭が「テイラー主義化」し、私的な時間が失われることによる最大の犠牲者は子どもたちである。その結果、多くの共働き家庭では、行き過ぎた効率化に対する子どもたちの抵抗を懐柔するという「第三のシフト」が発生し、働く親をますます疲弊させ、仕事への逃避を促進している・・・・・。

もちろん、現実の職場はそんな「アメルコ」みたいに「快適」なものばかりではありませんが、とはいえ過酷な職場で働く多くの親たちにとってもやはり同じように「家庭のテイラー主義化」が強いられてきているという姿も、本書が描く側面とは別の側面にあるのでしょう。

第I部 時間について――家族の時間がもっとあれば

 第一章 「バイバイ」用の窓
 第二章 管理される価値観と長い日々
 第三章 頭の中の亡霊
 第四章 家族の価値と逆転した世界

第II部 役員室から工場まで――犠牲にされる子どもとの時間

 第五章 職場で与えられるもの
 第六章 母親という管理職
 第七章 「私の友達はみんな仕事中毒」――短時間勤務のプロであること
 第八章 「まだ結婚しています」――安全弁としての仕事
 第九章 「見逃したドラマを全部見ていた」――時間文化の男性パイオニアたち
 第一〇章 もし、ボスがノーと言ったら?
 第一一章 「大きくなったら良きシングルマザーになってほしい」
 第一二章 超拡大家族
 第一三章 超過勤務を好む人々

第III部 示唆と代替案――新たな暮らしをイメージすること

 第一四章 第三のシフト
 第一五章 時間の板挟み状態を回避する
 第一六章 時間をつくる

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政治家やマスコミこそ拳々服膺すべき3原則

野川忍さんの「巣立つ学生に」向けたはなむけの3原則。

http://twitter.com/#!/theophil21

巣立つ学生に(1)あえて労働法の大切さを力説はしません。世の中に対峙していくために大切な三つの原則を伝えます。一つは「確認」。ジャンク情報やあいまいな物言いに振り回されないために、どんな情報も発言も「誰がどこでいつ発したのか」を確認すること。確認できない情報には距離をおくこと。

巣立つ学生に(2)二つ目の原則は「具体化」。「要するにこうだ」という抽象的な見解や断定的な主張に接したり、自分でも言いたくなったら、常に「たとえば?」と問う事。具体的事例に即して説明することが出来ない主張なら小学生でも言えます。「自然体が大事だ!」「具体的に説明して」

巣立つ学生に(3)三つ目の原則は「反論の推定」。「絶対こうだ!」と思ったら、その考えに対してどんな有効な反論がありうるかを検討する習慣をつけること。自分の主張への効果的反論の可能性を常に念頭に置くと、その主張は飛躍的に説得力のある強靭なものとなります。倦むことなく、「前へ!」

いやもう、なにも付け加えなくても、これだけ雄弁なはなむけの言葉はないです。ああいう連中やこういう連中の真似をしていけませんよ、と。

ちなみに、いやしくも研究者を志す人は、3原則ならぬ「3法則」に陥らないようにしましょうね。

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日本のフォーク・レイバー・ロー

『労基旬報』3月25日号に掲載した「日本のフォーク・レイバー・ロー」という小文ですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo120325.html

今月、労働政策研究・研修機構から過去3年間実施してきた個別労働関係紛争の内容分析の最終報告書として、『日本の雇用終了』を市販書として刊行した。そこでは、労働局あっせん事案から窺われる日本の労働社会における「生ける法」を「フォーク・レイバー・ロー」と呼び、次のような諸特徴を抽出している。

まず第1の特徴は、雇用終了するかどうかの段階において、労働者の適性を判断する最重要の基準がその「態度」にあるという点である。これは、明示的に「態度」を雇用終了の第一の理由に挙げている事案が多いことのみならず、言葉の上では「能力」を理由に挙げているものであってもその内容を仔細に見れば「態度」がその遠因にあるものも多いなど、極めて多くの雇用終了に何らかの形で関わっていることからも、強調される。また、雇用終了の理由となるほどの「態度」の悪さといった時に、判例法理から通常想定されるような業務命令拒否や業務遂行態度不良といった業務に直接かかわる態度だけではなく、それよりむしろ上司や同僚とのコミュニケーション、協調性、職場の秩序といったことが問題とされる職場のトラブルが多くの事案で雇用終了理由として挙げられているという点に、職場の人間関係のもつ意味の大きさが浮き彫りにされているといえる。

第2にこれと対照的なのが、雇用契約の本旨からすればもっとも典型的な雇用終了理由となるはずの「能力」の意外なまでの希薄さである。使用者側の主張において労働者の「能力」を主たる雇用終了理由としている事案の数がそれほど多くない上に、抽象的かつ曖昧なものが多く、具体的にどの能力がどのように不足しているかが明示されたケースはあまりない。むしろ、主観的な「態度」と客観的な「能力」が明確に区別されず、一連の不適格さとして認識されている事例が目立つ。これは、日本の職場において求められている能力が、個別具体的な職務能力というよりは、上司や同僚との人間関係を良好に保ちつつ、職場の秩序を円滑に進めていく態度としての能力であることを物語っているといえる。

第3に労働局あっせん事案が判例法理と極めて対照的な姿を示すのは経営上の理由による雇用終了に係る事案である。多くの中小企業における実態をみると、経営不振という理由を示すだけで極めて簡単に整理解雇が行われており、むしろ経営不振は雇用終了における万能の正当事由と考えられているとすらいいうる。このことを側面から立証すると思われるのが、表面上は経営上の理由を掲げているが、真に経営上の理由であるかどうか疑わしいケース(表見的整理解雇)の存在である。裁判所において適用される労働法と、現実の労働社会で通用している「フォーク・レイバー・ロー」の落差をこれほど明確に示す領域はない。

冒頭のセンテンスで「刊行した」と過去形で述べておりますが、現時点でまだ未刊行ですので、適宜未来形に直して読んでいただければ、と。

なお、この『日本の雇用終了』の目次は、こちらに掲げてありますので、ご参照いただければ幸いです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/mokuji4.html

個別事案の詳細な解説のあとの、第4章、第5章あたりの目次を紹介しておきますと・・・

第4章 日本の職場の「フォーク・レイバー・ロー」
  1 労働法への法社会学的アプローチ
   (1) 労働法学と法社会学
   (2) 「生ける法」
   (3) フォーク・レイバー・ロー
  2 日本の職場の「フォーク・レイバー・ロー」
   (1) 「態度」の重要性
   (2) 「能力」の曖昧性
   (3) 「経営」の万能性
   (4) 職場環境の劣悪化
 
第5章 政策的含意
  1 経済学からの解雇規制批判の検討
  2 規制改革会議の答申の検討
  3 金銭解決制度の導入の検討
  4 個別労働紛争解決システムの設計

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労使コミュニケーション@『BLT』

201204『ビジネス・レーバー・トレンド』4月号が刊行されました。今号の特集は「労使コミュニケーション――新たな課題と取り組み」です。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/index.html


メイン記事は先日行われた労働政策フォーラムの報告とパネルディスカッションの記録です。

労働政策フォーラム:「経営資源としての労使コミュニケーション」から

<基調講演>
わが国の労使関係の過去・現在・未来 濱口桂一郎 JILPT統括研究員

<研究報告>
労使関係のフロンティア―労働組合の羅針盤 呉学殊 JILPT主任研究員

<事例報告>
資生堂労働組合の取り組み―イキイキと活力ある職場づくり 赤塚 一 資生堂労働組合中央執行委員長

連結経営下、労組もグループ化へ―個別最適から全体最適へ 恩田 茂 ケンウッドグループユニオン中央執行委員長

好ましい企業風土づくりは、経営者の経営姿勢の確立から 山田 茂 株式会社山田製作所代表取締役社長

<パネルディスカッション>
コーディネーター 濱口桂一郎 JILPT統括研究員

それに併せて、

緩やかなつながりのなかで相談できる場を提供 連合静岡メイトの取り組み 荒川創太 調査・解析部主任調査員補佐

アメリカの新しい労働組織とそのネットワーク 山崎 憲 国際研究部主任調査員補佐

労働における権利と社会対話―第15回ILOアジア太平洋地域会議から 調査・解析部

という記事も載っています。山崎さんのは、出たばかりの報告書の要約としても役立ちます。

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または有難迷惑な応援団を謝絶する勇気

本日の日本経済新聞の30面に、去る3月6日に行われたCIETT(国際人材派遣事業団体連合)主催のワークショップについての全面広告が載っています。

Ciett

日本で派遣業界の応援団を買って出ている人々の乱暴な言論とはだいぶ肌合いの違う言葉が並んでいるので、人によってはびっくりするかも知れませんが、いうまでもなくこれが世界標準の派遣業界のものの考え方です。

まず右上のフレッド・ファン・ハーステレンCIETT会長の言葉:

人材派遣は不安定な立場の労働者をディーセント・ワークに導くことができる。今後も労働組合との協働などを進め、業界の健全な発展に尽くしたい。

同じくデニス・ペネル専務理事の言葉:

・・・ただし、提供するのはディーセント・ワークでなければならず、それを確保するためには労使の対話が重要である。欧州では労使が共同して派遣社員の訓練や福祉、待遇改善などに取り組んでいる。

 
そして、このような人材派遣の効用を最大化するためには、適切な規制の枠組みを整備する必要がある。派遣業界を独立した産業として認識し、労働組合との協働などを積極的に推進すべきだ。また行政機関も、労働政策の立案・実施に派遣業界を関与させたり、ディーセント・ワークを提供する業界の機能を公的な雇用政策に取り入れたりするなど、人材派遣業界を有効に活用すべきである。

派遣業界のトップが揃って、ディーセントワークとか労使の対話といったILO好みの言葉をフルに使うというのが、少なくとも先進国の派遣業界にとっては当たり前のことなのですが、残念ながら日本では必ずしもそうではなかったというところに、ここ数年来の派遣業に対するバッシングの一つの原因があったということに、意識を深めていただきたいところです。

この点は、同じ全面広告の左上から下にかけて載っているわたくしも含めたパネルディスカッションの記録からも窺われるところだと思います。

ここでは、八代さんのリードに応じたわたくしの発言を引用しておきます。

八代 Ciettの調査リポート「変化への適応」を見ると、人材派遣に対する欧州と日本の常識の差がうかがえる。報告書の内容を踏まえて各氏から問題提起をお願いしたい。

 
濱口 なぜ日本は派遣事業規制を強化する方向に向かったのだろうか。日本で派遣業界を代弁する立場の人々が、「過労死は自己責任」と言ったり、ILOや労基署を否定したりするなど、ディーセント・ワークを敵視してきたことが大きい。むしろ、正社員型とは異なるディーセントな働き方に貢献すると主張すべきだった。また事業規制で困る派遣社員の声を適切に代表する仕組みもなかった。

八代 提起された問題の解決策はあるか。また人材派遣が果たすべき役割をどう考えるか。

濱口 人材派遣に対する日本の法規制は、正社員の代替をしないようにという事業規制が中心で、肝心の派遣社員保護の仕組みが弱い。重要なのは、ディーセントな働き方がノン・ディーセントな働き方によって代替されないようにすることである。正社員モデルを最良とする発想から脱却し、重要なパートナーである労働組合と対話・協力を重ねるべきだ。

八代 派遣社員の保護を重視する点で各氏の意見は一致している。より良い派遣労働市場をつくる余地は大きく残されている。

濱口 派遣社員の声を代弁するシステムを構築すべきだ。トラブルを軽微なうちに解決できず、労働紛争化している実態がある。

派遣業界はただでさえ猜疑心で見られているところがあるわけですから、ディーセントワークや労使パートナーシップを目の仇にするようなたぐいの有難迷惑な応援団は、世間の誤解を招くおそれがあるのでと、毅然として謝絶するぐらいの態度が必要だと思いますよ。

少なくとも、上のCIETTの会長や専務理事の言葉を見せて「なにがでーせんとわーくや?」と鼻の先で嗤うような人は、余計な敵を引き込むだけで、何の役にも立たないことだけは明らかですから。

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AKB48の労働社会学または夢見るやりがいの搾取

「POSSE」坂倉さんのついーとから・・・

http://twitter.com/#!/magazine_posse

前田敦子がなぜ辞めるのかは知らないけど、長時間労働、全人格的な感情労働、競争のプレッシャー、握手会やネットの中傷など、AKBの労働問題を最前線で受けてることと無関係ではないのでは。「傷つく」ことを、少女たちの成長物語というエンターテイメントに昇華するシステムは、やはり疑問がある。

今年公開されたAKBのドキュメンタリー映画のタイトルは「少女たちは傷つきながら、夢を見る」らしいけど、運営に「傷つけられながら」、過酷な労働を自分で納得するために「夢を見」てたなんてことはないだろうか。「私なりに頑張った」って言葉も示唆的…

AKBの労働環境がブラックを思わせる一方で、彼女たちがその働き方を抵抗できない宿命として受け入れ、将来に不安と儚い夢を抱きつつ、傷つけられながらも文句を言わず全力で頑張る…という姿が素直に共感されてるなら、それはむしろ、日本社会全体にブラック企業が浸透してるという問題じゃないか。

「傷つきながら、夢を見る」こと自体の商品化・・・。

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福祉レジームの古代史的起源ふたたび

以前「_h_japan」さんのツイートをみて書いたエントリに

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-a7a0.html(福祉レジームの古代史的起源)

こう反応していただいた上に、

http://twitter.com/#!/_h_japan/status/182522427161579520

濱口桂一郎さんが再びぼくのツイートに言及してくださっていました。いつも感謝です。この研究テーマは、その後もいろいろな方々のご意見を受けて、少しずつ改善中です。いつかまとまったかたちになればいいのですが、課題は多く、時間はかかりそうです。

北欧の福祉レジームについてこう連続ツイートされています。大変面白いので、そのまま引用させていただきます。

http://twitter.com/#!/_h_japan

なお今のところ、北欧福祉レジームの形成において最も注目すべきは、古代ではなく、①11~15世紀の北欧直系家族形成、②①と低生産性に起因する(稀有な)自作農の存続、③①とキリスト教救貧経路に依存する、ルター派王権による「カトリック権力の奪取」と「寛大な院外救貧制度の法整備」、です。

で、最近ようやく見えてきたことは、この16世紀から始まるルター派王権による寛大な院外救貧制度の整備は、19世紀半ばまで続きましたが、興味深いことに、19世紀後半には、ルター派教会は膨張する「国の救貧制度」に反対し始め、自分たちだけで救貧をしたいと主張し始めたという意外な史実です。

このことは、スウェーデンの救貧制度史におけるルター派教会と国家との関係の変化に初めて詳しく着目したに詳しいです。今後時間ができたらこれをじっくり読んで、ルター派王権から社会民主党政権までの世俗化(?)の流れをもっと正確に考えたいところです。

なぜスウェーデンで社会民主主義(普遍主義的社会政策)が開花したのか。エスピン-アンデルセンらの資源動員論では、主には「19世紀末に自作農と工業労働者との赤緑連合が成立したから」となりますが、その説明では①「なぜ自作農が多かったのか」と②「なぜ両者が連合できたか」がやや不明瞭です。

ここで注目したいのは、スウェーデンの北部と南部の違いです。トッドが『新ヨーロッパ大全』で指摘したように、社民党得票率は北部で高いが、農業賃金労働者も北部で多い。で先述のAndersonによれば、ルター派特有の院外救貧(カルヴァン派の英米には無かった)もまた、北部で多かったのです。

(あ、AndersonはエスピンではなくてKarenです) これは何を意味しているでしょうか。直系家族化によって土地を全く相続できない子どもが生じ、特に農業が厳しい北部では、土地を持たない農業賃金労働者が増えたでしょう。彼らは農民ですから、非農業労働を課す院内救貧では救われない。

こうして彼らは、カルヴァン派ほど資本主義的でないルター派特有の「院外救貧」の恩恵を受け、やがて識字化による脱宗教化が進むと、ルター派教会の役割は社民党に取って代わられ(そのとき教会は嫉妬して反救貧に翻る)、彼らが社民党の第一支持基盤になった。ここに②の答えがあるように思うのです。

ちなみに①の答えは、すでにトッドが『新ヨ大全』でヒントを出しています。北欧で11世紀以降に広まった直系家族は、全財産を一子のみに相続するがゆえに、その一子は確実に「自作の能力」を維持できる(農業賃金労働者に成り下がらない)からです。

ただしそのトッドの説明では、直系家族の日本で自作農が減り小作農が増えた理由を説明できません。その点については、でつぶやいた内容(北欧より日本のほうが農業生産性が高かった点)を考慮に入れると、説明ができるのではないかと思っています。

なお直系家族は、北欧・日本の以前にも、古代のメソポタミア・中国・北インドで発生しており、人口増加に伴う農地不足で発生しやすい家族形態です(Todd 2011:593)。こういった流れをつなげれば、北欧で社会民主主義が開花した経緯をその地理的起源から辿ることができるかもしれません。

なお、古代中東・中国・北インドで発生した直系家族は2世紀までに共同体家族へと変化してしまった(Todd2011:593)。トッドはこの変化の理由を「直系家族よりも大きな氏族集団を作れるため軍事的に優位だったから」と推測している。例えば秦は統一前、共同体家族を中国で初めて採用した。

ちなみに、中東・中国・北インド・北欧・日韓といったユーラシア大陸でのみ(今のところ)直系家族の出現が確認されていることの理由は、ジャレド・ダイアモンド的に、「ユーラシア大陸の東西に長いという形状がもつ、農産業交流のための有利性」を挙げれば十分である気がします。

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てかこの社会学者がイケメン過ぎてどうしよう

こういうツイートが・・・。

http://twitter.com/#!/natsu4218/status/180497113661194241

これ、まさに濱口氏が言う「ジョブなきメンバーシップ」なのだよなあ。てかこの社会学者がイケメン過ぎてどうしよう。 RT : 筒井淳也「日本の働き方というのは「仕事単位」ではなく「人単位」で動いている。…休暇もとりづらいし、

どんなにイケメンかというと・・・、

http://blogos.com/article/33991/(晩婚化の原因は"いい男"が減ったから―筒井淳也氏の語る日本人が結婚しなくなった理由)

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こういう人に「晩婚化の原因は"いい男"が減ったから」と言われると、思わずぶん殴りたくなる方々も・・・。

いや、もちろん、「いい男」ってのはそういう趣旨ではありませんよ。

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有期契約に係る労働契約法改正案について

野川忍さんがツイートでこう述べておられますが、

http://twitter.com/#!/theophil21

(1)昨夜、有期労働契約に関する改正法の検討会があり、改正経過を担ったメンバーと話した。希望する高齢者の65歳までの雇用義務についてはかなり注目されているが、それに匹敵するか、見方によってはもっと重大な法改正である有期労働契約法制についてはあまり取りざたされていない。

(2)労働契約法の改正という形をとる今回の有期労働契約法制は、概ね三つのポイントがある。一つは更新を重ねて5年を超えた場合に労働者の申し出によって無期契約に転化すること、二つめは雇止めを規制する判例法理が法の明文に移されたこと、三つ目は有期労働者の不合理な差別を違法としたこと

(3)いずれの点についても課題は多いが、わかりやすいのは不合理な差別の禁止規定。有期雇用であることを理由とした正規労働者との労働条件の格差が不合理とみなされるときは、裁判所は是正措置や損害賠償を命じることができる。努力義務でなく端的に差別を「禁止」した点は大きい。

(4)最も注目されている5年経過後の無期転換については、動向を見極める必要がある。解釈論上の課題は非常に多い。一つは、無期転換に当たって「別段の定め」があれば労働条件を切り下げることが認められる点。これをどこまで合理的な範囲にとどめられるかは制度の将来を占うポイントである。

(5)今回の法改正で明確になったのは、日本は、有期雇用自体を原則として「あってはならない」雇用形態とするドイツのような立場をとらないことを明確にしたという点である。有期雇用を雇用形態の選択肢として認めたうえで、具体的に生じうる不合理をチェックするという方向が示されたのである。

ちょっと引っかかったのが、(4)の「無期転換に当たって「別段の定め」があれば労働条件を切り下げることが認められる点」です。

法案では、

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/180-33.pdf

第十八条 ・・・・・・この場合において、当該申込みに係る期間の定めのない労働契約の内容である労働条件は、現に締結している有期労働契約の内容である労働条件(契約期間を除く。)と同一の労働条件(当該労働条件(契約期間を除く。)について別段の定めがある部分を除く。)とする。

というところですが、今までの経緯からすると、有期労働者は無期労働者よりも労働条件が低いことを暗黙の前提に、それを(いわゆる「ぴかぴかの正社員」並みにまで)引き上げるという「別段の定め」がない限り、元の低いままだよ、という趣旨だと受け取られるのが普通の解釈だと思っていましたが、確かに逆もあり得るわけです。そして、確かにそれは禁止されていません。

しかし、そもそも考えてみれば、それは有期労働者の方が無期労働者よりも高い労働条件であったことを前提としてそれを引き下げるという話なので、有期契約のそもそも論からすると実はあるべき正しい姿なんじゃないか、という気もするわけです。

戦前に北岡寿逸監督課長がこう述べた考え方を前提にするならば

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html(一知半解ではなく無知蒙昧)

当時の北岡寿逸監督課長は、『法律時報』(第7巻第6号)に載せた「臨時工問題の帰趨」において、「臨時工の待遇は本来よりすれば臨時なるの故を以て賃金を高くすべき筈」なのに、「常用職工より凡ての点に於て待遇の悪いのを常例とする」のは「合理的の理由のないことと曰はなければならない」とし、「最近に於ける臨時工の著しき増加に対して慄然として肌に粟の生ずるを覚える」とまで述べています。

リスクプレミアムを含んで高かった有期労働者の賃金が無期化して下がるというのは、必ずしもおかしなことではないですよね。

まあ、現実の日本の労働社会を前提にすれば、あまりリアリティのない話ではありますが。

今回の改正内容のうち、(3)の不合理な差別の禁止という考え方は、わたくしも参加した「雇用形態による均等処遇についての研究会」報告書の指摘を受けたもので、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-8e1c.html(雇用形態による均等処遇についての研究会報告書)

このような雇用形態に係る不利益取扱い禁止原則は、雇用形態の違いを理由とする異別取扱いについて、その客観的(合理的)理由につき使用者に説明責任を負わせることで、正規・非正規労働者間の処遇格差の是正を図るとともに、当該処遇の差が妥当公正なものであるのか否かの検証を迫る仕組みと解することができる。

このような仕組みは、正規・非正規労働者間の不合理な処遇格差の是正及び納得性の向上が課題とされている日本において、示唆に富むものと考えられる。

現行パート法のような、職能給という特定の賃金制度を前提にした法制よりも柔軟でかつ適用性の高い考え方だと思います。

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高橋康二さんのDP『限定正社員区分と非正規雇用問題』

JILPTの高橋康二さんのディスカッションペーパー『限定正社員区分と非正規雇用問題』がアップされていますので紹介しておきます。

現下の重要政策課題に直接関わるものですので、関係する皆様方は是非ご一読を、

http://www.jil.go.jp/institute/discussion/2012/12-03.htm

雇用不安、低賃金、教育訓練機会の不足といった、いわゆる非正規雇用問題が深刻化するなかで、職種や勤務地に限定のある正社員区分の導入によってそれらを解決することが期待されている。このような正社員区分が導入されることにより、非正社員は、配置転換や転勤といった従来の正社員特有の負担を回避しつつ、労働条件を向上させることができ、企業の側も、非正社員を中長期的に戦力化するにあたり、かれら全員に対して従来の正社員と同じ水準の労働条件を提供せずに済むからである。

本稿では、現状の日本企業における職種限定正社員区分、勤務地限定正社員区分が、(A)従来の正社員とも非正社員とも異なるバランスの取れた働き方を可能にしているのか、(B)非正社員から正社員への登用・転換を促進しているのか、を明らかにする。加えて、限定正社員区分を導入している事業所における、非正社員から限定正社員への登用の有無と、従来の正社員の働き方の多様化との関係についても分析する。

主な事実発見として次のようなことが挙げられています。

職種限定正社員、勤務地限定正社員は、それらに限定のない正社員ほどの雇用の安定性、賃金、教育訓練機会を享受していないが、自分の働き方に対する評価は十分に高い。その意味で、限定正社員区分は、従来の正社員とも非正社員とも異なるバランスの取れた働き方を可能にしているといえる。

全体としてみると、限定正社員区分が存在することそれ自体によって非正社員から正社員への登用・転換が促進されているわけではない。

ただし、女性、35歳以上、非大卒、事務の仕事といった、一般的に正社員転換可能性が低い非正社員については、限定正社員区分があると、正社員転換可能性が相対的に高まる。

また、非正社員と正社員が同じ仕事をしている事業所、非正社員に対して教育訓練制度が適用されている事業所、非正社員と限定正社員の賃金差が相対的に小さい事業所では、限定正社員区分が正社員登用の足掛かりとなっている。

なお、限定正社員区分が非正社員からの登用先としての機能を果たしている事業所においては、従来の正社員の働き方を多様化するという目的、具体的には正社員の専門的スキルの育成、仕事と生活の調和を促すといった目的は、達成されにくい傾向がある。

以上を踏まえて、高橋さんが示す政策提言は次のようなものです。

限定正社員区分は、従来の正社員とも非正社員とも異なる、バランスの取れた働き方を可能にしている。また、限定正社員区分がある事業所では、一般的に正社員転換可能性が低い非正社員の正社員転換可能性が相対的に高まる。よって、限定正社員区分の導入を労使が選択しやすいよう、政策的に支援していく必要がある。たとえば、人事・賃金制度改革にかかわる先進事例の紹介、従来の正社員と限定正社員の法的地位の異同についての整理などが求められる。

非正社員の正社員登用・転換を促進するためには、限定正社員区分の導入を支援するだけでなく、非正社員に対する教育訓練支援なども並行して実施していく必要がある。

非正社員から限定正社員への登用、特に勤務地限定正社員への登用によってもたらされるのは、主として雇用の安定であり、かれらの(賃金面での)処遇の改善に取り組むためには、別のアプローチが必要となる。たとえば、従来の正社員と限定正社員の処遇の差のあり方について、パートタイム労働法の枠組、有期労働契約法制のあり方をめぐる議論なども参考にしつつ、検討していく必要がある。

非正規雇用問題の解決に貢献する限定正社員区分と、正社員の働き方の多様化に貢献する限定正社員区分とは必ずしも一致しない。そのことを踏まえつつ、非正社員の登用先として機能する職種限定正社員区分が、具体的にどのような職種の限定正社員区分なのかなどを、絞り込んでいく必要がある。 

昨日閣議決定された有期労働契約に係る労働契約法改正案に対しても、ひたすら正社員化を目の仇にするようなたぐいの議論がネット上を飛び交っていますが、まさにフレクシビリティとセキュリティをうまく組み合わせた労働市場を構築するためにはどうすればよいかという前向きな視点がこれっぽっちでもあればと思われるわけで、そういう前向きな観点からは、このDPで分析されている職種や勤務地を限定した正社員のあり方というのは、多くの示唆を与えてくれるものと思われます。

なお、厚生労働省では昨年3月より「多様な形態による正社員に関する研究会」を開催してきており、来週3月28日には議論のまとめをするそうなので、そちらも注目です。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000025ro7.html

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『アメリカの新しい労働組織とそのネットワーク』

Jiljil JILPTの研究報告書として、『アメリカの新しい労働組織とそのネットワーク』が出ました。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2012/0144.htm

本研究は、アメリカで1990年代以降に拡大している労働者の権利擁護や労働条件向上、職業訓練を担う「新しい労働組織」とそのネットワークの構造、成り立ち、および方向性を探ることを通じて日本への示唆を得ることが目的である。

この研究については、以前、山崎さんのディスカッションペーパーの段階で一度、本ブログでも取りあげたことがありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-e0e1.html(山崎憲『労働組織のソーシャルネットワーク化とメゾ調整の再構築』)

今回の報告書は、

遠藤公嗣 明治大学経営学部教授
筒井美紀 法政大学キャリアデザイン学部准教授
山崎 憲 労働政策研究・研修機構主任調査員補佐
篠田 徹 早稲田大学大学院社会科学総合学術院社会科学研究科教授

の4人による分担執筆として、正式の報告書の形をとったものです。

とりあえず、HP上の宣伝文句をコピペしておきますが、

アメリカでは団体交渉を基盤として、労働組合と使用者が労働条件と医療保険や年金などの社会保障水準の維持・向上を行い、その成果を労働組合のない企業で働く労働者にも波及させてきた。これがニューディール型労使関係システムである。

その前提が崩壊したことから、労働条件の向上、医療保険や年金など企業が負担する制度の恩恵に預かることができない労働者の数が1980年代から急増した。新しい労働組織はそれら企業が負担する制度の恩恵に預かることができない労働者に、権利擁護、職業訓練、労働条件の向上、医療保険や年金などのサービスの提供などを行う。

本研究では、これら新しい労働組織を「企業内重視」、「企業内を重視して企業外を視野に入れる」、「企業外を重視して企業内を視野に入れる」、「企業外重視」、「中間支援組織」の五類型を用いて分析し、企業内の労働組合と使用者の関係に留まらない労使関係システムの将来像について展望した。また、これら新しい労働組織には、組織間、組織に関わる人間同士が密接に連携しあうことや、長期的な視野に立って人材育成を行うというところに、コミュニティ・オーガナイジング・モデルの活用があることを発見した(図表2)。

014402

政策的含意には、労使関係システムと政策形成、労働力媒介機関と相互扶助、そのほかの三点をあげた。

労使関係システムと政策形成については、政策形成の場に、労使だけでなく、労働者とその家族、学校、地域住民、職業訓練・職業紹介機関、職業訓練NPO、労働者所有企業、相互扶助組織など従来は必ずしも労働問題に特化していなかったアクターを参加させることが参考になるとした。

労働力媒介機能機関と相互扶助に関しては、受益者の需要に効率的かつきめ細かく対応することを目的とした場合、地域に根ざしたさまざまなアクターの主体的な参加が日本においても有効かどうか検討が必要だとした。

また、相互扶助の在り方については、医療保険や年金といった従来は長期安定型雇用のもとで企業が多くを負担してきた社会保障制度の恩恵に預かることができない労働者が増えている状況において、アメリカの新しい組織の経験を応用することができるか検討が必要だとした。また、これらの組織は、非正規雇用労働者の拠り所としての意味もあり、その経験が日本においても応用できるかどうか検討が必要だとしている。

そのほかの示唆としては、組織間、組織に関わる人間同士を密接に連携させることや、その活動に携わるリーダーを育成することには特殊な能力が求められることがアメリカの経験から発見されたことから、その手法について研究を深めること、および日本への応用可能性について検討が必要だとした。

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研究者のキャリアとポスドク問題

有期契約に係る労働契約法改正案のエントリに、「けんきゅうしゃの」さんがコメントで紹介された長々しいツイートの連鎖があるようですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-eb88.html#comment-89159351

http://togetter.com/li/277188(有期雇用5年超で無期雇用転換を義務付ける労働契約法改正案が研究者コミュニティーに与える影響について)

いろんな方々がいろんなことを言うてはりますが、既に有期契約について出口規制を設けているEUにおける、研究者のキャリアやポスドクの扱いについての憲章や行為規範がここにありますので、まずはそれらを読むのも一興かと。

http://ec.europa.eu/euraxess/index.cfm/rights/europeanCharter(The European Charter for Researchers)

Career development

Employers and/or funders of researchers should draw up, preferably within the framework of their human resources management, a specific career development strategy for researchers at all stages of their career, regardless of their contractual situation, including for researchers on fixed-term contracts. It should include the availability of mentors involved in providing support and guidance for the personal and professional development of researchers, thus motivating them and contributing to reducing any insecurity in their professional future. All researchers should be made familiar with such provisions and arrangements.

