金をもらっておいて、いまさら
yellowbellさんの怒りのエントリ。原発関係が話の糸口ですが、労働問題への意味合いが深いです。
http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/243584448758563752
>ここ数週間、「高い補助金をもらってるのだから現在福島で起こっていることについて福島の住民はモノを申す資格はない」といったような、人間に対して絶望的な感情を抱かせて余りある言説をtwitterやブログ界隈で目にしている。
同じようなことは、過去に労働問題の場で何度も聞いてきた。曰く「高い給料もらっておいて、今更過労は会社のせいだと訴えるなんて虫が良すぎだろう」
そう。「金をもらっておいて、いまさら」だ。僕は、これを何度も聞いてきた。聞きたくもないのだけれど、わざわざ人前で言う人がいるから仕方がなく聞いてしまう。そもそもそういう人は、わざわざ聞かせたいのだろう。なぜ?金を払ったから。金を受け取った人が、文句を言うのが許せないから。文句を言いたければ、金をもらうな。嫌なら最初から金で引き受けるな。金を受け取ったんだろ?じゃあ、黙ってろ。金、金、金。金がほしいから受けたくせに。「金をもらっておいて、いまさら」
じゃあ聞くが。誰が・金で・命を・売った?誰か・健康を・売ってくれと・言ったのか?過労で倒れても、放射能汚染が起きても、文句を言いませんという補償の前払いだと、いったい誰が、事が起きる前に、そこにそれを建てる前に、今現在そこで被害を受けている人々に、言ったのか?
もし、万が一、雇用契約のとき、原発建設アセスメントのとき、「あなたの健康と生命に関するすべての権利を放棄していただきます」という文言を入れているのであれば、まずはそれを白日の下にさらすべきだ。その上で、その契約の不当性を明かした後、「金をもらっておいて、いまさら」と言えるのであれば、あとはその人の人間性の問題だ。露悪であれ信念であれ、好きに自分の人間性を浪費すればよろしい。
ただ、そうでないならば、今一度考え直してほしい。誰が、金で、平穏な日常を売ることがあるのか。そんなものは、売っていない。誰も、売ってない。
金を、給与を、補助金を、振興費を、ただ金を払ったからというだけで、「お前の命はこれから払う俺たちの金で自由にするからな」という契約を結んだかのような気になっている、傲慢という二文字ではとても片付けたくない奴隷制時代のメンタリティを持つ人々が、いまだこの世に存在することに、僕は大きな大きな感じたくもなかったような大きな失望を感じている。
「金をもらっておいて、いまさら」 これをまた、こんなときに、目にするとは。対価という契約の概念を理解せず、金を払う方が偉いのだ金さえ払えば文句はあるまいという致命的な勘違いをした連中が社会に在ることで引き起こされる、この世でもっとも浅ましい部類の言説を、また。
近代的契約の理念からすればまったくその通りではあるのだが、実は「対価」という契約概念では言い尽くせない関係が現にそこに存在しているという現実の反映でもあるわけなんでしょう。福島にしても職場にしても。
そして一方では、たとえばある種の金融関係者などにとっては、まさに「命」や「健康」のリスクも含めて計算した上でのまさに市場取引としての「カネ」との交換だろう、という認識が背後にありそうでもあります。
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ちなみに
「原発を草創期から一貫して推進してきた中曽根康弘氏は、2011年6月、横浜市で開かれた「太陽経済かながわ会議」にビデオメッセージで登場し、こう語った。/「原子力という巨大なエネルギーも人間のために有効利用するのが知恵で、自然との闘いを部分的に克服してきました。しかし原子力には人類に害を及ぼす一面もあって、それを抑えるのが人間の文化と歴史です。今回の事故もその中でとらえたらいいかと思います」/あれほど原発の恩恵を語ってきた政治家が、その害を認め、さらに言葉をつづけた。/「これからは日本を太陽国家にしていきたい」」(山岡淳一郎『原発と権力』あとがき)
とのこと。
さすが原発利権にあずかりつくすまでいけば、言うことが違うねぇ。
(いい加減マスコミは、中曽根にコメント求めにいったり発言機会与えたりするなど、妙に上に押し戴くような扱い、やめておくれ)
投稿: 原口 | 2011年10月 9日 (日) 00時20分
コメントしてる原口氏もおかしなこと言ってるし、yellowbell氏もおかしなことを言っている。
原発利権に塗れた?どの面下げてそういうことを言えるのか?
この人達は電気を使ってこなかったのか?
自分の使った電気は原子力から生み出される電気では無かった、と言いたいわけか?
そんなことが言えるわけがないことも承知のはずだ。
正直な話、中曽根の言っていることはかなり的を得ている。
原子力が事故を起こした時に害を受けるということの本質は、包丁を頭のいかれた奴が持った途端に凶器になる、というのと何も変わらない。
規模が大きいかどうかだけの話だ。
要するに、普段は自分の下まで被害が及ばないから思考を停止していたくせして、今更自分の下に被害が及んだことによってそれまで考えていました的な態度を取る、腐りきった態度だ。
大体、原子力施設を置いている地元の人達が危険を認識していなかったとでも思ってるのか?
危険を認識していたからこそ、事故後ですらも、原子力施設誘致に力を注いでいるのだ。
なにが
>(いい加減マスコミは、中曽根にコメント求めにいったり発言機会与えたりするなど、妙に上に押し戴くような扱い、やめておくれ)
だ。
危険かどうか調べればすぐわかるものを、調べもせずに他人任せにしていたのは一体どこのどいつだ?
自分には責任が無いとでも思ってるのか?
そういう腐りきった考え方をしているから、今の状況を生み出してしまったんだよ。
ま、どうせ言っても何を責められているのかわからないんだろうから、勝手にすれば良いけどな。
救いようのない馬鹿どもとしか思えん。
投稿: いかれた奴らに鉄槌を | 2011年10月 9日 (日) 04時38分
>正直な話、中曽根の言っていることはかなり的を得ている。
「的を射ている」ですよ。
>危険かどうか調べればすぐわかるものを、調べもせずに他人任せにしていたのは一体どこのどいつだ?
自分には責任が無いとでも思ってるのか?
そういう腐りきった考え方をしているから、今の状況を生み出してしまったんだよ。
中曽根さんにもお聞かせしたい言葉ですね。右から左でしょうけどもね。
(ちなみに
>救いようのない馬鹿どもとしか思えん。
でかまわないので、
山岡淳一郎『原発と権力』(ちくま新書)の中曽根にかかわる部分ぐらいは、お読みいただけませんかねぇ。
あと私は、中曽根に鉄槌を下せ、とまでは(あなたと違って)思っていませんよ。)
投稿: 原口 | 2011年10月 9日 (日) 19時01分
まあ、でも
「田舎」というやつがわかると
「原発利権で食ってる奴ら」的な言い回しなんてできないと思いますがね。
先祖代々の墓を守るとか、お寺は永代供養をなかなか引き受けてくれないとか
地方のコミュニティを維持しなければならないと考えてる人達がいて、
その手段として原発誘致というのは手としては考えられても仕方ないとおもいます。
あ、原発で働いてる人たちの待遇とか状況とかを許してるという面では
電力会社というのは論外の範疇だと思いますがね
投稿: Dursan | 2011年10月10日 (月) 11時30分