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2011年11月14日 (月)

雇用契約の否定またはブラック契約の出発点

なかなか興味深いつぶやき・・・

http://twitter.com/#!/YANA1945/status/136027550081220608

>今日の面接。「もし給料が支払われなかったらどうする?」私が必ず訊く質問だ。目をキラキラさせて「構いません!」と叫ぶ人は合格。少しでも戸惑う奴。そんな奴とはプライベートでも口を聞きたくない!さっさと立ち去れ!

ふむ。この「面接」というのは、日本国民法の定める「当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる」ところの雇用契約を目的とする面接ではないことだけは間違いないですが、ではいかなる契約を目的とする面接なのでしょうか。

ここで、うかつに「会社の一員になるメンバシップ契約だから、給料なんか要らないんだ」などと口走ったりすると、世間知らずのそしりを免れません。

新卒入社から定年退職までの長い期間で労働と報酬とが釣り合っているから、若いときの残業代を要求するなどという馬鹿なことをやるより、黙ってただ働きしている方が将来の実入りが良くなると期待するわけであって、給料なしでも目をキラキラさせて「構いません」というのは、そういう了解の上でなければ、ただのバカですが。

まあ、「合同会社「面接の達人」代表社員CEO」の推奨する面接技法は、そういうバカを装うことも含まれているのかも知れません。

分かった上で演じる分には、別段とやかくいう必要もなさそうなものですが、最近の若者諸氏は、まことに純真で汚れない心の持ち主であるため、まさかとは思いますが、こういうのを本気で信じ込んでしまうこともあるやも知れず、そうすると、これはまさにブラック企業の生け贄を量産するメカニズムになってしまいかねないので、いささか注意が必要かも知れません。

http://twitter.com/#!/YANA1945/status/136027755841208321

>仕事は会社のためにするもの。給料のためにするものじゃない。甘えるな!

もちろん、仕事の中身は、会社(一般的には使用者)のためにするもので、それが雇用契約の定義ですが、それは、労務提供先のためにならない労務提供では、報酬を要求することができないからであって、目をキラキラさせて「構いません!」と叫んで合格しちゃう純真な若者にそこのところを理解してもらうのが、実のところは一番大事だったりする。

まあ、世の中には落とし穴がいっぱいということですな。

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コメント

法政大学社会学部(多摩キャンパス)には自主マスコミ講座(稲増ゼミ)というアナウンサー養成ゼミのような講座があり、非常に人気を集めていました(今は知りません)。小島なつこという有名なアナウンサーもここの出身者のようでして法政大学が出版する「雑誌法政」に就職活動のことが書かれていました。号数は記憶していませんが、調べれば今でも見つかると思います。その雑誌法政で小島さんは、就職活動の面接の場面で、「仕事のために死ねますか?」みたいなことを聞かれて即答で「ハイ、死ねます!」と答えたみたいなことを何の衒いもなく、もしくは美談のように語っていたことを思い出しました。私はアホな学生運動をしていたこともあり、「本当に迷惑だなぁ」(どっちがやねん!というツッコミが入りそうですが・・・)と思うのと同時に、このような人権はもとよりまともな職業人感覚としても大いに「?」な内容を雑誌に掲載してしまう法政大学という大学に更なる不信感を募らせたものでした。しかし放送業界の現場のブラックな内実を色々と聞くにつれ、小島氏のような「死ねます!」精神は本当に必要とされているように感じてしまいました。
話は変わりますが、この10年間の不況と失業、そしてワーキングプアー、格差社会という用語の登場と流通が現実の若年層にもたらしているものは、小島氏の考えをさらに強化する方向性であったように感じます。
90年代中盤から後半にかけて、それまでの仕事の仕方や過剰な労働に対して、若年層から自然発生的に反発が出ていたと思います。日本社会の経済発展が行き止りを見せていたことも反映して「このままで良いのか?」「仕事=生きがいはおかしい」という風潮があったように思えます。そしてそのような風潮と派遣業が結びつき、00年代には不況と高齢化によって社会問題化します。一方、そのような風潮が批判した「会社のために死ね!」という精神論は今でもしぶとく生き残っているように思えます。「仕事=生きがい」批判は、ほぼ負け組として処理されているように思えます。職場民主主義はこのような精神論とどのように対峙するべきなのでしょうか?大阪市においても今後橋本氏は「死ぬ気で働け」と公務労働者を叱責するでしょう。こういうシバキから日本の労働者が自由になる日は来るのでしょうか?このような現状が続くようでしたら、むしろ雇用がドンドン流動化する労働市場のほうが良いのかな?と思ったりもしてしまいます。
でもそれは問題の解決につながらないと思います。
やはり現場の当事者が自ら立ち上がり問題の解決にあたるしかないわけで、そのためには一切の幻想を断ち切る必要があると思います。しかしそれが本当に難しい・・・。もっと痛い目みないといけないのでしょうか?学者先生の問題でもなく、「革新」政党の問題でもなく、労働組合の問題でもなく、労働者の問題として、問題を考えないといけないのだと思いました。
雑文で長文失礼しました。

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