視点・論点「65歳雇用確保を考える」
去る2月2日の早朝4時20分から放送されたNHKの「視点・論点」でのわたくしのスクリプトがアップされました。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/108530.html
まあ、朝4時20分に起きて放送を見た人がいるとはあまり思えないので(笑)(自分も起きられない)、せっかくですのでこちらでご覧いただければ・・・。(3年前に出たときは、確か夜の11時頃だった記憶があるのですが、NHKも売れ筋番組をその時間にもってきて、こういう売れなさそうな番組は・・・ってことですかね)
去る1月6日、厚生労働省の労働政策審議会が、希望者全員を65歳まで雇用するよう企業に求める内容の建議を大臣に提出しました。今後、この建議に沿って法案が国会に提出されると思われますので、この時点でその背景や内容について解説しておきたいと思います。とりわけ近年は、若者の雇用情勢も大変厳しいことから、高齢者雇用を進めることに批判的な意見も見られますので、その両者の関係についても説明をしておきましょう。
さて、今回の建議の直接の契機は、2013年度から老齢厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢が61歳になり、その後段階的に2025年度までに65歳に引き上げられることです。これは少子高齢化が急速に進む中で、年金制度を破綻させないために必要最小限、あるいはそれにも足りない措置です。そもそも年金とは何でしょうか。民間の保険会社であれば、自分が現役時代に払った保険料が老後に年金として返ってくると考えてもいいでしょう。しかし公的年金制度は異なります。自分が現役時代に払った比較的低い保険料はその時の数少なかった高齢者に年金として既に支払われており、自分が数の多い高齢者の一人として受け取る年金は、その時の数少ない現役世代が負担しているのです。若者が多く高齢者が少なかった時代に設けられた60歳という支給開始年齢では、若者が少なく高齢者が膨大な時代の年金を支えることはできません。現在進められている65歳という目標すら、将来的には持続可能とは言えないでしょう。既に70歳年金時代を視野に入れるべき時期になりつつあります。
年金支給開始年齢を引き上げるということをマクロ経済的にいえば、労働力として生産活動に従事する上限年齢をもっと高い年齢にまで引き上げるということです。働ける人々にはできるだけ長く働いてもらい、年金を貰う側ではなく保険料を払う側にまわってもらう。そのために、高齢者が働けるような社会的な仕組みをきちんと作っていく。これが少子高齢化時代の雇用政策の中軸です。新自由主義者から社会民主主義者まで、まっとうな研究者でこのことを否定する人はいません。ところが世の中には、高齢者の雇用を進めると若者の雇用が奪われるのではないかと恐れ、今回の建議に対して高齢者を優遇するものだと非難する人々がいます。高齢者に働く機会を与えないということは、その高齢者を若い世代が支えるということを意味します。主観的には若者の味方をしているつもりかも知れませんが、客観的には若い世代にますます重い負担を求めているのと同じです。こういう「若者の味方」は無責任だと思います。ただ、マクロ経済的には正しくても、ミクロな企業レベルでは現実に合わせた修正が必要です。日本の企業の場合、若いときには働き以下の賃金しかもらわない代わりに、中高年になってから働き以上の賃金を受け取るという年功賃金制が一般的です。これは、若い頃は生活費があまりかからないが、中高年になると子どもの教育費などがかかることに対応した生活給としては合理的ですが、子どもが独立した後まで働き以上の高い賃金を払うのは不合理です。企業が定年を引き上げることに消極的なのはこのためです。多くの企業では、一旦定年退職してそれまでの高い賃金をチャラにした上で、改めて働きに見合った低めの賃金で再雇用するというやり方をとっています。今回の建議でも、65歳定年は時期尚早だとして、一旦定年退職した上での継続雇用を中心に据えています。これは、現在の賃金制度を前提とする限りやむを得ないでしょう。ただ、今後さらに70歳まで働ける社会を作っていこうとするならば、40代、50代といった中高年の相対的に高い賃金水準の見直しも必要になってくると思います。年齢にかかわらず働ける人にはいつまでも働いてもらう社会とは、年齢にかかわらず仕事の中身によって賃金を決める社会でなければなりません。
建議の中身に戻りましょう。実は現在の法律でも、65歳までの継続雇用は企業に義務づけられているのです。ただし労使協定で基準を定めれば、継続雇用の対象とせず、60歳で完全に退職とすることも認められています。今回の建議は、この例外規定を廃止し、希望者全員を65歳まで継続雇用することとしています。仕事もなければ年金もないという両者のはざまに落ち込む人々をなくすためには、このような政策が必要であることは間違いありません。しかし、高齢になれば能力や体力も人によって様々になり、同じ企業の中にふさわしい仕事が見つからないということも起こってきます。その場合、別の企業まで見渡せばふさわしい仕事があるということも多いでしょう。65歳まで雇用を確保することが重要だというのは分かるが、それは一企業の中だけではなく、社会全体で受け皿を作っていくべきなのではないか、という批判にはかなりの正当性があることも否定できません。そこで、今回の建議では同じ企業グループの関連会社に転籍して雇用を確保するというやり方も認めています。経営側はグループ以外の会社への転籍でも認めるべきだと主張したのですが、そこまでにはなっていません。この点については、今回対象者を限定するための今回対象者を限定するための労使協定が廃止されることを考えると、労使協定という仕組み自体は労使の自治でものごとを決めるという望ましいやり方なので、グループ内外にこだわらず労使協定で転籍先を決めるという仕組みもあり得たのではないかと思います。
ここから話を少し広げてみましょう。他の会社への転籍というのは、他の会社への再就職のあっせんとほとんど同じことです。社内の配転、関連会社への出向といった内部労働市場における移動の観点からは転籍といい、ハローワークや民間紹介業者といった外部労働市場における移動の観点からは再就職援助といいますが、同じことを内部と外部から見た言い方です。言い換えれば、ここで内部労働市場と外部労働市場がつながっているのです。その意味では今回の建議は、内部労働市場からの観点にやや偏っているのではないでしょうか。先ほど申し上げた、社会全体で高齢者雇用の受け皿を作っていくべきという観点からすれば、もう少し外部労働市場政策に重点が置かれてもいいのではないかという感じがします。
これは、内部労働市場中心の政策では定年まで雇用される正社員だけがその利益を受け、有期雇用契約を反復更新されてきた非正規労働者が年齢を理由に雇止めされることには及ばないという問題とも関わります。マクロ経済的に働ける人にはできるだけ高齢まで働いてもらうという観点には、正社員も非正規労働者もないはずです。その意味では、今後70歳まで働ける社会を本格的に考えていくならば、雇用形態にかかわらず、年齢ではなくその職業能力に基づいて就労し、賃金が決められる社会にしていく必要があるでしょう。そのためには、労働者派遣システムも含めた中高年向けの外部労働市場の形成や、そこで用いられるべき職業能力評価制度の構築など、官民協力して制度を作り上げていかなければなりません。これは一朝一夕にできることではありませんが、超高齢化社会が目の前にひたひたと押し寄せてきつつある現在、目をそむけていい問題ではないはずです。
なお、高齢者雇用関係については、こちらも参照。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/kaihoukourei.html(今後の高年齢者雇用政策と企業の対策(『労働法学研究会報』2517号))
また、東大労働判例研究会で先日報告したフジタ事件の評釈はこちら。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/fujita.html(フジタ事件(大阪地判平成23年8月12日) (労働経済判例速報2121号3頁) )
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