キャリア開発: 研究者の使用者や出資者は、できれば人的資源管理の枠組みの中で、有期契約の研究者も含め、その契約状況にかかわらず、その全キャリア段階において、特定のキャリア開発戦略を設定すべきである。それは研究者の個人的、職業的発展への支援と指導を提供するメンターを提供し、彼らにモチベーションを与え、その職業的未来におけるいかなる不安定さをも削減することを含むべきである。

http://ec.europa.eu/euraxess/index.cfm/rights/codeOfConduct(The Code of Conduct)

Postdoctoral appointments

Clear rules and explicit guidelines for the recruitment and appointment of postdoctoral researchers, including the maximum duration and the objectives of such appointments, should be established by the institutions appointing postdoctoral researchers. Such guidelines should take into account time spent in prior postdoctoral appointments at other institutions and take into consideration that the postdoctoral status should be transitional, with the primary purpose of providing additional professional development opportunities for a research career in the context of longterm career prospects.

ポスドクの採用: ポスドク研究者の募集採用については、期間の上限とそのような採用の理由も含め、明確なルールと明示的な指針が、ポスドク研究者を採用する機関によって設定されるべきである。そのような指針は、以前に他の機関でポスドクとして採用されていた期間を考慮に入れ、かつポスドクという地位は一時的なものであり、その主たる目的は長期的なキャリア開発の枠組みにおいて研究キャリアをさらに発展させる機会を追加するためのものであることを考慮に入れるべきである。

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『日本の雇用と労働法』短評

拙著『日本の雇用と労働法』への短評です。

メディアマーカーから「kunisura」さん。

http://mediamarker.net/u/kunisura/?asin=4532112486

日本の労働環境について、判例や労働運動、また価値観の変化など総合的に、時系列でまとめてある。
海外だとわりとシンプルなルールが、なんで日本だとこんな複雑になっちゃってるのかよく分かる。
日本の雇用の特徴とか、法律の成立過程とかを読む最初の一冊に良いかんじ。

岩波書店の編集者中山永基さんもこれから読まれるようです。

http://twitter.com/#!/yonggi623/status/182881483172757505

そういえば濱口桂一郎『日本の雇用と労働法』を読み忘れていたので、これから始めるのがよいだろうか。テキストっぽいので。

ちなみにその前後で、

稲葉振一郎氏のブログ記事「『労使関係論』とは何だったのか」を読み直す。これをブックガイドにしていけばよいのかな。にしても、労使関係論の良い教科書・テキストってないのだろうか。

人事労務管理論も全然知らない。良いテキストを探さねば。

最近いろんなところで高梨昌が話題にあがる。

と呟いておられますが、いなば氏は超絶技巧的に異端派ですから、それを念頭に置いておかれた方が・・・。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-1fda.html(稲葉振一郎先生の「労使関係論」論始まる)

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児美川孝一郎編『これが論点!就職問題』

来月発売予定の本ですが、気が早くもさっそくネット上に宣伝がアップされていますので、こちらでも紹介。

http://www.hanmoto.com/jpokinkan/card/card.php?isbn=9784284305952

“「就職」の何が問題なのか?”
『中央公論』『Voice』などの論壇誌から、『東洋経済』『エコノミスト』などの経済誌まで、数多ある論文・対談から、誰にでも読みやすく、
そしてとっても重要な論文・対談を25本収録。

気鋭の論者20人が集結!
海老原嗣生/常見陽平/山田昌弘/小杉礼子/城繁幸/石渡嶺司/赤木智弘/竹信三恵子/宮台真司/太田聰一/濱口桂一郎/八代尚宏/本田由紀/今野晴貴/川村遼平/居神浩/大島真夫/辻太一朗/上西充子/児美川孝一郎

ということで、リーディングスですね。なかなか錚々たる顔ぶれです、私は別として。

目次は次の通りです。

総論 就職問題で何が問われているのか? 論争!就活論壇マップ……児美川孝一郎

第1部 「就職問題」のどこが問題なのか?
•大卒就職問題を考える……児美川孝一郎

第2部 学生たちの就活の実態は?
•賢明な就職活動に向けて-業界・企業に関する情報収集は不可欠-……上西充子
•就活に追い詰められる学生たち-7人に1人がうつ状態-……川村遼平

第3部 誰を襲う!?「就職問題」の困難
•不況下の新卒就職の現状と対応……小杉礼子
•学卒未就職という不条理-大学教育の現場で今できること-……居神 浩
•企業は新卒採用者を大幅減 焦る学生「就活」奮闘記……石渡嶺司
•就職活動システムの現代的機能-「失敗」して「成功」する「再配置」-……今野晴貴 

第4部 原因はどこにある?就職問題
•大激論-日本型雇用がダメなのか 大学生がダメなのか…海老原嗣生×城繁幸
•若者の就職難の原因は安定・大手志向なのか……竹信三恵子
•終身雇用が若者の就職難を招く……八代尚宏
•新卒採用を自由化・透明化せよ 「就職氷河期再来」の虚像を剥ぐ…常見陽平

第5部 どう対応すべき就職問題
•“適職という幻想”を捨て去る 仕事はただの糧と腹をくくれ……宮台真司
•超・就職氷河期のウソ 四大卒も中小企業を目指せばいい……海老原嗣生
•「新卒一括採用」という遺物……城 繁幸
•新卒一括採用はもう限界 27歳まで採用延期しては……山田昌弘
•学生、大学、企業をダメにする負のスパイラル転換を……辻 太一朗
•大卒就職をめぐる最近の論点-活動開始後倒しと卒後3年新卒化-……大島真夫
•「ロスジェネ問題」の延長線上では氷河期の歪みは解決しない……赤木智弘
•「就活市場のミスマッチ解消を」……太田聰一
•教育の職業的意義を問う 大学・企業はいま何をなすべきか……本田由紀
•職務を定めた無期雇用契約をー「ジョブ型正社員制度が二極化を防ぐ」……浜口桂一郎

第6部 学生、採用担当者は何をいってるのか
•「就活改革提言」……就活シンポ実行委員会

児美川さんの選択眼が実に幅広く及んでいることが分かります。

(追記)

ちなみに、世間ではこんなツイートが、

http://twitter.com/#!/poe1985/status/182716321853739008

メモ。就活の問題は行き着くところは終身雇用の問題(一生ものの相手探し)。コミュニケーション能力はその企業の空気を読む能力。知識経済とかもしかしたらあんまり関係ない。ジョブ型にならず時頭や素地重視は就職が契約じゃなくて結婚だから。

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しかも、それらに気づかせてくれたのは・・・

拙著『新しい労働社会』への意外な観点からの評価です。

書道と法律を教えておられる武田双鳳さん(立命館大学で労働法を教えておられるとか)のブログで、拙著にこのような言及がありました。

http://ameblo.jp/teshinosuke25/entry-11200734839.html

例えば、日本の3大雇用慣行(長期雇用・年功賃金・企業別組合)。この3つを知っているだけで満足してしまい、その根っこにある「何か」を探ろうとはしていませんでした。

また、労働法で「5本の指」に入ると言われる「秋北バス事件」でも、事案の分析が雑なあまり、「企業別組合を卒業した管理職の労働条件のため労働協約の規範的効力が及ばない事例だった」ということを見逃していました。

しかも、それらに気づかせてくれたのは、いままで何度もにらめっこしてきた六法や専門書ではなく、「一般人向け」の新書(濱口桂一郎「新しい労働社会」)でした。

いやまあ、一般人向けの新書だからこそ、司法試験等に出ないような現実社会との接点ばかりに注意が向いているという面もあるわけですけど。

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EUサービス提供の自由に係る団体行動権の行使に関する規則案

ラヴァル事件判決などの累次の欧州司法裁判決で問題となっていたEUの柱であるサービス提供の自由と労働者の団体行動権との衝突について、欧州委員会が去る3月21日に、指令案と規則案を公表しました。

http://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=1234&furtherNews=yes

To make the EU single market work better for workers and for business, the Commission has proposed new rules to increase the protection of workers temporarily posted abroad.

EUの単一市場を労働者と企業の双方にとってよりよくするために、欧州委員会は一時的に海外に派遣される労働者の保護を増大させる新たなルールを提案した。

Worker protection and fair competition are the two sides of the EU single market's coin, yet findings suggest that minimum employment and working conditions are often not respected for the one million or so posted workers in the EU. To address the specific issues of abuse where workers do not enjoy their full rights in terms of for example, pay or holidays, especially in the construction sector, the Commission has put forward concrete, practical proposals as part of an enforcement Directive to increase monitoring and compliance and to improve the way existing rules on posted workers are applied in practice. This will ensure a level playing field between the businesses involved, excluding companies that don't follow the rules.

労働者保護と公正な競争はEU単一市場のコインの裏表であるが、約100万人の海外派遣労働者の最低雇用労働条件がしばしば尊重されていない。とりわけ建設業において労働者が賃金や休暇などで十全な権利を享受していないこの濫用問題に取り組むため、欧州委員会は既存のルールを実際に海外派遣労働者に適用させる具体的で実際的な提案をモニタリングとコンプライアンスを増大させる実施指令を提出した。これは関係する企業の間で公平な土俵を作り、ルールに従わない会社を排除するものである。

To send a strong message that workers' rights and their freedom to strike are on an equal footing with the freedom to provide services the Commission has also put forward a new regulation that takes on board existing case law. This is especially relevant in the context of cross-border services provision like the posting of workers. The overall aim of both proposals is to boost quality jobs and increase competitiveness in the EU by updating and improving the way the single market works, while safeguarding workers’ rights.

労働者の権利と彼らがストライキをする自由はサービスを提供する自由とイコールフッティングであるという強いメッセージを送るため、欧州委員会は既存の判例法理に基づいて新たな規則を提出した。これは特に海外派遣労働のような国境を超えたサービス提供において関わりがある。両提案の全体的な目的は、単一市場の機能を改善するとともに労働者の権利を守ることによって、EUにおける質の高い雇用を増進するとともに競争力を高めることにある。

Following the adoption of the legislative package, President Barroso said ". I promised the European Parliament in 2009 that we would clarify the exercise of social rights for the posting of workers. The free provision of services within the internal market represents a major growth opportunity. But the rules need to apply equally to all. This is not always the case for workers posted in another Member  State. Today, the European Commission is taking concrete action to stamp out the unacceptable abuses. We want to ensure that posted workers are treated on an equal footing and enjoy their full social rights across Europe.

立法提案パッケージについて、バローゾ委員長は「私は2009年に欧州議会で海外派遣労働者の社会的権利の行使を明確にすると約束した。単一市場におけるサービスの自由な提供は、大いなる成長の機会である。しかしながらルールは全ての人に平等に適用される必要がある。これは他の加盟国に派遣される労働者には必ずしも実現していない。本日、欧州委員会は許容しがたい濫用を払拭する具体的な行動をとった。我々は海外派遣労働者がイコールフッティングで取り扱われ、欧州中で十全な社会的権利を享受することを確保したい」

特に興味深い「サービス提供の自由に係る団体行動権の行使に関する規則案というのを見ておきましょう。実をいうと、EU法制において、ストライキ権が正面からこうして規定されたのは初めてです。

http://ec.europa.eu/social/BlobServlet?docId=7480&langId=en

第2条(一般原則)は、

The exercise of the freedom of establishment and the freedom to provide services enshrined in the Treaty shall respect the fundamental right to take collective action, including the right or freedom to strike, and conversely, the exercise of the fundamental right to take collective action, including the right or freedom to strike, shall respect these economic freedoms.

条約に規定する事業所設立の自由及びサービス提供の自由の行使は、ストライキの自由を含む団体行動をとる基本的権利を尊重するものとし、ストライキの自由を含む団体行動をとる基本的権利はこれら経済的自由を尊重するものとする。

どっちもお互いを尊重しなさいよ、と。

次の第3条(紛争解決メカニズム)がなかなか面白いのですが、ここでは原文だけコピペしておきます。結構まじめに検討する必要があるので。

Member States which, in accordance with their national law, tradition or practice, provide for alternative, non-judicial mechanisms to resolve labour disputes, shall provide for equal access to those alternative resolution mechanisms in situations where such disputes originate from the exercise of the right to take collective action, including the right or freedom to strike, in transnational situations or situations having a cross-border character in the context of the exercise of the freedom of establishment or the freedom to provide services, including the application of Directive 96/71/EC of the European Parliament and of the Council of 16 December 1996 concerning the posting of workers in the framework of the provision of services50.

2. Notwithstanding paragraph 1, management and labour at European level may, acting within the scope of their rights, competences and roles established by the Treaty, conclude agreements at Union level or establish guidelines with respect to the modalities and procedures for mediation, conciliation or other mechanisms for the extrajudicial or out-of-court settlement of disputes resulting from the effective exercise of the right to collective action, including the right or freedom to strike, in transnational situations or situations with a cross-border character.

3. The modalities and procedures for out-of-court settlement may not deprive interested parties from recourse to judicial remedies for their disputes or conflicts if the mechanisms referred to in paragraph 1 fail to lead to a resolution after a reasonable period.

4. Recourse to alternative non-judicial dispute mechanisms shall be without prejudice to the role of national courts in labour disputes in the situations as referred to in paragraph 1, in particular to assess the facts and interpret the national legislation, and, as far as the scope of this Regulation is concerned, to determine whether and to what extent collective action, under the national legislation and collective agreement law applicable to that action, does not go beyond what is necessary to attain the objective(s) pursued, without prejudice to the role and competences of the Court of Justice.

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あおかびさんのブクログレビュー

久しぶりに、旧著『新しい労働社会』へのブクログレビュー。「あおかびさん」です。

http://booklog.jp/users/aokibook/archives/1/4004311942

世界に類を見ない日本型雇用システム。これら日本独特の労働社会問題をどのように解決させるか、諸制度や機能の歴史的背景、欧州との比較などを含めて詳細に説く。ワーキングプア、非正規労働者など近年の労働諸問題解決に繋がるヒントも多いが、具体的な手法や提案をさらに訊きたいところ。

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萱野稔人・神里達博『没落する文明』

0630b 萱野稔人・神里達博『没落する文明』をお送りいただきました。萱野さんとは、一度『POSSE』のブラック企業論でご一緒させていただいただけなのに、こうしていつも御本をお送りいただき、感謝に堪えません。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0630-b/index.html

さて、今回の対談相手の神里さんは、科学史・科学論の方で、議論は

災害・テクノロジー・エネルギーと政治・経済との相互関係を人類史的に俯瞰!
文明の限界を見すえた文明論

になっています。

私がフォローしきれる範囲を超えておりますので、ここでは私の理解できる狭い範囲でのみ、頭に留めておくべき発言をいくつか引用しておきます。まず萱野さんの

3/11以降にこの社会で生じたのは、危機を乗り越えるために人々が統治権力のもとで結束するのではなく、逆に統治権力の足を引っ張るということでした。もちろん時の菅政権には震災対応や原発事故対応で至らないところも多々ありましたから、政権批判が出るのもある程度は仕方ないかも知れません。

しかし、「こういった危機的状況では誰が政権の座にいてもうまくできないのは同じだから、とにかくリーダーのもとで結束して危機を乗り越えよう」という声はほとんど出てきませんでした。・・・

これに対して今回の大震災では、「国難」などといわれながらも、人々は政権をサポートするどころか、政府への不信を露わにし、不平を述べ、足を引っ張ることばかりしていました。・・・

次に神里さんの

日本では実態はともかく、現場主義が称賛されることが多く、現場のことを分かっていないとか、現場を知らないからダメだ、などとよくいわれますね。しかし歴史的に見れば、現場主義の極端な例が、日本社会を破壊するトリガーを引いたケースも多いのではないか。関東軍の暴走だって、この間の大阪地検特捜部のフロッピー改ざんの不祥事だって、要するに現場主義の問題なんですから。「総論賛成、各論反対」が多発するのも、同じことでしょう。日本は案外、国家として一つに統合していく力が弱いので、一部の領域の暴走が起こりやすいのかも知れません。・・・

政府が強くて逆らえない、というのはほぼ、戦時動員に限った話ですよね。戦時動員体制みたいなものと中央官庁の強さを何か勘違いしているところがある。

これは本ブログでも何回か取りあげたテーマです。

とりわけ重要なのは、この言霊信仰の問題。

神里 ・・・こうしたリスクを見たがらない、忘れたいという心性には、ある種の呪術的な、言霊信仰みたいなものが影響しているんじゃないかとつくづく思うんですね。つまり、悪いことをいうと、実際に悪いことが起きるという考え方。

萱野 ・・・言霊信仰の危ないところは、富士山が噴火するかも知れない、原発事故が起きるかも知れないということを指摘すると、それがイデオロギーの問題に回収されてしまうというところです。あいつは反対だからそういっているだけだ、と。・・・

神里 極論すれば、事実は語れないということですね。すべては事実ではなくて意図であるということにされる。これはとても危ないことです。だって科学の基盤が成り立たないことになりますからね。・・・

萱野 人文思想の世界では特にそれが顕著です。・・・しかしその脱構築の概念は、日本の人文思想界に導入されると、広くイデオロギー批判の道具として利用されることになった。・・・結果、特定の事象や問題を正面から分析するようなまっとうな知的営みは、人文思想の世界では脇に追いやられることになりました。

神里 ・・・でも科学的態度がないところに、いきなりポストモダン的な思想を持ってくるのは非常に危うい。むしろ逆効果だと思いますよ。隠れた意図を議論する前に、隠れていない部分、建前の部分をしっかり見ないと、現実から遊離した自己満足的な議論になってしまう。

萱野 ・・・呪術とか言霊信仰そのものが悪いわけではないんですよね。そうではなく、実際には呪術とか言霊信仰に依拠しているのに、その自覚がないから、合理的にリスクをマネジメントすることができなくなっていることが問題なんですよね。宗教性と合理性をちゃんと分離することが必要です。

日本で流行する「言論」の質を見事に言い当てていますね。

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湯浅誠氏の保守と中庸の感覚に感服する城繁幸氏

http://twitter.com/#!/joshigeyuki/status/182249157770231809

湯浅氏の現実的対応に対するバカ左翼のヒステリー見てると、リンチってこういう精神状態で起きたんだなあというのがよくわかる。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html(湯浅誠氏が示す保守と中庸の感覚)

世の中の仕組みをどうするかというときに、「ステップを踏むなんてもどかしい」と「ウルトラCに賭ける」のが急進派、革命派であり、「ウルトラCなんかない」から「ステップを踏んでいくしかない」と考えるのが(反動ではない正しい意味での)保守派であり、中庸派であると考えれば、ここで湯浅氏と城氏が代表しているのは、まさしくその人間性レベルにおける対立軸であると言うことができるでしょう。

・・・わたしが興味を惹かれたのは、「活動家一丁上がり」などと言っている左翼活動家の湯浅氏がフェビアン的であり、企業の人事部に対して現実的なコンサルやアドバイスをしている(はずの)城氏がレーニン的であるという、対比の妙が面白かったからです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-3bac.html(湯浅誠氏がさらに深めた保守と中庸の感覚)

わたくしがこれらの言葉の中に聞くのは、「他者をこきおろす者が、それが強ければ強いほど高く評価されるような状態、より過激なバッシングへの競争状態」が猛威を振るう現代において、ほとんど得難いほどの透徹した「保守と中庸の感覚」の精髄です。

なにゆえに、保守と中庸の感覚が期待されるはずの人々にもっともそれらが欠落し、かつてまでの常識ではそれらがもっとも期待されないような「左翼活動家」にそれらがかくも横溢しているのか、その逆説にこそ、現代日本の鍵があるのでしょう。

(追記)

とはいえ、下記のこういうものの言い方は、(池田信夫氏であれば「無知蒙昧」のゆえと片付けることもできますが)一応にも「人事コンサル」である以上、わざと本来の社会民主主義的左派の存在を知らない振りをして、特殊日本的「リベサヨ」のみを左翼呼ばわりしてみせるという、ある種のわざとら演技を感じざるを得ないところがあります。

http://jyoshige.livedoor.biz/archives/5325033.html(湯浅氏の内閣府参与辞任の挨拶文を読んで)

日本で左翼と呼ばれる人達は、ほぼ例外なく「日本型雇用死守、消費税引き上げ反対」を旗印としている。だがそれは、終身雇用に入れない人を排除することであり、排除された人へのセーフティネットをも否定することだ。

その意味では彼ら既存左派は、ほぼ例外なく小さな政府主義者と言っていい。

そういう「小さな政府まんせーサヨク」は、まっとうな左派ではなく、特殊日本的リベサヨと称するというのは、もはやネット上では常識化していると思っていましたが、今更のように、かつての赤木智弘氏よろしくカマトトぶって、こういう(それ自体は当たり前である)批判をしてみせるという動作がわざとらしいのですがね。

狂信的な左翼脳の人達の中には、氏の現実的対応を“裏切り”だと猛批判している連中もいるようだが「とにかく俺は一円も負担したくない」というのは左翼ではなく、ただの醜いエゴイストだ。そしてそんな連中に「内部留保は現金なんです」なんて陰謀論を売りつけるのは、社会科学でも何でもなくて、ただの三文タブロイド紙に過ぎない。

少なくとも従来の日本には、社会科学としての左翼など存在しなかったのだろう。
健全な左翼というものがこの国にありうるとすれば、湯浅氏はその一人ではないか。

ある時期以降、リベサヨが異常繁殖し、それが日本の左派の代表づらをするに至るまでは、他の分野のいろんな意味で「健全」であったかどうかは別として、労働社会問題に関する限り、むしろヨーロッパと基本的には同じイデオロギー配置構造の中にそれなりに「健全な左翼」がいたのですよ。「人事コンサル」なら歴史の勉強で知っているはずですが。

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赤木智弘氏を悩ませたリベサヨの原点-マイノリティ憑依

9784334036720これはいろんなテーマがやや雑多に詰め込まれた感のある本ですが、本ブログの関心からすると、何よりもまず第3章、第4章のあたりで論じられている「マイノリティ憑依」の現象が、例の赤木智弘氏を悩ませた日本的「リベサヨ」の歴史的原点を見事にえぐり出しているという点において、大変興味深い本です。

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334036720

佐々木氏によると、その出発点は1965年、『ドキュメント朝鮮人 日本現代史の暗い影』という本にあります。それまでもっぱら被害者としてのみ自分たちを見ていた日本人に加害者意識を初めて提起したのです。それに続くのはベ平連の小田実。そして出入国管理法案をめぐる華僑青年の自殺から引火した華青闘の7・7告発。それらを総括するような形で著された津村喬の『われらの内なる差別』。

こういう流れを佐々木氏は「マイノリティ論のオーバードース」(過剰摂取)と評します。

「あなたの体験のことはもうみんなが知っていることだ。そんなことより問題は、あなたが自分も加害者だったという事実をどれだけ認識しているかだ」・・・

行き着くところはただ一つだ。

ただひたすら、人を<加害者>として断罪し続けても構わないという無惨な論理へと落ちていってしまうのである。これは実におぞましいオーバード-スの罠だ。

ここで登場する日本戦後思想のトリックスターが太田龍です。そう、あの阿久根市長さんが熱烈に入れあげていた伝説の思想家ですが、この60年代から70年代にかけての時期には、『辺境最深部に向かって退却せよ!』というアジテーションによって知られていました。ちなみに、わたくしは中学生時代にこの本を読んでいますから、同時代的存在でもあります。

この極めて巧妙な構造によって、苦悩する当事者たちは、一瞬にして第三者へと変身し、高みへと昇りつめ、日本社会を見下ろすことができるようになる。

これはつまりは「憑依」である。

つまり乗り移り、乗っ取り、その場所に依拠すること。狐憑きのようなものだ。マイノリティに憑依し、マイノリティに乗り移るのだ。そしてその乗り移った祝祭の舞台で、彼らは神の舞を演じるのだ。

この「世界革命浪人」のアジテーションを真に受けて北海道庁を爆破し今も死刑囚として収監されている大森勝久氏のストーリーを読むと、この今となっては嗤うべきと見える「思想」が現実に人間を動かしたことがわかります。

しかしそれはやはり同時代的にもごく周縁的な存在だったのでしょうが、それよりも遥かに広い範囲に多大な影響を与えたのが、朝日新聞のスター記者であった本多勝一です。

書かれていることは本当にカッコいい。ベトナム人と共にアメリカ軍の銃弾を浴び、黒人と共に白人の人種差別主義者からピストルでつけねらわれる。世界の紛争地帯をゆくジャーナリスト、そういうイメージだ。

しかしそういうカッコいいイメージをいったんはぎとってしまい、この文章をよく読んでみると、そこにあるのは身も蓋もない<マイノリティ憑依>そのものだ。・・・

<マイノリティ憑依>というのは、とても気楽な状態だ。気楽だからこそ、その落とし穴に人ははまりやすい。

こういう事態の推移に、火をつけた当人の津村喬はむしろいらだちを感じ、

「本多さんの文脈の中では、『殺す-殺される』という二項が、まったく無内容なメロドラマとして成立してしまう」

と批判するのですが。

さて、こうして引用してきて、改めて赤木智弘氏が何に苛立っていたかを振り返ってみましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

>で、その時に、自分はどうなるのか?

>これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか?

>ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。自分の言論によって自分が幸せにならない。このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。

まことに、60年代から70年代に産み出された「マイノリティ憑依」という鬼子が、90年代、2000年代に至ってもなおこうして、社会経済的状況から自らを素直に被害者と認識することを妨げ、自分を「殺す側」と責め、どこか遠くにいる「殺される側」を支援することが「左派」のあるべき姿だと思いこむ若者たちを産み出し続けたわけです。

この「リベサヨ」問題については、本ブログでいやというぐらい取り上げてきましたので、これくらいにして、今回この佐々木さんの本を読んで改めて感じたのは、この「マイノリティ憑依」という悪霊が、元々の出身地だった左翼界隈から遥かに拡大して、いまや右翼界隈でこそ一番蔓延っているのではないかということでした。

在特会やら、新しい教科書がどうたらこうたらという人々の言説というのは、なんというか太田龍もかくやと思うほど、被害者意識に充ち満ちており、「殺される側」の可哀想な日本人が「殺す側」の朝鮮人や中国人を憎悪しているかのごときレトリックに充ち満ちています。少なくとも昔の右翼界隈とはまったく違う霊気が漂っていますが、その原点もまた、佐々木氏が指摘するこの時期の思想転換にあったように思われます。

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言論で世の中を変えられると思ってる人

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/181791675830636544

今、言論で世の中を変えられると思ってる人がTLを駆け抜けて行った気がするんだが、気のせいだったか。まさか、そんなことを本気で考えてるやつが21世紀まで生きてるなんてことはないよな。

いやいや、まさに「言論で世の中を変え」てるじゃない。この「21世紀」にさ。

ただし、『思想』とかの、庶民に理解できないむづかしげな議論によってじゃなく、「貴様は民意に逆らうのかぁ」的なテレビで流される「言論」によってだけど。

もっとも、どっちも「熟議」とかいうよくわからないタームを使って煙幕はってるところが一緒というのも皮肉だが。

21世紀はそれまでに比べてもより一層、そういう空疎な「言論」でそんじょそこらのふつうの人たちが振り回されるようになった時代だと思うよ。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-6a4c.html(テレビ漬け高齢者のポピュリズム政治)

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単なるダシでした

突然、

http://twitter.com/#!/shinichiroinaba/status/181247545719263233

浜口『日本の雇用と労働法』の次に、もうスケールを大きくかつ原理的に考えたい人のための教養書として森建資『独立と従属の政治経済学』が出版されるといいなと思った出版関係者はご一報ください。

と言われて、一瞬どきっとしましたが、つまり、

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20120318/p1(森建資先生退官記念講演とパーティーを終えて)

森先生の講義「独立と従属の政治経済学」は先生のこれまでの研究を総括しようという壮大な試みだったが、・・・

の宣伝のダシということだったようです。

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大学の本分を失念した職業訓練校と揶揄

田中萬年さんが、YAHOOニュースの「どうなる、多様化の進む人材の採用や育成」という記事の中の表現に悲憤慷慨しておられます。

http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20120319(やはり出た!! 就職目指す大学=職業訓練校)

・・・企業のグローバル採用が拡大すれば、海外留学の経験がある日本人へと需要が集中し、そうでない日本人への需要との格差が格段に広がるであろう。その為、就職率を上げる為に躍起となる大学が増え、大学の本分を失念した職業訓練校と揶揄されていることも事実である。・・・

とのことです。

「大学の本分を失念した職業訓練校」とのような考えは、これまでの日本的教育観に染まった教育関係者から出ることは予想していましたが、このように記事になると言うことは結構あるのでしょうね。

大学とは何か、学問とは如何にあるべきかを問わない、上のような職業訓練蔑視観は、教育への盲目的な信仰から出ていることに他なりません。

ただ、そのような人は私たちのような者の意見には耳を貸さないでしょうから、教育の改革が大変だと言うことだけは分かりますね。

職業訓練の意義を実践のレベルでいろいろと証明していくしかないのでしょうね。

もちろん田中さんの言う「教育への盲目的な信仰から出」た「職業訓練蔑視観」という面もあるのでしょうが、それより何より、この記事の書き手にとっては、具体的な職業能力を身につけさせることなどはてんで脳裏にも浮かばないまま、ただただ空疎な手練手管でもって「就職率を上げる為に躍起となる」ことを「大学の本分を失念した職業訓練校」などと称しているという点にこそ、レリバンスのカケラもない空洞化した大学の無惨な姿が露呈しているというべきなのかも知れませんよ。

まあ、いずれにしても、田中さんの悲憤慷慨の種であることには変わりはないわけですが。

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『仕事の社会学 改訂版』

L18403 佐藤博樹・佐藤厚編『仕事の社会学 変貌する働き方 改訂版』(有斐閣)をお送りいただきました。いつもいつもありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641184039

今回の改訂版、既存の章もかなり加筆されていますが、とりわけ最後に「雇われない働き方 個人請負やフランチャイズオーナー」という章が新たに付け加えられたところが読みどころでしょう。ここは分担執筆で、「1 なぜ雇われない働き方か」が編者の佐藤博樹さん、「2 個人請負」が非典型雇用の章を書いている佐野義秀さん、「3 フランチャイズオーナーの働き方」がやはり編者の佐藤厚さんがそれぞれ書かれています。

既存の章では、そうですね、JILPTの呉さんの「第11章 企業と労働組合」に、「労使コミュニケーションの経営資源性」という一節が書き加えられていますよ。

ちなみに、本書の執筆者のうち大部分が過去現在にJILPTないしその前身の研究機関におられた方々なのですが、誰がそうであるか全部分かりますか?

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まじで無理・・・

Wec12031818000002p1この手の記事については産経が一番よく取材して書いていますね。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120318/wec12031818000002-n1.htm【karoshi過労死の国・日本 第3部(2)若者に迫る危機】“正社員”餌に残業100時間 「マジで無理…」首つり)

「せっかく正社員になれたんやから、もう少し頑張ってみるよ」

「正社員だと信じて疑わずに就職したのに、本人は相当なショックを受けたに違いない」

「会社は正社員という餌をちらつかせて、アリ地獄のように待ち構えていた。健康でまじめに働く息子はいい獲物だったはずだ」

少し前に書いたエントリで

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-9a3d.html(それがつまり純粋なジョブ型ってこと)

良きメンバーシップ型の安心感を与えないまま、使用者側にとって都合のいいところだけをいいとこ取りして、メンバーシップ型の緊張感だけを要求して、ジョブ型の気楽さを許さないというところに、近年のブラック企業のブラックさがあるというのが、この間申し上げてきているところで・・・

と述べた、まさに「いいとこ取り」の典型的な事例です。

このエントリでその後に述べたことが、本日のすぐ下の「「みんながふつうにエリート」社会の一帰結」の話と響き合っていることはおわかりになるでしょう。

しゃかりきに頑張る約束のエリートとそれほど頑張らない(やることだけはちゃんとやる)約束のノンエリートが分かれているということ。

戦後日本は、ある意味で世界に冠たる「みんながエリート」社会をつくったわけです。生涯の安心感とみんながしゃかりき労働の交換によるそれなりに安定した社会を。

それを「みんながダラカン」の護送船団だからけしからんと批判して出てきた「ベンチャー」な人々が作り上げたのは、なぜか「みんながベンチャー」という看板の下で、安心感なき恐怖政治の下でやはりみんながしゃかりき労働というまことにインバランスな仕組みだったというオチ。

この「オチ」に、そろそろ落とし前をつけなければならない時期が来ているのかも知れません。

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「みんながふつうにエリート」社会の一帰結

拙著へのツイート短評ですが、ある側面を見事に切り取っていたので・・・。

http://twitter.com/#!/yugui/status/180875725329530880

『日本の雇用と労働法』を読んだけど、うーん。ブルーカラーとホワイトカラーの平等を目指したはずが、ホワイトカラーは成果を要求されるのに妙な時間管理されるし、ブルーカラーもホワイトカラー並の忠誠と自己研鑽を当然とされるという悪夢を産んだわけだな。

これは旧著『新しい労働社会』の隠れたテーマでもあったわけですが、エリート労働者とノンエリート労働者が一緒になって「みんながふつうにエリート」社会になったことが、それぞれに矛盾をもたらしたという視点は、もう少し強調されても良いと思っています。

これは、次に出るリクルートエージェントの『HMmics』の特集記事で喋っている話ともつながることで、戦後日本社会ではなかなか正面切って言いにくいところではあるのですが。

(追記)

與那覇潤さんが、ツイートでこのように言及していただいているようです。

http://twitter.com/#!/jyonaha/status/181247611657912322

「一億総中流」は「一億総ブロン」だったのか…

あ、「ブロン」ってのは、星新一のブドウとメロンのいいとこ取りをしようとして作ったら悪いとこ取りになったというショートショートです。

ちなみに、この與那覇潤さん、

http://twitter.com/#!/jyonaha/status/181377427468058624

政治家が定期的に民意軽視的な意味での「失言」をしてくれて、そいつを「非民主的だ」と叩いてさえいれば溜飲を下げれた自民党時代は「戦後民主主義」の黄金期で、今振り返れば本当に幸せな時代。「我こそ民意」という専制者の出現によって、日本人は初めて「民主主義」の本当の恐ろしさを知るだろう…

というつぶやきを見ると、大変ものごとが見えている方であるように思いました。

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働いてもいないガキが半世紀以上も先のこと考えるんじゃない

読売のこの記事に

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120318-OYT1T00250.htm?from=tw(年金どうなるの?小学5年生の質問に総務相恐縮)

政府主催の社会保障・税一体改革の対話集会が17日、全国2会場で開かれた。

このうち、川端総務相が出席した松山市の集会では、小学校5年生の参加者が「僕が大人になって、年金などの問題で世の中やっていけるのか」と質問。

川端氏は恐縮した表情で「小学5年生にそういうことを心配させているのは大変申し訳ない。深刻に受け止めたい」と応じた。

黒川滋さんが切れています。

http://twitter.com/#!/kurokawashigeru/status/181285015043321856

働いてもいないガキが半世紀以上も先のこと考えるんじゃない、と一喝したくなります。経済学者のミスリードの弊害は大きいと思います。

気持ちとしては、黒川さんにまったく賛成ではありますが、小学5年生の子どもに言うべきだった言葉はむしろ、こうでありましょう。

君が真剣に考えるべきは、半世紀以上も先の年金のことなんかじゃないんだよ。むしろ問うべきは、ぼくたちが社会に出たときにやるべきまっとうな仕事がちゃんとあるのか、まっとうに仕事をして生活できていけるような社会をきちんと作っていこうとしているのか、それをこそ政治家たちに問わなければならないのだよ、と。

(追記)

上の黒川さんの言葉の激しさに、いささか見当外れのコメントをしているはてぶやツイートが散見されるので、念のため。

いま小学5年生のこの少年が自分で年金をもらうようになるのは、どんなに少なく見積もってもあと55年後以後でしょう。そのときに、彼の年金の原資を稼いでいる人々は今どこにいるでしょうか?

ほとんど未だこの世に存在しません。

これから生まれてくる人々です。

そして、ここからが重要ですが、そのこの少年の年金原資を稼ぎ出す人々は、ほっておいて勝手に木の股から生まれて成長して稼ぐわけではありません。

まさにこの少年たちが、これから勉強して、就職して、結婚して、子供を産んで、子どもを育てて、教育を受けさせて、就職させて、稼ぐことができるようにさせて、そしてはじめてこの少年たちの世代は自分の子どもたちの世代が稼いだ付加価値の一部を年金として受け取ることができるのです。

そういう一連の実体経済のつながりをことごとく無視しきって、なにやら魔法のような「お金」だけが55年の時代の流れを飛び越えて来るが如き、阿呆な一部経済学者の妄言に惑わされた莫迦な大人の片言隻句を鸚鵡返しにしたような小学5年生の子どもの言葉に対しては、50年間の実体経済の連なりの上に初めて55年後の年金が存在しうるのだという現実の姿を優しく諭して上げるのがまっとうな大人の責務というものではないか、という話です。

黒川さんの言葉の趣旨もそういうことであるはずですが、やや一部経済学者の妄言への怒りが少年に向けて噴き出してしまった感がありますが。

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ベーシックインカム論者は腹黒でなければ馬鹿

常夏島日記のポテトニョッキさんが、「今の日本だからこそ35年の住宅ローンを背負う本当の理由の本当の理由」というエントリで、本論が終わった後の話のついでに書いている捨て台詞的なところだけをわざわざ取り出してくるというあまり趣味の良くないやり方ですが、

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20120317/p1

ちなみに私はベーシックインカム論者は腹黒でなければ馬鹿だと思っています。腹黒い人は、年金も含めたあらゆる社会福祉を削減してベーシックインカムに統合すべしという夢を語って、実は個別に細かく社会福祉を削りたい人です。彼らにとって労働系の社会保障給付なんて削減すべき一丁目一番地。馬鹿は、ただでさえ少ない社会福祉予算が、老人よりも自分たちに回ってくると信じています。そんなことありえないのにね。でもまあ、ベーシックインカム論者が騒げば騒ぐほど、社会福祉に回る金が増えて、インフレ=不動産価格アップにつながるので、まあ住宅ローンで不動産を抱えている私としては嬉しい限りでしょう。

「腹黒」を別の言い方をすれば「捨て扶持」BI論者であるわけですが。

ちなみに、本論について言えば、結局なんだかんだ言っても日銀がお札を大量に刷することになるだろう、そうすると賃金より何より不動産価格が上がるだろうから、「その可能性を考えれば、35年ローンを組んでも、不動産を買っておく意味があるのだ」というのは、ものすごいニヒリズムに裏打ちされたリアリズムなのかも知れません。

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英会話学校講師の労働者性(GABA事件評釈)

『中央労働時報』の平成24年3月号に、「英会話学校講師の労働者性」と題して、GABA事件(大阪府労委決定 平成21年12月22日)の評釈を書きました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roui1203.html

GABA事件は、英語学校と業務委託契約を締結し、受講生の予約に応じて学校と個別レッスン契約を結んで役務を提供するインストラクターの労組法上の労働者性が問題となった事案であり、大阪府労委決定はこの点については労働者性を肯定している。しかしながら、同決定はインストラクターの加入する労働組合の団交申入れに対する会社の対応については不誠実団交と認めず、結果として申立てを棄却している。

・・・以下では、基本的に府労委決定に沿って当該インストラクターの労組法上の労働者性について検討し、付随的に「勝った」使用者側の「訴えの利益」についても考察する。

文章中では、GABA事件の評釈にとどまらず、労組法上の労働者性についてのやや理論的な検討も行っております。

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求職者支援制度の成立

『季刊労働法』236号が刊行されたので、前号の235号に掲載された「求職者支援制度の成立」をホームページにアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/2ndsn.html(『季刊労働法』235号「労働法の立法学」27回 「求職者支援制度の成立」 )

この制度の経緯をかなり詳しく解説しております。このブログでは、最後の「求職者支援制度の本質は何か? 」という部分を載せておきます。

5 求職者支援制度の本質は何か?
 
 求職者支援制度は、制度設計の基本理念である労働政策審議会の建議では「雇用保険と生活保護の間にあるセーフティネット」と、生活保障政策の一環であることを宣言する一方、法律の目的は「特定求職者に対し、職業訓練の実施、当該職業訓練を受けることを容易にするための給付金の支給その他の就職に関する支援措置を講ずることにより、特定求職者の就職を促進し、もって特定求職者の職業及び生活の安定に資すること」と、職業訓練に重点を置いた労働市場政策に焦点が絞られており、その間にいささかの乖離があるように見えます。

 そして、本制度の制度設計自体の中に、生活保障政策であるがゆえに正当化されるような資産調査的なモラルハザード対策の仕組みと、労働市場政策であるがゆえに必要となるモラルハザード対策とが、やや不整合な形で同居しているような印象を与えます。

 もし本制度の謳い文句である「第2のセーフティネット」という言葉が、働ける人が生活保護を頼らなくてもいいような新たなセーフティネットを提供することに主眼があるのであれば、それは事実上、福祉事務所の代わりにハローワークが特別な生活保護を支給するということに近くなりますから、家族に収入があったり、資産があったりするのに受給するというのは、排除すべきモラルハザードということになりましょう。3大臣合意までの議論が、雇用保険財政ではなく一般会計で本制度を賄うという前提で行われていたことも、このロジックを強める方向で働きます。これはこれで、一つの合理的な議論です。しかし、審議会での議論の中での本制度の位置づけ自体が必ずしもそういう方向を目指したわけではありません。

 審議会では、とりわけ労働側が強く主張したところですが、本制度を生活保障制度の一環として捉えるよりも、職業訓練に重点を置いた労働市場政策の一環として捉える方向がかなり打ち出されました。建議の冒頭の台詞はともかく、制度設計の基本的部分は、まさに「職業訓練の実施等による特定求職者の就職の支援」という法律の題名に相応しいものとなっています。そして、それを前提とすれば、真摯に訓練を受けて就職するつもりもないのに、月10万円が欲しいからとやる気のない訓練に申し込むことこそが、真っ先に排除すべきモラルハザードということになりましょう。上から降りてきた結論とはいえ、費用の半分を雇用保険財政で賄うことになったということも、この労働市場政策としての位置づけを強化する方向で働くと言えます。一般会計が4分の1を賄う失業給付との差は相対的なものということもできるからです。

 本制度がこういう複雑な性格を持つようになった一つの原因に、この間公共政策に大きな影響力を行使してきた連合内部の事情もあるようです。もともと、2007年に連合が新たな生活保障制度を提言したとき、その担当部局は生活福祉局でした。そのため、労働市場政策よりは生活保障的側面にかなり傾斜した主張となっていました。ところが、本制度が労働政策審議会で審議される前後からは雇用法制対策局が担当となり、労働市場政策であることを強く打ち出すようになります。
 
 問題は、このある意味で相矛盾するような二つの魂を併せ持ったままで、本制度がスタートすることになったことです。そのため、法が成立してから施行されるまでの間に、労働法学者を初めとしてさまざまな議論が交わされましたが、何をあるべき制度としてイメージしているかによって、いささか噛み合わない面も見られたようです。生活保障的側面を重視する論者からすれば、ヨーロッパの失業扶助制度が議論の起点となるべきで、職業訓練受講中「しか」給付がされない本制度は本来の姿ではないと映るのは当然です。しかし、訓練受講こそが政策の中軸であるならば、それ以外の時期にまで給付するのは濫給以外の何ものでもないでしょう。

 本制度の持つこの相矛盾する2側面は、生活保護制度の在り方をめぐる議論にも大きな影響を与えます。もし、本制度がハローワークで給付される特別な生活保護であるならば、福祉事務所にとっては、働ける人にはハローワークに行ってもらうという行動様式が合理化されることになります。実際、求職者支援制度の審議が開始されて間もない2010年2月25日、大阪市の平松邦夫市長は「生活保護の現状に鑑みた緊急対策について」と題した要望を行い、生活保護受給者の急増によって地方自治体の財政が大きく圧迫されている実情を訴えた上で、「過度に生活保護制度に依存することは制度の本旨ではなく、また、国民の勤労意欲をも阻害する恐れがある極めて大きな問題を内包しており、社会の在り方にも関わる問題」と述べ、「喫緊の課題として、個人の能力に応じ、働ける方には働ける環境の整備として、現行の「訓練・生活支援給付」制度の規模・内容の拡充を行い、生活保護制度に優先する仕組みを作る」ことを求めていました。

 現実の求職者支援制度は、平松市長の希望とはかなり異なる方向で実現したわけです。何よりも、それは生活保護に優先する仕組みではありません。もし生活保護に優先する制度であるならば、それはまず何よりも給付することが目的であり、訓練は給付のための条件に過ぎません。しかし、本制度はまず何よりも訓練することが目的であり、給付は訓練を容易にするための付加制度なのです。ですから、訓練目的に沿わない者は、生活保護代わりに本制度を利用するというわけにはいかないのです。

 しかしながら、これは言い換えれば、もともと「第2のセーフティネット」という触れ込みで始められた制度が、第3のセーフティネットと隙間なくぴっちりと存在するのではなく、いわば第1のセーフティネットの斜め横に、職業訓練という別の政策目的をもった形で存在しているということでもあります。そのすきまをどうするのか?という問題は依然存在します。

 ここは、生活保護制度の本旨に立ち戻って考えるべきでしょう。そもそも、生活保護制度は働ける人は対象にしないなどとはどこにも書いていないのです。連合が、第1層と第3層の間に第2層のセーフティネットが必要だと提言したときに、その隙間は法が本来予定する隙間ではなく、本来は生活保護の対象となるはずだが運用によって対象外であるかのようにされてきていただけだということは、あまり意識されていなかったようです。本来あってはならないのに、生活保護側の収縮によって発生していた隙間は、当然ながら生活保護によって埋められるべきでしょう。ただし、今までの生活保護制度は、働ける人はできる限り入口で入れないという運用をしてきたために、「入れてしまった」人を送り出す仕組みがきちんとできていませんでした。

 なお、現在厚生労働省で生活保護制度に関する国と地方の協議が行われていますが、平松大阪市長を初めとする指定都市市長会が2011年7月に発表した緊急要請では、「本来、働くことができる人には、まず、就労自立支援等の対応がなされるべき」との考え方から、「今秋より法律が施行される求職者支援制度をはじめとする第2のセーフティネットについては、生活保護制度に優先する制度として定めること。そのためには、少なくとも生活支援のための給付額が全国一律十万円とすることは認めがたい。生活保護費より高くし、実効ある就労支援を行うなど、生活保護に頼ることなく就労自立が可能な内容とすること。」を求めています。求職者支援制度の本質をめぐる議論は、なかなか一段落しそうにはありません。

平松前大阪市長が現職で登場しているところが、わずか数ヶ月前とはいえ時間の流れを感じさせます。

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『季刊労働法』236号

Tm_i0eysjizno2g ようやくまだ労働開発研究会のサイトに刊行されたという案内ましたていないのですが、ブツが届きましたのでご報告まで。

先日述べたように、特集は「紛争解決システムと労使関係立法改革」ですが、中身は米英独仏伊中NZの集団的労働紛争の解決システムです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-7da2.html

第2特集は「高齢者雇用の課題を解く」で、次のような論文です。

今後の高年齢者雇用対策についての建議とその法的問題 山川和義

高年法に基づく継続雇用制度をめぐる判例の整理とその課題 原昌登

高年齢者の雇用・就労と社会的企業 中川雄一郎

これに加え、わたくしの連載「労働法の立法学」でも高齢者雇用を取り上げております。

労働法の立法学(第28回) 高年齢者雇用法政策の現段階 濱口桂一郎

このうち、原さんの判例分析では、先日わたくしが東大の労働判例研究会でフジタ事件について報告したときの話が参照されております。その報告は、そのうち『ジュリスト』に載りますので、そのときにまた。

その他の論文は、

アメリカ合衆国における外国人労働者の統合政策と日本法への示唆 早川智津子

安全配慮義務違反と取締役に対する責任追及の可能性 天野晋介

ピアス事件 小牟田哲彦

郵便事業(継続「深夜勤」勤務)事件 國武英

ローやリング労働事件(第4回) 労働側の労働審判 鴨田哲郎

文献研究労働法学(第4回) 労働組合法7条の使用者 竹内(奥野)寿

といったところです。

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まことにつまらぬつっこみですが・・・

http://twitter.com/#!/tako_ashi/status/180820850608578560

橋下さんの支持層を右翼だと言う人たちがいますが、私は、彼らの既得権益者やインテリ層に対する憎しみを見ていて、文化大革命の折の紅衛兵やポル・ポトのクメール・ルージュを思い出します。

http://twitter.com/#!/yeuxqui/status/180825740185583617

うーん、まあ現象としてはポルポトっぽいところもあるのですが(微妙にメインストリームから外れたエリートが中心にいるとか)、世論調査の教えるところによると大阪については、支持「層」という言葉が不適切になるくらい圧倒的大多数の人びとが支持している。

・・・

http://twitter.com/#!/yeuxqui/status/180830580009746432

ポルポトって、インテリや社会の上層への恨み辛みということはよく指摘されるけど、ポルポトたちは、じつは庶民ではなくて(だってフランス留学するぐらいだから)、真ん中から外れたしかし周辺エリートないしは知識人だったんだよね

http://twitter.com/#!/yeuxqui/status/180832149052731394

まあ中心からすこし外れた周辺エリートが過激な社会変革を志すというのは、むかしの新左翼もそうだし(なんせあの時代の大学生だから)、いまのイスラム圏の原理主義とか、まあそんなに珍しいことではない。しかしどんなときであれ、社会の8割9割というのはありえなかった。

http://twitter.com/#!/sunafukin99/status/180833020733960193

少なくとも戦後の先進国ではそうだろうけど。ただ、ソ連のボリシェビキ革命では大衆の支持は高かったんじゃないのかな。あと、中国の革命とかも。

http://twitter.com/#!/yeuxqui/status/180843303212814336

あんまし詳しくないけど、そもそもボリシェビキという言葉そのものが少数派を意味するくらいで、投票にかけると少数派。中国はよく分からないけど、都市部にかんしては国民党にも一定の支持はあったはず。ただロシアも中国も農民の支持をどう考えるかが難しい。

まことにつまらぬつっこみですが、「そもそもボリシェビキという言葉そのもの」は多数派を意味します。ボリショイサーカスのボリショイと同じ。もっとも、一度も選挙で多数派になったことにない自称多数派ですけど。

ほんとに選挙で文句のつけようのない多数派になったのは言うまでもなくナチス。

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福島敏雄氏@産経の「維新」論

これくらいの距離感を持って、文化人類学的に批評すると、頭に血の上がった方々にも一服の清涼剤になるのかも知れません。ならないかも知れませんが。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120317/lcl12031703030000-n1.htm(論説委員・福島敏雄 「維新の会」は何を目指すのか)

かつて橋下徹氏が大阪府知事選に当選したとき、この欄で、その存在態様が文化人類学の「トリックスター」に似ていると書いた。日本語では「いたずら者」と訳されたりもするが、トリックスターは外部から不意にやってきて、さまざまなトリック(奇策)をめぐらし、権威に挑戦する。

 権威の側は一時的には混乱するが、ぎゃくにそのトリックによって、固定化、かつ硬直化したシステムが流動化、かつ活性化される。アフリカなど世界各国の神話などに登場し、「文化英雄」などと称されることもある。

 トリックスターは、居座ることはない。日本でいえば、古くはスサノオ、ちかくはフーテンの寅さんが、その典型であろう。活性化に成功すると、「あばよ」などと言って去っていく。

 橋下氏も府庁で、ぞんぶんにトリックスターぶりを発揮した。いちいちの評価はくわえないが、府庁内をドラスチックに流動化、かつ活性化させた。強圧的な部分もかなりあったが、抵抗する職員らに対しては、しきりに「民意」を強調した。

 だが「民意」は、いかようにも解釈することができる。最低限、求められるのは、反対派の「民意」をくみいれつつ、諸施策を打ちだしていくことである。

 その意味で、民主主義は、とんでもなく「手間」がかかるシステムである。英国の宰相チャーチルが「最悪の政治形態」と指摘したとき、念頭にあったのは、ワイマール憲法下で、正規の民主主義の手続きを踏んで登場したヒトラーであったはずである。

 「いま、必要なのは独裁」と喝破した橋下氏は、べつに比喩的に言ったとは思えない。民主主義から、めんどうくさい「手間」をはぶいてしまえば、すなわち「独裁」である。

トリックスターにまじに立ち向かった神官が返り討ちにあったのもむべなるかなと。

とはいえ、人類学の知見はその行く末にも不吉な予言を。

ふたたび文化人類学の知見を借用すれば、維新の会員にとって、橋下氏はもはやトリックスターではなく、「王(キング)」になっている。J・フレーザーの『金枝篇』によれば、未開社会において、「王」は無秩序の世界を整序し、浄化するという役割を負う。

 だが飢饉(ききん)などの不測の災厄に見舞われたばあい、その責任を取らされ、「民意」に基づき、残忍な方法で「王殺し」が敢行される。

 文明社会においても、政治だけでなく、企業や各種の組織において、形而上学的な意味での「王殺し」はいまも、頻繁に行われている。橋下氏という「王」にも、その危うさがつきまとう。

 そのていどには、「民意」はいいかげんであり、そうであるがゆえに、ときとして絶妙なバランス感覚を発揮する。

考えてみれば、この「失われた10年」の政治家たちは多かれ少なかれ、あるいは成功裡にであれ失敗理にであれ、なにがしかトリックスターとして振る舞い、王殺しされてきたのかも知れません。

そして、それを「民意」の名の下に推し進めてきたのが、そのカリカチュア的なトリックスターに返り討ちにあった神官たちであったという皮肉もまた。

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有期労働に係る労働契約法改正案にゴーサイン

今週月曜日に予定されていた分科会が延期されてどうなるかと思われた労政審の労働条件分科会ですが、本日ようやく「要綱については概ね妥当と考える」として答申に至ったようです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000025bjf.html

中身は既報の通り、

1.有期労働契約の期間の定めのない労働契約への転換
 有期労働契約が5年を超えて反復更新された場合(※1)は、労働者の申込みにより、無期労働契約(※2)に転換させる仕組みを導入する。
 (※1) 原則として、6か月以上の空白期間(クーリング期間)があるときは、前の契約期間を通算しない。
 (※2) 別段の定めがない限り、従前と同一の労働条件。

2.「雇止め法理」の法定化
 雇止め法理(判例法理)(※)を制定法化する。
 (※) 有期労働契約の反復更新により無期労働契約と実質的に異ならない状態で存在している場合、または有期労働契約の期間満了後の雇用継続につき、合理的期待が認められる場合には、解雇権濫用法理を類推して、雇止めを制限する法理。 

3.期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止
 有期契約労働者の労働条件が、期間の定めがあることにより無期契約労働者の労働条件と相違する場合、その相違は、職務の内容や配置の変更の範囲等を考慮して、不合理と認められるものであってはならないものとする。

というものです。

パート法の方はどうなるのかまだよく見えません。3月28日に雇用均等分科会が開かれるようですが、中身は女子則などの改正のようです。

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非正規労働者の処遇制度の確立に向けて@『生産性新聞』

『生産性新聞』3月15日号に、「非正規労働者の処遇制度の確立に向けて」というタイトルの下に、本田一成さんと私のエッセイが載っています。

本田さんの方は先日のシンポジウムでもいわれた労組労供の話が中心です。

それに対して私は処遇問題に焦点を当てております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jpchiseiki.html

昨年12月26日に労政審の労働条件分科会が「有期労働契約のあり方について」建議を取りまとめ、その中で「期間の定めを理由とする不合理な処遇の解消」についても言及した。雇用均等分科会も現在パート労働法の改正について報告を取りまとめつつあるが、通常の労働者との均等待遇の確保がその中心的論点となっている。昨年末に与野党で修正され継続審議となっている労働者派遣法改正案にも「均衡を考慮した待遇の確保」という規定が盛り込まれている。

このように、雇用形態別にばらばらに進められてきた非正規労働者の処遇問題について、行政として初めて包括的な観点からアプローチしたのが、昨年7月に報告書をとりまとめた「雇用形態による均等処遇についての研究会」である。これは厚生労働省の依頼に基づき労働政策研究・研修機構が開催したもので、荒木東大教授を座長に若手研究者を集めたこの研究会に、筆者も委員として参加した。

この報告書は、EUの法制度を踏まえて、性別など個人の意思や努力で変えられない属性に基づく差別を禁止する同一労働同一賃金原則と、当事者の合意で決定できる雇用形態の違いによる異なる取扱いに適用される不利益取扱い禁止原則を区別し、後者については客観的(合理的)理由の有無で判断されるが、その際使用者に説明責任を負わせていることを明らかにし、「このような仕組みは、正規・非正規労働者間の不合理な処遇格差の是正及び納得性の向上が課題とされている日本において、示唆に富むものと考えられる」と述べた。

現行パートタイム労働法の差別禁止の規定は、職能給という特定の賃金制度を所与の前提に差別概念を構築しているが、法律上はいかなる賃金制度を採ることも可能であることを考えると、問題があると言わざるを得ない。一方で、欧米型の職務給を前提にした差別概念をそのまま適用すれば、日本の職場の多くは大混乱に陥るであろう。その意味では、いかなる賃金制度を採るにせよ、その土俵の上で異なる取扱いにきちんと合理性が説明できるかどうかをメルクマールにするという発想は、人事労務管理が変化しつつある今日にふさわしい法規制のあり方であろうと思われる。この考え方をパートタイム労働者のみならず、有期契約労働者や派遣労働者にも広げていくことで、非正規労働者の適切な処遇制度を確立していくことが可能となるであろう。

もう一つ重要な論点として、差別や格差の問題は突き詰めると納得性の問題であるという点がある。労働関係における納得性の根拠は集団的枠組みにおける合意、言い換えれば「産業民主制」にある。非正規労働者の処遇がすぐに法規制の問題になるのは、集団的な「納得」の枠組みで解決する土俵がほとんど構築されていないからという面があるのではないか。自分たちの関わらないところで決められたルールが一方的に適用されることの不合理性を訴えているのではないか。この論点からは、非正規労働者も含めた集団的労使関係システムをどのように構築すべきかという、さらに大きな政策課題が浮かび上がってくる。

違う論点を扱いながら、両者とも最後は労働組合の話になってくるというところが面白いですね。

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若干誤解が・・・

Aj201202090015s 朝日新聞英語版の2月9日に、本田由紀さんの顔写真とともに「Japan's unique recruitment system no longer working」(日本の独自な採用システムはもはや機能しない)という記事が載っています。

http://ajw.asahi.com/article/economy/AJ201202090014

記者はスタッフライターのSOPHIE KNIGHTさんですが、中身はほぼ本田さんの主張に沿ったものになっています。

で、その中に、私の名前が引用されているんですが、おそらく本田さんの話を若干誤解したからではないかと思われるのですが、こういう記述があります。

Under this system, companies do not assign regular workers to specific jobs, but rather confer "membership" on them in exchange for absolute loyalty and diligence--a theory first introduced by Keiichiro Hamaguchi, a professor who acts as an adviser to the government on labor law. Companies are therefore very concerned about choosing the right candidates, as they will become long-term members of the firm.

