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2011年9月

2011年9月30日 (金)

あごら起業塾に走る前に・・・『<起業>という幻想』

08164l谷口功一さんより、その訳書、スコット・A・シェーン『〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=08164

さて、本書は題名どおり、今や日本でも鉦や太鼓で持て囃されている「起業」(アントレプレナーシップ)の神話を完膚無きまでに叩きのめしている本です。しかも、その手法が徹底的に実証主義。かつ、これは人によって趣味が分かれるかも知れませんが、翻訳の文体が、あの山形浩生訳クルーグマン風の、ちょいとかっこいい口調であるのも、内容にマッチしています。

>会社を辞めて「起業」に走る前に

 マイクロソフトのビル・ゲイツ、アップルを立ち上げたスティーブ・ジョブズ、オラクル創業者のラリー・エリソン。こうした人物に象徴されるように、身ひとつでたたき上げた「起業」に成功して巨万の富を築くというアメリカン・ドリームは今なお、〈神話〉として米社会を根本で支えている。

 しかし、本書によれば、現実はまったく異なる。連邦準備制度理事会や国勢調査局などの経済統計から浮かび上がる起業のごくありふれた光景はこんな具合だ。

 米中西部の都市ララミー。大学中退歴のある40歳代の白人既婚男性が「よそで働きたくない」という動機から職を転々とし、挙句、生活が逼迫して起業に手を染める!

 もちろん、そんな彼が手掛けるビジネスはアメリカン・ドリームとは程遠く、建設会社や自動車修理工場のようなローテクに限られる。そして、資金繰りは芳しくなく、5年以内に消える運命にある……。

 本書は、経済成長や雇用創出(失業率)、人種や性別まで、統計を駆使して、もうひとつのアメリカを浮き彫りにする試みでもある。職を転々として起業に身をやつす米国人の姿は、産学官が一体になって起業を喧伝する日本社会に一石投じることは間違いない

イントロの一部が立ち読みできるので、ちょっとそこも引用しておきましょう。

>起業(entrepreneurship)という言葉は、現在、もっとも人気のあるトピックの一つである。試しにグーグルでentrepreneurという言葉で検索をかけてみるなら、三七〇〇万件がヒットする。これは一生かかっても読み切れないほどの分量だ。起業に関する情報は、至る所に溢れている。であるにもかかわらず、そこにダメ押しする形で、わたしは本書を新たに出版しようとしているのだが、それは、なぜなのか。

 それは、われわれが起業にまつわる神話にとり憑かれているからだ。この「神話」という言葉が何を意味するものであるのか、皆さんにはすでにお分かりだろう。要するに、高校を中退した文無しの男が一〇ドルだけポケットに突っ込んでアメリカにやって来て建設会社をおこし、あれよあれよという間に億万長者になってしまうとか、あるいは、インターネット電話を開発したエンジニアがベンチャー資本を調達し、最終的には数億ドル規模の会社を作り上げるとか、そういった類の話だ。

 ほとんどの人は、この手の神話を好むものだ。なぜそんな神話を好むのかというと、ホレイショ・アルジャーの小説〔典型的なアメリカの成功譚〕のように困難を克服して成功するヒロイックな物語が大好きだからという向きもあれば、エキサイティングでエキゾチックに見える他人の人生を垣間見ることができるという「覗き見根性」を理由にする向きもいる。われわれは、この手の話を聞くのが好きでたまらないので、そういう話を繰り返し他人に聞かせたり、記事にしたり、時として本にしてしまったりするわけだ。この手の神話を物語る記事や本が書かれると、人々はそれを購入し、さらに多くの人が同じような神話についての記事や本を書くという無限のサイクルができあがるのである。(中略)

 しかし、わたしのこの本は、それらとは異なったものである。多くの人が信じる神話を再生産して提供するよりは、むしろ、起業に関するデータに注目するのだ。ここで用いられるデータは、どんなものでもいいというわけではない。ここでは、筋のいいデータだけを扱う。事実を丹念かつ適切に収集し、精度を保とうとしていると評判を博する機関—たとえば、それはシカゴ大学やミシガン大学、あるいは国勢調査局や労働統計局などの機関—で、研究者や政府のリサーチャーによって得られた、統計上の代表標本に関する調査を用いるのである。

 本書では、起業家にまつわる神話に挑戦するため、わたしは以上のようなデータを用い、実際のところ、それがどうなっているのかを描き出すことにしたい。以下では、アメリカでの典型的な起業家像がどのようなものなのか、彼は何をどのように行うのか、そして、そのビジネスがアメリカ経済に対してどのようなインパクトを持つのかをスケッチすることにしたい。

あと、イントロで、「たとえば」として羅列されている本書の示す驚くべき(しかし当たり前な)事実を示しておくと、

●アメリカは以前に比べるなら起業家的でなくなってきている。

●ペルーは、アメリカよりも3.5倍の割合で新たなビジネスを始める人がいる。

●起業家は、魅力的で目を引くハイテク産業などではなく、建設業や小売業などの、どちらかというと魅力の薄い、ありきたりの業種でビジネスを始める場合の方が多い。

●新しくビジネスを始める動機のほとんどは、他人の下で働きたくないということに尽きる。

●仕事を頻繁に変える人や、失業している人、あるいは稼ぎの少ない人の方が、新しいビジネスを始める傾向にある。

●典型的なスタートアップ企業は、革新的ではなく、何らの成長プランも持たず、従業員も一人(起業家その人)で、10万ドル以下の収入しかもたらさない。

●7年以上、新たなビジネスを継続させられる人は、全体の3分の1しかいない。

●典型的なスタートアップ企業は、2万500ドルの資本しか持たず、それはほとんどの場合、本人の貯金である。

●典型的な起業家は、他の人より長い時間労働し、誰かの下で働いていたときよりも低い額しか稼いでいない。

●スタートアップ企業は、考えるよりは少ない仕事(雇用)しか生み出さない。

これはほんの一例に過ぎません。

やや詳し目の目次がついているので、それもコピペしておきましょう。シェーンがどういうことを語っているか、だいたい目星がつくと思います。

謝辞
  イントロダクション
   起業とは何か/起業に関するイメージ/
   神話を信じ込んでいるとどうなってしまうのか/本書を読むべきなのは誰か/
   本書ではどのような問題を取り扱うのか/たとえば

 第一章 アメリカ──起業ブームの起業家大陸
   起業家の数は増えていない/アメリカでの起業は低調である/
   国によってスタートアップの数が多くなるのはなぜか/
   国内でスタートアップが占める割合の相違/
   地域間の起業の違いを説明するのは何か/結論
 第二章 今日における起業家的な産業とは何か?
   どのような産業分野で起業家はビジネスを始めるのか/
   なぜ特定の産業が起業家の間で人気なのか/結論
 第三章 誰が起業家となるのか?
   起業家のマインド/なぜビジネスを始めるのか/
   起業家は“優れた”人間なのか/起業家になることは若者の専売特許なのか/
   実社会で痛い目に遭うことがビジネスを始める導きなのか/専攻が重要なのか/
   経験の重要さ/生粋の地元育ちよりも移民のほうが起業家になりやすいのか/
   コネより知識/結論
 第四章 典型的なスタートアップ企業とは、どのようなものなのか?
   新たなビジネスのほとんどはとても平凡である/
   たいていのスタートアップは革新的ではない/
   たいていのスタートアップはごく小規模である/
   成長を目指すビジネスはわずかである/
   新たなビジネスの多くは競争優位を欠いている/半数は在宅ビジネスである/
   起業家はどのようにしてビジネスアイデアを思いつくのか/
   起業家はどのようにビジネスアイデアを評価しているか/
   ビジネスを立ち上げる/会社立ち上げは成功例よりも失敗例のほうが多い/
   チームで起業?/結論
 第五章 新たなビジネスは、どのように資金調達をしているのか?
   ビジネスを立ち上げるのにどれくらいのお金が必要なのか/
   主な資金源は創業者の貯金/お金持ちのほうが起業しやすいのだろうか/
   個人的な負債/どんな企業が外部資金を獲得するのか/負債か株式か/
   スタートアップは銀行から借り入れできるのか/
   外部からの株式資本による資金調達/
   ベンチャー資本はあなたが考えるほど重要ではない/
   ビジネスエンジェルの実像/結論
 第六章 典型的な起業家は、どのくらいうまくやっているのか?
   典型的な新たなビジネスは失敗する/ビジネスから撤退する/
   起業家はそれほど儲からない/起業によるリターンは不確実である/
   起業家は投資資金に対する追加的なリターンを得られない/
   起業家はベンチャーの展望について過剰に楽観的か/
   ごく少数の起業家が大成功を収める/創業者の満足/結論
 第七章 成功する起業家とそうでない起業家の違いは何か?
   時間とともに容易になる/どの産業で、ということが非常に重要/
   ほとんどの起業家は愚か者なのか/ほかにやるべきことは何か/
   よりよい起業家になるための準備は可能だ/正しい創業の動機を持て/
   結論
 第八章 なぜ、女性は起業しないのか?
   女性はあまり起業家にならない/なぜ女性起業家の割合は低いか/
   女性のスタートアップの業績は/
   なぜ女性が創業したビジネスの業績は貧弱なのか/結論
 第九章 なぜ、黒人起業家は少ないのか?
   なぜ黒人起業家の割合はかくも低いのか/
   黒人によるスタートアップの業績はどうだろうか/
   なぜ黒人が保有するスタートアップの業績はよくないのか/結論
 第十章 平均的なスタートアップ企業には、どの程度の価値があるのか?
   経済成長/雇用拡大/雇用の質/結論
  結論
   起業の現実/われわれは何をなすべきか 
  訳者あとがき
  註
  神話と現実

まあ、ひと言で言えば、何も考えないであごら起業塾に走る前に、じっくりと読んでおくと人生をムダにしないかも知れない本と言えましょう。

少なくとも労働組合にとっては味噌ではない

先日の「労働組合と原発」というエントリに対して、伊田広行さんが批判されています。

http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/2528/(「労働組合なら原発推進は自然なこと」か?)

実を言うと、労働組合はいかにあるべきかという基本認識については、わたくしと伊田さんはそれほど違いがなさそうです。

>私は学生時代から、赤色労働組合主義を批判し、労働組合は労働者の集団的バーゲニングという経済主義的な労働組合という一点で結集するべきもので、共産党などの上部団体の政治的な指導によってひきまわされるべきものではないという意見を持っていた。
今でも、ある面では政治的引き回しはおかしいと思っている。

>政治的な引き回しではなく、したいものだけが集まる『まともな組合』である。全体の賃金にだけ興味を持つが、非正規や下請けにはほとんど興味を持たないような組合ではなく、私なら、同じ職場の下請け、非正規、出世しない人、セクハラパワハラを受けている人、不当な扱いをされた人、そういう個人の労働者の側に立ってちゃんとものを言い、交渉し、待遇と尊厳の回復をする労働者でありたいと思っている。そういう活動をする。そういう組合になるよう声を上げるし、多数派組合が動かないなら、少数組合を作る。外部の個人加盟ユニオンに属して動く

労働組合は労働者の経済的利益を目指すべきであり、政治的イデオロギーに振り回されるべきではないこと、守るべき労働者の利益は正社員だけでなく、非正規や下請労働者の利益にも目を配るべきこと。

そこから私は電力会社の労働組合について、

>>原発それ自体に反対しなかったこと

のゆえに批判するのはおかしいが、

>>下請労働者の労働者保護を取り上げてこなかったこと

は批判されるべきである、と考えています。上記エントリも、そういう趣旨であることは読めばおわかりの通りです。

「原発にずっと昔から反対だった」伊田さんにとっては、しかしながら、原発反対は「政治的引き回し」に属することではなく、「まともな組合」の必須要件であるようです。ここは、何とも同意しがたいところと言うしかありません。

同じく伊田さんが言われる「そこをわかっていないのは、沖縄に米軍基地を押し付けて思考停止しているのと同じである」というのも、やはり労働組合が労働組合としてとやかく言うべき物事ではなかろうと思っています。

ただ、どうも伊田さんがカチンときたのは、

>味噌も糞も一緒にした外在的批判は、労働運動それ自体のためにも決してよろしくない、というのは、戦後労働運動がいやというほど思い知らされてきたことではないでしょうか。

という表現だったようです。

原発反対や沖縄米軍基地反対は「糞」か?と。

いや、そういう政治的主張が、個々人としては味噌でもありうるし糞でもあり得ることは当然です。どちらにせよ、それらは個人が同じ政治的主張を持つ人々とともに行うべきことであって、労働組合が労働組合として(組合員個人の政治的主張にかかわらず)行うべきことではなかろうというだけのことです。

それらは少なくとも労働組合にとっては味噌ではない。

それが味噌か糞かは労働組合は関わってはいけない。

水町勇一郎『労働法入門』岩波新書

S1329 水町先生より、新著『労働法入門』(岩波新書)をお送りいただきました。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1109/sin_k611.html

いうまでもなく、水町さんは現在もっとも元気な労働法学者ですが、「大学で労働法を勉強したわけではない一般市民のみなさんに向けて、労働法の全体的な姿をわかりやすく解き明かすことを試みた」(あとがき)200ページあまりの本書は、確かに現時点における決定版と言うにふさわしい内容になっています。

別段示し合わせたわけではないのですが、わたくしの『日本の雇用と労働法』(日経文庫)と見事にシンクロしてしまいました。両者を併せ読むと、似たところと違うところがくっきり浮かび上がってきて、一興かと思います。

目次を見ると、あとがきにいう「全体的な姿」が見てとれます。

>はじめに―働くことと法

  第1章 労働法はどのようにして生まれたか―労働法の歴史   
  1 労働法の背景―二つの革命と労働者の貧困
2 労働法の誕生―「個人の自由」を修正する「集団」の発明
3 労働法の発展―「黄金の循環」
4 労働法の危機―社会の複雑化とグローバル化

   第2章 労働法はどのような枠組みからなっているか
  ―労働法の法源   
  1 「法」とは何か
2 人は何を根拠に他人から強制されるのか
3 労働法に固有の法源とは
4 日本の労働法の体系と特徴

   第3章 採用、人事、解雇は会社の自由なのか
  ―雇用関係の展開と法   
  1 雇用関係の終了―解雇など
2 雇用関係の成立―採用
3 雇用関係の展開―人事

   第4章 労働者の人権はどのようにして守られるのか
  ―労働者の人権と法   
  1 雇用差別の禁止
2 労働憲章
3 人格的利益・プライバシーの保護
4 内部告発の保護
5 労働者の人権保障の意味

   第5章 賃金、労働時間、健康はどのようにして守られているのか
  ―労働条件の内容と法   
  1 賃金
2 労働時間
3 休暇・休業
4 労働者の安全・健康の確保
5 労働者の健康を確保するための課題

   第6章 労働組合はなぜ必要なのか
  ―労使関係をめぐる法   
  1 労働組合はなぜ法的に保護されているのか
2 労働組合の組織と基盤
3 団体交渉と労働協約
4 団体行動権の保障
5 不当労働行為の禁止
6 企業別組合をどう考えるか

   第7章 労働力の取引はなぜ自由に委ねられないのか
  ―労働市場をめぐる法   
  1 なぜ労働市場には規制が必要か
2 雇用仲介事業の法規制
3 雇用政策法
4 日本の労働市場法をめぐる課題

   第8章 「労働者」「使用者」とは誰か
  ―労働関係の多様化・複雑化と法   
  1 労働関係が多様化・複雑化するなかで
2 「労働者」―労働法の適用範囲
3 「使用者」―労働法上の責任追及の相手
4 「労働者」という概念を再検討するために

  第9章 労働法はどのようにして守られるのか
  ―労働紛争解決のための法   
  1 裁判所に行く前の拠り所
2 最後の拠り所としての裁判所
3 紛争解決の第一歩

   第10章 労働法はどこへいくのか
  ―労働法の背景にある変化とこれからの改革に向けて   
  1 日本の労働法の方向性
2 「個人」か「国家」か―その中間にある「集団」の視点
3 これからの労働法の姿
   ―「国家」と「個人」と「集団」の適切な組み合わせ
4 労働法の未来の鍵


   あとがき
 事項索引

今次拙著が日本の雇用システムと労働法という観点から、雇用関係法+労使関係法にわりと絞っているのに対し、非常に広がりのある分野を包括的に扱っています。

新書編集部の方の言葉:

>突然、賃金をカットされて、日々の暮らしが厳しくなってしまった人。連日の残業や休日出勤で心身に不調をきたしてしまった人。会社の経営悪化で解雇され、不安定な派遣労働を強いられている人。何カ月も職探しをしているのに、なかなか就職先が決まらずに途方に暮れている人。会社でありもしない噂を流され、職場に居づらくなってしまった人……。今の日本で、労働をめぐる問題を抱えたり、壁にぶつかったりしている人たちはたくさんいることと思います。また、いつ自分がそういう立場に立たされるかと不安に感じている人たちも多いのではないでしょうか。

 こうした問題に直面したときにこそ、労働法は私たちの力強い味方になってくれるはずです。労働法を役立てるためにも、労働法に脈打つ精神とその法制度について理解しておきたいものです。

 本書は、第一線で活躍する労働法学の著者に、諸外国との比較や最新の状況もふまえ、労働法の基礎知識を体系的にまとめていただいたものです。文章も平明でクリアです。ぜひお読みいただければと思います。

(新書編集部 小田野耕明)

既に、労務屋さんやアモーレ大内先生など、両者をブログ上で取り上げている方もいますので、ここでは中身の話ではなく、「えっ、そうだったの!」という豆知識を。

>私は、25年前、理科系の学生として大学に入学した。・・・その後、いろんな理由があって法学部に移り、法について語る研究者になった。(p25)

それは知りませんでした。

あと、p45(日本の労働関係の特徴-共同体的性格)で、菅山さんの本と並んで拙著『新しい労働社会』を引用していただいているほか、とりわけ嬉しかったのは、終わり近くの第9章で、わたくしたちJILPTの研究者による個別労働紛争の報告書を次のように引用していただいたことです。これは、わたくしたちにとって、大変励みになります。ありがとうございます。

>・・・このような状況のなか、実際の労働の現場では、労働法の教科書に書いてあることとは程遠い、ひどい事件が数多く起きている。労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏らがまとめた『個別労働関係紛争処理事案の内容分析-雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引下げ及び三者間労務供給関係』(労働政策研究報告書123号)は、実際の労働紛争の実像を丹念に分析している。法と実態の乖離が日本の労働法の大きな特徴となっている。

不条理な事態に直面したときに、泣き寝入りしたのでは自分の権利や信念は守れない。それだけでなく、法と乖離した実態を容認することは、会社側に法を守らなくてもよい、さらには、法を守っていては激しい競争に生き残れないという意識を植え付け、公正な競争の前提自体が損なわれる事態を生む。・・・

2011年9月29日 (木)

「最近の生活保護急増の主因は、景気低迷ではない」というのはそれ自体は正しいが

鈴木亘氏が、ブログで、「最近の生活保護急増の主因は、景気低迷ではない」と述べています。

http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/35451215.html

そのこと自体は、認識論的には、私は賛成です。問題はその評価でしょう。

>日本には、生活保護制度をきちんとデータに基づいて議論する研究者はきわめて少なく、それが生活保護制度についてウェットな感情論が横行する原因の一つとなっている。しかし、きちんとデータに基づいて分析をすれば、巷で言われているように、最近の生活保護急増がリーマンショック後の景気悪化によってもたらされたわけではないことは明らかである。稼働能力層に生活保護を広げる厚生労働省の政策変更が、急拡大をもたらしているのである。政策変更によってもたらされたものは、景気回復によっても元に戻りはしない。

ウェットであるとか、ドライであるとかといった、妙に感情的なものの言い方をする必要は全くないと思いますが、この指摘自体はその通りでしょう。

ただし、それは、生活保護法のどこをどう読んでも「稼働能力層には生活保護なんか出してやらねえよ」とは書いてないのに、勝手に(つまり法律に反して)出してこなかった(正確にいえば、政治家とかヤクザみたいなのにねじ込まれない限り出してこなかった)わりと最近までの扱いがおかしかったということだけで、その意味では法律論としては本来の姿になっただけということになります。

それをどうにかしたいのであれば、法律をどうにかするしかありえないのであって、法律違反の頃がよかったのに・・・という議論は、法学部卒業じゃないからといって許されるというわけではありません。

立法論としてはいろいろな議論があり得ますが、

>一方で、急拡大する稼働能力層の自立支援や、自立へのインセンティブ確保により、彼らを切り捨てるのではなく、生活保護費の効率化をすすめる余地はないのか、生活保護制度改革に対する真剣な議論も必要である。

 その中では、生活保護制度内だけの改革ではなく、生活保護制度に稼働能力層を受け入れるのが本当によいのか、それとも、第二のセーフティーネットをきちんと支援付きのものにして機能させたり、「給付付き税額控除」を導入することによって、低所得者が働きながら十分な収入を得る自立促進的な仕組みを整えるなど、生活保護に安易に入れずに支援する手立ても、十分に議論すべきである

私は基本的には生活保護制度の中に、きちんと自立支援のメカニズムを埋め込み、(法が本来予定する)稼働能力層向けの制度として整備することが重要だろうと考えています。

第2のセーフティネットである求職者支援制度は、明後日から施行されますが、基本的には職業訓練受講を条件とする生活保障制度であり、それがあるから生活保護から稼働能力層を追い出せるような制度間の分担になっているわけではありません。

そこに、むりやりに生活保護制度の代替機能を要求すると、まさに職業訓練機能に対して有害な事態が生じ得ます。

力士の労働者性が労働判例に

本ブログで、(いささか趣味に任せて)いろいろと論じたことのある大相撲の力士の労働者性が、まさに裁判になっていましたよ。

『労働判例』10月1日号(1029号)の後ろの方の判例ダイジェストというコーナーですが、

>日本相撲協会(力士登録抹消等事件)東京地裁平23,2,25決定

てのが載っています。

この力士はモンゴル出身の幕下(最高位は東幕下10枚目)だったようですが、親方が勝手に廃業届を出したので力士登録を抹消されたのですが、日本相撲協会との間に雇用契約関係、仮にそうでないとしても準委任類似の契約関係が存在するとして、地位確認または報酬の支払いを求めた事案です。

判決は労働者性についていろいろと検討していて、そこも面白いのですが、結論を先にいうと、労働契約には当たらないけれども、有償の準委任類似の契約関係が成立しているとし、そしてこの無名契約についても、その解約は

>当事者間に当該契約関係の基礎にある信頼関係を根本から破壊するなど、もはやこれを継続することが困難であると認められるような「特段の事情」がある場合に限って許される

と述べ、本件ではそのような特段の事情はないから、この力士の有償の準委任契約は未だ終了しておらず、報酬を払え、という結論です。

なんというか、名を与えて実を取るというか、労働契約じゃないと言いながら、法的効果からすると、ほとんど労働者だと認めたに等しいような判決ですね。

いろんな意味で面白い。

(参考)

力士の労働者性関連エントリ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c64e.html(力士の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fd03.html(時津風親方の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_bbf0.html(幕下以下は労働者か?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d31a.html(力士の解雇訴訟)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-b776.html(朝青龍と労働法)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/by-916f.html(力士をめぐる労働法 by 水町勇一郎)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-4251.html(力士会は労組として八百長の必要性主張を@水谷研次さん)

仕事をしたつもリーマン@海老原嗣生

Shinsho201109_shitatsumorithumb150x 久しぶりに抱腹絶倒。

海老原嗣生さんから、今度はまたちょいと趣を変えた『仕事をしたつもり』(星海社新書)をお送りいただきました。

>いつも忙しいのに成果が出ない。なぜだ!
「仕事をしたつもり」とは、以下のような状態を指します。
 ・けっこう一生懸命、仕事をしている
 ・まわりもそれを認めていて、非難する人はいない
 ・本人はその行為にまったく疑問を持っていない
 ・しかし、成果はほとんど出ない
「社会人としてお金をもらっているんだから、そんなことやっちゃいないよ」と思うかもしれませんが、私たちは毎日、それも大量に、やってしまっているのです。中身の薄い仕事に追われているだけなのに、つい「バタバタしていて……」と言ってしまう。
そういった時間と労力の無駄は、もう終わりにしませんか?

次から次に繰り出されるその実例があまりにも我らが日本人の職場をリアルに描き出していて、なかなか。

章立ては、

第1章 何十枚も資料を作って、それで仕事をしたつもり?
第2章 流行のビジネスモデルを学んで、それで仕事をしたつもり?
第3章 みんなで一緒に考えて、それで仕事をしたつもり?
第4章 業界トップの真似をして、それで仕事をしたつもり?
第5章 「お客様は神様です」とへりくだって、それで仕事をしたつもり?
第6章 新しいことにチャレンジしないで、それで仕事をしたつもり?
終章  「仕事をしたつもり」からの抜け出し方

みなさん、山のように思い当たる「つもり」が積もり積もっていません?

でですね、これって軽めのビジネス本のように見えて、確かにそうであると同時に、実は労働の在り方という側面から現代日本を見事に文明批評した本になっているのですよ。

山のような業務量に押しつぶされてへとへとになって、わがままなお客様に振り回されてへとへとになって、それでどれだけの生産性を上げているの?

実をいうと、ホワイトカラーの生産性問題というのは、今から20年前からその種の業界ではずっとペットテーマなんですが、こういう根っこの話はどこかに行ってしまって、裁量制とかホワイトカラーエグゼンプションの話になってきたという歴史があったりします。

積もり積もった「つもり」を捨てる。

20年前にちょっと流行ってすぐに忘れられた「業革」なんて言葉もありましたっけ。

(追記)

間接部門を社内サービス部門と考えれば、これらはすべてサービス業の生産性問題という、あのとんでもなくとんちんかんな方向に逝ってる話の応用問題でもあるわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

>日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

>生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。ところが、そういう議論はとても少ないのですね。

Ebihara_message

君、まだ党員じゃないのか、それはだめじゃないか

『中央労働時報』9月号は、凄いのが載ってます。

「シリーズ この人に聴く労使関係・第5回」は、元中央労働委員会会長・元成蹊大学教授の萩沢清彦さん。既にお亡くなりになっている萩沢先生のこのオーラル・ヒストリーが凄い。この肩書きから想像されるようなただの学者先生ではありません。

終戦直後の時期に、東大法学部卒業後、「小遣い稼ぎ」に嘱託として産別会議事務局に入り、細谷松太氏について新産別に移り、その後労働弁護士として活躍し、さらに成蹊大学で民事訴訟法を教えながら、労働法の大家として中労委会長になる。中労委会長というのはよほど労使双方の信頼を勝ち得ていなければ難しい仕事です。まことに仁田先生の解題にあるように、「波瀾万丈」。テレビで毎週やってる普通クラスの波瀾万丈とは、波瀾万丈ぶりが違う波瀾万丈です。

これはもう是非、図書館辺りででも目を通して欲しいのですが、とりわけ、この一節。当時の文献なんかを読むと、大体そうだろうなあ、と想像されることですけど、近代史の一断面がさらりと語られていますね。

>私が産別会議の事務局にいてびっくりしたのは、産別会議の事務局と共産党との区別が全くないということでした。事務局会議を開こうが何をしようが、共産党の連中が来ておおっぴらに発言をします。方針は全部共産党で決めた方針を押しつけられるだけのことでした。そこで、私はあるとき、嘱託の時代ですが、組織部の先輩に、「こんなことでいいんですか。私は共産党員でも何でもないのに、共産党の会議にこうやってのこのこ出ていていいんですか」と聞いたことがあります。そしたら、その人が目を丸くしまして、「君、まだ党員じゃないのか、それはだめじゃないか」と、いきなり言われました。

エイジング・フォーラム2011@目黒雅叙園

来る11月9日、10日に、「超高齢社会における“この国の在り方”を考え、産業振興を実現する」ということで、目黒雅叙園を会場に、「AGING FORUM 2011」が開かれます。

http://www.nikkeibp.co.jp/aging/forum/2011/program2.html

この全体像は:

シンポジウムⅠ 超高齢社会 アカデミアからの予測と課題

AGING FORUM 2011のオープニングは、国立長寿医療研究センター、東京大学高齢社会総合研究機構のアカデミアから、サイエンスに基づいた「超高齢社会の日本の現実」を予測。イメージギャップを正して、2030年、全世代でどのような社会を創造するかを提言。

 基調講演
2030年ビジョン I ~ 超高齢社会 日本の現実
東京大学高齢社会総合研究機構 教授 辻 哲夫 氏  

アカデミア・ブリーフィング
1.老年学の立場から
老いること、高齢者の現実 ~介護予防の重要性
国立長寿医療研究センター研究所長 鈴木 隆雄 氏 
2.高齢者医療の立場から
在宅生活を支える医療とは ~特に認知症について
国立長寿医療研究センター病院長 鳥羽 研二 氏 
3.労働経済学の立場から
高齢者労働市場をどのように創るか
慶應義塾大学商学部 教授 樋口 美雄 氏
 
4.超高齢社会の国民的コンセンサス
高齢者の概念をパラダイムシフトする(仮題)
国立長寿医療研究センター理事長・総長 大島 伸一 氏 
 
 パネルディスカッション I
2030年 超高齢社会のイメージ・ギャップを正す
~ 全世代で、どのような社会を創っていくか
座長:東京大学高齢社会総合研究機構 教授 辻 哲夫 氏 
パネラー:上記4氏 
 
シンポジウムⅡ 2030年 この国の在り方-超高齢社会における経済成長と地域の役割

産業界の超高齢社会対応の視点から経済同友会代表幹事・長谷川閑史氏が基調講演。産官学ブリーフィングとして、「マクロ経済」「社会保障と税財政」「地域社会」を論点に、超高齢社会の課題を抽出する。

 基調講演
2030年ビジョン II ~ 超高齢社会における産業振興
経済同友会代表幹事 武田薬品社長 長谷川 閑史 氏 
 
1.マクロ経済の課題
超高齢社会における経済成長と社会保障の好循環は可能か
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 中谷 巌 氏 
2.社会保障と税財政の課題
持続する財政、社会保障のあり方
慶応義塾大学商学部教授 権丈 善一 氏
 
3.地域社会の課題
高齢化対応のための地域のあり方
(1)都市における超高齢社会への対応    東京都副知事 吉川 和夫 氏 
(2)地方における超高齢社会への対応①  福井県知事 西川 一誠 氏 
(3)都市における超高齢社会への対応②    千葉県柏市長 秋山 浩保 氏 
 
 パネルディスカッション II
2030年 超高齢社会 課題解決に向けての取り組み
座長:三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 中谷 巌 氏 
パネラー:長谷川 氏を含む上記5氏

第2日目:11月10日(木) 《午前の部・第一会場》 9:00 ~ 12:50

セッション1-1 超高齢社会の成長戦略Ⅰ

2011年現在の70歳は、30年前の70歳に比較して“11歳若い”ことが科学的に立証されている。健康年齢、体力年齢からみた高齢者の労働市場はどうあるべきか。「雇用延長」「定年制撤廃」「若年層とのベストミックス」を論点に高齢者労働市場を俯瞰する。

ブリーフィング
健康年齢から考える高齢者労働市場 その雇用、就労
座長:慶應義塾大学経済学部 教授 太田 聰一 氏 
講演(1)高齢者雇用の現実と2030年高齢者労働市場の創出
労働政策研究・研修機構 統括研究員 濱口 桂一郎 氏
 
講演(2)雇用創造 若年と中高年のベストミックス
学習院大学経済学部教授 脇坂 明 氏 
講演(3)中小企業における定年制撤廃と高齢者雇用
西島株式会社代表取締役社長 西島 篤師 氏 
ディスカッション

座長:太田 氏 
パネラー:濱口 氏、脇坂 氏、西島 氏
 
 
セッション1-2 高齢社会の成長戦略Ⅱ

20年後の社会。住宅、街、コミュニティはどのようにあるべきか。東日本大震災の復旧・復興に伴う“街づくり”を含め、「虚弱な高齢者と元気な高齢者の共存」「ICTネットワーク活用」をテーマに、超高齢社会の都市、町、村を展望。
ブリーフィング
超高齢社会の住宅、街、コミュニティのあり方
座長:東京大学高齢社会総合研究機構 機構長 鎌田 実 氏 
講演(1)2030年の住宅、街、コミュニテイ~東日本大震災を乗り越えて
株式会社プランテックアソシエイツ代表取締役会長兼社長 大江 匡 氏 
講演(2)虚弱な高齢者に優しい街づくり
人間総合大学保健医療学部学部長 柴田 博 氏 
講演(3) ① 理想的な超高齢社会を創るICTネットワーク 
日本ヒューレット・パッカード代表取締役執行役員 小出 伸一 氏 
② 高齢者市場における企業の役割(仮題)
ユニ・チャーム株式会社 代表取締役 社長執行役員 高原 豪久 氏 
ディスカッション

座長:鎌田 氏 
パネラー:大江 氏、柴田 氏、小出 氏、高原 氏 
 
第2日目:11月10日(木) 《午前の部・第二会場》 9:00 ~ 12:40

セッション2-1 超高齢社会のコンセンサス作り

AGING WELLとは、“より良い加齢”のこと。同時に“いかに生き、いかに死ぬか”の国民的コンセンサスも重要である。このセッションでは、座長・齋藤康氏(千葉大学学長)のもと、超高齢社会における「国民教育」「終末期医療」「延命治療」を議論する。
ブリーフィング
AGING WELL~いかに生き、いかに死ぬか
座長:千葉大学学長 齋藤 康 氏 
講演(1)死生観~AGINGに向けた国民教育
東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター 特任研究員 会田 薫子 氏 
 
講演(2)終末期医療の実際 2030年 医療の課題
国立長寿医療研究センター病院長 鳥羽 研二 氏 
講演(3)終末期医療と延命治療。特に胃ろうの是非を問う
国際医療福祉大学教授 鈴木 裕 氏 
ディスカッション

