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2011年11月28日 (月)

さすがリベサヨ

というわけで、かつて河村名古屋市長を熱狂的に応援し、その後批判する側にまわった後房雄氏が、今度は橋下新大阪市長を持ち上げています。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/299(橋下氏、完勝)

>河村名古屋市長を典型に、多くの改革派首長たちが、当該自治体を良くすることよりも、全国的な注目を集めて国政に行くことを主目的に騒いできたことと比較すると、大阪の再生に集中する姿勢を強調していることはいいセンスをしていると思います。

その姿勢がかなり信憑性があるというのが大阪の有権者の評価だったと思います。

同時に、民主党、自民党の二大政党ともに深刻な不信任を突きつけられたということでもあります。

これが日本政治に良い意味での突破口をあけることになることを期待します

さすが、リベサヨの極北ともいうべき見事な言葉。

ちなみに、後氏の過去の言動は以下の通り。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-54bc.html(政治とは悪さ加減の選択)

>北の山口二郎さんといえば、名古屋の後房雄さんですが、河村市長を応援してしまった経験がどこまで身に沁みておられるのかなぁ、と思わせられるブログ記事が。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/230

後さんは、

>2009年4月29日の名古屋市長選挙の夜は、河村事務所の3階でテレビを見ていたものですが、それからの経過を考えるとなかなか感慨深いものがあります。

と、まさにカイカク派の応援団であったのですが、

>あらためて考えてみると、河村氏との政治イメージの違いが最大の要因だったように思います。選挙で票を集め、勝って市長になることだけをイメージしている河村氏(だからこそ今だに総理を目指すなどと叫んでいるわけですが)に対して、私としては市長になるということは市政全体に責任を持つことだと考えていたわけです。

>ともあれ、選挙のことだけ考えている人ですから、選挙では勝つわけですが、そのあとやりたいことは減税と議員報酬半減だけで、行財政改革も各分野の問題解決もめんどくさいことはやりたくないわけですから、今後も議会相手に広い意味での選挙運動のようなことばかりやり続けるのでしょう。大阪など応援にいく所もあるし。

市長という仕事をやる気がないということが市民の多数に理解されるまでは、もう少し時間がかかるでしょうが、事実ですからいずれは理解されるでしょう。

と、それがリフォーム詐欺の片棒担ぎであったという風に認識されるようにはなったようなのですが、

そして、コメント欄である方がその趣旨を明示しておられますが、

>「河村台風」を退治するとも書かれていますが、この「台風」を発生させた立役者は、事実かどうかは知らないけれど、後さんご自身だという話も聞いています。その通りであれば、「河村台風」というモンスターを世に送り出したはいいけど制御できなくなって逃げ出し、離れた所から他人事のように批判しているようにも見えます。

正直、過去の罪責を云々するよりも、これからのことに対する姿勢の方が大事でしょう。その意味で、こちらの記事は身体から力が抜ける思いがします。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/232

>毎日新聞によれば、注目の4月東京都知事選挙にワタミ会長の渡辺美樹氏が「みんなの党」から立候補しそうです。もし実現すれば大ホームランです。自治体経営のモデルが見られるかもしれません。

小説『青年社長』や渡辺氏の著書をこのブログでも紹介してきましたが、都知事候補としては文句ありません。ちゃんと仕事をしてくれるでしょう。なって騒ぎたいだけのどこかの市長とは違います。

どうして「違います」と思えてしまえるのかが不思議なのですが、魔法使いの弟子は永遠に魔法使いの弟子なのかも知れません。

魔法使いの弟子症候群は、永遠に直らないのかも知れません。

あるいは、

かつて持ち上げ、その後放り出したこの人に対するこの言葉を、いま持ち上げている人に適用してみたらどうなんだろう、とか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-fddd.html(就労支援のいま@『都市問題』3月号)

>とりわけ、後房雄さんの「政権交代以後の混迷する2大政党と首長の反乱――2・6「名古屋・愛知の乱」は何をもたらすか」は、かつて河村市長の応援団だった後氏の筆になるだけに、何とも言いがたい後味を残します。

>首長の反乱が、旧体制の破壊によって建設への道を開くという肯定的な役割を果たすことになるのか、それとも建設の条件をも破壊してしまうところまで暴走するのかは、市民やマスコミ以上に、やはり2大政党の、再建に向けた存亡を賭けた努力が始まるかどうかにかかっている。

「市民やマスコミ以上に」破壊者を建設者として褒め称え祭り上げた政治学者や政治評論家には、存亡を賭けた努力というのは要らないんでしょうか?と、思わず皮肉が漏れてしまいます。いや、魔法使いの弟子を責めてどうなるものでもないのですが。

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コメント

そもそも、国立大学で文系って必要なんでしょうか? これだけたくさん私立大学があるのですから、「民間で出来ることは民間に任せる」という原則からいえば、国立大学の文系は全て不要でしょう。私立大学では文系の研究・教育が十分に出来ない理由ってありますかね。
 理系なら、研究にお金もかかりますし、何より国の競争力強化のために科学技術はとても大切ですから、国立大学で税金を投入して研究・教育する必要があると思いますけど。

むしろ、文学系は国立大のみで小さく残していくべきじゃないかと
都道府県単位なら地方風土に関する資料の管理単位としてはいいサイズでしょうし。

12月6日現在の毎日新聞の報道

橋下新市長:批判的職員に反省文書かせ、市は「忠誠」通達

識者のコメント

◇統治の面で理解できる

 山中俊之・関西学院大大学院教授(人材開発)の話 カメラを向けられて、組織のトップへの批判と受け止められかねないコメントをするのは民間では考えられない。国でも地方でも、役人は選挙で選ばれた閣僚や首長を軽視しがちだ。解雇や降格がほとんどない公務員特有の体質だろう。内部では活発に意見を出すべきだが、対外的に組織批判をすべきではない。反省文を書かせるのも、ガバナンス(統治)の面では理解できる。

いやー、びっくりこいた。民間は素晴らしく、公務員はダメ論もここまでくると、「すさまじい」の一言。

後先生は、絶賛だろうか?

