労働問題を考える際の強力な武器を手に入れた気分
kawachiechieさんの「10年後、ダントツに輝くために今やっておくこと」というブログでの拙著『日本の雇用と労働法』への書評です。
http://blog.livedoor.jp/kawachiechie/archives/53518184.html
得たもの。
①労働問題を考えるにあたって、メンバーシップ型かジョブ型かという切り分け方。
②自分は、それほどこの分野に関心がないということが分かったこと。
①と②がつながってませんが(笑)、それはともかく、①については、
同書では、自分の中で何となくもやもやしていた日本型の雇用の特徴を
メンバーシップ型/ジョブ型というツールで対比しながら鮮やかに整理される。
労働問題を考える際の強力な武器を手に入れた気分。
そして、おそらくこの思考ツールは、労働分野だけでなく、他の分野でも用いることができるだろう。
それだけでも、十分に読んだ甲斐があった。
また、同書では、日本の雇用システムの特徴を歴史を追って説明がなされるので、
労働史の入門としてもとても面白く読めた
ということで、「労働問題を考える際の強力な武器を手に入れた気分」という評語は、大変嬉しいものです。
ところが、
ただ、自分は何となくこの分野に関心があるけど、
それほど、今のところ、深く詰めて勉強したいとということまでには至っていないと気付いた。
企業で人事等を担当している場合には、より実感をもって社内の労働環境がジョブ型か
メンバーシップ型かを考えることができて面白いのではないかな。
とにもかくにも、この分野の勉強が必要になった場合には改めて同書を読み返すことにしよう。
ということで、今のところはあまり深い関心はないとのことのようです。
まあ、必要になったときにまた読み返してください。
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合理的無知ということですね。権丈先生の言葉を借りれば
http://www.chiiken.com/06.11.5koen.sinpo/kenjou-genko.html
「<合理的無知>とは、野菜や果物の値段や、パソコンの価格を調べたり、すてきなデート・スポットを探したりというような日々の生活に有益な情報を得るために費やす時間やお金(コスト)を、公共政策をしっかりと評価するために要する時間やお金に回す気にはとてもなれないという<合理的な選択の結果としての無知>である。つまり、<合理的無知>は、無能だから無知なのではなく、忙しいから無知であるという意味をもつことになる。
もし、経済学が仮定するように、人びとは合理的経済人として行動するのであれば、多くの人が、合理的無知を選択することは、かなり当然のこととなる。仮に、日々の生活に有益な情報を得るのに費やしている時間やお金を犠牲にして、政策を評価するために、新聞の政治経済面や専門雑誌を毎日数時間読んだり、休日は図書館にこもったりするような生活をしたとしよう。ところが、選挙の際の彼の1票の重みは、投票した人たちのなかの1票分にすぎないのであるから、政策評価から得られる期待便益は、かぎりなく小さなものになる。そうであるのに、必ず見返りが見込める日々の生活情報を得るための時間やお金を、公共政策を理解するために費やす人というのは、政治がとても好きというような趣味をもってい」
信頼しうる専門家へ任務を移譲するという点で、よろしいんじゃないでしょうか
(逆に財務官僚にも日銀にもなんの(一票すら!)影響力も行使しえないりふれはのブロガーがなぜあそこまで”非合理的”なのか不思議に思いますが)
投稿: 匿名 | 2012年2月19日 (日) 12時29分