インフレとデフレと不利益変更法理
拙著『日本の雇用と労働法』のまえがきで書いたように、
>文科系と理科系の断絶ほどではないにしても、法学系と社会科学系の間のディシプリンのずれは、労働問題というほとんど同じ社会現象を取り扱う場合であっても、なかなか埋まりにくい
のですが、その一つの典型例が、労働法学において労働条件の不利益変更法理を論じるときに、インフレかデフレかという問題がほとんどまったく論じられることがないという点に見られるように思います。
みずほ情報総研のコラムに、加藤修さんという方が
http://www.mizuho-ir.co.jp/publication/column/2011/1115.html(労働条件の不利益変更と世代間バランス )
>かつてのインフレ下では、ベア率を変えることによって実質賃金の調整を図ることができた。初任給を大幅に引き上げ、それに伴い若手には高率のベアを行うが、ベテランのベアは低率にとどめるケースもあったように思われる。このとき、実質賃金ではベテランにとって不利益変更になっていたはずである。ひるがえって、近年のデフレの下では名目賃金が少し下がっても実質賃金でみれば不利益変更とはならない。賃金総額が維持または改善されており、実質賃金への一定の配慮がなされている制度変更の場合は、名目賃金が下がっても不利益変更とみなさないような運用はできないものだろうか。
という趣旨のことを書かれています。
まことに、インフレというのは、実質的な労働条件不利益変更を名目的には利益変更の装いに仕立てる便利な仕掛けであったわけですが、いまや実質的な利益変更になるようなものですら名目的には不利益変更になってしまう。そこに、労働契約法第9条を素直にそのまま適用したら、かつてのインフレ時代に比べても、遥かに世代間バランスの歪んだ事態を引き起こしてしまう、というこの問題意識は極めて重要です。
しかし、現在の労働法学の道具立ての中には、こういう重要な問題意識に適切に対応できるような道具がほとんどないに等しいのですね。
労働に関する法と経済学というと、すぐに日本は解雇が絶対できないくらい厳しい国かどうか、といったたぐいの問題に関心が集中してしまいがちなんですが、それと同じくらい、いや場合によってはそれよりも遥かに重要な、こういう「法と経済学」にも、世の法学者や経済学者の諸氏の関心が向けられることを希望するところです。
« 労働審判の解決金は100万円 | トップページ | 生活保護提言型仕分けのインプリケーション »
コメント