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2012年1月29日 (日)

「身を切る姿勢」は泥沼の道@dongfang99

下の欧州労連のようなまっとうな主張と極めて対照的なのが、なぜか極東亡国で繰り返される「増税の前に身を切る姿勢を」という(主観的には善意に敷き詰められた)地獄への道の言葉でしょう。

繰り返し引用するdongfang99さんの日記から:

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20120126「身を切る姿勢」は泥沼の道

>それに、もし増税が社会保障制度の機能強化を目的としているなら、税負担を政治指導者の「身を切る姿勢」との関係で語ることは、その目的を妨げるものでしかない。そもそも、国会議員や官僚やギリギリまで身を削って追い込まれた状態を前提として、はじめて国民が税負担に応じることができるという論理は、今の日本においては増税というのもが、国民全員が国の厳しい財政状況を真摯に受け止めて耐えて我慢することと、ほとんど同義になっていることを示すものである。そうでなければ、国会議員や官僚に対して「増税の前に身を切る姿勢」などを要求する意味がわからない。

 このように、自らの生活や人生をよりよくするための、政府に社会的な支援やサービスを要求するための根拠としての税負担ではなく、「財政危機」の中でみんなが我慢しているのだから「わがまま」は言えない、というネガティヴな同調圧力のなかで行われる税負担は、再分配・社会保障の機能強化へと道筋をつけるものとは決してならない。むしろそれは、増税が社会保障費の抑制(高齢層向け支出を除く)と同時に進行するような方向に向かわせ、貧困者の生活を直撃し、経済に深刻な打撃を与えてしまうような、そういう最悪な形での増税策になってしまう危険性がある。

人に「身を切る姿勢」を要求するということは、それがブーメランのように自分に返ってきて自分の「身を切られる」という当然の摂理が分かっていない人々がそれだけ多いのでしょうか。

自分だけは身を切られないとでも思いこんでいるのか、自分には人から切れと言われるような「身」がないとでも思っているのか。

たぶん、人からは切れる「身」がたっぷりついているような人ほど、なぜか主観的には自分には切られる「身」がないと信じ込んで、人の「身を切る」ことばかりに専念できるのでしょうね。

そういうブーメラン現象を繰り返して20年、そうやって「身を切られ」た人々が、自分の行為を反省するどころか、切られるはずのない自分の「身を切られ」たことに逆上して、ますます人の「身を切る」ことに夢中になるという素晴らしき循環を作り出しているような気もします。

まあ、突き詰めれば、これも本ブログで繰り返してきたことですが、

>やはり問題は、生活・経済上の利害関心や政策理念による政治の争点化が進まず、むしろ「改革へのやる気」「リーダーシップ」「既得権からの脱却」といった、抽象的な精神論が政治の対立軸になってしまったことに求める必要がある。有権者が経済利害や政策理念で支持すべき政治家や政党が決められなくなっているという状況が、政治家や官僚の指導力や道徳性の問題を必要以上に前面化させ、「増税の前に身を切る姿勢を」という世論を生み出しているわけである。

というところに行き当たるわけでしょうが。

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コメント

たぶん、主語と目的語が逆であり、行政府と立法府が国民に対して、増税という人に「身を切る姿勢」を要求したから、それがブーメランになっているんでしょう。

「信無くば立たず」であり、北欧諸国の高負担が成立するのはお上が信用されているからであり、我が国では信用されていないからこんな現象が起きるのでしょう。端的な例が、政治家の力不足が指摘される一方で、国会議員の削減がまじめにとりあげられるという矛盾です。公務員の給与削減論が出てくるのは、国民の賃金水準に比して高いとおもわれるから、もしくは、給与に見合うだけの成果を上げているとは思われていないからでしょう。

目的を達成するには、まず、行政府立法府が信用を取り戻すには何が必要かを考えるのが、結局のところ、「急がば回れ」になるのではないでしょうか。

まずは情報公開の一環としてテレビに論客を送り込んで、ムダ削減を訴える論客と討論すれば良いと思います。

自己レスですが、考えてみると、この「身を切る姿勢」の話だけでなく、「小さな政府論」にしても、「ベーシックインカム論」にしても、これらすべての考えの根底には、政治・行政への不信があります。こう考えると、「信無くば立たず」という孔子の言葉は、この現代においてもなお光を放ち続ける至言であると言えるのではないでしょうか。

孔子は、軍隊よりも食料よりも信頼が大事だと言い放ったのですが、このことばを初めて学んだ時は、「いや、食料のほうが大事でしょう」と思ったのですが、昨今の、「増税の前に、まず、身を切れ論」を見ると孔子の正しさを認めざるを得ません。本来は、年金問題という将来の「食料」の問題よりも、政治行政への不信という「信頼」の問題こそ優先するべきだということなのでしょう。

故事成語で「鼓腹撃壌」ということばがありますが、現在はテレビのゴールデンタイム枠にまで政治番組が進出するぐらい国民が政治に関心を持っているということですが、この故事成語は、民衆が政治に関心を持つのは政治がうまくいっていないことの裏返しであるということを、物語っていますね。

古典なんて職業レリヴァンスはありませんが、教養は教養として大事ですね。

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