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2011年12月21日 (水)

大瀧雅之『平成不況の本質』

S1344 世間で話題になる論点という意味では、帯にもあるデフレ論(「リフレ派」批判)が注目の的なのかも知れませんが、わたくしにとってはそういうたぐいのことよりも、とりわけ第3章で論じられていることの方が、百万倍重要な論点です。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1112/sin_k627.html

>失業率の悪化、労働生産性の停滞、消費の低迷―。長期にわたる日本経済の不調の原因は「デフレ」だと言われていますが、本書では理論経済学の立場からその「常識」を疑い、不況の本質を探ります。

 なぜ賃金は上がらないのか。そもそも企業は誰のものなのか。著者の理論に基づき、雇用と金融の側面から不況の原因を読み解く鍵を提供します。

 そして、大震災後のいまこそ、経済成長至上主義から脱却し、社会的共通資本としての教育を充実させることの重要性を強調します

はじめに―不況、そして東日本大震災   

第1章 「デフレ」とは何か―長期的視野から考える   
  1 不況の現実
2 インフレ率低下をどう捉えるか
    ―デフレか、ディスインフレか
3 物価は何によって決まるのか
[章末付録]貨幣の「信頼性」と「リフレ論」について

第2章 なぜ賃金が上がらないのか   
  1 対外直接投資が招いたもの
    ―産業空洞化と技術継承の困難
2 名目賃金はどう決まるか
3 基礎となる経済理論

第3章 企業は誰のものか   
  1 株主主権の限界
    ―物的資本と人的資本
2 「相互規定的」という考え方
3 派遣法緩和で喜んだのは誰か
   ―利潤最大化行動はどこまで正当化されるか

第4章 構造改革とは何だったのか   
  1 「構造改革」の時代背景
2 推し進められた「市場型間接金融」
3 投機の奨励
   ―派生証券はゼロサムゲーム
4 郵貯の民営化
5 新日銀法と市中銀行

終 章 いま、何が求められているか   
  1 どのような時代なのか
2 社会的共通資本としての教育
3 「技術」をどう継承していくか
4 公正な所得分配を求めて

あとがき

参考文献

実をいうと、ここで大瀧さんが論じている議論にはかなり問題点もあると考えています。それは、市場では熟練は分からないけれども、組織では熟練は分かる、と、わりと単純に考えておられるところで、それはそういうものではないと思いますよ。分かると思っているのは、それはむしろフォーマルな組織ではなくインフォーマルな人間関係のある共同体的集団を想定しているからで、それを想定している限り、いわゆる日本的経営の記述としては一定の妥当性はありますが、それは逆に一定以上の広がりを持てない。「お仲間」だからこそお互いの熟練がわかり合える(素直にわかり合ってもお互いに問題がない)のであって、仲間以外には及ばない。ここは、以前広田さんの科研研究会で述べた話とつながります。

逆に、仲間原理を抜きにした「組織原理」で社会を組織したら、それこそ共産主義社会に典型的にみられるように、市場以上に熟練は分からなくなる、というよりわかり合うことが損になります。多くの人が誤解しがちな点ですが、「組織」とは権力関係の束であって、ほんわかした温かい人間関係に包まれた共同体であるかのごとく描かれるからといって、多くの場合それを本気にしてはいけません。お互いに「同志」と呼び合う共産党がいかに凄惨な権力闘争の世界であったかを考えるだけで、普通の人は分かるところですが。

誰が本当にできる人なのかを素直に認めあえるためには、実はかなり微妙な社会の設定が必要なのであって、それが仲間を超えた広がりを持つことがあまりにも難しいがゆえに、仲間を超えるところは市場に委ねるか、むしろ当該組織とは切り離された国家レベルの組織原理によってフォーマルに決定してしまうしかない(ヨーロッパ型の資格社会とは、まさにそういうことではないのでしょうか)、というのが近代社会の諦念でもあるというあたりが、必ずしも理解されきっていないようにかんじました。

やや皮肉な言い方をすると、これはエリート同士がお互いの力量を認めあえる程度の狭い共同体的世界で学者としての熟練を磨いてこられたという経歴ゆえのバイアスという気もします。いや、アカデミズムの世界だって、本当の実力を必ずしも指し示さないことは重々承知の上で、「博士」という学位に敬意を払う振りをすることで成り立っているのではないでしょうかね。

普通のサラリーマン経験者の多くは、実は組織で熟練が分かるなんて、そこまで楽観的ではないのではないでしょうか。

(ちなみに、本書にはリフレ派爆殺表現が頻出してますが、よほど不愉快に感じておられるのでしょうか)

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コメント

大瀧先生は、ある意味では典型的な経済学者タイプというか、他者を批判するときは実証及び理論的に正しくないと批判するんですが、その姿勢が自身の論説にはあまり反映されないんですよね。

hamachan先生や、かつてのbewaad氏は、自説に対するそのあたりの厳しさというか、ご自身の専門分野の有効範囲と限界をよく知っておられるのに比べると、大瀧先生は本件もそうですが、ご自身の専門分野や知見が適用できない分野が見えておらず、正直トンデモ発言がかなり多いんですよね。

結果として、ご専門のほうでは一流であるにも関わらず、こういった一般向けの書籍になると、某池田氏や某田中氏と遠からずのようなレベルに仕上がるという悲劇。もっともそちらの両氏は、他者の批判の部分も酷いんで、この比較は言いすぎかもしれませんが。

>いや、アカデミズムの世界だって、本当の実力を必ずしも指し示さないことは重々承知の上で、「博士」という学位に敬意を払う振りをすることで成り立っているのではないでしょうかね。

「東大教授」だって、(人によっては)全然すごくない(というかむしろあやしい)のは、小谷野敦さんが散々述べてらっしゃることですものね。
(蛇足ながら)まあ、博士号を曲がりなりにも持ったうえで教授をしているのは、現状においてはまだましなほう、なのかもしれませんが…(これも小谷野さんご指摘)。

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E4%B8%8D%E5%B9%B8-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%96%B0%E6%9B%B8-264-%E5%B0%8F%E8%B0%B7%E9%87%8E-%E6%95%A6/dp/4584122644

 大瀧教授の本で一番最近いわれている説と違うのは、海外直接投資に対する厳しい批判。
 ちょうど、24日の日経朝刊1面では、猪木武徳先生は、「海外直接投資 成長の糧」と題して、意見を述べている。
 真っ向から対立している。
 こうなると、経済学についてどう考えるべきか、迷ってしまう。
実証の問題だろうか?

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