このシステムの下では、企業は正社員を特定の職務に任命するのではなく、絶対的な忠誠心と勤勉さと引き替えに「メンバーシップ」を付与する。これは労働法に関して政府へのアドバイザーとして活動する教授である濱口桂一郎によって初めて提出された理論である。企業はそれゆえ、企業の長期的なメンバーとなるので、適切な候補者を選抜することに極めて関心を持つ。

わたくしは別に政府へのアドバイザーでも何でもありませんよ。一研究機関の研究者です。いまは「大学教授」でもないし(非常勤講師ではありますが)。

また、こっちの方がより重要ですが、私は(初めは主として外国人学生向けの説明タームとして)「ジョブ型」とか「メンバーシップ型」という分かりやすいラベルを作って説明しただけで、中身は半世紀前から社会政策界隈で口が酸っぱくなるほど繰り返されてきたことにすぎません。「初めて提出された理論」などといわれると裸足で逃げ出しますよ。あるいは、「オレ様が10年前に発見していたのじゃ」などと変な人がしゃしゃり出てくるかも知れませんしね。

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うちの業界にもこういう教科書があればなあ、と思ったのは内緒です

拙著『日本の雇用と労働法』へのアマゾンカスタマーレビューの8件目。はじめに、

どうやら著者がAmazonレビューをヲチしているようなので、まずreservationから一つ。えー、わたくしはこの本が扱う分野について正当な評価を下すための知識や訓練を欠いておりますので、安易に五つ星にすることは避けようと思います。

とありますように、はい、わたくしヲチしておりますので、こうして早くも取りあげさせていただいております。

http://www.amazon.co.jp/review/R2G7PGGWWN5E0G/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4532112486&nodeID=&tag=&linkCode=

この「birdsong」さん、アマゾンノベストレビュワーのお一人で、「一応「先生」と呼ばれる商売をやってる中年のおっちゃん」だそうです。主としてレビューされているのは、ミステリや電子機器類や制服向上委員会のアルバムなどのようで、たしかに拙著はやや異色かも知れません。

さて、「新しい労働社会」では国際的な視点から日本の労働社会の特殊性と将来への提案を論じた著者、今回は座標軸を90度回して、でき上がったのは教科書でありながら一種の歴史ものとしても楽しめる一冊となりました。

そして、拙著の基本的な枠組みを説明し、

このあたり、法律に詳しい方なら、もっと面白く読めるのでしょう。

と述べておられますが、そうとも言えますが、逆にあまり法律の議論にガチガチになっていない人の方が、すっと読んでいただけるのではないかという気もします。

ちなみに、最後のところで

(* この本、教養課程の教科書なのだそうです。うちの業界にもこういう教科書があればなあ、と思ったのは内緒です *)

と言われていますが、どの業界の「先生」なのかはレビューからは窺い知ることはできませんでした。

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もし教師が個人請負なら・・・

河添誠さんのツイートに、伝聞として書かれていることですが、

http://twitter.com/#!/kawazoemakoto/status/180107965511106560

昨日、ある方から聞いた話。ある私立高校が教師十数人を請負会社から派遣させている。その教師と請負会社とは雇用契約ではなくて業務委託契約。個人請負で請負会社から仕事を受けているので二重請負。高校からも指揮命令がある実態のようなので、偽装請負。学校の現場で驚くべきことが起きている。

河添さんは偽装請負であることを前提に書いているわけですが、逆に本当に請負会社経由の個人請負であるならば、学校当局は二重の意味で指揮命令ができないはずなので、とにかくこの教科を教えて、こういう成果を出してくれ、と言う以上のことは言えないはずですよね。生徒の生活指導も学校行事も一切関係なし。もちろん卒業式に出て校歌を歌う義理もない。やれと言ったら偽装請負。

それで学校(「私立高校」らしいので)が成り立つのかどうかは別として、それを合法的にやりきるというのであれば、それはそれで一つの教育のモデルなのかも知れません。

ちなみに、ボワソナードの旧民法では、

第266条  医師、弁護士及ヒ学芸教師ハ雇傭人ト為ラス此等ノ者ハ其患者、訴訟人又ハ生徒ニ諾約シタル世話ヲ与ヘ又ハ与ヘ始メタル世話ヲ継続スルコトニ付法定ノ義務ナシ又患者、訴訟人又ハ生徒ハ此等ノ者ノ世話ヲ求メテ諾約ヲ得タル後其世話ヲ受クル責ニ任セス

となっていました。

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國學院大學労供研究会シンポジウムについて

16_2 16_1 去る2月23日に開催された國學院大學労供研究会と國學院大學経済学部との共催シンポジウム「労働組合による労働者供給事業の可能性-非正規労働問題の解決へ向けて-」について、労供研のサイトに簡単な報告がアップされたようなので、こちらでも紹介しておきます。

http://www.k-rokyoken.jp/main/16.html

2012年2月23日(木)、國學院大學労供研究会は、國學院大學経済学部との共催シンポジウム「労働組合による労働者供給事業の可能性-非正規労働問題の解決へ向けて-」を開催しました。
 シンポジウムは、國學院大學渋谷キャンパス最大収容施設の常磐松ホールにて開催され、組合運動家、研究者、マスコミ関係者などの多数の参加者の熱気につつまれる中で進行しました。
 第1部「労供労組とは何か」(16:00~17:30)では、労供研究会事務局長の本田一成氏が第1報告「労組労供の実態」を、続いて武井寛氏(甲南大学)が第2報告「労供労組の法的諸問題」を行いました。
 第2部(18:30~20:30)では、研究会座長の橋元秀一氏の基調報告「労働組合による労働者供給事業の可能性―非正規労働問題の解決へ向けて―」の後、伊藤彰信氏(労供労組協)、濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構)、山根木晴久氏(連合)に登壇いただき、各人から意見表明を受けて、またフロアとの質疑応答を交えながら、労供の必要性や課題、非正規労働問題への示唆などについて活発な討論を行いました。
 本田報告、武井報告、橋元基調報告については、当日配布したレジュメは下記よりご覧になれます。また、当日配布した報告書、討論の詳細な内容については、準備が整い次第、順次研究会ホームページにアップロードする予定です。

この「当日配布した報告書」は、こちらにアップされていますね。

http://www.k-rokyoken.jp/pdf/17_1.pdf

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拙著短評

「読書メーター」に、拙著2冊についてそれぞれ短評がアップされました。

まず『新しい労働社会』(岩波新書)について、

http://book.akahoshitakuya.com/b/4004311942

deerglove ヨコとタテの比較。ちきりんもそんなこと書いていたっけ。閉塞感にとらわれがちな雇用や賃金の問題も、EU諸国の事例やかつての日本の歴史を紐解いてみればヒントがみつかるということですね。

ちきりん女史と同列に評されると、いささかな面もありますが、まさに私のいいたいことは「ヨコとタテの比較」が大事ということですので。

ま~やん さすが、厚労省の元官僚。久々に読んで面白い本でした。ホワイトエグゼンプションの当初の目的がそんなことだったとは。

これはリアルな感覚をお褒めいただいたものと理解しておきます。

もう一冊の『日本の雇用と労働法』(日経文庫)についても、

http://book.akahoshitakuya.com/b/4532112486

Junichi Mayuzumi 基本的な法全般を抑えているのに加え、歴史的な経緯に関しても、小難しい記載はない。非常に読みやすかった。

ありがとうございます。学部学生への講義テキストなので、「非常に読みやすかった」という評はとても有り難いです。

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朝日読売戦争に安西愈弁護士の名が

朝日新聞の1面トップに、大々的に「巨人、6選手に契約金36億円 球界申し合わせ超過」と書き立て、読売がこれに反論する記事を掲載するという仕儀のようでありますが、

http://www.asahi.com/national/update/0315/TKY201203140797.html

http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20120315-OYT1T00093.htm

まあ、正直言うて、これが今日ただ今他に優先して報道せねばならぬほどの天下の一大事ですかね?という話ではありますが、その読売の反論記事の中に、知った方の名前が・・・

日本野球機構の顧問弁護士の安西愈弁護士は「契約金の最高標準額については、上限を定めると独禁法のカルテルの問題が出てくるので、あくまでも目安であって、厳格な規定ではなかった。10年以上前に入団した選手のことを、なぜ今、問題にするのか全く理解できない」と話した

これはカルテルの問題になるのですか。

これは、そもそも野球選手って、労働者なのか、個人事業者なのかというはなしにもつながる気もします。

ま、しかし何にせよ、朝日の編集部の感覚は、今この時点で、読売を叩くことが最大の政治課題だと考えているかの如く感じられて、いささか?でありました。これは、どの球団のファンであるか否かということとはまったく別にして。

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定昇見直し問題が提起するもの@『情報労連REPORT』3月号

2012_03『情報労連REPORT』3月号がアップされました。

http://www.joho.or.jp/up_report/2012/03/_SWF_Window.html

特集は「震災1年 今からこれから」で、キャッシュフォーワークに関する記事、石巻の被災企業JAM伊藤製鐵所労組の記事、岩手県山田町の牡蠣養殖の復活の記事、宮本太郎さん、阿部彩さんのインタビューなど、盛りだくさんです。

わたくしの連載「hamachanの労働ニュースここがツボ!」は、「定昇見直し問題が提起するもの」です。


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生活保護と「異性との生活禁止」 

確かに、性生活をどうするかは個人の自由であり、それと生活保護を受給することとは何の関係も本来ないわけです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012031302000182.html(「異性との生活禁止」 生活保護申請で誓約書)

京都府宇治市の職員が、生活保護を申請した母子世帯の女性に対し、異性と生活することを禁止したり、妊娠出産した場合は生活保護に頼らないことを誓わせたりする誓約書に署名させていたことが十三日、分かった。

 市によると、誓約書は、ケースワーカーが個人的に作成し、母子世帯のほか、外国人などへの誓約事項を列挙。「日本語を理解しないのは自己責任。仕事が見つからないとの言い訳は認められない」とも書かれていた。市は不適切だったとして、関係者に謝罪した。

 生活支援課の三十代の男性ケースワーカーが署名させていた。「受給中はぜいたくや無駄遣いをせず、社会的モラルを守り、節度ある生活をすることを誓う」「書類の不備が複数回発生した場合には自己責任なので、廃止を踏まえた処分は貴職に一任する」とも書かれていた。

とはいえ、現実の生活保護の運用は、まさにシングルブレッドウィナーモデルを前提として、稼いでくれる亭主が居ない「から」母子家庭は類型的に扶助の対象者にしてきたこともまた確かなわけです。

厳密に言えば、異性と生活することと、その異性に扶養されることとは別のことであり、日本国の法体系が男女に何の違いもつけていない以上、生活保護を受給している父子家庭に女性が同居したのと同じ扱いでなければおかしいはずではありますが、さはさりながら世の中の常識はそのようには物事を見るようになっておらず、「男が居るのに、何で生活保護なんか出しているんや」という批判が吹き出す危険性が常にあるわけです。そのような世間の目にさらされている地方公務員が、突然わき起こるかも知れないバッシングの鳥の羽ばたく音に怯えて、先手を打ってこのような行動に出たことは、是非は別として、人間学的に了解しうることであることもまた確かでしょう。

生活保護という制度はとりわけ「民意」に揺られる、というよりむしろもみくちゃにされる傾向のある制度であり、そういう事態が現在既に相当程度進みつつあるように見えるところでもありますし。

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公共政策大学院の授業言語

来年度も東大の公共政策大学院で「労働法政策」の授業をするのですが、2012年度の授業科目一覧というのを見ていたら、なんだか政治学やとりわけ経済学関係で英語による授業がえらく増えたなあと感じました。

http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/courses/2012/index.htm

ざっと数えてみたら、基幹科目でいうと、法律分野は16科目全て日本語、政治分野は24科目中7科目が英語、経済分野になると30科目中日本語は8科目だけです。また展開科目でいうと(労働法政策はこれに含まれますが)、法律分野は34科目中英語は2科目、政治分野は35科目中英語が10科目、経済分野では24科目中10科目が英語です。

この大学院ができた2004年度の科目一覧と比べると、だいぶ様変わりですね。

http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/courses/2004/index.htm

まあ、法律関係はあまり変わりませんが。

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CIETTのサイトが先日のパネルを報じる

7dc4b564c3 先週6日に開かれたCIETTのリージョナルワークショップについて、主催のCIETTのサイトにニュースがアップされたようです。

http://www.ciett.org/index.php?id=110&tx_ttnews[tt_news]=230&tx_ttnews[backPid]=1&cHash=91b120dc7efffaa0aff1bba5c36a8ba0(Ciett launches Adapting to Change report in Japan)

私の参加したパネルディスカッションについては、

Eurociett President Annemarie Muntz spoke on a panel containing experts on Japanese labour law, and Hitoshi Sakamoto, the Chairman of JASSA. During the panel discussion, participants agreed on the need to further develop social dialogue between private employment services and trade unions. Ms Munts noted that the demographic challenges facing Japan are similar to those occurring in Europe and that cooperation between public and private employment services should be developed to help address this issue.

ユーロシエットのアンヌマリー・ムンツ会長は、日本の労働法専門家及び坂本仁志人材派遣協会会長を含むパネルで発言した。パネルディスカッションの間、参加者は民間雇用サービスと労働組合との間で労使対話をさらに発展させる必要性に同意した。ムンツ女史は、日本が直面しつつある人口学的課題はヨーロッパで生じているものと似ており、官民の雇用サービスの間の協力がこの問題を解決する上で発展させられるべきであると述べた。

とまとめられています。

人材派遣業界がこういうまとめ方をするということに、是非とも注意を喚起していただきたいところです。

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技能は21世紀の国際通貨@OECD

OECDのサイトに「OECD技能戦略」(OECD Skills Strategy)がアップされています。

OECDウィーク2012の一環としてアップされたようですが、興味深い表現があったのでご紹介まで。

http://www.oecd.org/document/6/0,3746,en_2649_37455_47414086_1_1_1_37455,00.html(OECD Skills Strategy)

Skills: the global currency of the 21st century

Skills have become the global currency of 21st century economies. Without sufficient investment in skills, people languish on the margins of society, technological progress does not translate into productivity growth, and countries can no longer compete in an increasingly knowledge-based global economy. And, at a time when growing economic and social inequalities are a major challenge, effective skills policies must be part of any response to address this challenge. But this ‘currency’ depreciates as skill requirements of labour markets evolve and individuals lose the skills they do not use. For skills to retain their value, they must be continuously maintained and upgraded throughout life so that people can collaborate, compete and connect in ways that drive economies forward.

技能、それは21世紀の国際通貨。

技能は21世紀経済の国際通貨となった。技能への十分な投資がなければ人々は社会の周縁で呻吟し、技術進歩は生産性向上につながらず、各国は知識基盤グローバル経済で勝ち抜けない。そして、経済社会的格差が重大な課題として浮かび上がってきているいま、有効な技能政策こそがこの課題への対応の不可欠の一部でなければならない。しかしながら、この「通貨」は労働市場の技能需要の進展とともに減価し、人々は使わない技能を失う。技能がその価値を取り戻すためには、一生涯を通じて維持向上されなければならない。

ということで、今年5月にはいよいよOECD技能戦略がスタートするようです。

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CIETTパネルディスカッションの報道

I120312


去る3月6日のCIETT(国際人材派遣事業団体連合)主催のワークショップの報道が、アドバンスニュースにアップされています。

http://www.advance-news.co.jp/interview/2012/03/post-108.html

わたくしの参加したパネルディスカッションについても、次のように各パネリストの発言が紹介されています。

これについて八代氏は、日本の場合、派遣社員による正社員の代替が進んだこと、派遣社員と正社員は明確に分断されている事実を挙げ、「報告にはホーっと思う部分がいくつかあった」と日欧の違いについて率直な感想を述べた。

 氏も、欧州では派遣労働は雇用への足掛かりとなっているが、日本では必ずしもなっていないこと。フランスでは派遣の選択は「早く仕事を見つけるため」という積極的な理由が中心だが、日本では「正社員になれなかったから」という理由が多いことを指摘。日本で派遣の浸透率が08年以降は低下している事実について、「異常事態であり、派遣法改正問題や専門26業務適正化プランへの対応の結果ではないか」と述べた。

 濱口氏は、派遣法について「日本のモデルは派遣労働者の声が届かないシステムになっており、それらは労使協議によって話し合うべきだったが、その道筋も築いてこなかった」と強調したうえで、「四半世紀前に成立した派遣法の抜本的見直しが必要だが、それは事業規制によるべきではない」と述べた。

 龍井氏は、連合の労働相談の内容を紹介しながら、「派遣のユーザー企業は派遣社員については労組と向き合わずに済むため、痛みを感じないまま雇い止めできる。派遣が安定雇用への架け橋になるかどうか疑問」と問題提起した。

 松井氏は、これまでの派遣法の改正を「妥協の産物。規制緩和と規制強化が常に一体となっていた」と話し、「(現行の)法令を守れば新たな法改正は不要。派遣業界は派遣社員の権利を守るためにもっと主張すべきだ」と注文を付けた。

 ムンツ氏は、日本でも注目されているフレクシキュリティー(柔軟性+社会保障)の実現に深く携わった経験を踏まえ、「日本と欧州に違いのあるのは明らかだが、グローバル化による共通部分も増えている。派遣という働き方の環境を向上させるには、労使のパートナーシップが重要な役割を果たすが、日本ではまだ協力体制があまり見られない」との見解を示した。

 坂本氏は、日本の派遣が「正社員の職域に踏み込まない範囲で規制されている」としたうえで、「法令順守は必要だが、それが裁量行政による部分が大きいのは問題」と述べ、適正化プランを暗に指摘した。

 最後に、八代氏は「派遣労働者の保護は必要だが、問題はどういう方法で保護するかだ。派遣の問題は裏を返せば正社員の問題でもあり、片方だけで議論しても効果は上がらないだろう」と総括した。

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常見陽平『大学生のための「学ぶ」技術』

1106141434常見陽平さんから新著『大学生のための「学ぶ」技術-就活難民にならないための頭の鍛え方』(主婦の友社)をお送りいただきました。

高校生までの勉強と大学生からの勉強はまったく違う。講義の受け方やレポートの書き方、プレゼンの仕方から調査の仕方まで、大学生に必要な実践的勉強法をルール立てで教えます。

大学での勉強は高校までの勉強とは全然違う。だけど、誰もその勉強方法は教えてくれない。正解を探すのではなく、自分で答えを見つける=能動的に勉強する方法を、学生・大学関係者の中で圧倒的な支持を受ける著者が指南。先輩たちの体験談や、実際のレポート・論文を例にとり、わかりやすく解説。しっかり勉強すれば大学生活が充実するのはもちろんのこと、就活やその後の社会人生活にもつぶされない「基礎体力」が身に付きます。明日から使える勉強の実践的テクニック満載。新入生はもちろんのこと、勉強をやり直したい上級生にも役に立つ内容。*章構成* 1そもそも大学生からの「勉強」って? 2授業の選び方・受け方3レポートの書き方4プレゼンの仕方 5議論の仕方~ディベートができるようになる 6テスト勉強の仕方 7研究・調査と論文のまとめ方

こちらはまた、まったく違う意味で直球も直球、あまりにもストレートな本です。なまじ大学のセンセが妙にカッコつけて論じてみせるよりも、遥かにストレート。

そして、「おわりに」で、常見さんはこう明かします。

これから私は母校一橋大学の大学院の社会学研究科に入学します。もっと勉強したい、そして研究によって世の中を変えたいという思いからです。働きながら、そして大学で非常勤講師として教えながら、学び、研究します。生き方の多様性、そして学び続けることが大事であることを、わたし自身が大いなる実験台としてやりきりたいと思います。

人材コンサルタント、大学講師、著述業、そして大学院生という4足のわらじを履いていく常見三の前途に乾杯!

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海老原嗣生『偏差値・知名度ではわからない 就職に強い大学・学部』

9784022734402海老原嗣生さんから新著『偏差値・知名度ではわからない 就職に強い大学・学部』(朝日新書)をお送りいただきました。

◎バブルの時代だって、「文学部は就職に不利」といわれていた。そして就職における学歴差別もあった。だが、学歴差別から解放し、あらゆる学生に門戸を開いたとされる就活ナビの登場以後も、形を変え、水面下でその差別は続いている。近年の慶應大学の内定の実態を調べたところ大手金融関係の内定者384名のうち、文学部は、わずかに3名。あとの381名は「商・経・法」だという。慶應ですら、学部によってこんなに差がつく。早慶以下の大学、いわんや、である。

◎海老原氏いわく「大学はもちろんのこと、学部によって行ける会社が明確に違うのは、差別ではなく、区別。それがいやなら、そんな大学・学部にいってはいけない」。このメッセージを、受験生の親世代に伝える一冊。

◎『「若者はかわいそう」論のウソ』では、ワーキングプアや日本型雇用における定説のウソを暴き、『学歴の耐えられない軽さ』では、学歴のインフレの実態をデータでもって暴いた海老原氏が、今度は、大学学部別と性別による就職力の実態を明らかにする!

いやぁ、ストレート直球も直球ど真ん中。朝日新聞の売らんかな精神も相俟って、まことにストレートなメッセージの本になっています。

まえがきの最後に曰く:

雇用のプロフェッショナルとして、新卒採用に長年携わってきた者として、「学歴差別」「就職差別」を俎上に載せるのは、正直、いささか勇気が必要だった。

企業、大学、在校生、その関係者全てに不快な思いをさせてしまう嫌いがあるからだ。

ただ、就活問題がこじれにこじれているから、知っていることを書いておかねば、という気持ちとなった。

まことに、もともとセグメント化されていた労働市場が、就職情報会社によってノンセグメント化されたかのごとき幻想を振りまいてしまったことが、今日の悲喜劇(喜劇の代表が例の岩波書店問題でしょうが)のもとになっていることを考えれば、海老原さんがこういう本を書かれるのはまことに理にかなったこととも言えましょう。

薄い本ですが、全編に亘ってこれでもかこれでもかと現実を突きつけ、浅薄な建前論を叩き潰していく爽快感に満ちています。

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被災地からの「1年」

昨年の今日発生した東日本大震災の被災地で、民間人として、また地方公務員として、この1年奮闘されてきたお二人が、ご自分のブログで「1年」と題したエントリを挙げておられます。

昨年の今日、会社が流されてしまったhahnela03さんの「1年」

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20120311/1331444763

東日本大震災から1年が経ちました。被災地へのご支援等に際しましては、心から御礼申し上げますとともにも今後とも係わって頂きたくお願い申し上げます。

今後の復興事業は被災地の官民総動員しても難しく、様々な地域の皆様方の関与が必要です。

日本が日本であるために様々な紐帯の存在をそれぞれの生き方によって感じることができる稀有な機会を無為にしないでください。

復興は遅れている。といいますが、数十年もかけて形成された社会基盤が、がれき(被災財)撤去後の数か月で震災以前に戻ることは物理的に不可能です。そこに生きていた年月を愚弄するようなことでしかありませんので、皆様方には、そのような無駄な時間の浪費をしてもらいたくはありません。

そしてそういう人々を公務員として懸命に支援してきたmachineryさんの「1年」

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-506.html

一年前の午後2時46分に大きな揺れが発生し、数分続いたその揺れの後、多くの方の命を奪う巨大津波が日本列島に襲いかかりました。今日はその一周忌となります。あの日のように今日は朝から小雪の舞う曇りの天気となっていて、一年前と同じく寒い一日となりそうです。この一年はこれまでの仕事に加えて震災に対応した仕事がメインとなったり、いつもそばにいた人が遠くに行ってしまったりと、個人的にも仕事や生活が一変した一年でした。

あのときいつもの生活を奪われてしまった方々のことを忘れず、これまでのようにいつもの生活ができるように行動し、これからもいつもの生活を失わないように考え抜いていく節目とするため、いつもの生活を送りながら亡くなられた方のために黙とうする日としたいと思います。

無駄な時間の浪費をしないこと、それが我々に課された最低限の使命なのでしょう。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-e8a7.html(被災県からのメッセージ)

本ブログともつながりの深い「machineryの日々」のマシナリさんは、今回の東日本大震災(東北関東大震災)の直撃を受けた岩手県で地方公務員をされており、この間、被災地で寝泊まりして避難所運営の支援をされています。

本日、マシナリさんのブログに、我々直接被害を受けなかった地域の者が何をなすべきであり、何をなすべきでないかについて、明確なメッセージが書かれていますので、是非多くの方に読まれるべく、引用したいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-bdb7.html(会社が消失した被災者の叫び)

被災地で奮闘している地方公務員マシナリさんのブログのコメント欄に、会社が消失したある被災者の方の心からの叫びが書かれています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-9fb0.html(会社が消失した被災者の声)

一昨日ご紹介した、今回の大震災で会社が消失し、社員やその家族もなお行方不明の中で奮闘しておられるgruza03さんが、引き続きマシナリさんのブログのコメント欄で、我々幸運にも被災しなくて済んだ者たちに対する心に沁みる言葉を綴っておられます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/hahnela03gruza0.html(hahnela03(旧gruza03)さんの日記)

復興財源問題にだけは異常に関心があるけれども、復興それ自体には何の興味がないような人々にこそ、被災地で被災された方々がどのような日々を送られてきた/いるのか、そしてあまり新聞に出てこないような問題点の提起なども含めて、じっくり読んでいただきたいところです。

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欧州経団連は実習制を推進する

欧州経団連(ビジネス・ヨーロッパ)が3月6日付で、「CREATING OPPORTUNITIES FOR YOUTH HOW TO IMPROVE THE QUALITY AND IMAGE OF APPRENTICESHIPS」(若者のための機会を創出する 実習生の質とイメージをいかに改善するか)を公表ししました。

http://62.102.106.140/docs/1/NLAOBHOBNBBKJMCFOOPHDMOIPDWY9DB6AD9LTE4Q/UNICE/docs/DLS/2012-00330-E.pdf

「APPRENTICESHIPS」は、徒弟制とも見習制とも実習制とも訳されますが、私たちの訳書(OECD『世界の若者と雇用』)では「実習制」と訳したので、ここでもその言葉を使います。

このパンフで、欧州経団連は若者の学校から仕事への移行に実習制を活用すべきと力説し、そのために使用者が大いに協力すべきだとしています。

ここで欧州経団連が示している12の勧告は、日本にも示唆するところは大きいと思われます。

OUR 12 MAIN RECOMMENDATIONS

TO THE EUROPEAN UNION

1 Allocate a share of the European Social Fund and of the Erasmus for All programme to provide seed funding for Member States that wish to establish or reform their dual learning systems;

2 Ensure funding for cross-border training activities of employers’ organisations to become involved in the establishment of a dual system;

3 Support European and national campaigns for changing the perception of vocational education, including in the context of the Copenhagen process;

4 Organise a regular forum for discussions on monitoring of the European apprenticeship strategy with the relevant European and national stakeholders in this area.

