松下良平『道徳教育はホントに道徳的か?』
日本図書センターより、松下良平『道徳教育はホントに道徳的か?「生きづらさ」の背景を探る』をお送りいただきました。ありがとうございます。
http://www.nihontosho.co.jp/2011/10/post-233.html
さて、この本。イエローカバーの教育関係書のシリーズの一冊で、広田、児美川、矢野といった方々の本を既にここでも紹介してきましたが、いずれも労働の世界と深く関わる領域だったので、エントリも書きやすかったのですが、今回は道徳教育ですよ。
オビの文句に曰く:
>これって 道徳的 ですか?
◆ルールを守るのは当然だ!
◆悪は追放しなければならない!
◆自分を犠牲にする精神は素晴らしい!
◆ひとに迷惑をかけてはいけない!
◆命の大切さは教えなければならない!
これって誰もが正しいって思っているけど、本当に「道徳的」ですか?
これまで私たちが考えてきた道徳の枠組みを超え、
これからの道徳のあり方について刺激的な考え方を提案!
3.11以降、私たちのモラルは変わるの?
現代社会のルールは正しいの?
さぁ、道徳ワンダーランドへようこそ!!
冒頭出てくるのが、私は読んだことはなかったのですが、その道では有名らしい「手品師」という道徳教材です。
あらすじはこういうものですが、
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasyo/doutoku/sakusha/sakusha02/tejinasi_01.asp
>あるところに、腕はいいのですがあまり売れない手品師がいました。その日のパンを買うのもやっとでしたが、大劇場のステージに立てる日を夢見て、腕を磨いていました。
ある日、手品師は小さな男の子がしょんぼりと道にしゃがみこんでいるのに出会いました。男の子はお父さんが死んだ後、お母さんが働きに出て、ずっと帰ってこないというのです。手品師が手品を見せると、男の子はすっかり元気になり、手品師は明日もまた手品を見せてあげることを約束しました。
その日の夜、友人から電話があり、大劇場に出演のチャンスがあるから今晩すぐに出発して欲しいというのです。手品師は、大劇場のステージに立つ自分の姿と男の子とした約束を代わる代わるに思い浮かべ、迷いました。そして手品師は、明日は大切な約束があるからと友人の誘いをきっぱりと断りました。
翌日、手品師はたった一人のお客様である男の子の前で、次々と素晴らしい手品を演じてみせました。
をいをい。
ここから、道徳教育のいう道徳が反利己主義でしかなく、それは容易に利己主義に転化してしまう。他者に拡張していく自己愛という契機が欠落していると批判し、そこはよく分かるのですが、そこからさらに、共同体道徳と市場モラルという話に展開していくのですが、実はそのあたりの論理展開が、今ひとつついていけないところがありました。
この本で著者のいう「市場モラル」って、松尾匡さんやジェイン・ジェイコブスにいわせれば、たぶん「市場モラル」じゃないじゃないか、というような気がします。
はじめに―道徳教育ってつまらない?
第1章 読み物資料の奇妙な世界
[1]誠実な「手品師」の不誠実
教材「手品師」/これでよかったのか/「手品師」と「友人」の不誠実
[2]誠実ってどういうこと?
もっといい選択肢を考える/奇妙なロジックがまかり通るのはなぜ?
