『新たな福祉国家を展望する』旬報社
旬報社より、福祉国家と基本法研究会 井上英夫+後藤道夫+渡辺治 編著『新たな福祉国家を展望する (社会保障基本法・社会保障憲章の提言)』をお送りいただきました。
本書は、
第1部 今なぜ、社会保障憲章・社会保障基本法が必要か
1 福祉国家型対抗構想が今なぜ必要か
2 社会保障憲章、社会保障基本法の位置と役割
3 3.11と国家の責任
第2部 社会保障憲章2011
1 社会保障への期待と需要の増大
2 日本の社会保障の岐路
3 実現すべき社会保障原則
第3部 社会保障基本法2011 と解説
1 社会保障基本法2011
2 社会保障基本法2011の解説
という三部構成ですが、その半分近くが第2部の「社会保障憲章2011」で、これが「憲章」というよりは、ほとんど大論文になっています。
その主張のかなりの部分は、同感できるところが多いのです。たとえば、とりわけ各領域における諸原則として挙げられている、適職・妥当な処遇で働く権利の保障、基礎的社会サービスの現物給付を公的責任で保障、居住保障、重層的で空隙のない所得保障による普遍的な貧困予防・救済、健康権保障などは、まさに原則としてそうあるべきと思いますし、制度の在り方と運営に関わる原則のうち、ナショナルミニマムとローカルオプチマムという原則は、軽々しい地方分権論に対して極めて重要でしょう。
一方で、いくつか懸念が残るところがあります。とりわけ、財政との関係でいえば、新自由主義的な社会保障削減を否定するあまり、「出るを量って入るを制す」というそれ自体は必ずしも間違っていない原則をスローガン化してしまうと、必要充足の原則のその「ニーズ」の軽重がつけられなくなり、結局ニーズの高いものもそれほど高くないものも、ニーズに変わりはないということで削れなくなり危険性があるのではないかと思われます。結局、異なった人々が異なったニーズをぶつけ合う政治過程において、ニーズ相互間の軽重をつけるためには、「入るを量る」局面がなければうまくいかないだろう、ということです。
具体的な例でいうと、高齢者への医療や介護などの現物給付を充実させることと、現役時代の所得に比例した年金を維持することとは、前者のニーズを強調するならば、後者のニーズを引き下げていかないとおかしなことになるでしょう。とはいえ、ニーズ第一主義では、そのバランスをとった後者の引き下げはなかなか難しいのではないでしょうか。ただでさえ、「儂が払った年金じゃ、儂がもらうのは当然じゃ」という意識が強い日本社会ではとりわけそうでしょう。それはやはり、社会保障費用全体を(トータルのニーズに応じて拡大していくのは当然としても)むやみに膨れあがらせるわけにもいかないという財政原則からどっちを選ぶのか?といわないと難しいように思われます。
もう一つ、やや気になるのは、全体としてベーシックインカム論のような労働否定的ニュアンスはなく、むしろディーセントワークと積極的労働市場政策志向であるとはいいながら、失業扶助や生活保護のところの記述が、下手をすると長期的な受給依存に対して否定的でないようなメッセージを送ることになりはしないか、という点です。これは、おそらく筆者たちからすると、私の考え方が過度にワークフェア的であり過ぎると批判される点なのだろうと思いますが、ヨーロッパ諸国の政策の流れを追ってきた立場からすると、気になるところです。
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