TO THE MEMBER STATES

5 Provide a well-functioning general school system - both primary and secondary - that prepares pupils properly so that they are able to enter an apprenticeship system;

6 Set up the framework conditions for dual learning apprenticeship systems in accordance with their respective industrial relations systems and through cooperation between labour market and educational institutions;

7 Integrate work-based learning in educational systems. A significant part of the education, to be defined at national level, is to be conducted in a company with clear curricula also for the training in companies.

TO EMPLOYERS' ORGANISATIONS

8 Take part in the governance of dual learning apprenticeship systems and contribute to the design of curricula and their adaptation over time. This is an important factor to ensure their responsiveness to labour market needs and to avoid unnecessary red tape for companies;

9 Inform and motivate companies to become involved in the dual system, give them advice and organise cooperation between companies.

TO COMPANIES

10 Ensure a high level of quality of training which provide good earning potential and career opportunities, notably by ensuring that company instructors/tutors are well equipped to transfer knowledge to apprentices;

11 Sign a contract with the apprentice that includes clear task description and working conditions for the apprentice;

12 Encourage employees to share their experience as former apprentices wherever and
whenever possible to promote the take-up of apprenticeships by the young generation.

いくつか選んで紹介しますと、

3.職業教育への意識を変えるキャンペーンを

5.生徒が実習制に入っていけるような初等・中等教育を

6,労使関係と産学協同でデュアル学習実習制の枠組みを

7.職場ベースの学習を教育制度に統合

8.使用者団体が実習制のカリキュラム作成などに参加

10.高水準の訓練を提供

11.明確な職務と労働条件の契約を結ぶ

12.労働者が先輩実習生として経験を分かち合う

現実にはかなりの国で実習制が人気がなかったり低く見られたりという実態があるからこそこういうキャンペーンが必要になるのでしょうが、それにしても、使用者団体がここまで熱心に打ち出していることは、見習うべき面もあるのでしょう。

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高齢者雇用の現実と2030年高齢者労働市場の創出@AGING FORUM 2011

昨年11月10日に、目黒雅叙園で開かれた「AGING FORUM 2011」に出席し、若干喋ってパネルディスカッションにも参加しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-5cb9.html(エイジング・フォーラム2011@目黒雅叙園)

その時の資料に載ったわたくしのメモランダムが、日経BPネットに掲載されていたようです。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/gdn/20120227/300459/?P=3(健康年齢から考える 高齢者労働市場 その雇用、就労 高齢者雇用の現実と2030年高齢者労働市場の創出)

高齢者労働市場の創出に向けて

現状の仕組みは維持不可能

養う人と養われる人のバランスが著しく崩れること、これが超高齢社会の問題だ。前提条件となる人口構造が根底から覆るのだから、現状のシステムをそのまま維持することはできない。かといって長生きを否定するわけにはいかないので、高齢化が悲劇につながらないようシステムを設計し直す必要がある。

労働政策で言えば、実はすでに答えは出ている。社会全体のお金の流れについて、「もらう側を少なくし、払う側を多くすること」。これしかない。いま年金や医療保障、介護などの社会的贈与を受けている人たちに、今後は税金や社会保障を払う側に回ってもらう。

ただマクロの方向性が決まっていても、それを具体策レベルに落とし込むのは至難の業だ。企業も、働く高齢者の側も、それぞれ思惑は違う。年寄りが増えたからといって、企業は高齢者にどんな労働力を求めるのか。平均寿命が延びる中で、高齢者はどのように働けばいいのか。いくら元気な高齢者が増えるといっても、30代や40代のような働き方はできないはずだ。

立場により異なる最適解のすり合わせ

幸い諸外国と比べれば、日本の高齢者は働く意欲が強い。その意欲を生かす政策が求められる。但し、高齢労働者は働きたいとは思うものの、いつまでも働き続けたいわけではない。どこで線引きするかがポイントだ。一方、企業は高齢者雇用の重要性は理解しているものの、自社の負担は可能な限り減らしたい。しかも日本企業で求められる労働は、かなりハードだ。立場によりそれぞれ異なる最適解のすり合わせが求められる。

ヒントはある。中小企業は以前から高齢者を活用してきた。高齢者雇用に関しては中小企業の持つノウハウが参考になる。サービス業や小売業などの顧客接点も、高齢者を活かせる場だ。今後も成長が期待できるこうした業界で、人生経験豊かな高齢者を起用することは考えられて然るべきだろう。そのとき忘れてはならないのが、現状とはおそらく異なる「今後の女性高齢者」を活用する視点だ。

 いずれにしても2030年にあるべき社会像は、もうほぼ見えている。その社会を実現するための打ち手に、それほど多くの選択肢はない。

企業と高齢者が異なる利害関係の中で、どう折り合いをつけていくのか。高齢化に関して世界のトップを走る日本のソリューションは、これから日本と同じ道をたどるアジア諸国などにとって貴重なノウハウとなるはずだ。

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末永太さんの拙著評@教育文化協会紹介コーナー

連合の末永太さんが、教育文化協会の本と資料の紹介コーナーで、拙著『日本の雇用と労働法』を書評されています。

http://www.rengo-ilec.or.jp/report/12-02/4.html

本書は、JIL-PT統括研究員の傍ら、法政大学社会学部で非常勤講師として「雇用と法」を講義する著者が、そのためのテキストとして他の労働法のテキストのように条文の解釈を逐条的に掲載するのではなく、領域ごとに日本の「雇用システム」と「労働法制」との相互のつながりを歴史と判例をおり混ぜながら解説した労働法の入門書である。

前著『新しい労働社会』は国際比較の観点と歴史的視点の両方から解説したものであるが、本書は後者の日本の雇用システムの歴史的形成過程の叙述に特化しつつ、記述している。月給制のホワイトカラーは戦前には、もともと労働時間規制の適用除外だったという話など、雇用と労働法に関するhamachan先生らしい皮肉とユーモアに富んだ鋭い洞察と蓄積が窺える著作である。

と書きだして、拙著の内容を紹介した上で、

・・・著者は、今後の動向については、今の社会状況の変化のなかでは、もはや旧来のメンバーシップ型雇用システムは維持できなくなるのではないかと考えており、経済社会の変容とともに、それが徐々にジョブ型の方向に変容していくと予想している。

そして、メンバーシップ型雇用システムが形成されてきた歴史の重みを重視するものの、ジョブ型の方向へと徐々に修正していくべきという労働法政策を本書は含意しているように思われる。ただし、過度に保守的にならず、過度に急進的にならず、慎重にかつ虚心に見極めようというスタンスである。

今までにないアプローチから労働組合に対して、いつにもまして切れ味鋭く課題を突き付ける内容で一読に値する著作である。

と拙著のスタンスをまとめていただいています。

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有期から無期への転換に伴う労働条件の引下げ

欧州司法裁判所が3月8日に出した判決は、有期契約の無期契約への転換に伴う労働条件の引き下げは許されるかという興味深い問題に答えを出しました。

http://curia.europa.eu/juris/document/document.jsf?text=&docid=120125&pageIndex=0&doclang=en&mode=req&dir=&occ=first&part=1&cid=45924

事件はフランスのブルターニュ西洋大学で有期の研究員として6年間勤続した原告マルシャル・ユエさんが、無期契約に転換する際に、それまでの研究員から調査員になり、給与も引き下げられたことが問題となったものです。

Clause 5 of the framework agreement on fixed-term work, concluded on 18 March 1999, which is set out in the Annex to Council Directive 1999/70/EC of 28 June 1999 concerning the framework agreement on fixed-term work concluded by ETUC, UNICE and CEEP, must be interpreted as meaning that a Member State, which provides in its national legislation for conversion of fixed-term employment contracts into an employment contract of indefinite duration when the fixed-term employment contracts have reached a certain duration, is not obliged to require that the employment contract of indefinite duration reproduces in identical terms the principal clauses set out in the previous contract. However, in order not to undermine the practical effect of, or the objectives pursued by, Directive 1999/70, that Member State must ensure that the conversion of fixed-term employment contracts into an employment contract of indefinite duration is not accompanied by material amendments to the clauses of the previous contract in a way that is, overall, unfavourable to the person concerned when the subject-matter of that person’s tasks and the nature of his functions remain unchanged.

つまり、有期が転換した無期契約は従前の契約の主な条項をそのまま再現しなければならないわけではないけれども、指令の目的からして、労働者の任務や役割が変わらない場合は不利益とならないようにしなければならないということのようです。

いま法案要綱が審議会にかかっている有期契約にかかる労働契約法改正案と比べると、EUと日本の違いがよく窺われて興味深いところです。

EUではそもそも、有期は無期より不利益に取り扱われてはいけないのですが、有利であってはいけないとは書いてない。だから、有期が無期になって労働条件切り下げっての理屈の上ではもありなんですね。

逆に日本では、今回不合理な取り扱い禁止指定が初めて盛り込まれていますが、ふつうの感覚では有期の方が無期より労働条件が下なので、逆に有期から無期への転換の規定に、労働条件は同じよというのが入ると、ケシカランという声が出てきたりするわけです。

なんだか逆向きに似たような話がよく考えるとやっぱり似ていないような話ですね。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001z63l-att/2r9852000001z67j.pdf(労働契約法の一部を改正する法律案要綱)

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判例雑誌への実名掲載はプライバシー侵害じゃない!

私が常々奇妙に思えてならないのは、日本の判例雑誌では原告も被告もみんな名前が隠されていることです。法律の勉強用には、甲とか乙とかいうのはいいとして、素材の判例自体で当事者の名前を隠さなければならないというのは不思議で仕方がない。

憲法で裁判を受ける権利が保障されているということは、裏から言えば全国民の見えるところで正々堂々と権利義務を主張し合い、裁判所の判断を受けるということであって、それがいやなら非公開の手続きでやればいいのであって。

第32条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第82条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

私が参照するEUの裁判例も、ネット上に全文公開されていますが、当事者の名前は全て明らかにされ、そもそも判決の呼び名自体、なんとか対だれそれ事件と、当事者の名前で呼ばれています。そっちが当たり前で、こそこそ隠している日本の方がよっぽど異常だと思うのですがね。

労働法分野だけはちょっと違って、昔から当事者の企業名で呼ぶのが慣習だったためか、いまでも企業名で呼んでますけど。

セクハラとかの事案そのものが当事者のプライバシーを配慮しなければならないような性質のものは別として、堂々と全国民の前で権利を主張した以上、実名を公開されたといって文句を言うのは筋違いとしか思えない。

でも、なまじ実名を出すと、こういう裁判を起こされたりするとなると、やはり判例雑誌としてびびってしまって、名前を隠した方がいいと言うことになりそうです。

さいたま地裁の去る1月26日の判決。結論は上のタイトルのように「判例雑誌への実名掲載はプライバシー侵害じゃない」ということなんですが。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120308203014.pdf

本件は,原告が,被告の発行する雑誌に原告の実名入りの判決文が掲載されたことにより原告のプライバシーが侵害され,又は原告の名誉が毀損されたなどと主張して,被告に対し,主位的に,民法709条に基づき精神的損害の賠償を求め,予備的に,同法703条,704条に基づき不当利得の返還を求めている事案である。

本件におけるプライバシーは,原告が別件訴訟を提起した者であること,別件被告らが原告の元勤務先の会社であること,原告が一部敗訴の判決を受けたこと,その他別件各判決文に現れた全ての情報であるところ,裁判の公開の原則に照らせば,原告はいったん原告として訴訟を提起した以上,一定の限度でこれを他者に知られることは当然受忍すべきものといえるし,別件訴訟は知的財産に関する訴訟であって,経済的活動としての性質を有するものであり,私事性,秘匿性が低いといわざるを得ない。原告自身,ホームページ上で別件控訴審判決の判決文を実名とともに公開していることからも,その秘匿性は低かったといえる。

被告による本件各掲載行為の目的は,判決文を紹介することにより法曹界の学問的資料を提供することであって,公益性があり,また,掲載態様に関しても,原告の請求が認められた事例として別件各判決文をそのまま掲載したに過ぎないものであり,原告が別件訴訟を提起したことを暴露したり批判の対象とすることを目的としていないことは明らかである。本件各雑誌は法律専門誌であって,一般人が見る機会は新聞やインターネットに比べて低く,開示の相手方はある程度限定されているといえる。

なお,原告は,本件各掲載行為により嫌がらせ電話や,原告のホームページへの不正アクセス等がなされるようになったと主張するが,上記のとおり,原告はホームページに別件控訴審判決を掲載したり,原告の住所や電話番号も掲載したりしていること,一方,本件各雑誌には原告の住所や電話番号までは記載されていないことからすると,これらが本件各掲載行為が原因でなされたとは認め難い。また,原告は,本件各掲載行為により税務署の調査を受けるようになったと主張するが,別件訴訟により,原告が別件被告らに対し相当額の金員の支払請求権を有することが確定したのであって,このことから税務署が徴税の有無等を確認するため調査等を行うことは当然に予定されていることであり,税務署の調査が原告に対する不利益であるとはいえない。

ウ そうすると,本件において,被告が別件各判決文を本件各雑誌に掲載するに当たり,原告の氏名を実名で掲載する必要性はなく,仮名処理をすることも可能であったことを考慮しても,なお,プライバシーの性質と侵害態様とを総合的に考慮すれば,一般人を基準として私生活上の平穏を害するような態様で開示されたとは認められず,被告による本件各掲載行為に違法性はないというべきである。

こういう事案だけでなく、なぜか日本における「プライバシー」という概念の使われ方は、他国では到底通用しないような奇妙なことが結構ありそうな気がします。

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山形浩生訳『銃、病原菌、鉄』の日本に関する未訳増補章

1005最近文庫になったジャレド・ダイアモンドの『銃、病原菌、鉄』の2005年版原書には、日本に関する章が増補されていたそうです。それなのに、昨年の文庫版にはなんら反映されていないというのは、ずいぶん怠慢な話ですね。

こういうときにさっと翻訳してしまう山形浩氏の早業は賛嘆すべきでしょう。

http://cruel.org/diamond/whoarethejapanese.pdf

「禁無断転載、無断複製」なので、引用はしません。ある意味で知識人には常識的な叙述とも言えますが、興味深い記述も多々あり、一読を勧めます。

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ラスカルさんの拙著紹介

ラスカルさんが、「日本の雇用労働を考えるための必携書」を8冊ほど紹介しておられますが、その中に拙著も一冊含まれています。ただし、ある程度世間で読まれたかと思う『新しい労働社会』(岩波新書)でもなければ、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)のいずれでもなく、おそらくほとんど読まれていないであろうことが確実な旧著『労働法政策』(ミネルヴァ書房)が挙げられております。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20120309/1331312139

ラスカルさんの挙げる書籍を、コメントとともに並べると、

1.島田晴雄『労働経済学』

とても内容の濃い労働経済学の教科書。古いですが、政策論を語る上では、いまだ通用するのではないかと。

2.大森義明『労働経済学』

前書を新しい理論から補う上で。

3.野村正實『日本的雇用慣行 全体像構築の試み』

日本の雇用システムの形成過程、いわば「縦軸」からそれを理解するための本。

4.デービッド・マースデン『雇用システムの理論』

雇用システムの一般論とその国際比較、いわば「横軸」から日本の雇用システムを理解するための本。

5.濱口桂一郎『労働法政策』

日本の労働政策の形成過程を理解するための本。ただし、最初の章は異端説(たぶん)。

6.菅野和夫『雇用社会の法』

日本の雇用システムと労働法の関わりについて。

7.久米郁男『労働政治 戦後政治の中の労働組合』

日本の雇用システムの中の労働組合を、一般論を踏まえて位置づける。

8.厚生労働省編『平成18年版労働経済白書』

これらの本では十分補えない日本の非正規労働者の実情について。やや古い分析であるが、世間の見識は、ここを起点にしていままであまり変わっていない。

拙著に関して言いますと、これは2004年に東大の公共政策大学院が創られるときに、そこで『労働法政策』というタイトルの講義をすることになったので、そのために書いた教科書なのですが、いかんせんもう8年も前の本で、その後の労働法制や政策の動きも凄まじく、あまりにも古くなりすぎてしまったために、ここ数年は同大学院での授業でもテキストとしての指定は諦めて、その後の動きを大幅に書き加えたドキュメントファイルを配布しています。

ラスカルさんが「異端説」と評する最初の章だけはあまりにも異端の極みなので古びていないと思いますが(笑)、その後の各章は、正直申し上げていまの時点でお買い求めいただくにはちょっと情報が古くなってしまっておりますので、「必携書」とまで言っていただくのは大変嬉しいのですが、いささかどうかな、とも。

(追記)

http://twitter.com/#!/train_du_soir/status/178302276597846017

反応早すぎ(笑)。『労働法政策』はいまのところ類書なく、改訂を期待。

いや、公共政策大学院の受講者以外にほとんど購入者なく、版元には未だに在庫が積み上がっているので、当分改訂の期待は実現しないかと・・・。

(元に戻って)

あと、最後に挙げられている『労働経済白書』ですが、ここで挙げられている平成18年版は、石水喜夫さんの書いた白書の1冊目です。その後、昨年に至るまで6冊の石水白書が書かれていますので、どうせなら全部読んでしまいましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_e4d4.html(労働経済白書)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_e4d4.html(労働経済白書)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_13dc.html(3回目の石水白書)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-199e.html(平成21年版労働経済白書)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-bebf.html(やっと出た『労働経済白書』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/2011-49c0.html(労働経済白書2011)

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2012年は欧州活力ある高齢化と世代間連帯年

本日、高齢者雇用安定法改正案が閣議決定され、国会に送られました。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/dl/180-23.pdf

内容については既に本ブログをはじめあちこちで書いてきていますので、今回は省略します。わたくしの意見としては、転籍の範囲を資本関係で絞りすぎるのはいかがなものかと考えており、むしろ労使協定で広く認めた方がいいということですが、それもここでは論じません。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo120225.html(高齢者雇用に転籍や派遣の活用を)

例によって例の如く、ワカモノの味方と称して、ワカモノに高齢世代の世話をずっしりのしかからせるようなことを吹き上げている人々がいっぱいいるようですが、もちろん、高齢者にもっと働いてもらうというのが、今日世界の真っ当な人々の共通見解なので、その点だけは間違えないようにしたいものです。

というわけで、実は今年2012年はEUが定めたEuropean Year of Active Ageing and Solidarity between  Generations(欧州活力ある高齢化と世代間連帯年)なんですね。

http://europa.eu/ey2012/ey2012main.jsp?catId=971&langId=en

  • stay in the workforce and share their experience
  • keep playing an active role in society
  • live as healthy and fulfilling lives as possible.

労働力にとどまりその経験を共有する

社会で積極的な役割を維持する

できる限り健康で充実した生活を送る

EUで言う世代間の連帯とは、いうまでもなく、高齢者が働かずに下の世代の稼いだ資源の上で生きるのではなく、自ら社会の生産する側に回り社会を支えるということです。

(追記)

なお、高齢者雇用については、とりあえずわたしがNHK視点・論点でのべた

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-d59a.html(視点・論点「65歳雇用確保を考える」)

を参照のこと。

さらにきちんと考えたい方には、やや骨がありますがOECDのしっかりした報告書を読むことをおすすめします。

http://www.akashi.co.jp/book/b65312.html

2325_2世界の高齢化と雇用政策 エイジ・フレンドリーな政策による就業機会の拡大に向けて

OECD 編著 濱口 桂一郎 訳

高齢者の雇用問題は、世界的な課題となっている。本書は、OECD加盟各国の高齢者雇用の実態を詳査し、豊富なデータを多数のグラフ・表に明解に示し、使用者の態度と雇用慣行、労働者の就業能力、政策の実施など、さまざまな問題点と課題を提起する。         

「新自由主義」経済学の立場からの最近の解説としては、八代尚宏さんのこれなども熟読に値します。

http://www.advance-news.co.jp/interview/2011/10/post-78.html(高齢者雇用の成功が日本を救う)

超高齢社会に向かう日本にとって、高齢労働者の有効活用は重大なテーマだが、後押しする政策は遅々として進まない。国際基督教大学の八代尚宏客員教授は9月21日、アデコが開いたメディア記者懇談会で「日本の高齢者雇用の現状と未来」と題して講演、問題提起した。

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企業役員の10%「しか」女性じゃない・・・とOECDはいうけど

OECDのニュースルームに、「Gender: Only one in ten board members of top companies are women, finds OECD」(企業役員の10%しか女性じゃない)という記事が載っているんですが・・・

http://www.oecd.org/document/20/0,3746,en_21571361_44315115_49820628_1_1_1_1,00.html

Women are still under-represented in top corporate jobs, despite efforts in many countries to promote their participation on boards, according to new OECD data.

The OECD’s new Gender Browser reveals that women occupied only one in ten board seats in listed companies in OECD countries in 2009, the most recent year for which comparable data are available.

このページに載っているグラフは残念ながら日本が載っていませんので、そのジェンダー・ブラウザってのをクリックして出てくるグラフを下に貼り付けておきます。

Oecd
右の方に無回答の国もありますが、並んでいる中では日本はドイツに次いで女性役員の少ない国ということのようです。日本は3.9%、ドイツは3.5%。

一方多い方はノルウェーが38%、スウェーデンが19.3%、3位はフランスで18.1%。

これらを平均すると9.8%ということです。

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昭和を抜けたら昭和以上のもっとすごい昭和だった@J-CAST

「昭和」感覚を糾弾してやまない城繁幸氏のよく出るJ-CASTが、先日紹介した『POSSE』14号を取り上げているようです。さて、いかなる立場になっているかというと・・・

http://www.j-cast.com/kaisha/2012/03/08124859.html?p=2

かなり厳しい職場環境のようだが、入社1年程度で辞めた女性たちの話を冷ややかに読んだ人もいる。都内に勤務する27歳の男性会社員Dさんに、J-CAST編集部が感想を尋ねたところ、「この子たちは入る会社を間違えただけでは」という声が返ってきた。

「業績が相当いい大企業と分かって入ったんでしょう? 社内競争だって激しいのは当然ですよ。サービス残業やハラスメントは別ですけど、正直、競争に乗り切れなかった人たちのグチと感じる部分もありましたね」

   例えばBさんは、マナーやおじぎ、あいさつを厳しく指導する社内研修に対して、「『何で、発言者に椅子を向けて聞かないんだ』とか『退席するときに机のまわりを片付けなさい』とか、宗教みたい」と憤っている。しかしDさんの見方はこうだ。

「『人と接するのが好き』で『サービス面での評価の高さ』にひかれて入社したと言ってるけど、矛盾しますよね。そういうシビアな社風が、サービスの質の高さを支えてる。それを当たり前と思える人じゃないと将来の幹部候補なんて務まらないでしょ、バイトじゃないんだから」

   また、一般客も宿泊する施設で研修を行った際、お風呂に入ったあと自社製品を着るように指定されたことにCさんが「一番驚いた」といい、Bさんも「私もそれが一番衝撃的(笑)。引くよね普通に」と答えたことについても、Dさんはつれない反応だ。

「アパレル会社が業務の一環でやってる研修なんだから、当たり前だと思いますけどね。そんなことも理解できないから余計ストレスが溜まるんでしょう」

ふむふむ。「それを当たり前と思える人じゃないと将来の幹部候補なんて務まらないでしょ」「そんなことも理解できないから余計ストレスが溜まるんでしょう」。まあ、そういうもんだと思いますよ、それこそ「昭和」感覚からすれば。

そして、それは一概に悪いばかりではない、ということも繰り返してきたとおり。生涯の保障との引き替えであれば。しかし、この「Dさん」の感覚は、そこがも少しシバキ主義になっているようですね。

昭和を抜けたら昭和以上のもっとすごい昭和だった・・・とでもいうところでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/posse14-c8d1.html(日本を出たら日本以上のもっと凄い日本だった@『POSSE』14号)

『POSSE』の特集に対する感覚的批評としては、たぶん現在もっともあり得るタイプなのでしょう。

という風に、ちょっと突き放して読むことも必要ですよ。編集部諸氏。

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『DIO』269号から

Dioさて、本日届いた連合総研の機関誌『DIO』269号からいくつか。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio269.pdf

今号の特集は、「「 新たな豊かさ」を考える−「成長」か「脱成長」か」なんですが、実はわたくし正直言って、「脱成長論」にはいささか鼻につくところがあり、2つの脱成長派の議論の後に出てくる盛山和夫さんのお話の方がすっと胸に落ちるところがありました。

失われた20年とか成長が困難であるという現状の大きな要因に、経済学的な常識というものが影を落としています。私は成長が必要と考えていますが、高橋先生や中野先生が言われているように、新古典派的な経済の考え方が正しいとは思っていない。むしろ市場原理主義的に考えることについて疑問を持っております。逆にそういう市場原理主義的で新古典派的な考え方が、これまでの日本の経済運営を悪くしてきたという認識を持っております。例えば、そのひとつが民間企業の論理と政府の財政の論理を同一視して考えるということです。それが「ムダ」という言葉や、あるいは「生産性の向上」とか、「規制緩和すれば成長する」かのような考えと密接に結びついていると思います。・・・

ムダももちろんありますが、ずっと行われてきた縮小型あるいは抑制型の財政運営が、失われた20年の一つの大きな要因であり、それで悪循環に陥っている。悪循環としては、たとえば医療費を抑制し、それを個人レベルで対応させてきた。子育てや教育費も随分変わりました。我々が学生時代、国立大学は1年間でたかだか1万2,000円だった授業料が現在は50万円を超えています。教育費の負担というのが明らかになってくると子育てをめぐる人びとの意志決定に大きな影響を及ぼしてくる。こういう悪循環を放っておいたというのが大きな問題です。

 逆にみれば、それは債務問題をあまりにも過大に、あるいは過剰に言い過ぎることが一つの大きな要因であります。債務については、とにかく成長を一定程度確保するということが解決の第一条件で、そのためには短期的な債務の悪化はむしろ好ましい。成長の中で債務問題も解決できる。社会保障問題も長期的な展望が立てられる。そうすると、失業問題の解決にもプラスになりますし、若い人たちの年金に対する考え方や将来の社会に対する展望も明るくなります。

ある種の脱成長論的発想と、やたらに「ムダ」を言い立てる発想との間には、盛山さんが言うように何か隠微な通底するものがあるような気がします。

あと、連合総研の新規研究テーマが3つ載っていまして、そのうちに「日本の賃金-歴史と展望-に関する研究委員会」というのがありました。連合はじめ各単産の賃金担当者が委員になり、

賃金制度の歴史的な検証を行いながら、今後の方向を探る材料を提供することをめざす。また、産別や単組において疑問に思われていることや現在の賃金体系や賃金構造がどのような歴史的経過のなかで、つくりあげられてきたのかについて、可能な限り明らかにしてみたい。そのことを通じて、将来の労働を取り巻く分野において、活力ある職場と安定した生活を確保していくために必要なものについてのヒントを探すことが出来ればと考える

そうです。

ちなみに、オブザーバーに、大原社研の金子良事さんがいますね。

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最高裁の残業代判決

本日、最高裁が残業代事件で判決を下したようです。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120308144443.pdf

これはやや複雑な雇用契約の定めなのですが、

上告人と被上告人との間の雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)においては,上記のとおり基本給を月額41万円とした上で,1か月間の労働時間の合計(以下「月間総労働時間」という。)が180時間を超えた場合にはその超えた時間につき1時間当たり2560円を支払うが,月間総労働時間が140時間に満たない場合にはその満たない時間につき1時間当たり2920円を控除する旨の約定がされている。