座長:齋藤 氏 
パネラー:会田 氏、鳥羽 氏、鈴木 氏 

セッション2-2 超高齢社会の成長戦略Ⅲ
 
「病院で死なない。家で死ぬ」。このことは多くの国民が望んでいる。地域医療の本流が在宅医療に向かう中で、超高齢社会における地域医療のあり方をテーマに、「訪問医療の原点」「コミュニティケア」「虚弱高齢者との共生」を論点として展開。
ブリーフィング
在宅医療~病院から在宅へ。地域医療再編による新しい市場
座長:国立長寿医療研究センター理事長・総長 大島 伸一 氏 
講演(1)訪問医療の原点 超高齢社会の在宅医療
佐久総合病院地域ケア科医長 北澤 彰浩 氏 
講演(2)在宅医療とコミュニティケア
おやま城北クリニック院長 太田 秀樹 氏 
講演(3)虚弱な高齢者の機能回復。元気な高齢者との共生
藤田衛生保健大学リハビリテーション科教授 才藤 栄一 氏 
ディスカッション

座長:大島 氏 
パネラー:北澤 氏、太田 氏、才藤 氏 
 
第2日目:11月10日(木) 《午後の部・第一会場》 13:30 ~ 17:05

シンポジウムⅢ 2030年へのロードマップ “この国を創る”

本FORUMのエンディング・テーマは、この国をどのように“創る”か。基調講演「ロードマップこの国を“創る”」(三菱総研理事長・小宮山宏氏)につづき、「地域社会」「社会保障」「政治」、「産官学政をどう結ぶか」を論点として、来年SUMMIT開催の展望を語る。
 基調講演
2030年へのロードマップ この国を“創る”
三菱総合研究所理事長 小宮山 宏 氏 
 
1.地域社会の視点から
産官学で取り組む新しい街づくり
東京大学高齢社会総合研究機構 教授 秋山 弘子 氏 
 
2.社会保障の視点から
税と社会保障の一体改革をどのように進めるか

~国民的合意形成のために

全国社会保険協会連合会理事長 伊藤 雅治 氏 
3.政治・立法府の視点から

(1)超高齢社会に向けた医療政策。意思決定の革新
民主党 参議院議員 梅村 聡 氏 
(2)2030年 産業振興のための国家的支援
自由民主党 衆議院議員 西村 康稔 氏 
4.企業・産業の視点から
あるべき社会の実現のために、産官学政をどう結ぶか
慶應義塾大学大学院教授 佐々木 経世 氏 
 
 パネルディスカッション III
2030年へのロードマップ この国を“創る” 
座長:東京女子医科大学教授 渡辺 俊介 氏 
パネラー:小宮山 氏を除く上記5氏

ご覧の通り、高齢社会に関わるさまざまな論点が取り上げられております。慶應の樋口先生や権丈先生もそれぞれのコーナーでご出場されるようですが、わたくしは2日目の朝イチで、「超高齢社会の成長戦略Ⅰ」というセッションで、高齢者雇用関係についてお話しをし、パネルディスカッションに参加する予定です。

増税に反対することは悪趣味に見える@FinancialTimes

イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙の記事の訳が日経に載っています。

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C9381959FE0E5E2E0968DE0E5E2EBE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2[FT]密かに富裕層からカネを搾り取る日本政府

>最高税率を巡る議論が米国と英国で白熱する中、日本の当局は異なるアプローチを採用しているようだ。密(ひそ)かに富裕層からカネを搾り取るのだ。・・・

>・・・日本の政策当局者たちは少なくとも、最富裕層への増税案を巡ってオバマ米大統領に浴びせられている「階級闘争」の批判を免れている。・・・

>裕福な納税者は、臨時増税についてあまり騒ぎ過ぎない方が賢明だろう。何しろ、国内総生産(GDP)の17%相当しか徴収しない税制(先進国では最低水準に数えられる)にとっては、復興増税など微調整にすぎないのだ。

 3月11日の大震災に直面して冷静な態度を示し、世界中の称賛を集めた東北の被災地住民の苦しみを和らげるための増税に反対することは、悪趣味に見える

 富裕層の増税を支持する最善の説の1つは、それにより、すべての所得階層が運命をともにしていることへの国民の信念が深まる可能性があることだ。幸いなことに日本はまだ、米国の一部都市を台無しにしているような犯罪が多発する立ち入り禁止地域や、今夏英国各地に広がった暴動などがない国だ。

 野田佳彦首相は今月、中流階級からこぼれ落ちる人々の「あきらめはやがて失望に、そして怒りに変わり、日本社会の安定が根底から崩れかねない」と述べ、社会の安寧が保証されているわけではないことを示唆した。

 最高税率を払っている納税者の多くはきっと、弱含みの景気回復への懸念から臨時増税が少なくとも先送りされることを期待しているだろう。だが、日本の悲惨な財政動向は、全般的な増税がほぼ避けられないことを意味している。今回の増税計画は、富裕層に税金をより多く払わせようとする最後の試みにはならないだろう。

依然として、一部ネット上及び一部政局方面では増税叩きを至高の政治目標に掲げる人々が後を絶たないようですが、日経とは比べものにならないくらい世界の資本主義オピニオンリーダーであるフィナンシャル・タイムズ紙の目から見ても、「騒ぎすぎない方が賢明」に見えるようですね。

2011年9月28日 (水)

呉学殊『労使関係のフロンティア 労働組合の羅針盤』

Frontiers 労働政策研究・研修機構(JILPT)きっての労使関係研究者である呉学殊さんの大著『労使関係のフロンティア 労働組合の羅針盤』が刊行されました。

http://www.jil.go.jp/institute/sosho/frontiers.htm

>バブル崩壊以降、労使関係を取り巻く環境は激変しています。本書は、パートタイマーの組織化、CSRに取り組む先進的な労働組合、持株会社化に伴う労務管理・労働組合の動き、個別労働紛争解決に向けたコミュニティ・ユニオンの対応、地域労働運動の展開――などを取り上げて分析しています。危機の時代に対し、労使の高い対応能力が期待されている現在、その羅針盤の役目を果たすべく、労働組合関係者はもちろん、人事労務担当者にもご一読いただきたい内容となっています

労働関係者のみなさんには今さらですが、呉さんは今から20年前に日本に来て、東大の大学院で学び、新日鐵と韓国のポスコの雇用慣行と労使関係の比較研究をし(これは残念ながら出版されていませんが)、その後日本労働研究機構に入って、労使関係一筋で研究してきました。

その業績はこちらのページにありますが、

http://www.jil.go.jp/profile/ohhs.html

今回の本は、いままで雑誌や報告書、書籍などに書いてきた彼の論文の集大成になっています。

序章  本書の研究背景と狙い

第1部 労働組合組織化と労使関係の深化

第2部 企業グループ経営と労使関係の拡大

第3部 中小企業の労使関係と労使コミュニケーション

第4部 個別労働紛争の解決・予防と労働組合

第5部 地方労働運動の展開・強化

終章  労働組合運動のさらなる活性化と労使関係の新たな深化に向けて

いずれも、今日の日本の労使関係にとって重要な事項ばかりですが、とりわけ近年は第4部の個別労働紛争との関係でコミュニティ・ユニオンや合同労組と呼ばれる労働運動をフォローしてきたことは、ご存じの通りです。しかし、呉さんのレパートリーはもっとずっと広く、最近では連合総研の地域協議会の活動の研究の中軸として、第5部にあるような研究をしてきています。さらに今は、しばらく前にやっていた第3部にあるような中小企業の労使コミュニケーションの実態研究も進めています。

組織的には、一応、わたくしが上司ということになりますが、もちろん研究者としての呉さんのレパートリーに追いつけるわけでもないので、「期日までに報告書をまとめろ」というのが唯一の仕事です(笑)。

若干、楽屋ネタですが、この本の装丁については、呉さんのなみなみならぬ思いがなみなみと詰まっていますので(電話口で相当大音声でやりとりしていたのを隣で聴いていたので)、そういう目で見てください。

なお、先ネタですが、来月末に出る『ビジネス・レーバー・トレンド』の11月号は「今、労使関係に問われているもの(仮題)」という特集で、次のようなラインナップの予定です。ご期待下さい(何を)。

・労使関係とは誰のどういう関係か?-個人請負就業者の『労働者性』をめぐって・・・濱口桂一郎・JILPT統括研究員

・企業グループ労使関係の望ましい姿-ケンウッドグループユニオンの事例・・・呉学殊・JILPT主任研究員

・スウェーデンの労使関係の新たな動向・・・西村純・JILPT研究員

2011年9月27日 (火)

本日の拙著書評

本日も何人かの方々から拙著『日本の雇用と労働法』の書評を頂きました。

http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20110927/1317071749(職業訓練雑感 田中萬年の新ブログ)

>今回、改めて目次を見ていて気付いたのは最後に[COFFEE BREAKE]があり、興味深い13項目が本書の要所々々に配置されている事です。その中で私も関心が有り、講義でも紹介した標記の「学歴詐称」がありました。

 「学歴詐称」のページを開くと、学歴詐称は何処の国にもあるが、ジョブ型社会の他の国にはない日本独自の学歴詐称は、学歴の高い者が低いとして就職して問題になることだということです。その判例が平成3年に出た事が紹介されています。

http://ameblo.jp/monozukuri-service/entry-11030028735.html(雇用維新 ~派遣?請負?アウトソーシング?民法と事業法の狭間でもがく社長の愚痴ログ)

>まだパラパラと読んだ程度ですが、さすがにhamachan先生!と唸りたくなるようなところが随所に見受けられます。

この国の労働法制と現実の労働社会の関係を、その歴史的経緯や背景なども追いながら、理解しやすく纏められて、まさに欲張りな本だと感じます。

しかしながら、入門書とは書いてありますが、実はしっかりと理解するには、それなりに知識もなければ苦しいのではないかな…とも感じました。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20110927/p1(インタラクティヴ読書ノート別館の別館)

>一般向け新書の労働法入門としてはこちらの方がわかりやすいかも。日本の雇用社会全体についての著者のパースペクティブが明快に示されたうえで、それとすり合わせる形で労働法の解説がされているから

ありがとうございます。

だから、その「偽装請負」とは違う

琉球新報の記事ですが、結構重大なことが書かれています。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-182070-storytopic-236.html(原発で「偽装請負」 県出身者ら証言)

>深刻な事故となった東京電力福島第1原子力発電所など、全国各地の原発で被ばく作業に従事する原発労働者の一部が「偽装請負」の形態で労働していることが、25日までに複数の元原発労働者の証言で明らかになった。勤務先の4次、5次の下請け協力企業からさらに仕事を請け負う形で、個人事業者として名前だけの「ペーパー会社」をつくらされて独立していたが、仕事の内容は従来のままだった。最も安全性が求められるべき原発で、使用者が実質的に労働者を雇用していながらも雇用保険や被ばくの責任を免れるため、「請負」や「委託契約」の形で働かせるというずさんな労働環境の実態が浮き彫りになった。

言うまでもなく、これは大問題です。でも、なぜどうして何事が大問題なのか、この記事を書いた記者自身もよく分かっていないようです。

><用語>偽装請負
 契約上は業務請負だが、実質的には労働者派遣の状態。実際の請負は業務を丸ごと委託されるため、派遣先企業の指示で働くことは認められていない。派遣先企業が労働者を使いやすいよう、直接指示して働かせるケースがあり、企業へ労働者を送り込むだけの実質的な派遣業となってしまう。雇用主が行うべき社会保険や労災防止などの責任の所在があいまいになる弊害が指摘されている。

違うって!!!

その「偽装請負」は、数年前にマスコミが大騒ぎしたけど、実は本質的には大問題じゃない。派遣だろうが請負だろうが、労働者は労働者。労働安全衛生法も労災保険法もちゃんと適用される。問題なのは、誰がその使用者としてきちんと責任を果たすのか、というところで、そこが曖昧になりがちという問題はあるとは言え、この記事で問題にすべき大問題とは次元が違う。

この記事の「偽装請負」ってのは、労働者を労働者ではないことにしてしまう、労働者に適用されるべき労働者保護が、根っこからそもそも適用されなくなってしまう、という問題なのですよ。そんなに高い放射線を浴びても自己責任、将来白血病になっても自己責任。そういうあってはならないことがまかり通っているとしたら、それは大問題でしょう。

あーあ、何でこの期に及んで、改めてこういう初歩的な解説を書かなきゃいけないのか・・・。

日本とスペインの違い

New 『日本労働研究雑誌』10月号は、「均等法のインパクト」が特集です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2011/10/

特集論文は以下の通り。

提言均等法の25年  (136KB)
浜田 冨士郎(弁護士・神戸大学名誉教授)

解題均等法のインパクト  (181KB)
編集委員会

論文四半世紀を迎えた男女雇用機会均等法
山田 省三(中央大学大学院法務研究科教授)

男女雇用機会均等法の長期的効果
安部 由起子(北海道大学大学院経済学研究科教授)

均等法とワーク・ライフ・バランス――両立支援政策は均等化に寄与しているか
川口 章(同志社大学政策学部教授)

均等法後の企業における女性の雇用管理の変遷
脇坂 明(学習院大学経済学部教授)

男女雇用均等の制度的要件の国際比較――日本の男女間格差はなぜ根強いのか
マルガリータ・エステベス-アベ(シラキュース大学マックスウェル政策大学院准教授)

雇用均等時代と大卒女性の雇用に関する研究
李 尚波(桜美林大学リベラルアーツ学群准教授)

いずれも男女均等の観点からは重要な論文ではありますが、私はあまのじゃくなので(笑)、あえて違った観点から。

上のマルガリータ・エステベス・アベさんは、4年前に連合総研の20周年記念シンポジウムでご一緒した方ですが、

http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1245640669_a.pdf

今回の論文は、ジェンダー視点ではない部分に、大変興味が惹かれる記述がありました。

この「男女雇用均等の制度的要件の国際比較――日本の男女間格差はなぜ根強いのか」の概要は、次の通りですが、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2011/10/sum5.htm

>男女機会均等法の導入から四半世紀が過ぎるが、日本の労働市場における男女間格差は今だ根強い。男女機会均等法の導入は重要だが、これのみをしては男女の経済的平等は成し得ない。本稿では、先進国の国際比較を通して、男女平等を促進する制度的条件を再考する。

一般的に、男女平等を促進する制度というと北欧諸国が参考にされる。そして、北欧諸国が行ったように、社会政策を通して女性の保育・介護負担の低減という制度条件の役割が強調される。しかしながら、男女平等とは社会政策的介入で解決できる問題ではない。米国のように、社会政策的介入が一切なくても男女の機会均等化が進んだ国もある。また、日本と同じように女性の地位が低かったスペインのような国でも、近年目覚しく女性の社会参加が進行した。

本稿では、差別禁止法令の整備と集団訴訟というムチによる企業の行動様式の変革、女性の社会進出により効果のある教育制度の在り方、女性の家事時間の削減をもたらすような家事の外部化をもたらす市場条件、女性自身のアイデンティティの変化をもたらす避妊方法の普及など、通常必ずしも論じられていない制度条件を射程にいれることで、日本女性の立場がなぜ先進国と比較すると際立って遅れているのかを説明する。

北欧もアメリカも、出羽の守がいっぱい居ますが、スペインについては、大好き!というファンは居ても、日本はスペインを見習うべきだと主張する出羽の守というのは見たことがありません。

実際、エステベス・アベさんのいうように、

>スペインでは日本と同じように家族主義が強く、女性の労働参加が遅れている。・・・社会保険制度と労働市場の在り方が女性に不利な点で両国は共通しており、正規労働市場の硬直性、労働時間の長さ、男性の家事参加率の低さ、公的保育の整備率の低さなども類似していた。ところが、スペインの研究職に占める女性の割合は日本と比較にならないほど高く、政治家や管理職に占める女性割合も日本の3倍である。男女の賃金格差も日本よりずっと低く、日本とは反対に高賃金層での男女格差が非常に小さい。

ダメっぷりでは日本といい勝負のはずなのに、なぜそこだけいいの?という疑問に、エステベス・アベさんが示す回答とは?

>先に見たスペインと日本の女性の地位の違いもこの辺にある。スペインの大学の学部はさながらプロフェッショナル・スクールのように専門特化しており、学部の選択イコール将来の職業選択につながっている。大学の学部教育に高い専門性があるため、生涯仕事をしたい女性のみがキャリアプランの上で学部選択をする。このため、高学歴女性は「○○の専門家」という意識を持つ。しかも、子供を産んでも仕事が続けられそうな専門分野を選ぶことが可能だ。

これはなかなか皮肉な話で、戦後日本は社会全体としての画一的平等化を進めたがゆえに、却ってこういう専門的エリート化による女性進出の芽を摘んでしまったということなのでしょう。

社会全体としてどっちがよいかという価値判断は、それこそ同時代的価値観を抜きに超越的にできるようなものではありませんが、とはいえ、男性も女性も会社員とその妻という一般枠組みで幸せになれる仕組みをうまく作りすぎてしまったため、それ以外の道が大変困難になってしまったことの収支決算は、なかなか判断しがたいところではあるのでしょう。

2011book01 あと、労働関係図書優秀賞の発表が載っています。太田聰一さんの『若年者就業の経済学』はいうまでもなく受賞に値する名著ですが、最終審査対象を見ると、菅山真次さんの『「就社」社会の誕生』もあったんですね。こちらも、十分受賞に値する名著だと思われますが、外れてしまったのはなぜなのでしょうか。以前、苅谷さんらとの共著『学校・職安と労働市場』が受賞していて、その中身がこちらにも入っているから、という理由だとすればやや残念です。

2011年9月26日 (月)

昨日、本日の拙著書評

昨日、本日と、拙著『日本の雇用と労働法』についての書評ないしコメントがいくつかアップされています。

わざわざ言及していただきありがとうございます。

http://slashdot.jp/~shimashima/journal/539595shimashimaの日記:[書籍][etc]「日本の雇用と労働法」の感想への補足1

>ただ、ロースクールはその性質上労働法を避けることはないだろうが、法学部生で労働法を専門としてない場合はやはり用語説明がないため読みこなすのは難しいのではないかと思う。
もちろん、それが濱口氏が想定している読者層と異なっていると言われればその通りだろうし、私と同じ経済学士であっても人事労務・労働経済を学ばないもしくは講義に出ていただけであばやはり読んで理解するのは難しいだろう。

書籍の内容はとても面白いものだが、決して素人向けではない点はやはり指摘しておきたい。

http://d.hatena.ne.jp/hahnela03/20110925/1316979018(hahnela03の日記 公共投資の抑止)

>前書きに「本書は欲張りな本です。」いや全く、本当に、欲張りだな。というのが印象として感じられました。
 今後の将来を担う方達に、随分と丁寧でわかりやすい文体で書かれているのもあるけれど、専門性の高い方達がそれゆえに本線から外れた部分の軌道修正すらも目的としているのには、「強欲」というか「親切」なのか判断するのは読んだ方自身なのでしょうけど、上記の書の社会保障と労働市場改革を読み比べたことも影響しているのかもしれません。

http://www.amazon.co.jp/review/REUW323RJVLHI/ref=cm_cr_dp_perm?ie=UTF8&ASIN=4532112486&nodeID=465392&tag=&linkCode=(Amazonカスタマーレビュー)

>『新しい~』は国際比較の観点と歴史的パースペクティブに立つものだが、本書は日本の雇用システムの形成過程の叙述に特化したものである。そのぶんディープな話題もある。しかし著者の問題意識と研究対象とのつながりが「まとまり」としてよく見えてくるのは本書である。

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-5cca.htmlアモーレと労働法

>本のタイトルは,そっけない感じですが,内容は,なかなかユニークなものだと思います。法学部以外の者にも教科書として使えるということを意識されているとのことで,普通の労働法ものとは違い,歴史的な叙述がふんだんにもりこまれているなど,読み物としても面白いものとなっていると思います。このあたりは,濱口さんの個性がよく出ていると思います。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110926#p1(労務屋ブログ(旧「吐息の日々」) )

>すでにhamachan先生がご自身のブログで繰り返しご紹介されているようですので、概要はそちらをごらんください。売れ行きもなかなかのようでまことにご同慶です。

はあ、おかげさまで・・・。

今野晴貴+川村遼平『ブラック企業に負けない』

12319 POSSEのお二人、今野晴貴さんと川村遼平さんの共著『ブラック企業に負けない』(旬報社)をお送りいただきました。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/708

最近流行の若者向け労働法本といっても、これは大部様子が違います。POSSEが今まで受けてきた労働相談をもとに、ブラック企業の手口とその対処法を紹介している、若者の若者による若者のための本と言えるでしょう。

やや長いですが、今野さんの「はじめに」が格調高いです。

>「はたして正社員で就職すれば本当に安心なのか?」。「ブラック企業」という問題が世に問うているのは、この一言である。二〇〇〇年代は若者にとって苦難の時代であった。就職ができず、ハケンやケイヤクといった非正規雇用になる若者が急激に増加し、大きな社会問題になった。

  非正社員にひとたびなれば、正社員になることは難しく、低賃金・不安定な仕事に一生従事するしかないと言われる。学校現場では正社員と非正社員の生涯給与のグラフを作成し、「フリーターになるとこんなに損をする」と迫る、脅迫型の教育が広がった。だが、望めば誰でも正社員になれるわけではない。就職活動による競争は苛烈となり、正社員に就職することは若者の悲願となった。

  「ブラック企業」の恐ろしさは、この背景を踏まえれば十分わかるだろう。この言葉は、今度は正社員の中身が劣化し、若者に襲いかかってきていることを警告しているのである。

  私は二〇〇六年、法学部在学中に、若者の労働相談を受けるNPO法人「POSSE」(ポッセ)を立ち上げた。法律や制度の活用によって、今の若者の状況を少しでも改善できないかと考えたからだ。以来、一〇〇〇件を超える労働相談にかかわってきた。これらのなかで見えてきたことは、正社員の若者からの労働相談は非正規雇用のそれに負けず劣らず深刻だという事実である。

  競争に勝ったはずの若者が、実は使い捨てられている。正社員の雇用は昔のように安定したものではなくなっているのだ。非正規雇用か正社員かを迫る競争は、「何でもいいから正社員にならなければいけない」と若者を追い込んでいる。こうした若者の気持ちを逆手にとって、きわめて劣悪な「正社員」雇用を活用する企業が珍しくなくなった。わらにもすがる思いで就職した先で、異常なまでにきつい労働に従事させられる現実がある。次々に鬱病にかかり、自殺者も増加している。

  ブラック企業問題とは、すぐれて「正社員の問題」である。就職活動に勝ち抜いた若者が、今度はその先で行き場を失っている。「自分が内定をもらった企業はブラック企業ではないか」と心配し、私たちのところに相談に来ることも珍しくない。だが、ブラック企業はどんなに見分けても、必ずしも避けられるものではない。就職先が限られているうえに、ブラック企業の割合が大きすぎるのだ。

  本書はPOSSEがこれまで受けてきた労働相談を元に、正社員にはどんなトラブルが待ち受けているのか、そして正社員になったあとの若者のキャリアをどのように守ることができるのかを考えていく。ブラック企業には「入った後」が肝心なのである。対応を誤ると、病気にされ、使い捨てにされ、キャリアを棒に振ってしまいかねない。

  POSSEはこれまで受けてきた労働相談からは、「ブラック企業」が共通の違法行為のパターンを持っていることがうかがわれ、業界での「常識」を形成していることが疑われる。

  POSSEでは、これらの相談に若い大学生や社会人が当たってきた。一人ひとりの相談に対して、できるだけの解決を模索してきた。本書で紹介するブラック企業の手口とその対処法、考え方は、まさに同世代の若者が、自分たちの問題として雇用問題に向き合ってきた経験である。ぜひ多くの方と共有し、若者のキャリアを守る一助となれば幸いである。  

                               今野晴貴

目次は以下の通りですが、

1 ブラック企業の人間破壊システム
2 ブラック・パターン
 ① 入社後の選別競争 
 ② 残業代を払わない 
 ③ 月収を誇張する裏ワザ 
 ④ 新卒労働者の「使い捨て」 
 ⑤ 退職時の嫌がらせ 
 ⑥ 戦略的パワハラ 
 ⑦ 職場崩壊 
3 ブラック企業に負けない就職活動
4 ブラック企業に負けない「合言葉」
 ① 会社の言うことがすべてではない!
 ② あきらめない!自分を責めない! 
 ③ おかしい・つらいと感じたら専門家に相談する!
 ④ 証拠・記録を残す! 
5 ブラック企業への対処術
 ① 適当な「選別」をされたら 
 ② 賃金がきちんと支払われなかったら 
 ③ 「固定残業代」の職場に入ったら 
 ④ 「使い捨て」されてしまう前に 
 ⑤ 退職時の嫌がらせに遭ったら 
 ⑥ 戦略的パワハラのかわし方 
 ⑦ 制度をおさえておく 
6 ブラック企業発生の背景 
 1 労働市場の変化―第一の要因 
 2「年功的職場秩序」の崩壊―第二の要因 
 3 ブラック企業の弊害と必要な政策・取り組み 

コラム
 民事的殺人 
 過労死やうつ病の増加
 奨学金とブラック企業 
 契約には「守らなくていいもの」がある

ここでは詳しい目次が書かれていない第3章の「ブラック企業に負けない就職活動」が必読です。

>違法行為を若者が受け入れてしまう巧妙な仕掛けが日本独特の就職活動の仕組みの中にある。・・・

>・・・言ってしまえば、「どんなに違法なことでも耐えるのが当然」という信条を植え付ける作用を持っているのだ。

>最近流行のキャリアカウンセラーもこうした流れに一役買っている。学生に「自分が悪い」ことを認めさせ、心理学的手法を用いて精神をコントロールする。・・・

演劇子役労働規制の国際比較

ということで、皆さまの関心が高まったあたりで、お役に立つ情報源を。

労働政策研究・研修機構(JILPT)が2006年に公表した労働政策研究報告書『諸外国における年少労働者の深夜業の実態についての研究― 演劇子役等に従事する児童の労働の実態 ―』は、英米独仏4カ国における児童労働、とりわけ芦田愛菜ちゃんのような演劇子役の労働規制について詳細な比較研究を行っています。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2006/062.htm

>当機構では厚生労働省の要請を受け、演劇子役の健康、福祉等へ影響について諸外国の実態調査を行いました。特に演劇、オペラ、ミュージカル、テレビ番組製作、映画製作、モデル撮影などメディア・文化の領域で子役として就労している児童の労働保護規制のあり方、法規の運用、就労実態及び健康、教育、財産管理などへの影響を調査しています。調査対象国は、年少労働者保護に関するEU指令の影響を色濃く有するドイツとフランス、EU加盟国でありながら両国とは異なった法的原理が支配するイギリス、娯楽産業が最も発達し演劇子役等に関して独自の法制を展開するアメリカとしました。

本書はこの研究の成果をとりまとめたもので、各国の「年少者・児童の労働保護法制の枠組み」と「演劇子役等の就労の実態、教育、家庭生活への影響」に分けて報告しています。各国の法制面の特徴について詳細な比較表も掲載しました

本体はこちらのPDFファイルです。388ページという膨大なものです。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2006/documents/062.pdf

まえがき
総論調査研究の目的と成果1
比較表諸外国における年少者・演劇子役等の就業可能時間に係る法制の概要34
1. 年少者(満18歳未満) 34
2. 演劇子役等(満15歳未満) 54
第1部諸外国における年少者・児童の労働保護法制69
第1章アメリカにおける年少者・児童の労働保護法制71
第1節連邦法上の規制71
第2節カリフォルニア州82
第3節ニューヨーク州109
第2章イギリスにおける年少者・児童の労働保護法制154
第1節イギリスにおける児童・年少者に係る原則的規制155
第2節イギリスにおける児童・年少者の興行における雇用に係る規制168
第3章ドイツにおける年少者・児童の労働保護法制186
第1節ドイツにおける年少労働者保護法186
第2節ドイツにおける満15歳未満の演劇子役等の労働保護に係る法制205
第4章フランスにおける年少者・児童の労働保護法制220
第1節フランスにおける演劇子役等の就労における問題の所在220
第2節フランスにおける年少者保護規制222
第3節フランスにおける演劇子役等に対する規制232
第2部諸外国における演劇子役等の就労の実態と教育・家庭生活への影響269
第1章アメリカにおける演劇子役等の就労の実態と教育・家庭生活への影響271
―カリフォルニア州とニューヨーク州を中心に―
第1節演劇子役等の労働時間規制を規定する州法と実態の関係271
第2節演劇子役等と教育、学習について277
第3節演劇子役等の家庭生活284
第2章イギリスにおける演劇子役等の就労の実態と教育・家庭生活への影響291
第1節実演産業の状況291
第2節実演児童の就業に関する制度と運用293
第3節教育と健康・家庭生活306
第3章ドイツにおける演劇子役等の就労の実態と教育・家庭生活への影響314
第1節演劇子役等の就労の実態317
第2節演劇子役等の教育と学習328
第3節演劇子役等の健康・家庭生活333
第4章フランスにおける演劇子役等の就労の実態と教育・家庭生活への影響341
第1節演劇子役等の就労に関する実態―パリ現地調査の結果から― 342
第2節演劇子役等の教育に関する実態359
第3節演劇子役等と家庭生活に関する実態371
参考資料ヒアリング項目375

(ついでに)

来週10月3,4日に開催する労働政策フォーラムの申込み締め切り直前の最後のご案内です。

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/2011100304/info/index.htm

本報告会では、機構における平成22年度の調査研究成果のうち非正規雇用とワーク・ライフ・バランスに関連するものを中心に報告及び議論を行います。

日時 2011年10月3日(月曜)13時25分~17時15分(開場13時)
2011年10月4日(火曜)10時~17時 (開場9時30分)
※日別にご参加可能です

会場 浜離宮朝日ホール 小ホール
(東京都中央区築地5-3-2 朝日新聞社新館2階)アクセス
都営大江戸線/築地市場駅下車A2出口すぐ
日比谷線/築地駅2番出口・東銀座駅6番出口(徒歩8分)
JR新橋駅/地下鉄銀座線・新橋駅(徒歩15分)

主催 労働政策研究・研修機構(JILPT)

2011年9月25日 (日)

芦田愛菜ちゃんの労働者性

20110920_ashidamana_02さて、とげとげしい話題はしばし横においておいて(笑)、芸能人の労働者性シリーズです。

いや、今のところ、芦田愛菜ちゃんの労働者性に疑問を呈している人がいるというわけではありませんよ。

http://www.officiallyjd.com/archives/56569/

>意外なところでは”天才子役”芦田愛菜(7歳)を不審がる声も。

>年内だけでドラマ・映画の出演本数が10本を超えてしまうほどの芦田愛菜の露出は、「週刊誌の報道で『目の下のクマをメークで隠して』仕事をしているといわれるだけに、朝から晩までずっと仕事漬けの日々。

今年小学校に入学した彼女ですが、週刊誌が”ランドセル姿”を撮影しようと取材を進めるも、学校に行っている形跡がまったくない」(芸能レポーター)と凄まじい働きぶりのようだ。

人気者の宿命なのかもしれないが、裏にはこんな”大人の事情”も。「芸能界の実力者までもが愛菜ちゃんのバックに付いていると言われ、現在では誰も批判できない状態に。また両親も子育て本を出版するなど”愛菜ちゃん利権”にあずかろうと必死。あの屈託のない笑顔には癒されますが、その裏に大人の思惑がうごめいてていて切ない気持ちになります」(芸能レポーター)

>若いうちの苦労は……というけれど、これではあまりに愛菜ちゃんがかわいそうになってきてしまう。出る杭は打たれるという言葉があるが、いろいろ言われているうちが華だと思いこれからも彼女ならではの活動を展開してもらいたい。

この記者には問題意識がないようですが、これは労働基準法上大きな問題であり得ますよ。

>(最低年齢)
第56条 使用者は、児童が満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了するまで、これを使用してはならない。
2 前項の規定にかかわらず、別表第1第1号から第5号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつその労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満13歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満13歳に満たない児童についても、同様とする。

(労働時間及び休日)
第60条 
2 第56条第2項の規定によつて使用する児童についての第32条の規定の適用については、同条第1項中「1週間について40時間」とあるのは「、修学時間を通算して1週間について40時間」と、同条第2項中「1日について8時間」とあるのは「、修学時間を通算して1日について7時間」とする。

(深夜業)
第61条 使用者は、満18歳に満たない者を午後10時から午前5時までの間において使用してはならない。ただし、交替制によつて使用する満16歳以上の男性については、この限りでない。
2 厚生労働大臣は、必要であると認める場合においては、前項の時刻を、地域又は期間を限つて、午後11時及び午前6時とすることができる。
5 第1項及び第2項の時刻は、第56条第2項の規定によつて使用する児童については、第1項の時刻は、
午後8時及び午前5時とし、第2項の時刻は、午後9時及び午前6時とする。

実際、今年の紅白歌合戦に関して、こういう話も。

http://entameblog.seesaa.net/article/223680247.html

>某テレビ情報誌編集者が語るのは、今年の紅白を前にして喧々諤々だというNHKの内情。現段階で視聴率的な切り札といえるのは人気子役・芦田愛菜ちゃんが歌う『マル・マル・モリ・モリ』。鈴木福くんとのデュエットだが、すでに赤組としての出場が決まっており、和田アキ子からAKBまで女性歌手オールスターズに加え、特別ゲストのなでしこジャパンまでステージにあげての一大エンターテイメントに仕立てあげる予定だという。

「ただ労働基準法の縛りがあって、愛菜ちゃんは7時台にしか出演できない。本当に数字が欲しいのは9時からなので、関係者は頭を抱えているんですよ。なりふり構わないプランも出ていて『海外からの中継なら、向こうは昼だからセーフ』なんてことを大マジメに論議しているそうです」(前出・テレビ情報誌編集者)

芦田愛菜ちゃんが労働基準法上の労働者であることには何の疑いもないからこそ、上の労基法61条5項をすり抜けようとして、こういう話になるわけですね。

そして、そうであれば、そもそもの労働時間規制が「修学時間を通算して1週間について40時間」「修学時間を通算して1日について7時間」であり、かつ小学校は義務教育ですから、その時間は自動的に差し引かれなければなりませんから、上の「朝から晩までずっと仕事漬けの日々」というのは、どう考えても労働基準法違反の可能性が高いと言わざるを得ないように思われます。

