大阪は解雇が難しいから経済が停滞したって?
経済産業研究所の研究は、立派な研究も多いのですが、これは正直申し上げて、トンデモ研究のたぐいと申せましょう。
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/11e078.html(雇用保護は生産性を下げるのか-『企業活動基本調査』個票データを用いた分析)
いや、企業活動基本調査の個票データを用いた分析はけっこうですけどね。
問題は、解雇データです。
>解雇規制は労働市場だけに関わる政策と理解されることが多いかもしれない。しかし、雇用保護は労働市場以外のところにも影響を及ぼす可能性がある。たとえば、厳しい解雇規制により企業の雇用調整が抑制されると、資源配分の自由度が低下するために企業は効率的な生産水準を達成することができないかもしれない。また、解雇規制の強化により、企業は大幅な雇用削減を行うリスクを嫌い、新たなプロジェクトやイノベーションを行わない可能性もある。解雇規制の強化によって行動を変化させるのは企業だけではない。雇用保護の程度によっては、労働者自身も努力水準や特殊技能への投資水準を変化させるかもしれない。
解雇規制は本当にこうした広範囲な影響力を持つのだろうか。本研究では、この包括的な影響が企業の生産性(TFP=全要素生産性)に反映されると考えて、日本の解雇規制の程度の違いが企業の生産性に与える影響について分析した。
日本の解雇規制の程度については、整理解雇判例の判決傾向が地域によって大きく異なることを利用して分析を行った。具体的には、以下の図で示されるように、解雇有効判決の蓄積傾向が大阪府よりも東京都で非常に強い、といった地域的・時系列的な判決傾向の差を利用した。
分析の結果、判決による雇用保護の程度が大きい場合には企業の全要素生産性の伸び率が減少することが分かった。また、雇用保護の強化によって労働から資本への代替を促す効果は明確に観察されなかったものの、全体としては労働生産性が有意に減少することも明らかにされた。つまり、特定の労働者に対する雇用保護の影響は労働市場にとどまらず、企業の生産性への負の影響を通じて経済全体に影響を与え得る。
ここで、東京は解雇がしやすくて大阪は解雇が難しいとか言ってるのは、せいぜい年間十数件の解雇裁判のことですね。
一体、日本中で、東京や大阪で、毎年どれくらいの解雇が行われていると思っているのでしょうか。
実は、私は、労働局のあっせん事案を通じて、裁判まで行かないようなどぶ板レベルの解雇事案を山のように見てますけど、大阪が解雇しにくいなんて、一体どこの国の話やら、という感じではあります。いや、費用と機会費用をことごとくつぎ込んで裁判闘争を戦う超特別な人にぶち当たると、若干そういう傾向が出るかも知れませんけど、
それにしても、年間十数件の解雇裁判での、ほんの数件程度の裁判傾向の違いが、東京と大阪の経済の浮沈を決定するという珍説は、もし裁判にかかる事案以外に世の中に解雇なんてことがほとんどないとでもいうのなら、まだしも説得力があったかも知れないのですけど・・・。
(参考)
わたくしの研究報告書ですが、
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0123.htm(個別労働関係紛争処理事案の内容分析―雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引下げ及び三者間労務提供関係―)
>労働法学で主流の判例研究では、裁判所に訴える力や余裕のない多くの労働者に係る紛争が視野に入ってこない。また、労働経済学等の理論研究では、現実の労働社会におけるどろどろした実態を掬い取ることができない。一方で、ジャーナリストによる職場の実態の告発では、たまたま報道された事案がエピソード的に語られるにとどまる。本研究は判例研究と経済理論と告発ジャーナリズムの隙間を埋め、今日の職場で発生している紛争の全体像を示すことを目指している。
それに関連したエントリ、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-fb88.html(クビ代1万円也)
>いまだに、「解雇自由が日本を救う」というたぐいの議論がネット界を横行しているようですね。
>・・・この手の議論は、(自分がいた)大企業を日本社会のすべてだと思いこんで、中小零細企業の実態が頭から欠落しているところに特徴があります。
そういう実態が一番分かるのは、実は労働行政の現場です。実際に中小零細企業の労働者がどれだけ簡単に「おまえはクビだ」といわれているかは、その中の一部(とはいえ、裁判に訴えるなどというとんでもないウルトラレアケースに比べればそれなりの数に上りますが)の人々が労働局や労働基準監督署の窓口にやってきて相談している状況を見れば分かります。
それらのうちかなり少数のケースが助言指導や斡旋に移行するのですが、それで解決にいたったケースでも、その水準というのは大企業の人々からするとびっくりするくらい低いものです。
20万円、30万円なんてのはまれなケースで、大都市あたりでも6万円、8万円といった解決金がごく普通に見られます。月給の一月分にもとうてい届きません。
一番ひどいのはクビの代金1万円というのもありました。それも何件か。
しかもそういうのに限って、クビの原因が限りなくブラックだったりするわけです。解雇規制をなくせばブラック企業が淘汰されるどころか、現実に限りなく解雇自由に近い状態が(労働者保護面における)ブラック企業をのさばらせている面もあります。
こういう実態をみてくると、やはり解雇の金銭解決問題をもう一度きちんと議論し直す必要があると痛感します。不当解雇は無効だからいつまでも地位確認で給料払えでやるべきで、金銭解決はけしからんというのは、大企業バイアスなんですね。
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全く同感です。アメリカにおける先行研究の手法をそのまま日本に持ち込んだ印象が・・。アメリカは州法、州裁判所によって解雇の法的規制が異なるので、当該比較はそれなりに有意義でしょうが、我が国の全国統一の立法、判例法理および判事の人事ローテーションからして、都道府県ごとに判決結論を比較することは極めて意義が乏しいと思うところです。
投稿: 北岡大介 | 2011年12月17日 (土) 07時56分
日本の場合、最大の格差は、裁判所まで行ったごく少数事例が享受する全国共通の判例法理と、そこまで行かない大多数の事例が経験する少額の金銭解決ないしそれすらもない事実上の解雇自由との間にあるという認識を持っています。
このあたりは、あっせん事案を経験している社労士の方なんかは実感的に分かっていると思うのですが、判例だけ見ている学者にはなかなか理解がしにくいのかも知れません。
今年度末には、労働局あっせんの雇用終了事案の分析した報告書(出版物)がまとまる予定なので、ご笑覧いただければ幸いです。
投稿: hamachan | 2011年12月17日 (土) 09時17分