これに対し、労働者は労働基準法に定める法定労働時間を超える部分についての割増賃金の支払いを求めた訴えです。

そりゃ、現行法規を前提とする限り当然じゃないかと思いますが、なぜか原審の東京高裁は、

上告人と被上告人は,本件雇用契約を締結するに当たり,月間総労働時間が140時間から180時間までの労働について月額41万円の基本給を支払う旨を約したものというべきであり,上告人は,本件雇用契約における給与の手取額が高額であることから,標準的な月間総労働時間が160時間であることを念頭に置きつつ,それを1か月に20時間上回っても時間外手当は支給されないが,1か月に20時間下回っても上記の基本給から控除されないという幅のある給与の定め方を受け入れ,その範囲の中で勤務時間を適宜調節することを選択したものということができる。これらによれば,本件雇用契約の条件は,それなりの合理性を有するものというべきであって,上告人の基本給には,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働に対する時間外手当が実質的に含まれているということができ,また,上告人の本件雇用契約に至る意思決定過程について検討しても,有利な給与設定であるという合理的な代償措置があることを認識した上で,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働に対する時間外手当の請求権をその自由意思により放棄したものとみることができる。

として、180時間以内の部分については請求を棄却したのですね。

実をいうと、わたくしは立法論としては、(物理的労働時間規制ではなく、お金の問題としての残業代の支払い義務としては)この考え方に反対ではありません。お金の支払い方は、最低賃金に抵触しない限り、過度に介入するのは本来おかしいと思っているからです。その点については、拙著『新しい労働社会』などで繰り返し主張してきたことです。とはいえ、現行法規を前提とした解釈論としては、残念ながらそういう議論をする余地はないといわざるを得ません。

というわけで、最高裁は当然ではありますが、これをひっくり返しました。

以上によれば,本件雇用契約の下において,上告人が時間外労働をした月につき,被上告人は,上告人に対し,月間180時間以内の労働時間中の時間外労働についても,本件雇用契約に基づく基本給とは別に,労働基準法37条1項の規定する割増賃金を支払う義務を負うものというべきである。

これも再三ですが、時間外労働問題がこういう風に残業代問題としてしか裁判所で争われ得ないということに、むしろ問題があるということも、上記拙著で繰り返しているところです。

さて、本判決には櫻井龍子裁判官の補足意見が付いています。旧労働省出身の裁判官が労働基準法についてつけた最高裁判決の補足意見というのも珍しいのではないかと思われますので、興味深い指摘の部分をちょっと見ておきましょう。

2 さらに,原審は,本件では手取額を大幅に増加させることとの均衡上変則的な労働時間が採用されるに至ったもので合理性を有するとして,個々の労働基準法の規定や同法全体の趣旨に実質的に反しない限りは私的自治の範囲内のものであるとしているが,契約社員としての月額41万円という基本給の額が,大幅に増額されたものである,あるいは格段に有利な給与設定であるとの評価は,原審の認定した事実関係によれば,派遣労働者である契約社員という立場を有する上告人の給与については妥当しないと思われる。確かに,41万円という額は,正規社員として雇用される場合の条件として被上告人から提示された基本給月額と単純に比較すれば,7万円余り高額ではあるものの,上告人は契約社員であるため正規社員と異なり,家族手当を始めとする諸手当,交通費,退職金は支給されず,毎年度の定期昇給も対象外であるなど,契約内容の全体としては,決して格段に有利な給与設定といえるほどのものとは思われない。さらに,本件の場合,数か月を限った有期雇用の契約社員であるから身分は不安定といわざるをえず,仕事の内容等も自由度や専門性が特別高く上告人の裁量の幅が大きいものとも思えず,原判決のいうように私的自治の範囲の雇用契約と断定できるケースとは大きな隔たりがあるように思われる。

3 労働基準法の定める労働時間の一日の最長限度等を超えて労働しても例外的に時間外手当の支給対象とならないような変則的な労働時間制が法律上認められているのは,現在のところ,変形労働時間制,フレックスタイム制,裁量労働制があるが,いずれも要件,手続等が法令により相当厳格に定められており,本件の契約形態がこれらに該当するといった事情はうかがわれない。

近年,雇用形態・就業形態の多様化あるいは産業経済の国際化等が進む中で,労働時間規制の多様化,柔軟化の要請が強くなってきていることは事実であるが,このような要請に対しては,長時間残業がいまだ多くの事業場で見られ,その健康に及ぼす影響が懸念されている現実や,いわゆるサービス残業,不払残業の問題への対処など,残業をめぐる種々の状況も踏まえ,今後立法政策として議論され,対応されていくべきものと思われる。

最後のパラグラフは、政策担当者であった櫻井裁判官の香りが若干漂っているようでもあります。

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「信念を持った愚直さ!」@草野忠義さんの遺文

Biz12030722370042p1_2昨日、連合総研の草野忠義理事長の訃報が流れましたが、その翌日の今日、連合総研の機関誌『DIO』の3月号が届きました。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio269.pdf

去る2月号までこれまでずっと草野理事長が巻頭言を書かれてきたのですが、今3月号では薦田所長になっています。巻頭言を書くことなく亡くなられたのですね。

そこで、前2月号に草野理事長が書かれた巻頭言を改めて読み直し、故人を偲ぶよすがとしたいと思います。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio268.pdf

巻頭言「信念を持った愚直さ!」

昨年末、それもかなり押し詰まって、野田首相が執念を燃やしている「社会保障と税の一体改革素案」がまとまった。いわば消費税率引き上げの方向が見えてきたわけである。これに対して、もちろんそれ以前からであるが、マスコミを含めて様々な論評が出されているし、国会の中でも野党のみならず与党の中からも異論が噴出しているように思われる。これらの議論に対する私見については先月号の新年のあいさつの中で多少触れてみたが、それでは私の思いが足りず、実は新年号のあいさつの補足として書きためていたもののごく一部をここで紹介したい。それは、「阻止するための、反対のための言い訳」ということである。

 1.社会保障と税の一体的改革をめぐり様々な議論が展開された。とくに消費税の引き上げについて、与野党を問わず一部の政治家(決して少なくない数である)や識者と言われている人たち、マスコミなどが口をそろえて言うことは「その前にやることがある」という言葉である。そこで言われるのは①公務員の人件費の削減、②国会議員の定数削減、③無駄な経費の削減と予算の見直し、④マニフェストの順守、などである。それらは正しい主張ではあるが、今、最もわが国にとって大事なことは何かということを忘れてはならない。それは言うまでもなく、社会保障の全体像を明示するとともに財政再建への道筋を明確に示し、国民の理解を得て協力してもらうことである。筆者も以前、出身企業の状況から数年間にわたって確か約7%の賃金カットを経験した。働く者としては言い分は多々あるが、まさに背に腹は代えられない危機的状況であった。そういう意味で、働く人たちの思いはわかるが、公務員の人件費は税金で賄われていることや我が国の財政の現状を考えれば、公務員の人件費の削減は直ちに実施しなければ国民の理解を得ることは難しいし、国会議員の定数削減も憲法違反の判決も含めて即時実現をはからなければならない。しかし、それが財政再建に大いに寄与するような物言いは間違っている。それほどの財源が出てくるわけがないことは明白であるにもかかわらず、マスコミもそのことには意識的にか、触れようとしない。予算の組み替えや無駄な経費の削減も不断の努力が必要なことは言うまでもないが、一連の「事業仕分け」などの結果、野党時代の民主党が主張していたほどのものは出てきていない。ただ、行政改革はいつの時代でも常に努力を継続していかなければならないことは当然のことである。また、マニフェストの順守については、巻頭言でも数回にわたって言及してきたように、政権に就いてみて当初のようにはいかないということがわかった以上、その背景を国民に説明して転換することを躊ちゅう躇ち ょすべきではない。以前の投票締め切りと同時に反故にされた「政権公約」に比べれば余程ましである。ここまで言えば明らかなように、先ほどの主張は「逃げ」であり「言い訳」であると言わざるをえない。そしてその背後にあるのは、選挙に負けないようにとの思いであろう。しかし、国民の多くは日本の現状をよく理解していると確信している。できれば負担増は避けたいが、それができる状況にないことを知っている。それは世論調査にもよく表れている。そのことを政治家は肝に銘ずべきであろう。また、この論理展開はTPPをめぐる議論でも見られることである。

 2.消費税に関して、まず経済成長を先行させるべきとの主張がある。これも正しい。しかし、過去を振り返ってみれば、失われた10年とか20年と言われるように、幾多の経済対策や膨大な国債発行にもかかわらず成果が見られただろうか。累積公債残高は積み上がる一方であった。経済成長が達成されるまで待っていたのでは、財政再建は到底おぼつかないのではないか。経済を早急に成長させるような魔法の杖はない。地道に雇用吸収力のある、先進的な技術を持つ産業の創造・育成、高齢化社会に対応したサービス業の健全な育成、生産性の向上などに集中的に取り組むとともに、臨機応変な経済対策を組み合わせていくことが肝要である。これまた同時進行で推進していかなければならないと考える。

 いまや待ったなしの状況に直面している。日本の英知を結集して取り組まなければならない。くだくだと議論している時ではない。

 折しも、野田改造内閣がスタートした。信念を持って愚直に邁進してもらいたい。

亡くなる直前まで、日本の現状を憂え、政府に「信念を持って愚直に邁進してもらいたい」と叱咤していた草野さんの思いに頭を垂れない方はいないでしょう。

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草野忠義元連合事務局長の訃報

Biz12030722370042p1なんだか最近は、宇佐見、芦田、鷲尾・・・と労働関係者の訃報ばかり書いている気もします。

今回は草野忠義さん。いうまでもなく自動車総連会長、連合事務局長を務め、その後は連合総研の理事長をされていました。わたくしは結構連合総研の研究会に出ることも多く、その際にお顔を合わせる機会も多くありました。

民主党政権になってからは行政刷新会議の委員も務められていましたが、同会議が奇妙な「仕分け」を連発していたときには、「労働関係者は労働政策の仕分けからは外されているんだよ」と残念そうな顔で言われていました。連合の支持を受けているはずの政権がああいう「仕分け」をしていた事情が分かりました。


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湯浅誠氏がさらに深めた保守と中庸の感覚

かつて、2年半近く前に本ブログで「湯浅誠氏が示す保守と中庸の感覚」というエントリを書いたことがありますが、今回内閣府参与を辞めるに当たって公開したかなり長めの文章は、湯浅誠氏がその保守と中庸の感覚をさらに見事なまでに洗練させたことを物語っているようです。

さきほど、ひさしぶりに「哲学の味方」さんがコメントを書き込まれ、そこで紹介していただいたので、エントリを立てて改めて紹介したいと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-7d76.html#comment-88893122

この記事を拝見している同じ日に、以下の記事をも読みました。湯浅誠さんが、内閣府参与を辞任するに当たって書かれたもので、こちらのキーワードは「日本型雇用」なんですよね。

http://yuasamakoto.blogspot.com/2012/03/blog-post_07.html(【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版))

はじめのところは経緯と政府への要望ですが、その後に「特に関心のある方のみ、お読みいただければと思います」と断りつつ、現時点の湯浅氏の認識をかなり包括的に書かれています。論点を追っていくと、それだけで大変膨大な分量になるので、政策的な論点はむしろあまり意識せず、活動家が政府部内でさまざまな経験を経ることでエラボレートしてきた「透徹した認識」のさまざまなサンプルという観点から引用していきたいと思います。

私は、解決すべき課題があるときに、それを誰かの責任にすることで自分は免責されるとする思考が嫌いです(たいていの場合、「誰か」にも自分にも、双方にそれぞれの責任があるものです)。それは真に課題を解決しようとする姿勢ではないと思う。私は基本的に民間団体の人間です。だから、民間の人たちは、行政の縦割りの弊害を指摘する以上に、自分たちの縦割りの問題に敏感であるべきと思います。それは、行政の縦割りの弊害を免責することを意味しません。その意味で、縦割りの弊害打破は、行政とともに民間の課題です。そしてどちらが先にその弊害を打破できるか、競争のようなものだと感じています。

先ほど、財源の問題に触れました。端的に言って、私は税の問題をもっと簡単に考えていました。「なんとかしようとすれば、なんとかなるはずの課題」と。参与としての2年間は、それが「なんともならない」ことを知った2年間でもありました。その点で「なんとかなる」と言って政権を取り、そうはならなかった民主党と同じです。

 予算は、きわめて厳しい状態にありました。最初にぶつかったのが「ペイ・アズ・ユー・ゴー原則」と言われたもので、新規の予算要求をしようと思ったら、その予算要求をする省庁が、その金額を自分たちが所管する予算のどれかを削って捻出しないといけない、という原則です。

それに加えて、政策経費の毎年10%カットという原則もありました。・・・

したがって、ただでさえ毎年10%ずつカットされている中で何か新しいことを始めようとすると、さらに他から政策的経費を奪ってこないといけないことになります。奪われる側からすれば「10%+新規予算要求分の予算」が減らされることになり、当然打撃が大きいため、抵抗は大きくなります。

 私が関わっている分野は、先ほど言ったように日本型雇用、日本型福祉社会の「想定外」の部分であり、これまでは何もなかったに等しい分野です。問題そのものが新しく、かつこれまで手をつけてこられなかった課題のため、基本的に新規予算で対応する他ないのですが、何かしようとすると、必ず既存分野との予算の競合関係が生じます。自分の関心のある分野しか見ていなかったときは「こういう分野にちゃんとお金がつけられていない」と「意識」や「やる気」の問題にしていましたが、たとえやる気があっても、税と財政の規模が確保できず、義務的経費が政策的経費を圧迫し続ける状況下では、十分な予算措置を講じる余地がそもそもないことを思い知りました。

政府の中に無駄なお金が大量にある、と思っている人は今でもたくさんいます。実際、政府の予算はいくらでも削ることができます。公的業務をより安い価格で運営してくれる民間団体・企業にアウトソーシングすれば、差額は浮きます。また、医療や介護、教育の公費投入分を減らして私費負担割合を増やせば、支出を削減できます。さらには、国の役割を外交や安全保障に狭く限定し、公共事業や社会保障を地方自治体に引き渡せば、国の支出は大幅に削減できるでしょう。これらはすべて、国から他のところ(民間団体・企業、地方自治体)にアウトソーシング&ダウンサイジング(たとえば、一括交付金としてパッケージ化する代わりに総額を抑制する)する手法です。小泉政権下で行われたように、これを強引かつ強力に推し進めていけば、国の支出はさらに縮小し、財政状況は一見好転するでしょう。難しいことではありません。

しかし、それはいったい何のためなのでしょうか。税と財政の機能が弱くなった分は、家計(私費負担)でカバーしなければなりません。・・・

混合診療の全面解禁については、アメリカの民間保険会社などが長らく主張しており、日本の財界もそれに呼応しています。国会議員の中にも、それを主張する人は少なくありません。よって「その連中が悪い」と言われることがありますが、だとしたら「そうならないように、医療費の負担と給付を増やそう」と主張しないと、筋が通りません。混合診療全面解禁は反対だが、医療費負担も反対というのでは、現実は私費負担割合が増えていく方向に進まざるを得ません。両方に反対していれば病気になる人が減る、というのでないかぎり、実際にかかる経費は変わらないからです。

そのため、混合診療全面解禁も反対だが、医療費負担増も反対だというとき、人々の矛先は「どこか(自分ではない)他のところにお金があるはずだ」というところに向かいます。それが企業だったり(法人税)、富裕層だったり(所得税・資産課税)、消費税だったり、政府(特別会計など)だったり、主張する人の意向によって矛先はまちまちです。現在のところ、多くの人たちが合致できる最大公約数が「政府に隠れたムダ金があるはずだ」という点にありますから、「まずは政府が身を削れ」という行革路線が強くなり、それを主張する分には、国会議員もマスコミも、あまり批判にさらされず安心、という状態になっています。

私は公務員を無批判に擁護しようというのではありません。不満はないのかと言われれば、不満はあります。私が擁護したいのは社会です。社会を擁護したいという視点から現在の状況を見ると、公共サービスを設計・運営するのが公務員という当たり前のことが忘れられて、公務員批判が自己目的化しているような危機感を抱きます。何らかの目的を擁護するための手段にすぎなかった批判が、そもそもの目的を見失って自己目的化するとき、それをバッシングと呼びます。その意味で、現在の状況は「公務員バッシング」だと感じています。そしてそれが擁護すべき社会を強化する行為であるかといえば、私は懐疑的です。私は公務員を盲目的に擁護はしませんが、盲目的な公務員批判には反対です。それは結局、公共サービスを劣化させてしまうからです。

こう言うと、すぐに「じゃあ社会主義的な大きな政府にするのか」と目くじらを立てる人がいます。第一に、日本よりも社会保障給付費のGDP比の高いヨーロッパ諸国は、すべて資本主義諸国です。この批判はあまりにも低劣です。第二に、はるかに高齢化率の低いアメリカと同程度の社会保障支出しかない現状を改善しようということと、北欧諸国のような大きな政府にしようということとの間には、大きな開きがあります。前者は、いわば「せめて小さな政府に」と言っているにすぎず、「大きな政府」とは雲泥の差があります。私は、日本社会の歴史と現状から考えて、私や他の誰かが何を言おうと、実際問題として日本が北欧並みの「大きな政府」になることなどないだろうと思っています。私が言っていることは、はるかにずっと控えめです。医者が過労で倒れ、介護ヘルパーは低賃金でどんどん辞め、低年金・無年金で生活できない人が増え、非正規が増えているにもかかわらず、まともなセーフティネットが生活保護以外になく、本人や家族が課題を抱え込んで煮詰まり疲弊して残念な事件が頻発し、自殺も減らず、社会に閉塞感が蔓延している現状を少しでも変えるために、せめて小さな政府になるくらいの税と財政規模を確保しませんか、と言っているにすぎません(もちろん、この控えめな主張に対しても反対する人がたくさんいるのは重々承知しています)。

しかし、居酒屋やブログで不満や批判をぶちまける人、デモや集会を行う人たちの中には、それが奏功しなかった場合の結果責任の自覚がない人(調整当事者としての自覚がない人、主権者としての自覚がない人)がいます。それらの行為がよりよい結果をもたらさなかったのは、聞き入れなかった政府が悪いからだ、で済ましてしまう人です。その人が忘れているのは、1億2千万人の人口の中には、自分と反対の意見を持っている人もいて、政府はその人の税金も使っている、という単純な事実です。相互に対立する意見の両方を100%聞き入れることは、政府でなくても、誰でもできません。しかしどちらも主権者である以上、結局どちらの意見をどれくらい容れるかは、両者の力関係で決まります。世の中には多様な意見がありますから、それは結局「政治的・社会的力関係総体」で決まることになります。だから、自分たちの意見をより政治的・社会的力関係総体に浸透させることに成功したほうが、同じ玉虫色の結論であっても、より自分たちの意見に近い結論を導き出すことができます。

 しかし、聞き入れなかった政府が悪いからだ、で済ましてしまうと、自分たちの意見をより政治的・社会的力関係総体に浸透させるために不足しているものは何か、どうして自分たちの意見は十分に広がらないのか、どんな工夫が足りないのか、という問題意識が出てきません。それは社会運動にとって、とても残念なことだと私は思っています(それは、よくある「独善的」との批判に根拠を与えてしまいます)。そして、政治的シニシズムが「強いリーダーシップ」によって政治的に活性化された現在、社会運動はますますそのことを強く意識する必要があるのではないか、というのが私の趣旨でした。だから、「政府の外でやってないで、政府内部の調整過程にコミットしよう」などという話ではありません。そもそも、もしそうだとしたら、社会運動を見切っているわけで、「社会運動の立ち位置」などという文章を書く動機が私自身に存在しません。

私の推測が間違っているかもしれませんが、今の社会に欠けているのは、少なからぬ人たちがそのように振舞って、それぞれができる範囲で、政治的・社会的力関係総体への働きかけを行っているという信頼感ではないか、と感じています。私がこの2年間で発見したのは、官僚の中にも、私と同じような方向性を目指しながら働きかけを行っている人たちがたくさんいる、ということでした。その人たちはテレビや新聞で原則論をぶったりはしません。錯綜する利害関係の中で説明・説得・調整・妥協を繰り返しています。決定権をもたない組織の一員として、言いたいことを声高に言うことなく、しかし結論が「言いたいこと」になるべく近づくように奮闘しています。ところが、外側の私たちは、そうした内部の奮闘の結果として最後に出てきた結論が情報に接する最初になるので、そこから評価が始まり、交渉が始まります。批判の矛先が奮闘した当の本人に向くこともしばしばです。Aという担当者がいて、ある事柄をなんとかしたいと発案し、提起する。課内から局、局から省、省から政府と持ち上がる過程でさまざまな修正が入り、結論としての政策が出来上がる。しかし、もともと同じ方向性の主張を掲げていた人たちが、その結論を原則的な立場から頭ごなしに批判し、説明者でもある担当者をなじる。この過程が何度となく繰り返されていけば、少なくとも私だったらだんだんと気持ちが萎えていきます。

原則的な立場は大事です。問題は、原則的なことを言っていれば原則的なことが実現するわけではない、という点にあります。「ぶれずにある立場を堅持していれば、いずれ理解される」と言って、30年40年と同じことを言い続けている人がいます。しかし、言い続けてきた30年分40年分、世の中が言っていることに近づいてきているかというと、必ずしもそうでないという場合があります。世の中には、反対の立場から30年40年原則的なことを言い続けている人もいるからです。その際の問題点は「原則的な立場を堅持するかどうか」ではなく、「原則的な立場に現実を少しでも近づけるための、言い方ややり方の工夫をする必要がある」という点にあります。工夫が足りないことの結果として自分の見解が広く理解されなかったことの結果責任の自覚なく、「聞き入れないあいつらがわかってない」と言っているだけでは、さらに多くの人たちから相手にされなくなっていくだけで、その逆にはならないでしょう。

 あたりまえのことしか言っていないと思うのですが、実際にはそのあたりまえが通用しない局面があります。現実的な工夫よりは、より原則的に、より非妥協的に、より威勢よく、より先鋭的に、より思い切った主張が、社会運動内部でも世間一般でも喝采を集めることがあります。そうなると、政治的・社会的力関係総体への地道な働きかけは、見えにくく、複雑でわかりにくいという理由から批判の対象とされます。見えにくく、複雑でわかりにくいのは、世の利害関係が多様で複雑だからなのであって、単純なものを複雑に見せているわけではなく、複雑だから複雑にしか処理できないにすぎないのですが、そのことに対する社会の想像力が低下していっているのではないかと感じます

 テレビや新聞の断片的な情報と、それを受け取った際の印象で自分の判断を形成し、それがきわめて不十分な情報だけに依拠したとりあえずの判断でしかないという自覚がなく、各種の専門家の意見に謙虚に耳を傾けることもなく、自分と異なる意見に対して攻撃的に反応する。ツイッターでもブログでも、テレビのコメンテーターから中央・地方の政治家から、そして社会運動の中にも、このような態度が蔓延しており、信頼感と共感は社会化されず、不信感ばかりが急速に社会化される状態、他者をこきおろす者が、それが強ければ強いほど高く評価されるような状態、より過激なバッシングへの競争状態です

容易に転換しそうにないこの風潮をどうすれば変えることができるのか、私にはまだよくわかりません。ただ少なくとも、このような局面で社会運動が採るべき方向性は、バッシング競争で負けないためにより気の利いたワンフレーズを探すことではなく、許容量を広く取って理解と共感を広げていくために、相手に反応して自分を変化させ続けていくこと、政治的・社会的な調整と交渉に主体的にコミットすること、そして自分という存在の社会性により磨きをかけていくことではないかと思います。それが、私の考える「社会運動の立ち位置」です。

わたくしがこれらの言葉の中に聞くのは、「他者をこきおろす者が、それが強ければ強いほど高く評価されるような状態、より過激なバッシングへの競争状態」が猛威を振るう現代において、ほとんど得難いほどの透徹した「保守と中庸の感覚」の精髄です。

なにゆえに、保守と中庸の感覚が期待されるはずの人々にもっともそれらが欠落し、かつてまでの常識ではそれらがもっとも期待されないような「左翼活動家」にそれらがかくも横溢しているのか、その逆説にこそ、現代日本の鍵があるのでしょう。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-9f6e.html(湯浅誠氏が示す保守と中庸の感覚)

世間的には、湯浅誠氏と言えば、左翼の活動家というイメージで、城繁幸氏と言えば、大企業人事部出身の人事コンサルで、保守的とお考えかも知れませんが、そういう表面的なレベルではなく、人間性のレベルで見ると、なかなか面白い対比が浮かび上がってきます。

・・・わたしが興味を惹かれたのは、「活動家一丁上がり」などと言っている左翼活動家の湯浅氏がフェビアン的であり、企業の人事部に対して現実的なコンサルやアドバイスをしている(はずの)城氏がレーニン的であるという、対比の妙が面白かったからです。

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歪んだ日本型フレクシキュリティ

3年近く前のエントリにコメントが付いたと思ったら、大田弘子さんがこういうことを言っていたのですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-695c.html#comment-88888267

http://www.asahi.com/business/news/reuters/RTR201203070060.html

<北欧の雇用戦略に学べ>

 もうひとつ、日本の雇用システムについて正面から議論する時期が来ているのではないか。

 日本は小さなことでもなかなか変えられないと先ほど述べた。その理由は既得権だけではなく、私たち国民の側にも変わることへの不安があるのだと思う。変わることへの不安をもたらしている最大の要因は働き方の硬直性ではないか。

 日本では、一度退職すると容易に次の職が見つけられないし、転職すると税制や企業年金も不利になる。こういう状況では、現状にしがみつこうとするのは無理からぬことだ。グローバル化のもとでは、成長分野にシフトしないと雇用機会が増えないが、今の日本の状況はその流れに反している。

 例えば、グローバル化を全面的に受け入れて成長しようとしている北欧諸国は、フレキシビリティとセキュリティを合わせた「フレキシキュリティ」とよばれる労働市場を構築した。柔軟な労働市場と、失業の際の安全網の両立だ。国際競争力を失った企業は一切守らないが、失職した労働者は次の職に移れるようさまざまなかたちで守られる。多種多様なタイプの職業訓練が用意されており、転職は新しい技術を身につけるチャンスでもある。

 日本型雇用システムは持続できなくなっているが、では、その後に日本はどんな雇用システムをめざすのか。むろん、北欧諸国と同じモデルを採用する必要はないが、我が国の労働市場におけるフレキシビリティとセキュリティのあり方を労使で正面から議論する時期が来ている。雇用は生活の根幹だけに議論を起こすこと自体難しいが、硬直的な雇用システムを変えないと、企業も社員も国際競争に取り残される。また、正規と非正規の壁を低くすることもできないだろう。

ここ数年はやりのフレクシキュリティ論を、現実のねじれやらアイロニーやらを抜きに北欧の議論の字面だけを平板に語れば、たぶんこういうことになるのだと思います。

しかし、いま現在の日本で語るのであれば、ある意味でかつてこういう「国際競争に取り残される」という問題意識に近いところから主張された議論が、結果的に正社員型の限界まで働ける労働のフレクシビリティも、非正規労働者の流動的な雇用のフレクシビリティもそれぞれに強化し、かえって両者の壁を分厚くする方向に働いてしまったというアイロニーにも敏感である必要があるのでしょう。

日本型雇用システムにおける中核的要素が、雇用の安定と引き替えに課せられた極めて高度の労働のフレクシビリティであるという認識を抜きにした議論は、大事な部分が抜け落ちる傾向にあります。北欧にはそういう要素が希薄であるために、北欧の議論を字面だけで語ると、どうしてもこういう風になりがちなのですが。

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CIETTパネルディスカッション

ということで、本日CIETT(国際派遣事業団体連合)の地域ワークショップとして開催されたパネルディスカッションに一パネリストとして参加して参りました。

わたくし以外には、ファシリテーターの八代尚宏さんをはじめ、経済産業研究所の(今度慶應に行かれる)鶴光太郎さん、連合総研の龍井葉二さん、経団連の松井博志さん、Euro-CIETTのアンネマリー・ムンツさん、そして人材派遣協会の坂本仁司さんです。

ファシリテーターの八代尚宏さんの厳しくも見事な手際により、パネリストはいずれも定められた時間にぴたり収まるように発言し、見事なパネルディスカッションとなりました。

その概要はそのうちに公開されるとのことです。その節にはまたこのブログで紹介させていただきたいと思います。

なお、民主党の石橋みちひろ議員がご自分のブログで、このパネルディスカッションについて書かれています。

http://blog.goo.ne.jp/i484jp/e/5162f764debbcc91f813b3f7a13a987d?fm=rss

とりわけ、わたくしが強調した点に、石橋さんも共感していただいています。

私が特に大事だと思ったのは、「派遣労働者の声をいかにくみ取り、反映させるか」という点。つまり、これまでの(そして今の)派遣業界に欠けているのは、労使の間での真摯な対話(social dialogue)に基づくパートナーシップ(social partnership)であって、派遣業界(つまり派遣事業者)はより積極的に、そのようなパートナーシップの建設に注力すべきだという考えです。

いたく同意・・・。

中でも、濱口さんが「事業者側が率先して従業員代表制のような制度づくりに取り組んでもいいのではないか」と言われていましたが、実は私も同意見。これは派遣業界に限ったことではないのですが、使用者側もいい加減、健全な労使関係制度に基づく労働条件・環境づくりの利点を理解し、その制度づくりに積極的になってもいいのではないかと思っています。派遣業界は、その先例になり得るのではないかということですね。

