メンバーシップ型労働法規範理論
金子良事さんから再々リプライをいただきました。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-219.html(濱口先生への再々リプライ)
>濱口先生にまたまたリプライをいただきました。ありがとうございます。というか、随分と重要なところまで引き出してきたので、皆さんにもシェアできていただける内容になってきていると思います。これをよく読んでからもう一回、心して『日本の雇用と労働法』を読んでくださいね。
このやりとりの趣旨は、金子さんがこう書かれているとおりです。
>多分、今回もそうですが、別に濱口先生と私の間には、こうやってやり取りする中で、いろんな刺激を受ける方が出てくれば、もうちょっと砕けて言えば「面白いじゃん」と思ってより多くの関心を持ってもらうというのが狙い、というより願いです。
今回の金子さんのご指摘で極めて重要なのは、
>たとえば、こういう風に整理したらどうでしょうか。
1 労働慣行=現実
2 判例法理≒現実?
3 理念型(メンバーシップ契約)≒社会科学的な中間理論(判例法理のさらに背後にあるもの)
⇔
4 民法の契約原則=理念として導入されたジョブ契約理念
(労働三法以下は話がまたややこしいので、端折ります)
濱口先生がいう「現実」というのは1から3です。それと対比する形で4があります。濱口先生の本を読むと、おそらく1から3の部分をセットで捉えて4と対比されていることは理解できるでしょう。でも、1から3の抽象レベルが異なっているということはなかなか分からない。だから、もうメンバーシップ契約は理念型という形で、これは現実じゃなくて、理論なんですよということをはっきりさせた方がいい。
というところです。
実は、この規範の4段階論において3に当たるものは、「社会科学的な中間理論」というよりも、「メンバーシップ型の労働法規範一般理論」というべきでしょう。アカデミックな労働法学それ自体の中には、実はそれに対応するような理論はあまり明確に存在しません。
私の認識では、経営法曹である高井伸夫氏の『人事権の法的展開』が、かなり明確にあるべき一般規範理論としてそれを打ち出しているのですが、これはよほどの専門家でないと読まれていないでしょう。
私の議論は、その一般規範理論をもう一度価値判断として客観的に突き放して、「あるべきもの」としてではなく「あるべきものと考えられているもの」として、まさに金子さんの言う第3段階の「社会科学的な中間理論」として再構成したものになるわけです。「社会学的」というのは、この時点で出てくるわけです。
このあたり、規範理論としての理念型と、説明理論としての理念型がやや交錯してしまっていますが、それは、わたし自身が必ずしもメンバーシップ型の理念をあるべきものと考えているわけではないという前提で、現実社会を支配している理念の構造を説明しようとする以上、やむを得ない現象ではないかと思いますが、それと第1段階の現実そのものととりわけ第3段階の理念型としての規範理論の影響下で形成されてきた第2段階の判例法理という名の「現実」とが、すべて「現実」としてごっちゃに理解されてしまうことは危険ではないかという金子さんの指摘は、まさにその通りであろうと思います。
まあ、そこを単純化してしまっているところが、「社労士のテキスト」ではないにしても、「チャート式」である所以なのだ、と言ってしまうのは、盗っ人猛々しいと金子さんに批判されるかも知れませんが。
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