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風呂敷が大きすぎるような気がする

一昨年の拙著『新しい労働社会』への、読書メーターでの書評です。評者は「soku」さん。

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/15454233

>派遣、偽装請負、労働供給事業を対比させつつ、いずれも結局は似たようなもんで、むしろ、問題は他にあるという視点は実に新しく、伝統的な労働法の視点からは大きく外れている。しかしながら、実務者にとっては非常に頷ける点が多い。ただ論点が段々広がっていき、賃金構造、社会保障、最後には政策過程論にまで至るのを読むと、風呂敷が大きすぎるような気がする。でも、こういう独特で面白い視点をもった作者を独法で抱えていながら政府や厚労省のブレーンで有効活用できていない現状はもったいないと思う。    

「実務者にとっては非常に頷ける点が多い」と褒め上げておいて、その後「風呂敷が大きすぎるような気がする」とさりげにひっくり返す手際がなかなか・・・。

最後の「もったいない」も、皮肉な匂いが・・・。まあ「独特で面白い視点」は自認しています。

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コメント

おじゃまします。

皮肉と言えば、友人で同じ舞台関係のオンコールで働く舞台照明エンジニア氏と冗談半分(まじめ半分)で、靖国神社へ非正規労働者の殉職者を合祀してはどうか、という“妄想”を話し合いました(むろん最大限の皮肉です)。
きっかけは、我らオンコールの舞台エンジニアやフリーの役者は形式的に個人事業主なのですが、建設業・林業・漁労者などが加入できる一人親方労災保険の適用が無く、友人曰く・・「これじゃ屍になってもうかばれない」。さらに、「非正規労働者というのは、近代国家が始まって以降、一命を落として、お国(産業発展に不可欠、且つ正規労働者のつつがない生活)の役に立っている、という特別な存在なのだから、その合祀名簿を昔担当した厚生省(現厚労省)で、ねんごろに弔ってもらった上で、総理大臣・閣僚・天皇・さらに正規労働者には参拝してもらいたいものだ!」・・・、と。
かくして非正規労働者は“神としてあがめられる存在”に!と言う、極めつけのばかばかしいおはなしでした。

投稿: endou | 2011年12月31日 (土) 03時14分

>endou さん

確かに、国の犠牲になったようなものだから、靖国に合祀する案には説得力を感じますね。戦争の犠牲者に限定する必要はありません。

「靖国神社バンザイ」な人に対しても、「非正規労働者バンザイ」な人に対しても、痛烈な皮肉になっているように感じました。

投稿: くまさん | 2012年1月 5日 (木) 02時47分

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