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2012年1月 5日 (木)

労働組合兼従業員代表機関の逆説

関西方面のマスコミから、某地方自治体の職員団体問題について意見を聴きたいと、ある方を介して依頼があったのですが、お断りしました。それは、問題構造があまりにも複雑であって、それをきちんと理解して貰うことは絶望的に難しく、政治部的感覚で記事にまとめられたらどんな代物になるかわからないからなのです。

そもそもからいえば、ジョブ型労働社会の常識からすれば、企業の外側の存在であるはずの労働組合の事務所が企業の中にあること自体がおかしな話であり、その便宜を図ることは許されないことであり、現にジョブ型社会を前提とする日本国の労働組合法も、「団体の運営のための経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの」は労働組合じゃない(第2条)とか、「労働組合の運営のための経費の支払いにつき経理上の援助を与えること」は不当労働行為である(第7条)と明記しています。

労働組合とは企業とは関係なく、労働者が企業の外側で勝手に団結して作る団体である(ことになっている)のですから、これは当然です。賃上げ要求などの組合活動は企業の外側で、従業員がやるなら勤務時間外に、というのは当然です。

ところが、一方で西欧諸国にはいずれも労働組合とは別に企業別の従業員代表機関というのがあって(ドイツの経営協議会、フランスの企業委員会など)、こちらは企業内部の問題を解決するために企業内部に、企業の負担で作られるものです。企業のリストラの際の労働者間の調整や、いろいろな苦情処理などは、本来企業内部の問題ですから、職場選挙で選ばれた企業の従業員代表が、勤務時間内に、企業の費用負担でやるのが当然です。いわば、人事部が会社側からやることを、裏側で労働者側からやるのが従業員代表機関です。ですから、従業員代表機関には団体交渉権もスト権もありません。これまた当然です。

まず、ここまでの西欧型労働社会の常識が、日本ではほとんど認識されていません。この認識の欠如が、その後の全ての議論の歪みを生んでいきます。

日本では、法律上は企業外部の存在と位置づけられている労働組合が、単に賃上げ闘争などをやるだけではなく、それよりむしろ主として、西欧であれば従業員代表機関がやるような仕事をやっているところに最大の特徴があります。

法律上は「団体の運営のための経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの」は労働組合じゃないと言っていて、それはまったくその通りではあるのですが、しかしその労働組合が現実にこなしている大部分の仕事に着目すれば、その経費の支出につき使用者が援助するのが当然、というまことに逆説的な状況にあるわけです。

これが逆説的であるのは、日本の企業別組合が事実上従業員代表機関の仕事をしているから経費援助が当然だというと、それ自体はまことにもっともなのですが、では春闘で団体交渉やストライキやるのも企業が賄わなきゃいけないのか、という変な話になるからです。本来異なる機能を一つの組織が両方兼ねていることから来る逆説なのです。

このあたりは、拙著『日本の雇用と労働法』でも、次のように解説しています。

> 上述のように、日本の集団的労使関係法制は基本的にジョブ型の性格を維持していますが、局部的に現実のメンバーシップ型労使関係に合うように修正されています。

>・・・大変皮肉なのは便宜供与です。労働組合法は企業から独立した労働組合を前提に、「団体の運営のための経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの」を労組法上の労働組合として認めず(第2条第2号)、その行為を不当労働行為としています(第7条第3号)が、従業員代表機関であればむしろ企業からの便宜供与が不可欠です。そのため、上記2条とも、「労働者が労働時間中に時間又は賃金を失うことなく使用者と協議し、又は交渉することを使用者が許すこと」や「厚生資金又は経済上の不幸若しくは災厄を防止し、若しくは救済するための支出に実際に用いられる福利その他の基金に対する使用者の寄附及び最小限の広さの事務所の供与」を除外しています。現実には、これら規定が意味を持つのは不当労働行為をめぐって労使が対立する場面なので、協調的組合への便宜供与への制約としてはあまり意味がなく、むしろ対決的組合に便宜を供与しないことが問題となります。日産自動車事件(最二小判昭62.5.8労判496-6)は、「組合事務所等が組合にとってその活動上重要な意味を持つことからすると、使用者が、一方の組合に組合事務所等を貸与しておきながら、他方の組合に対して一切貸与を拒否することは、・・・不当労働行為に該当する」と述べています。対決的組合も企業別組合なので、便宜供与を絶たれると苦しいのです。

少なくともこれだけの頭の準備をした上でないと、労働組合事務所問題をうかつに論じると、トンデモ的議論に飛び跳ねてしまうということがおわかりでしょう。

ところが、以上はあくまでも民間企業の労働法であって、公共部門はまた異なる側面があります。なぜなら、公共部門(いわゆる非現業)には労働組合というものは存在せず、職員団体というのがあるだけで、職員団体には団体交渉権もなければいわんやスト権もないからです。法律上(だけ)からすれば、労働組合法の想定する労働組合よりも遥かに従業員代表機関としての性格が強いのです。

