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« キミたちの将来の何のための学問なのか | トップページ | 『人材ビジネス』11月号インタビュー »

2011年11月 1日 (火)

見境なく「ムダづかい」と喚き散らす政治家の末路

これは、心ある人にとっては、まことに因果応報の物語であるわけですが・・・。

http://www.asahi.com/national/update/1101/TKY201111010239.html(市長「舌禍」でごみパンク 東京・小金井市長が辞職願)

>東京都小金井市の佐藤和雄市長(54)は1日、市長選でごみ処理の委託費用などを「ムダ使い」と主張して混乱を招き、ごみ処理のめどが立たなくなったとして、市議会議長に辞職願を提出した。

 同市はごみ処理の既存施設が老朽化によって停止。可燃ごみの処理を周辺自治体などへの委託でしのいできた。佐藤市長は初当選を果たした今年4月の市長選で、委託費を含むごみ処理費用を「ムダ使い」と主張したため、周辺自治体と関係が悪化。佐藤市長は就任後の5月以降、周辺自治体や衛生組合に対し、謝罪や支援要請を続けてきたが、新たな引き取り先が確保できていない状況が続いていた。

いうまでもなく、佐藤市長の如き行動様式は、まっとうな政治家(ステーツマン)としてはもっとも愚劣なものではありますが、愚民の票をかき集めんとする政治屋にとっては、まことに魅力的な戦術なのでありましょう。

「ムダだ。ムダだ。叩き潰せ!」と喚いていれば、愚かな大衆たちは(それが早晩自分たちの首を絞めるとも気づかずに)大音声で喝采してくれるのですから。

国政レベルでも地方政治レベルでも、ここ数年来、なんと多くの佐藤市長たちを割れんばかりの歓喜の声とともに生み出してきたことか。そして、そういう多くの佐藤市長たちを生み出すのにもっとも力を尽くしてきたのが、平然とこういう記事を書いているマスコミであったことも。

例によって、非国民通信さんの冷静で辛辣な批評を。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/abeb452315f6c768556026594126941c(周辺市の怒りに火をつけた候補を当選させた自治体の話)

>思慮分別に欠ける政治家の放言で事態が紛糾するケースは多々ありますが、それは当然ながら国政だけに止まらないようです。小金井市でも新市長の「不用意な言動」とやらでゴミの引受先が確保できなくなってしまったとか。何でも他市に支払うゴミ処理費用を「ムダ使い」と語ったのが怒りを買ったのだそうです。市長選時の発言とのこと、与党なり現職なりの金の使い道を何でもかんでも無駄呼ばわりしておけば有権者のウケは悪くないものですが、無計画にそれを繰り返してしまうと、いざ自分が当選したとき/与党になったときにツケを払わされることになるのでしょう。首長が変われば/政権交代すれば、それだけで解決するような問題など滅多にあるものではないですから。

>政治家はもっと言葉に気を使えよ、と思います。もっとも対立する相手を威勢良く全否定しておいた方が支持の獲得には繋がるところもあって(現に不用意な発言で事態を悪化させた候補は当選を果たしました)、そういう世論に引きずられてしまうところもあるのでしょうけれど、結果として政治は停滞する、有権者の支持も離れていく、それをつなぎ止めるべく政治家は見栄えの良いパフォーマンスに走る、そして政治は輪をかけて混迷を極めていく、みたいな形で負の連鎖が続いているのではないでしょうか。この小金井市だけではなく与党である民主党の幹部連中にも、支持者からの喝采を浴びこそすれ全体としてみれば対立を深める結果にしか繋がらないであろう放言が目立ちますが……

国政レベルでも地方政治レベルでも、ここまで低次元なポピュリスト政治を蔓延させた最大の原因は、無責任なマスコミもさることながら、やはり「市民主義」的なある種の学者、評論家たちの無責任さを否定できないでしょう。

本ブログでも何回か書いてきましたが、まことに不器用な魔法使いの弟子たちの責任は重大だと思いますよ。

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コメント

市町村レベルだと、難しい問題を実際に解決しないといけないから、口先は達者でも実力の無い人は結局行き詰まるということですね。
 でも、都道府県や、国だとそもそも「責任もって解決しないといけない問題」というものが無いから、仕事がデキなくても行き詰まることは無い。ましてマスコミや学界ではなおさらのこと。
 「不器用な魔法使いの弟子たちの責任は重大」なのではなくて、まさに「責任が無いから気軽に放言していられる」のでしょう。

 微妙に問題点がずれているような

 小金井現市長がゴミ処理費用を「ムダ」だといったのは新自由主義的な小さな政府実現のためでなく、「実は環境に優しい画期的なごみ処理法があるのであって現行のゴミ焼却レジームは環境に悪い非合理な方法である」という意味だと思います

 小金井市長にそっくりなのは新自由主義者ではなく、むしろ「原発に(やがては火力にも)頼らなくても自然エネルギーで電力は足りるのだ」という自然エネルギー派です
 なにせ二枚橋やジャノメ跡地に焼却場を作るのに反対して小金井市長を当選させたのは菅直人への違法献金で有名になった「市民の党」なのですから
 参考http://aokihikaru.at.webry.info/
 脱原発と脱ゴミ焼却は全く思考方法なのです