まあ、みんな分かっているけれども、それを言ったら大変なことになるからと、敢えて言わないでいるという状況なのでしょうか。

ところで、それにしても、芦田愛菜ちゃんのやっていることも、ゆうこりんのやっていることも、タカラジェンヌたちのやっていることも、本質的には変わりがないとすれば(私は変わりはないと思いますが)、どうして愛菜ちゃんについては労働基準法の年少者保護規定の適用される労働者であることを疑わず、ゆうこりんやタカラジェンヌについては請負の自営業者だと平気で言えるのか、いささか不思議な気もします。

ゆうこりんやタカラジェンヌが労働者ではないのであれば、愛菜ちゃんも労働者じゃなくて、自営業者だと強弁する人が出てきても不思議ではないような気もしますが。

(追記)

まあ、ちょうど幼い千姫の涙とシンクロしたというのもあるのでしょうけど、タカラジェンヌやゆうこりんの話を書いたときより、ぶっちぎりの人気記事になったようです。

労働組合と原発

Img_month『生活経済政策』10月号をお送りいただきました。

特集は、「震災・原発事故と民主主義」で、とりわけその中の杉田敦さんの文章の中の、次の記述は、この「失われた20年」の原因がどこにあるのかをよく示していると思われます。

>ふりかえれば、「何をするか」よりも「誰がするか」を重視する傾向は、1990年代のいわゆる政治改革以来、一貫してみられるものといえる。しかしながら、被災地で苦しんでいる人々、避難を余儀なくされている人々、そして有権者一般にとって関心があるのは、何よりも政策の中身である。誰がその政策を作ったか、どのようなプロセスで作られたかは、二の次である。・・・

>政治主導もまた政治改革との関連で浮上した、「誰がするか」に重きを置く論点である。「官僚支配」から脱却し、政治家が主導権を確立することが大切とされたが、これは具体的な政策内容よりも権力の所在を問題にする議論である。・・・しかし、官僚を外した挙げ句、これまで官僚がやってきた仕事を全て政治家が引き受けざるを得なくなるというのでは、却って政策を練る時間がなくなってしまう。・・・

現実に(少なくとも一部の役所で)起こったのは、政策の中身には何の関心もない(もてないand/or持つ能力のない)政治家が、にもかかわらず「政治主導」で一生懸命やっているような振りを国民(マスコミ)に見せるため、政策論的にはナンセンスないし逆効果でしかないような事柄をやたらめったら打ち出し、官僚たちはその対応に追われてへとへとになり、結果的に政治主導であれ何であれやらなければならなかったはずのほんとうの政策課題への対応がすっぽり抜け落ち、残業時間だけが山のように増える中で政策が全然進まないという異常な事態であったわけです。

そういう事態を褒め讃えたのがどういう手合いであったのか、まともに社会保障や雇用問題を考える人々はちゃんと分かっているはずですが、皆さん紳士なのであんまり言いませんけど。

と言うような話を続けると終わらなくなりますが、ここではちょっと視点を変えて、田端博邦さんの「震災・原発事故と労働組合の民主主義」という文章を紹介したいと思います。

これは、『POSSE』11号の木下武男さんの論文に対して感じた違和感を、うまく言語化してくれたという感じです。木下さんは、企業主義的統合と原発賛成を直結させているのですが、それは労働組合というもののとらえ方としていかがなものか、というのは、たぶん労働関係者は共通して抱いたところではないかとおもうのです。

>「原子力の平和利用」として原子力発電が国の政策として導入されたときから、電力産業の労働組合はこれを支持する立場に立ってきた。・・・

>この時期の労働組合電労連のそうした立場は、おそらく、一般に批判されるような企業主義的な路線だけによっては説明しきれないであろう。当時の政治的な文脈においては、原子力の平和利用の可能性について、これを否定するだけの条件はまだ備わっていなかったと思われる。・・・

>もし、このような政治的状況に労働組合が置かれていたとするなら、おそらく企業主義的でない労働組合であっても、「原子力の平和利用」を支持した可能性は十分にあるのである。産業別の組織を採るアメリカの労働組合が、今日でもなお原子力発電を支持していると言われるのは、その証左である。労使協調の企業別組合という日本の労働組合の性質は、労働組合の原発推進政策を説明する唯一の理由ではない。

>また、こうした状況を理解する上では、今日の事故後の原発に関する認識を前提として、後知恵的な分析をしてはならないであろう。・・・

>さらに、このような条件(安全性を確保できるという観念)を前提として考えるなら、労働組合の原発支持は、労働組合一般の論理としても説明可能な面がある。すなわち、安全で、かつ「平和利用」の原発が、国の電力供給と電力産業の収益や発展に視するとすれば、それを支持することは、労働組合として当然であると言いうる面があるからである。労働者が働く産業の盛衰は、雇用や賃金に関わりを持つ。組合員の利益を守る労働組合が、産業の発展をめざすのは、おそらく古典的な労働運動の時代からまったく自然なことなのである。・・・ここにも、企業別組合の特性に集約しきれない要素が存在している。

>さらにより一般的に言えば、労働組合は、組合員の雇用の維持を重要な課題とする。原発支持とは、原発職場を守るという意味を含んでいるのである。

欧米の産業別組合も決して反原発ではなく、むしろ原発支持の傾向を持っていたのは、労働組合の本質からして自然だ、という労使関係論的な常識は、残念ながらこの半年間、原発が政治的空中戦の素材になる中で、やや軽視されてきたように思われます。

さらに言えば、じつはここに、労働組合が自分たちの切実な労働問題そのものよりも「反戦平和」等の政治的空中戦に動員されがちであった戦後労働運動の欠点の再現すら見受けられるように感じられます。

労働組合がほんとうに労働組合であるためには、何を言うべきであったのか?を考察するのが、田端さんのそれに続く記述です。1975年の電労連の原子力第5次提言が、

>「経済的メリットの追求よりも将来の運転・保守のための労働環境保持と被曝軽減のための原子炉建屋の拡大、機器配置など設計段階から労働組合と協議決定すべき・・・」

>「不慣れなために無用な被曝をするという例が特に下請従業員の場合に多い」ので、「電力並びにメーカーは共同して訓練施設を作り、あらかじめ訓練を十分行った上で現場に配する」こと

>「下請業者従業員の発電所間の移動による管理の不行き届きや抽象企業者の管理能力」に対処するため、「被曝線量の評価、健康管理、記録を一元的に管理する公立の健康・被曝センターを設立すること」

といった、極めて労働組合的な発想に立っていることを強調し、「組合民主主義の機能がここでは生きている」と評価しています。

この最後の提言など、まさにいま厚生労働省が始めようとしている話ですね。

この第5次提言の方向性が否定された後の電労連の運動に対しては、「ほとんど電力業界の方針と一体」と述べています。

味噌も糞も一緒にした外在的批判は、労働運動それ自体のためにも決してよろしくない、というのは、戦後労働運動がいやというほど思い知らされてきたことではないでしょうか。

(追記)

http://twitter.com/#!/magazine_posse/status/117811213144031232

>・・・木下さんも反原発というか下請化に東電の企業別組合批判の重点を置いていたように思うのですけれど。

いや、木下論文の一つの軸が、「自分たちが被曝したくないから請負化しろ」というような企業主義的発想への批判であることは十分分かっていますし、その点では田端さんと共通の認識だと思うのですが、それでもやはり原発そのものに断固反対しなかったこと自体が問題という感覚がベースにあるような印象を受けます。そして、それがなにがしか「後知恵で叩く」印象を与えてしまうのではないかと思うのです。

電産中国が原発反対であったことがその背景にあるとすると、田端論文の上で引用しなかった部分にこういう記述があります。

>・・・電産中国の原発政策反対も、「体制的合理化」独占利潤追求の政策であるから、というのがその理由であった。原子力発電そのものの危険性を根拠にするものでは必ずしもなかった。・・・

(再追記)

ちなみに、世界一の原発大国フランスでも、現場作業は大部分が下請化されているようで、この原発下請労働者の労働環境について、フランス労働総同盟(CGT)が全国的な示威運動をしたというニュースがル・モンドに報じられています。

http://www.lemonde.fr/planete/article/2011/09/22/nucleaire-la-cgt-reclame-un-vrai-statut-pour-les-salaries-de-la-sous-traitance_1576156_3244.html(Nucléaire : la CGT réclame un vrai statut pour les salariés de la sous-traitance)

>La CGT a organisé jeudi 22 septembre une journée nationale d'action demandant un "statut social de haut niveau" pour les 35 000 salariés de la sous-traitance du nucléaire. Des rassemblements ont été organisés devant la plupart des sites nucléaires. Une pétition, intitulée "Prestataires, pas esclaves" et exigeant un statut basé sur celui des salariés d'EDF ou d'Areva, a recueilli près de 20 000 signatures, et une délégation doit par ailleurs être reçue dans la journée au ministère de l'industrie.

CGTは9月22日(木)、原発で働く35000人の下請労働者の「ハイレベルの社会的規制」を求める全国行動を行い、20000人の署名を提出した。

>Pour la CGT, "l'accès à ce statut doit être un tremplin pour la réinternalisation des activités abusivement sous-traitées tel que le préconise le pré-rapport parlementaire français suite à la catastrophe de Fukushima". Près de 80 % de la maintenance des centrales d'EDF, d'Areva et du Commissariat à l'énergie atomique est effectuée par du personnel de sous-traitance, selon le syndicat.

原発の維持労働の80%は下請労働者によって行われている。

>"Nous refusons que les 35 000 salariés sous-traitants qui subissent aussi 80 % des risques professionnels (rayonnements ionisants, produits chimiques, accidents de travail et de trajets) disposent de contrats de travail si mauvais", dit la pétition de la CGT. Le syndicat a également réclamé "une table ronde de la sous-traitance dans le nucléaire avec entreprises, Etat et organisations syndicales pour examiner la réinternalisation des activités sensibles et faire avancer les droits des salariés".

35000人の下請労働者が電離放射線や化学物質などの職業的リスクの80%を負っている。企業、政府、労働組合との間の下請労働の円卓会議を開いて、機微な業務の再内部化と労働者の権利の向上を検討すべきだ。

>Dans le cadre des évaluations complémentaires de sûreté consécutives à la catastrophe de Fukushima, EDF a décidé de limiter à trois le nombre d'entreprises sous-traitantes. La proposition figure dans le rapport qu'elle a remis le 16 septembre à l'Autorité de sûreté nucléaire.

福島原発の破局を見て、フランス電力公社は重層下請を3層までに制限することを決めた。

求職者支援制度のトリレンマ

「構想日本」という団体のメールニュース9月22日号に、「求職者支援制度のトリレンマ」という小論を寄稿しました。

http://www.kosonippon.org/mail/bk110922.php

>第二のセーフティネットという触れ込みのいわゆる「求職者支援法」が10月1日から施行される。この制度は、雇用保険制度のセーフティネットとしての不完全性(カバレッジの狭さ)が主たる動因となって創設された。施行を目前に控え、この制度自体が抱える本質的なトリレンマ(三重の矛盾)について指摘しておきたい。

まず、そもそも労働市場のセーフティネット(=雇用保険制度)には本質的なジレンマ(二つの目標が両立しがたいこと)がある。一方では生活保障制度として、労働者が失業によって失う所得の補償を目標としており、同時に、他方では雇用政策手段として、失業者ができるだけ速やかに再就職できるよう援助することを目標としている。この二つの目標は必ずしも整合的ではない。なぜなら、お金がもらえる間は就職したがらないなど、セーフティネットとしての性格が却って再就職促進を阻害するモラルハザードとして逆機能することが多いからである。

今回の求職者支援制度の最大の特徴は、セーフティネットを広げることによるモラルハザードの懸念を、職業訓練の受講を条件とするというアクティベーション型政策(雇用訓練施策や制裁措置によって、給付への依存から就労自立に向けて促進すること)によって解消しようという制度設計になっている点である。さもなければ、この制度は、窓口が福祉事務所から公共職業安定所に代わっただけの、第二の生活保護となってしまうからだ。

ところが、この職業訓練の受講という条件は、制度に(生活保障と再就職促進に加えて)職業能力の向上という三つ目の目標を持ち込むことでもある。もちろん、アクティベーション戦略においては、職業能力の向上が再就職の促進につながり、生活保障から脱却できることになるはずであるが、制度には常にその裏をかこうとする者が現れる。訓練を受けている間は毎月10万円がもらえるのなら、お金のために受けたくもない訓練を受ける者が出てくる。そういう者が受講者の多くを占めるようになれば、そこに起こるのは一種の「学級崩壊」である。

このモラルハザードを防ごうとすれば、訓練への入口でその意欲を厳しく判定する必要がある。しかし、それは裏返して言えば、本制度のセーフティネットとしての役割を限定するということでもある。ここに、生活保障と就職促進と職業能力向上という本制度の三つの目標がお互いに矛盾し合うトリレンマが存在するのである。

このトリレンマを完全に解消することは本質的に不可能である。しかし、あえていえば、生活保障という目標のために存在する第三のセーフティネット(生活保護)がしっかりしていることで、訓練意欲のない者を生活保障のためにこの制度で引き受ける必要性は最小限のものになるだろう。

アメリカでクルッグマンといえば・・・

http://twitter.com/#!/junsaito0529/status/117601934445264896

>アメリカで経済左派といえばクルッグマン的なイメージがあるけど、日本の経済左派はどうしてしばき上げデフレ容認なのか。松尾匡『不況は人災です』などを読み返すと、考え込んでしまうなぁ。・・・

アメリカでクルッグマンといえば経済左派というイメージがあるけど、日本でクルッグマンを振り回す人々はどうしてシバキ揚げ塩「みんなの」「減税」経済右派かネトウヨ政治右派なのか。松尾匡『不況は人災です』などを読み返すと、考え込んでしまうなぁ。・・・

2011年9月24日 (土)

宮里邦雄+川人博+井上幸夫『就活前に読む 会社の現実とワークルール』

12296宮里邦雄+川人博+井上幸夫『就活前に読む 会社の現実とワークルール』(旬報社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/707

これも、最近多い若者向け労働法の解説書の一つですが、有名な労働弁護士3人の共著ということで、他書にはない特徴があります。それは、全体の約3分の2近くを占める、具体的な企業名を出しての、「この企業で、こんな労働事件が起こったんだよ」というメッセージでしょう。

何はともあれ、目次を見ましょう。

はじめに―事件で学ぶ会社の現実

第Ⅰ部 会社で何が起こっているか―事件で知る
《文系職種》
電通(広告)―「靴でビールを飲め」パワハラと二四歳での死
日本マクドナルド(外食産業)―長時間労働と残業代不払い
オリックス(リース金融業)―二〇代女性総合職の死
クロスカンパニー(アパレル)―入社一年目の女性店長の過労死
兼松(商社)―男女賃金差別
関東リョーショク(食品卸売)―「残業月一五時間」の求人票で入社一年目の死
九九プラス(コンビニ業)―長時間労働ストレスと残業代不払い
日本ファンド(消費者金融業)―パワハラ
中部電力(エネルギー)―「結婚指輪をはずせ」パワハラと三六歳での死
小田急レストランシステム(フードサービス)―部下からの脅迫と五〇代での死
下関農業協同組合(農協)―共済・貯蓄勧誘ノルマと過労死
光文社(出版)―連日深夜までの長時間労働と二四歳での死
コーセーアールイー(不動産業)―採用内々定の取消し
《理系職種》
トヨタ自動車(メーカー)―QCサークル活動も労働時間に含まれる
キヤノン(メーカー)―日本経団連前会長の職場での過労死
東芝(メーカー)―「これからは土曜も日曜もないと思え」
沖電気ネットワークインテグレーション(システム構築)―産業医の指示さえ無視されて
富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ(システム開発)―地上波デジタル放送システム開発の犠牲
フォーカスシステムズ(システム開発)―官公庁に強いと言われるIT企業での労災死
ニコンとネクスター(メーカーと派遣会社)―深夜交代制勤務の派遣労働者の過労死
新興プランテック(メーカー)―月二〇〇時間の時間外労働の結果の二四歳での死


労働裁判として有名なものもあれば、労災認定された事例などふつうの労働判例雑誌ではお目にかからないものもありますが、「はじめに」でいうように、

>学生が接する情報というのは、企業が自己宣伝している情報である。・・・しかしながら、どのような企業にも程度の差はあれ、負の部分があり、本来は、この負の部分をも事前に知った上で就職することが望ましい。・・・

という考え方で、「会社で何が起こっているか」を「事件で知る」という企画になっています。

第2部は「就活前に知っておきたいワークルール―要注意会社の見分け方」ということで、ここは他書とあまり変わりありませんが、第1部を読んだ上で読むと、そうでなければさらっと読み飛ばした部分がいちいち目に飛び込んでくるようになるかも知れません。

国際労連G20に雇用創出を訴え

日本の新聞はもはや国際労働運動などに関心がなくなったのでしょうか、ほとんど報道されていませんが、

http://www.ituc-csi.org/g20-failure-puts-world-economy-at.html?lang=enG20 failure puts world economy at risk: Finance Ministers Asleep on the Job G20は世界経済を危機に陥れている:財務大臣たちは居眠り中

この「Asleep on the Job」ってのが、財務大臣の仕事をせずに居眠りしてるってのと労働者の雇用をかけているので、タイトルからして訳しにくいのですけど。

>23 September 2011: The international trade union movement today warned that the G20 have failed to recognise their policy mistakes, and have been complacent in the face of a global jobs crisis with mass unemployment not seen since the 1930s.

国際労働運動は本日、G20が彼らの政策の失敗を認識せず、1930年代以来の大量失業をともなう世界雇用危機を目の前にしてのうのうとしていると警告した

>Sharan Burrow, ITUC General Secretary said the G20 must put job creation at the top of their agenda and focus on employment and social protection until the job crisis is under control.

G20は雇用創出を最重要課題とし、雇用危機をコントロールするまで雇用と社会保障に焦点を当てよ。

“The world is in the grip of the second wave of the financial crisis and the G20 finance ministers and their leaders have themselves to blame.

世界は金融危機の第二波のまっただ中にあり、G20の財務大臣たちはその責めを負うべきだ。

“A co-ordinated approach not seen since the 2008 response to bail out the banks is needed to get millions of people back to work,” said Sharan Burrow.

何百万の人々を仕事に戻すためには、2008年以来行われていない銀行救済を協調してやる必要がある。

The warning came as the G20 Finance Ministers meeting on the sidelines of the Annual World Bank/IMF meetings in Washington DC issued a surprise statement which fell short of accepting responsibility for the current crisis.

The IMF was the first global financial institution to admit, they “largely failed to perceive what was happening” in the World Economic Outlook released by their Chief Economist on the eve of the Annual General meetings.

“The G20 Finance Ministers embarked on a plan of fiscal cuts, but failed to take account of the slow down in growth.

“They have left a trail of broken promises and an unemployment line stretching from Chile to China.

“The G20 leaders failed in their promises to ensure that financial markets would never dictate policy again. They agreed that high wages were needed to increase demand and drive the world economy, yet have not put in place any action to tackle income inequality,” said Sharan Burrow.

G20の指導者たちは金融市場が二度と政策を指図しないという約束を違えた。彼らは高賃金が需要を増大し、世界経済を活性化するために必要だと同意したくせに、所得不平等に取り組む姿勢が何ら見られない

The ITUC is calling on the G20 finance ministers to:

・postpone spending cuts;
・re-assert labour rights;
・improve social protection, which is morally necessary but will also increase spending;
・invest in quality public service;
・return to the agenda of financial reform and regulation;
・put in place a financial transaction tax to stop financial speculation and raise revenue.

国際労連はG20財務大臣たちに呼びかける。

・歳出削減を延期せよ

・労働者の権利を再度強調せよ

・道徳的に必要であるとともに支出を増加させる社会保障を改善せよ

・質の高い公共サービスに投資せよ

・金融界を改革し規制するという政策に戻れ

・金融投機を止めさせ歳入を増やすために金融取引税を導入せよ

という、まことに(どこぞの妙なリベサヨさんとは違う)まっとうなソーシャルな要求を打ち出しています。

日本の(妙な「りふれは」さんとは違う)まっとうなリフレ派も、こういう主張を堂々と掲げてくれればいいのですけどね。

書評:清水耕一『労働時間の政治経済学』

652『大原社会問題研究所雑誌』2011年8月号が、同研究所のHPにアップされましたので、わたくしが書いた書評をリンクしておきます。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/634/634-06.pdf

書評先は、清水耕一さんの『労働時間の政治経済学――フランスにおけるワークシェアリングの試み』(名古屋大学出版会)です。

中身の紹介に入る前の前説的なところと、本論を終えた後の後説的なところだけを、こちらに引用しておきますが、いうまでもなくその間の部分が本論ですのでお間違えなく。

>本書は『労働時間の政治経済学フランスにおけるワークシェアリングの試み』と題されている。実際,本書の帯には大きな字で「ワークシェアリングは成功したのか」と書かれているので,本書が雇用創出政策としてのワークシェアリングに焦点を当てた研究書であると受け取る人がほとんどであろう。確かに,読み始めはそういう雰囲気が濃厚である。

 ところが,400ページ近い本書を読み進めていくうちに,そのような問題意識はどんどん薄れていくのに気がつく。そして読み終えた頃,この本にふさわしいタイトルを聴かれたら,『労使関係の政治経済学フランスにおけるフレクシビリティの試み』と答えたくなっている。

 そう,本書は,ワークシェアリングを目指したつもりが(それはどこかに行ってしまい)フレクシビリティの促進策になった政策,労働時間の在り方を変える政策を遂行したつもりが(それを超えて)労使関係の在り方を変える政策としてフランスの労働社会に影響を及ぼした政策の,その政治的アイロニーまで含めて詳細に分析した作品となっている。それがどこまで著者の意図したものであるかは別として。

 ・・・・・・・・・・・・・

>はじめに書いたように,本書がそのタイトルにもかかわらず描き出してしまったのは,労働時間法制をダシにしたフランス型労使関係システム転換の姿であった。その観点から日本への含意を考えると,二重の意味のねじれが見いだせるのではないか。まず,週40時間制への移行に伴い導入された各種変形労働時間制や裁量労働制などが過半数代表との協定を要件とする形で,いや,そもそも終戦直後に制定された労働基準法が時間外・休日労働に36協定を要件とする形で,フランスと同じように労働時間法制をダシにして労使関係システムを動かそうとする契機を有していたにもかかわらず,そのような転換が全く起こらなかった,という点である。そしてその根底にあるのは,フランスで(労働時間法制をダシにして)追求された目的が,もともと企業内に足場を持たなかったフランスの労働組合に企業内における交渉主体としての地位を確保することであったのに対して,日本の労働組合はもともと企業内にしか足場を持たず,それゆえその利害が雇用の維持確保に偏り,実労働時間の短縮や仕事と生活の調和といったことが建前論の次元でしか受け取られてこなかったため,労働時間法制がダシにすらなり得なかったという点であろう。

2011年9月23日 (金)

大内伸哉『改訂 君たちが働き始める前に知っておいてほしいこと』

1184大内伸哉さんより、近著『改訂 君たちが働き始める前に知っておいてほしいこと』(労働調査会)をお送りいただきました。

http://www.chosakai.co.jp/purchase/books/syousai/1184.html

最近はこういう若者向けの労働法のわかりやすい解説書もかなり多くなってきました。本書は、語りかけるような口調で、できるだけ若者目線に下りようとしていることが伝わってきますが、でもやはり大学の先生の書いた本という雰囲気も漂っていますね。

>先生 君たちにとって働くときに一番気になるのは給料のことでしょう。

アヤ 私たちの店ってひどいんです。先輩から時給は毎年上がっていくということを聞いていたのに、実はそうじゃなくて、「おまえたちの代わりなんていくらでもいるから、いやなら辞めればいいんだよ」なんていって、時給を全然上げてくれないんです。

先生 それで、いくらもらっているの?

アヤ 600円です。

先生 それは法律違反だよ。最低賃金法という法律があるのを知っているかな?

アヤ いいえ、それって何ですか?

・・・

という感じで。

版元の解説は

>本書は、新たに『働くという経験を始めようとしている人』、あるいはそういう経験を『始めたばかりの人』を想定し、働くことに関する法的なルールをできるだけわかりやすく解説。そのポイントは大きく2点。「初心者」が知っておいたほうが良いと思われる最も重要な事項をピックアップしまとめている。そして、法律のことについて何も予備知識がなくても、すんなり読み通すことができるように書かれている。 例えば、都道府県ごとに決められている最低賃金(時給)。今もらっている時給はその額を上回っているか? 働く時間にはどういう決まりがあるのか? 仕事中にケガをした時は?・・・など、最低限知っておいたほうがいい労働基準法の20カ条をケースごとにイラストと文章で丁寧に解説。特に“セクハラ”“パワハラ”などの対処などわかりづらい項目では、会話調の説明を採用して解説している。

著者本人の解説は、

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-86af.html

タレ・スポの労働者性と育成コスト問題

「ゆうこりんの労働者性」に楠さんがコメントされていますが、

http://twitter.com/#!/masanork/status/117044742277173248

>タレントも会社員も同じように育成コストはかかる訳で労働法の視点からいえば真っ当な判決だけど前近代的な芸能界にとっては驚天動地なのかな

これは、実は大変深いインプリケーションがあります。芸能人やスポーツ選手の労働者性を認めたくない業界側の最大の理由は、初期育成コストが持ち出しになるのに足抜け自由にしては元が取れないということでしょう。ふつうの労働者だって初期育成コストがかかるわけですが、そこは年功的賃金システムやもろもろの途中で辞めたら損をする仕組みで担保しているわけですが、芸能人やスポーツ選手はそういうわけにはいかない。

そこで、逆に、初期育成段階の労働者保護について一定程度解除できないかという議論はありうるわけです。

実は、これは今から7年以上も前に、東大の労働判例研究会で報告し、『ジュリスト』にも載せた判例評釈で論じたテーマとも重なるのですが、ほとんど全ての人々からは無視されていますが(笑)、わたくしはすごく重要なポイントだと思っています。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/europiano.html(労働判例研究 「研修生」契約は労働契約に該当するか?--ユーロピアノ事件)

これは「ピアノ調律技術者研修生」として無給で「採用」された人が賃金請求等をした事件で、裁判所は「本件契約には労働契約の不可欠の要素である労働の対償として支払われる賃金についての合意がないから、本件契約は労働契約ではないというべきであるし、同様の理由で雇用契約ではないというべきである」というわけのわからん理屈で棄却していますが、それはおかしいだろうという評釈です。

ただ、おかしいだろうというだけではものごとは解決しないだろうとも考えて、評釈の中でこういうことを論じました。

>・・・そうすると、通常の労働法学の考え方では、本件労働契約においては「原則無給」との合意は無効であり、Xは少なくとも就労期間について一定額(少なくとも最低賃金額)の賃金請求権を有するという結論になりそうである。これはこれなりに筋の通った考え方ではあるが、現実妥当性に問題があると思われる。労働経済学的に言えば、通常の企業内訓練においては、訓練期間中の訓練コストや生産性の低い労務提供と(相対的に高い)賃金水準との差は企業側の持ち出しとなるが、訓練終了後の生産性の高い労務提供と(相対的に低い)賃金水準との差によって埋め合わされると考えられる。この場合、訓練終了後も長期継続雇用することへの期待がこのような長期的な取引を可能にしているが、労働力が流動化してこのような期待が一般的に持てなくなるとすれば、別途の訓練コスト負担方式を考える必要が出てくる。今後の労働市場の動向を考えると、その必要性は高いと考えられる。しかも、本件はピアノ調律師という高度の(芸術的センスを含む?)技能を要する職種であり、訓練終了後に生産性の高い労務提供が可能であるとは必ずしも言えないことも考慮に入れる必要があろう。原則無給の「研修生契約」を禁止してしまうことは、当初から有給で採用することは困難な限界的労働者に対して、雇用の道を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

>・・・その意味では、これは本来、立法的解決を図るべき問題であろう。現行民法上認められている労務の提供と「習業者ノ世話」との双務契約は、昭和47年の労働基準法では一定の技能職種について「技能者養成契約」として構成され、契約期間、賃金の支払い、最低賃金、危険有害業務等について別段の定めをすることができることとされ(70条)、これが職業訓練法(現在の職業能力開発促進法)に基づく認定職業訓練(同法24条)に変わって現在に至っている。しかしながら、認定職業訓練の基準は公共職業能力開発施設における職業訓練基準と同一であり(同法19条)、製造業を主に念頭に置いたもので、ピアノ調律技術のようなものは含まれていない。

 公共職業訓練の存在を前提としてそれと同等の訓練を使用者が行う場合にのみこういった契約を認めるという法的枠組みを前提とすると、公共職業訓練の手に負えない技能についての技能者養成は、①完全な労働契約として一定期間使用者側のコスト負担を求めるか、②労働契約ではないとして本来与えられるべき労働者保護を失わせるか、という選択にならざるを得ない。①が労働法学的には正しい解決であっても、労働経済学的には問題があること、労働力が流動化すれば①がますます困難になることは前述の通りである。その意味でも、公共職業訓練とは切り離した形での一般的な「研修生」契約を概念化する必要性が高まってきていると思われる。

まさに、労働者か労働者でないかという二者択一では、「、①完全な労働契約として一定期間使用者側のコスト負担を求める」か、「、②労働契約ではないとして本来与えられるべき労働者保護を失わせる」かの二者択一になってしまうという点に、この手の芸能人やスポーツ選手の労働者性を考える際のポイントがあるのだと私は思います。

象徴的に言えば、スターになるかもしれないが、そのまま無名で終わるかもしれない「幕下以下」をどう扱うべきか、という問題ですね。

緊縮財政を喚いてきたのは増税派ではなく減税派だろう

典型的なお茶会的「りふれは」の言い方だな。

http://diamond.jp/articles/-/14124(国を挙げた“増税万歳状態”の異常 クルーグマン教授の緊縮財政批判に耳を傾けよ)

よくぞ言うな。クルーグマンの思想と反対のことを喚いてきたのが、公共叩き、福祉叩きの揚げ塩風「みんなの」「減税」「りふれは」諸氏ではないか。

日本で減税を唱える党派の一体誰が、公共サービスを守ろう、社会保障を守ろうと言ってきたというのか。

ムダだムダだぶっ潰せの大合唱の先頭を切ってきたのが、日本のお茶会こと、揚げ塩風「みんなの」「減税」「りふれは」だろうが。

「減税」イコール「小さな政府」イコール「公共サービス・福祉潰し」というここ二十年来の日本の政治イデオロギーの配置状況の中で、なんとかそれらを維持したいという必死の思いの人々が(ある種財務省との呉越同舟的に)「増税」を訴えてきたわけで。

現に社会のあちこちで上がっている悲鳴を聞かばこそ、ありとあらゆる公共サービスを叩き潰して「小さな政府」を唱道してきた連中が、よくぞこういう理屈を言えたものだ。恥を知れ、と言いたい。

(念のため)

クルーグマン本人の減税派お茶会批判を:

http://econdays.net/?p=4957(クルーグマン「社会契約」(NYT,2011/09/22))

>今週,オバマ大統領は当たり前のことを言った:アメリカのお金持ちは,長期の財政赤字を減らすためのコストを分担すべきだ,というのがその発言.彼らは,おどろくほど少ししか税金を払っていない.ところがポール・ライアン下院議員みたいな共和党員たちは,やれ「階級闘争を仕掛けるのか」だの,金切り声をあげて反応した.

もちろん,そんなことはない.その真逆で,階級闘争を仕掛けているのは,ぼくらの財政を持続可能にする負担から超お金持ちを免除したがっているライアン氏みたいな人たちだ.

