キャリア教育で学ぶべき「世の中の実態や厳しさ」とは何か?
去る12月9日付で、文部科学省からキャリア教育に関する報告書「学校が社会と協働して一日も早くすべての児童生徒に充実したキャリア教育を行うために」が公表されたようです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/12/__icsFiles/afieldfile/2011/12/09/1313996_01.pdf
いろいろと書かれているのですが、やはり気になったのは、
>一方、こうした知識の習得や意欲・態度の涵養と同時に、誤解を恐れずに分かりやすい言葉で言えば、“世の中の実態や厳しさ”を子どもたちに学ばせることも重要である。
というところです。この文書の全体にわたって、この「世の中の実態や厳しさ」という言葉が繰り返し繰り返し語られているのです。
いや、もちろん、無知が役に立った試しはないわけで、子どもたちに「世の中の実態や厳しさ」をきちんと教えることは極めて重要ですが、その教え方が、一つ間違うと、
>世の中はそんな甘いもんじゃねえ、労働法とかなんとか莫迦なこといわずに我慢しろ、それが大人ってもんだ
的メッセージとして語られてしまう恐れもないわけではありません。現場でキャリア教育の専門家という顔をしている人ほど、そういうことを口走りそうでもあります。
いやもちろん、
>このような“世の中の実態や厳しさ”を子どもたちに実感を伴う形で理解させた上で、これらを乗り越えていくために必要な知識や意欲・態度等を培っていくことが必要である。
の「必要な知識」には、
>中学校、高等学校におけるキャリア教育においては、生徒に、経済・社会・雇用等の基本的な仕組みについての知識や、税金・社会保険・年金や労働者としての権利・義務等についての知識等、社会人・職業人として必ず必要となる知識を得させるとともに、男女共同参画社会の意義や仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)の重要性等について、自己の将来の在り方生き方に関わることとして考察を深めさせることが必要である。
が含まれているわけなのですが。
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世の中の厳しさを学校で教えるって、具体的にはどうやるんでしょうか? 男女差別の厳しさを教えるために、学校でも男女差別を実践するとか? あるいは、成績が試験の点数とは関係なしに、教師の気分次第で付けられるようになるとか? 金持ちの息子は教師から優遇されてよい成績がつけられ、貧乏人の子供は最初から絶望的になるとか?
あ、不正をすればまともに採用試験を受けなくても教師になれるという事実を子供たちに見せ付けたのは、これは「世の中の厳しさ」を子供たちに身を以って教えるためだったんですね。
投稿: CramClam | 2011年12月23日 (金) 13時41分
>CramClam様
>世の中の厳しさを学校で教えるって、具体的にはどうやるんでしょうか?
エントリ中で既に書かれていることを、いちいち私怨を交えて混ぜっ返すのは程々になさったら如何ですか?
もしも貴方の感じておられる「世の中の厳しさ」が、しょせん学校教育で味わわされた挫折感に基づく程度のものでしかないのなら、それは単に貴方がまだまだ「世の中の厳しさ」をご存知ないというだけことです。
投稿: 鬼木 | 2011年12月23日 (金) 14時19分
小中学校での「キャリア教育」はいわゆるゆとり教育と
ほぼ同時期(少し先行して)に始まったと思いますが、
最初は「フリーター対策」の意味合いも込められていて
仕事というものを早いうちから「現実的に」考えろ、
世の中は甘いもんじゃないぞ、フラフラしていたら
ろくな未来がないんだぞというような
指導が実際のところであったと思います。
他方では就職難が報道されるなどネガティブな情報に
さらされる中、「現実的に」考えろ、では
10代・20代学生が「公務員」や「大手正社員」を進路希望にすると
いうような「保守化」「安定志向」になるのもやむを得ないと
思います。
これをまた一部マスコミなどで「覇気がない」とか批判される
のでは、あまりにも気の毒だと思います。
投稿: 向川 | 2011年12月24日 (土) 09時44分
CramClam さんの指摘は本質的だと思われます。
学校でこのような教育をするというのは、行政自らが自らの力不足を認めるような、ある種の居直りのような滑稽さと矛盾があるのですが、かつて、橋下知事(当時)に私学助成の撤回を求めた高校生に対して、自己責任論を持ちだして高校生を論破した橋下知事に世間は好意的だったと思われますので、そういうのが流行りなのかもしれません。
学校教育というのは基本的に「きれいごと」で良いと思います。世の中の不条理を教える役割は両親が担うべきでしょう。教師の立場で感じる「世の中の厳しさ」と、両親の立場で感じつ「世の中の厳しさ」というものは、異質であり、おそらく、ともに生活する両親から教えられる「世の中の厳しさ」のほうが、子供もリアリティを感じるでしょうから。
教育現場でやるならば、まずは、あるべき姿(=きれいごと)についてみっちりやって、それから現実の問題点を考えるという流れでやってほしいところです。「差別について考える」と称して、「差別ごっこ」をするのが学校の役割では無いと思います。
投稿: くまさん | 2011年12月24日 (土) 13時29分
>くまさん様
>「差別について考える」と称して、「差別ごっこ」をするのが学校の役割では無い
そんなことは元のエントリの中に一行も書かれておりませんが、いったい何に対する批判なのですか?
