山森亮編『労働再審6 労働と生存権』
大月書店から刊行されてきた『労働再審』シリーズの最後の第6巻『労働と生存権』をお送りいただきました。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b97133.html
雇用の劣化とともに社会保障制度の綻びが明らかになる中、「働ける/働けない」にかかわらず万人に生存を保障する制度は可能なのか。福祉国家の矛盾を克服し、あらためて「労働」と「福祉」の接続のあり方を問い直す。
目次は次の通りですが、
序章 福祉国家における生存権と労働(山森亮)
1章 「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か(遠藤美奈)
2章 社会保障・社会福祉における排除と包摂(堅田香緒里)
3章 年金権の国際比較からみた貧困とケア労働(田宮遊子)
4章 障害・労働・所得保障(岡部耕典)
5章 ワークフェアと生存権(小林勇人)
6章 最低賃金と給付付き税額控除(村上慎司)
4章 保険料支払い困難者の年金
5章 最低賃金と給付付き税額控除(村上慎司)
7章 私たちはいたるところ隠れたるこの「分有」を見いだす(入江公康)
このうち、総論的な山森さんの序章では、欧米のシチズンシップの観点から福祉国家そのものに内在する排除の問題を指摘した上で、いや日本では福祉国家でないことによる排除という問題があることを指摘し、その背景としてわたくしの「メンバーシップ型契約」論なども論じていただいています。その最後の部分から、
5節と6節で概観してきたことを踏まえれば、日本で生存権が保障されるためには、以下のことがさしあたり要請されることになる。第1に「雇用契約のメンバーシップモデル」から「雇用契約の職務モデル」への転換、第2に「就労可能性の医学モデル」から「就労可能性の社会モデル」への転換。第3に「生存権に対する労働権の優越モデル」から「労働権に対する生存権の優越モデル」への転換である。現在の3つのモデルは、制度化されているだけでなく、社会の多数派の思考=イデオロギーでもある。従ってこれらの変革は容易くはないが、不可能と決まっているわけでもないだろう。
・・・いずれにしても既存のモデルは、制度化されているだけではなく、人々の思考体系でもあるわけだから、ベーシックインカムモデルであれ何であれ、制度変更だけでは不十分で、思考の転換が求められている。「遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である」というケインズの言葉を噛みしめながら、利害と思考の双方と向き合うほかはない。
正直言って、この最後の節で示唆されているベーシックインカム論には、本ブログでも過去何回も述べてきたように相当程度の疑義があるのですが、そこはおいておいて、「ケインズの言葉を噛みしめながら、利害と思考の双方と向き合う」姿勢には共感を覚えます。
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