ところがこれまたまことに逆説的なことに、民間企業の労働組合(の大部分)が自らに適用される法律の前提に反して従業員代表機関的性格を強く有しているのに対して、公共部門の職員団体はむしろ法律の前提にそぐわないほど(実際には行使できない)労働組合的行動をやりたがる傾向が強いのですね。実際には行使できないがゆえに、口先だけ急進的になるという面もあるように思われますが、その口先の言葉だけに着目すると(往々にしてインテリにはその傾向がありますが)その実態を見誤ることになりがちです。

はい、ここまでが本論を始めるまでに頭に入れておかなければならないことのごく簡単な要約です。ここまでがちゃんと分かっていないと、議論があらぬ方向に逝ってしまうというのはよくおわかりになるでしょう。そして、そんなことが、新聞の取材でちゃんと伝わると信ずることがほとんどあり得ないとわたくしが考える所以も。

(追記)

なんだか、また某テレビから取材の依頼がきましたが、スタンスは上に書いたとおりですので、片言隻句をつまみ食いされる危険性の高いマスコミへの対応は丁重にお断りさせていただいておりますので悪しからず。

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コメント

またぞろ、くまさん様やCramClam様が、エントリの趣旨を何ら理解しないまま脊髄反射的な「ぼくのかんがえたこうむいんひはん」で空回りなさるんでしょうな。
お二人とも「芸」としての面白みを醸し出すにはもう少し突き抜けて頂く必要があるように思いますが、学ぶ努力をする気はなくとも、きっと多少は「恥の感覚」をお持ちなんでしょうね。

 結局、地方自治体庁舎内の労働組合への便宜供与(家賃の減免)をやめる・追い出すという首長の見解自体に、hamachan先生は賛成・反対・どちらとも言えずなのかよく分かりません。

 過度な給与削減による行政サービスの低下や首長のチェックのためにも、労働組合が適度に活動してもらわないとと思います。

地方公務員は原則労働基準法適用なのに、それを活用してこなかったのは、地方公共団体にぶら下がる労働組合に法的理解が足りなかった証拠だと思ってます。公務員として、そして組合員として、本来はきちんと公私の区別を付けて行動するべきだと言うことでは、橋下さんの意見は非常に真っ当だと考えます。
働く人の法的権利をないがしろにしてきたのは自治労はじめ、労働者を代弁してきた嘯いてきた政党も同じく断罪されるべきでしょう。

うーんというコメントが多いですね。

戦中から戦後の労組の形成過程の中で、自ずと労組と従業員代表機関が混在した役割を背負わされていて、組合事務所などの便宜供与について簡単に判断できないと言いたいのですよね。hamachan先生のおっしゃっていることは。またこれは岩波の前著「新しい労働社会」での逡巡でもあったと理解しています。

それを労組の主体性の問題にするような、橋下氏のような政治家と同レベルの政局談義になって、目先の犯人さがしの論理を持ち出されるから、hamachan先生はマスコミに組合事務所問題について話したくない、ということじゃないかと読みました。

戦闘的な従業員代表機関というのが日本の戦後の労組のおかれた性格で、その上で有償・無償の便宜が図られ、横断的な職種別賃金や労働条件を形成する前に、職場の苦情処理機関や従業員の連帯意識醸成のための機能が大半を占め、会社(自治体)をうまく回している。その方が労組としての組織運営もうまくいくという現状があるわけです。
逆に、企業別賃金で、企業内組合で、公私の峻別をして自律性などと言っても、その労働組合は機能不全になるだけです。
労組が自律しろとなれば当然の帰結として、欧州のように産業別労組が力を持たなくてはならないのですが、職場の人事の細かいもめごとに取り合わず、同業他社と賃金・労働条件を上も下も足並みそろえろという労組の運営に、今時の組合員がついてくるんでしょうか。産業別労組はどこも企業内組合の脱皮を掲げていろいろやってみたものの、そうした壁にぶちあたり続けた戦後労働運動だったように思います。

「ある方を介して」のその当の「ある方」に丁寧なコメントいただいてしまいました。

いや、まさに上のspecさんのように、とにかく結論を求められてしまうのが一番困るのです。

いや、現在の日本の雇用労働システムを前提にすれば、組合事務所を企業が提供することは当然だという、何重にも行ったり来たりを繰り返した挙げ句の一つの投企としての「結論」を語ることはできますが、それだけ切り取られると、待ってましたとばかり、ある種の人々から