この山中俊之という方は、

http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-8363.htm

>1968年3月 兵庫県西宮市生まれ。実家は零細鉄工所経営。
1990年3月 東京大学法学部卒業
     4月 外務省入省。中東の部署で湾岸戦争を経験。
1991年7月 在エジプト日本大使館外交官補(在外研修)
1993年7月 在英国日本大使館外交官補(在外研修)
1994年7月 在サウジアラビア日本大使館二等書記官。テロ問題などを扱う。首相通訳を経験。
1996年7月 外務本省中近東第二課。イラン・イラク問題や海洋環境保全問題を扱う。ニューヨークでの国連総会を経験。
1997年8月 外務省退職。以後浪人を経験。
2000年9月 日本総研入社。コンサルタントとして、100近い団体の改革に関与する。2万人の発想行動変革研修や人事研修、2000人のインタビューも経験。
2007年4月 関西学院大学・経営戦略研究科非常勤講師兼任。
2008年4月 橋下大阪府知事の要請で大阪府特別参与就任。
2010年1月 長妻厚生労働大臣の要請で厚生労働省人事評価改革プロジェクト委員に就任。
2010年3月 日本総研退職。
    4月 株式会社グローバルダイナミクスを設立して代表取締役就任。
        同時に、関西学院大学敬家戦略研究科教授就任。

これを見る限り、まっとうな民間企業で働いた経験はないようですね。

主たるキャリアは外交官。なるほど、「組織のトップへの批判と受け止められかねないコメントをするのは民間では考えられない」などと、まともな民間経験があるか、またはまともな民間人と付き合った経験のある人々であれば考えられない発言をするのも、宜なるかなという感じです。(わたくしも、3年間にわか外交官として外務省の方々と接して、その感覚の隔絶ぶりに感じ入ったことがありますが)

ちなみに、こういう民間を知らないで「民間では」と言いたがるエセ出羽の守諸氏ほど、

>橋下大阪府知事の要請で大阪府特別参与就任
>長妻厚生労働大臣の要請で厚生労働省人事評価改革プロジェクト委員に就任

というところに使われがちというのが、現代日本の宿痾の一つと言えましょうか。

いうまでもなく、こういう方々が「民間では考えられない」などと脳天気なことを言っていられたのは、民間の労働法が適用されない「特別権力関係論」の奇妙な世界で守られていたからではないかなどと反省することは全くないのでしょうね。自分に適用されることのない民間労働法の教科書をちょっとでも読んでみたこともないはずです。

そういう方が「識者」になる現代日本。

 こういう人は、法律が万人の公平に適用されるということを忘れているんでしょうか。
 改革派官僚の古賀氏が、あれだけ公務員のまま、政府を批判しても、高給をもらって、首にならないでいたことはよくて、大阪市の職員がたまたま取材を受けて答えたら、ダメなのですかね。
 昔は、反戦自衛官といわれる方々もいて、そのときは、メディアはどういう報道だったのか、最近だと、職務中であっても、君が代をうたったりすることも、「思想・良心の自由」の問題として、最高裁まで争われているというようなことをわざとわすれて、コンサルしているんでしょうか?
 有名大学である、関西学院大学の教授ということだけで、毎日新聞は、信用してしまったのでしょうか?
 橋下旋風もいいですが、それにおどらせられることなく、もう少し、法学としての「賢慮」ということも、この山中教授には、たぶん東大でならったと思うので、思い出してほしいです。

国の政府に忠誠を尽くすどころか、状況をわきまえないかなり陋劣な批判を繰り広げた古賀氏を、一時は自分の後任の府知事候補にしようとまでしておいて、それよりも遥かにおとなしい批判をぼそっとつぶやいた人間には、ここまで徹底的にシバキあげる、この矛盾を何ら矛盾と感じない精神の頑丈さがなければ、カイカクハなんてやばい稼業はやってられないのかも知れません。
いや、問題はやはりマスコミ人の感覚ですが。

 二度にわたりコメント返していただきありがとうございます。

 日本の国会議員が大好きなイギリス、りふれ派もBOE(バンクオブイングランド)が大好き、そこの公務員が、デモやストを堂々とやって、自分たちの主張を堂々と行い、それを社会も当然のこととしているようにみえる報道をみるにつけ、日本の公務員は、比較的自分たちの主張について抑制的にしか主張しないで、水面下でうごめいているのかなと思いますが、どうしてこんなに各方面から悪しざまにいわれるのか、と考えます。

 パブリックサーバント(公僕)というのは、日本では、「奴隷」のことで、人間としての最低限の尊厳を認められない、特殊な人種とみなされているのかなと、最近、みていて思います。

 大阪市の公務員は、その代表格として、不祥事がひんぱんに報道されることもあるので、大阪市民からすれば、しばかれるのはあたりまえということでしょうか?
 一寸の虫にも五分の魂と申しますが、市民は、しばいた結果、市の職員の士気が落ち、自分に返ってくる公務のサービスが低下してしまうかもしれないということを考えないのかなと思います。

若くて健康な日本人男性にとって、公務員の士気が下がると何か困ることがあるのでしょうか?
今、行政から利益を得ているのは、女性とか、障害者とか、外国人などの「弱者」だけなのではないでしょうか。若くて健康な日本人男性にとっては、今の行政は何の役にも立ってないのではないでしょうか。

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