スチューデント・ジョブと「あるばいと」の間
下記「若者支援とキャリア形成@BLT」に対し、usthtさんがわたくしの問題意識とかなり近い立場からつぶやいています。
>学生バイトを就労訓練というか実質のあるインターンに転化できんもんか。とかねがね考えているけど、あまり賛同を得ない。
>そもそもバイトを労働と意識してない学生多すぎ。バイトで講義休みがちな学生から就活前に働いたことないから不安。とか相談されてこけたことあるよ
>労働のメンバーシップ性ばかりが意識されて、はみごにされる恐怖感に呑まれてる。といいますか
>バイトに熱心で講義休みがちな学生から就活の不安を訴えられたとき、もうちょっと勉強したほうが有効じゃないかと言わざるをえないけど、まず納得はされない。
>これからは、苦学生と呼ぶわ。自発的苦学生
>にががくせい。と訓読するも可
>きみ、にががくせいで大変だね
>ただ、にががくの経験はあとあとあんまり役に立たないんだよね
なぜ役に立たない(と、本人にも社会的にも)思われているのか。
結局、学生の労働がスチューデント・ジョブとして、フルタイムワーカーと同じジョブの世界にあるものと認識されているのか、それとも、本来フルタイムでやるべきこと(学生の本分)に反してやっている「あるばいと」と認識されているのか、ということなのでしょうね。
前者であれば、学生のジョブ経験は、フルタイムジョブの世界に入り込む上で有用と評価され、そのためのステップボードになりうる。
それに対して、フルタイムワーカーの本分が「フルタイムメンバーシップ」として認識されている社会では、むしろ体育会系のフルタイムメンバーシップの経験の方が有用であって、本分ではない「あるばいと」をいくら一生懸命やっても、それを評価する筋道はない、ということなのでしょうか。
フルタイムメンバーシップが当然の正社員の世界で、他社でジョブ就労する「あるばいと」というのは原則として許されない行為であるわけで。
OECDの報告書自体は、そういうことまで語っているわけでは全然ありませんが、日本人の目で読み込んでいくと、そういう視点が浮かび上がってくるような気がします。
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根本的な問題としては、学費の値上がりと扶養者の所得格差の広がりがあるのではないでしょうか。勉強したいとか勉強する事が本分だとは思っていても、その気持ちに反して、学費のために収入を得なければならないという事情のもとにある学生は、大学進学率が20%にも満たないような時代と比べて絶対数を増しているように思われます。
とはいえ、体育会系にフルタイムで所属していたとしても、ジョブ型重視の会社も増えているでしょうし、その所属歴が通用する訳ではなくなっているようにも思えます。
投稿: 小野山 | 2011年10月 2日 (日) 19時38分