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« ロナルド・ドゥオーキン『原理の問題』 | トップページ | 國學院大學経済学部・労供研究会共催シンポジウム「労働組合による労働者供給事業の可能性-非正規労働問題の解決へ向けて-」 »

2012年1月31日 (火)

他人の経験

賢者は他人の経験に学ぶとやら。

とはいえ、2世代、3世代前の過去は、なかなか他人の経験としても認識しにくいのでしょうか。

今はもう、誰も読まなくなったシュトルムタールの『ヨーロッパ労働運動』から、

>大不況が1929年に始まったとき、前述と同様な矛盾した事態が起こり、それは一層大きな重要性を有し、いっそう広範な結果をもたらしたのである。ヨーロッパの大手労働者団体は、不況を処理する政策を持っていなかった。まさに、労働組合のみが明確な方針を有していたのである。即ち、それは賃下げ反対、失業給付切り下げ反対ということであった。しかし、これは経済政策ではなく、労働者に対して、恐慌の結果をできるだけ緩和する一つの試みに過ぎなかったのである。労働者政党は、それ自身の経済政策を有していなかったので、自己の哲学と隣接していると伝統的に考えられた運動から政策を借りてこざるを得なかった。それは、イギリスでは急進主義、大陸では民主主義的自由主義であった。その原則とは、均衡予算、安定した兌換通貨制、自由貿易であった。労働者政党は、経済恐慌というものが好況時に行われた不確実な投資を清算する手段として必要であると確信していた。・・・

>以上の見解のいくつかは、労働運動の最近の経験から支持されていた。労働運動が均衡予算や安定通貨をいっそう良いと考えたことは、インフレの恐れで強化された。労働者政党は、インフレの悲惨な結果-低実質賃金、労働組合資金の破産、労働条件悪化への無抵抗-を最近になって認めたため、そういった社会的破滅を繰り返してはならないと決心していた。また、消費者の利益の擁護者としての労働者政党は、伝統的に保護関税に反対し、それを実質賃金の切り下げの試みと見なしていた。・・・

>このようにして、ヨーロッパ大国の労働運動は、自由放任経済政策の守護者となった。そして、労働運動は、自由放任と明らかに矛盾する労働組合の要求と、自由放任経済政策とを関連づけた。賃金は、有効需要の縮小が物価を下げた不況前の水準を維持できなかった。税収入が減少し、失業が増大するにつれて、もし失業給付が不変に保持されるならば、予算の均衡は図られないであろう。労働運動は、組合の圧力や自由放任の圧力のいずれかを受けて、依然として仮死状態であった。他方、その運動を取り巻いている世の中は、崩壊しつつあった。・・・・・・・

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