なお、派遣法改正案をめぐる政治状況についても、こう書かれています。

ちなみに、懸案となっていた労働者派遣法改正案ですが、ようやく明日、衆議院厚生労働委員会で審議入りとなりそうです。早々に採決もありかな? そして衆議院を通過すれば、いよいよ参議院の厚生労働委員会に回ってきます。参議院ではまだ審議をしていませんので、ある程度時間をとって審議することになるはず。質問が回ってきたら、ぜひ今日の議論なども参考にしながら、建設的な質疑をしてみたいと思っています。

Ciettちなみに、本日邦訳版が配られた「Adapting to Change」の原書版は、CIETTのHPに全文がアップされていますので、ご関心のある方はどうぞ。

http://www.ciett.org/fileadmin/templates/ciett/docs/Stats/Adapting_to_Change/CIETT_Adapting_to_Change.pdf

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純粋に読み物としても面白い

112483アマゾンカスタマーレビューで、拙著『日本の雇用と労働法』の7つめの書評。7つめも星五つをいただきました。「kawasemi」さんの「純粋に読み物としても面白い」という評です。

http://www.amazon.co.jp/review/R1UYU4VJB0HLW/ref=cm_cr_dp_perm?ie=UTF8&ASIN=4532112486&nodeID=465392&tag=&linkCode=

本書は大学の講義用のテキストとして執筆されたということで、労働問題(及び労働法)の大部分について網羅的に言及されている。なのでそういう意味では非常に教科書的ではあるが、ただ著者がその方面に対して(実務経験も含めて?)非常に強固なバックグラウンドを有しているせいか、この手の本には珍しく読者をぐいぐい引っ張って読ませる本だ。

本書を読んだ多くの読者に強烈に印象を残しただろう主張は、とにかく日本における労働契約の本質は(特に規模の大きい企業になるほど)メンバーシップ型のそれであるというものである。メンバーシップ型の一つの特徴として、労働契約は(欧米とは異なり)職務の定めのないものであるというのが挙げられる。つまり大雑把に言えば「仕事がなくなってもそう簡単にクビにはしないから、定年までしっかり会社が面倒見るつもりだから、仕事の内容とかそういうものについては基本的には会社の言うことに従ってね」というものだ。僕はこれはわりかし普通のことだと思っていたのだが、これはどうも日本の労働における大きな特徴の一つであるらしい(このメンバーシップという概念は、日本社会の特徴をとらえた言葉として出てくることのある「村社会」「均質」「平等」なんかとも非常に共通点の多い概念であると思う。とにかく「みんな仲良くやろーぜ!」である。僕も嫌いではない)。著者はこのメンバーシップという用語を一つの軸として様々な事象、法解釈なども説明しているため、こちらとしても非常に理解がしやすかった。

また元々欧米(独?)に倣って作られたジョブ型の雇用契約の原則が、(司法が)信義則や種々の法理といった法の一般原則を駆使することで、メンバーシップ型雇用契約の原則に軌道修正されて行く過程(「司法による事実上の立法」)は、純粋に読み物としても面白い。

知識や経験が足らず、まだ理解の追いつかない箇所がいくつもあるが、それも踏まえて何度も読み返すだけの価値がある本なのは間違いないと感じた。

「この手の本には珍しく読者をぐいぐい引っ張って読ませる本」という評語は、まことにわたくしにとっては嬉しい限りです。

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それがつまり純粋なジョブ型ってこと

冷泉彰彦さんという方が、ニューズウィーク日本版のブログに「アメリカの外食産業に過労死がない理由とは?」という記事を書かれています。

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/03/post-407.php

いろいろと書かれていますが、要約すると・・・

(1)役割分担がハッキリしています。・・・

(2)職務内容は契約書で明確になっています。・・・

(3)もっと言えば、人の仕事はやってはいけないのです。・・・

(4)決して給与は高くありません。

(5)本部の経営層やマーケティング専門職、商品開発専門職は管理職扱いで給与も高いですが、・・・フルタイム雇用者が管理職候補で将来の出世を人質にムリな働き方を強制されるということは絶無です。

(6)店全体の管理責任と業績の責任を負うのは店長です。ですが、・・・「ゲームのルール」さえ守っていれば、・・・終身雇用と将来の出世を人質に、ネチネチとエリアマネージャーに管理されるということはありません。

(8)サービスのレベル一般は低いです。・・・

(9)労働法規のコンプライアンスに関しては、・・・実際に労働法規違反が顕著であれば、多くの労働者は弁護士を雇って訴訟に持ち込みます。

もちろん、ジョブ型にはジョブ型の良さもあれば悪さもあり、メンバーシップ型にはメンバーシップ型の良さもあれば悪さもあるわけですが、良きメンバーシップ型の安心感を与えないまま、使用者側にとって都合のいいところだけをいいとこ取りして、メンバーシップ型の緊張感だけを要求して、ジョブ型の気楽さを許さないというところに、近年のブラック企業のブラックさがあるというのが、この間申し上げてきているところで、この冷泉さんの記事は、それをちょうど裏側から書いているということになりましょうか。

(追記)

楠さんのさりげないコメント:

http://twitter.com/#!/masanork/status/176755036641165313

これはこれで露骨な身分社会なんだよね

まさにそのとおり。

というか、しゃかりきに頑張る約束のエリートとそれほど頑張らない(やることだけはちゃんとやる)約束のノンエリートが分かれているということ。

戦後日本は、ある意味で世界に冠たる「みんながエリート」社会をつくったわけです。生涯の安心感とみんながしゃかりき労働の交換によるそれなりに安定した社会を。

それを「みんながダラカン」の護送船団だからけしからんと批判して出てきた「ベンチャー」な人々が作り上げたのは、なぜか「みんながベンチャー」という看板の下で、安心感なき恐怖政治の下でやはりみんながしゃかりき労働というまことにインバランスな仕組みだったというオチ。

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パネルディスカッション「日本の労働市場の変化と人材派遣業界の役割」

リマインドです。明日、パネルディスカッション「日本の労働市場の変化と人材派遣業界の役割」が開かれます。

http://www.jassa.jp/ciett/ws/

2012年3月6日(火) 13:30~16:45(開場13:00)

東京国際フォーラム B7ホール

千代田区丸の内3-5-1

13:30 開 演

◇来賓挨拶
 フレッド・ファン・ハーステレン
  (国際派遣業界団体連合(Ciett) 会長) 他

14:00 基調講演 「Adapting to change」

◇プレゼンテーター
 デニス・ペネル
  (国際派遣業界団体連合(Ciett) 専務理事)

15:00 パネルディスカッション

「日本の労働市場の変化と人材派遣業界の役割」

◇ファシリテーター
 八代 尚宏
  (国際基督教大学 教養学部客員教授)

◇パネリスト
 鶴 光太郎
  (独立行政法人経済産業研究所 上席研究員)
 濱口 桂一郎
  (独立行政法人労働政策研究・研修機構 統括研究員)
 龍井 葉二
  (公益財団法人連合総合生活開発研究所 副所長)
 松井 博志
  (社団法人日本経済団体連合会 国際協力本部副本部長)
 アンネマリー・ムンツ
  (欧州国際派遣業界団体連合(Euro-Ciett) 会長)
 坂本 仁司
  (社団法人日本人材派遣協会 会長)

16:45 閉 会

先日のお知らせの時点では、

残念ながら、労働者側の代表は出席しないようですね。CIETTの主張からしても、ソーシャル・パートナーシップは重要な基軸のはずで、このパネリストの分布はやや不満が残ります。
と述べていましたが、その後連合総研の龍井さんがパネリストとして出席されることになったようです。

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日仏会館シンポジウムのお知らせ

Labourmarketposterflyerrecto_02 3月23,24日の両日にわたって、日仏会館で「Dimensions of the Labour Market Dynamics: France-Japan Comparison」(労働市場ダイナミクスの次元:日仏比較)というシンポジウムが開かれるそうです。

http://www.mfj.gr.jp/agenda/2012/03/23/index_ja.php

•March 23: 9:00–18:00
•March 24: 9:00–13:00

•Speakers:
◦AOKI Hiroyuki (Kochi Junior College)
◦Arnaud DUPRAY (CEREQ-Ministry of labour and health)
◦Emilie LANCIANO (Coactics-Lyon Univ.)
◦Caroline LANCIANO-MORANDAT (LEST-CNRS)
◦MAEURA Hodaka (Japan Institute for Labour Policy and Training)
◦David MARSDEN (Londo school of economics)
◦NAKAMICHI Asako (Univ. Waseda)
◦NITTA Michio (Kokushikan Univ.)
◦NOHARA Hiroatsu (LEST-CNRS)
◦Pierre ROLLE (LADYSS-CNRS)
◦SHINOZAKI Takehisa (Waseda Univ.)
◦SHUTO Wakana (Rikkyo Univ.)
◦SUZUKI Hiromasa (Waseda Univ.)
•Contact: hiroatsu.nohara@univmed.fr
•Organized by LEST, Institute of Social Science – The University of Tokyo, Bureau français de la MFJ.

JILPTの前浦穂高さんが出ます。

もう少し詳しい各スピーカーの演題は次のようです。

9:00 Welcome
9:15 David Marsden (London School of Economics)
On the theories of institutional changes
10:00 Pierre Rolle (LADYSS-CNRS)
Labour market, the concealed topic of national economic policies:
What brings the comparison?
10:45 Suzuki Hiromasa (Waseda University)
Industrial relations: France-Japan compared
11:30 Nitta Michio (Kokushikan University)
Nohara Hiroatsu
(LEST-CNRS & Aix-Marseille University)
Employment trajectories in the two decades
since 1990 in France and Japan
14:00 Emilie Lanciano (Coactis-Lyon University)
Nitta Michio (Kokushikan University)
The embeddedness of employment practices:
How do two steel plants in France
and in Japan proceed to downsizing?
14:45 Aoki Hiroyuki (Kochi Junior College)
Subcontracting system in the Japanese steel industry
15:30 Caroline Lanciano-Morandat
(LEST-CNRS & Aix-Marseille University)
Nohara Hiroatsu
(LEST-CNRS & Aix-Marseille University)
Societal production and careers of doctors (PhDs) in chemistry and biochemistry
in France and Japan
16:15 Nohara Hiroatsu
(LEST-CNRS & Aix-Marseille University)
Nitta Michio (Kokushikan University)
Maeura Hodaka
(Japan Institute for Labour Policy and Training)
Call centre workers in comparative perspective
17:00 Sh uto Wakana (Rikkyo University)
Emilie Lanciano (Coactis-Lyon University)
How firms manage age?
A comparison between France and Japan
in two firms of electric sector

9:00 Nohara Hiroatsu
(LEST-CNRS & Aix-Marseille University)
Societal convention, Wage convention,
Family convention
9:45 Arnaud Dupray (CEREQ)
Female labour supply and time distribution
in the household: Comparison France-Japan
10:15 Sh inozaki Takehisa (Waseda University)
Senior workers in comparative perspective
10:45 Nakamichi Asako (Waseda University)
Temps workers in France and Japan
11:30 Emilie Lanciano (Coactis-Lyon University)
Caroline Lanciano-Morandat
(LEST-CNRS & Aix-Marseille University)
Nohara Hiroatsu
(LEST-CNRS & Aix-Marseille University)
Societal Dynamics of Labour Market:
Contribution of the comparison France-Japan
12:00 David Marsden (London School of Economics)
Pierre Rolle (LADYSS-CNRS)
Conclusive Remarks
12:25 General Discussion

前浦さんは、野原さん、仁田さんとともに、コールセンター労働者について報告されるようですね。

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日本を出たら日本以上のもっと凄い日本だった@『POSSE』14号

Hyoshi14 『POSSE』14号をお送りいただきました。いろいろ盛りだくさんですが、特集は「間違いだらけ?職場うつ対策の罠」です。

http://npoposse.jp/magazine/no14.html

特集は「間違いだらけ?職場うつ対策の罠」です。現在、職場環境を原因としたメンタルヘルス問題が増加し、それを生み出すパワーハラスメントも含め、職場うつ対策をめぐる議論が活発です。
一方で職場うつを若者の自己責任とする意見も根強く、安易なうつ対策がさらに若者を追い詰めるケースも少なくありません。
そこで今回の特集では、職場うつを生む日本の職場の分析と、労働者側に立った対策を考えます。
まずは大手衣料量販店・X社を取り上げます。
従来の日本型人事制度から「決別」したX社では、精神疾患を患い、離職する若手社員が後を絶ちません。
この会社を辞めた若者たちの座談会をもとに、変貌する人事制度の構造に迫ります。
さらに、職場うつを生み出すパワーハラスメントへの実践的な対処法を、労働相談と労働法研究、産業医研究の最前線から検証します。

というわけで、「就活生には「超」がつくほどの大人気企業」の「大手衣料量販店・X社」の元社員3人に、木下武男、今野晴貴両氏がインタビューしている座談会が今号の一押し記事でしょう。

X社の職場うつ①
「座談会 元社員が語る「エリート企業」の労務管理」
X社の元社員

半年で店長になれ? 精神面を鍛える研修、
膨大なテスト勉強、長時間労働、うつ病の続出……

で、この後に今野、木下両氏によるこのX社の解説が続くのですが、おそらく「日本的経営のシステムから決別したX社は、どのように「新たな会社人間」をつくりだしているのか」という副題がこのグローバルを標榜する「脱日本的」な「極めて日本的」企業を良く描写しているのでしょう。

そういえば、阿部真大さんと常見陽平さんの対談で、

いわゆる「ここではないどこか」本ですよね。大前研一さんやファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井社長も「日本を出よ」とか「ここを抜け出せ」というわけです。でも・・・

と言ってましたけど、日本を出たら日本以上のもっと凄い日本だったというのも、なかなかシュールなSFかも知れません。

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OECD『PISAから見る、できる国・頑張る国2 未来志向の教育を目指す:日本』

100106 昨日ビデオクリップを紹介したOECD『PISAから見る、できる国・頑張る国2 未来志向の教育を目指す:日本』ですが、その中身をいくつかピックアップしておきたいと思います。

第2章の「PISAというプリズムを通してみる日本の教育」です。それこそテレビ等で根拠レスに叫ばれる「ゆとり」がどうしたこうしたというたぐいのキョーイク論とはかなり違った姿が浮かび上がってくると思います。

一般的には日本の成績は低下しているという認識があるかも知れないが、PISA調査の成績を見る限り、日本は2000年以降、読解力で良い成績を維持しており、得点でOECD平均を約20点上回っている。数学的リテラシーと科学的リテラシーでも、成績を見る限りそれぞれ2003年調査及び2006年調査と大きな差はない。最も重要と思われるのは、日本の読解力の成績が、知識を再現するだけでなく生徒が自分自身で答を考え出すことが求められる自由記述形式問題において、向上してきている点であろう。

日本は、学習と学校に対する生徒の態度や姿勢において大きな改善が見られたが、これはPISA調査が重要な成果と考えているものである。・・・

2000年調査に比べ、日本は楽しみで本を読み、読むことに対して意欲のある生徒が増えた。・・・

そして、OECDが指摘する教育への支出の少なさと成績の良さとのギャップについて:

PISA調査の結果から、教育費全体、つまり公財政教育費も私費教育費も、日本は対GDP比でOECD平均をかなり下回っているにもかかわらず、日本の教育システムは高い成績を生み出していることが明らかとなっている。・・・

このことは日本の平均得点は、生徒一人当たり教育支出から期待される得点より高いことを示している。・・・

マスコミ的歪んだ教育論を正すための一服の清涼剤がたくさん含まれているのもお薦めの点です。

生徒の回答によれば、日本ではOECD加盟国中最も規律ある雰囲気で国語の授業が行われている。・・・

日本は教職を非常に魅力あるものにすることに成功したが、教員給与の魅力は年々薄れている。・・・

・・・しかしながら日本は、不利な背景を持つ生徒も、有利な背景を持つ生徒も、資格をもつ教員に同じように教えられている。

・・・日本では、生徒の11%が不利な状況を克服した生徒であると考えられる。

とりわけ、近ごろ教育に関するOECDの報告書など一冊も読んだことのない人々が唱道したがるトピックについて、

国の中で学校間を比較すると、競争と成績には関連があるように見えるが、生徒と学校の社会経済的背景を考慮すると、両者の関連は弱い。有利な背景を持つ生徒の方が、条件や状況の良い学校に通う可能性が高いからである。・・・日本では生徒及び学校の社会経済的背景や人口的背景を考慮しても、この学校間の競争は生徒の成績に関係しない。

・・・しかしながら、日本では、生徒たちの成績を公開することと生徒の成績の間に関連はなかった。ほとんどの国では、生徒の成績データを公開している学校は社会経済的に有利な背景の学校であったため、社会経済的背景を考慮するとこの成績の優位性は見られなかった。

まあ、これはほんの一部ですが、これくらいのことは教育を論じようとする人々であればいの一番に頭に置いておいてもらいたい基礎知識ではあるのですが、日本ではそういうのを知らない人ほど居丈高に教育を論じたがるという弊風がありますもので。

ちなみに、OECDの原書はこちらに全文がありますので、英語で読みたい方はどうぞ。

http://www.oecd.org/dataoecd/26/38/49802616.pdf

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まっつぁんの名言録

5132atw4tjl__sl160_ マシナリさんの新エントリ「納得できない「誠意」」が、ニセイタリア人パオロ・マッツァリーノこと「まっつぁん」の近著を紹介していまして、そこからいくつもの名言を引用しています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-505.html(納得できない「誠意」)

これがまあ、何とも見事に現在の世相を斬り取っておりまして、思わずいくつもコピペしたくなります。そのほんのさわりだけ。

世紀の変わり目を境に日本人は、他人の釈明を聞いて善悪をあれこれ深く考えるよりも、なにも考えずに悪と決めつけて謝罪させることのほうを、より強く求めるようになったようです。

しかしここ10年ほどで、どういうわけか日本人は、ひどく不寛容になってしまったようです。他人のミスや失敗を糾弾し、釈明よりも謝罪を期待し(あるいは要求し)、頭を下げるさまを見て溜飲を下げる品格のないオトナが増えました。

誠意ある対応とか誠意ある態度、謝罪とはどういうものなのか、具体的に提示しなければ相手は対処のしようがないから、永遠に相手を責め続けることができるのです。

日頃から他人を辛らつに批判・嘲笑している識者ほど、えてして、ご自分が俎上に載せられると、笑う余裕もなく逆上するものです。

ありていにいえば、亡国論や滅び論は、私憤を大義にすり替えるための装置にすぎないのです。自分が個人的に気にくわない相手がいたり、そいつらがやっていることが気にくわなかったとき、冷静にスジを通して批判するのでなく、そいつは国や世界にとっての敵だぞ、そいつが国を滅ぼすぞ、と感情的にわめき立てることで、お手軽に批判対象を公共の敵に仕立て上げようとする、せこいトリックなんです。

亡国論、滅び論は冤罪製造装置でもあるんです。だからまともな知性と倫理観を持つ者は、亡国論なんてのを気安く口にすべきではないんです。

いやあ、あまりの見事さに目を見張るのみです。

41inolmgzzl__sl160_ ちなみにマシナリさん、「亡国論」といえば当然思い出される「あの界隈の方々」にも、ちゃんと言及しています。

拙ブログでも飯田先生の『ダメな議論』から同趣旨の部分を引用して疑問を呈していましたが、「日頃から他人を辛らつに批判・嘲笑している識者ほど、えてして、ご自分が俎上に載せられると、笑う余裕もなく逆上するもの」というのはまさにその通りですね。まあ、この方とそのお仲間は相変わらず「お手軽に批判対象を公共の敵に仕立て上げようとする、せこいトリック」を駆使していらっしゃるようで「まともな知性と倫理観」は期待できなさそうでして、あの界隈の方々にも「誠意って何かね?」と聞いてみたくなりますね。

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「PISAから見る、できる国・頑張る国」プロジェクト・ビデオクリップ(日本)

100106明石書店より、OECD編の『PISAから見る、できる国・頑張る国2 未来志向の教育を目指す:日本』をお送りいただきました。なんだか最近教育関係が多いですね。明石書店が、というよりOECD自身が教育問題にかなり力を入れているからなんでしょうが。

http://www.akashi.co.jp/book/b100106.html

テクノロジーの進歩や経済のグローバル化による社会の急速な変化は、私たちの仕事や生活スタイル、そして教育システムにどのような影響を与えるのだろうか?  予測不可能な未来に対応し、持続的成長が可能な社会を築いていくために必要とされる人材を育成する教育システムとは、どのようなものなのか?  日本は、教育システムのどのような長所を伸ばし、どのような課題を克服していかなければならないのだろうか?  良い成績を維持する「できる国」や、成績の改善を図る「頑張る国」の教育改革から得られる教訓は何か?  本書は、PISA調査で優れた成績を収めている国々、そしてPISA調査の結果を踏まえて教育改革を進めている国々の教育システムについて、その成果と関係する要因を詳細に分析し、日本の教育システムにとっての教訓を明らかにする。

49751954pisa20japan20cover原書はこちらです。

http://www.oecd.org/document/13/0,3746,en_2649_37455_49750477_1_1_1_37455,00.html(Strong Performers and Successful Reformers in Education - Lessons from PISA for Japan)

目次は、第2章の「PISAというプリズムを通して見る日本の教育」というところだけをここに示しておきます。

第2章 PISAというプリズムを通して見る日本の教育
 第1節 一貫して高い15歳児の平均得点
 第2節 読解力の成績が上位の生徒の相対的な割合:OECD平均を上回り、経年変化でも増加
 第3節 成績が下位の生徒の相対的な割合:OECD平均を下回り、経年変化では一定
  3.1 生徒の学力のための望ましい背景要因
 第4節 教育の機会均等
  4.1 成績の学校間格差の拡大
  4.2 教育リソースの平等な利用
  4.3 日本では生徒の社会経済的背景が学習成果に与える影響は小さい
  4.4 PISA調査からわかる成績不振に関わるその他の要因
 第5節 要求の高い教育システムは生徒のメンタルヘルスに悪影響を与えているのか?
 第6節 その他の学習成果:生徒の取り組みと学習方法
  6.1 効果的な学習方法を用いること
  6.2 デジタル読解力
  6.3 家庭と学校での生徒のコンピュータ利用の比較
 第7節 学習環境
  7.1 教師と生徒の関係は弱いが、改善している
  7.2 規律ある雰囲気は素晴らしく、さらに改善している
  7.3 教師の肯定的な態度と行動
 第8節 日本の学校システムの体系と教育政策
  8.1 支出の効果的な選択による教育費の抑制
  8.2 学校間の競争
  8.3 公立学校と私立学校のバランス
  8.4 民間教育事業への依存の高まり
  8.5 ほぼ普及した就学前教育
  8.6 カリキュラム編成における裁量
  8.7 教育基準の設定とアカウンタビリティ
  8.8 成績に基づく分化の低さと混成クラスの重視

この報告書に関しては、OECDが作成したかなり長い(18分近い)ビデオクリップがあります。

これがなかなか感動的ですので、まずはじっくりとこれをご覧下さい。

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『季刊労働法』236号は集団的労使紛争特集のようです

今月半ばに刊行される『季刊労働法』236号の簡単な案内が、労働開発研究会のHPに載っています。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004999.html

●今号では、集団的労働紛争解決の実態を見つつ、労使関係立法の改革について検討します。アメリカ、イギリス、ニュージーランド、フランス、ドイツ、イタリア、中国の実情から日本が得るべき示唆は何なのか。そのモデル構築への一助になる論稿を並べます。

ということで、次のような論考が載るようです。

特集
    紛争解決システムと労使関係立法改革

本特集の趣旨 
     ―集団的労働紛争解決システムの理論構築
    九州大学教授 野田 進

アメリカにおける集団的労働紛争の解決システム
一橋大学教授 中窪裕也

イギリスにおける集団的労働紛争解決システムの実態 
     ――ACASとCACの役割を中心に
久留米大学准教授 龔敏

ニュージーランドにおける労働紛争解決システム
 ―あっせんを基本とする解決システムと運用実態
    山口大学講師 新屋敷恵美子

ドイツにおける集団的労使紛争処理システム
立正大学准教授 高橋賢司

フランスにおける集団的労働紛争の解決
―制度と実態の乖離― 野田 進

イタリアにおける集団的労使紛争解決制度
    姫路獨協大学講師 大木正俊

中国における集団的労働紛争の実態とその解決手続きの課題
    九州大学大学院准教授 山下 昇

ここ数十年来個別労使関係にばかり焦点が当たっていましたが、最近ようやく集団的労使関係に関心が向けられて来つつあるようで、それも新しいトピックとしての従業員代表制関係の話だけではなく、どちらかというと古くさい話と見られてきた集団的労使紛争の問題が、大特集として取り上げられるというのは、近年ではかなり珍しいことのように思われます。

上の短文だけでは、どういう問題意識でこの特集を組むことになったのかよく分からないところもありますが、わたくし個人としては、今月刊行される『日本の雇用終了』の中でも述べていることですが、同じ企業や事業所から複数の労働者が同じ理由で解雇されたというような、本来的には集団的労働問題であり、集団的労使紛争解決システムを通じて解決していくべきような事案が、結構「個別紛争」として複数労働者同時にあっせん申請されるというようなこともあり、「個別から再び集団へ」という問題意識は持っているところです。

いずれにせよ、今月半ばには出るでしょうから、その時に読みましょう。

そのほかの記事は、概説だけで、具体的に誰が何を書くのかは載っていませんが、

第2特集では高齢者雇用について考えます。「今後の高年齢者雇用に関する研究会」の報告書から見る今後の政策の在り方や、継続雇用をめぐる判例の整理とその課題について論じます。また、高齢者の就労と「社会的企業」、「中間的な労働市場」といった問題点にも迫ります。

連載・ローヤリング労働事件では、労働側の立場から労働審判について検討します。

実をいうと、わたくしの連載の「労働法の立法学」でも高齢者雇用について取り上げており、第2特集と見事にぶつかってしまったようです。まあ、第2特集の一環としてもお読みいただければ・・・。

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テレビ漬け高齢者のポピュリズム政治

dongfang99さんの鋭い批評が今日も冴えています。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20120304現代日本の「テレビ政治」

実は最近結構、現役を引退した年金世代の高齢者ほどある種のポピュリズム政治家を高く評価したがるという傾向を身近に痛感していたこともあり、この指摘はまさにそうだよなあ、と沁み入りました。

若い世代の「テレビ離れ」が指摘される一方で、人口層が多く政治的にもヴォーカル・マジョリティである年金生活者層においては、むしろ「テレビ漬け」とも言える現象が進んでいる*1。「テレビばっかり見てないで・・・」という、かつての親の子どもに対する小言は、今や高齢者層にこそ当てはまる言葉になっている。

1990年代初めくらいまでは、テレビで政治動向が理解できるということは基本的になかった。・・・

しかし、こうした形で政治を理解することが可能であったのは、安定した仕事に従事している現役労働者が社会の圧倒的マジョリティであったからである。つまり、人々が仕事を通じて関わっている団体・組織の利害関係の網の目を解読することで、政治の動きも概ね把握できたのである。しかし2000年代以降、仕事を通じた利害関係の網の目から「自由」になった年金生活者が増大し、自ずと家でテレビを見る時間が増えたことで、テレビの政治世論形成における役割が圧倒的に大きくなっている。

インターネットが当たり前すぎる日常になっているとつい忘れがちであるが、日本の政治世論の中心である高齢層の過半にとって、依然としてインターネットは理解不可能な別世界のメディアあり続けているのが現実である*3。インターネットの情報収集が中心になっている我々にとって、新聞・テレビ発の情報が素朴に信頼できないことは自明すぎる前提であるが、高齢世代にとっては新聞やテレビにおける政治報道が政治に関する情報源のほぼ全てであり、そうした既存のマスメディアに対して全体的に高い信頼を置く傾向が強い。

 もちろん、テレビの政治に対する影響力が強くなることそれ自体は、別にいいことでも悪いことでもない。問題は、テレビに出演している政治評論家やジャーナリストたちの質が、そうした変化に全く追いついていないことである。・・・

おそらく最大のポイントは、年金生活者という、マクロ経済的には現役世代からの移転所得で生活しているという意味で最大の公的サービス依存者であるにも関わらず、民間保険的イメージによってあたかも自分の積み立てた貯金で生活しているかの如き「幻想」を抱くことによって、最大のリバタリアン気分を享受できてしまっている脳天気かつお気楽な高齢者たちが、その気分を最大限に発揮して、自分たちに年金その他の公的サービスの原資を送るべく一生懸命働いている現役世代を「無駄遣い」だのといって罵り、罵ることをもっぱら専業としているかの如き政治家や政治評論家を自分たちの正義の味方であるかの如く思いなすという、奇妙にして悲劇的なメカニズムがぐるぐる回っているということなのでしょうか。

逆に、テレビの方も、そういう高齢視聴者の幻想的リバタリアン気分に追従し、昂揚させるように、番組作りに精を出すということかも知れません。

さらにまた、現役を離れたお気楽なリバタリアン気分ということが、たとえば

例えば、1990年代まではそれなりに報道されていた過労死や過労自殺の問題がほとんど報道されなくなり、むしろ最近のバラエティ番組の多くが(いわゆる「ブラック企業」を多く含む)企業の宣伝番組と化している・・・