第2章 道徳教育の道徳度を問う
[1]思いやりの光と影
反利己主義・利他主義としての思いやり/自己愛の他者への拡張としての思いやり/
思いやりは危ない/利己主義が否定すべきものになるとき/「反利己主義としての思いやり」
に満ちた社会で起こること/どのような思いやりが必要か
[2]道徳的とはいえない道徳教育
教材「手品師」の非情でよそよそしい世界/「手品師」とはだれのことか/
「手品師」を誠実とみなすことの皮肉な結果/「道徳」の授業のどこが問題なのか
第3章 歴史は語る―学校の道徳教育の非情さ
[1]戦前と戦後の違い
天皇制下の道徳教育/民主制下の道徳教育
[2]戦前と戦後をつらぬくもの(1)―愛国心
愛国心を植えつけるための教育/戦後の“愛国心”教育/今日の“愛国心教育”
[3]戦前と戦後をつらぬくもの(2)―利己主義と利他主義の共犯関係
利他主義によって「奴隷」になる/利己主義の世界を支える利他主義の道徳/
私利私欲の社会を取り繕う道徳教育
第4章 別の道徳教育へ
[1]自己愛にもとづく自己犠牲
ケアや贈与によって支えられる日常生活/自己犠牲は強制できない
[2]これまでの道徳教育はうまくいったのか
道徳教育の失敗?/道徳教育の成功?/市民教育の基礎としての道徳教育
第5章 学校の外に広がる道徳ワンダーランド
[1]道徳はどのようにして生まれてくるのか
もう一つのルール、そして学び方/人は価値づけをする生き物である/
[2]「人間生命の尊重」のあいまいな根拠
第6章 学校がなくても道徳は学べる―共同体道徳を学ぶということ
[1]共同体道徳とは何か
生活の中から自生してくる道徳/共同体道徳の多様性/共同体道徳のウチとソト
かたい道徳とやわらかい道徳
[2]あいさつの学びかた
生活の中で学ぶ/学校の教室で学ぶ
[3]生命尊重の学びかた
学校での学習とどこか違うのか/環境から学ぶ?/楽しいだけが人生じゃない!?/
役立つ人でなくてもいい/他者から贈られた私の命の尊厳/共感は要らない?
[4]他者の思いを受けとめること、共感すること
他者の思いを受けとめることがもたらす悲劇/思いを受けとめることのできない〈他者〉/
傲慢で危険な共感/呼びかけ―応えながら共感すること
第7章 生命尊重をめぐる危機?
[1]生命尊重はどのように学ばれるのか
祝福のまなざしの網目/声の交歓としての遊び
[2]学校の道徳的危機
何が危機なのか/〈呼びかけ―応える〉対話の欠如/いじめ/大切なのに見失われているもの
[3]家庭の道徳的危機
要求し誘導する親/コミュニケーションや団らんが必要なのか/親がわるいのか
[4]なぜ人を殺してはいけないのか
理由がわからない/〈呼びかけ―応える関係〉の欠如がもたらす暴力/理由はいえない
第8章 迷走する道徳教育―市場モラルがもたらす分裂
[1]なぜ今ルールの徹底や規範意識の強化なのか
もう一つのルール/まなざしの変化がもたらす不安/市場への信頼を確保するためのルール/
虐げられた人びとを管理するためのルール
[2]市場モラルとは何か
対立する二つの顔/他人の気分を害しかねないことをするな/
自己表現の入念なコントロールはむずかしい
[3]これでも道徳教育?
自己管理のための道徳教育/心よりもカタチ/多様な仕掛けを用いて成果をあげる/
結果を出せば何でもいい
[4]市場モラルの教育
いつの時代も同じ/道徳教育の本質をとらえなおす
[5]市場モラルと共同体道徳はどう違うのか
せめぎあう二つの道徳/二つの道徳に引き裂かれて
第9章 ルールに、ご用心
[1]市場モラルの光と影
「善玉―悪玉」図式を超える/表と裏がひっくり返る
[2]ルールにうるさい社会の非情や無慈悲
情けは人のためならず?/善と悪のグレーゾーン/悪を飼い慣らす
[3]ルール遵守を優先する社会の悲劇
ルールさえ守れば本当に大切なものはどうでもいい/無責任な事なかれ主義/
フクシマ原発事故の逆説
[4]ルールだらけの社会に潜む暴力と閉塞感
バッシングし合う人びと/深く潜行する暴力/大胆な構想が求められる社会/
停滞して行く社会
おわりに―これまでの道徳教育に別れを告げよう
二つの道徳と道徳教育/近代日本と道徳教育/市場モラルを飼い慣らす
ブックガイド
道徳・倫理をめぐって/日本の道徳教育をめぐって/ブックではなく、読み方のガイド
あとがき
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