もし貴方が学校における「キャリア教育」の一環として差別に関する教育が行われたという事例をご存知でしたら、ぜひともご教示下さいませ。
>橋下知事(当時)に私学助成の撤回を求めた高校生に対して、自己責任論を持ちだして高校生を論破した橋下知事に世間は好意的だったと思われます
根本的な部分で事実誤認があるようです。
まず、論破できていません。強いて言うなら「声の大きさ」と「地位の違い」で知事が相手を黙らせただけ。
それと大阪の場合、「優秀な生徒はまず公立高を志向し、私立高は次善の選択」という傾向があるため、「自己責任論」を持ち出すなら他の手段で教育支援を行うべきだ、という批判は当時からありました。ああした知事の対応に「好意を示した」のは、そうした事情を知らない非大阪府民が多かったのでは、という印象があります。
>学校教育というのは基本的に「きれいごと」で良いと思います。世の中の不条理を教える役割は両親が担うべきでしょう。
その「きれいごと」として、例えば現状の労働法制がどのように構成されているか、就職や企業に際してどんなリスクが存在し、どのようなセーフティーネットを利用できるかetc.を学校で指導することには大いに意味があると思われます。
上記のようなことは、大の大人でも知らない場合も多いので、「キャリア教育」の課程の中にはぜひ組み込んでもらいたいと思います。
投稿: 鬼木 | 2011年12月25日 (日) 12時09分
鬼木さんはずっと濱口先生のブログをチェックしているのでしょうか? お暇なようで、うらやましい限りです。
学校では、頑張ってテストで良い点数を取れば(多少、教師の主観が入るにせよ)良い成績がつく。実にシンプルな世界です。
ところが現実社会はもちろんそんなことはない。評価は基本的に縁故情実だらけの主観評価。良い仕事をしたからといって良い評価になるとは限らないどころか、優秀な部下が無能な上司に潰されることだって珍しくない。さらにいえば女性は就職の入口から差別されている。
こういう「世の中の厳しさ」=人間関係の難しさを、学校で子供たちに身を持って感じられるように教えることが必要なのか、また可能なのか、と思いますね。ぬるま湯に浸りきっている教育関係者には、世の中の厳しさなんて分からないのでは?
投稿: CramClam | 2011年12月28日 (水) 13時27分
>CramClam様
>学校では、頑張ってテストで良い点数を取れば(多少、教師の主観が入るにせよ)良い成績がつく。実にシンプルな世界です。
貴方は以前から「学校における評価=テストの成績」という主張を続けておられますが、それに対し「事はそれほど単純ではない」という指摘が、私も含め幾人もの方からなされていました。その点に関する釈明が未だ見られずじまいなのは、実に残念です。
ところで実際の教育現場では、例えば教師による「えこひいき」など情実的な評価が行われたり、成績の良い児童がいじめの標的になったり、という事例が決してレアケースではないのは貴方もご存知でしょう。「良い成績を取れば評価される」のは学習塾や予備校での話に過ぎず、実際の教育現場では生々しい人間関係が付いて回るものであって、とても「シンプル」どころじゃありません。
そうした「現実」には口を噤む一方で、
>ところが現実社会はもちろんそんなことはない。評価は基本的に縁故情実だらけの主観評価(以下略)
……等と紋切り型の印象論を展開するだけの御仁が「教育」を語るなど、正に噴飯ものだと私は思うのですが、如何でしょうか。
といいますか、例えば企業内で情実人事や不当待遇などの問題がある場合は、組合なり労基署なり労働委員会なり活用できる機関は幾つもあるんですよ、といった知識を「キャリア教育」の一環として教えることには意義があるはずですよね、というのがhamachan先生のこの記事における主張なのではありませんか?
ついでながら、
> さらにいえば女性は就職の入口から差別されている
男女雇用機会均等法の施行から既に四半世紀が過ぎておりますが、いまだにそのような差別が行われているとは些か驚きです。ぜひとも具体的な事例をご教示下さい。
投稿: 鬼木 | 2011年12月29日 (木) 09時31分