・・・・・・・

続きはリンク先を

(追記)

ほぼ同趣旨と思われるdongfang99さんの発言:

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110923地雷を踏むような状態

>・・・だからもし、財務省寄りの政策を批判したいのであれば、まず「無駄の徹底した削減」という論理そのものに厳しい批判を加え、それに対して財政出動と再分配強化の必要性を強力に主張すべきであるが、残念なことに需要を重視しているはずの金融政策論者ですら、なぜか増税策に対する批判ばかりに(正直言って無駄な)労力を使っていて、傍目には需要創出という本来の目的がかすんでしまっている状態である。

その通りですが、わたくしの目には、ある種の人々は実は「財政出動と再分配強化の必要性を強力に主張」するどころか、公共サービスや福祉を叩き潰すことが目的なのではないかとすら思われるような言動を繰り返していますからね。

そういう連中をわざわざ、松尾さんなどまっとうなリフレ派と区別するために「りふれは」と記号化しているのに、こう書かれるとまるで自分が攻撃されているかのように思いこんで苦情を言う人が絶えないのが不思議です。

自分が「財政出動と再分配強化の必要性を強力に主張」する側だと思う人は、「りふれは」という記号にパブロフ犬よろしく反応する必要などこれっぽっちもないのにね。

ゆうこりんの労働者性

Enn1108161540005p1_2昨日に引き続き、POSSE川村さんのつぶやきから芸能人の労働者性シリーズ。

http://twitter.com/#!/kwmr_posse/status/116911924221980672

>タレントの労働者性といえば、最近は小倉優子=労働者という判決が話題を呼びました。労基法上の、ということな筈ですが、これも仔細は不明です。

このリンク先を見ると、zakzakというメディアですが、

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110816/enn1108161540005-n1.htm

>はたしてタレントは「労働者」なのか-ちょっとした論争が業界内で広がっている。

 きっかけは7月5日に下されたタレント、小倉優子(27)への判決。今年1月、所属事務所「アヴィラ」に所属契約解除を求めた訴訟で、東京地裁は請求を認める判決を言い渡した。それによると、契約は昨年12月31日をもって終了。今後、アヴィラが小倉に業務を命じることなどをしてはならないという内容だった。

 この判決を聞く限り独立問題は小倉の一方的な勝利なのだが、「判決には芸能界の死活問題となりかねない内容が含まれていた」とプロダクション関係者が明かす。

 判決文には《タレントは労働者なので契約は無効であり、契約に縛られず自由に辞めることができる》といった主旨が書かれていた。

 つまりタレントはOLと同様の労働者で、会社を辞めるのも移籍も自由という判決なのである。

 ところが実態は異なる。芸能界では、タレントは「個人事業者」としてプロダクションと契約して、その仕事の内容によってギャラを得るというのが一般的。タレントは受け取ったギャラを確定申告したり、個人事務所で処理するケースが多い。またプロダクションは「育成」も行っており、タレントとの長期契約には先行投資の意味も含まれている。

この「実態は異なる」という表現は、労働法でいう「実態」、つまり「就労の実態」という意味ではなく、業界がそういう法律上の扱いにしている、という意味での「法形式の実態」ということですね。

そういう法形式だけ個人事業者にしてみても、就労の実態が労働者であれば、労働法が適用されるというのが労働法の大原則だということが、業界人にも、zakzakの人にも理解されていない、ということは、まあだいたい予想されることではあります。

ただ、どうも理屈がヘン。

>「もし売れっ子タレントがCMなどの大きな仕事をしても、労働者のOLを基準として月給程度しか支払われない可能性がある。その代わり、やめる権利、移籍の権利はあるというのがプロダクション側の言い分になる」

意味不明なんですが。

最低賃金法というのはあるけど、最高賃金法というのはないので、どんなに高い給料でも両者が合意すれば払えばいいので、なんで労働法が適用されるがゆえに「労働者のOLを基準」にしなきゃいけないのか、よくわからん。年収ウン千万円とか、場合によってはウン億円という労働者も別にいますけど。

逆に、最低賃金法が適用されると、まずいことはいろいろ出てくるだろうなというのはだいたい予想がつきますが。

2011年9月22日 (木)

タカラジェンヌの労働者性

POSSE川村さんのつぶやきから、

http://twitter.com/#!/kwmr_posse/status/116688828697280513

>【宝塚女優 手売りでチケットノルマを達成できずクビになる】 http://goo.gl/mDvc8 勝手に実力勝負なイメージでしたが、それだけでもないんですね。記事からは宝塚女優が契約上「個人事業主」かどうか不明ですが、少し気になりました。

これは、「女性セブン」2011年9月29日・10月6日号の記事ですね。なかなか普通は読まない雑誌ですが、大変興味深い内容が書かれています。

http://www.news-postseven.com/archives/20110922_31197.html

>華やかで美しく心ときめく、日本を代表する歌劇団、宝塚。しかし、近年はその人気に陰りが差し、空席が目立つようになっており、タカラジェンヌたちもこれまでにない苦労を強いられている。いったい何が起きているのか。

 元タカラジェンヌのA子さんは、トップスターや2番手ではないが、所属組での公演では、重要な役が与えられ、ファンも少なくなかった。

 宝塚にはこんなタレント契約がある。劇団員は宝塚音楽学校に2年間通った後、歌劇団に入団。最初は阪急電鉄の社員扱いだが、6年目にタレント契約を結び、以後毎年更新されるというもの。

 A子さんはその契約の際に、“クビ”をいい渡され、今年退団した

この「タレント契約」ってのが、個人請負だということになっているのでしょうね。

>「私は劇団側からタレントとしての契約をしないといわれ、退団を余儀なくされました。理由は明確にはいってくれません。思い当たるのは、さばけるチケット枚数が少なかったことだけです」(A子さん)

 A子さんによれば、明確なノルマはないものの、劇団員が公演のたびに一定枚数のチケットをさばかないといけない暗黙のルールがあるという。もちろん、そんなルールは「プラチナチケット」などという時代には必要なかったことだ。

「宝塚という世界で上に行くためには、容姿や人気だけでなく、チケット販売の実績も重要なんです。劇団側がノルマを直接的に強いることはありませんが、トップだったら1公演最低200枚だとか、2番手3番手は150枚、4番手5番手は100枚というように、実質的なノルマがあるんです」(A子さん)

うぎゃぁ、チケットのノルマが達成できないと「タレント契約」打切りですか。

これは、古川弁護士には申し訳ないですが(笑)、歌のオーディションでダメ出しされた新国立劇場のオペラ歌手の人よりもずっと問題じゃないですか。

売り上げノルマ達成できないからクビなんて、まあ個別紛争事例にはいくつかありますけど、阪急も相当にブラックじゃないか。これはやはり、日本音楽家ユニオン宝塚分会を結成して、タカラジェンヌ裁判で労働者性を争って欲しい一件です。

法学部やロースクールの人がいきなり読んでも理解は難しいのではないか

スラッシュドットの「shimashimaの日記」に、shimashimaさんの拙著『日本の雇用と労働法』に対する短評が。

http://slashdot.jp/journal/539407/%5B%E6%9B%B8%E7%B1%8D%5D%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E8%B3%BC%E5%85%A5%EF%BC%A02011%E5%B9%B49%E6%9C%8819%E6%97%A5

ちょっと意外だったコメントは、

>自分の立場は大学時代に人事労務管理・労働経済に興味を持った学士で、労務管理ではなく法的な裏付け、特に判例による実際が指摘されていて興味深い。だが、法学部やロースクールの人がいきなり読んでも理解は難しいのではないかと感じた。

そう感じた大きな点は、労務管理の基礎をしらない人に「職能等級」などの用語が説明無しにでてくるのは辛いのではないだろうか。最低限の労務管理の用語を押さえておけば問題ないので、そこだけは注意した方がよい気がする。

最近は、賃金制度改革に絡む事件が結構多く裁判に出てきているので、少なくとも「職能等級」も知らないようでは、法学部やロースクールでも、まともな判例評釈などできるはずがないと思いますが、逆に外の人からはそういう「浮世離れした人々」だと思われていると言うことかも知れませんよ、法学部系の皆さま。

自慢できない減っても残業1位

日経から、

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C889DE1E6EBEBE4E3E6E2E0E0E2EBE0E2E3E39180EAE2E2E2中央省庁の残業時間、4年ぶり増加 10年の月平均

>東京・霞が関の中央省庁で働く国家公務員の2010年の平均残業時間が月35.1時間だったことが21日、労働組合で構成する「霞が関国家公務員労組共闘会議」のアンケート結果でわかった。前年より2.3時間増え4年ぶりに増加。同会議は「政権交代で法改正が増えた影響ではないか」とみている。

 調査は今年3月、同会議に加わる22組合(組合員数計約1万人)のうち、12組合2502人分を集計した。中央省庁で働く一般職(約3万4千人)の約7%に当たる。

 労組別では旧労働省の67.9時間が最多次いで旧厚生省の58.1時間で厚生労働省の2労組が6年連続で1、2位を占めた。経済産業省が50.5時間、旧運輸省が47.8時間と続いた。

 旧労働省と旧厚生省は政権交代があった前年(09年)のそれぞれ73.4時間、71.7時間から大幅に減った。同会議は「長妻昭元厚労相が交代して業務が簡略化したことや、時間短縮に取り組んだためではないか」と指摘している。

何とも複雑な結果。

霞ヶ関全体では2009年より2010年に残業が増えているのですが、こと厚生労働省については、2009年より減っていて、しかもなおかつそれでも、かつて通常残業省と言われた経済産業省を遥か後方に引き離してぶっちぎりの1位というのですから、政権交代直後の2009年がいかに異常な状況であったかがよく分かります。それで、政策が以前よりも遥かに前進したというのであれば、心慰められるものもあるのでしょうが、むしろ残業の減った2010年になってからまともに動き始めたわけで・・・。

東電福島第一原発作業員の長期健康管理に関する検討会報告書案

昨日、台風の近づく中厚労省で標記検討会が開かれ、報告書案について議論したようです。

その報告書案は、

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001pdum-att/2r9852000001pdw3.pdf

ですが、いくつか重要な部分を引用しておきます。

まず基本的な方針として、

>緊急作業に従事した労働者が、離職後も含め、自らの健康状態を経年的に把握し、必要な健康相談や保健指導等を受け、適切な健康管理を行うことができるよう、データベースは、被ばく線量以外にも健康状態に関する情報等を登録できるとともに、労働者本人が自らの情報を参照できる仕組みとする。

また、緊急作業に従事した労働者の長期的な健康管理を行うためには、緊急作業に従事したことによる健康への不安を抱えていること、累積被ばく線量の増加に応じて健康障害の発生リスクが高まることから、事業場において、一定の被ばく線量を超えた労働者に対しては被ばく線量に応じた検査等を実施することが適当である。

さらに、離職後についても、適切に健康管理が行われるよう、国が離職者を対象とした健康相談窓口を設置するとともに医師又は保健師による保健指導の機会を提供し、一定の被ばく線量を超えた労働者に対しては、被ばく線量に応じた検査等を実施することが適当である。

データベースの項目は、

>ア 個人識別情報(ID 番号、氏名、所属事業場、住所等)
イ 緊急作業従事前、従事中及び従事後の被ばく線量及び
従事中の作業内容
ウ 健康診断結果等の情報
エ 健康相談、保健指導等の情報
オ その他健康管理に必要な項目(生活習慣等)

労働者が自分でデータを参照することができるように、

>緊急作業に従事した労働者本人が被ばく線量を含めた自らの健康情報を参照することが出来ることとする。また、個人情報の保護の観点から労働者本人が窓口で参照することとし、全国各地から緊急作業に従事している労働者がいること等を踏まえ、労働者の利便性を考慮し、一定数の窓口を全国に設置することとする。

その際、全ての緊急作業に従事した労働者に対しては、健康管理の実施やデータベースの参照にあたっての本人確認が円滑かつ適切に行われるよう、登録証を交付する。

さらに、被ばく線量に応じた検査等を実施する労働者に対し、検査結果や過去の被ばく線量等を容易に確認できる手帳の交付を行う。

なお、主治医や事業者等がデータベースで管理される情報を活用する場合には、労働者を通じて提供する

とされています。

なお、離職後も含めた長期的な健康管理の在り方として、

>緊急作業従事者においては、電離放射線障害防止規則(以下「電離則」という。)に基づく放射線業務従事者の一年間の被ばく限度である50mSv を超えて被ばくした労働者、さらには、電離則に基づく緊急作業時における従来の被ばく限度である100mSv を超えて被ばくした労働者がいることから、被ばく線量の増加に伴う健康障害の発生が懸念される。このため、現時点での医学的な見解を踏まえ、被ばく線量に応じた検査等の実施が必要である。なお、事故発生後早期から緊急作業に従事していたことに伴う安定ヨウ素剤の使用等についても留意すべきである。

また、通常の放射線業務とは異なる環境下で、緊急性の高い作業に従事したこと自体により、労働者が心身の長期的な健康に不安を感じることが想定されるため、現に事業者に雇用されていない者等、事業者による通常の健康管理が行われない者全てに対して、被ばくした線量にかかわらず、国が健康相談窓口を設けるとともに医師又は保健師による保健指導の機会を提供する。

なお、緊急作業時の企業に継続して雇用されている労働者及び緊急作業又は放射線業務に従事している労働者に対する被ばく線量に応じた検査等は原則事業者が実施すべきであるが、中小企業において放射線業務に従事しなくなった者、放射線業務を行わない企業に転職した者等については、事業者が通常の健康管理を行い、国が被ばく線量に応じた検査等の機会を提供することが適当である。

とされ、具体的な健康管理の項目が並んでいます。

アマゾン瞬間風速

もちろん、ある一時点での瞬間風速ということに過ぎませんが、

http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/505398/ref=zg_bs_nav_b_5_492050(労働 の ベストセラー)

http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/492120/ref=pd_zg_hrsr_b_2_3(法律 の ベストセラー)

それぞれで1位に着けているようです。

アマゾン経由でご注文いただいた皆さまに心より感謝申し上げます。

2011年9月21日 (水)

常見陽平さんムサビでブラック企業を語る?

常見陽平さんが、ムサビでキャリア設計基礎という授業を担当されていて、

http://blog.livedoor.jp/yoheitsunemi/archives/52890848.htmlムサビの講義、エキサイティング

>はっきり言って、楽しい。なんせ、学生が熱心だ。前のめりで、素直で、一生懸命なので、こちらも熱が入る。

ということなのですが、来週はそのキャリア教育の一環として労働法を語るのだそうです。

>来週は労働法について考える。ぶっちゃけたところ、美大生の就職先としてそれなりの割合を占めるデザイン事務所や編集プロダクションなどはいわゆるブラック企業もそれなりにあるわけで。そういう話は聞いてしまうわけで。そんなときに、どうやって自分の身を守るべきかを考えたい。

「これってブラック企業なの?」
を考えるワークをしつつ、そもそもの雇用契約とは何か、自分の身を守る法律、万が一のときにどうすればいいかなどを紹介するつもりだ。楽しみ。キャリア教育科目に労働法を取り込んでいるのはユニークだと思う。

そうか、デザイン関係って結構ブラックなんですね。

たぶん、芸の道に労働時間もクソもあるかという感じの専門職型ブラックなのだろうと思いますが、そういう道に進む人々に労働法を語る、ってのが新機軸でいいですね。

その関連で、拙著『日本の雇用と労働法』も参照していただいているようであります。ありがとうございます。

>来週の講義資料を作成するにあたり、雇用のカリスマ濱口桂一郎先生の新作をゲット。これから読むが、パラパラと見た感じ、表題のとおり、雇用と労働法をテーマにしつつも、これからの生き方、働き方に言及している予感。読むのが楽しみだ。・・・

本日、法政の授業開講

本日より、法政大学社会学部で「雇用と法」の授業を開始。朝1限の授業のため、京王線めじろ台からバスに乗って山の中のキャンパスへ。学生たちは熱心に聞いてくれていましたが、台風のため、2限からは休講になっていました。

その後、大原社研の金子良事さんと2時間ほどくっちゃべって、さて帰ろうかとバスステーションに行ったら、休講で帰途に就く学生たちの長蛇の列列列・・・。

ぐるっと回って、豪雨の中を職場に到着したのは3時頃でした。

この授業で使う教科書が、先日刊行の『日本の雇用と労働法』(日経文庫)です。授業に出られない方も、一読いただければ幸いです。

(追記)

しかし、金子さん、帰れたのか、それとも大原社研ホテルに宿泊?

2011年9月20日 (火)

目からうろことはこういう本のことを言う

福岡で、主として労働者側の立場に立って活躍されている特定社会保険労務士の篠塚祐二さん(人呼んで「特定社労士しのづか」)が、さっそく刊行されたばかりの拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)を取り上げておられます。

http://sr-partners.net/archives/51785309.html(濱口桂一郎著「日本の雇用と労働法」(日経文庫)は目からうろこです)

篠塚さん、読み始める前はいささか落胆気味だったようです。

>法政大学社会学部の学生のためのテキストとして書かれたというこの本。帯に「画期的入門書」と書かれているし、まえがきには「素人向けの当たり前に見えることばかりが書いている」との記述が見える。

書店で一度も見ずに、amazonから送ってもらったものなので、「あぁ、間違った。こんな素人向けの労働問題の本など買うべきじゃなかった」と思いつつ、国民の祝日で暇なのでとりあえず先を読むことにした。

いや、「素人向けの当たり前に見えることばかり」を素材に、玄人向けの本でもあまり書かれていないことを伝えるというのが、この本のキーコンセプトですので。

>私の知識の上で弱点である集団的労使関係つまり労働組合についての章から読み始めると、これが実にわかりやすい。ジョブ型労使関係法制(欧米の職種別組合を前提とした労働組合法など)が実際に運用される段階では、メンバーシップ型(現実に設立されたのはほとんど全てが正社員中心の企業別組合)の運用になっていることからくる矛盾やちぐはぐさとして紹介しておられるところが、実に鮮やかで、くっきりとわが国の労働組合の特質が浮かび上がってくる。・・・

なまじ、正面切った労働法の教科書だと、裁判所で弁護士が一生懸命並べ立てるロジックに沿った形でしか議論が展開されないため、かえってそういう視点が見えなくなってしまうのだと思うのです。その結果、経済学や社会学で論じられる労使関係イメージと法律学で論じられる労使関係イメージが乖離したまま、統合的な視点は、実務家の「智慧」の中にしか存在しないというようになっていったのでしょう。

>目からうろことはこういう本のことを言う
社労士はとかく労働・社会保険各法及び関連判例の視点で社会を見ることにたけているが、歴史的視座で考えることは苦手です。

それは社労士だけではなく、実は経済学者や法律家もある意味では同じなのですよ。

そして、歴史的視座で考えないから、ディシプリンが違うと言葉が通じなくなるのだと、私は考えています。

(参考)まえがき

>本書はいささか欲張りな本です。「日本の雇用システム」と「日本の労働法制」についての概略を、両者の密接な関係を領域ごとに一つ一つ確認しながら解説している本なのです。
 書店に行くと、山のような数の労働法の教科書が並んでいます。いずれも法学部やロースクールの学生、法律実務家にとっては必要不可欠な「武器」ですが、他学部の学生や他分野で労働問題に関わっている人々にとっては、いかにも法解釈学的な理屈をこね回した叙述や膨大な判例の山が取っつきにくい印象を与えていることは否めません。
 一方、現実の労働問題を経済学、経営学、社会学などの観点から分析した書物もたくさん出ていますが、労働法的な観点はあまりないか、あってもやや突っ込み不足の感があります。
 文科系と理科系の断絶ほどではないにしても、法学系と社会科学系の間のディシプリンのずれは、労働問題というほとんど同じ社会現象領域を取り扱う場合であっても、なかなか埋まりにくいようです。
 本書は、経済学部、経営学部、社会学部などで労働問題を学ぶ学生にとっては、そこで学んでいる日本の雇用システムのあり方との関係で現代日本の労働法制を理解するための便利な一冊ですし、法学部やロースクールで労働法を学ぶ学生にとっては、そこで学んでいる労働法制がいかなる雇用システムの上に立脚し構築されてきたのかを理解する上で役に立つでしょう。いわば、「二つの文化」を橋渡しする有用な副読本です。
 また、企業や官庁、団体などで労働問題に携わる人々にとっては、現実を分析し、対策を講じていく上で、どちらの手法も必要になりますが、それぞれの分野の緻密で詳細な論文を読む前に、本書でざっくりとした全体像を概観しておくと、頭の中が整理しやすいのではないでしょうか。
 さらに、労働問題についてさまざまな立場から論じている各分野の研究者の皆さんにとっても、素人向けの当たり前に見えることばかりが書いているように見える記述の合間に、玄人にとっても意外な発見があるかも知れません。
 著者は二〇一一年度後期から法政大学社会学部で非常勤講師として「雇用と法」を講義することになり、そのためのテキストとして本書を執筆しましたが、労働問題を総合的に捉えたいと考える多くの読者によって読まれることを期待しています。
 なお、本書の内容についての分野ごとのさらに詳しい説明は、著者のホームページ(
http://homepage3.nifty.com/hamachan/)に収録した論文を参考にしてください。掲載メディアごと及び分野ごとに整理したリストから各論文にリンクが張ってあります。
 本書の刊行に当たっては、日本経済新聞出版社の平井修一さんに大変お世話になりました。心からお礼を申し上げます。

二〇一一年九月
                                                                 濱口桂一郎

個別労働紛争解決シンポジウム@埼玉労働局

この10月は、個別労働関係紛争解決促進法の施行から10年になりますが、埼玉労働局ではシンポジウムを開くそうです。

http://saitama-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/library/saitama-roudoukyoku/press/backnumber/2011/pr110920-01.pdf

>埼玉労働局(局長 安藤よし子)は、「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律」が平成13年10月の施行から10年を迎えることにあわせて、「個別労働紛争解決シンポジウム」を開催します。本日(9月20日)から同シンポジウムへの参加申込みの受付を開始しました。

日時会場内容等は以下の通り。

1 日 時
平成23年10月24日(月) 13:30~16:30

2 会 場
ホテルブリランテ武蔵野(2階エメラルドC)
(埼玉県さいたま市中央区新都心2-2)

3 内 容
第一部 基調講演(紛争自主解決支援セミナー)
労使間のトラブルとその解決策
~「いじめ・嫌がらせ」、「解雇」・「雇止め」に関する諸問題~
講師 弁護士 松本 輝夫 氏
(埼玉弁護士会会長 埼玉紛争調整委員会会長)
第二部 パネルディスカッション
個別労働紛争におけるADR(裁判外紛争解決手続)の役割と今後の課題
【パネリスト】
埼玉県社会保険労務士会 会長 佐藤 修 氏
日本労働組合総連合会 埼玉県連合会(連合埼玉) 会長 宮本 重雄 氏
埼玉県労働委員会 会長 馬橋 隆紀 氏
埼玉紛争調整委員会 会長 松本 輝夫 氏
【司会】
埼玉労働局長 安藤 よし子

労働局主催ですが、労働委員会や社労士会など、他の労働ADRからも参加して議論するというところがミソでしょうか。

(参考)

労働局におけるあっせん事案の分析については、わたくしをはじめJILPTの労使関係部門で行った研究があります。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0123.htm(個別労働関係紛争処理事案の内容分析―雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引下げ及び三者間労務提供関係―)

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2011/0133.htm(個別労働関係紛争処理事案の内容分析II―非解雇型雇用終了、メンタルヘルス、配置転換・在籍出向、試用期間及び労働者に対する損害賠償請求事案―)

しかし、超難解であった。

2年前の拙著『新しい労働社会』への感想ですが、いやぁ、そんなに難しく書いたつもりはないんですが・・・。

http://shinchanfx.seesaa.net/article/226620697.html(新しい労働社会を読んで)

>速読術の事前ワークとして岩波新書を3回読みましょうというのをやっている。

ちなみに岩波新書を読むのは初めてだ。

しかし、超難解であった。

読む本を間違えたかもと思った。


あのぉ、速読術の練習台としては、いささかお役に立ちかねる本であったかとは存じますが・・・。

並みいる岩波新書の中では、わりとわかりやすく、読みやすい方に属する本だと思っておりますが・・・。

「超難解」という御批評をいただくとは正直思っておりませんでしたです、はい。

ただまぁ、拙著の趣旨は的確に捉えていただいたようで、

>ただ、日本の労働社会の説明としては、なるほどと思うところが多く、役にたった本だった

この後の要約も、ほぼ的確です。

続きは、

http://shinchanfx.seesaa.net/article/226697635.html(新しい労働社会を読んで2)

政治家の理想形はブラック企業のワンマン経営者

すごく納得する言葉。

なるほど、現代日本の自分を「弱者」だと思っている「大衆」が求めているのは、こういうことなんだな、と。

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110918/1316350893

>さて、「橋下氏は軍隊的官僚主義と自由競争を求める市場原理主義という、両立しないものを時と場所に応じてしゃべる」(薬師院仁志)。橋下徹支持者に限らず少なからぬ人にとって、この2つは「両立しない」とは思われていないのかもしれない。現代は(概念としての)〈政治〉が経済や経営という概念に侵蝕され、還元されようとしている時代であるともいえる*5。ぶっちゃけた話、「軍隊的官僚主義と自由競争を求める市場原理主義」というのは、政治家の理想形はワンマン経営者、それもブラック企業のワンマン経営者だという前提を置けば矛盾しなくなるのかも知れない。「政治主導」の名の下に〈政治〉がdisplaceされてしまうという逆説! こちらの方が事態が深刻だといえるかも知れない。それとともに、ルサンティマンなしでは生きていけなくなるという意味での全員弱者化。

大衆が国家権力によるブラック企業化をひりつくように求めるこの時代!

2011年9月19日 (月)

経団連成長戦略2011

経団連が去る16日に「経団連成長戦略2011」を公表していました。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/089/honbun.html

I.はじめに
1.日本経済の現状
2.空洞化の阻止と経済成長の重要性
II.日本企業の活力の発揮と世界との連携を軸とした成長戦略
1.成長への道筋
(1)成長阻害要因の解消
(2)震災復興と成長戦略の一体的な推進
(3)民主導の経済成長の実現
2.国際的な立地競争力の強化に向けて
(1)エネルギー・環境政策のあり方の抜本的見直し
(2)デフレ脱却と為替の安定化
(3)法人税を含む企業の公的負担の軽減
(4)TPPをはじめとする高いレベルの経済連携促進
(5)労働市場の多様性を踏まえた雇用政策の展開
3.成長加速に向けた企業のアクション
(1)未来都市モデルプロジェクトをはじめとしたイノベーションの加速
(2)産業クラスターの形成による競争力強化
(3)観光・農業の振興を通じた地域活性化
(4)成長するアジアとの一体化
III.持続的な成長に不可欠な基盤整備
1.社会保障と税・財政の一体改革
2.道州制と「地域主権」改革の実現
3.都市の競争力強化
4.金融・資本市場の機能強化
5.グローバル人材の育成・海外からの受入れ
IV.おわりに

いろいろ論ずべきことはありそうですが、ここでは本ブログの本拠たる「労働市場の多様性を踏まえた雇用政策の展開」についてみておきます。

まず、現状・問題意識として、

>近年、労働者派遣法の改正法案の国会への上程に加え、有期労働契約および高齢者雇用の規制強化に向けた議論や、最低賃金の大幅な引き上げなどがなされている。このような過度の労働規制強化は、国内事業環境をさらに悪化させ、雇用の減少につながるおそれが強い。

わが国では、全般的に厳しい雇用情勢が続くなか、東日本大震災により、被災地における雇用の維持・確保が喫緊の課題となっている。また、職種や企業規模間のミスマッチや、若年者・高齢者の雇用問題、長期失業者比率の高止まり、働き方に対するニーズの多様化といった構造的な課題のほか、グローバル化への対応も急がれている。

就労機会が十分得られない状況が続くことになれば、人的資本の形成が阻害され、将来の成長力の低下につながる。求められるのは、経済成長の実現を通じて雇用が生み出される環境を早急に作ることである

労働規制は雇用喪失につながるから止めよ、というのが基調低音ではあるのですが、次の具体策のところでは

>当面は、被災地を中心とする雇用の維持・確保に向けた、企業に対する支援をはじめ、失業中の生活安定の確保と早期の再就職支援の継続、雇用機会の提供等に努めていくとともに、人事労務管理上の柔軟性を確保するため、労働時間制度の弾力的な運用が可能となる規制の見直しが必要である。

また、新たな雇用の創出と人材の能力向上を継続的に図るためには、先に述べたように経済成長の実現が前提となるが、企業活動の変化に対応しうる多様な雇用・就業形態を活用できる環境整備に向けて、現在検討されているような労働規制強化の動きを改めていくべきである。

中期的には、生産年齢人口が減少するなかで国の活力を維持していくため、労働生産性の向上はもとより、女性、若年者、高齢者等を含めた「全員参加型社会」の実現、さらには、エネルギー・環境、観光、農業、医療・介護など、今後成長が期待できる分野へ十分な労働力を供給していくことが必要である。

そのためには、公的職業訓練施策の充実といった職業能力の向上や、優良な民間事業者の育成などを通じた需給調整機能の強化による雇用の流動化の促進、セーフティネットの整備など、労働市場の基盤強化を図るとともに、働き方に中立的で就労を阻害しない税制を整備していくことが重要となる。

こうした雇用政策を推進していく上では、現場の実態を十分踏まえたものでなければならず、労使の意見を踏まえた上で政策を立案し、政労使一体となって取り組みを進める必要がある

と、かなりまっとうな認識が示されています。ここのたとえば「女性、若年者、高齢者等を含めた「全員参加型社会」の実現」といったことが、労働規制を緩和すれば緩和するほど実現するのか、必ずしもそうではないのか、といったことは、もちろんどういう規制の中身かといったこととも絡みますが、そう単純なものではないことは、実は経団連側も分かっていることではあろうと思います。

とりわけ、「労働時間制度の弾力的な運用が可能となる規制の見直し」というのが、残業代規制だけの話ではないとすると、24時間働ける人間だけが働くわけではない全員参加型社会にふさわしいものかどうかはいろいろと疑問もあるところですが、そこらあたりも当然分かっていることとも思われます。

もちろん、「公的職業訓練施策の充実」や「需給調整機能の強化」、「セーフティネットの整備」などは、いかなる立場からも重要な課題ですし、とりわけ最後の「雇用政策を推進していく上では、現場の実態を十分踏まえたものでなければならず、労使の意見を踏まえた上で政策を立案し、政労使一体となって取り組みを進める必要がある」というのは、本ブログ上でも繰り返し述べているように、うかつな政治主導に引きずられることなく、きちんと確立されるべきことであることはいうまでもありません。

東京電力のような労働者の味方は少数派

大震災と原発事故から半年、この間、いろいろなことを論ずる人がいましたが、一貫してわたくしが大事な議論だと考え続けてきているのが、「非国民通信」さんです。

今日も典型的な「進歩的」な方々が反原発の集会をされておられたようですが、こういうある一つの「正義」の大なたを振り回すことによって、大事に守るべき別の「正義」を平気で踏みにじることになってはいないかという、とかく安直に正義感を煽るたぐいの人々が忘れがちなことを、きちんと語り続けているという点で、わたしは「非国民通信」さんを高く評価しています。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/0810d124f5307095f22554fac542e8ec(東京電力はよくやっているのに)

>戦後最長の景気回復が続いていた頃からも一貫して賃金水準の下がり続ける我らが日本ですけれど、一度は下げた賃金水準を元に戻す計画を立てている掛け値無しの優良企業もあるわけです。全ての企業がこのような姿勢を持ってくれれば日本の国内景気もこう酷いことにはならなかったであろうなと思わせられるのですが、しかるに「賞与水準を回復することは認められない」などと政府が介入しています。話になりませんね。賃金水準を下げるのは推奨される一方で、それを回復させるのはダメだというのですから、日本の労働者が置かれた状況が悪化するばかりなのも当然です。

 前にも書いたことですが、凶悪犯罪の加害者であっても人権がなくなるわけではありません。受けるべき罰もあれば、守られるべき権利もあるのです。同様に重大な事件を巻き起こした企業の従業員であっても、労働者としての権利はなくなるものではないはずです。ただ世間で声高に振る舞っている人を見ると、どうにも社会的に反響の大きい事件の「加害者」に対しては、謂わば「権利剥奪」とでも言うべき刑を下したがっているように見えます。犯罪者に人権はない、などと宣うのと同じような勢いで、電力会社従業員の労働者としての権利を蔑ろにして憚らない人が闊歩してはいないでしょうか

まことに、原発被害者の人権を守る正義の味方のつもりで、電力会社従業員の労働者の権利をないがしろにして憚らないような人に、某もとテレビタレント弁護士の知事氏を批判する資格などありはしないと言うべきでしょう。

>とかく日本では経営者目線でしか物事を考えられない人が多い、労働者であっても気分はエグゼクティヴな人が目立ちますけれど末端の労働者までもが経営責任を負わされることにロクな異議申し立てが出てこないのは、何とも因果応報な話です。別に東京電力の従業員が企業側に売り渡す「労働力」の質が落ちたわけでもない、仕事量が減ったわけでもない(むしろ増えているはずです)、こういう状況で賃金をカットされる筋合いなど微塵もないはずですが、当たり前のように賃下げが行われている辺りに、日本的な労働観、日本的な雇用感覚が窺い知れます

この「日本的な労働観、日本的な雇用感覚」を詳しく解説しているのが、そろそろ書店に並び始めるはずの拙著『日本の雇用と労働法』です。

>従業員の賃金水準を極限まで低く抑え込むことで低価格のサービスを提供している企業が幅を利かせている昨今です。その手の企業経営に批判的な人も多数派ではないなりに存在するわけですが、原発事故後の流行りを見るに、色々と頭が痛くなって来るところでもあります。消費者向けの価格を維持するために、従業員の賃金を下げることで対応せよと、そう政府がお墨付きを与えようとしている、そしてこれに対する反対の声は全くと言っていいほど聞こえてこないのですから。別に事故を起こしたわけでもない中部電力に対しても便乗でリストラを迫った、まさに聳え立つ糞としか言いようのない政治家もいました(参考)。何でも給与カットとリストラで対応すればいいのだ、賃下げを続けろと、そういう考え方が押しつけられるのは決して東京電力だけ、電力会社だけに止まることはないでしょう

自分がまっとうな労働者の味方だと信じ込んでいるたぐいの人が、反原発というおまじないで労働者の権利をないがしろにする側にまわってしまうというところに、この事態の恐ろしさがあるということを、「非国民通信」さんとともに、何回でも繰り返しておく必要があるのでしょう。

左派バカと右派バカ@タレブ

池田信夫氏は、自分の言葉で語るとトンデモになりがちですが、人の言葉を引用するときにはなかなかの目利きになります。

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/115331053056565248

>「左派は市場はバカで政府は賢いという。右派は逆だという。両方バカであることに、どちらも気づかない」タレブ

より正確にいえば、市場それ自体が常に賢かったりバカだったりするわけではなく、政府それ自体が常に賢かったりバカだったりするわけでもない。

問題が起こるのは、市場は常に賢く、常に正しく、一見目の前で非道いことが起こっていて、市場が失敗しているように見えても、それは見えざる神の大御心であって、それが信じられないのは、お前の不信心のゆえじゃ、愚か者め、神の言葉を常に拳々服膺し、ゆめゆめ市場も時にはバカなことをするんじゃなかろうかなどと不敬の思いを抱いてはならぬぞよ、と説き続けるような手合いがはびこったりするからでしょう。

市場も政府も、時々バカになります。そういう率直な認識から、イナゴ脱却は始まるのでしょうね。

2011年9月18日 (日)

失踪のJR北社長、違法残業で謝罪の書き置き

これは、今のところよく事情が分かりませんが、

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110918-OYT1T00204.htm

>行方不明となっているJR北海道の中島尚俊社長(64)が自宅に残していた遺書とみられる十数通の書き置きのうち、同社の労組関係者に宛てた1通の内容が17日、判明した。 

 書き置きは、同社が社員に違法な残業をさせていたとして、今年7月に札幌中央労働基準監督署から是正勧告を受けたことに触れ、「申し訳ありませんでした」などと謝罪が記されていたが、失踪の理由には触れていなかった。19日で不明から1週間を迎えるが、真相は依然として闇に包まれている。 

>労組関係者に宛てた書き置きは、A4判の紙1枚にパソコンでタイプ打ちされ、表に宛名、裏に「中島」と署名された封筒に入っていた。同社は7月21日、同労基署から労使協定(36協定)を結ばないまま過去3年間で延べ約800人の社員に違法な残業や休日出勤をさせていたとして、是正勧告を受けた。JR北海道労組によると、中島社長は勧告後の労使交渉で「社員の労働時間を厳正に管理したい」などと陳謝したという。 

 このため、書き置きには「36協定については申し訳ありませんでした」と7月の是正勧告について改めて謝罪が記され、「会社の発展の為に今後もご尽力下さい」と書かれていた。