>ほら、やっぱり濱口は労働組合の御用学者だ。労組法にはっきり書いてあることを平然と踏みにじって、労組の利益になることばかり三百代言繰り広げやがる・・・

といわれることは目に見えているわけで。

そんな単純な問題ではないということを、いやでもおうでも分からせた上でなければ、結論などという恐ろしい代物を口にできるはずはないのですが。

本当は、上で書いたようなことが、政治家やマスコミ人にとっては常識であるような状況が本来あるべき姿なのでしょうが、そのようなことが到底望み得ない現状では、せめてこういう場末のブログで、分かろうとする意欲のある方々相手に語る程度しかやりようがないわけです。


 結論を求めてしまってすみません。でも、マスコミもそうですが、賛否を尋ねるのは人間のサガというものです。特にここはブログですので、細かい背景の知識などを述べることもできるわけですから。

 どんな結果(家賃の減免の拡大・縮小・廃止)になっても、当事者たちの話し合いで見解や利害の調整ができれば、それはそれでよいのでしょうが、当の首長さんは、そういう利害調整が嫌い若しくはできない人と思われます。

 そうすると、結局裁判などで争うケースがこれからいくつも出てくると思いますが、そうなった場合に法の想定と実態のズレがどうなるか、これからもブログや著書で解説お願いします。

いや、「賛否を尋ねるのは人間のサガというものです」というのは、まったくその通りです。
わたくしも、自分の知ってることでなければないほど、「要するにどっちなの?」と聞きたがってしまうでしょう。

原発であれ、TPPであれ、そういう聞き方はそれ自体が危うい、結論だけを求めることは大事なことをことごとく振り落としてしまうおそれがある、ということを素人が認識するためには、そういう聞き方を自分の専門分野でやられたらどうか?と常に自省することが必要なのでしょうね。

ま、ご自分の分野でもそれができない人々も結構居るようですが・・・。

大阪市の労組事務所問題は、労使間の自治の問題でもあるので解決は当事者に任せますが、官公労が身分保障を盾に居丈高になっているのは事実では。

>戦闘的な従業員代表機関というのが日本の戦後の労組のおかれた性格で(中略)職場の苦情処理機関や従業員の連帯意識醸成のための機能が大半を占め、会社(自治体)をうまく回している。

昭和末期から上場企業を渡り歩きましたが、こんな労組には出会いませんでした。時代の変遷でそんな労組が少なくなった(機能として不要になった)のが加入率の低下として現れているんでしょうね。
就業規則等がしっかりしていれば理屈としては合理的な賃金交渉ができますし、労組が無くてもコミュニケーションがモチベーションを高め競争力の源泉と考える企業では細かな改善は出来ます。


濱口さんに関西のマスコミからオファーがあったのに断ったのは、もったいなかったですね。
ABCやYTV辺りなら30分以上オンエアしてくれますので、濱口さんの主張が伝わると思いますよ。
非正規など喫緊の問題はもっと多くの大衆が濱口さんの知見を知るべきなのでブログよりも映像を利用すべきです。
ネットTVなら何時間でも確保してくれるでしょう。
話題になれば橋下さんの影響も修正できますよ。批判されることがたいそうお嫌いなのは文章を通じて察しますが、雄弁だと感じましたので必ずや効果があります。


いえ、マスコミを一般に断っているわけではありません。むしろ、人からは出過ぎと思われるくらい出ていますよ。(民間の)雇用労働問題についてであれば。

公務員関係で嫌なのは、あくまでも(民間)労働問題の一変形ないし応用問題として論じているのに、そもそも労働問題一般には何の関心もなく、もっぱら(労働問題ではない)コームイン問題にのみ強烈な(独自の)関心をお持ちの人々が結構多くて、そういう人には、労働問題の文脈であるということを説得するのに百万年以上かかりそうなところですね。

そういう方々に、コームイン問題も労働問題であるという入口論にはいる前のところで汗を流すのは疲れるだけで何の得るところもないので、遠慮することにしているわけです。

わたし自身は、公共部門の労働組合運動に対しては、民間よりもメンバーシップ型の強い枠組みに安住しながら、(なまじ団交権や争議権を制約されているために)政治的に急進的な態度をとることが労働組合らしいと思いこんで、自分たちの成果につながらないような不毛な運動を繰り返してきた面があるとかなり低く評価しているのですが、だからといって、労働問題の基本ラインを揺るがすような事態を結構なことだとのんきにみているわけにもいかないというところです。

濱口 様
ご丁寧なお答えをいただきありがとうございます。

>労働問題の基本ラインを揺るがすような事態を結構なことだとのんきにみているわけにもいかないというところです。

貴兄の前提とするところをお伺いでき、引っかかっていたものが一つとれたように思います。

雇用問題については今後も困難な状況が続くと思いますが更なるご活躍を期待しております。
期待するが故に、もっとメジャーになっていただきたいと切望します。

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