フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 大石玄「アニメ《舞台探訪》成立史――いわゆる《聖地巡礼》の起源について」 | トップページ | 風呂敷が大きすぎるような気がする »

2011年12月30日 (金)

無理せずに働ける社会という理想へ

「日本には過労死するほど仕事があり、自殺するほど仕事がない」という、まことによく言い得た台詞を冒頭に出しながら、そこから導き出される結論が、

http://d.hatena.ne.jp/skicco2/20111227/p1「無職は悪」という考え方が、働く人を死に追いやる

>なぜ死んでも働かなくてはならないのか。

なぜ仕事がなくて死ななければならないのか。

全ては、「無職は悪」とする意識、風潮、空気、コモンセンスに起因する。

何かの縁でこのページをご覧になった人は、ぜひ「無職は悪」という考えを捨てて欲しい。

より多くの人が「無職は悪」という考えを捨てることが、「無職の何が悪い」と堂々と言える世の中にすることが、人の命を救うことにつながる。

という、働かないことの礼讃になってしまうのか、ある種のベーシックインカム論の背景にある思想とも絡みつつ、

過労死するほど仕事をする・・・のはいやだから、仕事をしなくてもいい社会にしよう

という両極端しか選択肢がないような発想につながってしまうのか、

それこそ、無理せずに誰でも働ける社会にしようというような、あんまり人目を惹く奇矯さはないけれど、ごくふつうの人のごくふつうの感覚に根ざした発想はいつも無視されてしまうのか、

そのあたりに、現代日本の病理の一つの根源があるような気がしないでもありません。

Img_monthここでは、たまたま先日届いた『生活経済政策』2012年1月号から、田中洋子さんの「頑張り方の社会的調整」というエッセイを引いておきます。

http://www.seikatsuken.or.jp/monthly/

>OECDの報告書は、一度心身の健康が損なわれた人々が、労働市場を去らざるを得なくなることを社会的・経済的悲劇と位置づけている。その上で、ダメージから回復しながら働いていけるように、がんばれる範囲で仕事の量を調整する働き方を広げていくことを提案している。・・・

>無理はしないが、できる範囲で頑張ることができるという、頑張り方を調整できるような働き方の仕組みを、社会や企業に根付かせることが必要だということである。

>企業は、競争での勝ち残りをかけて非効率的な部分を切り捨てるあまり、社会と経済を長期的に支える基盤である労働力を自ら傷める面を持ってきた。ただ「頑張れ」と尻を叩き、人がほんとうに自分の力を発揮できるような条件を提供するのでなければ、社会経済の持続可能性は損なわれることになる

上で引いた二極選択図式を所与の前提としつつ、死ぬほど働けないような人間は働かなくてもいいというような議論は、一見死ぬほど働けない人に優しい言葉をかけているようで、結局無理せずに働ける社会というまっとうな社会の姿を思い描かせないようにしている議論なのではないか、と疑ってみる必要もあるのでしょう。

>・・・柔軟な働き方と時間的寛容さをいかに現実の経済システムの中に組み込んでいけるのか、それが今後の社会に真剣に問われている。

そう、死ぬほどに働けない人間は捨て扶持をやるから働かなくてもいいよというような、一見優しげで実は冷酷な発想から、いかに脱却するかが問われているのだと思います。

« 大石玄「アニメ《舞台探訪》成立史――いわゆる《聖地巡礼》の起源について」 | トップページ | 風呂敷が大きすぎるような気がする »

コメント

「ふつうの人」に期待を寄せられるのはわかりますが、世の中の風潮を作り出したり、社会において変化を生んだりするのは必ずしもそういう人ではないようにも思えます。

労働者も消費者も法的保護の対象であるけれども、労働者の団体の方は、ふつうの人だという自認が強すぎるせいか、余りにも分断されすぎているように思えます。むしろ、消費者団体が、労働者をちゃんと扱っている企業の製品、そうでない企業の製品を区別することに期待した方が良いかも知れませんね。

「寿命影響」という考え方がもし大衆レベルでそれなりに根付いていたら、このたびの放射線よりも、普段からの継続的ハードワークのほうが、よほど危険度(リスク度)が高いものだということが、わかろうものなのですが
(ましてや24時間マラソンするなどもってのほか!=“愛は地球を救うどころか、一人の人間の寿命を危機にさらす”)、
このあたり論理的心性というよりも社会道徳的レベルで、多くに認知・理解されるということが、なかなかかなわずにいるように思います
(24時間マラソンも、完走した時の(大衆的)感動の享受のためには、やむを得ない(走る本人だって芸能界から干される可能性を少しでも減らしたい)、つまりこれは、「行動しない」という道徳的悪に対する、賞揚されるべき善なのだから、(残酷であっても)絶対やるべし!……トホホ)。

skiccoさんは無職万歳な社会を望んでいる訳では無いと思います。
自分の待遇改善の為にとは自分の納得のいく職を得る為にと言う事だと思いますが、それを求めるために今の職を辞する事を、無職になる事を甘えなどと責めないで欲しい、悪いように言わないで欲しいと言いたかったのではないかと思います。

「社会的損失」≠「企業の損失」であるので、企業は社会的損失には目をつぶり、自らの利益を追求するのでしょう。たとえば、社会で労働力が余っているにも関わらず、合理化を進めて更に社会の労働力を余らせ、その一方で、残された労働者の肩には過重労働がのしかかると。

結局は、この社会的損失を企業に転嫁できるような仕組みが必要になるのでしょうが、たぶん、そんなことは無理でしょう。結局、日本全体で、皆仲良く茹で蛙になるのでしょうか。そのときこそ、企業は日本を捨てて逃げ出すのでしょうけど。

日本のGDPの多くは内需主導ですので
「逃げるで、逃げるで」
というのは結構ブラフに近いかと。

むしろ、内需を高揚して金の巡りを良くする方が
景気浮揚の近道かもです。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 無理せずに働ける社会という理想へ:

« 大石玄「アニメ《舞台探訪》成立史――いわゆる《聖地巡礼》の起源について」 | トップページ | 風呂敷が大きすぎるような気がする »