もし、36協定を締結しないで違法残業させたことを苦にしての自殺だとすると、そこまでしなくてもいいのに、というか、いやもちろん、社長として一定の責任感は当然感じていただく必要はあるにせよ、他の圧倒的多くの「うちでは労働基準法には加入していません」等とうそぶく経営者諸氏の意識や行動等と比較すると、あまりにもまっとうでまっとうすぎる社長の悲劇に、言葉を失います。

現実の日本では36協定は相当程度に空洞化し、ほんとに労働者の過半数代表だか疑わしいような人が社長に呼びつけられて言われたとおり署名するという実態がかなり広がっている一方で、こういう悲劇があると、なんだかなあ、とつぶやきが漏れます。

まあ、社長という商売は、こういうみみっちいことを気にするようではつとまらない、ということだよ、とある種の経営評論家諸氏はいうのかも知れません。その手の評論家諸氏が口を極めて褒め讃えるたぐいの経営者というのは、ファーストフード店のアルバイトを雇用じゃなくて業務委託だと、どんなに理屈がなくても平然と言いつのれる心臓力が必要なのでしょう。

そういう毛の生えた心臓を持ってない人間がなまじ社長なんかやると、こういうつまらないことで自殺をするんだ、監督署の是正勧告如きを気にするようではダメだよキミ、という台詞が聞こえてきそうでもあります。

まあ、いずれにしてもまだ事情がよく分からない中での読売だけの報道なので、あまり踏み込んだコメントはしない方がいいのかも知れませんが。

論争に勝ったといえるのは・・・

まったく同感。

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/114962447726690304

>「論争に勝ったといえるのは、相手があなたの人格を攻撃し始めたときだ」――タレブ

(参考)

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/88e388648e53401a39d8651525f79743

>当ブログは、バカは相手にしないことにしているが、中央官庁の(天下り)官僚が私を名指しで何度も罵倒しているとなると、放置しておくのもどうかと思うので、少し答えておこう。

以前の記事で話題になったhamachanこと濱口桂一郎氏が、いろんな人に「天下り学者」「低学歴」などとバカにされたのを根にもって、ブログで私に繰り返し当り散らしているようだ。私が相手にしないとエスカレートして、
今日の記事では、昨日の私の記事のコメント欄の一節をとらえて「無知蒙昧」とまで書いている。どっちが無知蒙昧かは、私のコメントを読んでもらえばわかる。

「いろんな人」というのは池田信夫氏本人と、そのブログに棲息するイナゴ諸氏のことですが、いずれにせよ、そのリンク先を読めば、分かる人には分かる話ではあるので、まことに「論争に勝ったといえるのは、相手があなたの人格を攻撃し始めたとき」であるという真理が身に沁みます。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/cmt/87a589c70b31090d1f7557c9855d9d2b

>ちなみに、彼の自慢の『世界』論文も、あまりにお粗末な知識に唖然とします:

http://homepage3.nifty.com/hamachan/koyounokakusa.html

<日本でも戦前や戦後のある時期に至るまでは、臨時工と呼ばれる低賃金かつ有期契約の労働者層が多かった。[・・・]彼らの待遇は不当なものとして学界や労働運動の関心を惹いた。>

というように、戦前の雇用形態について問題を取り違え、「臨時工」は昔からかわいそうな存在だったと信じている。そんな事実がないことは、たとえば小野旭『日本的雇用慣行と労働市場』のような基本的な文献にも書いてあります。こんな「なんちゃって学者」が公務員に間違った教育をするのは困ったものです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c013.html(一知半解ではなく無知蒙昧)

>をいをい、明治時代と大正後期~昭和初期をごっちゃにするんじゃないよ。

後者の時代における大きな労働問題が臨時工問題であったことは、ちょっとでも社会政策を囓った人間にとっては常識なんですがね。

(尊敬する小野旭先生が『日本的雇用慣行と労働市場』のどこで、昭和初期に臨時工は何ら社会問題でなかったなどと馬鹿げたことをいっているのか、池田氏は小野先生の名誉を傷つけて平気のようです。)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html(池田信夫氏の3法則)

>現在までの所、池田氏は上で彼が断言した内容について一切触れていません。その代わりに、

>彼の記事には「戦前や戦後のある時期に至るまでは」と書いてあるんだけど、「~時期に至るまでは」という言葉には、明治時代は含まれないんですかね。彼は、もしかして日本語もできないのかな。

という罵倒でごまかしているだけです。これで、まともな人が納得するとでも思っているのでしょうか。彼は、昭和初期を含む「戦前や戦後のある時期まで」に「臨時工がかわいそうな存在であった」ということを否定したのですよ。ましてや、小野旭先生の立派な本にホントにそんなことが書いてあるのかという問いは無視。そして彼のブログは、もっぱら役人や労働組合に対する罵倒で埋め尽くされる。

ここから、池田信夫氏の議論の仕方について、3つの法則を導き出すことができるように思われます。

池田信夫氏の第1法則:池田信夫氏が自信たっぷり断言していることは、何の根拠もない虚構である蓋然性が高い。

もし根拠のあることをいっているのであれば、批判されればすぐにその中身そのもので反論できるはずでしょう。できないということは、第1法則が成り立っているということですね。

池田信夫氏の第2法則:池田信夫氏がもっともらしく引用する高名な学者の著書は、確かに存在するが、その中には池田氏の議論を根拠づけるような記述は存在しない蓋然性が高い。

もしそういう記述があるのであれば、何頁にあるとすぐに答えればいいことですからね。

池田信夫氏の第3法則:池田信夫氏が議論の相手の属性(学歴等)や所属(組織等)に言及するときは、議論の中身自体では勝てないと判断しているからである蓋然性が高い

ここのところ、池田信夫氏があちこちで起こしてきたトラブルにこの3法則を当てはめれば、いろいろなことがよく理解できるように思われます。

学問上の批判を受けたところの自分が断言した言説の中身には一切触れないまま、批判者の人格攻撃に血道をあげている人がいれば、ほぼ上記タレブさんの箴言が当てはまると見てよいのでしょう。

池田信夫氏は大変素晴らしい言葉を紹介されましたな。

2011年9月17日 (土)

hamachan's remarks on 生活保護

昨晩は都内某所で呑み会だったため、世間で話題の某番組は見ていないのですが、なにやら生活保護が問題になっているやに窺われ、本ブログで生活保護についてなにがしか述べたことのあるエントリを再掲して見たいと思います。

それらが、どの程度ネット上の諸氏の問題意識に対応するものであるかどうかは必ずしも定かではありませんが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_30b7.html(メイク・ワーク・ペイ)

>日本の生活保護法は、「財産もなく、年金の受給資格がないか、あっても金額が少なく、しかも働くこともできない高齢者」だけを対象にした法律ではありません。第2条をご覧下さい。これがこの法律の趣旨です。それがおかしいという考え方は十分あり得ます。それなら法改正をすべきでしょう。それをせずに、この「無差別平等」規定を堂々と残したままで、実質的に対象者を絞り込むような(敢えていえば脱法的な)法の運用を厚生省がやってきていたことがおかしいと(少なくとも法制論としては)言わざるを得ません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ad53.html(メイク・ワーク・ペイその2)

>前にも書いたことですが、最低賃金は労働の対価たる賃金なんだから経済の論理、生活保護は憲法に基づく崇高な福祉なんだから連帯の論理というのは、それ自体は正しいんですよ。正しいんですが、そのお互いに絶対的に正しいものが、このたった一つの社会の中で共存しちゃっているんです。共存している限り、その接触点では、モラルハザードが山のように起こりえます。それぞれの正しさに固執している限り、これは解決不可能なんです。

お互いに絶対的に正しいものをただ組み合わせれば、シナジー効果が働いてうまくいくどころか、かえって逆効果が相乗作用を起こしてむちゃくちゃになってしまいます。
ご理解いただいていると思いますが、私は最低賃金だけ、生活保護だけでやれなどということは申しておりません。しかし、哲学の全く相反する複数の制度をただ並列することは破壊的な効果を持ちます。組み合わせるというのであれば、それぞれを抜本的にモディファイしなければならないのです。生活保護を組み合わせようとする限り、最低賃金は経済の論理だけではダメなのですし、最低賃金と組み合わせようとする限り、生活保護は福祉の論理だけではダメなのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c2b6.html(メイク・ワーク・ペイその3)

>世の中には「働ける人」と「働けない人」がいる。もちろん、これも細かく言っていくといくらでも細かい議論はできますが、それは全部ネグって、そういう2種類の人がいる、と。で、働ける人については、私の言うような就労促進的メカニズムを組み込んだ所得補助システムと、低生産性就労者への在職給付メカニズムが必要。一方、働けない人については、就労促進の意味がないので、それに代わる何らかの社会参加促進的な所得補助システムが必要であろう。それは、なにも画一的な年金と柔軟な生活保護の組み合わせという形をとらなければならない必然性はない。柔軟な年金制度があればよい、と。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_fdbe.html(生活保護水際作戦)

>ここでも書いてあるように、「生活保護法では、自治体は申請を必ず受理し、保護に該当するかどうかを審査しなければならず、申請自体を拒むことは違法」です。しかし、うかつに生活保護に入ってこられてしまったら、ほとんど二度と足抜けしなくなっちゃいますから、第一線の福祉事務所としてはあの手この手で水際作戦に走るということになるわけです。

この問題は、憲法第25条と生活保護法の本旨を振り立てるだけでは解決しがたいのです。いったん生活保護を受給しだしたら、下手に働くよりも遙かにいい暮らしが未来永劫続けられるというおいしい仕組みをしつらえておいて、そんなとこに入り込まれては困るから、そもそも(怖ーいやくざ屋さんであるとかの)よほどのことがない限り中に入れさせないという対応を何十年もやってきたことに原因があるわけで。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_de74.html(生活保護水準引き下げ)

>よほどのことがないと制度が受けられないようにしておいて、一旦受給し始めると未来永劫なまじ働くよりもはるかに高い給付が得られるという事態こそが、ある意味で究極のモラルハザードを作っているわけですから、「入りやすくする」、「出やすくする」といった改革と並んで、過度に高い給付を適正化することもやはり重要な改革であることは間違いありません

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_ea5a.html(生活保護が危ない)

>・・・とかく生活保護の問題は、「こんな人にすら生活保護を認めないなんて、なんてかわいそうな!行政はひどい!」論と、「こんな連中にすら生活保護を垂れ流すなんて、なんて甘やかしてるんだ!行政はもっとしばけ!」論という二極の間で振り回されるだけで、全体像をきちんと論じようという姿勢がともすれば見失われがちなのですが、そこのところをしっかりと見据えていて、常に両方の側面をにらみながら問題を追いかけようとしているところです。

2011年9月16日 (金)

年金生活者と非正規労働者の主観的違い(または主な勘違い)

dongfan99さんの例によってブリリアントな分析が見事ではあるのですが・・・。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20110915泥臭い政治

>しかし、近年選挙の趨勢を左右している年金生活者や非正規雇用者は、良くも悪くも団体・組織の拘束から解放されている存在である。既存の政党は、彼らを安定支持層へと組織化する手がかりを、依然としてまったくつかめないでいる。・・・

>この年金生活者や非正規雇用者の支持を獲得するために、まず常識的に考えられる戦略は、年金制度の維持・充実と、健全な雇用の拡大を両立させるような政策論を提示することであっただろう。・・・

>ところが、この10数年の間、各政党とくに民主党が実際に採用した戦略は、全く別のものであった。一言で言うと、「利権政治」「既得権」「官僚支配」への批判を大々的に展開することで、年金生活者や非正規雇用者の政治的な疎外感を煽るという戦略である(自覚的というよりは、結果的にそれが世論に受けることに気づいただけではあるが)。こうした批判がメディアを通じて増幅されるようになると、年金生活者は官僚の利権や無駄遣いこそが自らの医療・福祉を危機に晒していると考え、非正規雇用者は公務員や労組が安定した雇用に守られていることが自分たちの苦境の原因だと理解していくようになる。結果として、「まず議員や官僚が自ら血を流せ!」という類の主張に支持が向かうことになる。

>過去の民主党からみんなの党に至るまでの、「まず議員や官僚が自ら血を流せ!」的な主張は、確かに個々の選挙では年金生活者や非正規雇用者に対する求心力を発揮してきた。しかしそれは、年金生活者や非正規雇用者の本来の利害関心とは対立するはずの「小さな政府」「緊縮財政」志向の政策へと向かわせるだけではなく(デフレ脱却という面からも決して好ましいものではない)、政治家を無意味なパフォーマンスに駆り立てて、政権や政党への支持を不安定で流動的なものにしているという意味で、国民にとっても政治家にとっても、一つもいいことがない。

>戦前の失敗の轍を踏まないためにも、政党は年金生活者や非正規雇用者の生活関心を、具体的な政策を通じて代表していくという当たり前の政治を取り戻すことが必要になるだろう。

この間の政治状況への基本的な認識や、あるべきステークホルダー型の政治の姿など、ほぼ同意見ではあるのですが、正確に言えば、年金生活者と非正規労働者の少なくとも主観的な認識はかなり異なっていると思われます。

それは本ブログでも何回か述べてきたことですが、非正規労働者が、既存の再分配システムから排除されているという意味での被害者意識を持ち、その「ツボ」をくすぐる「既得権」「官僚支配」批判に(それが結局は自分たちへの乏しい再分配のルートすら叩き潰して自分たちを「殺す」ものであるとも気がつかずに)熱狂しているのに対し(このメカニズムはかなり分析されています)、年金生活者は少なくとも主観的にはそうではないのです。

現実の姿を虚心坦懐に見れば、今の年金生活者がもらっているかなりの額の年金が、その昔彼らが若い頃に払い込んだ年金保険料で賄われているわけではなく、今の現役世代が払った金がそのまま右から左に流れていることは当たり前のことではありますが、そしてそう正しく認識すれば、彼らは社会の再分配メカニズムのおかげで生かしてもらっているということを適切に認識するはずですが、残念ながら質の悪い政治家やマスコミや場合によっては経済学者の影響で、あたかも自分たちがその昔払い込んだお金に利子が付いて、いま(ネーション共同体の一員としてのではなく、金銭貯蓄契約の一方当事者の当然の権利として)年金を受け取っているかの如く思いこんでいるケースが多いように思われます。

こういう虚偽意識は、企業その他の組織に所属することによる拘束から自由であるだけでなく、(実際には国家権力による再分配に全面的に依存していながら、それを自らの市場取引による当然の収益と見なすことによって)現実にはあり得ないような異常なリバタリアン的感覚の培養土となっているのではないかと思われます。

これは大変皮肉なことで、アメリカの積立型私的年金で豊かな高齢者が、その下部構造に従ってリバタリアン的意識になるのは自然ですし、ヨーロッパの国家による移転でそれなりに豊かな高齢者が、その下部構造に従って社民主義的になるのも自然なのですが、自分の生計費の出所を完全に誤解することによって、下部構造とはかけ離れた意識を持ってしまい、それがゆえに政治をかき乱すというのは、まことに奇怪な事態と言うべきでしょう。

非正規労働者に対しては、あんな連中を支持しても、今でこそ乏しい君たちへの再分配はますます減るだけだよ、もっと再分配を拡大する方向を支持しなくちゃダメだよ、という戦略論的説得が、少なくとも自己認識を変えることなく可能であるのに対し、上記のような勘違いをしている年金生活者たちは、それでは歯が立たないという点が最大の違いではないでしょうか。

神聖同盟異聞

先日の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-0912.html(ワカモノの味方神聖同盟?)

に、さっそく労務屋さんからお返事。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110915#p1(神聖同盟の準備あります(ただし城氏を除くw))

いやまあ、本田さんのつぶやきとと労務屋さんのエントリに、同じ2ちゃんねる言葉が並んでるのを見て、思わず書いたのですが、城繁幸氏まで入れて神聖同盟とか言ったのは揶揄が過ぎたようです。もちろん、労働者の有り様を真摯に考えているという意味では、

>「高年齢者雇用対策も必要だが、若年雇用対策はそれ以上に強化が必要」という基本的な考え方は、hamachan先生とも共通だと思いますし、たぶん本田先生とも共通だと思います。手法の違いを超えてこの一点だけでhamachan先生や本田先生と「神聖同盟」を結成することには私は決してやぶさかではありません(具体論で孤立してすぐに行き詰まりそうですが)。

であることは間違いないですし、

>城氏については口先では「ワカモノの味方」を自称しているようですが、氏のブログを見ると一般的なタイプの若年に対してはきわめて辛辣であり、まあ氏としてはそうした言説を通じて若年の「意識革命」のようなものを促すことこそが「ワカモノの味方」だと本気で思っているのかもしれませんが、一般的な意味での若者の味方とはいえないような。まあこのあたりは私が半(ママ)リフレ派でhamachan先生と池田信夫先生をいっしょくたにして面白がってるのと同じことですね。

というのもそうだと思います。

まあ、この手の問題は、大体この辺だろうという辺りを最初から言ってると、なまじ足もとを見られて、そういう風にはならないので、お互いに8割くらいのことを言っといて、大体5割くらいで収まるというものですから、まあそういうものだろうとは思っています。

わたし自身は、ありうべき妥協ラインは、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-285d.html(高齢者雇用について論ずべきたった二つのこと)

にも書きましたが、

>現行の対象者選定基準を廃止する代わりに、転籍による雇用確保措置を大幅に認めるというディールはありうるように思われます。

という辺りではないかと思っているのですが。

2011年9月15日 (木)

今後のパートタイム労働対策に関する研究会報告書

とか何とか言ってる間に、パート研は報告書を出してしまいましたよ。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001on6w.html

概要版の方から、関心を引きそうなところをいくつか引用してみましょう。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001on6w-att/2r9852000001opo9.pdf

まず、8条の差別禁止についてですが。

>○ パートタイム労働法第8条の3要件の在り方については、「職務の内容が同一であること」の要件のみでよいのではないかという意見、「人材活用の仕組み・運用等が同一であること」との要件のみでよいのではないかという意見、賃金制度の違いを考慮せず、すべての事業主に対し、一律に3要件を適用していることが問題ではないかとの意見もあった。
さらに、今後のパートタイム労働法の見直しに当たり、第8条の規定を活用したパートタイム労働者の雇用管理の改善の実効を上げていくためには、その適用範囲を広げていくことを検討すべきであり、その際には、第8条の3要件が、企業のネガティブ・チェックリストとして機能しているのではないかとの懸念及び事業所における賃金制度が多様であることに対応する観点から、事業主はパートタイム労働者であることを理由として、合理的な理由なく不利益な取扱いをしてはならないとする法制を採ることが適当ではないかとの意見もあった。

○ この点に関し、労使双方にとり予測可能性を確保するために、「合理的な理由」の考慮要素となり得るものについて、一定の例をガイドラインで示すこととし、行政指導等による履行確保の際に利用するとともに、司法手続で参考とされることを期待することが適当ではないかとの意見もあった。
この場合に、EU諸国において、「合理的な理由」として、雇用形態に係る不利益取扱い禁止原則においては、勤続年数、学歴、資格、職業格付け等、「同一(価値)労働同一賃金原則」においては、労働時間や就業場所の変更にどれだけ対応できるかという点やキャリアコースなどが考慮されていることを踏まえると、日本の雇用システムでの「合理的な理由」の考慮要素の例としても、諸外国の例を参考に、幅広く考えられるのではないかとの意見があった。

「意見があった」「意見があった」と言ってるだけで、何をしようというのかよく分からんという風にも読めますが、よく読むと、「事業主はパートタイム労働者であることを理由として、合理的な理由なく不利益な取扱いをしてはならない」と規定し、その「合理的な理由」は大臣指針で示し、その中身もこういうものにするという趣旨のようにも読めます。

この合理的な理由としてあげられているものは、先日までわたくしも入って議論していた「雇用形態による均等処遇についての研究会」の報告書で書かれたものとほぼ同じイメージですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-8e1c.html

フルタイム有期契約労働者についても、

>このため、パートタイム労働者と同様に雇用管理の改善が必要であるフルタイム有期契約労働者について、実質的に期間の定めがないとみられるものを含め、パートタイム労働法の適用対象の拡大の可否という視点から検討することが重要であると考えられ、有期労働契約の在り方に関する議論を見極めつつ、検討する必要があると考えられる。

と述べています。ここは、今審議会に移って議論している基準局サイドの有期契約法制との仕分けが問題になるところですが、基準サイドはもっぱら入口規制、出口規制の問題でがっぷり四つの状態のようなので、均等問題まで手が回りかねるということなのでしょうか。

一部に大変期待の高い職務分析については、

>○ 職務分析・職務評価の専門家に対するヒアリングの中で、職務評価を実施することにより、通常の労働者とパートタイム労働者のそれぞれの職務評価点が明らかになり、職務評価点に見合った賃金を計算することができ、その差に応じた賃金を支払うことができるとの見解が示された。ただし、職務評価は、単一の賃金体系を企業に要請するものではなく、また、企業にとっての職務の序列を決めるものであり、職務評価点に比例して賃金の水準を一律に決めるというものではない。
ヒアリングの中で、そもそも賃金体系は、職務給、職能給、成果給、属人給等の組合せになっており、職務評価の結果は賃金のすべてを決定するものではないとの意見があった一方で、職務評価のプロセスを企業内で明示することにより、使用者の重視する価値を労使で共有することを契機に、待遇についての議論が進むことが期待されるとの意見もあった。

 ○ 職務評価の特性等を踏まえると、中小規模の企業を含めた事業主に広範に職務分析・職務評価を義務付けることは困難であり、むしろ、事業主が、その雇用管理の在り方やパートタイム労働者のニーズ等の実情に合わせて、職務評価制度を導入し、労使間で職務評価のプロセス及び結果を共有し、これを踏まえ通常の労働者とパートタイム労働者との間の待遇について議論を進めることを促していくことが一つの方向性として考えられる。
このため、事業主が定めるパートタイム労働者の雇用管理の改善等のための行動計画で、職務評価を具体的な取組のメニューの一つとして位置付けることが考えられる。
また、現在、厚生労働省において作成している職務分析・職務評価実施マニュアルについては、より複雑な要素別点数法に基づくマニュアルを作成して事業主に提供することにより、そのニーズに応じた活用を促していく必要があると考えられる

と、若干のリップサービスを伴いつつ、あんまり暖かい感じではなさそうです。

実際、アメリカ型の職務分析をいきなり持ち込んで何か意味のあることが出来るかというと、たぶんあんまり実のある結果にはならないでしょうし。

次の「待遇の納得性」の話が、読んでいくといつの間にか集団的労使関係システムの話になっているあたりも、なかなか面白いです。

>○ パートタイム労働者が説明を求め易くする方策を考えると、現行の規定に加えて、例えば、現在、パートタイム労働指針において規定されている、パートタイム労働者が、事業主に対し、待遇の決定に当たって考慮した事項の説明を求めたことを理由とする不利益取扱いの禁止を法律に規定することが考えられる。

○ 一方、パートタイム労働者からの求めにかかわらず、パートタイム労働者に対し、待遇の決定に当たって考慮した事項について説明することを、事業主に義務付けることも考えられる。しかしながら、これに関しては、一律の規制を設けることよりも、むしろ、事業所ごとの実情に応じ、柔軟なコミュニケーションを集団的労使関係の中で行うことができるような枠組みを設けることの方が重要であるとの意見があった。
パートタイム労働者について、労働組合への組織率は近年上昇傾向にあるものの、特に、業種によっては必ずしもパートタイム労働者の意見が十分反映され得る状況にはないと考えられることから、事業所内における集団的労使関係の在り方について考慮する必要があり、ドイツやフランスの制度を参考に、事業主、通常の労働者及びパートタイム労働者を構成員とし、パートタイム労働者の待遇等について協議することを目的とする労使委員会を設置することが適当ではないかとの考え方がある。
ただし、日本では、一般的には労使委員会の枠組みは構築されていないことから、パートタイム労働者についてのみ同制度を構築することに関して検討が必要となろう。

非正規労働問題を解決する一つの道筋として集団的労使関係に注目すべきというのは、拙著『新しい労働社会』でも強調した点であるわけですが、さりげにこういう形で顔を出していますね。

あとちょっと飛んで、やはりこれでしょう。「勤務地限定」、「職種限定」の無期労働契約。

>○ 「勤務地限定」、「職種限定」の無期契約労働者については、勤務地や職種が限定されていることを志向するパートタイム労働者のニーズに対応し、かつ、無期労働契約となることから、パートタイム労働者の雇用が安定すると考えられる一方で、事業所の閉鎖や職種の廃止の際の雇用保障の在り方について整理が必要と指摘されており、今後、関連判例の内容の整理が必要であると考えられる。

○ また、事業主がパートタイム労働者に対し、「勤務地限定」等の無期契約労働者の選択肢を提示する場合には、その旨を十分に説明するよう義務付ける必要があるのではないかとの意見や、パートタイム労働者にとって、現行の転換措置の水準を切り下げないようにするためには、キャリアアップの観点から、「勤務地限定」等の無期契約労働者に対し、教育訓練等の支援を行うことが必要ではないかとの意見があった。

「ジョブ型正社員」です。

さて、最後の方に、「フルタイム無期契約労働者の取扱い」というのがあります。何が問題になっているか分かりますか?

>○ 有期労働契約の在り方についての検討でも、パートタイム労働法でも、フルタイム無期契約労働者については、保護の対象から外れるものであるため、今後、その実態を踏まえ、何らかの保護が図られるよう検討すべきであるとの意見があった。

いや、これでもやはりよく分からない。では注を。

>無期契約であるが、長期的な観点からキャリア形成を含めた待遇が決定されていない労働者であって、通常の労働者を除く。

たぶん、POSSE流には周辺的正社員とかいうのかも知れませんが、でも実は、それが民法や労働基準法が想定するふつうのフルタイム無期契約労働者なんですけれどもね。それが「保護の対象から外れる」というのも、よく考えると、なんだかよく分からないところではあります。パート法が日本型正社員をモデルに拵えあげた「通常の労働者」という概念が、通常じゃないのですよ。

海老原嗣生さんは近著で、日本の正社員(パート法でいう「通常の労働者」)ってのは、フランスのカードルに当たると喝破してますけどね。

X運輸事件 高年齢者継続雇用と労働条件の不利益変更、同一労働同一賃金原則

L20112079109 『ジュリスト』9月15日号が発行されたので、前号の9月1日号に掲載した判例評釈「高年齢者継続雇用と労働条件の不利益変更、同一労働同一賃金原則 --X運輸事件」をホームページにアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/xunyu.html

この事件、今のところ、労働経済判例速報にしか載っていなくて、そこではなぜか「X運輸事件」となっています。普通、原告の労働者をX、被告の会社側をYと略すのが通例ですが、これは、タイトルでX運輸となっているのを本文でY社といわなくてはいけないという、ややこしいことになっています。

有斐閣の編集部の人は、AとBにしますか?といわれたのですが、それも変なので、やっぱりX運輸をY社と呼ぶことにしました。こういう訳の分からないことにならないよう、判例雑誌の中の人は、会社をXなんて勝手につけないでくださいね。

ていうか、じつはこのX社の本名は、多数組合がフード連合で、少数組合が建交労というのを見れば、組合関係をたぐればすぐ分かっちゃうんですが、まあそれはともかくとして・・・。

中身は、最近マイブーム(?)の高齢者雇用関係ですが、ちょっとひねった切り口になっています。

『季刊労働法』234号

Tm_i0eysjizni2g さて、『季刊労働法』234号が来ました。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004803.html

>ブラック企業という言葉がかなり浸透しています。労働法が職場のルールになるはずなのに、なぜルール違反が横行しているのかという視点から、今号では、労働法のエンフォースメントを検討します。

ということで、まず

特集
労働法のエンフォースメントを考える

鼎談 問題提起・労働法のエンフォースメント
明治大学教授・司会 野川 忍 早稲田大学教授 島田陽一
慶應義塾大学教授 山川隆一

労働安全衛生関連法の実施(エンフォースメント)に関する諸外国の事例
中央労働災害防止協会国際センター所長 田口晶子

企業側実務家から見たエンフォースメントと労働法─労基署を中心に─
社会保険労務士(元労働基準監督官) 北岡大介

このうち、鼎談でも触れられていますが、北岡さんの論文で書かれていることが、大変重要です。

>近年、使用者側から見ても、労基署による労基法のエンフォースメントの在り方に対し、疑問の声が強まっているように思われる。それは二つの方向からの批判であり、まず第1は、労務管理が整っている大企業を中心に過度の行政指導が行われているとの批判である。また第2として、いわゆるブラック企業と称されるような同業者から見ても悪質な事業主に対して、実効性のある指導が展開されておらず、その結果、「正直者が馬鹿を見る」と称するが如き競争上不均等な取扱いを受けることに対する批判である。

北岡さんが最後に述べている私論を交えての今後の展望については、いろいろと意見のあるところでしょう。労働法教育の必要性は私も唱えているところですし、経済団体等による労基法等エンフォースメントの支援はもちろん大事ですが、それこそ昨年東京経協の方とお話ししたときに出たように、そういうのに来る会社はまともな会社で、ハナから守らないような会社はそもそもそういうところに来ないのですよね。

各業界の監督官庁等との連携は大事で、トラック等の長時間運転などはまさにやってますが、たとえば経産省が小売店の営業時間短縮に協力するかなあ・・・・とか。

>第2特集では、ISO26000の発効、OECD多国籍企業ガイドラインの改定、日本経団連企業行動憲章の改定といった動きを見ながら、環境分野などに比べ進んでいないといわれる労働分野におけるCSRを今一度検討してみます

ということで、

第2特集 労働CSRに関する新動向

CSR─法としての機能とその限界
九州大学教授 吾郷眞一

労働に関するCSRの進展とその課題
株式会社日本総合研究所理事 足達英一郎


Image_2 ISO26000(組織の社会的責任)の動向と課題
国際労働財団副事務長(前ISOSR起草委員) 熊谷謙一

CSR報告書と「労働」情報の最近の状況
弁護士 山田靖典

サプライチェーンと人権のCSR
─ラギー報告,ISO26000,OECD多国籍企業ガイドラインの改定から見えてくるCSRの新しい時代と日本─
特定非営利活動法人ACE代表 岩附由香

ここで熊谷謙一さんが書かれているISO26000については、熊谷さん自身が今年解説書を出されています。

http://bookstore.jpc-net.jp/detail/lrw/goods003549.html

>グローバル社会の中で、「組織の社会的責任」のあり方もスタンダード化が求められている。
ISO 26000発行によってそれが示された。ISO 26000とはどのような規格なのか?
5年間起草委員会に携わった筆者が、その背景、内容のポイント、策定のエピソード、活用に向けてのヒントなど経験を踏まえてまとめ上げた一冊。

併せてご紹介しておきます。

その他の論文は、

■研究論文■
経済的従属的就労者と労組法上の労働者
―今回の最高裁二判決を契機として―
青森中央学院大学教授 小俣勝治

■筑波大学労働判例研究会 第32回■
国・中労委(INAXメンテナンス)事件
最三小判・平成23年4月12日・労経速2105号3頁
筑波大学労働判例研究会 中澤文彦

■北海道大学労働判例研究会 第25回■
経歴詐称を理由とする懲戒解雇
メッセ事件(東京地判平成22.11.10労働判例1019号13頁)
放送大学教授 道幸哲也

■神戸労働法研究会 第17回■
豊橋労基署長(マツヤデンキ)事件
名古屋高判平22.4.16労判1006号5頁
神戸大学大学院博士前期課程高度専門職業人コース・社会保険労務士 高橋聡子

■同志社大学労働法研究会 第6回■
民事訴訟法23条1項6号にいう「前審の裁判」と訴訟に先立って行われた労働審判との関係
─小野リース事件(最高裁第三小法廷平成21年(オ)第1727号・平成21年(受)第2059号,損害賠償請求上告事件,平成22年5月25日判決,労働経済判例速報2078号3頁,原審=仙台高裁第2民事部平成21年(ネ)第54号,平成21年7月30日判決,労働経済判例速報2078号9頁)
同志社大学大学院博士後期課程 山本陽大

■アジアの労働法と労働問題 第11回■
台湾団体的労働法の大改正
弁護士・台湾労工委員会法規委員 劉志鵬

■イギリス労働法研究会 第14回■
労働契約における黙示義務の創設
久留米大学准教授 龔敏

■連載■
労働法の立法学(第26回)
OL型女性労働モデルの形成と衰退
労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

ローヤリング労働事件(第2回)
訴訟・仮処分─労働者側の立場から
弁護士・専修大学法科大学院客員教授 井上幸夫

文献研究労働法学(第2回)
非典型労働者の均等待遇をめぐる法理論
姫路獨協大学専任講師 大木正俊

というラインナップです。

このうち、特に読んでおいていただきたいのは、劉志鵬さんの台湾の団体的労働法大改正についての論文です。わたくしは昨年、ソーシャル・アジア・フォーラムで台湾に行き、そこでちょうど成立したばかりの労働組合関係立法について説明を受けて、大変興味をそそられたことは本ブログでも書きましたが、劉さんの論文は、台湾労工委員会法規委員という立法の立場にある立場からわかりやすく解説していて、とても勉強になります。

なお、わたくしの「OL型女性労働モデルの形成と衰退」は、読む人が読めば面白いと思います。

年功賃金を生産性で正当化した議論の心外な帰結

高齢者雇用をめぐる錯綜を解きほぐすためのごく雑駁な議論として。

もともと、年功賃金が労働者の(女房子どもを含めた生活を支えるための)生活給であることは当然の了解でした。

30代くらいまでは一般的に技能があがっていくとしても、40代、50代になっても生産性が上がっていく「から」それにともなって賃金も上げろ!などと現実離れしたことを労働組合側は主張していたわけではないのです。

それに対して、かつての経営側は、そんな生産性も上がらない中高年に高い給料を払うのはおかしい。賃金は職務給にすべきだと言っていたのですね。60年代半ばくらいまでは。

ところが、ジョブ型では人事異動はじめ企業運営がうまく回らないのに気づき、職能給の年功的運用に舵を切った、とここまではよく知られていることです。

問題はここで、なんでそれまで批判していた年功制にするかを「経済学的に」正当化するもっともらしい理屈が必要になったということです。

私の見るところ、その需要に的確に応えたのが、小池和男理論だったのでしょう。

そして、それゆえに、小池理論は始めから高齢者雇用の部分がアキレス腱だったのだと思います。よく指摘されるように、高齢者になるほど知的熟練が上がるなら、何で企業は高齢者を排出したがるのか、説明がつかない。それを非合理だと批判してしまうことは、それ以外の合理性を褒めていることと整合性がつかない、ということです。

高齢者雇用問題は、定年までなんとか噴き出さないようにこらえてきた矛盾を、さらに先に延ばそうとすることなので、本質論をすると、40代、50代の年功賃金が本当に生産性に見合っているのか、という50年前の議論に戻らざるを得ないし、それをしないで進めようとすると、いったんそこでチャラにして、というやり方をとらざるを得ない、という運命があるわけです。

もっとも、本音としての生活給の論理からしても、子どもが独立してしまえばもはや女房子ども込みの生活給の必要性はなくなるので、実は下がっても構わないわけです。

ただ、それは残念ながら、なまじ年功賃金を知的熟練で「経済学的に」うまく説明し切れてしまった理屈とは矛盾してしまうのですね。儂ら高齢者は、若いもんよりずっと知的熟練があるはずなのに、なんでこんな低賃金にするんや?という問いかけに対しては、逆に絶句せざるを得ないからです。その意味ではこれはなかなか皮肉なことであると言うしかありません。

2011年9月14日 (水)

「若者が働いて親を支える」メタファーの射程距離

昨日のエントリへの楠木さんのついったコメントに、斜め方面からの突っ込み。

http://twitter.com/#!/masanork/status/113578452145287168

>親の甲斐性は選べないけど、子育ては努力しようがあるんだから、やっぱり若者が働いて親を支える方がフェアな社会だね / ワカモノの味方神聖同盟?: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

http://twitter.com/#!/toshic2/status/113588236802207744

>親・親族を支えるのはいいが、知らない高齢者まで支えたくはないなぁ…… RT

斜め方面に見えて、実は大変本質的な突っ込みでもあります。

つまり、年金制度とは、ナショナルな共同性に立脚した現役世代から老齢世代への集団的「仕送り」ですから、どこまでが「親・親族」で、どこからが「知らない高齢者」(=あかの他人)なのかをあんまり厳密に議論すると、なかなか大変なのです。

(某ブログの※欄で騒いでいるような、この期に及んでなお年金とは昔々自分が払い込んだお金が戻ってきているだけと思いこんでいるようなただの莫迦はここでは無視して)

年金という共同性で支えることを拒否しても、憲法25条に基づいて生活保護という共同性で支えざるを得ませんから、結局どうあがいても、働かない老人の生活を支えるのは若者を含む現役世代と言うことにならざるを得ません。

「知らない高齢者」を「親・親族」みたいなものだと諦めて、支えるしかないのですが、せめてそういう支えられる人はできるだけ少なくして欲しい、というのが、現役世代としては当然の要求でしょう。「儂らの生活を支えるのはお前らの責任じゃ、とばかり云われたくない」はずです。

ところが、ここに急速な人口の高齢化という要素が入ると、「あれっ?養う親は二人だけのはずだったのに、いつの間にかあちこちからお前の大叔父じゃ、大叔母じゃというようなのがぞろぞろ出てきて、気がついたら5人も6人も老人を養わなくてはいけなくなっていた」というのが、今の日本の現状なわけです。

「若者が働いて親を支える」方がフェアな社会だと云われても、そんなたくさん養うべき「親・親族」が湧いてくるとは思ってなかったよ!というのが正直なところでしょう。

だから、「儂の昔払った年金じゃ、儂がもらうのは当然じゃ」と間違った思い込みを振りかざす老人たちをなだめすかしながら、老人たちにも働いてもらい、払う年金をできるだけ少なくしていくしか、このアポリアを解決する道はないのですよ。

もちろん、そういうマクロ社会的な道理だけで世の中が動いていくわけでもないので、ミクロな利害調整のあれこれがさまざまな箇所で必要になってくることは言うまでもありませんが、ものごとの本筋だけはきちんと見極めて進む必要がありましょう。

2011年9月13日 (火)

ワカモノの味方神聖同盟?

