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2011年10月18日 (火)

社会学部のも一つの源流

稲葉振一郎さんが、ご自分の出られた一橋の社会学部を例にとっていろいろ語っておられます。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20111016/p2(シノドス・セミナー「社会学の居場所」)

これはこれで大変勉強になる記述ですが、ここには、日本で2番目、私大では最初に作られた法政大学社会学部の話は出てきませんね。

これはもちろん、稲葉さんには疾うにご存知のことですが、戦前の労働行政の外郭団体であった協調会が、戦後GHQに睨まれて潰されてできた中央労働学園が、法政大学に吸収されてできた「社会学部」で、ですからその「社会」という言葉はまさしく「社会政策」の「社会」であったわけです。今は『社会志林』と称している紀要も、かつては『社会労働研究』と言っていましたしね。

ま、今の法政の社会学部にその匂いが残っているわけでもないのでしょうが、そういう「社会学の居場所」(と言っていいのかどうか分かりませんが)も、世の中で労働問題が大きな論点であった時代にはあったのだ、ということも、社会学部の学生さんたちは知っておいて悪い話でもなかろうと思うのですが。

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