といったことの背景にあるのかも知れません。

福祉国家が産み出し、福祉国家のお蔭で移転所得を得られている人々が、それを市場による交換で得たものと思いなすことによって、その存立根拠を掘り崩していくという悲劇的でもあり喜劇的でもある逆説。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-7e2c.html(年金生活者と非正規労働者の主観的違い(または主な勘違い))

・・・非正規労働者に対しては、あんな連中を支持しても、今でこそ乏しい君たちへの再分配はますます減るだけだよ、もっと再分配を拡大する方向を支持しなくちゃダメだよ、という戦略論的説得が、少なくとも自己認識を変えることなく可能であるのに対し、上記のような勘違いをしている年金生活者たちは、それでは歯が立たないという点が最大の違いではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f770.html(「若者が働いて親を支える」メタファーの射程距離)

・・・だから、「儂の昔払った年金じゃ、儂がもらうのは当然じゃ」と間違った思い込みを振りかざす老人たちをなだめすかしながら、老人たちにも働いてもらい、払う年金をできるだけ少なくしていくしか、このアポリアを解決する道はないのですよ。

(追記)

これを別の言い方で言えば、現役世代からの「仕送り」で生活しているという意味においては最大の「しがらみ」の中で生きているはずなのに、それが主観的にはその「しがらみ」から切り離され、「儂の昔払った年金じゃ」的に自主自立で生きてる感覚で「しがらみ」のない「強い個人」という幻想に惹き付けられやすいということもできるかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-6087.html(「しがらみのない政治」で得をしたのは「強い個人」)

(再追記)

ピンボケなはてぶがあったので

hyakuhyaku hyakuhyaku 抑制の利いた元記事内容ぶち壊し。世代をひとくくりにして馬鹿扱いとか、さすがにちょっとこれはないわ。ていうか、この人50代でしょ?まったく近頃の老人は、いつまでも若者気取りで困ったもんだなwww 2012/03/04

どこかの「ワカモノの味方」中年さんと違って、世代論などという馬鹿げたものをやっているつもりはこれっぽっちもないのだけどね。問題は世代などではなく、所得の性質だということ。

働いている人からの移転所得で生活している者が、その所得を自分の活動による稼ぎだと思いこむことによって、リバタリアン的感性になってしまうというメカニズムを述べているのであって。

ていうか、そういう話を自分の貧しい感性で世代論としか読めない人が、こういうぶこめをするという一例かも。

ちなみに、「いつまでも若者気取りの」「近頃の老人」の典型例を見たければ、こういうのがありますよ。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51496632.html(「若肉老食」の国)

・・・中高年の雇用を守るために新卒の採用を減らしたおかげで、大卒の就職内定率は6割を切った。

・・・このような状況を「若肉老食」と呼ぶそうだが、まさに団塊世代が下の世代を食いつぶしてゆくわけだ。

高齢者が働くといっては文句を言い、働かないといっては文句を言い、論理破綻の「ワカモノの味方」老人の典型です。

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ロベール・カステル『社会問題の変容 賃金労働の年代記』

822翻訳者の前川真行さんより、名のみ高かったかのロベール・カステルの大著『社会問題の変容 賃金労働の年代記』(ナカニシヤ出版)をお送りいただきました。こんな分厚くて高価な本をお送りいただき、本当に有り難うございます。

さて、この本、フランスの社会学者の手になる労働史の大著ですが、労働法方面の方々には結構名の(但し名のみ)知られた本ではないかと思います。

というのは、水町勇一郎さんのフランス労働法についての名著『労働社会の変容と再生』で、カステルのこの本をかなりの分量で引用しているからです。

その当の本の邦訳がついに出たわけですが、566頁に及ぶこの分厚い本を目の前にすると、なかなか取り組むのは大変かも知れません。

http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=822

失業、労働条件の不安定化、新たな貧困、
そして「負の個人主義」と社会的紐帯の喪失がもたらす社会の分断。
これら今日の社会的危機の根源は何か。
賃金労働の軌跡を14世紀から捉え返し、賃金労働社会と「社会的なもの」の成立の過程、
そして福祉国家「以後」の現在の危機の根源を明らかにするロベール・カステルの主著、待望の完訳。

というわけで、この労働史、賃金労働の歴史を遡って14世紀からおもむろに語り始めます。そして、下の目次を見ていただけばわかるように、賃金労働社会が揺らぐ現代(といっても本書が書かれた90年代半ば)に、ゆったりと語り進めていきます。

第一部 後見から契約へ
 
 第一章 近接性に基づく保護
       第一次社会関係
       福音の伝説
       隣人はわが家族なり
       扶助の体系

 第二章 土地に縛られた社会
       一三四九年
       封建社会の転換
       この世に用なき者
       浮浪者とプロレタリア
       鎮圧、抑止、予防

 第三章 名もなき賃金労働者
       同業組合的規範
       同業組合の刻印
       規制労働と強制労働
       地を這う人びと
       賦役労働というモデル

 第四章 自由主義的近代
       大衆的脆弱性
       労働の自由
       「神聖にして不可侵の責務」
       分裂した権利
       ユートピア的資本主義

第二部 契約から身分規定へ
 
 第五章 国家なき政治
       憐れむべき人びと
       後見関係の回帰
       パトロナージュと経営者
       転倒したユートピア

 第六章 社会的所有
       新たな前提
       義務・強制という問題
       財産か労働か
       移転所得

 第七章 賃金労働社会
       新たな賃労働関係
       工場労働者という境遇
       失われた地位
       賃金労働という境遇
       成長する国家

 第八章 新たな社会問題
       とぎれた軌道
       社会的余剰人員
       参入支援、あるいはシジフォスの神話
       未来の危機

 結 論 負の個人主義

賃金労働社会(ソシエテ・サラリアル)の説明はレギュラシオン派の影響を強く感じますが、全体の後見(テュテル)から契約へ、契約から身分(スタチュ)へ、そしていま身分から・・・という歴史認識枠組みは、同じく水町さんの本で引用されているフランスの労働法学者シュピオなどどともに、労働史の枠組みとしてとても有用です。

最後の「負の個人主義」って、この本では浮浪者(ヴァガボン)が例示されていますが、ふと思ったのは、昨日のエントリで「ドロサヨ」と名付けたある種の(新左翼的)感覚と通じるのかな、と。同書で引用されている五木寛之の「艶歌」から。

「キザな言い方をすればだな、艶歌は、未組織プロレタリアートのインターなんだよ。組織の中にいる人間でも、心情的に孤独な奴は、艶歌に引かれる。ありゃあ、孤立無援の人間の歌だ。言うなれば日本人のブルースと言えるかもしれん・・・」

あれを下品だというのは間違いじゃない。でもあの歌い方には、何かがあります。押さえつけられ、差別され、踏みつけられている人間が、その重さを歯を食いしばって全身ではねのけようとする唸り声みたいな感じです。大組織の組合にも属さない、宗教も持たない、仲間の連帯も見いだせない人間が、そんな、ばらばらでひとりぼっちで生きてる人間が、あの歌を必要としているんだ・・・。

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欧州労連は財政規律条約に反対

昨日、EU首脳会議で25カ国によって署名された財政規律条約に対して、欧州労連(ETUC)が批判するコメントを発表しています。現時点では仏語版だけで英語版はまだですが、とりあえず仏語版で見ておくと、

http://www.etuc.org/a/9761(La CES dénonce l’adoption du traité de l’austérité permanente)

La Confédération européenne des syndicats (CES) rappelle qu’elle est opposée au nouveau traité qui vient d’être signé par 25 pays lors du Sommet européen. Ce traité imposera davantage d’austérité budgétaire en Europe et empêchera la relance de l’emploi. Le syndicat européen déplore que la croissance et l’emploi ne fassent pas l’objet d’engagements chiffrés au même titre que la rigueur budgétaire.

Bernadette Ségol, secrétaire générale de la CES a déclaré : « En adoptant ce traité, le Sommet européen adopte la mauvaise stratégie. Au lieu de s’orienter vers un plan de relance pour l’emploi et vers des mécanismes de solidarité financière, l’Union européenne décide de poursuivre le chemin de l’austérité permanente et automatique. C’est une stratégie perdante car cette décision grève toute possibilité de reprise économique et augmentera l’anxiété sociale.  Les conclusions du conseil insistent sur le besoin de croissance pour créer de l’emploi ;  c’est une bonne chose, mais les moyens et politiques mis au service de cet objectif ne font malheureusement pas l’objet d’engagements précis.  La rigueur budgétaire va ôter son efficacité à l’objectif affiché de croissance. »

欧州労連は財政規律条約に反対だ。この条約は欧州にさらなる財政規律を押しつけ、雇用の回復を妨げる。欧州労連は、成長と雇用が厳格な財政政策のような数値目標の対象となっていないことを遺憾に思う。

欧州労連セゴル事務局長は、「この条約の採択によりEUサミットは間違った政策を採択した。雇用回復計画と財政連帯メカニズムに向かうのではなく、永続的かつ自動的な緊縮の道を進むことを決めた。この決定は経済回復のあらゆる可能性を押しつぶし、社会不安を増大させる誤れる政策である。サミットの結論文書は成長と雇用創出の必要を主張している。それ自体は結構だ。しかしながら、この目的のための手段と政策は、不幸なことにその目的に正確にあっていない。厳格な財政政策は成長という目的から有効性を奪い去ってしまうであろう。」と語った。

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新左翼によって「創られた」「日本の心」神話

9784334035907 ホブズボームの『創られた伝統』以来、いま現在一見「伝統的」と見なされている事物が実は近代になってから創作されたものであるという認識枠組みは、社会学や人類学方面ではそれなりに一般化していますから、その意味ではその通俗音楽分野への応用研究ということでだいたい話は尽きるのですが、

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334035907

「演歌は日本の心」と聞いて、疑問に思う人は少ないだろう。落語や歌舞伎同様、近代化以前から受け継がれてきたものと認識されているかもしれない。ところが、それがたかだか四〇年程度の歴史しかない、ごく新しいものだとしたら?
本書では、明治の自由民権運動の中で現れ、昭和初期に衰退した「演歌」――当時は「歌による演説」を意味していた――が、一九六〇年後半に別な文脈で復興し、やがて「真正な日本の文化」とみなされるようになった過程と意味を、膨大な資料と具体例によって論じる。
いったい誰が、どういう目的で、「演歌」を創ったのか?

そして、そういう観点からは膨大に繰り出されるマニアックなまでのトリビアが、演歌がいかに「創られた伝統」であるかをくっきりと浮き彫りにし、かつyoutube時代にあっては、そこで紹介された「演歌未満」の曲たちをその時の音源で聞くことができるということもあって、まことに楽しい読書の素材であるわけですが、

わたくしの観点から見て、本書が明らかにしたなかなか衝撃的な「隠された事実」とは、演歌を「日本の心」に仕立て上げた下手人が、実は60年代に噴出してきた泥臭系の新左翼だったということでしょうか。p290からそのあたりを要約したパラグラフを。

いいかえれば、やくざやチンピラやホステスや流しの芸人こそが「真正な下層プロレタリアート」であり、それゆえに見せかけの西洋化=近代化である経済成長に毒されない「真正な日本人」なのだ、という、明確に反体制的・反市民社会的な思想を背景にして初めて、「演歌は日本人の心」といった物言いが可能となった、ということです。

昭和30年代までの「進歩派」的な思想の枠組みでは否定され克服されるべきものであった「アウトロー」や「貧しさ」「不幸」にこそ、日本の庶民的・民衆的な真正性があるという1960年安保以降の反体制思潮を背景に、寺山修司や五木寛之のような文化人が、過去に商品として生産されたレコード歌謡に「流し」や「夜の蝶」といったアウトローとの連続性を見出し、そこに「下層」や「怨念」、あるいは「漂泊」や「疎外」といった意味を付与することで、現在「演歌」と呼ばれている音楽ジャンルが誕生し、「抑圧された日本の庶民の怨念」の反映という意味において「日本の心」となりえたのです。

この泥臭左翼(「ドロサヨ」とでも言いましょうか)が1960年代末以来、日本の観念構造を左右してきた度合いは結構大きなものがあったように思います。

そして、妙な話ですが、本ブログではもっぱら「リベサヨ」との関連で論じてきた近年のある種のポピュリズムのもう一つの源泉に、この手のドロサヨも結構効いているのかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-9d19.html(「マージナル」とはちょっと違う)

それまでの多数派たる弱者だったメインストリームの労働者たちが多数派たる強者になってしまった。もうそんな奴らには興味はない。そこからこぼれ落ちた本当のマイノリティ、本当の「マージナル」にこそ、追究すべき真実はある・・・。

言葉の正確な意味における「マージナル」志向ってのは、やはりこの辺りから発しているんじゃなかろうか、と。とはいえ、何が何でも「マージナル」なほど正しいという思想を徹底していくと、しまいには訳のわからないゲテモノ風になっていくわけで。

それをいささかグロテスクなまでに演じて見せたのが、竹原阿久根市長も崇拝していたかの太田龍氏を初めとするゲバリスタな方々であったんだろうと思いますが、まあそれはともかくとして。

(追記)

上で、「ドロサヨ」などという言葉を創って、自分では(「泥臭」と「左翼」という違和感のある観念連合を提示して)気の利いたことを言ってるつもりだったのですが、よくよく考えてみると、それはわたくしの年齢と知的背景からくるバイアスであって、世間一般の常識的感覚からすれば、むしろ、上で「ゲテモノ」とか「グロテスク」と形容した方のドロサヨこそが、サヨクの一般的イメージになっているのかも知れませんね。少なくとも、高度成長期以降に精神形成した人々にとっては、左翼というのは泥臭くみすぼらしく、みみっちいことに拘泥する情けないたぐいの人々と思われている可能性が大ですね。

このあたり、リベサヨについて生じている事態と並行的な現象ということができるかも知れません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html(リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い)

・・・かくのごとく、日本のサヨク知識人はリベラルなことノージックよりも高く、アンチ・ソーシャルなことハイエクよりも深し、という奇妙奇天烈な存在になっていたようです。そうすると、福祉国家なんぞを主張するのは悪質なウヨクということになりますね。これを前提にして初めて理解できる発言が、「構造改革ってなあに?」のコメント欄にあります。田中氏のところから跳んできた匿名イナゴさんの一種ですが、珍しく真摯な姿勢で書き込みをされていた方ですので、妙に記憶に残っているのです。

>稲葉さんの偉さは、一左翼であることがリフレ派であることと矛盾しないことを左翼として始めて示した点だと思う。それまでの左翼は、ある意味ネオリベ以上の構造派で、つまりはアンチ・リフレであったわけだから。それに対して、稲葉さんはそれが「ヘタレ」にすぎないことを左翼として始めて断言したわけで、これは実はとても勇気のあるすごいことだと思う。

投稿 一観客改め一イナゴ | 2006/09/20 14:46:18

普通の人がこれを読んだら頭を抱えてしまうでしょう。特にヨーロッパ人が見たら、「サヨクは市場原理主義者であるはずなのに。稲葉氏はめずらしくソーシャルだ、偉い」といってるようなもので、精神錯乱としか思えないはず。でも、上のような顛倒現象を頭に置いて読めば、このイナゴさんは日本のサヨク知識人の正当な思考方式に則っているだけだということがわかります。

高度成長後の日本においては、「左翼」というのはこの上なく自由主義的で福祉国家を敵視するリベサヨか、辺境最深部に撤退して限りなく土俗の世界に漬り込むドロサヨか、いずれにしてもマクロ社会的なビジョンをもって何事かを提起していこうなどという発想とは対極にある人々を指す言葉に成りはてていたのかも知れません。

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「しがらみのない政治」で得をしたのは「強い個人」

五十嵐泰正さんの連続ついーとから、わたくしの言い方でいえば「ステークホルダー民主主義」に関わる部分を:

http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175401174239948800

↓そうなんだよなー 高度成長期以前まで遡らなくとも、20年ぐらい選挙に現場で絡んで眺めてるとこれは実感する。中間集団が壊れて「しがらみのない」選挙とやらになって得をしたのは、地域関係なく生きてこれた「強い個人」だけだもの。「しがらみのない政治」を望んできたのは(リベ)サヨなのにね

http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175402088350748672

「ずぶずぶ」の昭和型選挙っていうのは、鈍重なしがらみであったのは勿論だけど、その一方で中間集団単位での利益分配でもあり、「自分が属する集団/階層」には誰がベターか(無理やりに組織的投票を求められるという形で)判断する解釈共同体でもあった。

http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175403400647819264

もちろん昭和型選挙でも、地域共同体や各種業界団体から疎外される周縁の問題はあった。まあ、そこを掬いながら発展したのがS価だったりするんだけど。でもマクロに見れば、階層的利害と全然無縁な政策を訴えるポピュリストにごっそり持ってかれる現在よりは、はるかにマシだったのは明らかに思える。

http://twitter.com/#!/yas_igarashi/status/175405197072412673

人は誰しも、時間も能力も有限なんだから、何らかの解釈共同体に頼らなきゃ投票なんてできないよ。その解釈共同体が、中間集団がマシなのか、みのもんたがマシなのか、ネットがマシなのかって話。とりあえず歴史を見る限り中間集団がマシではありそうなんだが、資源が収縮する中でも本当にそうかは保留

その他に(今はまだ出てきていないけど)もっと良いのがあるんじゃないのか?という疑問に対しては保留で結構ですが、みのもんたその他のテレビタレントやネット○○が「マシ」という判断はないのではないかと。

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大内伸哉・川口大司『法と経済で読みとく雇用の世界』

L16389大内伸哉・川口大司『法と経済で読みとく雇用の世界』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。大内さんは息つく暇もない勢いで本を書かれますね。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641163898

様々なシーンで働く人々の姿を描いたストーリーから問題を探り,複雑で奥深い「労働」というテーマを考えていくための視点を提供。法学・経済学の両面,そして両者の協働から学び,労働市場をみつめ直す。雇用の世界に生きるすべての人に贈る指針となる一冊。             

各章ごとに冒頭のやや長めのストーリーから始まり、論点を述べていくというスタイルは、大内さんのこれまでの本と共通していますが、そこに共著者の川口さんの経済学的分析が随所に挟まれることで、ひと味違った雰囲気を醸し出しているという感じです。

序 章  法学と経済学の協働は可能か:自由と公正のあいだで
第1章  入社する前にクビだなんて:採用内定取消と解雇規制
第2章  パート勤めの苦しみと喜び:最低賃金と貧困対策
第3章 自由と保障の相克:労働者性
第4章 これが格差だ:非正社員
第5章  勝ち残るのは誰だ?:採用とマッチング
第6章  バブルのツケは誰が払う?:労働条件の不利益変更
第7章 残業はサービスしない:労働時間
第8章  つぐない:男女間の賃金・待遇格差
第9章 わが青春に悔いあり:職業訓練
第10章  捨てる神あれば,拾う神あり:障害者雇用
第11章 快楽の代償:服務規律
第12章  俺は使い捨てなのか?:高齢者雇用
第13章 仲間は大切:労働組合
終 章  労働市場,政府の役割,そして,労働の法と経済学

なかなかうまい具合に解け合わない法学と経済学の協同の一つの成果ということができるでしょう。

ただ、実をいうと、いま現在のわたくしからすると、

法と経済<だけ>で雇用を読み解けるの?

というもう一つ別の次元の疑問が湧いてきたりします。

それは、今月にも刊行される『日本の雇用終了』で描き出されている現実の中小零細企業の実態は、膨大な費用と機会費用をかけて初めて得られる裁判所の判例法理に立脚した法解釈学や、形式的に整合的な契約理論の上で美しく描き出される経済学の世界とは、かなりかけ離れた姿を呈しているからで、「法と経済」だけで描かれるのは、どっちみち上澄みの世界ではないのか?というやや斜め方向からの筋違い気味の疑問を抱いたままでは、なかなか素直に読めないところがあったりします。

いずれにしても、かつてのいろんな人を総動員した『雇用社会の法と経済』では、ごく一部の論文を除いて、いささか法と経済がうまく融合しておらず、よく振る前のドレッシングみたいな感じでしたが、今回の大内・川口共著は、よく振られてほどよく混じり合った美味しドレッシングになっています。

(参考)

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/08/pdf/116-124.pdf(書評 荒木尚志・大内伸哉・大竹文雄・神林龍編『雇用社会の法と経済』 by 濱口桂一郎)

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「あいさつがなっとらん!」と怒るおっさんのあいさつ

yellowbellさんの名文句:

http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/171934747753563803

「あいさつがなっとらん!」と怒るおっさんのあいさつがちゃんとしていたためしがない。

「コミュニケーションをちゃんとしろ!」と詰るおっさんとのコミュニケーションが取り易かったためしがない。

どちらも、あいさつはしてもらうもの、コミュニケーションはとってもらうものという依存心からくる逆ギレにすぎないというのが、僕の結論。

まず急かさず怒らずイラつかず人と話せるようにしてから出直してください。

もひとつ「結論を先に言え!」って急くおっさんにストレートに結論を伝えて無事で済んだためしがない。

いやあ、いるいる・・・。

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年金証書は積み立てられても財やサービスは積み立てられない

この期に及んで、未だに賦課方式ではダメだから積立方式にしろなどという、2周遅れ3周遅れの議論を振り回している御仁もいるようですが、この問題については、本ブログで過去何回も書いてきたように、上記タイトルの趣旨を理解しているかいないかに尽きます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9649.html(財・サービスは積み立てられない)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a96e.html(積み立て方式って、一体何が積み立てられると思っているんだろうか?)

>この問題は、いまから10年前に、連合総研の研究会で正村公宏先生が、積み立て方式といおうが、賦課方式といおうが、その時に生産人口によって生産された財やサービスを非生産人口に移転するということには何の変わりもない。ただそれを、貨幣という媒体によって正当化するのか、法律に基づく年金権という媒体で正当化するかの違いだ」(大意)といわれたことを思い出させます。

財やサービスは積み立てられません。どんなに紙の上にお金を積み立てても、いざ財やサービスが必要になったときには、その時に生産された財やサービスを移転するしかないわけです。そのときに、どういう立場でそれを要求するのか。積み立て方式とは、引退者が(死せる労働を債権として保有する)資本家としてそれを現役世代に要求するという仕組みであるわけです。

かつてカリフォルニア州職員だった引退者は自ら財やサービスを生産しない以上、その生活を維持するためには、現在の生産年齢人口が生み出した財・サービスを移転するしかないわけですが、それを彼らの代表が金融資本として行動するやり方でやることによって、現在の生産年齢人口に対して(その意に反して・・・かどうかは別として)搾取者として立ち現れざるを得ないということですね。

「積み立て方式」という言葉を使うことによって、あたかも財やサービスといった効用ある経済的価値そのものが、どこかで積み立てられているかの如き空想がにょきにょきと頭の中に生え茂ってしまうのでしょうね。

非常に単純化して言えば、少子化が超絶的に急激に進んで、今の現役世代が年金受給者になったときに働いてくれる若者がほとんどいなくなってしまえば、どんなに年金証書だけがしっかりと整備されていたところで、その紙の上の数字を実体的な財やサービスと交換してくれる奇特な人はいなくなっているという、小学生でも分かる実体経済の話なんですが、経済を実体ではなく紙の上の数字でのみ考える癖の付いた自称専門家になればなるほど、この真理が見えなくなるのでしょう。

従って、人口構成の高齢化に対して年金制度を適応させるやり方は、原理的にはたった一つしかあり得ません。年金保険料を払う経済的現役世代の人口と年金給付をもらう経済的引退世代の人口との比率を一定に保つという、これだけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-76aa.html(経済的従属人口比率こそが重要だ@欧州労連)

高齢者が働いて社会を支える側にまわることを憎み罵倒しておいて、高齢化で社会保障が維持できないから大変だ大変だと騒ぎ立てる頭の悪い人々がなぜかマスコミでは持て囃されるんですね。

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『欧州教育制度のチューニング』明石書店

100007 明石書店より、フリア・ゴンサレス、ローベルト・ワーヘナール編著、『欧州教育制度のチューニング ボローニャ・プロセスへの大学の貢献』をお送りいただきました。

http://www.akashi.co.jp/book/b100007.html

ボローニャ・プロセス、って聞いたことある人はどれくらいいるでしょうか。これは職業教育訓練に関するコペンハーゲンプロセスと並んで、EUレベルの教育訓練政策の軸をなす政策プロセスの一つです。

高等教育における質保証の向上をめざして、欧州各国の教育制度と学習プログラムのチューニング(調和)を図るプロジェクトの報告書。学習成果を評価し、コンピテンスを開発・育成する観点から、学位プログラムを再設計・開発するための基準やツールを提示する。

「質保証」って、例の日本学術会議でだした答申の話の流れにもつながりますね。

別添資料2の「カリキュラム評価のためのチェックリスト」の中から、職業との関係に関わる部分を若干抜き出しておくと:

1.学位プロフィール

前提:学位プログラムは、明確に定義されたプロフィールを持つ。プロフィールは、一方では学術的に規定される要請、もう一方では学生の将来の労働市場について考慮して社会のニーズを反映したものになっている。

質問:プログラムのプロフィールが、それに対する要請に如何に良く応えているかが、既存のデータからどの程度分かるか。必要に応じて、どのように調整することが望ましいと考えられるか。

最近乱立気味の新型学部をみていると、「学術的に規定される要請」もなければ、「学生の将来の労働市場について考慮して社会のニーズを反映」もしていない、ただ教える教員側の都合だけででっち上げたとおぼしきものが散見されますが、まずはこのチェックリストを自らに当てはめてみてはいかがかという気もします。

11.雇用可能性

前提:労働市場への移行が、概ね良好であるという事実に基づいて、学位プログラムが社会のニーズを満たしているという結論づけることができる。

質問:学生は、学位プログラムのプロフィールと水準に見合った(適切な)職業に、卒業後の相応の期間内に就くことができるか。

まあ、考えたこともないんでしょうけど。

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マンマークさん(市役所職員の生活と意見)の拙著書評

大阪問題やそれ以前から公務員問題についていろいろと書かれているマンマークさんの「市役所職員の生活と意見」ブログで、拙著『日本の雇用と労働法』について書評されています。わたくしとしては、我が意を得たり的な大変嬉しい書評です。

http://manmark.blog34.fc2.com/blog-entry-628.html(歴史を知ることの大切さ。(濱口桂一郎『日本の雇用と労働法』))

今、私たちが目にしている物の形や仕組みは初めから今の姿だったわけではありません。
 社会制度から妻の体型まで、何らかの過程を経て今の姿に至っているものがほとんどです。

 しかし、「歴史」には目を向けず、自分の前にある物が最初から今の姿だったかのように批判している人たちや、そうした中身の薄っぺらさだけが印象に残るような批判を嬉々として受け入れている人たちをよく見かけます。
 
 こうした傾向は、労働問題の分野でよく話題になる終身雇用、能力主義、同一労働同一賃金、職務給・職能給といったテーマについても言えるようです。
 私は海老原嗣生&荻野進介著『名著で読み解く 日本人はどのように仕事をしてきたか』を読み、労働問題を語る時に過去の経緯を踏まえる事の重要性を認識しました。

 しかし、海老原&荻野本は、戦後出版された人事や組織運営に関する13冊の本を取り上げ、その書評とともに当時の社会の姿を描いたもので、労働に関する諸問題の歴史を知るために作られた本ではありません。

 その点、この『日本の雇用と労働法』では、労働分野の諸制度がどのような過程を経て今の姿になったかがコンパクトかつ丁寧に説明されています。

まあ、奥様の体型はともかく、歴史をわきまえずにあれこれ語る人々の姿が「薄っぺら」であることは確かです。

大阪市の橋下市長が要請した職員組合事務所の庁舎からの退出が話題になった時に、hamachanブログで解説されていた労働組合と従業員代表機関という2つの面が一体化している日本の労働組合の特徴についても、この本では説明されています。
 また、安易に持ち出される同一労働同一賃金制度に関連して、職務給が配置転換との関係から職能給に落ち着いた経緯も解説されています。

 その他、渡り職工から企業が囲い込む子飼い職工に中心が移る過程で定期昇給制度が現れてきたこと、終戦後の大規模な労働争議に疲れた労使で手厚い退職手当制度と一方的な解雇の見直しについて合意したことが長期雇用慣行の確立に繋がったこと、戦後賃金体系の原型となった電産型賃金体系で給与の約2割となっている能力給が実は初めから組合側が要求したものであり、しかも組合側の要求を会社側がかなり削減してこの数値になったことなど、もともと労働問題の基本的知識を欠いている私には目からウロコの話が満載の1冊でした。

この「目からウロコ」という表現は、特定社労士のしのづかさんも拙著への書評で使われた言葉でした。

http://sr-partners.net/archives/51785309.html(濱口桂一郎著「日本の雇用と労働法」(日経文庫)は目からうろこです)

最後はやや冗談ぽく、

 なお、私のように労働問題に詳しくなくてもhamachanブログのファンだという方にはブログを見る時の参考書としても役立つ本だと思います。
 もっとも、あのブログにはAKB48からももいろクローバーZまで出てきますから、この本だけで十分とは言いませんが…。(笑)

いや出てくると言っても、あくまで労働問題のネタとしてですけど・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/by-z-a9e0.html(こちとら働いてなんぼだ by ももいろクローバーZ)

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