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2011年9月17日 (土)

hamachan's remarks on 生活保護

昨晩は都内某所で呑み会だったため、世間で話題の某番組は見ていないのですが、なにやら生活保護が問題になっているやに窺われ、本ブログで生活保護についてなにがしか述べたことのあるエントリを再掲して見たいと思います。

それらが、どの程度ネット上の諸氏の問題意識に対応するものであるかどうかは必ずしも定かではありませんが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_30b7.html(メイク・ワーク・ペイ)

>日本の生活保護法は、「財産もなく、年金の受給資格がないか、あっても金額が少なく、しかも働くこともできない高齢者」だけを対象にした法律ではありません。第2条をご覧下さい。これがこの法律の趣旨です。それがおかしいという考え方は十分あり得ます。それなら法改正をすべきでしょう。それをせずに、この「無差別平等」規定を堂々と残したままで、実質的に対象者を絞り込むような(敢えていえば脱法的な)法の運用を厚生省がやってきていたことがおかしいと(少なくとも法制論としては)言わざるを得ません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_ad53.html(メイク・ワーク・ペイその2)

>前にも書いたことですが、最低賃金は労働の対価たる賃金なんだから経済の論理、生活保護は憲法に基づく崇高な福祉なんだから連帯の論理というのは、それ自体は正しいんですよ。正しいんですが、そのお互いに絶対的に正しいものが、このたった一つの社会の中で共存しちゃっているんです。共存している限り、その接触点では、モラルハザードが山のように起こりえます。それぞれの正しさに固執している限り、これは解決不可能なんです。

お互いに絶対的に正しいものをただ組み合わせれば、シナジー効果が働いてうまくいくどころか、かえって逆効果が相乗作用を起こしてむちゃくちゃになってしまいます。
ご理解いただいていると思いますが、私は最低賃金だけ、生活保護だけでやれなどということは申しておりません。しかし、哲学の全く相反する複数の制度をただ並列することは破壊的な効果を持ちます。組み合わせるというのであれば、それぞれを抜本的にモディファイしなければならないのです。生活保護を組み合わせようとする限り、最低賃金は経済の論理だけではダメなのですし、最低賃金と組み合わせようとする限り、生活保護は福祉の論理だけではダメなのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_c2b6.html(メイク・ワーク・ペイその3)

>世の中には「働ける人」と「働けない人」がいる。もちろん、これも細かく言っていくといくらでも細かい議論はできますが、それは全部ネグって、そういう2種類の人がいる、と。で、働ける人については、私の言うような就労促進的メカニズムを組み込んだ所得補助システムと、低生産性就労者への在職給付メカニズムが必要。一方、働けない人については、就労促進の意味がないので、それに代わる何らかの社会参加促進的な所得補助システムが必要であろう。それは、なにも画一的な年金と柔軟な生活保護の組み合わせという形をとらなければならない必然性はない。柔軟な年金制度があればよい、と。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_fdbe.html(生活保護水際作戦)

>ここでも書いてあるように、「生活保護法では、自治体は申請を必ず受理し、保護に該当するかどうかを審査しなければならず、申請自体を拒むことは違法」です。しかし、うかつに生活保護に入ってこられてしまったら、ほとんど二度と足抜けしなくなっちゃいますから、第一線の福祉事務所としてはあの手この手で水際作戦に走るということになるわけです。

この問題は、憲法第25条と生活保護法の本旨を振り立てるだけでは解決しがたいのです。いったん生活保護を受給しだしたら、下手に働くよりも遙かにいい暮らしが未来永劫続けられるというおいしい仕組みをしつらえておいて、そんなとこに入り込まれては困るから、そもそも(怖ーいやくざ屋さんであるとかの)よほどのことがない限り中に入れさせないという対応を何十年もやってきたことに原因があるわけで。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_de74.html(生活保護水準引き下げ)

>よほどのことがないと制度が受けられないようにしておいて、一旦受給し始めると未来永劫なまじ働くよりもはるかに高い給付が得られるという事態こそが、ある意味で究極のモラルハザードを作っているわけですから、「入りやすくする」、「出やすくする」といった改革と並んで、過度に高い給付を適正化することもやはり重要な改革であることは間違いありません

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_ea5a.html(生活保護が危ない)

>・・・とかく生活保護の問題は、「こんな人にすら生活保護を認めないなんて、なんてかわいそうな!行政はひどい!」論と、「こんな連中にすら生活保護を垂れ流すなんて、なんて甘やかしてるんだ!行政はもっとしばけ!」論という二極の間で振り回されるだけで、全体像をきちんと論じようという姿勢がともすれば見失われがちなのですが、そこのところをしっかりと見据えていて、常に両方の側面をにらみながら問題を追いかけようとしているところです。

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