さて、下にOECDの報告書を引いて遠回しにエントリを書いたら、当の労働政策審議会職業安定分科会雇用対策基本問題部会の使用者側委員であられる荻野勝彦さんが、まことにストレートなエントリをお書きになっておられました。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110913#p1(まあ、普通怒るよね。)

おそらく、労務屋さん史上初めてではないかと思いますが、2ちゃんねるのニュース+板から、ものすごい量のコメントを引用して、如何にこの高齢者対策がワカモノに対して非道いものであるかを、物量作戦で証明しようとしておられるようです。

>3 :名無しさん@12周年:2011/09/13 (火) 00:39:24.02 ID:C9Qxvj2I0

若者雇ってよ

6 :名無しさん@12周年:2011/09/13 (火) 00:39:43.32 ID:6eBvTB1O0

あのぉー 若者がマトモに就職できてないんですが・・・・・・

7 :名無しさん@12周年:2011/09/13 (火) 00:40:27.09 ID:EXCIf77S0

また高齢者優遇・・・

労働者人口が減ってるのに、失業者増えてるって状況をいい加減にきちんと把握しろよ

8 :名無しさん@12周年:2011/09/13 (火) 00:40:52.61 ID:ROpGIdzH0

代わりに若者は三年間の失業が義務付けられました

・・・・・・・・・・・・・

これって、今朝引用した本田由紀さんのつぶやきにもありましたね。

http://twitter.com/#!/hahaguma/status/113422679826112513

>政府、高齢者雇用の義務付け強化へ 企業の反発も ネット上では「若者の雇用ェ…(・ω・`*) 」「"代わりに若者に三年間の失業が義務付けられました"」「"そりゃ若者が車買わなくなるのも無理ないな"」などのコメントが。

なんと、日頃は対立することの少なくない荻野さんと本田さんが、ワカモノの味方という一点において神聖同盟を締結することになったようです。

これに、元祖ワカモノの味方中年の城繁幸氏を入れてワカモノの味方三国軍事同盟てなことになったら、笑えます。

http://twitter.com/#!/joshigeyuki/status/113402334742196226

>年金行政の失敗の私企業への押し付けですね。副作用は若年失業と企業の新陳代謝の疎外。

実は前にも書いたように、そして後でも書くように、高齢者がどういう会社でどういう雇用形態で働き続けるのか、若者がどういう会社でどういう雇用形態で働くのか、という側面を抜きにして雇用問題が議論できませんし、その意味では単純に定年延長するという考え方には賛成できませんが、それにしても、若者の2チャンネル発言とはいえ、

>高年齢者を10万人退職させれば若年が1万人でも2万人でも新たに雇われるのならそうしてくれという若年は多いでしょう

というのは、無批判に褒めない方がいいと思いますよ。日本から差し引き8万から9万の労働力が消えて、純粋移転所得生活者にしてしまうということは、その負担がずっしりと若者の肩にのしかかるということですから。

ほんとうは、高齢者雇用問題を根っこから議論するならば、その前の中年時代の処遇をどうするかという議論を抜きに出来ないのですが、これがまたなかなか簡単にいかないので(というか、荻野さんとしては、そう簡単にいかせるわけにも行かないのでしょうから)、どうしても定年後の処遇をがくんと落とすことで、場合によってはどこか別の会社で働いてもらうというやり方でやるしかないということになるわけですが、それにしても、社会全体で稼いで収める側に行ってもらうのか、働かずに若者に養ってもらう側に行ってもらうのか、ということが、この問題を考える上で最も重要なポイントであるということだけは、外さないで議論されることを希望しております。

少し前に書いたエントリは;

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-285d.html(高齢者雇用について論ずべきたった二つのこと)

>単純化してしまえば、問題の本質はこうです。

問題その一、高齢者を働かせずに現役世代の稼いだ金で養うか、それとも自分たちでできるだけ長く働いてもらうか。

問題その二、正社員のポストを高齢者に維持するか、若年者に振り向けるか。

日本経団連にせよ、ネット上で吹き上がっているやに見えるワカモノ(?)にせよ、この第一の問題構造がきちんと理解されているのかどうかが問題です。高齢者を労働市場から追い出しても、自分の懐が痛まないなどと考えてはいけません。高齢者を引退させるということは、現役世代が養うということです。そういうマクロ社会感覚があるかどうかです。

(追記)

本田由紀さんが、「一緒にするな!」(大意)と言われているようであります。

http://twitter.com/#!/hahaguma/status/113588024541069312

>予想通りの展開で苦笑。まぁ、単に高齢者を雇い続けたくないために若年雇用を持ち出す類と一緒にされるのは切ないわけだが。

学校で労働組合を教えよう@イギリス

久しぶりにヨーロッパの話題。

イギリスの「ガーディアン」紙に

>Class war: Unite seeks permission to promote trade unions in schools

という見出しの記事がありました。「クラス・ウォー」?階級戦争?いやいや、クラスはクラスでも、こちらは学校のクラス。学級戦争。いや、戦争じゃないですけどね。英最大の組合Uniteが、学校で労働組合活動について教えに行くことの許可を当局に求めているという記事です。

http://www.guardian.co.uk/politics/2011/sep/12/unite-union-in-schools

>Britain's largest trade union is taking the fight to revive the labour movement's fortunes to classrooms, with plans for school visits by officials. Unite, which has 1.4 million members, will seek permission from education authorities to give talks about trade unionism to pupils aged 15 and 16.

労働運動の活性化のためには、若いうちから、つまり学校にいるからちゃんと教えないと、ということで、15,16歳の生徒たちに組合教育をやろうと云うことのようです。

>Len McCluskey, Unite's general secretary, said visits could take the same form as the citizenship classes taught to 11 to 16-year-olds in England. "Lots of schools have citizenship classes. I think young people are sometimes asked about trade unions and the anecdotal evidence we have is that the vast majority are unable to answer that question. We need to get out amongst young people in the same way that we want to get out to the community."

既に、イギリスの学校では11歳から16歳向けにシチズンシップ教育の時間というのがあるので、そこに労働組合教育を載せるということですね。イギリスも日本ほどではないにせよ、まともに労働組合について答えられる教師が少なくなっているようです。

>Unite hopes to hold trial visits in the autumn before launching a wider programme in the new year. The officials would not seek to recruit members, however. McCluskey said: "We will wait until they start work to do that."

とりあえず秋に試行的にやって、来年から本格的にやるというつもりのようです。

労働のかたまりの誤謬@OECD

昨日、厚労省の労働政策審議会で高齢者雇用の審議が始まったという記事について、

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819481E3E0E2E19D8DE3E0E2EBE0E2E3E39797E3E2E2E2政府、高齢者雇用の義務付け強化へ 企業の反発も

>厚生労働省は12日、厚生年金の支給開始年齢を段階的に引き上げるのに伴い、定年退職時に年金を受け取れない会社員が出る問題について、労使を交えて対応策の協議を始めた。企業に65歳までの再雇用を義務付ける現行の制度をより厳格にする案を軸に議論する。定年の延長の義務化は見送る方向だ。来年の通常国会に関連法案を提出する考えだが、コスト増につながるため、企業の反発は根強い。

 経団連など使用者側、連合など労働者側、学識経験者それぞれの代表で構成する「労働政策審議会」の雇用対策基本問題部会を同日開いた。月2回ほど会議を開き、年内に結論を出す。

さっそく、

http://twitter.com/#!/hahaguma/status/113422679826112513

>ネット上では「若者の雇用ェ…(・ω・`*) 」「"代わりに若者に三年間の失業が義務付けられました"」「"そりゃ若者が車買わなくなるのも無理ないな"」などのコメントが。

着けられているようですが、少なくとも、(雇用形態を別にして)高齢者の雇用を進めることが若年者の失業を生むというような議論は、とっくの昔にヨーロッパではゴミ箱に捨てられています。

46665570coverenglish20812010231m130 この点、わたくしが現在監訳中のOECD『世界の若者と雇用』(明石書店より年内に刊行予定)の中でも、次のように書かれています。より詳細には、是非出版後にお読み下さい。

>高齢労働者が多くの仕事に就くと若者の仕事が少なくなると言われることが多い(Box 2.1)。これは労働市場の機能の仕方に関する神話、いわゆる「労働のかたまりの誤謬」(世の中には限られた数の仕事しかなく、かつ労働者は容易に他の者と代替できる)がもとになっている。OECD(2006a)では、すでにこれらの「命題」のいずれも真実ではないことが強調されている。若年労働者は必ずしも容易に高齢労働者の代わりにはならず、早期退職への助成コストは、労働への課税によって賄われることになるため、若年労働者に対する雇用機会の減少をもたらす可能性がある。近年の研究では、社会保障制度と退職あるいは若年雇用(Gruber & Wise, 2010)との間の関係が詳細に分析されている。

>しかし、若年労働者と高齢労働者の間で雇用のトレードオフ関係があるという一般的なイメージは、とくにこれらが政策決定者の心情に影響するとき重要である。図Bは「高齢者が働き続けるから若者が就ける仕事が少なくなる」という仮説に対する意見を検討している。これはユーロバロメーターのデータをもとにしているため、OECD諸国のうちEU加盟国のみを対象としている。全体では56%の人々がこの意見に賛成しており、26%が強く賛成している。南欧と東欧(たとえばハンガリー、イタリア、ポルトガル、スロバニア)が最も強く支持しており、ギリシャではおよそ80%が賛成、60%が強く賛成している。しかしながら、この地域的なパターンには例外もあり、ポーランドとスペインでは平均以下の支持しかない。デンマークでは高齢労働者が若年労働者の仕事を奪うという意見に賛成する者が群を抜いて少なく、賛成は25%、強く賛成はわずか11%である。アイルランド、オランダ、イギリスでも労働のかたまり仮説に反対する者が過半数であるが、デンマークよりも少ない。

 図Bの詳細な結果は教訓的である。女性は男性よりも顕著に、高齢労働者が若年労働者の仕事を奪うと信じる傾向にある。高齢であるほど、そして学歴が低いほど、人々が高齢まで働くので若者に仕事が少なくなることに賛成する可能性が高い。

 しかし、図Bの下の2つのチャートに示されているように、人々の意見に最も強く影響するのはそれぞれの国の労働市場の状況である。ハンガリー、イタリア、スロバキアの市民は労働のかたまり仮説に賛成しがちだが、これらの国では若者も高齢者も就業率が低い。対照的に、たとえばデンマーク人やフィンランド人は高齢労働者が若年労働者の仕事を奪うとはあまり信じていないが、いずれも、20-24歳層も55-59歳層も就業率が高い国である。近刊予定の『図表で見る世界の年金』ではこの問題を再度論じる予定である(OECD, 2011)。

これからすると、ネット上の人々がOECDの云う労働のかたまりの誤謬を信じ込む傾向にあるとするならば、それは彼らの発想が、就業率の高い北欧型ではなく、低い南欧型であるからなのでしょう。

『経営法曹研究会報』68号

経営法曹会議より、『経営法曹研究会報』68号をお送りいただきました。今回の特集は、『個別労使関係に於いて弁護士・人事担当者が直面する税務・社会保険の諸問題」で、基調講演をされているのは、税務が幡野利通さん、社会保険が北岡大介さんです。

北岡さんはご自分のブログで、その時に書かれていますが、

http://kitasharo.blogspot.com/2011/05/blog-post_18.html

未払割増賃金の遡及払いとか、解雇などのいわゆる「解決金」が、実は課税対象になってしまう、というのは、労働法だけ見ていると気づきにくいことですが、なるほど実務では起こりうるのでしょうね。

このあたり、実務面だけでなく、そもそも税法上どう考えるべきかといった議論も、労働法学会あたりでやってもいいのかも知れません(誰かが)。

原発被曝で病気、労災認定基準を策定へ 厚労省

今朝の朝日の記事ですが、

http://www.asahi.com/national/update/0913/TKY201109120571.html

>厚生労働省は、原発での作業中の被曝(ひばく)が原因でがんなどの病気になった場合、労災にあたるかどうか判断する認定基準作りに乗り出す。現在は白血病や急性放射線症などしか基準がなく、他の病気についても被曝との関係を調べる。東京電力福島第一原発の復旧にあたる作業員の労災申請の増加が長期的に見込まれるため、体制を整える。

先日発行の『POSSE』12号の文章でも労災認定の問題に触れたところですが、安全衛生基準と労災認定基準は本来表裏一体のものですから、当然こういう動きになるわけです。

>労災の認定基準は厚労省の通達で決められている。原発作業などで長期間被曝すると、被曝線量に比例して発がんリスクがわずかに上昇するとされる。白血病の基準は、旧労働省が1976年に出した通達で「年5ミリシーベルト以上被曝」「被曝開始後1年を超えた後に発病」としている。これらの条件を満たせば原則として労災が認められる。

 この基準は白血病の発病と被曝線量の因果関係を医学的に証明したものではない。当時の一般人の被曝限度が年5ミリシーベルトだったため、その数値を労災の基準にしたとされる。

 急性放射線症の基準は「比較的短い期間に250ミリシーベルト以上の被曝」などとなっている。また、通達による基準ではないが、悪性リンパ腫や多発性骨髄腫については、労災と認めた「判例」がある。

 肺がんや胃がんなど、そのほかの病気では、そうした基準や判例がなく、労災申請しても被曝との関係を個別に明らかにしなければならなかった。厚労省は「(ほかの病気は)労災申請自体が少なかったため」としている。被曝を原因とした労災が認められた原発作業員は、これまでに10人にとどまっている。

「判例」というのは、行政による認定事例ということですね。

いずれにしても、相当本格的に広範な研究を踏まえた検討が必要になりそうです。

今年これから研究会を立ち上げて、来年半ばくらいには新認定基準の作成という感じでしょうか。

2011年9月12日 (月)

古川景一・川口美貴『労働協約と地域的拡張適用-UIゼンセン同盟の実践と理論的考察』

古川景一・川口美貴ご夫妻より、大著『労働協約と地域的拡張適用-UIゼンセン同盟の実践と理論的考察』(信山社)をお送りいただきました。

これはすごい本です。お二人の「再構築」論文シリーズの一環として緻密な議論を展開しているところも膨大ですが、そういう労働法学界の枠を超えて、労使関係に関心を持つすべての人が読むべき労使関係論のモノグラフでもあります。

本書でケーススタディとして取り上げられているのは、1970年代末に、愛知県の尾西地方で行われたゼンセン同盟による週休二日制の労働協約の地域的拡張適用の事例です。終戦直後に規定ができてから、企業内組合主流の中でほとんど使われることのないままであったこの規定をフルに活用した事例は、大変スリリングで、是非労使関係に関わる多くの方に読まれる値打ちがあります(後半の労働法理論的分析は斜め読みでも)。

この地域的拡張適用を現場で進めたのは、当時ゼンセン同盟愛知県支部一宮出張所長だった二宮誠さんで、彼がその詳細な事件記録を保管していたのを、著者らが知り、借り出して検討した結果ということです。

二宮誠さんといえば、ゼンセンきってのオルガナイザーとして有名ですが、その若き日の活躍の記録が、こうして労働法研究の素材として役立てられるというのもいい話ではあります。

企業を超えた地域レベルの労働条件設定という本来の労働組合法の精神を伝えるはずの地域的拡張適用が、規定はあれども誰も使わず、という状況にある現在、本書の意味は大変大きいものがあるでしょう。

この二宮さんのやった30年前の事例は地場の中小企業に週休二日制を広げる目的でしたが、今現在これが意味がある課題は何か?という問いには、実は「はしがき」がヒントを書いています。

>・・・この準備作業の開始後、筆者は、2010年の初夏に、ある産別組織から、業務終了後次の業務開始までの休息期間について、東日本の複数県にまたがる企業横断的な業種別の最低基準を定める労働協約を締結し、この労働協約を当該地域の同種の未組織労働者とその使用者全体に拡張適用して、企業間競争力の格差が生じないようにしたいとの相談を受けた。・・・

>本書執筆の重要な景気の一つとなった東日本における労働協約の地域的拡張適用の模索は、本年3月11日に発生した東日本大震災のために、中断を余儀なくされている。しかし、いずれ、復旧・復興が進むにつれて、地域的拡張適用の模索が再開されるであろう。その日が一日も早く到来し、本書が具体的に活用される日が来ることを心より願うものである。

休息期間(勤務間インターバル)規制こそ、次の地域的拡張適用のテーマなのです。

2011年9月10日 (土)

リフレ派の原点@暴言日記

暴言日記さんの、もともと正しい意味でのリフレーション政策派に共感的であった立場からする、ある意味で「お願いだから、元のまともだったあの頃のあなたに戻ってよ!」という心の底からの呼びかけともいうべきエントリ:

http://blogs.yahoo.co.jp/zhang_r/29414641.html

>>しかしこの件についても、「弱肉強食の競争でこそみんながんばる」式のシバキ主義は、リフレ論とはあいいれない共通の敵だと思います。・・・

>私のリフレ派の原点は、ほとんどこの昨年の松尾先生の文章に尽きています。・・・

>右翼と組んでいるのは、そもそもリフレ派の主張の本筋と関係ないから、まあいいという気持ちもあります。しかし、「ナショナリズムにもとづくシバキ主義」の人たちと組むことだけは、絶対に許容できません。

>とにかくリフレ派は原点に戻って、金融政策に理解はあっても「弱肉強食の競争でこそみんながんばる」的な人たちとは手を切り、金融政策への理解自体は乏しくても、需要喚起や再分配に関心を持っている人たちと積極的に共闘すべきです。

話が混線しているのは、そもそもイデオロギー的に許し難い点(ナショナリズムにもとづくシバキ主義)への批判と、政治戦略的な拙劣さ(歴史修正主義的右翼との同盟)への批判(というより揶揄)とが、それぞれに対してより本質的な親和性を有する多様な論者の言説が入り交じる形で進められたため、一体誰がどういう論拠で主としてどういう考え方を批判しているのか、いささかわかりにくくなった面があるのでしょう。

労働福祉系の議論は、ナショナルな共同性を根拠とした再分配を土俵とする面があるので、ある種の「ナショナリズム」の契機を拭い去ることは出来ませんし、世界市民的イデオロギーを振りかざしてそれをむりに押しつぶすと、却って「ウヨ」な方に追いやる危険性もあります。実をいえば、西欧諸国では典型的ですが、日本の「ウヨ」現象の下部構造にも、似たメカニズムはすでに働いているように思われます。

大変皮肉であるのは、リフレ派が暴言日記さんの言うところの「原点」であるはずの反シバキ主義や再分配志向から遠ざかり、「みんなの党」的シバキ主義に近づけば近づくほど、いわばそれと釣り合いをとるかの如く、ナショナリズムを剥き出しにした「ウヨ」方面への接近が生じてくるという現象で、そこにはおそらく、暴言日記さんの言う「リフレ派の原点」を、原点とはかけ離れた形ではあれ、なにがしか維持したいという無意識の願望が歪んだ形で現れている可能性があるように思われます。

もちろん、そのような歪んだ形ではなく、暴言日記さんの言うように、素直に本来の原点である

>しかしこの件についても、「弱肉強食の競争でこそみんながんばる」式のシバキ主義は、リフレ論とはあいいれない共通の敵だと思います。

に戻ることでこそ、より多くの人々の共感を得ることが出来るはずなのですが。

中町誠『労働条件の変更〔第2版〕』

9784502044007_240経営法曹とした活躍しておられる中町誠さんより、新著『労働条件の変更〔第2版〕』(中央経済社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.biz-book.jp/%EF%BC%B1%EF%BC%86%EF%BC%A1%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%B3%95%E5%AE%9F%E5%8B%99%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%EF%BC%8F%EF%BC%95%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E3%81%AE%E5%A4%89%E6%9B%B4%E3%80%88%E7%AC%AC%EF%BC%92%E7%89%88%E3%80%89/isbn/978-4-502-04400-7

>賃金減額や就業規則の変更など労働条件の不利益変更をめぐって、具体的な設問をもとに判例によって積み上げられた理論と実務対応を解説。最新の法令・判例をふまえた第2版。

ということで、フローチャートや図解が豊富で、役に立ちます。

たとえば、そうですね。31頁から32頁に、有名な就業規則の不利益変更に関する最高裁の諸判例を、縦軸に変更の必要性、横軸に不利益性をとって、グラフの上にプロットして、右下がりの線の右上側にその点があると合理性ありと。とてももっともらしくて好きです。

目次は以下の通りです。

第1章 労働協約による労働条件の変更
 1 規範的効力と不利益変更
 2 規範的効力の例外 (その1)
 3 規範的効力の例外 (その2)
 4 規範的効力の例外 (その3)
 5 労働協約の一般的拘束力
 6 一般的拘束力の適用範囲
 7 規範的効力の要件

第2章 就業規則による労働条件の変更
 1 就業規則の不利益変更の法理
 2 「使用者側の変更の必要性」とは
 3 「労働者側が被る不利益性の程度」とは
 4 就業規則の不利益変更の手続要件

第3章 個別合意による労働条件の変更
 1 個別合意の認定 (黙示の合意)
 2 合意の撤回,取消
 3 変更解約告知

第4章 労働条件不利益変更の手法
 1 不利益変更の手順 (その1)
 2 不利益変更の手順 (その2)

第5章 労使慣行と労働条件の変更
 1 労使慣行の成立
 2 労使慣行の改廃

第6章 配転・出向・転籍と労働条件の変更
 1 配置転換の諸問題
 2 在籍出向の諸問題
 3 役 員 出 向
 4 転   籍
 5 各種異動の要件

第7章 企業再編と労働条件の変更
 1 合併と労働条件の変更
 2 合併と労働協約の帰趨
 3 合併と労働条件の不統一
 4 合併と労働条件の統一
 5 事業譲渡 (譲受側の労働者の採用拒否)
 6 解散を伴う事業譲渡 (その1)
 7 解散を伴う事業譲渡 (親会社の責任)
 8 会社分割と労働条件の変更

第8章 個別労働条件変更の諸問題
 1 労働時間の変更 (その1)
 2 労働時間の変更 (その2)
 3 休   業
 4 休日の変更
 5 賃金の変更
 6 一時金 (賞与) の減額
 7 賃金減額の措置
 8 賃金体系の変更(業績・成果主義型の導入)
 9 賃金体系の変更  (年俸制の導入)
 10 退職金制度の変更
 11 退職年金の改訂
 12 福利厚生の変更

第9章 中高年労働者と労働条件の変更
 1 早期退職優遇制度,転職支援制度
 2 定年後の社員の活用策―業務委託,テレワ-クなど
 3 定年制の導入
 4 定年の変更
 5 役職定年制
 6 定年延長と労働条件の設定
 7 再雇用制度の諸問題 (その1)
 8 再雇用制度の諸問題 (その2)
 9 再雇用制度の諸問題 (その3)
 10 雇用延長の中止,退職勧奨
 11 退職の撤回

2011年9月 9日 (金)

『日本の雇用と労働法』(日経文庫)が遂に刊行!

112483本日、わたくしの手元に、新著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)が届きました。日経文庫のシンプルな装丁がいいですね。版元のHPでも、アマゾン等でも表紙の写真がアップされました。ほかの日経文庫とまったく同じです。入門書ということで、Fシリーズ、マークは緑色です。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/11248/

書店に並ぶのは来週15日の予定ですが、ここで、まえがきを公開しておきます。

>まえがき
 
 本書はいささか欲張りな本です。「日本の雇用システム」と「日本の労働法制」についての概略を、両者の密接な関係を領域ごとに一つ一つ確認しながら解説している本なのです。
 書店に行くと、山のような数の労働法の教科書が並んでいます。いずれも法学部やロースクールの学生、法律実務家にとっては必要不可欠な「武器」ですが、他学部の学生や他分野で労働問題に関わっている人々にとっては、いかにも法解釈学的な理屈をこね回した叙述や膨大な判例の山が取っつきにくい印象を与えていることは否めません。
 一方、現実の労働問題を経済学、経営学、社会学などの観点から分析した書物もたくさん出ていますが、労働法的な観点はあまりないか、あってもやや突っ込み不足の感があります。
 文科系と理科系の断絶ほどではないにしても、法学系と社会科学系の間のディシプリンのずれは、労働問題というほとんど同じ社会現象領域を取り扱う場合であっても、なかなか埋まりにくいようです。
 本書は、経済学部、経営学部、社会学部などで労働問題を学ぶ学生にとっては、そこで学んでいる日本の雇用システムのあり方との関係で現代日本の労働法制を理解するための便利な一冊ですし、法学部やロースクールで労働法を学ぶ学生にとっては、そこで学んでいる労働法制がいかなる雇用システムの上に立脚し構築されてきたのかを理解する上で役に立つでしょう。いわば、「二つの文化」を橋渡しする有用な副読本です。
 また、企業や官庁、団体などで労働問題に携わる人々にとっては、現実を分析し、対策を講じていく上で、どちらの手法も必要になりますが、それぞれの分野の緻密で詳細な論文を読む前に、本書でざっくりとした全体像を概観しておくと、頭の中が整理しやすいのではないでしょうか。
 さらに、労働問題についてさまざまな立場から論じている各分野の研究者の皆さんにとっても、素人向けの当たり前に見えることばかりが書いているように見える記述の合間に、玄人にとっても意外な発見があるかも知れません。
 著者は二〇一一年度後期から法政大学社会学部で非常勤講師として「雇用と法」を講義することになり、そのためのテキストとして本書を執筆しましたが、労働問題を総合的に捉えたいと考える多くの読者によって読まれることを期待しています。
 なお、本書の内容についての分野ごとのさらに詳しい説明は、著者のホームページ(
http://homepage3.nifty.com/hamachan/)に収録した論文を参考にしてください。掲載メディアごと及び分野ごとに整理したリストから各論文にリンクが張ってあります。
 本書の刊行に当たっては、日本経済新聞出版社の平井修一さんに大変お世話になりました。心からお礼を申し上げます。
 
二〇一一年九月
                                 濱口桂一郎

「東日本大震災の雇用への影響と対応策」@NPO法人 人材派遣・請負会社のためのサポートセンター

18684634865 NPO法人 人材派遣・請負会社のためのサポートセンターから刊行された『東日本大震災の雇用への影響と対応策』が、各方面に届きつつあるようです。

http://www.npo-jhk-support119.org/theme9.html

>当NPO法人は、毎年、各界から講師を招き、派遣・請負問題に関する勉強会を開催致しております。
 昨年(2010
年)は、労働者派遣法改正案が提出される中、「派遣法改正論議の背景となる日本の社会情勢、経済環境をどう見るべきか」と「提出されている派遣法改正案自体をどう捉えるべきか」の二つをテーマに、それぞれの専門家から講演頂きました。

 その昨年の合計5回、10
名の講師(下記参照)による講演録を発刊致しました。多くの誤解や偏った見方に流されがちな派遣・請負問題ですが、この冊子が、より公平で冷静な論議に少しでも役立つことを期待しております。

 なお、この度の東日本大震災による雇用への影響とその対策について、日本総合研究所の山田久調査部長より緊急提言をいただきました。巻頭特別提言としてこの冊子に掲載させて頂きました。

   ご希望の方は是非お申し込みください。おひとり様につき1部を
無料(本誌・送料とも)でお配り致します。

ということですので、ご注文の方はリンク先へどうぞ。

内容は以下の通りです。

1)巻頭特集:提言

  「東日本大震災の雇用への影響と対応策」山田久日本総合研究所調査部長

2)講演集:2010派遣・請負問題勉強会の講演録

  講演集1.田村正勝早稲田大学教授、大久保幸夫リクルートワークス研究所所長

  講演集2.宮本太郎北海道大学教授、濱口桂一郎労働政策研究・研修機構統括研究員

  講演集3.山田久日本総合研究所部長、阿部正浩獨協大学教授

  講演集4.川野辺裕幸東海大学教授、山川隆一慶應義塾大学教授

  講演集5.諏訪康雄法政大学教授、 大久保幸夫リクルートワークス研究所所長

このサンプルには、冒頭の山田久さんの震災関連の講演と最後の諏訪先生の講演が収録されていますね。

http://www.npo-jhk-support119.org/_file/2010JSGU_sample.pdf

2011年9月 8日 (木)

山下ゆ氏の八代著評

102123先日、本ブログでも取り上げた八代尚宏氏の『新自由主義の復権』について、かつて拙著『新しい労働社会』を書評していただいたこともある山下ゆ氏が、ご自分の「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」で取り上げておられます。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51902584.html(八代尚宏『新自由主義の復権』(中公新書) 7点)

>タイトルが挑発的に聞こえる人もいるでしょうし、また著者が安倍政権から福田政権において政府の経済財政諮問会議の民間議員だったことから、それだけでマイナスのイメージを持っている人もいるでしょう。
 けれでも、この本をきちんと読めば、著者の主張する新自由主義いうものが、たんに「大企業中心主義」や「弱者切り捨て」といったものではなく、ある意味で「リベラル」なものだということがわかると思います・・・。

とりわけ、わたくしが主として取り上げた労働問題については、

>特に労働市場改革については、「同一労働・同一賃金」、「定年制の廃止」、「金銭補償を伴った整理解雇の容認」、「ワーク・ライフ・バランス」などが主張されておリ、例えば社民主義的な立場の濱口桂一郎氏の『新しい労働社会』(岩波新書)の中の主張とも通じるものがあります。

と書かれており、どなたであれ、妙な先入観なしに素直に読めば、このような評価になるのであろうと思われたところです。

もっとも、八代氏に対して点が辛いところもきちんと指摘されており、バランスのとれた書評になっています。

(参考)

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/51709188.html(濱口桂一郎『新しい労働社会』(岩波新書) 9点)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-f2e8.html(八代尚宏と濱口桂一郎の対比)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-4fc2.html(新自由主義は社民主義?)

