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2012年1月22日 (日)

ベーシックワーク、キャッシュフォーワーク、失業対策事業

少し前の毎日新聞に、宮本太郎さんが「ベーシックワークという構想」という小文を寄せていましたが、

http://mainichi.jp/select/biz/kansoku/news/20120113ddm008070162000c.html

>年頭の夢を語るには目の前の現実はあまりに厳しい。せめて少し大きな構想を論じたい。

 生活保護の受給者が206万人を超えた。条件次第では就労が可能な「その他世帯」も17%に達している。被災地では、巨額の復興資金が投入されているにもかかわらず「震災失業」に起因する生活危機が広がる。

 これまでの政策や制度の限界が露呈しているのだ。いっそのこと生活保護や年金などに代えて、国民全員に一律に現金給付する「ベーシックインカム」を実現しようという議論も出てくる。

 だが、仮に財源の問題をクリアできたとしても、ベーシックインカムで人々が社会に参加しつながりあう条件は確保されるか。むしろすべての成人に一定時間の就労の権利を保障しようとする「ベーシックワーク」とも言うべき考え方に注目するべきではないか。例えば、1996年のローマクラブのリポートでイタリアのエコノミストのジアリーニらが提起した構想である。

 政府と自治体が責任をもって、18歳から78歳までの男女に、地域密着型の事業などで週20時間の就労を保障する。公的扶助の財源の一部をこちらに転用する。最低賃金を守る雇用とし、これに給付付き税額控除などを組み合わせることで、生活可能な所得を実現する。技能やコミュニケーション能力を身につけ一般的就労につなげる「中間的就労」という機能も持たせる。かつての日本の「失業対策事業」は閉じた世界となってしまったが、一般的就労との連携こそが大切だ。

 被災地では、寄付金などで被災者を雇用しながら復興事業を進めるキャッシュフォーワークと呼ばれる試みがある。地域の取り組み次第ではこれは正夢になりうる構想なのだ

これがどこまで「正夢」になるかは、やはりそのベーシックワークが「そこしか生きようのない人じゃない人々の逃げ込む場所」にならないような制度設計が必要ではないかと思います。

キャッシュフォーワークはまだ災害復興時の緊急事業という位置づけがあるので、平時になれば解消するということが担保になりますが、この構想だと、ベーシックワーク以上に働ける人がベーシックワークにとどめるインセンティブを防ぎきれないという感じがします。

これは、失業対策事業を「夢魔」と捉えてしまう実務家的な偏見のゆえと言われればそうかも知れませんが、やはり気になるところです。

「地域密着型の事業などで週20時間の就労を保障」し、「給付付き税額控除などを組み合わせ」、「技能やコミュニケーション能力を身につけ一般的就労につなげる「中間的就労」という機能」を担うというのは、ある部分間違いなく必要な社会的機能ではあるのですが、それをベーシックワークという風に一般化しすぎるのも、ベーシックインカム論と似た危うさがあるのではないか、と感じます。

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コメント

野宿者、生活保護受給者、障害者、ひきこもり、ニート、若年失業者etc・・・対策の数だけ増えて行くスティグマに対する無策が気になります。
ここを放置したままではすべての試みは徒労に終わるのではないでしょうか?
ベーシックインカムは能力、ベーシックワークは時間、生活保護の現物支給はお金の使途、とそれぞれにその制度の受益者に対する不信に基ずく制度設計のように見えます。いずれ一元的な対策では解決はできないのでしょう。
やりっぱなしではなく、個々の施策の精細な検証が望まれます。

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