 なぜかポピュリズムといえば小泉や橋下のような右翼ポピュリズムを警戒せよという言論だけが目立ちますが脱原発や脱ゴミ焼却といった左翼ポピュリズムもまた深刻な問題ではないでしょうか
 東電・経産省批判を繰り返し脱原発で支持を獲得しようとした菅直人を、節電や夜間シフトを強いられる市民や労働者の視点から厳しく批判した左翼がどのくらいいるのでしょうか
 小泉や橋下のような新自由主義はポピュリズムであると右翼でも認識しているのに対し、脱原発や環境保護運動がポピュリズムであるという認識すらそもそもほとんどの左翼にないのでは
 山口二郎(自称反ポピュリズム(笑))や金子勝といった脱原発・"環境保護"左翼ポピュリストを批判する生活者労働者視点の「非国民通信」さんのような左翼がもっと強くならないと労働者保護も再分配も生活環境向上もおぼつかないように思います

ですから、

>やはり「市民主義」的なある種の学者、評論家たちの無責任さ

と申し上げたわけなんですが。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-28b3.html

>なるほど、「熟議」ってのは、守旧派の既成政党がぐだぐだ言って動かないのをむりやり動かすために、なにやら「市民」さまを持ち出して言うこと聞かせることなんだなぁ、と、ここ十年ばかりの物事を見てきたフツーの人々は思うのでしょうね。名古屋方面でも、そんな感じだったようだし。

>いやぁ、「市民側の議論の活発化」ですか。まさに、「市民」主義の皆様方がここ十年ばかり目指してきた路線ではありませんか。涙がこぼれるくらい素晴らしいです。これぞ「市民維新」でしょうか。

この市長さん、元は朝日新聞記者だったそうですね。まさにハマリすぎです。

 ところで、電力を供給する責任を負っているのは、国ではなくて電力会社です。停電した時に責任を問われるのは電力会社。原発が大事故を起こしても、責任を問われるのはやっぱり電力会社。責任を問われるのは自分ではないから、国は無責任なことをやってられる。
 ところがゴミ処理ではそうはいかない。ゴミ処理について市長が無責任なことをやっていたら、責任を取らされるのは市長自身だった、ということをこの市長さんは実演してみせてくれたんじゃないでしょうか。

 もし、都道府県知事であれば、「地球にやさしい、燃やさないゴミ処理を進めます」とか言っていても何も問題は起きなかったでしょう。ところが市町村長ではそうはいかない。国や都道府県と違って、市町村では仕事がデキなければ首長は勤まらない。なぜならそれだけ責任が重いから。

あ、そうそう、脱原発や反原発は「左翼」とは限りませんよ。
 ま、政治家は、マスコミを味方にしないといけないですから。学者だって、マスコミに使ってもらえない文系学者なんてみじめなもんですから、マスコミのご機嫌を取らないといけません。

 文系学者がマスコミ世論に擦り寄らないといけないというのは余り納得できないのですが

 理科系の学者なら論文一本書くにも多額にわたる研究費を獲得しなければいけないので、どうしても資金の出し手、例えば原子力工学なら電力会社など、にすり寄らざるをえません
 その意味で「御用学者」にも一定の情状酌量の余地がありえます

 それに対して文科系の学者であれば論文を書くのに必要な研究費は微々たるものです(必要なのは資金でなく暇)。常勤職であって一定の自由な時間さえあれば研究に不自由はありません
 マスコミでの発言なんぞ全く学問的業績にならないのに、研究時間を削ってわざわざ積極的にしかも低レベルの発言を無責任に繰り返すのだから酌量の余地はないでしょう

 「御用学者」ならマスコミや世論が批判するでしょうが、「マスコミ御用学者」批判をマスコミや世論に期待するのはしょせん無理な注文です
 やはり学者共同体が社会・国家に責任を持って「マスコミ御用学者」を厳しく批判するという倫理規範を確立することが必要ではないでしょうか

>学者共同体が社会・国家に責任を持って「マスコミ御用学者」を厳しく批判する

 これは無理だと断言できます。なぜなら、学者も市場経済の中のイキモノですから、金にもならない研究を真面目にやる人は限られているからです。
 それに、大学経営者の立場から言っても、「研究を真面目にしている〇〇先生」より、「よくテレビに出てくる有名な××先生」の方が、大学の経営上(広告上)ずっと大事です。

 なお、最近では日本でも大規模な国際学術会議が開かれるようになってきましたが、大規模な国際会議を一度開くと数千万円の経費がかかります。「文科系の研究には金がかからない」というのは昔の話です。

「環境に優しい画期的なごみ処理法」があるのでしたら推進すれば良いと思いますが。このこと自体は何の問題もありませんね。

この話からどういった経緯で周辺自治体からごみ処理を断られる話に繋がったかが釈然としません。

「環境に優しい画期的なごみ処理法」があると思っておられたのでしょう。
そんな方法があればどこの自治体もゴミ処理に悩まないって。

特殊な微生物を使うだの、特殊な装置を使うだの、この手の話にはオカルトなのがいっぱいあって、ということ。(誰かに吹き込まれたんじゃないかな?ええ方法ありますよって)

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