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2012年2月14日 (火)

「左翼」の対極的二義性再論

再論、というか、同じことを繰り返すだけですが。

コバヤシユウスケさんがこんなことをつぶやいていたので、リマインドがてら、

http://twitter.com/#!/yukoba1967/status/167787381095800833

TLみていると、いろんな人が「左翼」を語るのだが、その「左翼」のイメージが人それぞれ。はまちゃんの使う「リベサヨ」なんてのは、まだなんとなく想像できるのだが。「左翼」という広い意味をもった言葉だけで論を展開するのは無理がある。もうちょっと細かく限定してくれんかな。

本ブログでかつて、BUNTENさんの連続ついーとにコメントする形で、こう述べたことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-83cb.html(「左翼」の対極的二義性)

2軸のポリティカルコンパスでも手に負えないのは、「左」という言葉のコノテーションが、まったく対極的な方向を併有しているから。つまり、集団性・平等性を志向する方向と、それと対極にある個別性・異質性を志向する方向の双方を、それぞれのプロとコンの双方からいい意味と悪い意味の負荷を負う形で用いられてきたから。

ある人々にとって、「左翼」とは個人の自主性、独立性を全面否定するソビエトロシア的集団主義による個人の抑圧を「平等」という美名のもとに遂行する悪の教義であり、他の人々にとって、「左翼」とは社会の麗しき秩序を破壊するエゴイズムを個人の自由という美名のもとに振り回すトンでもない連中。

このいずれも政治思想的に存立可能な議論ではあるが、両者を同時に主張することは論理的に矛盾することは言うまでもない。

実際、個々の人レベルで言えばこの両者を同時に主張するような論理レスな人はあまり見ないが(とはいえ、たまにいるけど)、マスメディアレベルでは(たとえば産経の「正論」とか)あまり矛盾感覚なしに入れ替わり出現したりする。

こういう同時に180度逆向きの意味を併有してしまうような用語は使わないのが一番なのだが、悪口としてはとても使いやすいだけに、どうしても使われてしまうのですね。

なお、参考までにこんなエントリもあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9944.html(松尾匡さんの右翼左翼論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-b950.html(だから、それをリベサヨと呼んでるわけで)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-59e3.html(タイムスリップ大作戦)

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コメント

濱口さん、はじめまして。面白く拝見させて貰っています。

>つまり、集団性・平等性を志向する方向と、それと対極にある個別性・異質性を志向する方向の双方

前者は社会主義的、後者は自由主義的ですね。「リベラル」は自由主義出身なので個人の自由、「社会民主主義」は社会主義出身で階級を基本的単位としますので、根本から発想が違いますよね。リベラル(自由主義左派)は「社会自由主義」と一部で言うのそうです。社民はブルーカラーの労働者階級がコアな支持層です。社会自由は知識人や良心的市民(つまり階級を問わない?)が支持層です。

 今の日本のリベラルはこれがゴチャゴチャになっている。理由は、社民主義政党が弱いから、発言力もないからかもしれません。有名な政治家の発言に引きずられる。アジアでは左派票は社会自由主義党が担います。
 リベラルは伝統的に社民との区別を曖昧にする傾向があります。政治学分野で権威が大きいアメリカ政治学では特にそのように感じます。そしてアメリカ民主党と欧州社民党を同じ左翼として定義したがる。所属する「国際政党」を見れば、それが変だと感じますが。こうしたアメリカの「知」による影響はアジアでは絶大なものです。
 ポリティカルコンパス的に言うと、社会民主主義は文化、経済政策とも左派、社会自由主義は、文化政策は左派ですが、経済政策は中道的(場合によっては右)です。つまり社会自由主義は、経済政策では社民より市場を優先する傾向があります。これは支持層の経済的な立場から予想できそうです。社会自由主義政党が左派票の受け皿になってきたアメリカとカナダはずっと小さな政府です。

最近では、脱産業化などで、ブルーカラーが減少し、再分配への要求が弱まることで社民が経済的に中道化、社会自由との差が見えにくくなってきたと言われます。しかしグローバリズムによる格差の拡大、アメリカ市場経済混乱による権威失墜など、この二つの左派思想がどう動くかは未知数です。
(左派としての共通点は自分以外の世界を「信用」「「肯定的」で見れるかどうかという認識的な話になりそうで政治思想とは少し離れそうです…) 
 駄文を失礼致しました。

しかし保守というか右翼も右翼で問題があるんじゃないのかと。
日本が核兵器もったり、アメリカから去ってもらうなんてできないでしょうから。

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