そこまでリフレ派が追い込まれている証拠@「暴言日記」

最近話題の「ウヨリフ」現象についての、やや醒めた、かつ幾分か同情的な気配もある、しかしながら基本的には「あ~あ」感の漂う、「暴言日記」さんのコメントです。

http://blogs.yahoo.co.jp/zhang_r/29396914.html(どうでもいいんですが )

>まあ、どうもいいんですけど、リフレ派が右翼の人たちとつるむようなった理由もあるんですね。

 まず、リフレ派の基本的な立場は、デフレ下の増税・財政再建は大不況と経済崩壊を招くという理解があり、しかし菅政権以降の民主党はこの崩壊の道を進んでいて、しかも大手メディアもなぜ増税による財政再建に好意的で、リフレ派はどこに言っても極論扱い。私も含めて、社民・福祉国家派の人も増税には好意的。

 焦燥にかられた田中先生たちは、(それまでやや手加減していた)日銀・財務官僚バッシングに舵を切るが、ネット上で単純すぎるとか陰謀論に過ぎないとか、いろいろ批判を浴びる結果になる。結局まともに相手にしてくれるのは、民主党を批判してくれる人たちなら何でもいいという、産経などの右派メディアというわけです。彼らからすれば、リフレ派は「経済のことを何も知らない素人集団」と民主党を説教してくれればそれでいいわけです。

 自分がリフレ派に批判的になったのは、リフレ政策に少し理解があるというだけで、それまでさんざん批判してきたはずの歳出削減・構造改革派と露骨に手を組むようになったことです。社会保障の民営化や削減を言っている人も、日銀の金融政策を批判していればみんなウェルカムなんて、そりゃ言っていることが違うじゃないか、というわけです。

 右傾化したという批判は、若干酷なんじゃないかなあ。そこまでリフレ派が追い込まれている証拠で、それに野田政権の財政再建主義志向には極めて危険なものを感じるので、リフレ派には少し頑張ってほしいという気持ちもありますね。しかし頑張れ頑張るほど、なぜか世の中が逆に向かってしまい、またその少数派意識が、リフレ派の歪んだプライドを醸成し、支持者を減らしていくという悪循環になっているわけですが・・・。

この最後の一節が、「りふれは」を心痛く感じつつ冷ややかに眺める元「リフレ派」の複雑な気持ちを良く表しているようです。

(追記)

それにしても、池田信夫氏にこういうことをいわれているようじゃねえ・・・。

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/111421614775742465

>リフレ派も日銀批判のネタが尽きると、このごろは「学校の成績が悪いから」とか「財務省にコンプレックスを抱いているから」という話まで落ちてきた。次は「ユダヤの陰謀」かな・・・

池田信夫氏の言うことでも、100%正しいこともある、という一つの例。まあ、ご自分も別の相手には似たような言い方をしていたりするわけですが。

若者優遇はもう終わりにしよう@非国民通信

昨日付の「非国民通信」は、「若者優遇はもう終わりにしよう」と題して、大変興味深い、そして真実をえぐったエントリを書かれています。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/6b2f8182078bb8802eb45e3191d4f414

>ふと思うのですが、いわゆる「就職氷河期世代」の人って、自分がまだ若いと思っているのでしょうか。とかく氷河期世代を称する人が「若者が~」と語るのを見かけるわけですけれど、少なくとも「採用する側」の人間から見た氷河期世代は、もうとっくに若者のカテゴリーを過ぎているような気がします。自称氷河期世代だけではなく、若者気分な人々に媚びを売る経済誌(ダイヤモンドとか)でも、何かと若者に職を云々と説かれるわけですが、いざ若者に職をという流れで機会を与えられるのは、氷河期世代よりも一回り下の世代の人々です。・・・・・

この後に続くやや長めの文章は、今わたくしが監訳中のOECD『世界の若者と雇用』の中身とも密接に関わる内容で、いろんな意味で大変興味深いものです。

高梨昌オーラルヒストリー

一応知っている範囲で答えますと、

http://twitter.com/#!/shinichiroinaba/status/111449213459644416

>不謹慎なことに訃報を読んだときに真っ先に思ったのは「誰かオーラルヒストリーはやったのか?」でした。我ながら品位を欠いた。お会いしたことはないがご冥福をお祈りします。

http://twitter.com/#!/train_du_soir/status/111449739039490048

>hamachan先生に聞けばわかると思いますが、たぶん、間に合わなかったんじゃないですかね。

高梨先生自身が組合リーダーたちに対してやったような意味でのオーラルヒストリーではないですが、いくつかの高梨先生が関わった法改正などについて、関係者がいきさつを訪ねて、先生があれこれ答えたものが残っていますね。

それ以前の氏原先生らとともに戦後労働研究を開拓した学者時代からの高梨昌という人間像を描き出すオーラルヒストリーというのは、たぶんされていないと思います。

2011年9月 7日 (水)

neutralerstadtさんの拙著書評

さすがに刊行から2年以上過ぎると、ネット上で拙著を評していただくことも少なくなってきますが、それでもなお『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』に対する、こういうよく読んでいただいていることが伝わってくるような書評を書いていただけるのは嬉しい限りです。

http://booklog.jp/asin/4004311942

>この本は……難しいです(笑)

目新しいと感じたのは、最低賃金の成立背景つまり、家計を補助する学生や主婦が主だったためにその低賃金で良かった(所得主筋は男性である)が、もはやその性格は過去のものとなり、フリーター等はその補完的性格である最低賃金で生活を営まなければならない状況にあり、これは現実社会と醋齬をきたしている。

それともう一つ。労使の団体交渉について、労働組合への加入は管理職を除く正社員であり、利害関係者として管理職や非正規社員は排除されている点。
これだと労使間協議の際、利害を主張できない非正規社員が真っ先に不利益を被ることになる。
しかも、一企業では非正規社員数と正規社員数の比率が逆転しているところもあり、そのような少数の(正規社員の)主張が労働組合全体の主張といえるだろうか、疑問を禁じ得ない。

もちろんその他、主にEU諸国の取り組み事例を紹介し、それをEU礼賛主義ではなく、模倣する際の注意点や批判もあり、丁寧に書かれているにも関わらず読解力の無い(労働問題は全くの門外漢な)僕には理解の難しい点が多く感じました。

偽装請負問題も分かったようで分からない、一知半解の状態で、もう少し社会勉強をしてから読むと面白いのではないかと思いました。

キャバ嬢の労組結成がタイムリーな話題となってるので、これから数年に労働問題のパラダイムを迎えるのは間違い無いと思います。

大原瞠『公務員試験のカラクリ』

9784334036355 光文社新書編集部より、大原瞠『公務員試験のカラクリ』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334036355

とはいえ、どうしてわたくしにこの本が送られてきたのか、今一つよく分からないところがあります。

著者の大原さんは

>一九七四年生まれ。兵庫県出身。公務員試験評論家。大学卒業後、塾講師などを経ていくつかの公務員試験に合格。その経歴を生かして、資格試験スクールや大学で多くの学生に公務員試験の受験指導を行った経験を持つ

という方で、本書の内容は、

公務員はなぜ安定しているのか――まえがきに代えて
【第1部】 不況ニッポンのガラパゴス就活(公務員受験)事情
第1章 大学生たちの苦悩 
第2章 「公務員の魅力」という幻想、志望動機の罠
第3章 社会人受験生の苦悩
【第2部】 公務員試験の周囲にうごめく教育業界
第4章 公務員試験にぶら下がる大学・資格スクール業界
第5章 そもそも資格スクールは必要なのか?
【第3部】 ガラパゴスの生みの親――採用者側の論理  
第6章 公務員試験の謎
第7章 役所は面接で何をみているのか?
第8章 公務員人気の真偽如何? 公務員試験の将来

というものです。

まえがきやあとがきで書かれている、例えば大震災が起きたときに自らも被災者であっても、住民のために身を挺して働くべきノブレス・オブリージュの話は重要ですが、必ずしも本編で書かれていることとそれほどつながっているわけでもないようですし。

官民両方を見渡した新卒労働市場を論ずるという観点もちらちらでてきますが、必ずしも全面的に展開されているわけでもないようです。

ということで、いささかみみっちい枝葉末節の話ですが、まあ、標題が『公務員試験のカラクリ』であって、「公務員制度のカラクリ」ではないこともあり、試験科目の話題をちょっと。

第6章「公務員試験の謎」の131ページあたりから、「入庁後役に立たない科目の筆頭、経済学」という一節から。

>もう一つ、公務員試験の出題範囲で受験生の多くが疑問に感じてやまない話をしておこう。・・・

>・・・そして、こうした文系向けの専門試験に出題される科目の中で、資格スクールの講師陣や公務員試験合格者、さらには現役受験生たちから評判の悪い科目のダントツトップが、経済学なのである。

>評判が悪い理由は、・・・何より「試験合格のためだけに必要で、公務員になった後は役に立たない科目」であると考えられているからだ。

>・・・正直に言って、法律科目とは対照的に、役に立つ場面は少ない。内閣府で経済予測を立てたり、財務省や経済産業省で経済・財政政策を考える高級官僚なら必要だが、県庁や市役所で経済学の理論を頭に思い浮かべながら経済政策を考え、実行している人なんて、現実的にはまずいない。

>百歩譲ったとしても、ごくごく一部の人だ。そもそも公務員試験に出る経済学なんて、ガチガチの経済理論であって、目の前の実務に直接応用できるようなものではないのだから、地方自治体で窓口業務をしている人には、高邁な経済理論なんて百害あってなんとやら、である。

では、なぜ法律科目と並んで経済学が好んで出題されるのかというと、大原氏曰く、

>・・・ところが、経済学は社会科学分野でありながら、学問体系の中に数学的な要素が組み込まれているので、知識の確認問題だけでなく計算問題も出題できる。。・・・受験生の中に苦手意識がしみこんでいることもあり、政治学や行政学などに比べて受験生間の差もつけやすい。これは科目として出題者にとって魅力なのである。・・・

いや、もちろん、これは「公務員試験のカラクリ」という本の中で書かれた、受験生や受験産業講師の目に映った事態の描写であって、それ以上ではありません。

実際、上にも書かれているように、国家レベルでマクロ的な経済社会政策を考える立場になれば、経済理論の素養が必要であることは言うを待ちません。

しかし、地方自治体で泥臭い業務に携わる人々に、どこまで必要なの?という疑問は確かに一理ありましょう。

この本はあくまでも公務員試験の本なのでそれ以上の突っ込みはありませんが、せっかく経済学の話題が出たので、この問題を経済学的に、それも流行の制度の経済学的に分析すれば、大学にむやみやたらに経済学部を作り、むやみやたらに多い経済学の教師がむやみやたらに多い経済学部の学生に経済学を教えるという事態を社会的に正当化する上で、(実際に就職した後でそれが役に立つかどうかはさておいて)少なくとも入口におけるスクリーニングに経済学の知識を問われるという状況を作っておくことは、経済学教授という社会的システムを真に社会が必要とする以上に膨大に維持するという個別利害の観点からして極めて合理的であることだけは間違いないように思われます。

それが、就職後に本当に役に立って、社会全体の厚生水準の向上に貢献するのかといった、マクロ社会的な実質的合理性の問題を無視すれば、という話ではありますが。(うーむ、なんと(悪い意味において)ある種の経済学者に典型的な理屈であることか!)

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f2b1.html(経済学部の職業的レリバンス)

2011年9月 6日 (火)

永松伸吾『キャッシュ・フォー・ワーク』岩波ブックレット

Photo0817 永松伸吾さんから、岩波ブックレット『キャッシュ・フォー・ワーク』をお送りいただきました。ありがとうございます。

ネット上ではかなり人口に膾炙し、多くの人に知られているような感覚を持ってしまうCFWですが、活字の世界ではまだまだいくつかの雑誌記事になっているくらいで、正面からわかりやすく解説した本は、「はじめに」にもあるように、これまで存在してこなかった状態です。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/2708170/top.html

岩波ブックレットという多くの人の手に届きやすい形で本書がまとめられたことを、心から歓迎したいと思います。私の知識も、永松さんのブログ上の記事を読んでのものであり、こういう形で書棚に置いておけるのは嬉しいことです。

リンク先には、「はじめに」の一部が引用されていますが、ここでは、岩波編集部の中山永基さんの紹介文を:

>東日本大震災直後の2011年3月13日,Web上に「被災地にCash for Workを」という文章がアップされました.本書の著者である永松伸吾氏のブログ「減災雑感」の1記事です.そこでは,「キャッシュ・フォー・ワーク(Cash for Work; CFW)」という聞きなれい災害対策が提案されていました.

この提案はインターネット,特にtwitter上で大きな話題を呼びました.専門家と一般市民,被災者とそうでない人たちとの間で,震災から間もない時期に,本当に必要な対策はどんなものか,盛んに議論されたのです.3月23日には,永松氏を中心に,「CFW-Japan」という団体が結成されました.CFWは,これまでの社会運動とは異なる広がり方を示したといえます.その後はネット上の話題にとどまることなく,具体的な支援として現実化の動きをみせています.

CFWとはどのようなものなのか,震災後どのように活用されているのか,詳しくは本書をご覧ください.

上の表紙の写真では小さすぎて見えないかも知れませんが、茶色の帯の一番上のラインに「しごとをつくる、あしたをつくる」というコピーが書かれています。

あとがきに、この言葉の由来が書かれています。

>「しごとをつくる、あしたをつくる。」-この言葉はCFWの本質を非常によく現していると思います。本書で強調したかったことの一つは、CFWとは単に人々の生計手段を確保するための者ではなく、その仕事を通じて地域の復興に貢献するということが決定的に重要だと言うことです。ですから、CFWにおいてしごとをつくるということは、被災地の未来を創造するということに他なりません。

またその仕事とは、決して他から与えられるものではありません。被災した人々が被災地の復興を構想し、そのために必要な仕事を創出していくべきものだと思います。その意味で、この言葉は被災された方々自らが発している言葉なのだと思います。

このコピーは、CFW-Japanのメンバーの一人である(株)日本SPセンターの近藤智子氏の提案によるものです。本書で伝えたかったCFWの意義のほぼすべてがこの言葉に集約されていると思います。本書のむすびに相応しいと思い、ここに紹介した次第です。・・・

(参考)

http://www.disasterpolicy.com/index.html(研究室)

http://disasterpolicy.com/shingoblg/減災雑感

http://twitter.com/#!/shingon72

(追記)

あとがきに出てくる金子良事さんは、CFWの調査で、

http://twitter.com/#!/ryojikaneko/status/110748388630331392

>今日は昔、濱ちゃんのブログ上でやりあったm氏と初対面。まさか、実際にお会いすることになるとは!なんか縁が繋がっている感じのする不思議な旅の始まり。

とのこと。いい成果を期待しています。

石水喜夫さんが京都大学教授に

過去5年間連続して『労働経済白書』を執筆してきた数少ない労働官庁エコノミスト石水喜夫さんが、このたび京都大学大学院経済学研究科・経済学部教授になり、労働経済論を講義することになったそうです。

私信ではありますが、大量印刷の挨拶状の文言ですので、引用しちゃってもいいでしょう。

>厳しい雇用情勢のもと、雇用、賃金、勤労者家計のいずれの面でも満足な状態を作り出せず、政策課題に取り組むための労働経済研究には、大変、重い責任があると考えております。・・・

分野は異なりますが、「政策課題に取り組むための労働法研究」にも、同じように重い責任があると思います。

石水さんも、これまで白書では立場上書けなかったり、せっかく書いても各方面からのあれこれで筆を曲げざるを得なかったところが多々あったと思いますが、これからは自由に筆を振るわれることになるのでしょう。

2011年9月 5日 (月)

『日本人事 NIPPON JINJI』

154020110818084524_m 労務行政研究所より、『日本人事 NIPPON JINJI』をお送りいただきました。ありがとうございます。

記事を書かれているのは、齊藤智文さんと溝上憲文さんの二人です。

http://www.rosei.jp/products/detail.php?item_no=1539

この本については、既に労務屋さんが紹介されていますが、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20110829#p1

ここでは、まず、版元の紹介ページに書かれている「熱い」メッセージから、

>本書は大手企業に入社し、会社という未知の世界に足を踏み入れた若者が、ビジネス現場に立ちはだかる様々な障壁を前に、強い意志と実行力で乗り越えてきた半生を描いた物語である。

ここに登場する15人は入社した時代も違えば業種も異なる。唯一の共通点は営業でも開発でもない人事という仕事に身を置く人物たちである。人事の仕事は給与を計算することでもなければ、リストラをすることでもない。その本質は社員個々人の持つ能力を最大限に引き出し“人を活かす”ことにある。社員にやる気を持って仕事をしてもらうにはどうすればよいのか。それを日々考え続けてきた「人を活かす」プロの職人たちだ。

 ビジネスパーソンはこの本から3つのことを味わうことができる。

 1つは一人の“サラリーマン”という枠組みを超え、自分のやりたい仕事を発見し、自分を磨き、自己実現を図るにはどうすればよいのか。その解決のヒントが生の体験で綴られている。

 もう1つは「人を活かす」プロの職人がこれまでの経験を通して培ってきた部下や同僚など「人をやる気にさせる」ノウハウが随所に埋め込まれている。

 さらに上級幹部にとっても必読だ。経営環境やビジネスモデルの変化に対応すべく、決して部分最適に陥るのではなく、経営の方向性を見据えた全体最適の視点で社員をどのように戦力化し、一つのベクトルに導いていくにはどうすればよいのか。実際の体験に裏打ちされたヒントが綴られている。

 登場する人物たちは、ある時は業績不振に悩み、ある時は会社の合併など事業再編の渦に巻き込まれ、またある時は海外拠点に赴任し、現地経営の采配を振るわなければならないという様々な困難な状況に直面している。そして、それを見事に突破した体験の持ち主である。

 ここに描かれた生の記録には、時代が変わっても決して色褪せることがない教訓が数多く詰まっており、職業人生の貴重な糧となるだろう

目次は次の通りですが、

第一章     共感・実行人事

進化と実行 人の力は「仕組み」によって生かされる

株式会社 良品計画 代表取締役会長 松井忠三

共感と信頼 課題解決の糸口は現場にあり

アサヒビール 株式会社 執行役員人事部長 丸山高見

本質を知る 重要なのは、幅広い経験と自分で考える力

東洋エンジニアリング 株式会社 元・人事部長 遠藤勝己

第二章     グローバル人事

人の心をつかむ グローバル化のカギは、やはり「人事」

株式会社 資生堂 人事部部長 高野幸洋

現場主義と思いやり 「明日に向けて今日から」始める

セイコーインスツル 株式会社(SII) 人事総務本部長 石田由美子

答えを実現する仕事 人事は、あるべき姿を論じてはいけない

江崎グリコ 株式会社 総務人事部 人事グループマネージャー 北山 登 

第三章     キャリア育成人事

信条はフェアネス 会社は、個人が活躍できる舞台であれ

公益財団法人 ソニー教育財団  副理事長 桐原保法

競争と戦略 人事パーソンのキャリア形成は、デュアルラダーで

リスカーレ・コンサルティング代表 湯本壬喜枝

いつも「WHAT‘S NEW?」  プロ意識を持ってキャリアの幅を広げる

法政大学大学院 教授 北原正敏

第四章     場づくり人事

中庸の精神 人事はチェンジエージェント。人ひとりを大切に

日本電気 株式会社(NEC) 顧問 秋山裕和

日常の修羅場 “のたうち回る場”をつくる

新日鉄ソリューションズ 株式会社 人事部 部長 中澤二朗

半歩先を行く クールヘッドで考え、ウォームハートで臨む

株式会社 堀場製作所 管理本部人事担当副本部長 野崎治子

第五章     経営人事

社会正義と利益の両立 人事は、常に経営と向き合う

財団法人 直島福武美術館財団 事務局長 金代健次郎

“汗を流す”社員に光を当てる  会社の成長の時間軸を見極め、経営に向き合う

株式会社 テイクアンドギヴ・ニーズ 取締役 桐山大介

人事は経営 一体意識を常に持ち続ける

トヨタ自動車 株式会社 常務役員 吉貴寛良

実は、かなりの方が人事担当として活躍された大企業から独立されたり関連会社等に移っておられるので、この肩書きだけではちょっとわかりにくいところがあります。

どれもそれぞれに興味深いですが、やはり新日鐵で円高不況の中のリストラに取り組んだ中澤二朗さんの「日常の修羅場 “のたうち回る場”をつくる」は、迫力があります。

あと、アサヒビールの丸山高見さんのところでは、人事よりもむしろ労組専従時代のエピソードが大変面白い。若き「血気盛んな」丸山さんが組合のオルグとして各支部長と激しくやり合っていたころ、

>そんな丸山氏が、深く内省を強いられる場面に遭遇する。中央執行委員会の席上、支部幹部との打ち合わせの報告を求められた丸山氏は、支部と認識が会わないことについて、特に支部長とのやりとりを細かく説明した。そして、「支部長の発言は明らかにおかしい。自分は決して間違っていないと思います」と訴えた。ただし、自分の主張は正しいと思いつつ、内心は「お前、違うだろう」と言われることを覚悟していた。ところが、丸山氏の言い分をじっと聞いていた委員長は、「丸山、お前は正しい」と言った。その瞬間、「全身から一挙に汗が噴き出た」という。

>「『お前、違うだろう』と言われると思っていたら、『お前は正しい』と言われました。その瞬間、『ああ、俺は間違っていたな。俺は支部に何しにいったんだろう』と思いました。営業で言えば、得意先に行って喧嘩をしてきたみたいなものです。得意先の気持ちを掴んで、アサヒを売ってもらうのが営業です。同じように、労組での私の役割は、『支部と一緒になってやろうぜ』と言う状況を作り出すことがミッションではなかったか、と。にもかかわらず、論理で喧嘩するばかりで、自分は一体何を目的に行ったのだろうと思いました」

これは、もう人事や労組を超えて、人間が人間を説得するというのはどういうことなのか、という本質的な問題に触れていますね。

心に沁み入りました。

2011年9月 4日 (日)

『POSSE』12号から編集部Aさんの名言

Hyoshi12先日来紹介している『POSSE』12号。本日は、外部執筆者(講演者)ではなく、「本誌編集部」というネームで載っている鼎談「復興特区と原発事故以降の農漁業をどうするか」から、その中のAさんの発言を。

>・・・結局、戦後の日本社会は、よく規制まみれだとか言われますが、市場に対して個人の生活やコミュニティなどと保障するためのソーシャルな規制はあまりなかったと思うんですね。むしろ、私的な権利が歪んで重宝され、無秩序な農地の転用に見られるように、「自分の土地だから何をやってもいい」みたいな風潮を、企業においても個人においても生んでしまっている気がします。土地を管理するための規制も弱ければ、個人がそういう思想に走らないために、市場にとらわれずに生活が保障されるような社会保障もなかった。個人個人がバラバラに分断され、補助金で市場を媒介して、垂直的に社会に統合されるイメージです。

Aさんがそういう考える根拠になるような事例は、この鼎談でいろいろ語られているので、是非お読みいただきたいですが、それ以上に、この一節は、戦後日本のありようを実によく表現しているように思われます。

戦後日本で「ソーシャル」な規制が後ろに隠れてしまい、「規制」というのはもっぱらエコノミックな規制と意識され、(農地取得の規制のように)一部の者が利権を維持するためのものだからことごとく叩き潰すべしというような発想が、とりわけ安直な政治関係者に満ちあふれるようになった所以も、その辺にありそうな気がします。

『新しい労働社会』第6刷

4311940おかげさまで、拙著『新しい労働社会 雇用システムの再構築へ』(岩波新書)の第6刷が今日届きました。奥付けでは、明日9月5日の発行です。

この2年ちょっとの間、本書に興味を持ち、お買い求め頂く方が絶えることなく続いてきたことには、心より御礼を申し上げます。

昨今は新書本といえども出版時に一時売れればあとは忘れ去られるものが多いだけに、読者の皆さまのご愛顧には感謝の気持ちでいっぱいです。

お買い求め頂くだけの値打ちのある書物であったと少しばかり自負しても罰は当たらないのではないでしょうか。

岩波新書からは今月、水町勇一郎さんの『労働法入門』が刊行されると聞いております。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/5/4313290.html

>日本の労働法は,どのような理念と特徴をもつものなのか.深刻な問題に直面している労働者たちに,どう役立つのか.採用・人事・解雇・賃金・労働時間・休暇・雇用差別・労働組合・労働紛争などの基礎知識をはじめ,欧米との比較や近年の新しい動きも満載.労働法の全体像をやさしく説き明かす,社会人のための入門書.

わたくしも参加した『労働法改革』などで示された水町哲学が、わかりやすく語られていることと思います。

さらに、またまた宣伝になって恐縮ですが、今月にはわたくしの新著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)も刊行されます。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/11248/

>日本の雇用と労働法

1,050円(税込) 新書判 並製 232 ページ

>日本型雇用の特徴や、労働法制とその運用の実態、労使関係や非正規労働者の問題など、人事・労務関連を中心に、働くすべての人が知っておきたい知識を解説。過去の経緯、実態、これからの課題をバランスよく説明。

>著者は労働法や、人事労務の世界で、実務家・研究者から高い評価を受ける気鋭の論客です。

だそうです。

「ダークサイド」戦略

「brighthelmer」さんのつぶやきから、

http://twitter.com/#!/brighthelmer/status/109284856395087873

>突然にすいません。私がリフレ派に嫌気が差したのは、日銀批判の際に極めて単純な「公共選択理論」を繰り出すようになったからです。要は、「自分たちの給料は安定していてデフレだと得だ」とかそういう説明です。それは一歩間違えると下衆の勘ぐりにしかならないわけで。

http://twitter.com/#!/brighthelmer/status/109286935163445248

>経済学素人の私としては、当初のリフレ派の魅力は構造改革派の官僚バッシングとは一線を画したところにあったのですが、それが次第に財務省&日銀批判一色になってしまい、官僚機構の分析としても平板で面白みがなくなってしまったということがあります。

というか、むしろ悪い意味での「コーゾーカイカク」論そのものになってしまい、官僚さえ叩きのめせば世の中は全てうまくいくといったような三流戯画の世界に陥ったわけですが、その辺の理由についても論じられています。

http://twitter.com/#!/brighthelmer/status/109294482247258112

>アカデミックな議論と政策論争は違う。アカデミックな議論では「仮想敵」はあったとしても、「敵」の言うことをきちんと理解したうえで批判する必要がある。政策論争の場合、シュミット的な友敵の論理からは逃れられないので、敵の矮小化・卑小化は避けられないということか。

http://twitter.com/#!/brighthelmer/status/109295430822670337

>学者が(戦闘的に)政策論争にコミットしようとすると難しいのはその線引きで、学者として発言しているのか、それとも政治的アクターとして発言しているのかが外野からは見えにくくなる。とりわけ後者の場合には、学者としての発言を期待していると、失望させられてしまう。

まさに。実例はいちいち挙げる必要はありませんが。

これに対する、これまた絶妙な応答。

http://twitter.com/#!/umedam/status/110269792140791808

>想定している相手が代わると発言の仕方が変わると思います.学者として他の学者ないし相応の知識を持つ相手に発言しているのか,一般人を相手にしているのか.

http://twitter.com/#!/umedam/status/110270529042268160

>それに一般人を相手にしているときには,学者的な発言は支持者を獲得しにくい(ように思われる)ということもあるので.イケノブ氏や城氏があんなふうに信者を獲得しているのを見ると.だからといってダークサイドに落ちるのがいいとは必ずしも思いませんが(暗黒卿!)

この「ダークサイド」という表現が絶妙で、思わず手を叩いてしまいました。

「brighthelmer」さんも、

http://twitter.com/#!/brighthelmer/status/110298153584046080

>確かにそうですね。インターネットの場合、読者には緻密な議論を好む人もいるのですが、多くの人は単純な友敵関係を好むので、どうしても後者に流れてしまうのかもしれません。「ダークサイド」とは言い得て妙ですね。

ネット上で「信者」(=イナゴ)を惹き付け、一旦緩急あれば「敵」の陣地に襲撃をかけるような忠実な信者を増やす上では、この「ダークサイド」戦略は、まことに効果的と言うべきなのでしょう。

アメリカの公正雇用機会法案

ウォールストリートジャーナル日本版の9月2日号に、肥田美佐子さんが「米就活「失業者お断り」の矛盾――空前の買い手市場で」という記事を書かれています。

http://jp.wsj.com/US/Economy/node_299280

中身は是非リンク先に飛んでお読みいただきたいのですが、その中に、

>だが実際のところ、「失業」は、公民権法第7編など、現行の連邦法で差別禁止の理由として挙げられている肌の色や宗教、性別、出身国、年齢といった要因とは一線を画するとされてきた。とはいえ、メディアで再三取り上げられたこともあり、今年2月には米雇用均等委員会(EEOC)による公聴会が開かれ、結果的に、長期間失業している人が多い年長者やアフリカ系、中南米系、女性、障がい者などの差別につながりかねないという指摘が、複数の専門家からなされた。

 4月には、東海岸のニュージャージー州で、失業者を排除する求人広告の掲載が違法化された。ニューヨーク州でも、5月、アンドリア・スチュアート=カズンズ上院議員が、反失業者差別法案を提案している。さらに7月12日には、民主党下院議員らが、採用における失業者差別を禁じた連邦公正雇用機会法案を提出。8月2日には、同様の法案が、ニューヨーク州上院議員などによって提案の運びとなった。

という記述があり、この「公正雇用機会法案」なるものを見てみようと思って探したら、これですね。

http://thomas.loc.gov/cgi-bin/query/z?c112:H.R.2501:

H.R.2501 -- Fair Employment Opportunity Act of 2011

To prohibit discrimination in employment on the basis of an individual's status or history of unemployment.

個人が失業していることまたは失業していたことを理由とする雇用における差別を禁止する。

具体的な規定は第4条です。

SEC. 4. PROHIBITED ACTS.

(a) Employers- It shall be an unlawful practice for an employer to--

使用者が行う以下の行為は違法である。

(1) refuse to consider for employment or refuse to offer employment to an individual because of the individual's status as unemployed;

(1)個人が失業していることを理由に採用を考慮しまたは求人を行うことを拒否すること。

(2) publish in print, on the Internet, or in any other medium, an advertisement or announcement for any job that includes--

(2)以下のような求人広告を印刷物、インターネットその他のメディアで公表すること。

(A) any provision stating or indicating that an individual's status as unemployed disqualifies the individual for a job; and

(A) 失業者は求人に応募する資格がないと明示または示唆する記述、

(B) any provision stating or indicating that an employer will not consider an applicant for employment based on that individual's status as unemployed; and

(B) 失業していることを理由として求人への応募者を考慮の対象としない旨を明示または示唆する記述

(3) direct or request that an employment agency take an individual's status as unemployed into account in screening or referring applicants for employment.

