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2011年11月21日 (月)

社畜とフツーの労働者の間

610445題名は売らんかなですが、中身は(ある部分までは)極めてまっとう。

ただし、根本的なところに勘違いがあるので、そのまっとうさが大変歪んだ形で現れてしまうという致命的な問題があります。

藤本さんがサラリーマンの4大タブーと呼ぶのは次の4つです。

>個性を大切にしろ

自分らしく生きろ

自分で考えろ

会社の歯車になるな

こんなメッセージに惑わされてはいけないといいます。

まったくその通り。雇用される労働者になろうとする者にとっては。

世界中どこでも、雇用契約とは、指揮命令下で労働を提供するということは、組織の歯車になるということです。

単なる歯車として、約束しただけの労働を提供する。それ以上は知らない。歯車は歯車であって、脳髄ではないのですから。

それがいやなら、自営業者になるか、雇用契約であっても極めて裁量性の高いエグゼンプト、つまりエリート労働者になるか、であって、世界中どこでも、フツーの労働者ってのは、そういうものです。

多分日本の「正社員」を除いて。

そう、藤本さんの致命的な勘違いというのは、欧米の労働者はみんな個性的に自分らしく働いているけれども、日本はみじめな社畜であると思いこんでいるらしいところなのです。

逆です。

単なる歯車であることを社畜というのであれば、日本の正社員ほど社畜から遠い存在はないでしょう。

なぜなら、単なる歯車であることを許されないから。一労働者であるのに、管理者のように、経営者のように考え、行動することを求められるから。

そして、それこそが、単なる歯車であることを許されないからこそ、別の意味での「社畜」性が必然となるのです。

藤本さんの致命的な勘違い。それは、これだけさんざんに歯車になれといいながら、24時間戦う人間を賛美したり、ワークライフバランスを貶したりすることです。

世界中どこでも、単なる歯車は24時間戦ったりしません。それは経営者やエリート労働者の仕事です。歯車は歯車らしく、歯車としての責任を、それだけを果たす。

世界中どこでも、経営者やエリート労働者は猛烈なワーカホリックです。ワークライフバランスなんてのは、歯車の歯車のための概念です。

そういう非歯車性を歯車たる労働者に要求するという点に、日本語の「社畜」という言葉の複雑怪奇なニュアンスが込められているのでしょう。

藤本さんが4大タブーという間違ったメッセージを、世界中でおそらく唯一日本においてのみ、歯車たるべきフツーの労働者に対して伝え続けてきたのには、それなりの理由があるということでしょう。

藤本さんの考えとはまったく逆に、「4大タブーが日本人の気質に合わないから」ではなく、その伝える非歯車性を要求してきたから。歯車でありつつ、その歯車であることに文句を言わずに、しかも歯車ではないかのように考え行動する歯車であるという高度に微妙なバランスの上に成り立っているから。

歯車であれというメッセージと歯車にとどまるなというダブルバインドを見事にこなしてこそ、日本的正社員なのでしょう。

その帰結が、藤本さん自身に示されているような、歯車であれといいつつ、24時間働けと口走ってしまう人なのではないかと思います。

http://www.shinchosha.co.jp/book/610445/

>「社畜」なんて哀れで情けない存在だ――この「常識」は本当なのだろうか?「自分らしさ」を必要以上に求め、自己啓発書をうのみにすることから生まれるのは、ずっと半人前のままという悲劇だ。そこから抜け出す最適の手段は、あえて意識的に組織の歯車になることである。「ワーク・ライフ・バランス」「残業は悪」「転職によるキャリアアップ」等の美辞麗句に踊らされない、現代サラリーマンの正しい戦略を指南する。

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コメント

「普通の社員」と「エリート社員」との比較、
ということですが、(海外で) 専門職、ってどういう扱いなんでしょうか。裁量性が高そうなイメージがありますが...

こちらのブログ
http://lingmu12261226.blog10.fc2.com/?no=532
で、「日本人は仕事と芸事の区別がつかず、また、callingとjobの区別がつかない。それがブラック企業の原因ではないか」という趣旨のコメントを投稿したら、こちらのリンクを提示されたので、読んでいます。

まさしく、仰る通りだと思います。

要するに、欧米のエリート労働者のしていることは自分の存在を引き換えにしても行うcallingであり、jobやworkではない。
だから、24時間戦うのが当たり前。こういう前提があるのでしょう。

問題は、日本人の意識のレベルにおいて、そういう感覚があるのかどうかなのでしょうね。

つまり、単純にjobやworkをしている人にcallingを求めてしまう。

というよりも、そもそも「calling」という概念が無い。
そこが問題なのだと思います。

それと、ブラック企業と名指しされた会社の経営者の人たちは、ウルトラマンでも仮面ライダーでもない一般人に生身の状態で、怪獣や怪人と戦うように要求しているようなものだと思いました。

おそらく、ご本人はすでにその領域に達しているのでしょう。

ドモンカッシュや東方不敗のように。

実際の話、彼らなら、スペースイカデビルでもダグバでもゼットンでも素手でかつ一撃で倒しそうですから。

でも、周りの人たちはごく普通の人間で、そこまで行く必要はとりあえずは無い。

ただ普通に、その日の暮らしのためにお金が得られればそれでいい。

そういう気持ちで「仕事(jobやwork)」をしている。

その辺りの認識のギャップを、ブラック企業の経営者が気付かない。それも問題ではないか? と思いました。

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