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2011年9月 7日 (水)

大原瞠『公務員試験のカラクリ』

9784334036355 光文社新書編集部より、大原瞠『公務員試験のカラクリ』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334036355

とはいえ、どうしてわたくしにこの本が送られてきたのか、今一つよく分からないところがあります。

著者の大原さんは

>一九七四年生まれ。兵庫県出身。公務員試験評論家。大学卒業後、塾講師などを経ていくつかの公務員試験に合格。その経歴を生かして、資格試験スクールや大学で多くの学生に公務員試験の受験指導を行った経験を持つ

という方で、本書の内容は、

公務員はなぜ安定しているのか――まえがきに代えて
【第1部】 不況ニッポンのガラパゴス就活(公務員受験)事情
第1章 大学生たちの苦悩 
第2章 「公務員の魅力」という幻想、志望動機の罠
第3章 社会人受験生の苦悩
【第2部】 公務員試験の周囲にうごめく教育業界
第4章 公務員試験にぶら下がる大学・資格スクール業界
第5章 そもそも資格スクールは必要なのか?
【第3部】 ガラパゴスの生みの親――採用者側の論理  
第6章 公務員試験の謎
第7章 役所は面接で何をみているのか?
第8章 公務員人気の真偽如何? 公務員試験の将来

というものです。

まえがきやあとがきで書かれている、例えば大震災が起きたときに自らも被災者であっても、住民のために身を挺して働くべきノブレス・オブリージュの話は重要ですが、必ずしも本編で書かれていることとそれほどつながっているわけでもないようですし。

官民両方を見渡した新卒労働市場を論ずるという観点もちらちらでてきますが、必ずしも全面的に展開されているわけでもないようです。

ということで、いささかみみっちい枝葉末節の話ですが、まあ、標題が『公務員試験のカラクリ』であって、「公務員制度のカラクリ」ではないこともあり、試験科目の話題をちょっと。

第6章「公務員試験の謎」の131ページあたりから、「入庁後役に立たない科目の筆頭、経済学」という一節から。

>もう一つ、公務員試験の出題範囲で受験生の多くが疑問に感じてやまない話をしておこう。・・・

>・・・そして、こうした文系向けの専門試験に出題される科目の中で、資格スクールの講師陣や公務員試験合格者、さらには現役受験生たちから評判の悪い科目のダントツトップが、経済学なのである。

>評判が悪い理由は、・・・何より「試験合格のためだけに必要で、公務員になった後は役に立たない科目」であると考えられているからだ。

>・・・正直に言って、法律科目とは対照的に、役に立つ場面は少ない。内閣府で経済予測を立てたり、財務省や経済産業省で経済・財政政策を考える高級官僚なら必要だが、県庁や市役所で経済学の理論を頭に思い浮かべながら経済政策を考え、実行している人なんて、現実的にはまずいない。

>百歩譲ったとしても、ごくごく一部の人だ。そもそも公務員試験に出る経済学なんて、ガチガチの経済理論であって、目の前の実務に直接応用できるようなものではないのだから、地方自治体で窓口業務をしている人には、高邁な経済理論なんて百害あってなんとやら、である。

では、なぜ法律科目と並んで経済学が好んで出題されるのかというと、大原氏曰く、

>・・・ところが、経済学は社会科学分野でありながら、学問体系の中に数学的な要素が組み込まれているので、知識の確認問題だけでなく計算問題も出題できる。。・・・受験生の中に苦手意識がしみこんでいることもあり、政治学や行政学などに比べて受験生間の差もつけやすい。これは科目として出題者にとって魅力なのである。・・・

いや、もちろん、これは「公務員試験のカラクリ」という本の中で書かれた、受験生や受験産業講師の目に映った事態の描写であって、それ以上ではありません。

実際、上にも書かれているように、国家レベルでマクロ的な経済社会政策を考える立場になれば、経済理論の素養が必要であることは言うを待ちません。

しかし、地方自治体で泥臭い業務に携わる人々に、どこまで必要なの?という疑問は確かに一理ありましょう。

この本はあくまでも公務員試験の本なのでそれ以上の突っ込みはありませんが、せっかく経済学の話題が出たので、この問題を経済学的に、それも流行の制度の経済学的に分析すれば、大学にむやみやたらに経済学部を作り、むやみやたらに多い経済学の教師がむやみやたらに多い経済学部の学生に経済学を教えるという事態を社会的に正当化する上で、(実際に就職した後でそれが役に立つかどうかはさておいて)少なくとも入口におけるスクリーニングに経済学の知識を問われるという状況を作っておくことは、経済学教授という社会的システムを真に社会が必要とする以上に膨大に維持するという個別利害の観点からして極めて合理的であることだけは間違いないように思われます。

それが、就職後に本当に役に立って、社会全体の厚生水準の向上に貢献するのかといった、マクロ社会的な実質的合理性の問題を無視すれば、という話ではありますが。(うーむ、なんと(悪い意味において)ある種の経済学者に典型的な理屈であることか!)

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html(経済学部の職業的レリバンス)

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