甲山太郎氏へのささやかなお答え
昨日のエントリに対して、kabutoyama_taro(甲山太郎?)氏が、ついった上でコメントをされているのを見つけました。
http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99671383004545025
>私、実は結構な職業的レリバンス重視ですよ。ただ私の領分は「漠然としたホワイトカラー予備軍」なので、明確な「職業訓練」という形を取りにくい。これが技術系だったら問答無用で機械全バラ実習から始めりゃいいんで話が早いんですが。
http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99672453940391936
>中等における職業訓練は、「進路決定に係る文化問題」と密接に繋がっているから話がややこしい。今の日本の15歳に、職業的進路を決めるポテンシャルは「文化的に」不可能です。ならば職業的を含む市民的レリバンス教育が優先されるだろうというのが私の心証。
http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99673348262477824
>ドイツみたく早い時点で大学進学組と就職組に分かれて人々もそういうものだと思う「文化」なら、中等における職業訓練も当然ながら機能するのでしょうけど、日本は…。むろん、「空中浮遊的理想主義教育学」がそうした文化形成の妨げになっているという趣旨なら大いに賛同します。
http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99675262974820352
>そういえばhamachanは、「職業訓練の重視は、当然ながら早期における進路選択の"強制"も含意している」とどこかで言ってはったなあ。だとすれば、氏と私の考えていることはほとんど同じで、あとは彼のほうが急進的で私のほうが漸進的だという程度の違いになるのかな。
http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99676730960248832
>ただし、「早期における進路選択」を前提とするなら、大学は、ベタベタに非実用的な教養主義/リベラルアーツの方向でやって構わないという結論に論理的にはなるのだけど。実際、欧米の大学はおおむねそういうことになっているわけで。そのあたり氏は自論との矛盾を感じないのかな。
おそらく、その「矛盾」をもっとも重大なものと感じるのは、甲山さんが理論派だからなのだろうな、と思います。これはいうまでもなく、いかなる意味でもペジョラティブなインプリケーションはありません。理論派はそうあらねばなりません。白紙の上にいかなる社会のありようを描くべきかという観点からすれば、この指摘はまことに重要なものです。
ただ、拙著でも繰り返し述べているように、わたくしは認識論においてはラディカルに、実践論においてはリアリストでありたいと考えておりまして、現に社会に存在し、なかなか簡単に消え失せろと言うわけにはいかない物事どもについては、それらが存在し続けることを前提としてどうするかを考えていかなければならないわけです。それは、もちろん実務派としての精神構造のゆえであって、もとより人に押しつけるものではありませんが。
「早期の進路選択」が全面的に可能な社会に、公権力を行使して今すぐ出来るのであれば、ごく少数の人々を受け入れる「大学」というのは「ベタベタに非実用的な教養主義」でいいのかも知れませんが(その場合その少数派がその後どういう進路をたどろうが、言葉の正確な意味における自己責任)、現実に同世代人口の大部分が「大学」と称する教育機関に入ることが当然とされ、行かない方が少数派という状況をとりあえず前提として(つまり、大学と称する機関の大部分を今すぐ直ちに強権的に取りつぶすということは出来ないと諦めて)、せめてその「大学」と称している機関で教えられることどもの中身を、いささかなりとも当該機関を出てからの職業生活において有用であり得るようなものにしようという程度の、まことにしょぼいことをぼそぼそとつぶやいているのが、その「レリバンス派」なるものの実相でしかないのであってみれば、甲山さんのいかにも理論派全開のコメントは、まことに正しいのですが、あまりにも正しすぎて、現実社会には使いようがないようにも思えるのです。
ちなみに、次のつぶやきはコンテクストが異なるので一緒に論ずべきではないのでしょうが、
http://twitter.com/#!/kabutoyama_taro/status/99689555510296576
>実際問題、雇用なんてのはあくまで需要によって生み出されるものにすぎないのであって。ニーズが決定的に不足しているところに、供給側;サプライサイドでじゃんじゃん職業訓練すりゃあ雇用が生まれるという発想はおよそバカげている。この点こそが、職業的レリバンス=人的資本論パラダイムの陥穽。
いささか劣化した「りふれは」風の言いぐさには残念のひと言。誰が「サプライサイドでじゃんじゃん職業訓練すりゃあ雇用が生まれる」なんて馬鹿げたことを主張しているのですかね。全体の雇用総量というマクロ問題と、その上での需給アンバランスというミクロ問題をごっちゃにしてはいけません。そして、この世の中にはマクロ経済問題以外におよそ解決すべき問題というのは存在せず、存在するなどと言うことを口走る輩はことごとく銃殺せよと主張するような徒輩と同一視されかねないような言葉を吐いてはいけません。上で論じた一連の議論と何ら内在的関係のないこういう台詞をうかつに持ち出すと、そのリスクを冒すことになります。
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コメント
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http://anond.hatelabo.jp/20110806001650
まさにこれですな
「ウェブ業界は人材が余っていて人材が不足している」
投稿: 通りすがり | 2011年8月 7日 (日) 00時20分
「早期における進路選択」だけならいいんですが、それが西欧型の階級社会、「労働者階級は大学が何をしているところかも知らない」ような社会の全肯定になってはまずい訳で。工業社会ではともかく、高度サービス化社会ではそれどころかホリエモン的「捨て扶持BI」が避けられない、なんていうネオリベも多いですが。
基幹正社員、ジョブ型正社員、周辺労働者の組織内での階級は仕方ないかもしれませんが、ホワイトカラー、スペシャリスト、ブルーカラー、極端に言えば性労働であっても、「職業に貴賤はない」というのは譲ってはならない一線だと思います。
投稿: koge | 2011年8月 7日 (日) 12時28分