過剰資格か技能不足か?
例の仕分けの関係で、過剰学歴論が取り沙汰されているようですが、そもそも学歴=資格=技能という鉄壁の前提の上に成り立っている西欧社会と違って、誰も学歴=資格=技能だなんてハナから考えていない日本での議論は、話の筋道がちょとちゃうんですね。
この辺、来月出るOECDの『世界の若者と雇用』でも、学歴と資格と技能がまったく入れ替え可能な同義語として用いられていると云うことが分からないと、著者が思いもよらないことろでつっかえてしまうかも知れません。
ところが、その西欧社会でも、まさにその鉄壁の前提に疑問がつけられてきているというのが、実は大事なところで、これは前に広田さんの科研研究会でちらと喋ったこととも関わりがありますが、その辺りについてよくまとまった論文がOECDのワーキングペーパーとして去る9月に公表されています。
http://www.oecd-ilibrary.org/docserver/download/fulltext/5kg59fcz3tkd.pdf
「Right for the Job OVER-QUALIFIED OR UNDER-SKILLED?」
という大変気の利いたタイトルです。「職に適した」とも読めるし、「職への権利」とも読める、西欧社会における学校卒業資格=職業への資格が、職にふさわしい技能水準を保障している(ことになっている)がゆえにその職への権利を保障している(ことになっている)ことの現実の姿を問いなおしている大変面白い論文です。
「過剰資格か技能不足か?」という問いに対して、多くの日本人はそれがなんか意味があるのか?としか感じられないでしょうが。
ジョブ型社会というのも、その立脚基盤自体が実はかなり虚妄なのかも知れないという話を頭の片隅に置いた上で、いかなるフィクションが社会成員の最大多数にとって幸福をもたらすのか、という話なのだと醒めた目で議論する必要があるということです。
前に、金子良事さんにはやや詳しく喋ったことがありますが。
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