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2012年2月 1日 (水)

山口二郎氏の反省その2 参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!?

雑誌『月刊マスコミ市民』2月号で、山口二郎氏が今さらのように「参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!?」と語っています。

>大阪の動きを見ていて私たちが反省しなくてはいけないと思ったのは、参加とか直接政といった概念が、決して自動的に民主主義をもたらすわけではないということです。憎悪や怨念など人間の感情を基にした参加は、極めて破壊的な効果をもたらすことがあるのです。

立派な政治学者が今頃になってそんなことを言い出さないでよ!!といいたくなりますね。

実は、山口二郎氏と私は同年齢。同じ年に同じ大学に入り、同じような環境にいたはずですが、私がその時に当時の政治学の先生方から学んだのは、まさに歴史が教える大衆民主主義の恐ろしさであり、マスコミが悪くいう自民党のプロ政治のそれなりの合理性でした。

>今までは、自民党一党支配という大きな構造や霞ヶ関の官僚支配といった強固な枠組みがありましたので、これを崩すためにはローカルな参加や直接政が有効であると考えてきました。しかし私は、それらが必ずしも民主主義の増進に寄与するわけではないことを痛感しました。

今ごろ痛感しないでよ!と言いたいところですが、山口氏の同業者には未だに痛感していない、どころかますます熱中している方もおられるようなので、それ以上言いませんが。

ついでに言うと、政治学者と同じぐらい罪深いのは政治思想学者じゃないかと思ってます。「熟議」とかなんとか、横のものを縦にしただけの薄っぺらな議論をやってると、その言葉をポピュリストにうまいこと流用されるだけ。

大向こう受けだけを狙った朝まで生テレビ的超浅薄な議論が「熟議」にされちゃって、あんた等がさんざん悪く言っていたその分野に精通した自民党プロ政治家の利害関係者の利害得失をとことん突き詰めた「熟議」は、利益政治の名の下にゴミ箱に放り込まれてしまっていますよ。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_46a5.html(山口二郎氏の反省)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c012.html(山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-54bc.html(政治とは悪さ加減の選択)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-c357.html(こりゃだめだ)

(一応念のため)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-28b3.html(「熟議」は「維新」)

>まあ、下世話な話といえばそうかも知れませんが、向こう三軒両隣にちらちらするフツーの人々は、むつかしげな政治思想の本なんかそうそう読むわけではありませんから、「熟議」とかいう新しげな言葉は、橋下さんちの「維新の会」みたいなやり方のことをいうんだろうなぁ、とたぶん何の違和感もなく思うんだと思いますよ。

>>大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が府と大阪市の再編に向けて7月以降、市民参加型の公開討論会「熟議(じゅくぎ)会」を府内数カ所で開催することが7日、分かった。・・・維新は今秋にもダブル選が予想される知事選と市長選を視野に、熟議会を「大阪都構想」実現に向けて市民を巻き込む新戦略にしたい意向だ。

>なるほど、「熟議」ってのは、守旧派の既成政党がぐだぐだ言って動かないのをむりやり動かすために、なにやら「市民」さまを持ち出して言うこと聞かせることなんだなぁ、と、ここ十年ばかりの物事を見てきたフツーの人々は思うのでしょうね。名古屋方面でも、そんな感じだったようだし。

>>熟議会は維新にとってはこうした手詰まり感を打開する一手ともいえ、「これまでのタウンミーティングの進化形」(幹部)と話し、市民側の議論の活発化を狙っているとみられる

>いやぁ、「市民側の議論の活発化」ですか。まさに、「市民」主義の皆様方がここ十年ばかり目指してきた路線ではありませんか。涙がこぼれるくらい素晴らしいです。これぞ「市民維新」でしょうか。

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コメント

山口二郎氏のだめさは、著書「ポピュリズムとは何か」ではっきりしたように思う。若い世代で、同じ北海道大学の吉田徹氏の「ポピュリズムを考える」の誠実な洞察が光る。
政治思想家でも、トグヴィルの研究を踏まえた、宇野重規氏の「私時代のデモクラシー」は、山口二郎氏の岩波新書の凡庸さに比べて光る。
行政学者でも、牧原出氏や、若い世代では、砂原庸介氏のように、素晴らしい研究をされている研究者もいる。
山口二郎氏で、全部を代表させるのは、多少冷静さを欠くのでは。佐々木毅氏のように、完全に開き直っているのに比べれば、まだ、山口二郎氏にも、良心のかけらがあるようにも思うがどうだとうか。

http://kenjoh.com/
の2011年1月20日に引用されているワシントンのことばを考えれば
200年以上前の人が感じて(見抜いて)いたことですよね……

”次の言葉は誰のものでしょう。「一部の人間が集まって騒ぎを起こしているが、彼らは配慮に欠けた人たちである。いったい自分たちの行っていることが、いかなる結果を引き起こすか考えてみたことはあるのだろうか」。

答えは、ワシントン。ジェファーソンの行っている民衆の話し合いのことを耳にしての、ワシントンの反応です。このジェファーソンの「民衆の話し合い」が、後の民主党になり、アメリカにおける政党政治の原型となっていきました。
また、アメリカ大統領選挙が、選挙人による間接選挙になっているのは、衆愚政治を避けるために考案されたということが大きな理由でもあるわけです。”

五十嵐仁の転成仁語 4月26日(木) 山口二郎北大教授の民主党政権の「挫折」についての検証

http://blog.livedoor.jp/hebichan/archives/6363095.html
”最後に、山口さんは「原発事故は、日本の市民を覚醒させる大きな契機となるかも知れない。政治的な意思表示が普通の人のすることではないと思われていた社会から、公共問題についていいたいことを自由に発言し、運動するという社会に変化する兆しはある」と書いて、「日本政治の壁に抗する一条の光」を見出しています”


>>
いやぁ、「市民側の議論の活発化」ですか。まさに、「市民」主義の皆様方がここ十年ばかり目指してきた路線ではありませんか。

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