(3)職業紹介事業者に対し、直接または間接に、求人への応募者が失業していることを採用選考において考慮するよう依頼すること。

なかなか面白い法案ですね。

あらゆる労働市場規制を目の仇にしている皆さまは、この法案にどういう見解をお持ちか、聞いてみたい気もしないではありません。

政官民で「国家戦略会議」 首相方針、経済財政の司令塔に

本日の日経から。

http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9693819481E2E1E2E3E08DE2E1E2EBE0E2E3E39F9FEAE2E2E3?n_cid=DSANY001

>野田佳彦首相は3日、新内閣の経済財政運営の目玉として首相直轄の「国家戦略会議(仮称)」を新設する方針を固めた。野田首相を議長に、関係閣僚、日銀、経済界、労働界などの首脳らがそろって参加。経済財政運営の司令塔となり、予算編成や税制改正、社会保障改革など日本が抱える重要課題で基本方針を示す。小泉内閣時代の経済財政諮問会議をモデルに政官民が知恵を集めて日本経済を再生する体制をめざす。

 「国家戦略会議」のメンバーは、首相、古川元久経済財政・国家戦略相、安住淳財務相ら関係閣僚、白川方明・日銀総裁、米倉弘昌・経団連会長、古賀伸明・連合会長ら。学者や企業経営者も参加する見通しだ。同会議は定期的に開催する。

ようやく、わたくしが2年前、民主党政権が出来たときに言っていたことが、実現することになるようです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/minshu.htm(労働政策:民主党政権の課題(『現代の理論』2009年秋号))

>最後に、民主党政権の最大の目玉として打ち出されている「政治主導」について、一点釘を刺しておきたい。政権構想では「官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」としている。これは、小泉内閣における経済財政諮問会議の位置づけに似ている。

 政治主導自体はいい。しかしながら、小泉内閣の経済財政諮問会議や規制改革会議が、労働者の利益に関わる問題を労働者の代表を排除した形で一方的に推し進め、そのことが強い批判を浴びたことを忘れるべきではない。総選挙で圧倒的多数を得たことがすべてを正当化するのであれば、小泉政権の労働排除政策を批判することはできない。この理は民主党政権といえどもまったく同じである。

 労働者に関わる政策は、使用者と労働者の代表が関与する形で決定されなければならない。これは国際労働機構(ILO)の掲げる大原則である。政官業の癒着を排除せよということと、世界標準たる政労使三者構成原則を否定することとはまったく別のことだ。政治主導というのであれば、その意思決定の中枢に労使の代表をきちんと参加させることが必要である

「せーじしゅどー」という名の2年間の遠回りを経て、ようやく労使が政策決定の中枢に参加する仕組みを作る必要に目覚めたわけですね。

2年前に出版した拙著『新しい労働社会』の一番最後のところでも、この問題を取り上げております。

>現在、厚生労働省の労働政策審議会がその機能を担う機関として位置づけられていますが、政府の中枢には三者構成原則が組み込まれているわけではありません。そのため、経済財政諮問会議や規制改革会議が政府全体の方針を決定したあとで、それを実行するだけという状況が一般化し、労働側が不満を募らせるという事態になったのです。これに対し、経済財政諮問会議や規制改革会議を廃止せよという意見が政治家から出されていますが、むしろこういったマクロな政策決定の場に利害関係者の代表を送り出すことによってステークホルダー民主主義を確立していく方向こそが目指されるべきではないでしょうか。 

たとえば、現在経済財政諮問会議には民間議員として経済界の代表二人と経済学者二人のみが参加していますが、これはステークホルダーの均衡という観点からは大変いびつです。これに加えて、労働者代表と消費者代表を一人づつ参加させ、その間の真剣な議論を通じて日本の社会経済政策を立案していくことが考えられます。それは、選挙で勝利したという政治家のカリスマに依存して、特定の学識者のみが政策立案に関与するといった「哲人政治」に比べて、民主主義的正統性を有するだけでなく、ポピュリズムに走る恐れがないという点でもより望ましいものであるように思われます。

(追記)

finalventさんは「極東ブログ」で、

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/09/post-8a53.html(野田内閣の「国家戦略会議」は小泉内閣の「経済財政諮問会議」のふざけた焼き直し)

と言われていますが、いやまあ、2年間の「せーじしゅどー」を思えば「ふざけた焼き直し」と言いたい気持ちも分からなくはないですが、ここはやはり、自民党政権時代には入っていなかった労働者代表がきちんと入り、ヨーロッパ型の労使コーポラティズムに近付いたことを、評価するという立場にもご理解をいただきたいところです。

わたくしとしては、とりあえずこの一点において、野田どぜう店にまず一票。

2011年9月 3日 (土)

「アレな人たち」の絶対矛盾的3原則

いつも絶妙なエッセイで笑わせていただいている常夏島日記の中の人ですが、今回も、

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20110902/p1(政治主導と、ある種の人々が官僚に期待するもの)

ポテト・ニョッキさん、「文部科学省の前を通ったら、「朝鮮学校への高校無償化はんたーい」とか叫んでいるアレな人たちがいたんです」が、その人たちの主張というのが、

>1.文部科学省の公務員は公僕なのだから、国民の奴隷として、国民世論の言うことを聞け、具体的には朝鮮学校に俺たち日本人が払った税金を交付するな

2.やめる間際に朝鮮学校への高校無償化を検討すると言った菅直人はけしからん

3.政治家が無体なことを言っても、それに反対する国士の公務員たれ、君たちエリートだろ

わはは、と笑うかわりに、これら3つの主張を論理的に解析すると、

>1.自分たちの意見こそが民意

2.現在の政権当局者は、選挙で選ばれた国会が認めた政権であるが、民意を負っていない

3.公務員は、国民の奴隷であるがゆえに、民意を負っていない政治家には反逆すべき

これを見て、

>…めちゃくちゃ都合がいい前提ですね

と思うのは、誰もがそう思うでしょうが、こういう風に一般的な形にすると、こういうアレな人たちだけでなく、あの人たちもこの人たちも、本質的には同じロジックを使っているなあ、というのがありありと見えてきます。

>でも、アレな人たちの朝鮮学校の高校無償化反対という主張を前にするとこの前提が馬鹿馬鹿しく見える人であっても、自分の利害がかかっていること、具体的には増税とか特定分野への補助金の廃止とか電力会社のなんとやらとかリフレーションのあれこれとかの話になると、かなり知性的理性的な人でも、上記の囲み内の前提を振りかざすヒトって意外に多いと思うのです。古賀茂明氏に対するシンパシーを言明する人にも同じような臭いが感じられます。

俺様の意見こそが国民の意見なので、真の公僕たる公務員は個々に俺様の意見に従えと。そのために政治主導ってことになってんだろ現在。ところで、政治家は時々へんなことを色々言うが、それに反対してこそ公僕の良識ってモンじゃないのか、きみたちエリートだろ。

これはあまりにも虫が良すぎるような気がするのですが気のせいでしょうか。そういう無体なことを官僚に期待して、官僚がその無体な要求をそこそここなしている限り、君らが言う官僚主導の政治は変わらないんだよボケ。まあ私は別に官僚主導を変えるべきと思っている人のようには、官僚主導を変えるべきとかとは思っていませんが。

しかし、残念ながら、こういう冷静な文章を読んで、我が身を振り返るような自分への真摯さのあるような人は、そもそもネット上で「アレ」な言葉を振りまいたりしてないのでしょうね。

災害救助法の話@『POSSE』

Hyoshi12昨日に続き、『POSSE』12号から、興味深い指摘を、あんまり引用しすぎない程度に。

仁平さんの講演の次に、塩崎賢明さんの「阪神・淡路大震災の失敗を繰り返す仮設住宅問題」というインタビューが載っています。これが、私も知らなかった災害救助法の規定を引いて、説得力ある議論を示しています。

>・・・「みなし」という言い方は、直接供給の応急仮設住宅だけが仮設住宅で、民間賃貸住宅への家賃支給は、本来の仮設住宅ではないという解釈のようですが、災害救助法では、被災者に収容施設を供与することになっており、それを現金支給で行っても良いと定められているのです。ですから、被災者が民間仮設住宅を借りて、仮住まいをするのは、まったく正当で法に合致しているのです。被災者は自分で住宅を選択できるわけですから、こちらの方がニーズに合っています。これも仮設住宅が余ってしまっている原因です

そして、それをさらに一般的な福祉国家のあるべき議論につなげていきます。

>そもそも、みなし仮設のような制度は、震災のあるなしにかかわらず、一般的な低所得者向けの民間賃貸住宅への家賃補助制度としてあるべきです。この制度があれば、自分で生活する体力がある人は、仮設住宅に住む必要はありません。・・・

さらに、塩崎さんは住宅の専門家ですが、仕事の問題にもこのようにコメントしています。これも目を開かれる話です。

>仕事についても支援が必要です。三陸沿岸では漁業が重要ですが、宮城県知事は水産特区などと言って、民間大資本を導入して漁業法人を作り、その会社に漁業権を与えれば、漁業者は仕事が出来るようになるといっています。漁協はみんな反対しています。

>そもそも、それはだいぶ先の話で、秋のサケやワカメなどの漁が迫っていて、そちらを早くやらないといけません。今でも漁には行けるのですが、船を寄せて荷を揚げる場所も、捌く場所もないという港がたくさんあります。船を着けて荷揚げできれば一応仕事が回っていくのですが、それもできません。地盤沈下も進んでいるから、満潮になると浸かってしまい、仕事にならないそうです。漁港の統合など、本格整備は必要かも知れませんが、今月、来月どうするかということに対処できず、だいぶ先の話ばかりされています。

ところが、これも災害救助法で対応可能だというのですね。

>・・・実は、制度的には対応可能で、やるべきです。1947年に出来た災害救助法という法律があり、仮設住宅もこの法律によって作っています。・・・そのあとに生業の支援の項目もあり、「生業に必要な資金、器具または資料の給与または貸与」と書いてあります。つまり、波止場をかさ上げして荷を積めるようにするための資材や、養殖用のロープや網を、あげるか貸すかしなくてはいけないんです。おまけに、それを現物であげる・貸すことが適当でない場合には、お金で渡してもいいとあります。それは知事がやることになっています。知事がやったら国が金を出すという仕組みなんです。・・・

>・・・宮城県知事は、漁師は仕事を始めるのに大きな借金を負うことになるから、そうならないように民間資本を導入すると言っていますが、知事は漁師たちに資材を供給する権限があるんです。そういう意味では、法律に定められていることもきちんと実行しないまま、このままでは漁業もダメかなと考えられています。・・・

まだまだ続きますが、引用しすぎて、『POSSE』の売り上げの邪魔になってはいけないのでこれくらいにしておきましょう。

2011年9月 2日 (金)

仁平典宏ボランティア論@『POSSE』

Hyoshi12 ということで、『POSSE』12号が届きました。ありがとうございます。

>撤収される避難所、再開する漁業、発表される復興計画……。
被災地の復興は、着々と進みつつあるように見えます。

しかし、被災者、特に仮設住宅に入居した都市の被災者は、徐々に「不可視化」され、貧困に陥ることが予想されます。
被災地でいったい何が起きているのか?
これからの被災者支援のために、ボランティア・NPOは何ができるのか?
『POSSE』最新号では、こうした実態や課題を、被災地の現場で活動するNPOスタッフのルポや取材から浮き彫りにしていきます。

一方、震災によって貧困問題が「再不可視化」されはじめています。
しかし、これから被災者が直面するのは、まさにこれまでの日本の社会保障や地域政策の欠如の問題です。
『POSSE』最新号は、その社会構造を浮き彫りにし、貧困問題と被災者支援の連続性を明らかにしながら、被災者支援に不可欠な普遍的な社会保障について問題提起します。

内容については、先日本ブログで紹介したばかりですが、念のため改めて挙げておきますと、

●特集 復興と貧困

後藤道夫(都留文科大学教授)
「脱原発、震災復興になぜ福祉国家構想が必要か」

被災者救援・生活再建のために
普遍的な社会保障が必要


岩田正美(日本女子大学教授)
「震災と社会的排除」

被災者が陥る、貧困と社会的排除
ボランティアにどのような支援ができるのか


塩崎賢明(神戸大学大学院教授)
「阪神・淡路大震災の失敗を繰り返す仮設住宅問題」

被災者にとって重要な「仮住まい」の段階
孤立する被災者に行政とNPOは何ができるか


稲葉剛(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい代表理事)
「「再不可視化」される貧困」

震災で「貧困ブーム」は終わり?
被災者と野宿者を区別せず、生存権概念拡大の運動を


仁平典宏(法政大学准教授)
「ボランティアは何と向き合うべきか」

「市場の時代」と「市民の時代の果て」の震災に、
市民と行政はどうやって手を組むことができるのか


野川忍(明治大学法科大学院教授)
「震災後の雇用法制度改革をどう考えるか」

失業の緩衝装置の整備と
労働組合・NPOへのアクセス保証を


濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構特別研究員)
「原発作業員の安全衛生は守られているのか」

労働者の代表がいない立法手続、
被曝線量が蓄積されない労災補償?

今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

「震災によって顕在化した政策転換の必要 労働市場問題と生活保障政策の連続性」
共同性の解体と福祉の不在が生む貧困
被災者や失業者は「特別」なのか

渡辺龍(河北新報記者)

「津波が流し去った地域産業 南三陸町取材の現場から」
現状維持でも単なる規制緩和でもない、
沿岸部の復興はいまどうなっているのか

渡辺寛人(仙台POSSE事務局)

「仙台市における被災者支援の現場から」
避難所の外側、「みなし仮設」……
〈福祉の真空地帯〉が生まれる実態

遠矢恵美(ライター)

「震災・原発問題で困窮学生が増加? 震災が浮き彫りにする被災学生の現状とは」
仙台で被災者支援をした学生の声を多数紹介

本誌編集部

「被災地で若者のボランティアは何を考えたか」
山積みの瓦礫、高台移転を求める住民
市場と規制、地域産業の新しい関係性を問う

本誌編集部

「復興特区と原発事故以降の農漁業をどうするか」
山積みの瓦礫、高台移転を求める住民
市場と規制、地域産業の新しい関係性を問う


植村邦彦(関西大学教授)
「労働と思想12 ジョン・ロック――労働が所有権を基礎づける?」

自然権、社会契約における労働の意味
なぜ「家僕」は「人民」ではなかったのか


熊沢誠(研究会「職場の人権」代表)
「連載 われらの時代の働きかた 非正規雇用とキャリア分断」


川村遼平(POSSE事務局長)
「連載 労働相談ダイアリー ブラック企業を「辞めさせてもらえない」」

わたくしも原発作業員の安全衛生問題について書いておりますが、それはともかく、まず本ブログで紹介しておきたいのは、仁平典宏さんの講演録「ボランティアは何と向かい合うべきか」です。

この中に出てくる「市民の時代の果て」という言葉が、まことに象徴的だな、と感じました。

阪神・淡路大震災で「市民の時代」が始まって、

>もう政府は頼れないけど、これからは市民の時代だという話が盛り上がりました。これ以降ずっと、「公」はダメ、「民間」が良いという図式が続いています。

>さらに、民主党政権では「新しい公共」が旗印になり、市民の皆さまの力をお借りしますと言うことで、これまで行政が担ってきた部分を、市民セクター、NPOがやることになりました。

ところが一方、

>ゼロ年代はいわゆる「ネオリベラリズム」の時代といわれました。

>・・・こういった動きに対して、ボランティアやNPOは本当は闘うはずなんですが、日本ではボランティアやNPOを進めていた人たちこそが、ネオリベラリズムを進めていました。

>市民にしろ、ネオリベラリストにしろ、両方とも大きな政府が嫌いという点で一致していたんです。・・・だから、今のボランティアやNPOが好きな人の中には、市民社会を自立化する方に頑張り、社会権をちゃんと保障することからは関心はなくなり、国なんて小さい方がいいと思っているような市民も結構います

>・・・しかし、政府を叩いていれば良かった阪神・淡路大震災からは、時代が一つ進んでいるので、もうちょっと慎重に、戦略的にやらなくてはいけないという気がしています。

このあとは、東北地方のさまざまな状況を語りながら、

>・・・だから、政府を叩くだけではダメで、しっかりと公的財源を確保しながらやっていかなければならないと言うことが、今一番気になっています。

>・・・この問題を解決する上で、支援者は、炊き出しのようなサービス提供活動に加えて、社会権の公的保障という問題に踏み込まざるを得ません。

>自分たちができることを探りつつ、行政セクターや市場セクターにも働きかけていくという多角的な活動が、被災した方の自律的な復興をサポートし、孤独死などの問題を防ぐ重要な点だと思います。

と論じています。

こういう社会権の公的保障という話に対応するのが、冒頭の稲葉さんの講演などになるのでしょうね。

そちらなどについては、まあ徐々に。

池田信夫氏や城繁幸氏は社民主義者か?

ネット上にはいろんな考え方の人が居ます。

この「こゆか」さんは、基本的な認識枠組みにおいては、ほぼわたくしと同じであり、

http://twitter.com/#!/koyuka/status/108962196372996096

>長年の間、社民主義勢力が「増税反対、でも福祉充実はしろ」という両立しない主張をしてたので保守系の人は「増税反対は左翼が言うものだ、保守であればオレは賛成すればいいだろ」と勘違いしてた。野田政権が「増税賛成、(高齢者の)福祉充実をしろ」に切り替えた以上、ステージは一個進む。。

(正確に言えば、福祉充実は高齢者だけではなく、むしろ幼児や若年者など人生前半期の社会保障こそが重点でなければなりませんが)

価値判断においてはその対極にあり、

http://twitter.com/#!/koyuka/status/108921944715436032

>成熟社会(先進国)では左派:増税 VS 右派:減税となる。増税バラマキで高齢者向け社会保障を優遇する野田政権が誕生したことで対立点が明確となった。これにカウンターを放つには、非共産党型の、現実的な増税反対、むしろ減税を、という主張をしなければならないし、そうしないと政権とれない

そして、その具体的な人物への適用においては、いささか仰天するような認識を披瀝しています。

http://twitter.com/#!/koyuka/status/108963649032425472

>「増税イコール社民主義」という認識を浸透させないとね。だからこそ「アゴラ」や池田信夫サンやら城繁幸サンやMyNewsJapanは消費増税については賛成しているワケで。とにかくここまでニポン国もキタのだ。これでまだガバナンスとかでズッコケて対立軸が消えたりとかはやめてくれよなーー。

??

これって、もしかして、池田信夫氏や城繁幸氏は社民主義者であると非難しているという趣旨なのでしょうか。

さらに読んでいくと、

http://twitter.com/#!/koyuka/status/107881642122682368

>ようやく最近になって池田信夫サンや城繁幸サンや野田サンの増税+再分配が明確にリベラル主張だと周知されるようになってきた。リスク回避マネー流入による「過差」に過ぎない円高利用の緊急ファシリティで外国企業を買収しろに至っては外国大好きの介入主義だ。これらに対して新保守主義で対抗しよう

ここでいう「リベラル」とは、ヨーロッパで言う「ソーシャル」の対義語としての本来的な自由主義という意味ではなく、アメリカ方言の社民派という意味での「リベラル」であると思われるので、やはり、この方は、池田氏や城氏を社民主義者であるとして非難していると理解せざるを得ないようです。

まあ、人様がどういう理由で褒められようが貶されようが、わたくしに関わりのない話ではありますが、こういう理屈からすると、どうもわたくしは彼らを誉め上げなければならないようで、どうも居心地が・・・。

定年、継続雇用制度とはそもそも何か?

とりあえずのメモ。

>ここで、いままであまりきちんと概念的に詰めて考えてこなかった定年とか継続雇用制度といったものは、そもそも一体どういうことなのかについて考えてみたい。

 本日の話の一番始めに、「定年制とは、労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度である」と述べた。定年以前に雇用保障がどの程度あるのかという問題は別として、一般的にはこれが定年制の定義として通用している。

 しかしながら、もし本当に、定年という言葉がこれだけの意味しかないのであれば、実は定年と希望者全員継続雇用とを法概念的に区別する理由は見いだせないのである。

 これは、今回の研究会報告書が、希望者全員継続雇用制度の義務づけを唱っているだけに、実は本来極めて深刻な問題であるはずであるが、この問題を真っ正面からきちんと取り上げて論じたものは、残念ながら殆ど存在しない。定年と継続雇用という世間的な常識概念に安住して、詰めずに議論をしているものばかりである。

 改めて考えてみよう。定年とは何か。労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度である。では、65歳定年とは何か。労働者が65歳に達したときに労働契約が終了する強制退職制度である。それ以前に、本人が自ら退職することは何ら妨げないが、本人が65歳まで雇われたいといっているのにその意に反して65歳以前に労働契約が終了することはない。ここまではよろしい。では、60歳定年のままでその後希望者全員65歳まで継続雇用するという制度の下において、上の定義「労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度」に相当する定年年齢は一体何歳であろうか。60歳?いやいや、この制度の下においても、本人が65歳まで雇われたいといっているのにその意に反して60歳で労働契約が終了することはないではないか。その年齢で本人の意に反して雇用が終了することがあり得ない年齢が、どうして「定年」なのか?

 おそらく多くの人は「労働契約は終了するが、労働者は継続雇用されるから矛盾はないじゃないか」と思うのではなかろうか。一見もっとも見える。しかし、もしこの理屈を認めてしまうと、例えば55歳定年で60歳まで希望者全員継続雇用という制度は、60歳定年を義務づけた現行法の下では許されないということになるはずである。つまり、60歳定年という法規範は、現実に労働者が60歳になるまで雇用されるということを求めているのではなく、単一の労働契約が60歳まで続くことを求めているという解釈になる。そのような規制は、一体何によって正当化されるのだろうか。労働条件ではないことだけは確かである。なぜなら、高齢者雇用安定法は、定年の前であろうが後であろうが、労働条件についていかなる規制も加えていないからだ。旧定年の55歳で労働条件が大きく下がって新定年の60歳まで雇用が継続されることと、就業規則上の定年は55歳のままで、希望者全員が60歳まで継続雇用される制度とは、実体的には何ら変わらない。その変わらない両制度の後者のみを禁止する法的根拠は何なのか、おそらく誰にも説明は不可能と思われる。現実には、後述の協和出版販売事件のように、旧定年の55歳で一律に嘱託社員にしてしまい、60歳の定年まで継続雇用する制度は存在する。その事案ではもちろん60歳を定年と呼んでいるので何ら問題はないわけだが、では、その同じ制度を、55歳定年で60歳まで嘱託で全員継続雇用と就業規則に書いてあったら高齢法8条違反として無効になるのか?なり得ないと私は考える。もし、なるという人がいれば、その根拠をきちんと説明して欲しい。高齢者雇用安定法8条が求めているのは、希望者全員が60歳まで雇用されるということに尽きる。希望者全員の雇用上限年齢(=強制退職年齢)の前に、一定年齢で一律に行われる労働契約の変更があっても、それは法的には強制退職年齢たる「定年」ではない。これはつまり、労働契約はいったん終了するが労働者は必ず継続雇用される年齢は強制退職年齢だとは言えないことを示している。

 つまり、希望者全員を65歳まで継続雇用する制度が額面通り運用される限り、その制度における上記定義に対応する定年年齢とは65歳以外ではあり得ない。その企業において、就業規則に60歳が定年で、65歳まで希望者全員を継続雇用すると書かれていたとしても、その「定年」という言葉は正確な法律上の概念としては「定年」ではないといわなければならない。定年は65歳であり、60歳とは当該企業において法律上の意味における定年の5年前に退職するものを定年退職扱いする制度、すなわち早期退職制度におけるみなし定年年齢であるといわなければならない。「定年制とは、労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度である」という定義の、これは不可避的な帰結である。

 この問題は、定年と継続雇用という二つの概念が高齢者雇用安定法上に登場した1994年改正時から既に潜在的には存在していた。この時は、60歳定年が私法上の効力を有する強行規定となるとともに、65歳までの継続雇用制度の導入が努力義務とされたのであるが、但し書きとして「ただし、職業能力の開発及び向上並びに作業施設の改善その他の条件の整備を行ってもなお当該労働者の能力に応じた雇用の機会が得られない場合または雇用を継続することが著しく困難となった場合は、この限りでない」と、希望者全員でないことが明示されていた。希望者全員ではないがゆえに、65歳までの継続雇用制度は65歳定年ではないと整理することができたのである。

 これに対し、2000年改正では「定年の引上げ、継続雇用制度の導入又は改善その他の当該高年齢者の65歳までの安定した雇用の確保を図るための措置」の努力義務というざっくりとした規定の一つとなり、まさに65歳定年と65歳継続雇用は概念的に別ものとして規定しながら、その「継続雇用」の定義としてかっこ書きの中に「現に雇用している高年齢者が希望するときは、当該高年齢者をその定年後も引き続いて雇用する制度をいう」と規定した。もしこれが希望者全員という意味であるならば、上述の定年と継続雇用に関する概念整理をきちんとしないまま、「労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する」わけではない60歳という年齢を「定年」と呼ぶという概念矛盾に陥っていたことになる。もっとも、実はこの時にはこの規定はまだ努力義務に過ぎないことを考えれば、ここでいう継続雇用制度の内容は使用者の裁量に委ねられており、対象者を限定することは何ら制約されてはいないのであるから、希望者全員という極限状態においては65歳継続雇用=65歳定年となるが、そうでない限り両者は概念的に区別しうるとも言える。そのような議論がされた形跡は見当たらないが、あえて説明すればそういうことになろう。

 次の2004年改正が、65歳継続雇用を義務化したことは先述の通りである。ここでは、9条1項が65歳定年、65歳継続雇用、定年廃止という3つの選択肢を選択的義務として課し、そのうち継続雇用制度について、9条2項で労使協定による対象者選定基準を規定している。9条2項によって希望者全員でないことが可能とされているので、この場合には60歳が定年で(希望者全員ではない)65歳までの継続雇用の上限年齢は定年ではないことは明らかである。

 では、9条2項をとらずに、9条1項だけで希望者全員の継続雇用制度を導入している企業はどうなのか?上述の理路からすれば、それは制度導入以前の旧定年60歳を、希望者全員がそこまで雇われ続けることができる65歳に引き上げたとしか言いようがないはずである。当該企業の就業規則に「定年は60歳」と書いてあることは、それが強制退職年齢でない以上、法的意義の「定年」であることをなんら意味するものではない。しかしながら、このような厳密な法理論は法律学者自身によってもほとんど行われてはおらず、世間常識に従って、希望者全員継続雇用における継続雇用の始点に過ぎない60歳を「定年」と呼び続けている。

 ところが、今回の研究会報告書は、明確に希望者全員の65歳継続雇用を打ち出している。それは65歳まで(労働条件はともかく)雇用は継続されることを求める制度であり、すなわち、もし定年が「労働者が一定の年齢に達したときに労働契約が終了する強制退職制度」であるならば、65歳定年を求めていることを意味する。65歳定年であるということは、少なくとも高齢者雇用安定法上においては、60歳で一律に嘱託社員にして希望者全員を65歳まで雇用する制度を何ら排除するものではないからである。

 とすれば、研究会報告書が65歳定年の義務づけには否定的で、希望者全員の65歳継続雇用を志向していること自体が、一体何を意味しているのかという疑問を呼ぶはずである。なぜなら、就業規則上で60歳定年、65歳まで希望者全員継続雇用とあっても、それは法律上の65歳定年の義務づけを充たすとしか言いようがないからである。この点については、この後すぐに論じるが、いずれにしても、高齢法上の「定年」「継続雇用」を真剣に論じようとすれば、実は以上のような議論をくぐり抜ける必要が本来はあるはずである。残念ながら、そのような議論は行政だけでなく、研究者においてもまったくされていない。これは知的怠慢ともいうべき事態と思われる。

 とはいえ現実には、厳密な強制退職年齢という意味での定年概念とは異なる常識的「定年」概念に立脚した形で定年後継続雇用という制度が進められ、法制的に規制がされようとしつつある以上、その非厳密的「定年」概念に立脚した形で以下の議論を進めていかざるを得ない。従って、あらかじめ述べておくが、以下でいう「定年」とは、強制退職年齢ではない。それが何であるかは、むしろ議論の中から浮かび上がって来るであろう。

速報 厚労相に小宮山洋子氏

http://www.asahi.com/politics/update/0902/TKY201109020118.html

>野田佳彦新首相は2日、厚生労働相に小宮山洋子厚労副大臣(62)の昇格を決めた。衆院東京6区選出で当選4回

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-8e1c.html(雇用形態による均等処遇についての研究会)

に、ほぼ毎回出てきておられました。

2011年9月 1日 (木)

『季刊労働法』234号の予告

労働開発研究会のHPに、『季刊労働法』234号の内容が予告されています。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004803.html

特集は「労働法のエンフォースメント」

>ブラック企業という言葉がかなり浸透しています。労働法が職場のルールになるはずなのに、なぜルール違反が横行しているのかという視点から、今号では、労働法のエンフォースメントを検討します。

■鼎談 問題提起・労働法とエンフォースメント 
    野川 忍 島田陽一 山川隆一
■労働安全衛生関連法の実施(エンフォースメント)に関する諸外国の事例 田口晶子
■企業側実務家から見たエンフォースメントと労働法 北岡大介

これは興味深い話が展開されていそうです。

第2特集は「労働CSR」

>第2特集では、ISO26000の発効、OECD多国籍企業ガイドラインの改定、日本経団連企業行動憲章の改定といった動きを見ながら、環境分野などに比べ進んでいないといわれる労働分野におけるCSRを今一度検討してみます。

第2特集 労働CSRに関する新動向
■CSRー法としての機能とその限界 吾郷眞一
■労働に関するCSRの進展とその課題 足達英一郎
■ISO26000(組織の社会的責任)の動向と課題 熊谷謙一
■CSR報告書と「労働」情報の最近の状況 山田靖典
■サプライチェーンと人権のCSR 岩附由香

そして、その他には・・・・・・

研究論文等
■労働法の立法学 OL型女性労働モデルの形成と衰退 濱口桂一郎
■労働事件ローヤリング 訴訟・仮処分 井上幸夫
■文献研究労働法 非典型労働者の均等待遇をめぐる法理論 大木正俊

というわけで、わたくしの連載は、女性労働問題です。ふつうの女性労働問題の論文だったら出てこないような、かつての伝統的な女性人事管理のホンネを、裁判例における企業側の主張などを使って浮き彫りにしております。是非ご一読を。

実の政治軸、虚の政治軸

Book32 生活経済政策研究所より、小冊子『15周年記念シンポジウム ポスト3.11の構想-日本の政治と社会-』をお送りいただきました。

http://www.seikatsuken.or.jp/publish/books/book032.html

去る6月4日に行われたシンポジウムの記録ということで、次のような方々が発言しています。

シンポジウム第1部 政治

・はじめに 大沢真理/コーディネーター、東京大学社会科学研究所教授
・パネリストからの発題
・現場力と根源的な政治 住沢博紀/日本女子大学家政学部家政経済学科教授
・生活第一のゆらぎ 宮本太郎/北海道大学大学院法学研究科教授
・リスク国家日本 山口二郎/北海道大学大学院法学研究科教授
・第1部質疑討論

シンポジウム第2部 社会と労働

・社会的脆弱性
・パネリストからの発題
・再生可能エネルギーの促進 アンドリュー・デヴィット/立教大学経済学部教授
・労働法転換の要因 浅倉むつ子/早稲田大学大学院法務研究科教授
・自然災害の歴史 駒村康平/慶應義塾大学経済学部教授
・第2部質疑討論

まあ、おなじみの方々ですが、ここでは前半の政治のところから、住沢さんと宮本さんの発言を若干引用しておきます。

昨今の「りふれは」問題を始めとするさまざまな問題の根っこが、ここで語られているように思うからです。

>住沢 ・・・しかし、現実の政治が動いているのは、この図でいう「実の政治軸」ではなくて、むしろ「虚の政治軸」。思いつきの政治と、もう一方ですごくイデオロギッシュな、国家のリーダーシップがいるだとか、挙国一致内閣がいるだとか、そういう危機管理国家のイメージです。実際にやっている議論は、横軸の「虚の政治軸」で動いているわけです。

菅さんが思いつきの政治ということで批判を浴びております。菅さんに限らず、この間、橋下大阪府知事、河村名古屋市長を含めて、「ポピュリスト」と政治学でいいますけれども、大衆を扇動して、大衆に迎合していくような政治のスタイル、これは今回の地方選挙で大きな成果を挙げました。この人たちの政治スタイルは何なのだろうか。菅さんはおそらく、主観的には、今回の再生可能エネルギーの買い上げの話にしても、市民感覚で現場主義に近いと思っているかも知れませんが、冷静に見れば橋下さんとか河村さんと同じような系列になってしまっています。

その特徴は何かといいますと二つありまして、一つは、政策を自分の政治家のキャラクターと一緒にしてしまう。自分の個性を前面に出して、何度も宣伝して、「私はこれにこだわっているんだ」と。・・・もう一つは、その政策自身の敵を作る。誰が仮想的な敵か。誰が反対勢力か。敵を作っていく。こういう構造によって非常にわかりやすい政治を作っている。

>・・・私としてはそういう現在の「虚の政治軸」をもう一度「実の政治軸」に戻していきたいと思っております。

宮本さんの次の言葉は、そういう「虚の政治軸」を振り回す人々が、どういうやり方をしてきているかをよく示しています。

>宮本 ・・・ところが、今そのアクティベーションの視点に立った社会保障と税の一体改革に関しては、民主党の中の調査会の議論を見てみると、残念ながら、デフレのさなかでこんなことできないとか、震災の影響があるとかいう話もありますけれど、増税という旗は掲げたくないという議論ばかりが目につく。むしろ有権者の方が「きちっと使ってくれるならば、今は増税やむなしではないか」と、そういう世論がこれだけ高まっているときに、そこから逃げまどっているところがある。その水脈もかなり危機に瀕しているということになっているのだろうと思います

まことに、逃げまどう政治家も最低なら、そういう風に扇動するインチキ評論家も最低です。

「増税」と対立するのは「反増税」ではない@小黒一正

日経ビジネスの記事です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110829/222303/?top_updt(「増税」と対立するのは「反増税」ではない 社会保障費の削減が政治的に主張されない理由)

私は、この記事で小黒氏が主張している社会保障費の削減に賛成しているわけではありません。

しかしながら、虚な対立軸で大騒ぎしている人々がネット上に大量に発生しているのを見るにつけ、この小黒氏のいう極めてシンプルな真理「「増税」と対立するのは「反増税」ではない」が、もう少し世の人々にきちんと理解されることが望ましいと考えています。

>政治の世界では「増税」vs「反増税」という対立軸が話題になることが多い。だが、これは本当の対立軸ではない。歳出の約半分に及ぶ財政赤字や、公的債務(対GDP)がもはや200%に達しつつある日本の財政状況を踏まえれば、本当の対立軸は「増税」vs「歳出削減」である。

 このため、政治が歳出削減を重視する場合、社会保障予算の削減から逃避することは許されない。現状の財政・社会保障は持続可能でない。特に、社会保障予算は毎年1兆円以上のスピードで膨張している。経済学に「ノー・フリーランチ(ただ飯はない)」という言葉がある。何らかの便益を受けている経済社会が、そのコストを支払わない状況は基本的に維持できない。

 つまり、「反増税」とは「社会保障の削減」を意味するはずである。「反増税」の立場に立つにもかかわらず、社会保障費の削減を主張しない政治は無責任である(当然、増税と歳出削減の両者を進める選択もある)。

まったくそのとおりです。いや、小黒氏の考え方の方向性が、ではなく、議論のあるべき交通整理が、です。

まさに、

>「反増税」とは「社会保障の削減」を意味するはず

であるにもかかわらず、社会保障の削減には口をぬぐって税金を取られる局面ばかりをフレームアップして反増税を声高に叫ぶ一部の人々は、小黒氏のいうとおり、「無責任」というべきでしょう。

そういう日本一の無責任男の無責任な議論ばかりが土俵の中心を占めるがゆえに、

>本当の対立軸は「増税」vs「歳出削減」である

という本当の対立軸が見えなくされてしまうのでしょう。

もちろん、増税によって拡充すべき(と私は考える)社会保障の中身については、高齢者に過度に偏った今までの在り方から、幼年期から若年層までのいわゆる「人生前半期」に大幅に資源を再配分しなければならず、そのことは先日の厚生労働白書でも明示されていたわけですが、それにしても、この本当の対立軸を隠して、チルドレン的な「反増税論」ばかりがまかり通る限り、日本の政治の議論は子ども学級会よりも低いままでしかないのでしょう。

教育と職業@『文部科学白書』

今年度版の文部科学白書は、特集2として「教育と職業」を取り上げています。

ブツ自体は9月に刊行されるということですが、文科HPに要旨が載っているので、若干引用。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/08/__icsFiles/afieldfile/2011/08/22/1310054_05.pdf

この言葉の一つ一つが、今までの文部行政の姿勢に対する批判の言葉になっているということを、白書を執筆した人は分かっているのでしょうね。

>現在の若者は,大きな困難に直面している。
 若者の完全失業率や非正規雇用率の高さ,新卒者の就職内定率の低さ,若年無業者や早期離職者の存在など,「学校から社会・職業への移行」が円滑に行われていないという点に顕著に表れている。

>このような中,大学については,「将来の職業に関連する知識や技能」について,約4割の学生は「これまでの授業経験は役立っていない」又は「あまり役立っていない」,約8割の学生は「自分の実力は不十分」又は「あまり十分ではない」と回答する調査があるなど,学生のニーズに対応した教育が十分に提供されていない状況も見られる。

>このほか,高等学校の普通科や大学に進学すること自体を評価する社会的風潮が根強く存在する中,社会全体を通じて,職業に関する教育に対する認識が不足していることが指摘されている。
 その結果,安易に進路選択をするなど職業へ移行する準備が十分に行われておらず,そのことが,新卒者の早期離職や若年無業者の存在などの問題に影響を与えていると考えられる。

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